>>36
>本多正信

正信の領地は加増を固辞して生涯、相模玉縄の2万2,000石だったが、
正信は常々、嫡子の正純に「我の死後に、汝は必ず加増を賜るだろう。
3万石までは本多家に賜る分としてお受けせよ。だがそれ以上は決して
受けてはならぬ。もし辞退しなければ、禍が必ず降り懸かるであろう」
と説いていた。

正純は、家康と正信が死去した後、父同様に権勢を牛耳ったが、
その遺志に叛いて宇都宮15万5,000石の封を得た。
案の定、正純はやがて第2代将軍・秀忠の側近から怨まれるようになり、
秀忠暗殺を画策したとされる宇都宮城釣天井事件などを理由に失脚した。

男の妬み、嫉妬は女より怖い。