>>755

会津の人が慶喜を嫌う理由は分からないけど、「天章院篤姫」を書く際に、篤姫が自分の子として育て、
徳川宗家を継いだ徳川家達の娘さんを取材したときに、「慶喜は、徳川家茂を毒殺した」と死ぬまで信じていて、
代々の家訓とせよ、とまで言い残したんだとか

そこから膨らまして、小説内では「この日本の重要局面にあって、この期に及んで将軍就任を断るとは、やる気あんのかこいつは」
的な、「みんながいうほど立派か、こいつ」みたいに、人格に疑いを抱きはじめて・・・・という流れになってた