「徳川綱吉」やろうよ。
綱吉は名君だったらしい。
生類憐みの令は悪法ではなく野犬の横行と狂犬病の拡大を防ぐ為のもので、
実際に処罰されたのは素行が酷い武士70人だけだったんだそうだ。
日本を初めて詳しく紹介したケッペルも「日本誌」の中で綱吉を絶賛している。
悪名は、次の将軍で甥の家宣が綱吉を散々に批判し、生類憐みの令も悪法として禁止した為についたらしい。
綱吉と家宣は確執があったんだそうだ。
今の教科書では綱吉は「道徳の定着をもたらした」と記述されてるんだそうだ。
儒教の学校も初めて造り、日本人の平和的な気質の基礎を作り、
人の命は平等として切捨御免を禁止し、命を大切にする事を教えた。
行き倒れも助け、孤児は周りや親戚が育てる様にお触れを出す等社会福祉に努めていた事が
近年発見された資料に記されていたそうだ。
こういう転回があるから歴史は面白い。