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【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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0019日曜8時の名無しさん
垢版 |
2018/04/23(月) 12:39:28.35ID:LYfJNt26
 
◇本編内容◇
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 駿河国・由比。夜に篝火を焚いて、面をつけた男女が調べに合わせて舞を舞っていた。そこへましらの石が不知哉丸を連れて訪ねてくる。「石…!」と面をとった女は花夜叉その人だった。
「文は読んだ…藤夜叉はかわいそうなことを…」と花夜叉は言い、「不知哉丸、よう来たのう」と不知哉丸を抱きしめた。

 石は能面を眺めながら、「もう田畑にしがみついて暮らすのはこりごりじゃ」と言い、旅芸人の一座にまた加えて欲しいと花夜叉に頼む。「この一座はわぬしと藤夜叉が生まれた里のようなものじゃ」と花夜叉は言い、
一座もかつての仲間はみな独立して去っており、いまの一座に石を知る者は一人もいない、芸風も変わったと石に語る。
「石も一から出直せばよい」と花夜叉は言い、不知哉丸もここで育てればよいと石に言う。そして先ほど花夜叉と一緒に面を着けて舞っていた男を「服部元成どのじゃ。新しい猿楽舞の名手ぞ」と紹介する。

 そこへ一座の者が足利軍が北条の残党を追って信濃に攻め込んだとの知らせをもたらした。花夜叉は一座がこれから鎌倉へ向かうことを告げ、鎌倉は無事かどうか気にかける。
 鎌倉を奪回した足利軍は北条残党を追って信濃に攻め込んだ。ところが越後の新田一族・堀口氏も信濃へ同時に攻め込み、信濃の支配をめぐって足利・新田両家が争う形となってしまった。

・・・「信濃を手放すとは言うておらん。新田殿と戦いたくないだけじゃ」と尊氏。しかし直義は今回の戦に協力しなかった新田の上野の領地をとりあげて恩賞にするべきとまで言う。

「そちは…大塔宮を害し奉ったばかりでなく、新田殿とも争い、都の者すべてを敵にまわすつもりか?」と尊氏が責めると、直義は「そうでもいたさねば都好きの兄上が本気で武家のためにお立ちにならぬと思うたのです!」と答えた。
「愚かな・・!」「愚かは兄上じゃ!」と怒鳴り合う兄弟。そこへ高師直が割り込み、今の事態はそもそも直義が鎌倉を守りきれず捨てたことが原因、と直義を非難する。

 三河から登子と千寿王が鎌倉へと戻ってくる。同行していた一色右馬介が一足先に鎌倉に入ってきて尊氏に報告する。尊氏が不知哉丸の消息を聞くと、右馬介は花夜叉一座に見張りをつけていることを告げた。
 尊氏は「みなわしのまいた種じゃ…」と右馬介に語り始める。自分が都を出なければ藤夜叉が死ぬこともなかった。宮も自分が鎌倉に預けなければ殺されることはなかった。
さらに自分が北条を倒したりしなければ多くの武士が公家に土地を奪われることもなかっただろう。「わしがわずかばかりの夢をみたばかりに…みな、わしが引き受けるしかない」と尊氏は自らを責め続けるのだった。

 一方、都では藁束で刀の試し斬りをしている義貞に、脇屋義助が「堀口を信濃に行かせたことがそれほどご不満か!?」と詰め寄っていた。今度のことで足利を牽制できると公家達も喜んでいる、と義助が言うが、
義貞は「わしは万が一、帝の命で足利殿と戦うことになっても、正々堂々と戦う。正面からじゃ!信濃辺りに忍び込んで盗人のような真似はせん!」と義助を一喝する。

「そなことを言うとるから足利にしてやられるのじゃ、」と義助は言い返し、公家に反足利の気運が盛り上がっている今こそ新田の力を伸ばすべきだと意見する。
「そういたさねば、いつまでたっても兄上は足利の上に立てませぬぞ」との義助の言葉に「わしがいつ足利の下に立った…!」と憤然とする義貞。義助は追い打ちをかけるように都の人々の新田評を告げる。
「しょせん新田は朝廷が足利を牽制するために引き立てた者よ、猿回しの猿に過ぎぬ、と!」この言葉に義貞は義助をにらみ返す。

 鎌倉では戦勝を祝う宴が催され、花夜叉一座が舞を見せていた。舞を見ながら、尊氏は久しぶりに母や妻子と水入らずのなごやかな談笑を楽しむが、直義はその団らんムードに嫌気が差して席を立ってしまう。
直義が町を見回ってくる、と言って屋敷を出ようとすると、門で不知哉丸が「おじちゃん!」と声をかけてきた。驚いた直義が事情を聞くと、一座と一緒に来たのだが宿で待たされているのが退屈で出てきたという。
「母御は?」と直義が聞くと「おっ母は死んだ…」との答え。直義は「こっちへ来い」と不知哉丸を屋敷の一室へ招き入れる。
 
0020日曜8時の名無しさん
垢版 |
2018/04/23(月) 12:41:28.12ID:LYfJNt26
 
・・・侍女達が菓子や料理を運んで廊下を歩いている。清子が不思議に思って聞くと直義のところへ運ぶとの答え。
いよいよ不思議がっているところへ尊氏が「舞は終わったぞ」と直義を呼び出しに来た。直義のいる部屋に入ると、そこに不知哉丸がいるのを見て尊氏と清子は驚く。不知丸は尊氏にもらった地蔵の守りを取り出し、尊氏に示した。

 そこへいきなり千寿王が駆け込んできた。何かを感じるのか、千寿王と不知哉丸は黙ってお互いを見つめ合う。 千寿王を追って登子も部屋に入ってきたので、尊氏、直義、清子はばつが悪そうに押し黙ってしまう。

「そのお子は…?」とただならぬ空気を感じる登子。「一座の子でござります。諸国の話などを…」と言いながら直義は不知哉丸を連れて出ていき、清子も「用があった」とそそくさと出ていってしまう。
尊氏は千寿王も連れて行かせ、登子と二人きりになると「話したいことがある」と切り出し、「登子、そこにいた子はわしの子じゃ」と打ち明ける。

尊氏は登子に藤夜叉のことを話し、不知哉丸については一生無縁の子とするつもりだったが、母親が死んだ今ほうっておけないと言って「そなたの許しがあれば引き取りたいと思う…」と登子にもちかける。
だが登子は「今日まで知らぬのは登子だけでござりましたのか」と恨めしそうに言う。「すまぬ」と謝る尊氏に、登子はむかし尊氏が藤夜叉のことを打ち明けようとした時に
「今日の月、明日みる月が美しければそれでよい」と言って過去を詮索しないと言ったことを思い出しつつ語って、「その子は、、ご容赦くださりませっ!」と逃げるように出ていってしまう。

 舞を終えた花夜叉一座が出ていこうとすると、不知哉丸が出てきたので花夜叉は驚く。みると不知哉丸を直義が見送っていたので花夜叉はだいたい事情を察して不知哉丸を連れて宿へと帰っていった。

 ところ変わって陸奥国。陸奥の国府には反新政を叫ぶ反乱軍が押し寄せ、北畠親房、顕家父子、結城宗広らが必死に防戦をおこなっていた。宗広が城門の外で敵と斬り結び、顕家が中から矢を射て宗広を救う。

親房が敵の矢が飛んでくる前面に姿を現し、顕家たちが安全なところに引くように勧めるが、親房は「案ずるな、いやしき東夷(あずまえびす)の矢など、この親房には当たりはせん!」と言って、
「汝知らずや!我は大納言親房ぞかーし!ここに矢を射てみよ!」と胸を叩いて敵に叫ぶ。そこに風が吹きつけてきて、親房は砂煙にむせて倒れ込んでしまう。

「ものの値打ちもわからぬ輩に名乗りなど挙げても詮無きことか」と親房は笑って引き下がり、近くに刺さっていた敵の矢を抜き、敵が佐竹貞義の手の者であり足利の命をうけていると称していることなどを顕家と話す。
外で戦っていた宗広がようやく城内に戻ってきて「東国の武士がみな足利方に鞍替えしておる!ゆゆしきことじゃ!」と北畠父子に叫び、親房は朝廷に足利の真意を確かめよと訴える使いを出すよう命じた。

 親房の訴えは京に届き、朝廷では公家や名和長年が足利の勝手な行動に怒りをぶちまけていた。そこに四条隆資が、護良の世話をしていた女性が鎌倉から逃げてきて、護良殺害の証言をしているとの話を伝える。
その証言の生々しさに公家達は震え、吐き気を催す者も出る。公家達は「足利討つべし!」と盛り上がり、後醍醐天皇にこれを報告する。

 「護良は、やはり…」とつぶやく後醍醐。「この手でとらえ、この手で足利に渡したのじゃっ!! あのときこの手で殺してしもうたのじゃ・・・」と帝は自らを責める。

公家達は「足利討伐の詔勅を!」と声を揃えるが、帝は参席していた楠木に意見を求める。正成は一連の動きが本当に尊氏の指示によるものなのか、彼の手の及ばぬところで事態が進んでいるのか分からぬ、と言い、
天下が疲弊している今は戦は避けるべきで、まず尊氏を都に呼び返して直々に話を聞くべき、戦はそれからでも遅くない、と進言する。「実(げ)にも…今、戦は避けねばならん」と帝は言い、ただちに尊氏に向けて勅使を送ることを決定する。

 これが帝と尊氏をつなぐ最後の勅使となるのである。
 
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