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【第三十三回】太平記 part.33『千寿王と不知哉丸』
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0783日曜8時の名無しさん垢版2018/07/12(木) 10:58:55.20ID:uI8ZAcQ0
北条裕子とかいう盗作オンナはけしからんな
0784日曜8時の名無しさん垢版2018/07/12(木) 11:49:19.57ID:v1p5PAMI
直義が越前に脱出してからも、尊氏は直義に帰還を要請している
もともとあの脱出劇が本当に尊氏の策略だったのかも疑問
0785日曜8時の名無しさん垢版2018/07/12(木) 12:11:38.91ID:03+3roUe
>>782
無茶言うなw
0786日曜8時の名無しさん垢版2018/07/12(木) 13:44:50.31ID:YK3z+S7N
下級公家でもいいから特捜の娘をやっておくべきだったな。そこから繋いでいけば生き残ったかもしれない。そう、一条能保の子孫のように
0789日曜8時の名無しさん垢版2018/07/12(木) 21:12:31.56ID:RcoOdSb+
>>788
赤松則祐って道誉の娘婿なわけで、道誉と則祐は明らかに同じ意図で動いていたと思うぞ。
まあ赤松が表向きとはいえ担いでいるのが、護良の王子という辺り、かつての建務期に
おける護良派の人脈を活用した感じだがw

あと則祐と道誉の娘との婚姻関係は、赤松の家格の上昇にも大きく寄与したみたい。
後に則祐の子の義則が、赤松氏で初めて侍所頭人になって、赤松は三管領四職に列する
わけだけど、これも赤松義則が道誉の外孫であることが大きかったようだし。
0790日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 00:21:27.94ID:VEenYdyc
>>785
平氏政権とか豊臣政権とか武士が大量に公卿になっているケースもあるのだし、
尊氏だって将軍になるより遥か以前に、後醍醐の建武政権下で公卿になっている。
もし望めば、得宗家の当主くらいは、公卿相当の官位に昇ることは可能だったんでは?
0792日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 01:53:47.28ID:RymP2533
赤松則祐みたいに父が尊氏方に転じて20年経ってから
南朝に戻るのもいるのだな。
14世紀中盤にもう茶人なんてものがあったのに驚いたけど
0794日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 11:54:18.37ID:pD+cw5Wy
頼朝公の官位を超えてはダメなのよ。
鎌倉幕府の根幹を揺るがす。
頼朝公の遠戚が将軍に据えられた事実があるのだから。
0795日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 15:24:09.28ID:RymP2533
北条氏が将軍になるしかないんだろうけど、そんなIFどこで実現すればいいんだろうね
平賀朝雅将軍を実現して、姻戚でもなれますよ的な方向に持っていくとか?
でも無理だよね
0796日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 16:17:21.50ID:IFjX7K/P
>>792
あの時期は、尊氏も直義も道誉も直冬も、一時の方便として、南朝に下っているから、
赤松だけ殊更に言うことではない。

>>793
あの段階では幕府の政務担当は義詮に交代しているから、仮に直義が帰参したとして、
直義をもう一度政務に関与させる選択肢はなかったと思うけど・・・。

>>794
頼朝の官位を超えるとは?
0797日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 18:53:08.56ID:RymP2533
>>796
あれは則祐の挙兵に道誉が同調した形なんだと思う。
弟の氏範ほどじゃないけど、則祐も大して尊氏に思い入れがなかったのでしょ。
0798日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 23:05:46.08ID:VEenYdyc
>>797
あのときの道誉・則祐の南朝への帰順は、明らかに尊氏・義詮の意を受けてのものでしょ。
ドラマでも、道誉・則祐の南朝帰順は偽りだという感じで描かれていたけど。

まず尊氏・義詮がそれぞれ佐々木・赤松討伐と称して出陣するのが、観応2年7月28日。
そして謀られたと悟った直義が京都を落ちるのが8月1日であり、この段階では、佐々木・赤松討伐は虚偽だという噂が都に充満していた。

その後、義詮は8月3日、尊氏は8月5日に帰京しているが、日数の短さからしても、
尊氏・義詮に本気で佐々木・赤松を討伐する気があったとは思えないし、直義側も
佐々木・赤松が本気で南朝に降るはずないと思ったからこそ、謀られたと認識したわけで。
0799日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 23:07:41.93ID:VEenYdyc
あと則祐はその後、観応2年いっぱいは南朝方として活動しているが、この年の
10月以降は、尊氏・義詮も(直義を討つために)南朝に下っているから、同年末に
南朝方として活動していても、それは尊氏・義詮に敵対していることにはならない。

そして、翌観応3年(文和元年)になると、道誉・則祐とも義詮の配下で活動している
ことが明らか(この時期、尊氏は鎌倉へ長期出張中)になる。
0800日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 23:37:49.24ID:hdFeikpJ
則祐さんの将軍家への忠誠心がガチなのは幼い義満とのエピソードからでもわかる
0801日曜8時の名無しさん垢版2018/07/13(金) 23:40:04.59ID:Mk27aVTI
こういう話はドラマと照らし合わせて面白く読めるから好き
スレと関係ない時代の知識ひけらかす奴は爪の垢でも煎じて飲ませて貰って欲しい
0805日曜8時の名無しさん垢版2018/07/14(土) 05:41:13.49ID:Y4saV3CX
>>802
まだ理解していないようだからはっきり言う
スレと関係ない時代の知識ひけらかす三河屋は爪の垢でも煎じて飲ませて貰って欲しい
0807日曜8時の名無しさん垢版2018/07/14(土) 10:13:33.73ID:a6iD500A
北朝同士も醜い争いあるよ!
0811日曜8時の名無しさん垢版2018/07/14(土) 14:47:53.03ID:7Ayw3JcY
戦も政のうちぞ!
0814日曜8時の名無しさん垢版2018/07/14(土) 20:23:29.37ID:IOagfMrB
>>812
漢字表記違うけど、兄の名前も範資(ノリスケ)なんだよな。
もっとも則祐のほうは、最初は出家していたから、音読みでソクユウだったらしいが。
0815日曜8時の名無しさん垢版2018/07/14(土) 23:32:44.39ID:ozYKbdFO
波野ノリスケ
0816日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 07:25:13.07ID:45GvdEUp
赤松さん、太平記だと悪党そのものだけど
播磨の名族なんだっけか
御家人じゃないんだけどね

まあ、御家人って日本全国で500人くらいしかいなかったらしいし
0817日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 10:11:12.63ID:K0j2qOr+
赤松は元々どこの馬の骨か分からない出自だよ。
村上源氏とする系図に信頼性はほとんどないし。
0819日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 12:46:46.67ID:g+UuepJN
赤松円心を演じた俳優さんって東工大出身なんだよなw とてもそう見えないw
太平記で世間に見出されるまでアルバイトで生計を立てていたとか
0820日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 15:50:06.41ID:K0j2qOr+
>>818
なんら変わらないというか、赤松自身が悪党そのものだよ。
0821日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 20:05:45.27ID:45GvdEUp
>>817
それはないだろ
叡山に息子送り込んで座主の側近になる程度の力はあったんだから
0822日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 20:47:13.70ID:4QCFQ9h+
悪党いうても
悪左府頼長とか悪源太義平みたいに
悪の意味は現代とは必ずしも合致しないわけで
0823日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 20:57:57.33ID:1XJKwObo
悪党そのものってのは現代でいう悪党ってことだろうよ
ちゃんと忖度してやろうぜ
0825日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 21:30:12.55ID:/4U7MO/x
「よいとはどれほどよい?嫁に行けと言えば行ってもよいと思うほどの人物と見たか?」
「はい!」
「よし。足利高氏救うてみよう。このまま北条の敵とするには惜しい男よ…」

これが皮肉にも北条の命運が尽きることになるとは…
。゚(゚´Д`゚)゚。
0826日曜8時の名無しさん垢版2018/07/15(日) 21:43:32.28ID:NH789dSn
>>815
波野氏は大内氏の家臣
周防守護職に任じられた大内氏に付き
親政後は北朝側につき足利尊氏を支援
0828日曜8時の名無しさん垢版2018/07/17(火) 14:29:21.81ID:xJ8ILjHg
波多野と言えば波多野憲
60年代邦画の名脇役
二枚目だがヒロインの元彼とか既婚なのを隠してヒロインと付き合っている男とか、ダークな悪役専門
京大出身と知ってびっくり
0830日曜8時の名無しさん垢版2018/07/17(火) 17:48:54.02ID:xJ8ILjHg
売れないアイドルをめった刺しにしたストーカーの筆下ろしセックスをした波多野結衣
0831日曜8時の名無しさん垢版2018/07/17(火) 20:35:37.61ID:anMKaGnT
新垣結衣とはどう違うの?
0832日曜8時の名無しさん垢版2018/07/18(水) 06:35:52.38ID:l2VSj0B9
>>830
ググったらガチだったわ
こわっ
0834日曜8時の名無しさん垢版2018/07/19(木) 01:13:25.79ID:AcrqVhKc
>>826
吉田松蔭の実家の杉氏は、大内重臣の杉氏の末裔?
0837日曜8時の名無しさん垢版2018/07/19(木) 21:30:53.10ID:uGdGFtHx
高杉晋作の家紋は武田菱だね。
安芸武田氏の一族かな?
0841日曜8時の名無しさん垢版2018/07/20(金) 01:11:21.57ID:UeOF8xez
>>831
新垣氏の祖先は沖縄琉球王国の宮使い
だったが庶流が奄美から九州に渡り
南北朝期には渋谷氏に仕える
0842日曜8時の名無しさん垢版2018/07/20(金) 23:44:01.70ID:BOi1kz4+
>>766
つべで確認したが確かに早口だなw
名和長年、仔細確かめい。
儂(み)は二品の親王、征夷大将軍なるぞ。
これが正解だと思う。

その後に大塔宮が尊氏と話す場面があるけど、宮が
そちは頼朝の血をひいておる。
と言っててひいてねーよと突っ込んでおいた。
0843日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 09:46:48.54ID:EoBM1Yc3
>>842
実は頼朝が義妹と不倫してたとか
0845日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 13:13:45.28ID:7B4KV87E
>>842
頼朝と同じ“河内源氏=武家の棟梁の血筋”という程度の意味で言っていると、脳内変換して
見ることはできないの?
0846日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 13:17:37.29ID:fo3SiDjn
>>842
ザックリ言えば頼朝の血をひいておる
0847日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 14:33:56.97ID:0xVhcGYJ
八幡太郎義家の血を引いてる
と言っても「?」な視聴者もいるしなぁ
0848日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 17:41:45.32ID:6IX/aDqc
尊氏→腫物
直義→腫物
義持→腫物

腫物のできやすい遺伝なんてあるの?
お尻がかゆくなる
0850日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 19:30:03.25ID:gvseTJHu
東スポかなんかのエロ小説で、義朝が妹と不倫の仲になっていたとかいないとかってのを読んだ気がする。
かなり昔。
0852日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 21:45:41.05ID:7B4KV87E
>>847
初回で高師氏が「八幡太郎義家公より始まる当家を滅ぼすおつもりか?」という場面があるよ。
0853日曜8時の名無しさん垢版2018/07/21(土) 22:44:16.77ID:UxVW+n4i
千寿王
0855日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 02:03:47.87ID:GE2szhcb
>>817
それで終わりか、つまらない奴め
前からボキは、なぜ三河に赤松氏所縁の伝承が多いのか不思議に思っていたので、少し調べてみた

赤松を語るのに、殊更特筆されている実父は源顕房ではないかと言われている季房卿がキーマンなんだが、播磨に流されたあと許されて三河守になっているらしい
そして、季房の姉妹が藤原顕隆の室になっていて、顕隆の正室が藤原悦子(父は藤原季綱(三河守))、悦子の従兄弟が初代三河の藤姓熱田大宮司の藤原季範だ
遡れば足利氏と赤松氏は三河で接点があったわけだな
0856日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 02:14:36.79ID:GE2szhcb
豆知識だが

赤田和城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Akantawa-jo.html

広祥院
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%A5%A5%E9%99%A2


円心が隠れ住んだと言われる赤田和城と高氏所領の広祥院は、直線距離で約1.5キロしか離れていない
赤田和城近くには赤松円心の子孫と主張する赤松さんが現在も住んでいて、子孫の証拠として受け継いできた刀があったそうだが太平洋戦争時に軍に没収されたらしい
また、赤田和城近くの山中に赤松円心の碑があるらしい


たまには面白い話の一つくらいしろ
どいつもこいつも退屈なレスばかりしやがって
0857日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 02:21:45.77ID:GE2szhcb
もう一つ豆知識だが

広祥院
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%A5%A5%E9%99%A2

広祥院の裏には奥平家の墓と家臣団の墓があって、福沢桃介が来たことがあるらしい
つまり福沢諭吉の先祖が眠る墓地なわけだな
0858日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 08:25:50.42ID:d1Gn905k
足利尊氏さんは後醍醐にすげー恩賞貰ってるのな
正三位 参議
鎮守府将軍
武蔵守、三河守、上総介
関東での恩賞取次

もう満足やん
0862日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 13:45:58.86ID:d1Gn905k
>>861
新政時の鎮守府将軍と他の時期の鎮守府将軍はなんか違うけどな
北畠顕家も鎮守府将軍だし、ちなみに従二位参議
右近衛中将(従四位下クラス)
陸奥守

役職の位階が建武新政は違うね、他の時期と
0863日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 16:14:39.34ID:WbNRMOr0
>>862
後醍醐は先例無視だから
0864日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 16:37:13.21ID:EjGxLjz5
>>861
官位相当は時代によって変わるから、中世だと既に律令時代の官位相当制とはかなり変わっている。
鎮守府将軍の場合は、平安期の段階で官位相当以前に陸奥守との兼任が基本になっていた。

>>862
北畠顕家の場合は、就任時にゴネて「鎮守府大将軍」にしてもらったとかいう話もあるな。
0866日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 22:38:23.24ID:5tQunFE5
禁門の変で長州藩は天龍寺に陣を置いていたとのこと。
今日の大河で知りました。
0867日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 22:43:58.69ID:EjGxLjz5
>>866
それ以前に、応仁の乱や慶長伏見地震でもやられている。
0868日曜8時の名無しさん垢版2018/07/22(日) 23:59:00.42ID:QUKVw6ho
千寿王
0869日曜8時の名無しさん垢版2018/07/23(月) 20:27:07.13ID:TBYga7ec
>>860
あれ、何で「征東大将軍」じゃなくてただの「征東将軍」なんだろう?
かつての木曽義仲でさえ「征東大将軍」だったし、北畠顕家(というか親房)がゴネて
「鎮守府将軍」を「鎮守府大将軍」に変えさせた件とかも踏まえると、尊氏に大将軍号を
与えないのは何だかなぁ。
0870日曜8時の名無しさん垢版2018/07/23(月) 22:18:39.94ID:1XVxIXzU
君は答えがわかってるのにわざと聞いてるね。レス乞食の手法は嫌われるからやめたほうがいいよ。
0871日曜8時の名無しさん垢版2018/07/23(月) 23:55:07.36ID:iobqT00H
千寿王
0872日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 00:11:59.98ID:IW14+Fmt
不知哉
0874日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 08:58:54.53ID:8rizq9P+
赤松円心さん
意外と建武政権で恩賞もらってんのな
まあ護良親王失脚で播磨守護職失ったけど
0875日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 11:33:39.91ID:xqQI96Jw
>>874
そもそも護良失脚前に、赤松は播磨の守護職なんて持っていたっけ?
0878日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 14:55:21.99ID:2UX4ZaVo
>>877
後醍醐帝に直接、というのは大きいね
赤松は六波羅陥落への貢献大きいのに
息子の則祐が法親王時代からの護良側近で、その護良自身が・・・・・・
0879日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 17:56:14.81ID:QvSkIFlJ
円心「仕える主を間違えたわ!」
0880日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 18:59:47.15ID:qdwO8gvB
>>877
結局生き残ったのは赤松で滅びたのは名和
0881日曜8時の名無しさん垢版2018/07/24(火) 22:10:23.98ID:w0HTraEF
有馬記念に名前を残す競馬の父・有馬頼寧伯爵は赤松則村の五男が始祖で有馬流赤松氏
0882日曜8時の名無しさん垢版2018/07/25(水) 00:19:29.72ID:SiezQkDs
名和って元々は魚売りとかだったっけ。
散所の親分・楠木といい、ほんと後醍醐はそこら辺のうさんくさい馬の骨ばっか集めてた異形の王だな。
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