花神は当時、賛否両論だったんだよなあ
原作は一応、花神で大村益次郎が主人公だけど、世に棲む日々の吉田松陰や峠の河井継之助とか司馬遼太郎の原作を色々混ぜて、
主人公が何人もいたんでドラマ的に脈絡がないと批判もあったよ
良くも悪くも異色の大河だな

当時もそう言われてたのか。
圧縮された総集編でもそう感じる。
特に河井パートは大村との繋がりを欠いて大河河井継之助となってしまった。
こういうバラバラの作りはオムニバスとは言っても群像劇とは言わない。

太平記は名作には違いないが粗が目立つ大河だったね。主要メンバーは概ね演技含めて強烈な印象を残し、
名場面もてんこ盛りだけれども、全体構成がまず歪だったのは仰る通り。
恋バナ要員、賑やかし要員のオリキャラを置くのが定石の大河にあって、ましらの石はもっと意味のあるオリキャラたり得たのに、
何とも雑な結果となってしまったのもその通り。
どう見ても真逆の熱血ツバ吐きキャラにされた直義などは、新鮮というより外してた。
若手は皆下手だし、アイドル、芸人が出るのは良いとしてもちょっとなーのレベル。

慶喜もいわゆる脱線恋バナにげんなりさせられるし(256)、名作翔ぶだって幕末最終局面はとてもじゃないが
きちんと歴史の動きを追ったとは言えない上、余計なラブも入る。
要するに昔の大河は、決して今の大河を馬鹿にできるほど完全無欠で絶対的なものではない。

隙あらば何とかの一つ覚えで八重前半は◯、後半は×をおっぱじめる2ちゃん与党たち。
八重の一代記なんだから明治の新しい女八重こそが本番なのに、その部分はただのホームドラマで大河ではないのだと。
だったら「八重の桜」なんてテーマにするなってこと。
そして八重とは無関係の西南戦争をちゃんとやった(あれで?、しかしあの程度で良い)と褒める。
中には、11月いっぱい、どうでも良い八重パートをカットして、戊辰戦争を最後まで追い続ければ世紀の名作となったのにと、
「方針変更」した制作側を罵倒する、その頓珍漢ぶりに気が滅入ってくる連中も現れた。

主人公置き去り留守番大河だった前半の「京都編」よりも、ようやく主人公八重の八重たる所以にスポットが当たった(会津戦争含む)、
しかも新時代の京都の政情、また中央の大政治も必要な限りでカバーした中盤以降の方が、「八重の桜」としては優れている(ただし中途半端)。
このような評価もあるし(小谷野敦)、置き去り大河批判に耳を塞ぐ連中より、よっぽどこちらの方が正解。

主人公八重の物語と大状況とをリンクさせる努力が見られなかったのが痛い。
ヲタは会津の危機が迫りくる様子をちゃんとやったと弁解するが、その時会津の八重はーということで鉄砲の練習するのをちょこっと挟んで、
残りは八重と切り離したまま京の政治情勢を延々とやるというのでは、置き去りお留守番大河なる批判を受けてもやむを得ない。
真面目に歴史に取り組んだのはその通りで見応えのある「本格大河」なのだけど、京パートを含めドラマ性に欠けた。