以前からちょっと疑問に思ってるのだけれど、明智憲三郎氏以前から本能寺の変での「家康共謀説」の主張って、
「光秀は、信長の命で家康を殺すために発した軍を利用して、信長を殺してしまった」というものみたいなんだけど
安土城に家康が来たときにヤッちまえばいいものを、なんでわざわざそんな七めんどくさい手順を踏む必要があるのか、
の説明をどういう風にしてるんだろう
小説ならそういう複雑な方法を採るのもわかるんだよね、仕掛けが大掛かりな方が面白そうだし
でも実際にやるとなれば、どう考えてもなるべくシンプルな手段を採った方が確実なのに

明智氏の著作を読んだことがないから何とも言えないけれど、藤本正行氏の「本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意」に引用されてる
文章を見る限り、ほぼ小説のあらすじのノリの印象を受けるんだよなぁ
本能寺の変直後の家康の動きが怪しい、という話も聞いたことあるけど、平山優氏の「天正壬午の乱」とかで、残された当時の文書から
時系列を追って割り出した動きとか読むかぎり、特に変なところもないし