隙あらば何とかの一つ覚えで八重前半は◯、後半は×をおっぱじめる2ちゃん与党たち。
八重の一代記なんだから明治の新しい女八重こそが本番なのに、その部分はただのホームドラマで
大河ではないのだと。だったら「八重の桜」なんてテーマにするなってこと。
そして八重とは無関係の西南戦争をちゃんとやった(あれで?、しかしあの程度で良い)と褒める。
中には、11月いっぱい、どうでも良い八重パートをシカトして、戊辰戦争を最後まで追い続ければ
世紀の名作となったのにと「方針変更」した制作側を罵倒する、気が遠くなるような連中も現れた。

主人公置き去り留守番大河だった前半の「京都編」よりも、ようやく主人公八重の八重たる所以に
スポットが当たった(会津戦争含む)、しかも新時代の京都の政情、また中央の大政治も必要な限りでカバーした
中盤以降の方が、「八重の桜」としては優れている(ただし中途半端)。
このような評価もあるし(小谷野敦)、置き去り大河批判に耳を塞ぐ連中より、よっぽどこちらの方が正解。

西郷どんの島編、その裏腹の関係にある桜田門の扱いに対しても、「主人公そっちのけで何が悪い」とばかりに
開き直り、中央の政治以外は歴史とは考えないこの連中が集団バッシングを加えている(でありながら高速関ヶ原に
対してはミタニンすげーのダブスタ)。しかし、「歴史を描いてない」場合の「歴史」はその部分ではない。