>>694
徳川家康が歴史マニアだったし
豊臣政権のいわゆる五大老として大名連合政権の脆弱さをよく知ってたからな
だから、徳川三代迄の間に、
中堅小規模の譜代大名に交通の要所と幕閣の要職を任せて
大大名は遠隔地で中央政治から遠ざけると言う体制を確立した
その三代、四代の幕閣松平伊豆等が、幼君家綱将軍体制に乗じて伸長しようとした
御三家を抑え込んで、御三家御家門を敬して遠ざけ、完全に譜代独占状態にした
その後、時を経て譜代内部の政争で老中首座松平定信が権威付けの為に御三家の承認を受けたり
幕府からシメられ過ぎた島津家の重豪が外様島津家から御台所を擁立したり
水野忠邦の失脚で譜代自体の既得権益化の限界を見て来た阿部正弘が
私的サロン的に水戸斉昭、島津斉彬等と交際して家康からの禁を徐々に緩めて
井伊直弼がそれを一挙に締め直して取り返しがつかないぐらい跳ね返された