若し西郷先生の主張通りに成って愈々海外に兵を出すと云うことに成れば
文官側としては伊地知さんと私とが文官側で随行することと定められて居た。
「お前は占領した地方地方の事を捌いて行く役に為るのぢや」
と先生は云って居られた、多分民政官見た様なもので有ったろう、
私たちは右の内命を受けてからは、毎日毎日公務の暇暇には満鮮の地図を広げ、
地理の研究に没頭して居たが、ある日先生は
「どうもこれらの地図は不完全なものであまり役に立ちそうにない
 思うに江戸町奉行所には比較的完全に近いものがあったはずじゃから
 お前は何とかして探し出してそれと一緒に必要な書籍を合わせ捜索するがよかろう」と、、
                         (有馬純雄「維新史の片鱗」)

なお西郷は朝鮮を制圧後、満州を占領し、周辺勢力を挑発して戦争に持ち込み
「付近を蚕食」し、ロシアと和睦しつつ清に介入するという持論を何度も有馬に聞かせたらしい