【謎の歴史観】西郷どん その4【なんで史実じゃダメなんですか?】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>330
>>237-238を参照
1、まず「藩と藩」の盟約ではない。あくまで有志間の盟約
2、しかも「討幕同盟」ではない。あくまで長州藩の「政治的救済」に関するもの
さらに
3、薩摩藩側は「盟約」したとは認識していない
現に小松帯刀は慶応2年秋から盟約1条による薩摩藩兵引き揚げを指示して慶喜との関係を修復
翌年1月には藩兵を京から引き揚げたので木戸が驚愕している
実態は薩摩藩側の方針の再確認にすぎない
何の約束もしていない
そもそも長州藩は処分案受け入れを拒否して薩摩側を失望させたまま
しかし木戸は手ぶらでは京に赴いた意味が失われるからわざわざ第三者の龍馬に裏書を求めた
というだけの話
はっきり言えば木戸が話を盛りまくった
なお、木戸の自叙からさらに話が盛られ、
龍馬の薩摩藩への働きかけまでしたことになった
実際の龍馬は木戸の愚痴を聞いて「そうかなるほどね」と言っただけ
「そのあとに盟約が結ばれたのだから龍馬は何かしたはずだ」という仮定に立って
色々妄想を働かせた結果、現在に至るというだけの話で、
実態はそのあとも薩摩藩側は「盟約」など結んでないからそんな妄想は必要ない たとえば盟約第1条の「京に兵を差し上らせる」は
薩摩藩の藩是だった禁闕守衛の範囲内の行動であって対外的な盟約などではない。
さらに盟約だとすると、第3条の
「万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付」
という条項が意味不明になる。これは薩摩藩側の情勢認識にすぎない。
また橋会桑と「決戦」についても、薩摩藩は幕使永井尚志らの態度を見て
長州再征はないとかなりの自信を持って判断しており(第4条で「幕兵東帰」にも言及している)
たぶんにリップサービスだった可能性が高い。
なお、不言実行が薩摩人、文書で残す必要などなかったのだと言い訳してる人もいるが、
薩土盟約の時にはちゃんと藩主クラスの書簡に草案が添付されています
木戸が当時話を盛った事情は上記の通りとして、
その後、明治10年の西南戦争の最中にこの慶応2年の会談をやたらめったら強調しまくったんで、
この会談がなぜか特別な意義を持つもののように受け取られてしまったというのが実態 ほぼ同時期の薩摩藩要人の言動(続再夢紀事に見られる大久保の討幕否定発言や、
お目付け役だった桂久武の伊地知貞馨宛書簡の内容)を見ても
この時期に薩摩藩が政治的に重大な決断をしたような形跡は全くない
それどころか、小松、西郷などの薩摩藩側が「木戸を京に呼んだ」というのが史実かどうか、
それすら疑問視されているありさま さらに次回の内容にかかるが
幕府がこの薩長間の提携に気付かなかったというのもウソ
もともと幕府側は二本松の薩摩藩邸に長州藩士が潜伏してることは知っていた
また龍馬との連絡がとっくに途絶えていた勝海舟が2月1日に「薩長の提携」を
風聞として記していることでも分かる通り、そんなもんは少し耳の早い人は分かってる
それでも幕閣が見て見ぬふりをしてたのは、当時、幕閣が長州再征を巡って慶喜らと対立しており
再征を阻止するため薩摩藩に接近する動きを見せていたから、おそらくその一環 いずれにしても、木戸の書簡と、同一人の後年の自叙以外に根拠が全くないのに
(ちなみに木戸の自叙は3つとも当時の史実と違うとされる)
なんで「慶応2年1月に討幕同盟が結ばれた」などという解釈がまかり通ってるのか全く不明
幕末史はとにかくこういう伝言ゲームが多すぎ
あとでやる坂本龍馬の「暗殺事件」なんかもこの典型
実態は暗殺でも何でもなく、前科者の坂本龍馬さんが身元がバレて
幕吏に斬られましたというだけの話 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています