【謎の歴史観】西郷どん その4【なんで史実じゃダメなんですか?】
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>>33
孝明天皇だよ。西郷どんで攘夷論に逡巡する姿を描いたのは一定評価できるが。 >>45
そもそも実況なんかしなくてもよい。史実について本気で論じるなら無理だからだ。 今日もニュース9では「被災地とにかくかわいそう、
避難所での生活は疲労が増すばかり」といった報道ばかり。
古く、八百屋お七は避難所で知り合った火消しに会いたさに、
放火までしてしまったという。
避難所生活でもそれなりに楽しいこととかあるんじゃねーの?
むろん、楽しいことなんかないだろうし、
あまり楽しそうだと義援金も集まらないだろうけど、
被災者の気が滅入って自殺しないように、
「避難所生活での楽しさ」といったメンタルケアもあっていいのでは?
東日本大震災でも、高齢者が優先的に避難所から仮設住宅に移ったら、
「周り知らない人ばかりだから避難所に戻してほしい」なんて言われたし。
避難所生活を快適に過ごす方法を国家プロジェクトとして指導教育するべきだ 「818政変は長州の追放が目的」
「禁門の変で椋梨党が三家老を処刑した」
「龍馬は勝塾の塾頭」
「長州征討軍は麻田党を追放させようとした」
「高杉晋作の挙兵で藩論が転換」
「薩長同盟は討幕同盟」
この辺の虚説はいつ訂正されるのか
篤姫・八重では若干訂正の兆しがあったが
花もゆ・西郷は完全無視。否定された説を垂れ流しだね 西郷は鷹司邸焼き討ちはわが藩の功績と言って大久保に誇ってるので
ショックを受けたという描写はおかしいね。
なぜ放火した本人がショックを受けるのか意味が分からない 西郷は惨敗した長州を滅茶苦茶バカにしているので
征討軍の当初の方針が厳罰だったのはそういう雰囲気も反映されている
だから勝海舟との意見交換が転換点になり得ているわけで、
情け深いように描くなら勝を登場させる意味が全くない。 >>59
818政変での長州追放は付け足しみたいなものということ? >>62
もともと818政変は長州派公卿に謹慎を命ずるもので
長州藩はこの件では処分の対象とされていない
長州藩がお咎めを受けたのは禁足処分を受けた公卿らを擁して脱走したから
政変に関与した会津・淀および中川宮のみならず
米沢・備前・鳥取・徳島の四藩主もまじえて決定してるから、
御門警備解任がせいぜいだよ。 >>37
>応仁の乱後、島津薩摩、相良肥後、伊東日向などを
>臣下に治めた琉球が八重山諸島から北九州の支配者となることもあり得た
それは言いすぎだな
トヨタの車使ってるユーザーはトヨタの臣下ですみたいなひどい誇張
朝貢貿易と言っても琉球が作った契約の形式を使うくらいの意味合いしかない 災厄に乗じて視聴率を稼ぐ大河。
最悪大河を超える災厄大河。
大雪、雨、台風
上がった時はそんなのばっかり。
人の不幸を糧にする大河。 >>62
御所警備解任は別に懲罰ではないしな。
自主的に帰国しなさいという意味にすぎない。
「追放」になっちゃったのは、
長州藩が謹慎を命じられた公卿を連れ去ったから。 松平慶永や西郷が長州征討への将軍進発を強く求めたことも描かれてないね。
また戦後の恩賞問題で京都組(西郷)と国元(久光・大久保)の間に対立が生じてたのだが
それにも触れていない。西郷と大久保はこの頃から色々微妙な関係にはあった。 >>54
>>28が誤字なので突っ込んだだけ
アンカーつけなかったのは謝る 西郷の長州処分は松平春嶽・伊達宗城・山内容堂からも批判された。
実際その懸念は当たってた。 見てないから知らなかったけど、
桂と西郷が戦う前に友達ごっこしてたんだって?w ttp://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/53881499.html
冒頭、長州の桂小五郎が物乞いの格好で一橋慶喜邸の門前に居座っており、西郷と出会う。
もう、このあたりから、違和感満々である。
桂が変装して京都に潜伏したとされるのは、「禁門の変」に敗れた「後」であるはずだ。
なぜ、戦争に負ける「前」に変装しているのか。あるいは、趣味の「コスプレ」かも知れない。
続いて桂は、この格好のまま西郷の宿所・鍵屋を訪ねて来るのだが、
「長州藩士、桂小五郎」と堂々と名乗っているのも、ものすごく「変」だ。
せっかくの変装が、台無しである。やはり趣味の「コスプレ」だったのかと、
思わざるを得ない。 >>59
塾頭どころか、金かっぱらって逃げてから絶縁状態だったのにな 池田屋事件で怒った長州藩が進発したというウソはいつになったら直すのかね。
長州藩の進発は久坂が帰国した5月には決定事項で直前には馬揃までやってる
そもそも論として進発の方針がその前年の秋に決まってるんだから
時系列的に言えば、長州藩の入京が迫ってるから浪士と会合を持ったわけで全く因果関係が逆
池田屋はむしろ格好の口実になったくらい おのれNHK!!
台風が西日本を縦走しているまさにその時に、
ウィンブルドンテニスなんかのんびり流すな!
国民の命よりテニスが大事ってか
錦織圭が一気に大嫌いになった。
普通、画面の隅に予報円入れとくだろ!! 歴史ってそんなに人気ないのかな
鉄腕DASHで雑賀崎を「東洋のアマルティ」なんて紹介してるけど、
そういうよそ様を模倣してる限りダメだって。
雜賀孫一率いる雜賀鉄砲隊じゃダメなのかよ
地元の歴史を観光資源にできないのかよ
まあ大河ドラマにすら織田信長は出てきても、
雑賀崎どころか石山本願寺すら出てこないし >>1
真実が明らかになれば、薩長には不都合な事実が出てくるからじゃない?
戦国時代は現代の利害関係とはあまり関係ないから詳しく描けるけど、明治は
生々しくて書けないんでしょ。 先週見てなかったけどもう禁門の変まで行ったんだ
あんつあま出なかった?
で、傷ついた敵長州藩兵も治療した?
日本赤十字社創立は西南の役がきっかけなんだが。 このさ、「戦などおやめください」というなら、
金正恩が何しようがNHKが批判するなよ 何が「水に落ちた犬」だよ
水に落ちた会津をあれだけたたいたのに
そういうのを「宋じょうの仁」というのだ 陪臣の西郷が幕府軍の総大将になれるのかよ
久光からまた怒られるぞ 捕虜を治療してただで返したからって恩義に感じる人なんかまずいないぞ
当の捕虜が「甘いんだよ!」と真っ先に攻撃してきたりする そもそも初代・家康は将来の禍根を全て絶つべく
豊臣秀頼を多勢に無勢でよってたかって排除したんだが。
真田丸でもそう描いてたのに、平和主義はいい加減にしろ
ひいさまの言うことがどう考えても正しい
現にここで長州を許したばかりに討幕されるし >>84
西郷は参謀だよ。戊辰戦争の時も参謀。トップに立てるのはずっとあとのこと >>85
西郷はその当時としては珍しいかもしれないが、戦闘が終わればノーサイドにする、敵も味方もない
と考えたがる人だった。だからのちの庄内藩士などからも慕われた。ある意味、理想主義者だね。 >>68
> 結界を張る呪文として特級品
そういうふうに4で評したのは自分です。君とは美味い酒を酌み交わせるかもしれんなあ。 >>67
でもまあ、本社と出向先とで対立することはよくあることだから。通信手段の限られている昔はさらに。
生麦事件と薩英戦争で国元に帰らざるを得なくなり、京都守護職の奪取に失敗した久光が悪いのです。
>>70
佐幕的な越前・伊予・土佐サイドから見た長州処分と、薩摩側からの長州処分の見えかたは異なって当然。
薩摩にしてみれば、長州が潰されたら、次は自分が取り潰しに遭うかもとうたぐる理由がいくつもあったから。
とくに、久光と慶喜との関係が悪化していたことも判断要素としては大きいでしょう。 >>59>>73
すいませんが教えてください。勝と龍馬が絶縁したのはいつごろからですか? >>91
龍馬が金かっぱらったことがばれてからは連絡も取ってないんじゃない?
ばれたのは慶応元年6月だから、この時期から1年近く後らしいけど >>88
>戦闘が終わればノーサイドにする、敵も味方もない
そんなことはないけど。
禁門の変の後は長州藩が簡単に藩邸没収に応じたからバカにしてるし、
長州藩蔑視の姿勢が征長軍の当初の方針に反映されている。
庄内藩処分が甘いのは当たり前で、庄内藩は自領に官軍を侵入させてないからな。
米沢藩も同じ。べつに庄内だけが特別待遇だったわけでもない >>90
あのさあ…
越前・土佐・宇和島の三侯は西郷が期待をかけてた諸侯で
政治姿勢も旧幕勢力とは一線を画してたわけで、
慶勝や西郷の処断がそういう藩にも不評だったことを示すものだろ
しかも西郷は三家老の処断だけで戦争を終わらせるつもりはなかった
三家老の処断はあくまで停戦の条件で、後に処分が予定されている
ここまでは西郷も全く同じ考え
なのに敵領内で諸隊の反乱がおきてるのに引き上げを決めてるんだから
なにやってんのと言われても仕方ない >薩摩にしてみれば、長州が潰されたら、
>次は自分が取り潰しに遭うかもとうたぐる理由がいくつもあったから。
>とくに、久光と慶喜との関係が悪化していたことも判断要素としては大きいでしょう。
そんな小説レベルの疑惑を持ち出されてもね。
久光と慶喜は確かに絶縁状態だけど、注意しなければならないのは、
この時期慶喜は将軍でも何でもなく禁裏御守衛総督にすぎないということだよ
慶喜と仲悪くなったって久光の首が飛ぶとかそんな話にはなりえないの
もちろん久光は西郷の方針を支持したわけだけど、
それは久光が内乱長期化に伴う諸外国の介入を恐れていたからであって
べつに対幕牽制策として支持したわけではない
幕末の俗説の悪い傾向として、
何でも「佐幕VS勤王」みたいな二項対立に持っていくというのがあるけど
現実の諸藩の動きはそんな絵にかいたような二項対立ではない
ID:pSbtF1jTは史実スレで自分の意見を吐き出す前にもっと本読んで勉強すべき >>93-94
そう書かれたら、西郷とは面白い人だな。
とてつもなくシビアで残忍な側面と、とほうもなく甘くてあっさりしてる側面が同居している不思議な人。
そんな人だからこそ、勝機がないことはなかった西南戦争であっさり負けちゃうんでしょうね。 >>97
そういう西郷の得体の知れない深い魅力を描かずに、浅い幕末学園ドラマにして西郷に対する興味を失わせる罪深い大河ドラマが西郷どん >>95
なぜだろう。小説ほどの説得力も面白味もない。 幕府を守るために幕府が高い金出して整備した海軍なのに、
勝は何私物化してんだ?総司令官の命令に従わないなんて、
完全に反乱であって即銃殺モノだ。
後に榎本武揚は「あの時勝のバカがひいさまの言う通りにしてたら
こんな苦労しなくてすんだのに」と思ったことだろう。 ひいさまは西郷が剣を振れないことを知らなかったのかな?
切り合いならひいさまが勝つこともありうるけど。 幕末を見ていると男の嫉妬による暴力は醜いなと思うわ。 「海軍伝習所の荒くれものが通しはしないぞ」と言われたら
「面白い!新撰組を呼んで全員切り捨てろ!」みたいなことになるだろ >>97
複雑というか、ある種の演技性人格障害だろ
若いころからあまり周囲とうまくやってけないタイプだから
「敵地に一人で乗り込む」とか「敵に寛大に接する」
といった虚栄的な人格を故意に演じようとしていた
そのために江戸城開城や長州征伐の事後処理では後任者にツケが全部まわった
意図的に始めたものだが最晩年になってもそれは治らなかった
だからそういう演技をしてない時の西郷は神経質で独善的
同時代人でも冷ややかな評価と分かれてるのはそのため 勝海舟は、西郷のそういう虚栄的な性格を把握していたのだろう。
だから与しやすいと見ていた。
「あんたなら分かるはずだよ」と言えば乗ってくれるんだからちょろいね。
逆に勝が苦手としたのは、雰囲気に流されないタイプ。 今回やったのか、次回やるのかは知らないけど
「三家老の切腹を決めたのは俗論党」というのはウソだからね。
7月27日の本支藩5家の会議で益田福原国司の死罪は決定されている
つまり、決めたのは正義党 「坂本龍馬が薩長同盟を成し遂げた」というのも
国家レベルの大ウソだからね。
本当に尽力したのは平野国臣や月形洗蔵ら福岡藩士 薩長同盟の解釈じたいが変わってるしな
今は「同盟」と呼ばないだろ
連合、盟約 >>108
今年の小栗龍馬はヘッポコぽいからその説採るかもな。福岡藩出てこなくても大筋は西郷が決めて坂本は西郷に利用されるだけの存在になりそう。
福山龍馬が万能で有能すぎた。 というか、慶応二年一月の薩長同盟と言われるものって、
薩摩藩の有志が長州藩救済活動を約束したもので
藩どうしの同盟でも何でもないでしょ
薩摩藩には一切同盟に関する証文は残ってない
だから桂が不安に思って裏書を求めてるんだし 明治2年の版籍奉還について政府内実務者協議に出てたのは広沢真臣で
藩レベルで最初にやったのは姫路藩なので全く木戸と無関係 昔からいつもヤクルトの広沢の顔が浮かんでしまう広沢真臣 「全員が四番打者」の球団に移籍したら
2:6:2の法則の実例になったというあの広沢? 幕府海軍が萩城を艦砲射撃すればよかったのに、
なぜ史実でもそうしなかったのか? >>117
幕府海軍は芸州口・大島口・関門海峡で陸兵の運搬と援護射撃をしていたが
少ない隻数でめちゃくちゃな酷使をされて萩までなんて行ってる暇がなかった
幕府艦隊の行動は幕府側の記録のいくつかにあって、防長回天史と違って編纂する人がいないため
従来は大島口などは「逃げた」と言われてたが、彦根藩の史料などと照合したら
1日単位であっちこっちの兵員の移動に使われてたことが明らかになった 戦争に勝つ常道は「敵の本拠地を叩くこと」
萩を艦砲射撃すれば他の戦線も有利になる
第一次長州征伐でも幕府海軍が萩に回航して威圧するだけでも
全く異なった結果になっただろうに 長州処分は慶喜が主導して進めてたものだから
江戸の幕閣は開戦前に薩摩藩と接触して中止しようとしてたほど
戦争が始まった直後から老中本荘宗秀が勝手に和睦交渉を始めて
激怒した総督紀州茂承が辞任を申し出る騒ぎになって1カ月空転
幕府艦隊も江戸の意向を強く受けるので最初から戦意に乏しかった
海軍発注費が戦費に流用されるので艦長クラスは冷ややかだった
幕府が京と江戸に分断されたことで別組織みたいになっちゃったからな 本スレ今日も荒れ荒れだったな
史実知らないくせに何で語りたがるんだろうな http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/53917503.html
あと、どうでもいいことかも知れないが、「決意」や「覚悟」を表現する方法の安っぽさ、
貧弱さにも、ちょっとうんざりした。
龍馬が初対面の西郷の眼前でピストルをチラつかせたり、西郷が慶喜の前で脇差を抜いて、
畳に突き刺したりといった場面である。たとえ武士とは言え、
ピストルや刀をこのように扱ったりはしない。基本的に抜いた時は、相手を殺す時である。
僕が熱心に観ていた四十年ほど前の大河や歴史ドラマには、こんな場面はなかったと思う。
たとえば「勝海舟」(昭和49年)や「花神」(昭和52年)にも龍馬は登場したが、
撃つ気もないピストルを他人の前で弄ぶような場面があった記憶は無い。
その頃は戦後三十年しか経っておらず、武器を相手に向けることの重大さを知る人も多かったはずだ。
そのへんの作り手たちの歴史に対する感覚も、やはり「変」なものになりつつあるのかも知れない。 小枝を担いで登場したり満面の笑みで自己紹介したり
駄目な大河は気持ち悪い演出が多い 昔の時代劇は刀を抜くか抜かないかのシーンが山場だった。
いまはいとも簡単に刀を抜いてしまうから、緊張感も何もないな。
脚本家は何がしたいのだろう? とりあえず騒いでればいいと思ってるんだろ
ここまで史実知らない連中に武士道を求めても無駄 民のため 民のため
この分では西南戦争も民のためとか言い出しかねないのが恐ろしい >>111
元々、一介の脱藩浪士に薩長のとりもちが出来るはずないよな。勝があれは龍馬がした事と言ってだだけで。
法螺吹きの癖がある勝の言う事を真に受けた奴らが悪い 坂本はただの武器商人だよ、薩摩と長州が利用したと言えばただそれだけだな 坂本龍馬英雄説は絶対に三菱の陰謀です
岩崎弥太郎の代わりに持ち上げてるだけ >>108
今度の大河では(薩長同盟の原型を思いついた)岩倉具視のルートを重視するみたいですけど? >>123
現代の「日本以外の」大半の外国でも、武器をかざしたときは殺すときだろう。だから慎重に取り扱わないといけない。
制作スタッフと、兵役を知らない平均的日本人の感覚が、変になったというか、平和ボケしすぎてしまったのだろう。
これで、憲法改正して国防軍なんかをこの国に保有させたら、紛争当事国とのコミュニケーションがかみ合わず、とんでもないことが起きそう。 >>119
策源地攻撃論は、それが実行できれば理想的なのだろうけど、戦史にありそうで数少ない。
圧倒的な戦力を目標地点に投射できる能力をもってなければ絵に描いたモチだからです。
そんな圧倒的戦力差がある場合、そもそも戦争自体が起きにくい。弱者にとってやるだけ無駄だから。 >>135
岩倉具視が薩長同盟とか頭痛い。
あと、幕閣は開戦前に薩摩藩と接触して戦争中止に動いてたことも描くべき。
幕長戦争失敗の原因としては、どちらかと言えばこれのほうが大きい
この動きがなければ開戦直後に老中本庄宗秀が勝手に講和交渉を開始して
総督の徳川茂承が辞任を申し出て攻勢がとん挫する騒ぎなんか起きてない
本庄は譴責を受けても上申を行い、幕長戦争が不可であることを力説するほど確信犯 あとだいぶ先のことになるが西郷の征韓論が「遣韓論」だというのは
毛利敏彦が40年前に唱えた説で、とっくに否定されてるので念のため注意
鹿児島県が10年くらい前にバカみたいに騒いで騙されてる人間が多そうなので 日本、朝鮮、東南アジア各国との中継貿易をポルトガル >>137
策源地に直接乗り込んで来たのがペリー艦隊なんですけど。
そして多くの都市が海岸にある日本では黒船で攻撃されたら
ひとたまりもないことが明らかとなり、馬関戦争や薩英戦争でも実証された。
なので幕府海軍ももっと積極的に攻撃してたらよかったのに勝手に自滅した。 >>142
この頃の長州藩の政治的中心は山口に移ってるから、
萩沖合で艦砲射撃してもあんまり意味ないよ。
それに、軍艦の補修は結構大変。 >>139
西郷が自分を使節として朝鮮に行かせてくれ、と言ってたのは万人が認める客観的事実 >>144
そして自分が殺されても戦争は中止するな、と板垣退助に念を押してたのも
朝鮮征討軍の司令官や作戦、あげくのはては占領後の民政官まで内決してたのも
万人が認める客観的史実だな。 広瀬為興「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」
有馬純雄「維新史の片鱗」 >>145
お前鹿児島全県民を虐殺するってのはどうなったんよ?
まだか? 若し西郷先生の主張通りに成って愈々海外に兵を出すと云うことに成れば
文官側としては伊地知さんと私とが文官側で随行することと定められて居た。
「お前は占領した地方地方の事を捌いて行く役に為るのぢや」
と先生は云って居られた、多分民政官見た様なもので有ったろう、
私たちは右の内命を受けてからは、毎日毎日公務の暇暇には満鮮の地図を広げ、
地理の研究に没頭して居たが、ある日先生は
「どうもこれらの地図は不完全なものであまり役に立ちそうにない
思うに江戸町奉行所には比較的完全に近いものがあったはずじゃから
お前は何とかして探し出してそれと一緒に必要な書籍を合わせ捜索するがよかろう」と、、
(有馬純雄「維新史の片鱗」)
なお西郷は朝鮮を制圧後、満州を占領し、周辺勢力を挑発して戦争に持ち込み
「付近を蚕食」し、ロシアと和睦しつつ清に介入するという持論を何度も有馬に聞かせたらしい それで鹿児島県民はなんであんなに西郷好きなんだ?
具体的に何をしたんだ? 軍事行動の可能性も考えずに、
「大使派遣に行ってきます」
だけじゃただの脳みそお花畑のラブアンドピースさんじゃね?
朝鮮は日本と同じく攘夷脳で、その頃は日本も夷狄扱いされかかってた
日朝間で戦争が起きる可能性は当然考えるべき所だった
でも「いきなり派兵って頭おかしいだろ、まず政治的解決の努力しろよ」
ってのが西郷で
まあ「いきなり米朝戦争っておかしいだろ、まずトランプと正恩でなんか話せよ」
と同じで今では国際常識なんだけど、当時は西郷しかその国際常識を持ってなかったから
西郷が下野したあと、西郷不在時に
日本から朝鮮に軍艦派遣していちゃもんつけて紛争起こし、
日本側死者1名、朝鮮側死者35名という江華島事件という悲劇が勃発し
これに対し西郷は「日本側を」思いっきり批判している。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています