西郷は3月5日夜に吉井幸輔にあてて
「進めとの一令相発し候えばすぐさま江戸へ討ちいるばかりに罷りなり候」
(総督有栖川宮の駿府到着で)と有名な書簡を送っている
この書簡は幕府にも勝海舟や大久保一翁などがいるので戦うのが楽しみだと書いているが
そのあとで「地獄にて御待付申上置候て」と記している

少なくとも翌6日の時点まで西郷が江戸総攻撃を断行する気だったのは間違いない
15日および4月11日の城引き渡しの際にも三方から江戸に放火する準備をしてから乗り込んでおり
江戸が救われたのはかなり偶然。一つの要因に、3月13日の初日会談の後のパークスの強硬な反対があった