ガトリング砲は薙射ができないから個人的実験だろうね
ただ甲鉄艦の切りこみ隊には使われたとも言われるが

長岡藩はもともと銃器導入については西国諸藩と遜色なかった
・慶応2年段階でミニエー銃を装備している
・万延元年以降、施錠銃や連発銃をたびたび購入している
・慶応3年9月に河井が購入した米国の歩兵操典は元込め銃ベースで書かれている
・騎兵銃や連発銃の大量購入の記録がある

結局、新潟警備を事実上担当してた長岡は、河井の登用以前から銃器に関心を持ち
比較的銃砲をそろえていた上に、家中改革派に支持された河井が急速な装備を進めたのだろう
個人的には火砲32門と、洋式調練を全藩に徹底させたことのほうが凄いと思うけどね

兵士が洋式戦術を体に叩き込まれてないと、いくら銃持ってても小部隊規模でちゃんと動けない