ドラマがあまりに酷いから史実との比較

・西郷が長屋に住んでいた
 → 広大な姫路藩邸の中の長屋です 町屋じゃありません
   不便なので長屋で寝起きする人は当時は珍しくない

・明治6年の政変は征韓論はネタにすぎない、実際は勢力争い
 →征韓論が一番中心的な議題
  ほかに木戸・伊藤による江藤新平追放の動きなどもあるが征韓論を抜きにしては語れない

・西郷は征韓論を支持していない
 →支持している 8月17日の板垣退助あての手紙その他を参照

・大久保が西郷を政権から排除しようとした
 →それどころか5月下旬に帰国した大久保は無断での参議増員と官制改革に文句も言えず
  8月に大使派遣が決定するのを横目で見ながら鬱々とすごすことになる

(・予定)政府は下野した西郷を挑発しようと視察団を送り込んだ
 →この件は裁判にもかかったが中原尚雄は暗殺の意図を否定している
  おそらく「説得して容れられなければ差し違える覚悟で」みたいなことを言ったのが誤解された可能性が高い
  視察団メンバーは後年になるまで交流を持っていたが、挑発の意図があったなどと1回も話に出たことはない
  政府内でも川村純義の報告を受けて大久保・川路らが岩倉・木戸らに糾問されており、リスクが高すぎて挑発なんてできない

(・予定)西郷は死を覚悟して挙兵した
 → 大坂に2月下旬か3月上旬ごろに着くつもり
  樺山や川村ら薩派の将校の寝返りも見込んでおり、普通に上京する気でした