>>102
そういう説も出て当然な状況だっただろな

龍馬暗殺の5日間ぐらい前には若年寄格だった永井尚志と直接に会って新国家の構想案特に人事に
関して新体制の構図を練っていたという事も明らかになって来てるし龍馬が公儀政体論を推し進めていたとすると
徳川家滅亡を狙っていた薩長の過激派とか大政奉還に猛烈に反対した徳川家臣にとっては邪魔だったろうからね

財政力軍事力において影響力が大だったから薩長と幕府の対立を願って武力行使を実現したかった人間にとって
脅威だったに違いない

大政奉還辺りの論議は未だにはっきり結論が出てなく更なる研究が必要という考えには賛成
最近では佐々木只三郎の実兄である会津藩士の手代木直右衛門が綴った書簡に龍馬を暗殺したのは只三郎だと
明言したものが見つかってるからその会津藩説が有力と言う説もあるけど