>>192
機構上、東條は独裁ができなかった(かなり難しいかった)のでは?
あと、東條暗殺計画はあったにはあったが、杜撰で成功しなかっただろうし、実行前に内閣が倒れて無意味になった。


東條内閣当初の首相と陸軍大臣兼任では、軍政は握れても参謀総長・次長ラインの軍令部門を抑えられず、結局大本営の下にある軍を掌握しきれない。
やがて戦局が悪くなり、トラック空襲を経て、統帥一元化の為に自ら参謀総長を兼ね、同期の後宮淳を次長に。
同じく海相の嶋田に軍令部総長を兼任させた。
しかし、これは内外からの風当たりが強すぎ、「幕府」と揶揄されて東條内閣の求心力を急激に低下させた。しかも、負け即ちみな東條内閣のせいとなり、悪化を辿る戦局の前に程なく総辞職。
そして小磯国昭が後継となり組閣。


あくまでも大命頼りの内閣で、独裁というにはちと遠いと思う。