西郷、大久保、坂本らは夢や理想に生きた。
それゆえ不慮の死を遂げた。
慶喜や勝、篤姫などは現実に生き、普通に往生した。
これら歴史上の人物をドラマにする時、
そのテーマは夢と現実になる。

西郷などは理想の為、現実を犠牲にした。
一方篤姫などは政略結婚で種無しの馬鹿殿に嫁ぎ、
厳しい現実と戦った。

「西郷どん」がドラマとして完全に間違っているのは、
夢や理想よりも、現実をテーマにしているところである。
「篤姫」が正しいのは、きっちりと現実を描き、
夢や理想を断念した悲哀が表現されているところだ。

女性を主人公にした場合、厳しい現実と戦う姿がドラマになる。
夢や理想を追い求めて、口論や殺し合いをするなどありえない。
死によって現実が吹っ飛ぶからだ。

「西郷どん」ではプロデューサーと脚本家の意向により、
西郷という男の現実が描かれようとしている。
理想を追い求めた男たちのドラマではなく、一人の男がどんな
現実を生きたかがテーマになっている。
失敗を約束されたドラマ、それが「西郷どん」である。