舞子が歌う遊びの歌は、忠盛の人生にも大きな影響を与えた(どうしょうもなく気楽で呑気な歌だな→舞子自らが真髄を語る
(→なんとこの舞子による「解説」が、最終回で清盛を讃え慰撫する西行によってリフレインされる
〜清盛は母が理想とする〈面白き〉人生を全うしたのだった:「お点前が夢中で生きた〈面白き〉人生、何と〈美しい〉!」)
→その後、遊びの歌の精神を密かに自らの指針としてきた忠盛であったが、これを口ずさむところを宗子に聞かれてしまい
(鹿爪も見つかって・・・)夫婦の危機。。。
→さらに、どんなに頑張っても越えられない貴族の厚い壁(結局、公卿になれず)。
そこに追い打ちをかけるかのように鬼畜頼長から愛息家盛への凌辱をぶっちゃけられて(「おたくの息子とはすべてにおいてしかと結ばれたのさ」)、
人生の最後で酷く弱気になってしまった忠盛のセリフがコレ:「家貞。近ごろしきりに思い出すのじゃ。舞子に言われたことを。
【夢中で生きていればいつかわかる】。なんのために太刀を振るっているのか。なにゆえ武士が今の世に生きているのか。
【わしは夢中で生きてきた】。だが未だわからぬ・・・」
このように、舞子が歌う「遊びをせんとや」は、清盛と忠盛に重大な作用を及ぼした。そして、この歌を舞子に仕込んだのが、
白拍子界の大先輩にしてスーパースター祇園女御=乙前であった。彼女が歌う「遊びをせんとや」もまた、、とんでもなく大きな意味を担った。
まずもって、雅仁ボーンアゲインは、まさに乙前@青墓が歌う「遊びをせんとや」が齎した。
どちらに転ぶかわからない緊迫した王者議定の実況中継(史実にほぼ忠実)は、非常にエキサイティングなシーンであったけれど、
本作の雅仁は「なるべくして帝位に就いた」王者なのである(史実と創作との「虚実皮膜」を示す好例)。
それだけではない。母舞子が歌う「遊びをせんとや」に救われた清盛は、生死の境を彷徨った「白河院の伝言回」において、
今度は駆けつけた乙前が枕元で歌う「遊びをせんとや」の歌によって励まされることで〈生への意志〉を高め、
遠い昔の嬰児(胎児)記憶へと遡及していき、、そこで母舞子と出会い、父白河と対峙した
(あなた様を超えて見せますると宣言したところで蘇生)。その意味で清盛も雅仁同様、、乙前が歌う「遊びをせんとや」によって
再度生を得て帰還したと言うことができる。
こうして振り返ると、「遊びをせんとや生まれけん」が、どんだけ重要なキーコンセプトであったことか、今さらながら痛感するしかない。
この歌の「総元締め」祇園女御=乙前の重要性もわかるだろう。そして祇園女御=乙前の重要性は、
何よりもこの「生命の歌」を美声で歌うことにあるのだから、セリフ回しその他の演技力よりも歌唱力が求められる
役柄であったことが明らかである。
昭和の歌姫にしてセレブな聖子を、平安の芸能民のトップにして白河の寵姫、セレブな祇園女御=乙前に抜擢した磯Pの慧眼に恐れ入った。