>>890
>>904
これは多分に建前もあるだろうけど、会津公用方の手代木勝任(京都見回り組佐々木只三郎の実兄)は、
大政奉還直後に越前松平に対して
有為の人材を集めるとは言っても外国の議会制度がすぐに真似出来るとは思えない、
中央政治の実務能力があるのは200年以上幕府と言う中央政府を維持して来た徳川宗家だけだから
ドラマで容保が言ってた様に朝廷から徳川宗家に大政を再委任してもらうべきと主張して、
実際に会津、桑名を中心に御三家や近畿、中部圏の親藩、譜代がこぞって賛同してる(越前、尾張を除く)

江戸の幕臣は只の官僚も多かったかも知れないけど、理論的支柱となったのは
実力外交官だった水野忠徳や小栗上野、榎本武揚、大鳥圭介、福澤諭吉等の欧米帰りの中央集権派
彼らは無知な朝廷に日本外交を散々引っ掻き回された経緯も知ってるから、
幕府と言う中央政府を執行して来た徳川家を君主とする中央集権体制を確立すべし、と言う主張
だから、朝廷を立てて時に攘夷に譲歩的な主張をする会津とは家茂時代激しく対立してたけど
大政奉還後には会津、桑名と利害が一致してる

もっとも、会津、桑名と小栗上野等が結んで武力反・討幕に成功した場合、
「御恩と奉公」の大名勢力と
中央集権近代化の小栗等旗本官僚が内紛起こすのも目に見えてた