そもそも、関ヶ原の戦いのときには官兵衛は長政にこうしろと指示はしなかったのか?
朝鮮出兵の時には、一生懸命戦ってるフリしてこっそり手を抜いて兵を消耗しないようにと指示してたのに

官兵衛は、長政が小早川秀秋と仲良くなって、徳川に寝返るように口説いていたことを知らなかったのか
あるいは、伊達政宗や真田一族のように
「東軍か西軍かどっちが勝つか読めないし、応仁の乱のように何年もグダグダと戦いが長引くかもしれないから
その間に九州一円を攻め取ってやろうかあ〜」と都合よく考えていたのか?

関ヶ原の戦いがたった一日で終わっちゃって、「おまえ、九州で好き勝手に暴れているようだけど、ええ加減にせえよ!」と
徳川家康に怒られちゃって、すべてがパーに
長政に「ぼく、徳川家康に手を握られてよくやった、とお褒めの言葉をいただいちゃいましたよ〜」とうれしそうに報告されて
「おまえにきちんと言い含めておかなかったワシがバカだったわい!」と激おこ
長政、父親が何を怒っているのか意味が分からず
高橋一生がしたり顔で、これはこういう意味で言ったんでしょうとやさしく解説