>>265
「芝居」という表現はべつに「茶番劇」の意味ではない
たとえば慶応2年の松平慶永の大政奉還の進言を知った木戸は
春嶽の見識を誉め讃え、仲のいい山内容堂にもその志を助けていただきたい旨の手紙を
坂本龍馬に送っている(慶応3年正月15日付)から、大政奉還自体には好意的に反応している

佐々木高行の日記で「芝居」という表現は6月23日に既に使われている
「如何様相成候とも、此度は孰とも踏込ねば不相立場合に乗込み候間、
何とか充分の芝居出来べし、安心あれ」と語った佐々木に対して、坂本龍馬は
「何か又芝居出来るとは名言なり…何にても宜しく、一芝居興行すれば、それより事始まるべし」
と応じている

自分たちがやってることを「茶番劇だ」などというわけがないので、
この場合の「芝居」とは要するに状況打開のためにとにかく行動を起こす程度の意味。