>>77
何時までも何与太ってんの?

清盛は花の乱のような生没年すらデタラメだらけのファンタジーとは真逆の、まずもって史実に依拠した「(フィクションとしての)ドラマ」だ
(草燃える、義経などの中世大河に比べてもそう。新平家のこれまた親族関係すら弄りまくるデタラメと掘り下げの浅さも克服した)。
その歴史情報の質量たるや文句なく歴代屈指(のみならず、それらがもった歴史的意味の探求の点でこの大河を凌駕するものはおそらくない)。
そこに付加され挿入された想像力と創造性溢れる虚構と、ロジカルに一貫した物語性は、この土台の上に散りばめたものだ。

ちなみに、直近においても、生没年を弄った最近の大河としては真田丸や西郷どん、親族関係を弄った大河としては直虎が挙げられる。
直虎はほとんどフィクションに終始していたし、信繁が秀吉最側近で大事件にどこにでも顔を出すなんてのももちろんフィクション。
評価するファンが多いこの2作ですら根幹部分でこれだ。昔は良かった―も同じようなもの。
清盛をファンタジー大河の代表などとするのは、悪質なフェイクにすぎない。