西郷は人を見る目があった。
自分が優秀だと思った人間は広く活躍できるよう
献身的に働いた。
特に大久保の能力を誰よりも認めていた。
優秀ゆえに大久保はリーダーとなったが、
それが人望にはつながらなかった。
大久保は東郷平八郎の洋行に反対したが、西郷
の口利きで実現した。
村田新八は西郷の懐刀だったが、大久保からも
その優秀さを認められていて使節団に選ばれた。
征韓論で二人が袂を分けた時、村田は辞任して
西郷についた。
これは大久保もかなりショックだったようで、
「翔ぶが如く」の鹿賀の狼狽ぶりがとても印象的だった。
だが西田西郷は大久保から最も尊敬、信頼、期待され
ていたし、西南戦争でもそれは変わらなかった。
敵対しても人望を失わない。
これが西郷が偉人たる所以ではないかと思う。