人は信じたい話を信じる。特にファンとか。

明治の世の中になると海軍士官として明治4年(1871年)から同11年(1878年)
まで、イギリスのポーツマスに官費留学する。
東郷は当初、鉄道技師になることを希望していた。イギリスに官費留学する際、
最初は大久保利通に「留学をさせてください」と頼み込んだが色よい返事は
もらえなかった。
後で東郷は大久保が自分に対して「平八郎はおしゃべりだから駄目だ」とする
感想を他者に漏らしたことを伝え聞いて、自省してその後は寡黙に努めた。
それが長じて、後年は「沈黙の提督」との評価を得るまでになった。
大久保の次に西郷隆盛に頼み込んだところ、「任せなさい」と快諾、
ほどなく東郷のイギリス留学が決定したという風説があるが、
小笠原長生が東郷から直接聞いた思い出話には西郷や大久保の名前は無く、
選抜の成否がわからなかったので易者に占ってもらったと述べている。