【第三十五回】太平記 part.35『大逆転』
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せっかく京から運んだ菓子、某のみが頂くのは勿体ない。
兄上も右馬介も一緒にどうじゃ? 亡くなったのは一緒に行った斎藤という奴じゃなかったっけ >>174
足利宗家や藤姓足利氏やら、
高氏、上杉などの神社仏閣を巡ったら
3.4日はかかるだろう。
なにせ足利市は日本全国の市で一番神社仏閣が
多い市だからな。 >>189
へー足利市が多いって意外だな。なんでだろ 斉藤利康を殺した血で手が汚れておるぞ。手を洗わないものは帰れ
と言ったら、桃井どころか直義以下みんないなくなってしまった後、
久しぶりに再会した花夜叉に叱咤激励されて、「かたじけない」と胸に詰まって繰り返す尊氏のシーンが好き(´・ω・`) >>174
こういうの見せつけられると三河屋さんもダンマリだねw >>191
人口対比で
2位が鎌倉市
3位が京都市らしい
足利は人口減があるからトップになった
けど、鎌倉時代は天台・真言を中心に足利宗家が
神社仏閣の領地を整備し南北朝で臨済宗が拡大
室町では上杉・本多の寺では浄土もあるし
寺の隣には神社もほぼセット
だからだと思う ダンマリってw
逆に両頬を両手でつねられて、どの口が言ってんのやと詰問されると、ボキは思うな
足利尊氏関連史跡
【岡崎市】
・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進
・天恩寺/足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所
・高隆寺/七堂伽藍造営
・真福寺/持地院建立
・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営
・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり
・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に
・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
【豊田市】
・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ
【幸田町】
・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ
【西尾市】
・勝楽寺/創建、お手植えの松あり
・正法寺/中興
・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし)
・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興
・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係
・幡頭神社/参拝、弓矢奉納
【豊橋市】
・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納
【新城市】
・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀 三河屋って自分は凄いこと書いているつもりなのかな? 三河屋って本人は「自分は天才で他人はみんなバカ」と考えていそうだが
実は本人が一番の大バカであることに気づいていないところに痛さがあるなw 原作の私本太平記を読んだのだが
これどう見ても主役は道誉だよな 作者の体調が良かったら観応から京都争奪戦までもうちょっと書いてくれただろうか
尊氏が吹雪の琵琶湖で歌を詠むシーン見たかった 吉川英治としては「もう一人の高氏」「南北朝時代随一の怪物」って言っててかなりお気に入りの人物だったみたいだね<道誉
もう一遍太平記やるんなら道誉が主役だと南北朝時代を幅広くカバー出来るんでいいんだけどなあ、義満にも繋げられるし 補足説明
特に興味深いのはこの2つなんだが、
幡頭神社/参拝、弓矢奉納
正法寺/中興
幡頭神社と正法寺はセットと考えられている
正法寺は正法寺古墳の上にあり、その被葬者は幡頭神社の主祭神の可能性が高い
この主祭神は日本武尊の実在モデルと言われていて、東国から九州にかけて活躍した点で、尊氏と日本武尊は被るわな
饗庭神社
1400年に足利義満が、饗庭神社の三宮に参拝したらしい
何故ココを参拝したのかは不明だが、三河を知り尽くしていた義満だから、何か意味があったんだろう
追加説明
大阪の誉田八幡宮には、足利尊氏が奉納した竹製の笙が残っていて、銘が三州財賀寺とあるらしい
財賀寺(三河県豊川市)
http://www.ccnet-ai.ne.jp/zaikaji/ >>203
青空文庫に吉川さんのあの時期のエッセーあるけど
やはり道誉は特別扱いだったな >>195
せめて比較するなら
三河国なら下野国にしろよ
それかお前が生息している
岡崎市VS足利市だろが
地理も歴史もポンコツ捏造の
三河バカ
お陀仏しろ 同じように高時から偏諱をもらった同士でも
尊氏は高の字を捨てたけれど
判官殿はずっとい高氏のまんまだったんだよな
ていうか道誉の子孫も「高」が通字になってるし
意外なところで太守の残影が生き続けてたのね 政治・軍事のみならず文化でも大きな足跡を残してるから「南北朝時代随一の怪物」という吉川の道誉評は納得
大河で描かれてる時代以降の権謀術数ぶりも凄まじいし、戦乱で弟・息子2人・孫2人を失いながらも権勢を保ち晩年は悠々自適なのも
人物しての傑物ぶりだけじゃなく尊氏・後醍醐天皇・正成・義貞・北畠親子・師直とかに比べ色んな意味で一般的知名度の低かった道誉を
初めて小説で大きな役回りを割り振ったのは私本太平記らしいからその面でも吉川英治には思い入れが深いんじゃないかな
読者から「佐々木道誉って実在したんですか?」って質問をよくされたと言ってたから 佐々木道誉の大河やったら、
鎌倉から室町義満や鎌倉公方までの政変が
丸わかりで面白いので
やって欲しいな。 私本太平記だとそれまであまり注目されなかった佐々木道誉と北条高時に注目して一筋縄ではいかない描き方をしてたけど、
大河だとそれに加えて長崎円喜と金沢貞顕と赤橋守時にも注目してたよね、池端俊策はこの5人はお気に入りの人物だと言ってたし。
ただそのせいもあるのか鎌倉幕府滅亡が全体の半分くらいまでの尺とって後半がかなり駆け足になっちゃったけど。
特に観応の擾乱はもっとじっくり描いて欲しかったが一般視聴者には分かり辛いし陰謀ばかりの権力闘争劇で受けが悪いだろうから仕方ないのかな。 >>210
「高」の字は京極氏(道誉の子孫)だけでなく、佐々木嫡流の六角氏も使うよね? 後醍醐も明治維新の頃に天皇になってりゃ神だったのにな。生まれるのが早すぎた。 >>216
後醍醐のように自ら全権を(名目上だけではなく実際に)握りたいような天皇なんて、
近代には全くお呼びじゃないと思うが? >>217
そのとおり
あんなのが近代国家の君主になったら混乱の極み >>211
三傑以外でネタ切れの戦国やるなら
道誉のほうがずっといいな
DQN四天王の伊達よりずっとスリリングな人生だし >>219
強烈な個性を持つ変人ではあるけど悪質というのは少し違う気がする
別に本人は悪いことをやっているつもりはないし >>222
それ一番タチが悪くて始末に負えないやつや 今上も、「違憲天皇」と追号できるくらいに少々特異な個性を持っているね。
周りに諫める人がいないのだが、視野狭窄になっている。
いわば後水尾天皇級。 足利義満で一年、義持・義量・義教をまとめて一年とかやってくれんかな<NHK 三宝院満済あたりが主人公だとそこらへん全部カバーできるかな >>226
そこ義量を入れる必要ある?
将軍としての発給文書さえまともにないのに。 結局再現ドラマとか除けば義満の登場する作品って
単発ドラマ「一休さん」(ジャニーズの東山)
名作アニメ「一休さん」(キートン)
大河ドラマ「太平記」(ラストの赤ん坊)
だけ? 赤ん坊はもうすぐ生まれるというだけで実際に登場はしていない >>225
無知さらけ出し
在日出目もさらけ出し
適当だな
お前 >>234
それは分からないよ。
彼の人の鶴声だけで、現にこうして法律を整えざるを得なかった訳だし。
上皇をコントロールできるようなきちんとした法令がない。
この国の歴史を瞥見するに心配だ。 天皇なんか木か金で作って置いておけば無駄なこと言わないだろ >>236
そもそもスムーズな世代交代のためには、生前に後継者に地位を譲るのが日本の伝統。
皇位から大名家の家督までみんなそう。
特に現状では、皇太子ご夫妻に今の両陛下ほどの権威がなく少々心許ない雰囲気だし、
仮に暫くは二重権威となったとしても生前譲位のほうが好ましいだろう。 >>238
もともと天皇は終身制だよ
白河が院政を始めたのは、摂関家から権力を取り戻すための方便に過ぎない >>240
何がもともとかは知らんが
天皇の生前退位は斉明天皇や聖武天皇の時からある 日本史上初の生前譲位は大化の改新のときの皇極天皇(後の斉明天皇)だね
その後は飛鳥・奈良時代だと生前譲位はほとんどが女帝だが(男帝だと聖武天皇が初)
平安時代に入ると臨終まで在位している天皇のほうが少ないね >>240
>白河が院政を始めたのは、摂関家から権力を取り戻すための方便に過ぎない
白河上皇による院政の開始に摂関家は直接関係ないだろ
今どき中学や高校の歴史(日本史)教科書だってそんな説明はしていないぞw 上皇は江戸時代以来か。俺たちは歴史の生き証人だ。
平成院には出家なさり平成法皇とおなりあそばされ、俗世間と仏教界の頂点に君臨してほしいものだ。 >>213
吉川英治が病床で執筆した
最晩年の作品なのによくぞここまで書いたと思うよ。
完成後すぐに亡くなったし残念。
70才は早すぎる。 本来、2年かけて描いてもいいぐらいの濃い内容だからな
最近は逆に内容スカスカの大河ドラマが多いけど 上皇ならばやっぱりお住まいは仙洞御所ってよばれるんかね >>244
明治期に神仏分離をやっちゃったから今となっては法皇はあり得ないのでは? >>243
頼通の圧迫を跳ね返した先代の後三條の存在も大きいよな。
若死にしちゃったけど。
彼なくして白河院政の発想はなかったと思う。 白河上皇が院政を始めた最大の理由は、白河の次の天皇は白河の異母弟にせよ、という
後三条の遺言を反故にして、白河の子孫が皇位を独占するためだよ。
白河は元々後三条の脳内では中継ぎの天皇という位置付けだった。
白河は後三条と違って、摂関家とは基本的に協調路線で、摂関家にさほど悪い感情も
持っていない雰囲気だし、鳥羽天皇の即位時に閑院流の藤原公実(鳥羽の外伯父)が
摂政の地位を要求した際には、それを拒否して
御堂流の摂関家による摂関の世襲を
擁護さえしている。 田中角栄とかもそうたけど現代と違って昔は低学歴=低脳とは必ずしも言えないからね 白河院政はそもそも明確なビジョンが最初からあって始まったわけじゃないから・・・
初期の院政(堀河天皇の時期)は後の院政とはかなり様相が違うし
治天の君が天皇を差し置いてまで絶大な権力を振るう形ができるのは鳥羽天皇の時期以降 >>250
>>254
スレ違もいい加減にしろよ
歴史板かお前らの大好物の清盛板でやれよ 白河は遡りすぎだからな。せめて八条院あたりから語らないと。 >>256
そうだな
足利荘は八条院領だからな
ただ鎌倉期の足利惣領家が足利荘に対して持っていた職が地頭職だったのか
それとも領家職だったのかが問題となるんだよな >>255
白河院は太平記と同じ中世の範疇だし院政期は太平記の時代まで続く中世社会の前提ができた時代だからある程度話題にしても特に問題ないでしょ
つうかそんなに厳密にスレ違いと言ったら話題が続かないよ
それにスレ違いというなら白河院ネタになる前の今上天皇ネタのほうが遥かにスレ違い
なのに今上ネタが続いたときには何も言わずに今になってスレ違いを騒ぎ立てるのも何か滑稽だw >なのに今上ネタが続いたときには何も言わずに今になってスレ違いを騒ぎ立てるのも何か滑稽だw
それはスレ違いを騒ぎ立てる奴の尺度が自分の脳ミソのキャパを超えるかどうかだから
自分が分かる話ならどんなにスレ違いでも何も言わない
分からない話になると途端にスレ違いと騒ぐw 尊氏が後醍醐天皇と争ってた時って武田も佐竹も内ゲバしてたの? 武田は本来の甲斐守護家が南朝方について没落したんで安芸守護家だった系統が甲斐守護を合わせて継いだとかだったかな? 武田は鎌倉初期から勝頼まで内乱繰り返してるからな
信玄が評価される由縁 >>262
信玄も父親を追放したり、嫡男を死に追いやったりしているじゃん。 >>261
毛利元就で元就の初陣で首取られた武田元繁 >>255
老人の余暇に口を挟んだら可哀想だろ。
三河屋同様に生暖かく見守ってやれよ。 陣内ホーガン殿はジギー・ザ・スターダストだったのか(´・ω・`) いや、道誉さんはハンガン殿か
クロウ・ホーガンとササキ・ハンガンの違いとはなんやろか 道誉以上に変幻自在に生きられた人物
のちの世には結局いない気がするが
戦国のかぶき者系統のやつよりスケールデカいし 豊臣秀次・佐々木道誉・陶晴賢・宇喜多直家と大河だと陣内は役柄に恵まれたな >>265
それは戦国期の話。
南北朝期のこととは直接関係ない。 >>270
道誉はそこそこ家柄もよくて、それまでの伝統文化への深い理解・教養も備えた上での
バサラ趣味だから、戦国期のカブキ者なんかとは重みが全然違う。 >>271
あの秀次は空気読めない痛い人なだけだし直家は正直あまり存在感がなかった
やっぱり彼のやった役のなかでは道誉が別格的に強烈な印象だよ >>256
荘園公領制の最終的な確立は鳥羽院政期だからな
八条院領・長講堂領の原型ができるのもこの時期 >>266
そうだな
スレ違い厨の危痴害よりも教養溢れる老人の話のほうが遥かに面白いし有益だしな
さすがは亀の甲より年の功だな! 太平記で中世に興味を持って
だんだん長い期間の中世でも色んな次代、方面、分野の
本なんかに手を出してきたんだけれど
未だに荘園関係については手を出していない(´・ω・`)
結局中世で行きつくところはそこだと思うんだけど 自分も平安鎌倉の経済史?みたいなものにチャレンジしてみたことあったけど
挫折した(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています