>>941
田舎者の思い込みか?

当事者たる人間にはピンとくる
それほど家康は、三河の源頼朝に思い入れがあるのかと


現元暦元年(1184)六月小廿日丁丑。先日の五日に、朝廷で小規模な人事異動が行われました。
その辞令が今日届きました。頼朝様が推薦した人たちに違いはありませんでした。
それらは権大納言に頼盛、侍従にその子光盛、河内守にその子保業(頼盛孫)、讃岐守に一条能保、三河守に源範頼、駿河守に同じ源氏の太田廣綱、武蔵守に同じ源氏の大内義信でした

元暦元年(1184)六月小廿一日戊寅。頼朝様は、範頼・大内義信・太田廣綱達を呼び集めて、乾杯の式をしました。
それぞれ皆大喜びでしたようです。
特に源九郎義經は官職を与える推薦を希望していましたが、頼朝様はわざわざとそれを許しませんでした。
兄弟の順番に蒲冠者様を推薦したので、特にその恩義を喜ばれているとのでした



三河守 生誕地
武蔵守 幕府開府
駿河守 終焉の地


また恥をかいてしまったな