観応の擾乱ブームに乗って調べてみて思った私見
よく尊氏が気まぐれな躁鬱病、直義が生真面目な苦労人扱いされてるけど
実際は逆なんじゃねーのか?と思った
よく尊氏が精神病扱いされてる原因は
@鎌倉での新田軍との戦いでギリギリまで出家がどうとか主張して引きこもった事
A打出浜の戦い後ボロ負けしたのにまるで勝者のように振る舞った事
だけど
これ両方とも直義が異常行動してその尻ぬぐいに追われた時の話なんだよな

@の時すなわち中先代の乱の時に尊氏が北条残党軍討伐後に京に帰れなくなった理由は
そもそも直義が乱のどさくさに紛れて大塔宮を殺害したから
当時大塔宮は失脚中で事実上の囚人とは言え、現職の天皇にして最高権力者の
後醍醐の実の息子の親王を勝手に殺してしまって良いはずが無い
あの暗殺大好きの北条家さえ摂家将軍や親王将軍の身柄には出していないのに
尊氏が一時出家まで至ったのは直義の勝手な行動に対する抗議、牽制の意味もあったろうし
そもそも建武政権と戦うか、直義を大塔宮殺しの実行犯として引き渡すか
迷っていたという側面もあると思うんだよな
そもそも義経なんか三種の神器の回収失敗が原因で頼朝から冷遇されたわけで
勝手な親王殺しなんか弟がやったら頼朝でも信長でも秀吉でも家康でも即粛清でしょ
尊氏だから対応が甘かっただけで
でも最終的に勝ったからって事でこの時直義の責任をうやむやにしたのがマズかったと思うんだよな