【2018年大河ドラマ】 西郷どん part105
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>>1
乙
もう次回で西郷軍蜂起まで行くんだろ
ほんと尺の無駄遣いが激しかった大河 翔ぶが如くの明治編も矢崎八郎太とかいう宮崎八郎を中心にしたドラマが余計だったな
尺の無駄遣い 前半が長すぎたからな
1〜3月斉彬編、4〜6月島編、7〜9月倒幕編、10〜12月明治編ならバランス的に丁度良かった 余計な「お久しぶりね♪」と桜庭ななみの登場台詞シーンを省いたら一話分くらい確保できそう、あと完全フィクションの糸どん(西郷への)思慕・幼なじみシーンも不要だった どんなに現代ものの脚本の実績があっても
今まで生きてきて時代物の本質を直感できない奴に脚本任せて
ろくなもんになるはずがない
これは大河にまともな兵站も組めないNHK自体の問題
もはやこの組織に才能も人材も尽きてる どんなに現代ものの脚本の実績があっても
今まで生きてきて時代物の本質を直感できない奴に脚本任せて
ろくなもんになるはずがない
これは大河にまともな兵站も組めないNHK自体の問題
もはやこの組織に才能も人材も尽きてる どんなに現代ものの脚本の実績があっても
今まで生きてきて時代物の本質を直感できない奴に脚本任せて
ろくなもんになるはずがない
これは大河にまともな兵站も組めないNHK自体の問題
もはやこの組織に才能も人材も尽きてる 西郷隆盛っつーと無血開城、征韓論に西南戦争くらいしか知らないからそこら辺を濃くやって欲しいいと思う一方よく知らん前半生もみたいと思う矛盾 大河ドラマなんかより
お由羅騒動を舞台にした「風の隼人」という時代劇の方が
よほど面白かったわわ >>16
そこら辺は過去のドラマでも散々やったから、今までとは違う側面にスポットを当てたということだろう 後半生を知らないんなら前半生を知っても意味ないぞ
よく分からん人の生い立ちなんて、
ちびまる子ちゃんを観ているのと変わらんだろw >>7
渡辺謙は長く出す必要あったんだろ、視聴率は斉彬編がいちばん良いし
島編が余計だった島編から視聴率下がった 平家物語のようなフィクションばかりやればいいよ。
あれは琵琶法師たちのつくり話だから。
赤穂浪士もほとんど本当のことわかっとらんで、劇のシナリオがベース。 そういう意味だと中園さんの場合は西郷みたいな近代化じゃない方が面白いもの書ける感じかね >>8
琴さんの息子さんは西南の役で亡くなる。
今から想像すると悲しくなるから、今のままで
良いと思う。 結局「西郷どん」は激動の幕末、明治を生きた人々の
話ではなかった。西郷隆盛の愛と友情の話で終わろうとしている。
歴史的な局面を人間の感情で説明しようとして、嘘っぽくて
安っぽい、陳腐で軽薄な内容になった。
今後の展開も薄々予想できる。
まず佐賀の乱が起こり、江藤が西郷に助けを求める。
西郷は「いい人」だから江藤を助けようとするも、
薩摩に潜入していたポリスに捕縛。長崎で斬首。
それを知り涙するが、桐野は大久保による暗殺だと騒ぐ。
「一蔵どんに限ってそんなことありえん、直接本人に聞く」
となるも不平士族が護衛すると言い出す。
「おいは朝鮮にも一人で行くと言った。誠意を尽くせば、
人間分かり合える」とか何とか言いながら熊本へ。
そこで撃ち合いになり「やめんかーおまえらー、とも
に戦った仲間ではないかー」とか絶叫するも狙撃される。
そのことで怒り狂った薩軍が吶喊攻撃を開始。
小兵衛が死に、菊次郎が負傷、その度に西郷が号泣。
村田新八がアコーデイォンを弾きながら死亡、西郷号泣。
「もうここらでよか」で桐野号泣。その後、従道、大久保も号泣。
最後に糸と愛加那が号泣。
ひたすら役者が号泣する演技を見るだけで終わるし、最初から
それしかやってない大河だった。 林真理子さんと中園ミホさんが公式サイトのインタビューで村田新八が好きだと言っていた。
それが本当だとしたら、新八の視点から西郷と大久保を描けばまだ別な展開になったのではないかな。
彼自身、最愛の長男を西南の役で亡くしている。一説には挙兵に対して消極的とも言われていたようだから、
主戦派の幹部たちとは違う心の葛藤があっただろうし、その思いをアコーディオンの音色に
託すことが出来ただろう。
ある意味西郷や大久保よりもドラマチックな人物かも知れない。 公式サイトより
【脚本】中園ミホさん
西郷隆盛という人物は謎に満ちています。決して聖人君子ではない。
太った愚鈍な男でもない。戦の天才で革命家。一つ確かなのは、男にも女にも大層モテたということ。
子どもも学者も侍も殿様も彼と触れ合い、語り合った者は皆、西郷にほれた。一体どんな魅力だったのか!?
セゴドンという男の魅力に、女の視点で切り込みます。 >>33
戦の天才って印象はないな
塩野七生のカエサルっぽいけど
文才に大きな違いが 佐賀の乱に苦戦中の後藤は薩摩の西郷に面会、救援を求めたが「政府に逆らうと未来はありませんよ」と協力を拒まれる
つうか有言不実行の西郷、因みに後藤はそのまま土佐へ飛び支援を依頼するも拒否され土佐・阿波の国境付近で捕縛
裁判ごっこ半日結審で速攻斬首、根回しするなら決起前でしょ後藤散かぜ薬 >>36
糸夫人はお妾ではなくて、正妻なのだから、黒木華さんのように落ち着いた
女優さんがちょうどいい。
まして糸夫人は良妻賢母のイメージ。華やかさよりも一家の女主人としての
堅実さや芯の強さが求められる。 都城(宮崎)からです
今日島津発祥祭りがあります
島津邸から神柱神社までパレードがあります
パレードにはスピードワゴンの井戸田が出ます
島津低の近くには俳優の永瀬正敏の元実家があります 昨日の大相撲、大村昆と林真理子と中園が観戦していたそうな
大村昆は毎度のことだけど、原作脚本の2人は九州でなんか仕事でもあったか みんな無責任すぎてつまらない
なんで勝手に辞める?ニホンノタメーとか言うてたのは嘘だったの? てか大久保が追い払ったくせになんで西郷が鹿児島に帰るとき泣くの?
あんなふうにけちょんけちょんにしたら喧嘩別れするのくらいわかるでしょ >>43
大久保を憎む気持ち>>日本を想う気持ち
ただそれだけのこと このドラマだけで判断しても、ただ愚直なだけで政治の世界では扱い難い男な印象しか持てないな
なんで当時でも西郷が慕われたかいまいち魅力が理解出来ない
この程度なら幾らでも他にいたろうに そもそも韓国へどうしてもいかなきゃならない理由なんてないから、大久保を悪役にするのは無理がある。
というか、西郷のほうがわがままにしかみえないんだよな 鳥羽伏見も戊辰戦争も、今回の西郷下野にしても、脚本家は必死に西郷に正当性があるように
描きたいんだろうけど、あんだけ慶喜にイクサは民のためにならんといってた西郷が倒幕のイクサをはじめるのは
笑っちゃうくらい変だった。
征韓論にそもそも説得力がなく、むしろ大久保の内政優先富国強兵の方向に説得力があるから、
西郷が時代錯誤の「あとは野となれ山となれ」にしか見えないのが哀れというか >>50
国賊韓唐は始末支度しとけば今の国難はなかったろうな
半頭ちょんこもな
せごどんただしいやんけ ゴキブリ韓唐エベンキを始末しとけば太平洋戦争もフクイチもなかったな それで西郷を悪者にしないために韓国にいる2000人の日本人を助けるためとかやりだすから
国が戦争になることも考えられないまるっきりのお花畑野郎にしか見えないというね 大野卓朗演じる桐野利秋は好きな幕末の志士だから、期待していたけど、
結局はモブキャラに終始した。
だが、西南の役では間違いなく活躍するぞ(笑)
何せ、西南の役における薩軍の実質的総司令官は桐野だからな。
子供の頃に見た『翔ぶが如く』の最終回の城山決戦での桐野の最期
は今でも記憶に新しい。 西南戦争では、おいどんな新八どんのアコーデヨンを聞ききたかでごわす >>58
哀愁を帯びた新八のアコーディオンの音色で桐野が剣舞を
舞う姿が見たいな。
ラストサムライの最期を飾るに相応しい描写になる事間違いなし。 脇にも面白そうなキャラがいくらでもいたのに結局西郷一人すごいとするために割り食ったのがな
主人公視点のことしか書かないやり方が向いてるキャラじゃなかった >>61
敵にも味方にも優しい人間性と理想があることを描いてこそ
歴史というものの皮肉な現実や悲劇性
物語のカタルシスが描けるのにな あえて言うならば中村半次郎(桐野利秋)や村田新八に
もう少し焦点をあててほしかった。
ちなみに新八の空腹エピはつまらない。史実では宮内大丞として
明治帝のお側に仕えたほどの人物だろう。
謹厳実直と言うか、サムライらしい一面を見せてほしかった。 もともとこのドラマの西郷の描き方がまちがってるんだよ
彼は優れた人物であり、正義感で、民の味方で、偉業なかばで、惜しくも死んだ。
そんな描き方するからこういう、中途半端な、ただ教科書をなぞるだけみたいな面白くもないドラマになる。
そうではなくて、彼は根っからの守旧派であり、民百姓よりも武士を重んじ、西洋が大嫌いで、戦争がメシよりも好きで、
先進的な考えがないもんだから大久保や木戸に終生コンプレックスを抱き、確固たる信念もないからその時その時で
考えがブレまくりで、政治家としては弱点だらけの人間であった。
しかし、そういうブレブレな性格は、逆にみればなんでも取り込める包容力とみることもできるわけで、それが彼の人から
好かれて弟子が集まってくる理由だったと。 哀愁あるよなぁ、村田新八のアコーディオン、でかいのじゃ無くて子供用なのかな?
https://www.youtube.com/watch?v=SCWJJJ2q-Vw&t=2438s
39:20過ぎ https://www.j-cast.com/tv/2018/11/23344261.html
鈴木亮平はいいが、家庭を描き過ぎて時間足らず。
最も面白い幕末・明治初期の人物たちの醍醐味が感じられず残念な西郷さん >>64
よう、基地外韓唐ちよんこエベンキ百済難民子孫非大和民族様ゴキブリ背乗りエベンキ国賊エラはよ市に晒せよ >>68
近代史をざっくり眺めても、半島とは「かかわらない」のが最善だと思うけどね
鈴木君は良い俳優だけにちょっとかわいそう。
政治家としてはからっきしダメダメだが、なぜか人から好かれて、偉人だの大先生だのと
持ち上げられてしまう人間の、苦悩や孤独みたいなとこに焦点をあてるようなドラマをみたかったけど、
これじゃ西郷はいいやつで大久保はいやなやつ、みたいなチープなアニメだよねw >>69
オマエラ韓唐エベンキと合わせて駆除してしまうべきだろう
せごどんは駆除したかったんだろ 韓唐エベンキ刈りもそれでも説明がつく
エベンキ国賊韓唐の国賊ぶりも同時に理解しろよな >>71
今やだれでもわかる通り、一番おいしいのは被害者で、最後まで責任とらされるのは先に手をだした側なんだよ
だからもしも君が、駆除しろ駆除しろとあおるのであれば、むしろあちら側の人間かなと自分には見えるw >>72
完全に駆除しないからだよ
それができる最後の時代だった
つか、エベンキ共の外交非礼も知らずに書いてんのかな >>73
完全に駆除?ヒトラーがあれだけやってもできないのに。無意味な労力 ウジ月9やまとなでしこ大ヒットかました脚本家中園が大河で凡退するのは自明の理 >>74
せごどんならやるだろ
東朝鮮頭抂エベンキも駆除しとけば日本も平和だったろうな 桐野利秋と別府晋介の生家(自宅だよね)
ガチで目と鼻の先、桐野生家の看板から百歩歩かない内に別府生家
言わば西郷生家と大久保生家の距離関係に近いから幼なじみの仲良しだったんだろうな
しかし西郷は介錯をなぜ桐野ではなく別府の晋どんに頼んだんだろ、桐野はかなり前で戦ってたんかな? 別府が足を負傷して前で戦わず西郷の傍にいたからでは 島編視聴率よかったんだぞ
むさくるしい男達がギャーギャー喚いている映像を見ているより
綺麗な島の風景をボーッと眺めていたほうがマシという視聴者の声 政治色ない回は本当に視聴率いいよねw
西郷と愛加那の恋愛メインで、薩長同盟や倒幕の話は0にした方がドラマとしては成功したかもw >>81
島編に限らず「〜編」が始まる回だけ作りや番宣に気合い入れるから持ち直す仕組み
それだけのこと
明治編も西田出てきた最初は評判良かっただろ 政治が描かれるのが悪いんじゃなくて
政治の本質の分からない原作者や脚本家が本を書くから本当につまらなくなる 正確にいうと斉彬が死んでから島編に入るまでが低調だった
ひーさまがよく出てる頃がつまらん 井伊直弼対慶喜(と橋本左内と西郷)あたりが本当に数字下がったな >>56
人斬り半次郎なのに、一人も切ってないもんな 11月23日の宝メシってNHK番組 馬鹿みたいに金かけてる感じ こんな馬鹿番組作るために受信料払ってるなんて・・本と無駄だらけのスタジオの出演者にセットに
金が有り余って使い切らなきゃってのが見え見え つぶせよNHK 紅白もつまらんがガキ使もつまらん格闘技もつまらん
やはり大晦日の夜は蕎麦喰って5chでマターリ 受信料不要ならこんなにバッシングされなかったんだろうな >>97
いやそれただ最初のほうだからってだけじゃないか 最初は誰が出ようとどんな内容でも視聴率いいからね
そこから徐々に視聴率下がるのが近年の大河の特徴 >>37
佐賀の乱は江藤だろ。江藤新平。
後藤象二郎は土佐藩閥。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
「翔ぶが如く」
西南戦争を描いたドラマはあるのですが、
おそらく西郷だけでなく、大久保利通を描いたドラマとしては唯一かな?
政治家としては余りにも人間的には優しい西郷と大久保。
西郷は不平士族の若者を放っておけず(そして日本政府安定の為)、下野し、
大久保は日本の近代国家化を目指すべく、あえて悪名をかぶってまで
国家の安定の為に働き続ける。
古い日本を滅ぼす覚悟の西郷の意を、おそらくは汲んで、大久保は西南戦争を鎮圧する。
どちらが正しい生き方とは、作品中では語られません。
それゆえに最終回の結末まで見終わったとき、
ずしりと重い宿題を視聴者は負わされる感覚を得ます。
西郷も大久保も非常に魅力的に描かれている。
厳しい政治家でありながら、家では良き夫であり良き父。
さらには同僚に対する優しさや思いやり。
公私の区別ををつける良い男なんだな〜。
西田敏行さんと鹿賀丈史さん、こりゃ一世一代の名演技ですわ、感動!!
今、見直すと本当に大久保さんは辛かったんだな、哀しかったんだな。
最後に大久保さんが見た風景が、
二度と還らぬと心に決めた薩摩の海と青い空。
若かりしころの西郷と駆けていった記憶―。
二人死ぬときに見た風景は同じだった。
そこに全てが集約されているようで、涙が止まりませんでした。
老若男女、出番の少ない脇役も非常に魅力的に描かれている。
(特に西南戦争の反乱士族の若者たちの最後は泣けました)
明治初期を描いた作品では一番の傑作。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
翔ぶが如く最高!
シナリオから配役まで全てが素晴らしい。
この頃の大河は現在と違い骨太でいいですよね。西郷と大久保の二人が若かりし頃から成長していく様が描かれています。こんな切磋琢磨できる友がいるということは、まことに羨ましいことですね。
さてさて、ぜひ皆さん一度ご覧ください。その価値はあると思います。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
幕末もの最高傑作「翔ぶが如く」
「大河ドラマ」と名はつけど、近年の大河ドラマとは別物と思った方がよい。
たとえば、近年の大河ドラマで定番の「女パート」。そのようなものはない。
しかし、本作品の方に登場する女性に対しては真に愛おしく思い、歴史上重要な役割を持っていたのだと納得させられる。
作り手が「押しつけ」などしなくても、視聴者はそれぞれの感性で感動するのである。
三木のり平が演じる、江戸火消しの親分・新門辰五郎がいい。
西郷隆盛と徳川慶喜の双方に肩入れして狂言回しのような役割を演じる。
この、いかにも人間的に善人である辰五郎が、追放された慶喜に寄り添うことを最後に選択するところなどは、明治維新=正義と考えている視聴者の心に一石を投じるのではないかと思う。
辰五郎と西郷が上野で今生の別れをする場面は、今でも涙が出てくる。
佐野史郎、益岡徹、内藤剛志、緒形直人といった、今や大ベテランである俳優たちが鬼気迫る薩摩志士を演じる。
その迫真の演技は、まるでこの時代の薩摩志士たちの魂が乗り移っているのではないかと錯覚するくらいだ。
「幕末ものって面白いらしいけど、まだ読んだり見たりしたことないんだよね、興味はあるんだけど」という方には、本当にお薦めだ。
これを見ないと人生1つ損しているかもとくらいいえる。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
幕末大河視聴率歴代3位!
年間平均視聴率23.2%!
最高視聴率29.3%!
翔ぶが如く
これは今現代、日本が知的な沈没を遂げようとしている今こそ沢山の人に見てほしいドラマだ。
今のテレビドラマのひどいレベルを見ていると、テレビがくだらない媒体として見捨てられてしまうのではないかと不安になる。
テレビはかつて素晴らしいドラマやドキュメンタリーあるいはバラエティを与えてくれた優れた媒体であったのに今やバカにされる存在になり下がってしまっている。
優れたドラマはほかにもたくさんあるが、このドラマは今の日本が忘れ去り、安易に扱おうとしているものがどれほど大切なものであるかを痛感させてくれるのだ。
西田の西郷も鹿賀の演ずる大久保も、人間として時代を駆け抜けてゆく。
その魂がほとばしり、昇華してゆく見事さが画面からあふれんばかりだ。
俳優も演出も映像も、秀逸で物語にぐいぐい引き込まれてゆく。ものすごく面白い。
今の大河ドラマとは違う。昔のほうがよかったというようなセリフは使いたくないが、レベルがちがうのは誰が見てもわかるだろう。
こういうのが、ドラマだ。何も時代劇や歴史ドラマだから迫力があるのではない。そこに「ドラマ」があるやなしかだ。
NHKはBSでこのドラマを一年間放映したらどうだろうか?
放映できない人物が出演しているから難しいかもしれないが、これは見てもらわねばならないドラマだ。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
幕末・維新ものの最高のドラマ「翔ぶが如く」
幕末・維新もののドラマは、テレビ・映画を通じて数多く作られているが、骨太のテーマに正面からぶつかって取り組んだ本作が最高の出来だと思う。
脚本、配役、演出、音楽、すべてにおいて本作を越えるものはない。今後も、これを越えるものは出来ないと思う。
この秀作を生んだ最大の要因の一つは、西郷隆盛と大久保利通を演じた西田敏行、鹿賀丈史お二人の演技力にあると思う。
平生はもの静かで優しかったが、一旦事あるときの爆発力はすさまじかったと云われる西郷を西田が渾身の演技力で見せる。
そこには、いかにも絣の着物が似合いそうな朴訥で誠実で、とてつもなく心の広い西郷さんがいる。
一方理知的ではあるが、冷酷なまでの決断力と行動力で周囲を引っ張ってゆく政治家大久保を演じた鹿賀の演技もまたすばらしい。
よく考えてみると、西田、鹿賀お二人とも年齢的に一番いい時期にこのドラマに出演したと思う。
最初の青年時代を演じるには年齢的にぴったりではなかったかもしれないが、そこは溌剌とした演技力で十分カバーしていたと思う。
逆にこの年齢で演じたからこそ、倒幕へと向かうほとばしるエネルギーと貫禄が出せたと思うし、また維新後の両雄対決の迫真の緊張感も出せたと思う。
主役の二人に限らず、出演の俳優さん達は男女を問わず、いずれも適役で、熱演を見せてくれる。
今どき、これだけの役者さんを揃えるのは、およそ不可能だろう。
洋行帰りの村田新八が弾く手風琴のメロディーが、西郷軍が最後に城山に立てこもってからの場面で、何度かとても効果的に使われている。
西郷自決の場面の直後、妻のイトが佇む家の前にサーっと舞い上がる一陣の風と、そこに流れる手風琴のメロディー。
一瞬、まるで西郷が妻のもとに帰ってきたかのような錯覚におそわれる。
ちなみに、村田新八の手風琴はドラマでの作り事ではなく、洋行中に習った本当のことと、歴史書に書いてあった。
ついでにもう一つ、彼が田原坂でフロックコートを着て戦ったのも本当とのこと。
何はともあれ、この大河ドラマは、何度見ても画面から熱気があふれ出してくる。
製作に関わったすべての人々のエネルギーの結晶であると云ってよい。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
大河ドラマ最後の傑作「翔ぶが如く」
大河ドラマ史上司馬文学を原作に戴いた作品としては国盗り物語、花神と並んで1、2を競う秀逸な作品である。
原作では弱小日本が維新以後、新生近代国家を目指す中で維新の立役者西郷隆盛と大久保利通の征韓問題での対立を軸に日本最後の内戦、
西南戦争へと導いてしまった根幹は何なのか?を司馬史観で推察していく小説である。
このドラマ化は前半部分を幕末から維新まで描き、後半を前述した維新から西南戦争までと云う構成になっていて私観的には小説よりこのドラマの方が感情移入出来て感動した。
維新の盟友西郷と大久保の若き日の友情を書き維新を成し遂げて以後国家創造の狭間で対立する事を余儀なくされた過程が丹念に描かれているからだ。
西田敏行と鹿賀丈史の西郷と大久保は絶品だ。
近年のおちゃらけムードの大河ドラマにはない骨太の作品である。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
「翔ぶが如く」
大河は題材が命
西郷大久保ドラマはこれ以上のものはできないだろう。
俳優のためにも作らない方がいいほどいい作品。
原作脚本力が俳優や演出家を育てる見本だろう。
近年よくいわれるアイドル出身俳優が薄っぺらいドラマの元凶ではない。
すべてをマネするのでなくいいものをマネすることを篤姫や龍馬伝に携わっている者は維新という時代もの通じてを理解しつくすべきで視聴者も目を肥やす義務がある。
だからといって大河は同じ主人公でリメークすべきでない。
群像を基本としているのでこの作品からなら従道や巌、博文など西南以後も生きた人物で維新ものを作って欲しい。
この作品は鹿賀大久保が素晴らしくそれを扶ける岩倉小林の嫌らしい演技が冴える。
W主人公を喰う脇役に注目。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
「翔ぶが如く」両雄の孤独
第一部冒頭の、桜島を望む浜を走る吉之助と正助の若さと笑顔があったればこそ、この第二部の西郷と大久保の苦悩をひしひしと感じることができる。
両者が抱え、両者にしか判らない、それぞれを取り巻く無理解と孤独。
遣韓問題を巡る両雄の対立は鳥肌が立つ緊迫感。それだけにそれぞれの寂しさが沁みてくる。
そして岩倉具視、川路利良、村田新八、江藤新平、伊藤博文といった脇役達からも目が離せない。第一部に比して出番が減ったとはいえ島津久光も圧倒的な存在感。
西郷・大久保という二つの巨星と明治初期という時代を描いた大河ドラマ屈指の傑作である。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
翔ぶが如く
二人の革命家の最後は・・・
莫逆の友として明治維新を成し遂げた西郷と大久保。
その二人がそれぞれに抱く新国家像の在り方の違いが次第に表面化していき,征韓論で一気に対立していく。
西田敏行が悲壮感あふれる巨大な西郷を,鹿賀丈史が理論家肌の官僚政治家・大久保を,それぞれ見事に演じ切っており,これ以上のハマリ役はない。
維新の様々な矛盾を一身に背負って散っていく西郷と,後事を託されたにもかかわらず兇徒の刃に倒れてしまう大久保の最後は涙なしには見られず,二人がその人生の最後に思ったのは何であったのだろうと考えていくと興味は尽きない。 https://m.youtube.com/playlist?list=PL0b4OCwbGzJExbqYn4jdS90AfaAAHmOcN
翔ぶが如く
西郷隆盛/西田敏行は、『情』の人である。
大久保利通/鹿賀丈史は、『理』の人である。
二人が力を合わせることで、
大きく世の中は動いていくのである。
西郷には、人があつまり、慕われる。
決断力のたくみさと人に任せる寛容さ。
しかし、権威を振り回すことを嫌う。
単なる農民や漁師になりたかった。
明治維新以後の 西郷隆盛が、なぜ 決起しなければ
ならなかったのか?が、やっと理解できた。
このことで、膿が出されて、明治政府が成り立った。
悲しい出来事であるが、超えなければならなかった。
二人をよく 描ききったなぁと 感心することが
できただけでもよかった。
時流を観ること。
時を待つこと。
人を見抜くこと。
時代の流れが早い時期にも、急ぐべきではない。
田中裕子のどっしりしたお母さんぶりが実にいい >>99
渡辺謙が出てる時は島編と今に比べて比較的視聴率良かった 花燃ゆ、西郷どん、みんな政治家が放送局に介入して
黒田、真田や井伊よりも客がつかなくなったドラマだろ?
八重の桜を超えれない限り、延々と幕末ものやるんじゃね? JT、バングラデシュたばこ2位を買収 買収額は1645億円
2018.8.6
速報はもちろん、ネット独自のコンテンツも充実
日本たばこ産業(JT)は6日、バングラデシュのたばこ市場で2位のアキジグループのたばこ事業を、1645億円で買収
すると発表した。買収手続きは9月末までに完了させる。JTは昨年、インドネシアやフィリピンで現地のたばこ会社を買収するなど、新興市場での事業拡大のため、M&A(企業の合併・買収)を積極的に進め
ている。バングラデシュは紙巻きたばこの総需要が年間860億本に達し、世界8位の市場。
宇宙に害を撒き散らす池沼エベンキ韓唐ちょんこそのもの
国辱韓唐どアホ基地外エベンキはよしに晒せよ 薩長明治維新にひどい目に遭った・・・
つまりそれによって、奥羽越列藩同盟、あるいは幕府側の賊軍とみなされた藩士の子孫たちは、「恨(ハン)」の感情を持ち、それが我が国における「恨(ハン)の文化」になった 戦国ワースト四天王
1位 おんな糞主 糞虎 12.8%
2位 糞師糞兵衛 15.8%
3位 真田糞 16.6%
4位 糞蔵 16.7%
幕末ワースト四天王
1位 糞燃ゆ 12.0%
2位 糞どん 12.7%(暫定) ← いまここ
3位 糞馬がゆく 14.5%
4位 糞の桜 14.6% >>119
皆さんおさらいね
この人が
・翔ぶが如くの有名な信者
・馬鹿児島爺
です 大河ドラマ目糞鼻糞四天王
糞盛
糞燃ゆ
糞虎
糞どん たまに週刊文春で林真理子のエッセイを流し読みするが、
こんなつまらねえこと書いて金もらえるのはおかしい。
昔はブスのあけすけな妬み、ひがみが笑えたが、売れて
文化人や出版社を仲間にしてアグネスチャンをディスった
までは笑えた。そのサブカルエッセイストが小説書いて、
それが大河ドラマになるとは。
まるでゴーンが韓国車を日産で作ったようなもんだ。 サブタイトル
第44回(11/25) 「士族たちの動乱」
第45回(12/02) 「西郷立つ」
第46回(12/09) 「西南戦争」
最終回(12/16) 「敬天愛人」 https://entamega.com/13366
『西郷どん』、視聴率は微妙でも「30キロ増量」鈴木亮平はギャラ高騰が確実! 大久保は、今は国内を安定させて、産業や鉄道に力をいれて国を富ますのが先決という考えで
西郷の朝鮮行に反対したわけで、なんでそれを、ああいう女の腐ったようないやがらせみたいな描き方しなきゃならないんだろう
翔ぶが如くでは、加賀大久保は西郷の朝鮮行に反対してはいても、西郷に対する最大限の理解や譲歩や説得をこころみているところが、
やっぱり優れたドラマだなぁと感じる >>141
体重バカの鈴木と事務所に
「目方で男が売れるなら こんな苦労もかけまいに」
という寅次郎の歌を贈っておこう ゴーン問題は幕末フランスが日本を乗っ取ろうとしたのに似てるよね 翔ぶが如くでは、大久保と新八どんとの関係もよくわかるように描かれていた。
洋行から帰国して大久保の家を訪ねた新八どんを、大久保は満面の笑みで玄関まででていって
迎えて、「よくかえってきてくれた。これからはおはんの力を頼りにしている」とハグまでしてたような。
そういうシーンがあればこそ、今後新八が西郷を選ぶか新政府を選ぶかの重大な決断の重みがでるっていうもんでしょう。
そういうのが、こちらはちっともないから、新八の苦悩なんてみじんも感じられないんだよな
よってアコーデオンなんかやっても意味がない 西田敏行から菊次郎のナレーションに変わった意味がよくわからん
意味なんかないのだろうが 村田新八は本音としては近代人として生きたかったけど、鹿児島に帰って来た事で
結局は薩摩人として生きざるを得なかった。
ただ、洋服や西洋音楽を手離さなかった所に彼の矜持が感じられる。
洋服を着た写真を見たけど、一見外国人かと思うほど日本人離れしていた
顔立ちで、もし彼が政府に残っていたら外国の首脳とも堂々と渡り合えたかも
知れないなと感じた。 >>136
おゆうは生年不詳で亡くなった年大正7年(1918)には70歳過ぎだといわれてる。
明治6年(1873)では30歳前後だと思われる。 >>147
最後の生き証人といういみじゃないだろうか。
ちなみに西田は会津出身。 村田は、ロマだと見下されてだろうな。
チャイナの康熙帝のようなすっきりしたアジア顔のほうが
よかろうであろう。
陸奥さんや小村さんは、北方アジア顔だからな。 新政府かずっとのちのGHQのせいか
知らないが、実態がよくわからない
西郷でも、旧政府に関わった藩士
などからは自宅に肖像画を飾るほど
尊敬されたという番組があった。
身分を守ったとのことで。
逆に大隈重信などはみそくそに
言っていたのが印象的だった。 >>150
西田敏行は郡山市出身
正確には会津の出身とはいえない。
ちなみに西田敏行は西田家に養子に入り、
養父の先祖は薩摩藩の島津斉彬、斉興時代に仕えて、
火薬製造をする役目をしていた。 >>145
フランスがやたらと日本人の陰謀だと騒いでるのを見ると、
東京裁判で共同謀議をしたと決めつけられたのを思い出す
本当は共同謀議なんてなかったし、今回も陰謀なんてない
白人から見たら、有色人種は陰謀を企む人種なのだろうか 主役だから西郷をあげたいのはわかるが周りを小物にしすぎてないかな >>157
今、再放送を見ているけど、とりわけ岩倉具視、大久保利通の
小物感は半端ない。
この二人をここまで小物・陰謀家に描く意味が不明だ。 立派に描くだけがドラマじゃない、親しみやすく描くのもドラマなんだよ
歴史を広める努力もせずに胡座をかくだけのバカには分からないだろうがな >>148
あの風貌を西郷どんはどう思ったのだろうか? 西郷や大久保などは時代に求められて世に出た。
昭和や平成には求められない人材であろう。
ゆえに幕末という時代はどんな日本人を必要として
いたか、また時の権力者が求めたのは誰か?という
ことが描かれてこその大河ドラマ。
しかし「西郷どん」とは、林、中園、桜井が視聴率を
取れそうなキャラクターを求めて作ったドラマ。
岩倉、大久保だけが小物なのではない。登場人物全部が
小物。なぜならすべてのキャラが歴史的必然や史実、考察
とは無関係に、中園らの脳内にしか存在しないから。
中園が岩倉をちんけなお笑い芸人とイメージすれば、
それを演じるのは鶴瓶となる。
つまり、「西郷どん」は今までにない新しい大河だった。 >>163
三条をつるべーにすればよかったんじゃねーか? 大河ドラマスレは最終回が近くなると必ずカオスになってくるな 井伊直弼死亡 ナレ死
斉彬死亡 ナレ死
坂本竜馬死亡 ナレ死
西郷隆盛 ナレ死
大久保利道 ナレ死
パンパカパーン終わり >>158
小説の登場人物は小説家自身よりも賢くはならない
ゆえに何人かの脳味噌の性能を下げてバランスを取る 負けっぱなしの人生を送る馬鹿児島爺が暴れてまた負けるから荒れる >>171
それならまだマシですよ
小松や他多数、ナレにも乗らずいつのまにか居ない 視聴率の取りやすい戦国大河と取りにくい幕末大河を同じ土俵で比較したら不公平でしょ。
戦国大河ドラマ全21作品の平均視聴率は24.4%
幕末大河ドラマ全14作品の平均視聴率(暫定)は18.7%
つまり戦国大河ドラマと幕末大河ドラマのハンディキャップは5.7%(24.4-18.7)
視聴率の取りやすい戦国大河は5.7%引いた数字で幕末大河と比較しなきゃ恥ずかしい。
てことで、2008年以降の戦国幕末大河リアル視聴率ランキング
篤姫 24.5%
龍馬伝 18.7%
天地人 15.5%
八重の桜 14.6%
西郷どん 12.7%
シエ 12.0%
花燃ゆ 12.0%
真田丸 10.9%
軍師官兵衛 10.1%
直虎 7.1% >>176
無名女の杉文や直虎と超有名人の西郷を同じ土俵に乗せて視聴率を語ったら不公平でしょ
ということで超有名人はー5%
直虎 12.8%
花燃ゆ 12.0%
糞どん 7.7%(暫定) 歴史初心者です内務卿の大久保と岩倉ってどっちが偉いんですか? 岩倉具視
贈太政大臣
贈正一位
大勲位菊花大綬章
大久保利通
贈右大臣
贈従一位
勲一等旭日大綬章
大久保利通の方が位階勲等全てにおいて下回るが、晩年は岩倉を実質的に組み敷いて配下に。 >>180
形の上では旧藩士よりも公家、大名の方が官位は高いよ
島津久光も一応、岩倉より上の左大臣
公家出身でそれなりの実権あったのは岩倉ぐらいか >>175
歴史を見れば確かにそうだけど、あのキャラ設定だったらしかたないね。
まるで西郷どんの使いっパシリw 鳥羽伏見以前はむしろ小松主導と言っても過言じゃない >>158
岩倉具視に関しては、演じてるのがカスの釣瓶だからだ >>190
主役がイケメンでないし 脇も余りイケメンいないんでイマイチ女が視ないのでねーかと
鈴木亮平も普通だし 瑛太はチンピラっぽいし イケメン枠が少ないドラマやね
龍馬伝とか福山人気で女も視てたんちゃうんかと >>190
今は現代ドラマはほぼ一桁
2桁の現代ドラマは一部だけ
現代ドラマなら成功の視聴率
大河ドラマは昔は20%、秀吉は30%の視聴率だったから引く思える とりあえず明日は吉野台地でカラ芋畑を開墾しもんそ、化かす狐が心配じゃっで兵六どんを連れて行きもんそ >>190
俺は基本的に放送とほぼ同時に録画で見始めてるなあ
その方がちょっと止めたり巻き戻したりと便利に視聴できるし 『花神』『翔ぶが如く』など、幕末モノはだいたい序盤は評判悪く、後半になって視聴率が上がるのが通例だ 全然面白くない
これはリアルでなくお芝居感がハンパなくて
全然没入できない
演技じゃなくパフォーマンス 一番残念だったのは、
初回に子役で出演してたメンバー
大久保、大山、俊斎、新八、有馬、吉二郎(糸)
このへんがドラマの基軸になると思ったが、予想外に目立たなかった
死ぬ回に有馬と吉二郎がフィーチャーされただけ
大河でこれまで好評だった北村を起用した大山とか、兄貴分としてもっと目立だせても良かったのに
ある程度ポイント絞って作った方が、視聴率はともかく特定ファンに語り継がれるようなドラマになったのに >>202
だからそれは前半に時間を食い過ぎたしわ寄せが来たんだよ
だいたいどのドラマでも誠忠組がクローズアップされるのは、前半の寺田屋事件の時までぐらいだな
翔ぶが如くでも大山とか俊斎は、前半と比べて中途半端な立ち位置だった >>149
ありがとうございます。
内田有紀の見た目の若さあっての配役なんですね。 もし、映画監督不在で映画を作らせたら
「こんなもんできました〜」って程度の作品が多すぎなんだよ
どうしてもこの先大河を続けるなら
才能が枯渇しているNHKの社員は一切関わらせるな >>204
クレジットポジションで内田有紀が玉山鉄二より上だからな >>200
てか、
そのころはプロ野球ナイター全盛で、
開幕後の4月に視聴率が5%くらいダウン、
野球中継の終わった10月ごろから再度上がり始めるから、後半が良く見えただけ >>207
戦国ものではそうでもなかったよ
だいたい幕末ものは、前半は無名の人物ばかりが出てきて、これと言った事件もないから地味な展開なんだよな
西郷とか龍馬みたいな有名人が続々登場する後半になって、展開も佳境に入って人気も出てくる >>190
病気の爺さんが荒らしてるからじゃねーか(ニッコリ) >>192
ブラウンのコマーシャルとか見ると、鈴木はなかなかいい男に見える。 岩倉も暗殺されて、濠の中で溺死して
替え玉だったらしいな。 木戸さあの次の出番は死ぬ時かねえ
「西郷いい加減にしないか」を言わせないとね つまんねえつまんねえよ
つるべえ先生の中学生日記かよ >>212
晩年は体調すぐれずにヒッキーだったらしいからなあ。玉鉄もっと見たかったぜ。 晩年の木戸は寂しかったろうな。 病気にはなるし、 弟子の伊藤は大久保のもとに行ってしまうし 今日も大久保の陰謀家ぶりが発揮されるかと思うと
悲しいな。
数々の陰謀を巡らせて私学校潰しにかかるんだろうか・・。 最終回はいとさんが出てきて「ちご、うちん人はこげな物語のような人じゃなか」のセリフで終わります。 「翔ぶが如く」は一部が「武士の世の終わり」
二部が「武士の滅亡」という明確なテーマがあった。
「西郷どん」は「西郷隆盛いい人伝説」をやった。
西郷以外の登場人物は、西郷がいい人であることを
印象づける添え物でしかない。
しかし西郷がいい人だったら何なの?
何の意味があるの?という謎には一切答えず、土下座、
号泣、シェイクハンドでバックレた。 岩倉内大臣は、徳川秀忠と対等の権限かい。
薩摩を滅ぼすぐらいいけるな。 >>220
西郷を善人に描こうとしすぎで大久保の豹変に説得力が薄いよね
役者の力演でごまかしてるけど 今日は西郷と熊吉の温泉入浴シーンあり
サービスなのか? 豹変も何も、そもそも大久保のなにが悪いのよ?って話
廃藩置県や秩禄処分を断行して、いまこそ国内を安定させて富国強兵の土台をつくらなければいけないときに、
わざわざ隣国とトラブルのたねをまいてどないするんやと
しごく当たり前の話であって よって、視聴者の大部分は大久保のほうが正論に感じられてしまうために、
自分こそ正義と信じている西郷がアホの子にみえてしまうのと同時に、その西郷を
正義であるかのように描いている製作スタッフの頭も大丈夫かなぁと感じてしまうんだね >>169
初回からずーっと荒れてる
盛り上がる荒れ方でもなくただただ悪口の言い合いで
ちゃんと見てる人が如何に少ないかが分かる
視聴率の悪さがよく分かるスレ この大河もそうだがながら見してても全然問題無いんだよな
「信長」を今オンデマンドで見てるがながら見してるとつい何度も巻き戻してしまう
内容の濃さが近年の大河は全く無い
情報量が少なすぎる >>231
桶狭間以前の尾張統一戦やってて
織田信光とかマニアックな人が登場してたな
加納隋天が強烈すぎだけど このドラマの西郷は、自分こそ正義と信じているからバカにみえるけど、正義や理よりも義を選んだ、
ということであればバカにみえなくなってくる
理で考えれば、西欧化して武士を廃止して中央集権化することが、日本の未来のためだと分かっているが、
しかし、自分を育ててくれた薩摩藩や島津家の人達を捨てられない。のみならず今まで共に戦ってきた武士たちを
見捨てられない。日本の文化を軽々しく西洋化するのも不愉快だ。だから自分は、理よりも義理をとると。
そういうことなら、ぜひはともかくとして、人間の生きざまのひとつだし、立派にもみえるんだけど、そういう描き方になってないしねw >>232
桶狭間まであれだけ詳細に描く大河は新鮮だな中盤以降となると嫁とかがキャンキャン煩いが 今までのホームコメディの流れからして田原坂ごっこ、そして城山深夜パーティー、最後は熊吉がおにぎりパク付きながら線路を歩いて行くエンディングになりそうだな >>237
熊吉が、脱いだスニーカーを片手でもって、ハダシで線路をゆく 真偽はわからないけど、新政府への不満が
爆発した連中が兵を立ち上げて、大久保率いる
新政府軍に駆逐され、逃げた連中が西郷の元へ
助けを求める。気の毒でしょうがない。そんな時も
国父や薩摩は西郷を助けず中立を守る。 見るだけ時間の無駄なんだよな
その時間に葵とか吉宗とか過去大河見た方が有意義
まあそれでも惰性で見てしまうんだが こんなんじゃ毎年やる必要もないし
一年でやる必要もない
坂の上みたいに数年かけて放送したほうが
ちょっとはましなものになる >>205
プロデューサーがgoサイン出しているとは思うけど、 朝鮮国のことなど捨ておけばよい。まずは富国徴兵が先だ。そのためには欧米のよう石炭を焚き蒸気を起こして鉄をつくり、武器、船、鉄道を作る。国の端から端まで走る鉄道だ。これで欧米列国に対応できる力をつける。そうすれば向こうから使節を送ってくる
これが本心なら どうして明治になったばかりのゴタゴタの最中
使節団として海外渡航したのか?
せめて政府内だけでも盤石な体制にしておけば舐められる事もなかったのでは? >>244
本気でいってるの?
敵を知らなきゃ、なにもはじまらないでしょ >>245
敵を知らなきゃって不平等条約改定が本来の目的じゃないの?
海外からすりゃ数年前までチャンバラやってたような後進国から使節団が来ようが 何言ってんだこのサルは?レベルだろ >>220
いい人伝説の何が問題なんだ?
だいたい西郷のイメージはどのドラマでも一貫してるよ
批判のポイントがズレ過ぎてる 先祖=参議兼内務卿
子孫=副総理兼財務大臣兼金融財政担当大臣 >>244
そう言いながら江華島事件で武力開国だから矛盾しまくり 全然面白くない
何が原因なんだろこれは
主演俳優の選択ミスなのか
それとも脚本なのか
はたまた渡辺謙の芝居が凄すぎて
なのに早めに退場しちゃったからか 吉之助と半次郎のシーンが見ごたえがあったから許してやる。 小物役者がわらわら集まってわめいてると何が何やら
がっかりビジュアルになった青年菊次郎に失望
襲われた後何わめいてるのかわからない鶴瓶はどこまで行っても大阪のおっちゃん
そんな中でも玉鉄は光るな
桐野ageのためにラストむりくりやってるけど、この役者にはチャンス与えれば化ける可能性を感じた
犬にリード付けたのは批判対策なんだろうけど時代背景考えるとなんか不自然 半次郎の意味不明な見せ場はあそこまでやる必要ないだろw 玉鉄は将来NHK大河ドラマの主役張らせてもいいんじゃね
不動の佇まいといい、品格ある存在感あるわ 佐伯泰英さんの「空也十番勝負」で薩摩剣法が扱われてるが、文章だと中々イメージしにくいところ、
映像で見せてくれるのは良い
よく言う「示現流は一撃必殺」なんて時代小説で言うけど、実際集団戦で使えなきゃどうしようもないよね 大河関係者は今悩んでいると思うんだね。
昔のような骨太な知性にうったえるような大河をつくるべきか、
バカでも面白がれるような、正義のヒーローが悪代官をやっつけるようなのをつくるべきか。
で、ここ数年後者を試みた。ところが数字は上がらなかった。
インテリ層から捨てられたのは当然だが、バカからも見放された。
当然ちゃ当然で、毎回毎回主人公はすげー、大物だ、正義の味方だ、ばかりいってるようなの見てても三回で飽きる
バカの目をひくには、エロと暴力と恋愛が欠かせないんだが、それも足りない。
インテリ向けに骨太大河をつくるか、バカ向けにその場かぎりの大河をつくるか、NHKはどちらかに決めなきゃいけないね。 >>294
予算と制作サイドの全身全霊を込めた坂の上の雲が大爆死して、
視聴率がファンタジー大河天地人&シエの足元にも及ばなかったのは深い心傷になってるだろうね 明治編になってこのスレ以外では評判いいよね
あっw なんか今の大河って幕末に徳川幕府の中で一生懸命やってたけど
世間のニーズとはズレてて悪手を打ちまくりでドツボにはまってくのと似てるんだよな 西郷ほどの知識がある人が、火種に
なる私学校を続けるのも解せないなぁ 西郷ほどの人物も豪傑な薩摩士族をまとめるのは至難だったんだよ
ばらけさせすと暴発したろうし一つにまとめるしかなかった
結果、不平士族の一掃になったけど 大久保正妻妾の対面に告げられた約束事に狼狽する大久保卿、ここには尺を使うのね
あと何故か封印していた人斬りの本領を私学校で発揮する半次郎に城山アコーディオン伏線の新八どん
救いは大山さぁの小芝居オンパレード この後を思うと大山さあが不憫でならない
おやすみなさい >>268
そもそも視聴率なんてあてになるのかよ。
とっているデータの世帯は本当に少数だし
今はDVDやらBSで見てる人だっているし。 バガボンドの伊藤一刀斎も真っ青の、半次郎切り上げ鉄砲斬り。 >>276
リモコンで青スイッチやら赤スイッチ押せば一般家庭でもテレビのクイズに参加できる時代。
この作品が面白かったとか一般家庭からも投票したりできるようにして
視聴率の取り方を改めるべきだ。 >>262
玉鉄は時代劇映えする顔だな
竹中半兵衛なんか見てみたいかな
竹中半兵衛・・玉山鉄二
半兵衛の妻・・尾野真千子
竹中重元・・・西田敏行
半兵衛の母・・樋口可南子
安藤守就・・・杉良太郎
羽柴秀吉・・・中村芝翫
羽柴秀長・・・佐々木蔵之介
蜂須賀小六・・宇梶剛士
黒田官兵衛・・市川海老蔵
織田信長・・・唐沢寿明
斎藤龍興・・・桐谷健太
斎藤義龍・・・佐藤浩市
帰蝶・・・・・篠原涼子
明智光秀・・・堤真一
斎藤道三・・・北大路欣也 元々大久保が嫌われまくってたのが原因だからな
しかも西郷に刺客を放ったのが戦争原因
大久保が政府に居なければ西南戦争は起きなかった可能性もある
大久保が政府に居ない時は何の混乱も起きてないんだよね 半次郎のるろうに剣心みたいなチャンバラwww
大野はホリバーターだからか見せ場多いな
おゆうと満寿の対面が怖すぎw
大久保はサリーちゃんのパパに見えるww シサツは刺殺、刺殺
どっちが現代的にあってるんだ?
惨いリンチで刺殺といわされたんじゃないのか? >>282
私学校生徒が西郷に嘘の報告するとも思えん
一方政府側は隠蔽できるからね >>282
視察だったけど薩摩の若い連中が相手を拷問して無理矢理、刺殺にしたという説もある。 だよなぁ、大久保を始め政府の権限越えて西郷を刺殺せよとか川路もさすがにだせんだろ。
鹿児島の様子をつぶかたなく視察してこいというのが本分だと思うけどな。 雷名とどろく西郷さえ討ち取ってしまえば
私学校が反乱を起こしても小規模になるという狙いがあったんじゃないか 西郷が滅びれば世の中よくなるという感想しかでてこんな。 大久保の子孫が今日千秋楽の優勝表彰に出てたな
先祖はこうやって鹿児島を追われたんだな 革命はその後始末が大変やなー
半次郎のアクションはびっくりした、面白かったけど 江藤ザマァwwwwとしか言えんわ。
こいつ、ただの屑としか思えなかったし、西郷どんでは。
屑らしい末路だわ。 犬HK民営化改革待ったなしだな
鈴木と瑛太はよくやったと思う、脚本と犬HKに殺された 佐賀の乱は多分に大久保とと江藤の私怨の側面があったからな 大久保の江藤に対する処置は、当時の人もさすがに引いた もう少しさ・・・もう少しさ・・・偏差値あげてくれよ・・・登場人物たちの。
ダークとか悪役のように見せてる陣営が至極まともじゃないか。 >>301
今よりはマシになるのではないかな・・・と期待。
とりあえず半次郎を筆頭にしたくそバカ過ぎ集団は滅び去ってほしいな。 これ作ってる人たちはあんなアクションいれてなにがしたかったのか? 剣豪が鉄の棒で人の頭をガンガン叩いて「不殺」とかバカじゃねーの 上手いこといったらこの私学校は早稲田、慶応に匹敵する大学になってたかもせえへんねんな。 1と6のつく日はおゆうさんのところへ行くと言っていたが
現代では浮気調査用のイチロクGPS発信機というものがある 大変じゃーー!
どげんした!
・・・こういうやりとりが一話中3回くらいあった
もうちょっと何とかしてくいやい 大山さんいい人だなぁ…
刀使わせたら半次郎カッケーわ 世間でやたら見る西郷さんの書は冒頭の時期に書いてたのか 大山さん、鹿児島県は日本でただ一つの国税を1円も納めなくていい県だから金に困ってないでしょ 大久保が江藤を抹殺したことに関しては
岩倉木戸 他に福沢諭吉も批判し激怒している
大久保江藤の勢力争いは凄まじかった
大久保が恐れたのは慶喜と江藤の二人
大久保暗殺後 民衆のいるところでの絞首刑は禁止になった(岩倉の意向) 不貞浪士の巣窟と化した鹿児島が
どんどん関ヶ原後の大坂になっていく… 今の政治家の腐敗は、大久保が原因だったという事がわかった おゆうさん見てひるんだ大久保に笑ったわw
子供を可愛がってるシーンは和むけど
何であんなダークサイドに落ちちゃってんのやら… 弾が尽きても刀がある と八重の桜の斎藤一も言っていた バカみたいなチャンバラなんなの
頭おかしくなったのかと思った >>321
そうだよ。
司法を作った彼が法によって裁かれ、処刑されたのはまさに皮肉。
しかも、裁判長はかつての部下。 >>328
もう回数がないから
飛ばしかナレーション おいおい、江藤は司法で勝てると想定していたんじゃないか。
司法が全く機能していなかったんじゃないか。 西郷がどうしようもなくなっていく感じは良く伝わった
私学校は失敗だな
どこまでも逃げるべきだった >>339
大久保が外部で司法でとか言う前に勝手に裁いてさっさと打首にしたしな 「お父さん、三男は今日も頑張ってます」 …有村架純
「三男君、かっこいい」 …伊藤沙莉 江藤の抹殺はさすがにやりすぎで
大久保の暗殺も 仕方ないと感じる…
作家の石原慎太郎は
大久保江藤のどちらにも非があり責任があるとのこと この時期は久光が政府内にいて大久保のやり方にことごとく反対しているはずだが出番がないな 政府の要職についてたのに、鹿児島に帰った奴の不満が分からない
西郷を信仰していたのかな? >>339
大久保が佐賀で臨時裁判所を作って捌いたから
ただ、江藤が司法卿の時代から「国事の重大犯は一般刑法犯とは別」って扱いを取ってて、その取り決めに自分も引っかかった。 江藤の逮捕・裁判・処刑・晒し首、ナレで一瞬だけだったなw 菊次郎の従兄弟も信吾のとこに駆け込めば斬罪にならなかったのに(´・ω・`) 大村益次郎と江藤が生き残ってたら
今ともっと変わってただろうにもったいない 自分が作った指名手配制度で最初に引っ掛かったのが江藤なんだってな
なんでこんな面白いネタピックアップしないの ここから史実無視して龍が如く脚本にしたほうが面白いだろ
西郷を中心にした反乱軍で拠点を制圧していき大久保の居城へ
半次郎や新八が中ボスクラス(岩倉や従道ら)を相手にし西郷を大久保の元へ向かわせる
西郷は大久保を説得するも言うこと聞かずバトル開始
西郷は追い詰められるもぶちギレ大久保を倒す
大久保は死ぬ間際に「吉之助さぁ…おいを止めてくれて…ありがとさげもうした…」と言い息を引き取る
西郷は大久保の遺体を抱き抱えて薩摩へ帰る >>356
「翔ぶが如く」の時は、江藤の晒し首のシーンがあった。 ホント相変わらず西郷家の庭でしか話が書けないから史実の私学校のヤバい方向に変貌していく感じが全く感じない そもそも西郷が鹿児島に戻ると反乱が起きることは想像つくのに
引き留めることができなかった新政府と
戻った西郷が元凶。 熊吉が負傷した菊次郎を背負って弾幕を駆け抜けるシーンは頼みますよ(´・ω・`) 岩倉よく無事だったな…
よほど護衛が強かったんだろうか >>343
ヒー様の見事な逃げっぷりはある意味史実通りw マスと愛人の対面
突然の桐野のチャンバラ
これって要るの? 今年の大河を象徴するような無駄でつまらないシーンだよね
若いメンバーがいっぱい出てくるけど ろくにキャラ付けされてないから誰?って感じ
大山格之助やシュンサイすら誰?
>>364
あれは矢崎八郎太との関係と
その後のこともあるからさらし首のシーンを見せたんだろうな >>364
児玉清飯富兵部
武田鉄矢楠木正成
と隆大介の江藤か生首やったの >>369
赤坂で襲撃されたため、お堀に飛び込んで無事だった。 >>368
西田敏行を菊次郎にしたから
それはありそう >>371
正直、北村さんはいまだに
長州ファイブの
志道聞多のイメージ 満寿の息子は直虎と半青にも出てた子だ
NHK御用達の子役かな >>374
あの当時
襲撃になったらほとんど死んでるのに
悪運が強い ぶっちゃけこれじゃ鹿児島県民に嫌われても仕方ないよな大久保
まあ西郷と大久保は表裏一体、運命に身をまかせることしかできなかったが ただでさえ地位が地位なのにヘイトためすぎ大久保
最期もあっけない >>379
鹿児島どころか江藤のこともふくめて
九州で嫌われるだろう 萩の乱、結構大きかったと思うがやるんだろうか?
それにしても幼女に早く脱がしてくれと迫る男とかw 桐野の刀って、実際にあんな野太刀遣いみたく柄が長かったのかな? 小松が早死せず健在なら
西郷を説得できていたら
西南戦争ではなく 鹿児島の乱くらいだったかもしれない
薩摩は上士である小松の早死にが痛すぎる…
長州の萩の乱が起きた時は 木戸が健在だったので
何とか大きな戦争にならずにすんだ
でも奇兵隊の残党 前原は抹殺されたけど >>376
榎木版「半次郎」の一蔵どんのイメージも
知名度自体アレな映画だけど 私学校はそもそも台湾出兵に協力する形で出来たもんでないの?
そういう面含め西郷は鹿児島であくまでも政府に協力する姿勢で居たんだが
そういう過程をすっ飛ばすからあやふやになってる 半次郎は顔を隠していきなり私学校に押し入ってその場に居た生徒数人を
峰打ちとは言え真剣でぶっ叩いて昏倒させた挙げ句、
大山さぁが危ない橋渡って出してくれた金で買った貴重な備品であるライフル銃までぶった斬るってどんな就職活動やねん >>387
奇兵隊と言うか松下村塾の生え抜きだな
安政の大獄以来の倒幕に至るルーツみたいな扱いだけど、
おにぎり女の旦那他、コア層はほとんど禁門その他で一掃されて
本当に松陰先生を知ってると言える人間は明治期にはほとんどいなかった
だから、新潟に赴任しても、孫弟子辺りの若造共が、
自分らは血税にたかって、こんな状態で指示通りの徴税とか
松陰先生が許す筈が無いだろうと独断で減税を行ったりして
実質敬して遠ざけられながら最終的に叛乱に至った >>391
明治3年
大村益次郎もこの年に死んでる >>393
NHK「主演ホリプロ様のバーターなので見せ場を作りました」 今に始まった話じゃないけど劇伴の音が大きいのと、発声がクリアじゃない役者が多いので
セリフが聞き取りづらい
着物に帽子かぶってたリリーフランキーみたいな顔したのは誰(役柄)? >>244
海外で見てきたからこそやるべき事が具体的になったんじゃない? 途中のシーンから似た様な格好の着物に帽子の人が増えて誰が誰か判らなくなったw 大久保はもともと下士だから
上士である小松の存在は必要←薩摩のまとめ役
政治向きなこと 薩摩・久光のこと 西郷らのこと
大久保は胃痛うつ病になっていたらしい
小松がいても心労で倒れるだろう 木戸も心労病気で 早死した >>379
いや歴代のドラマも含めて大久保がやったことをさらっと流しすぎなんだよ
東京遷都だって「大阪や京都はほっといても都市として発展するけど江戸は政治の中枢でなくなったら東日本が衰退してしまう」という考えがあったのに
公家がうるさいから置いてきてしまえとか冷徹な面ばかり押し出すから 村田新八は大久保方についてたら陸軍の偉いところまで行ったんだろうな >>403
大久保のとこで残ってればよかったのに
西郷の意見を聞くと言って鹿児島にいったのが運命の分かれ道 大久保は村田を評価していたから
自分の後釜は村田と決めていた
西郷を慕い村田が薩摩に下野し かなりショックを受けた
大久保は西郷従道が下野しなかったので 心底ホットしたらしい この作品では従道がどういう理由で政府方につくか見物 今回、西郷の右のこめかみ辺り、不自然にハゲてなかった? つまんねー二番煎じ三番煎じの幕末をダラダラやってるからこんなザマになるんだよ
最初から明治元年ぐらいから50回みっちりやってりゃよかったんだよ
序盤だけはケンさんとか豪華俳優陣がよかったから10回ぐらいまでは幕末でもいいけど 最終回の武者震い
「終わったか・・・西郷、大久保、おまんらと約束した『戦なき世』がようやく始まるき」 >>400
いい悪いはとにかく、
大政奉還後の政局自体が大幅に変わった可能性もあるからな
西郷大久保が鳥羽伏見の暴発に乗じて辛うじて逆転勝ちしてるけど、
朝廷政治の次元だと、慶喜と腐れ縁で顔の広い親藩の越前と
西国雄藩と言っても神君恩顧だし薩摩に独走させてたまるかの土佐が主導権取って
西郷、大久保がなんとしても排斥したかった慶喜の朝廷政治復権は
朝廷政治の大名世論レベルではほぼ決定に近い状況だった
ここに小松帯刀が加われば、小松の上の久光も武力討幕には消極的だし
何より異常な外交力のある小松が薩摩と幕府、各大名のラインを抑えたら
西郷、大久保も小松がいる以上はそれを超える事が出来ず、
大名世論のラインで慶喜の復権で妥結せざるを得なかった可能性か高い
只、その場合、史実だと鳥羽伏見で大名世論を押し切って
形式上は朝廷官僚の西郷、大久保らに大名が後追い追随したと言う既成事実なしに
大名家の勢力が温存されての政治的「倒幕」になるから
近代化に向けた既得権益の障害がヤバイ事に >>407
そこを掻く癖があったからハゲていたのです 勝海舟は慶喜の新政府入りを常に反対していた
勝は慶喜が担がれるのをすごく警戒しいていて
明治4年に慶喜の政府入りを検討されたけど 実現せず
小松が健在なら 久光の満足する地位に処遇するだろうけど
それでも 小松大久保は久光のお世話が大変なことには変わりないw… 「江東醜態笑止ナリ」って瑛太が日記に書いてほしかったね 同じ郷中の先輩(西郷)後輩(大久保)だから最後まで本人達の意識は
西郷>大久保だよ
西郷の中じゃ大久保は偏屈で協調性がないけど使える後輩ってとこ
西郷大久保が対等で無二の親友だったとか西郷人気利用して大久保上げたい
作り話 >>412
やっぱりそういう理由だったんだ
ありがとう ドラマ的に、いよいよ盛り上がってきたね。
人喰いのアクション凄いわ。刀で鉄砲を切断か >>420
示現流ってあんなるろうに剣心みたいなアクロバティックな動きする剣術やったんやな(すっとぼけ) >>411
>>413
下級が実権を握ることが重要だったんだよね
そりゃ金正恩が政府内にいたらまともに意見できるわけない 半次郎が賊のふりして乗り込んでくるところ
ブワッ!とかビュン!の効果音ばかりやけにデカくてうるせえわ >>415
先週、先々週のドラマ見てると、
西郷の意識は明らかに兄弟喧嘩なんだよな
先々週も、洋行から帰って来て後藤江藤らを追い出せと駄々をこねる弟分に
我が儘言うなら出て行けと兄貴分として一喝して、
これも、何れ戻って来るだろうと言う兄弟喧嘩的な感覚で
先週も、喧嘩ならサシでやれば良かっただろうと怒鳴り付けながら
言うだけ言って自分のホームに帰って行った 来週は前原一誠も太田黒伴雄も宮崎車之介もナレ死だな >>405
寧ろ逆
小心者で策略化は
実は従道が政府の情報を筒抜けにして
薩摩に垂れ流すのを恐れていた >>422
しかし、もしも久光がもう少しだけ我慢強くと言うか狡猾に、
官位通りの席で常時閣議に参加してたらどういう事になってただろうな
どっちの立場でも胃がヤバくなる事だけは確かだけど >>406
脚本的にそれは先週で片付けたんでないの?
西郷の名に恥じぬようおいが兄さぁの分まで食らいつく アクションは凄いけど、私学校に入るのに必要け?
普通に合流しろよ。とも思ったり。
真田丸の佐助みたいに活躍する前振りか? >>410
そりゃ尤もだ。
西南の役で重要なキャラなんだから、前半からもっと出しておかないと。 >>429
やるだけやった後に顔を晒してなんか言ってたけど
あの場で射殺されても文句言えないくらいの乱暴狼藉よな >>427
そもそもその場に西郷と大久保はいないだろうね
公家と殿様だけ >>408
これだな
基本明治で幕末は所々で回想するくらいの構成で取り組むべきだった
視聴率はアレだったかもしれないけどw 花燃ゆでは確か、長州でも反乱がおきてたが、あれはいつごろなんだろう
木戸さんが反乱について他人事みたいに言ってたが、大丈夫なんか 江藤新平は最後に「オオクボー!」って叫んでほしかったね 従道は西郷家のこともあるけど 現実路線を選択したのかと思っている
西南戦争が終わった後山縣が 西郷の死を嘆いたが従道は 誰よりも悲しいはずなのに
山縣を慰労し 現実路線を語り 山縣は従道を絶賛した
従道は自分より優秀な山本権兵衛を育てる決意をしていた
大久保の死後薩摩閥の領袖は西郷従道 柄本明が出てたの覚えてますか?長州力は忘れていませんね、クリスマスケーキの御予約はお早めに >>429
普通に入るのが、テレ臭かったんじゃないの
西郷さんにあんなこと言った手前 それにしてもやっぱり明治の今のメンツはおかしいわ。
普通は藩の部下が中央にいってるだけだろ。定期的な報告が必要のはず。
もし斉彬、毛利敬親が生きていたらそうなっていたはず。 >>438
照れ臭かったで思いっきり日本刀でぶっ叩かれた方はたまったもんじゃねぇw 紋次郎は西欧のハットを被ってたに見えたけど違うかな?陣傘?
後頭部が禿げた人は気の毒だわなwでも、西郷のせいか? >>436
山本引き上げたのは
大きいな
今回は影も形もないけど 士族集めて教練したら、そりゃ政府転覆計画だと疑われるよな ドラマの内容は史実に沿ってはいる。
ただ西郷が実務能力に乏しく、明治政府では有能な人物ではなかった
ことが描かれていない。
例えば士族救済に関しては、1871年(明治4年)から1873年(明治6年)
にかけ士族による北方警備と開拓を主唱。桐野少将に現地調査をさせながら
結果を出せなかった。
その後黒田清隆が1873年11月に太政官に屯田制を建議。
太政官は黒田の提案に賛成し、1874年(明治7年)に屯田兵例則を定めた。
1875年(明治8年)5月、札幌郊外の琴似兵村への入地で屯田が開始された。
屯田兵の下士兵卒には東北諸藩の士族出身が多かったので、戊辰戦争の敵
だった鹿児島県士族を相手とする西南戦争に奮い立った。
あと西郷に私学校を運営する能力があったのか?
西郷隆盛が二千石、鹿児島県令大山綱良が八百石、桐野利秋が二百石を拠出し、
また参議大久保利通も千八百石を拠出したとあるが、同年11月、東京の
市ヶ谷に陸軍士官学校が開校している。校長は元柳川藩、陸軍少将の曾我祐準。
大久保が西郷から私学校をやると聞いた時、ならば陸軍士官学校校長をと
依頼しても不思議ではないが、西郷がフランス式についていけず断ったとも
考えられる。 ちなみに従道は兄の隆盛に 下野する前に
一度海外に視察に行くべきだと諭したけど 受け入れられず
隆盛のことに関しては いろいろ思うこともあったはず…
こうなった以上は西郷家は自分が守る決心がついただろう
熊吉が菊次郎を連れて上京した時は従道は大喜びだったとか 江藤はフランスの民法等の法律をそのまま全訳して、
「表紙を日本国民法にしたらいい」とかしてたので
フランスの刑法もそのまま適用しようとしてたりして、
と思う今日この頃 私学校であんなに剣や大砲の訓練したら疑われてもおかしくないと思う。産業や語学に特化すれば良かったのに! 帽子被ってる奴が村田かと思ったら村田は別に出てたんね
あの帽子被ってるの誰? そういえば、今回の西郷どん、まるで完全に隠居生活を送る、みたいな雰囲気だったけど、
本で読んだら、このとき陸軍大将の地位はそのままだったとか
これって、ただの予備役的な陸軍大将だったのかな
軍部内のこんな立場で士族を集めて軍事教練なんか初めて、なんの他意もなかったんだろうか 大久保はこのままではドラマ的に
非情にまずい立場なので、少しは
白くsぢて暗殺される場面もでるだろうね。 上から下へ、いわゆる叩き斬ってやる!じゃなくて
下から上へ振り上げて斬ってるのも凄い。
大河の肝心の歴史パートが霞んだw
西郷が止むに止まれず死亡フラグへ・・は伝わって来た >>434
前原一誠の萩の乱は明治9年なので、もう少し先。
でも、この大河、前原居ないし起きないかもねw >>451
元々の発想がイザ鎌倉!だったからな
現実問題としてその時は十分あり得ると踏んでたんだけど
一蔵どんが陣頭指揮に立って近隣諸国との関係を局地戦で収拾させて国交に漕ぎつけた事で
士族の出番なしに外交実績でも明確に西郷どんに差をつけたから
いよいよ行き場がなくなったと言う面もある >>366
戻っただけで反乱起こるとは予想しにくいよ
それより私学校作ったのが間違い
人が集団になると危ないのが分からなかったのかな >>453
少し前にも書いたけど、
実際には今後もアジア外交で士族の武力が必要となる時が来る
その時こそ政府と薩摩士族が一体となって大同団結で
と言う構想だったものが
一蔵どんが自ら海外渡航しての獅子奮迅の外交努力で
最小限の武力で外交決着させたものだから
結局最大の見せ場がなくなった 「おじいやん」は、ちっとは西郷家にカネ入れてるのか…? >>453
まぁ大久保もだけど西郷も本来なら士族として困窮する側にいたからな
だから見捨てては置けなかった
けど時の流れは残酷で士族を軍事力とする時代は終焉してた
そのシンボルが佐賀の乱だったのにスルーしたのは作劇的にみれば
西南戦争の伏線を捨てたも同然 佐賀、萩、熊本、そして薩摩
これらが単発ではなく手を取ってまとまって立ち上がったなら、歴史は変わっていたかな >>456
花燃ゆの場合、おじさんや甥っ子にも関わる事件だったから、取り上げたんだと思う。 おじいやん。は居候で酒浸りで、夜明けの停車場を歌う毎日です。 小松が健在なら 無駄な争いも少なく
戦争も最小限だったかもしれないが
政府内こと海外の交渉等 薩摩閥久光のことなので
心労で早死したかもしれない
木戸も心労 病弱理由で 早死…
木戸は明治初年から体調が芳しくなく
後10年生きればいいと悟っていた 西南戦争は政府側が煽った感じだったが歴史上合ってるのか? >>460
その士族の武力が最早不要とされたのが佐賀の乱
せめて「士族が農民兵中心の政府軍に破れた」という描写を少しでも出してたら
西南戦争の行方という伏線に持ち込めたのに >>456
ありがとう
ナレーションで触れるとか、「各地で反乱がぼっ発しました」くらいの扱いでやりそうね
>>460,462
結局、中央政府との意思疎通がうまく取れなかったとか、そういう理由なのかねぇ
今と違って連絡を取ろうにも、タイムラグありまくりだもんなー
西郷どんといえども、血の気ばっかり多い若い連中の、青春の暴走を抑えきれなかったのか >>458
どこにも属さない武装した人間がそこらへんに何百人も放浪してる状況のほうが怖いわ 大久保の本妻どうしてんのかと心配してたけど出て来て良かったわ 形だけの近代化
シビリアンコントロールと言う概念の欠けていたのが古き良き日本
その所為で幕府は滅ぶし暗殺が横行し士族紛争が各地で勃発 >>429
恥ずかしかったのと刀の時代はまだ終わってないことを証明したかったのかもしれない。 >>469
現在みたいに密に相手と話せる世界ではないのが前提だからな シルクハットに覆面で紋次郎登場!の時にセーラームーンかと思った >>465
それは石橋正二w
じっちゃん奄美からちっとも
歳をとっていないけど西郷家をしっかり守ってる。 >>463
大阪を抑えれば金を押さえれるから一気に有利に >>463
良いか悪いか頭が固いから時代に取り残された面々だから、
大きい目的の為に小さな違いを妥協する、みたいな事は出来ないだろうな
もし東北雄藩が健在だったら、挟み撃ちだった可能性は…あるのかな? >>469
不平士族って結構中年の嘗てそれなりの役職についてた連中多かったってよ
新たな歴史の流れに取り残されたのは寧ろそっちの方が妥当
寧ろ若者の方が割り切り早かった 留守政府の時は反乱なんて起きてないんだから
それだけ大久保らが嫌われてたんだって 討幕は薩摩中心と言えば賛否両論あるだろうけど大久保は
明治維新後 薩摩では小松西郷大久保の3人が中心でやり遂げた発言しているね
幕末の大久保は割と元気で病気にもならなかったんだけど
明治維新後自分がトップに立つと 胃痛に悩まされる日々
西南戦争の頃は うつ病…
…つまり小松西郷大久保の早死で 長州の伊藤山県の時代になるわけで 今日思ったが、脚本より演出の方が悪いのかもしれん。
糸さの「今度はおはんらが自分で動く時じゃなかね」で久々に感動したが、
余韻を楽しむ間もなく場面が切り替わった。
あそこは1分ぐらい引っ張ってもいい。
あと桐野が群を抜いて大根。ああいうのが1人いるだけで興ざめする。
逆に北村が達者で面白い >>482
日テレ白虎隊で桂小五郎
日テレ田原坂で別府晋介 >>470
放浪してたら住民は怖いけど戦争にならない
集団が団結するから戦争になる
その中心にいるのが人徳ある西郷だからさらに団結力強い >>484
北村の細かい芝居は面白い。
西郷からの上申書の箱開ける時のめんどくさそうなしぐさとかw 今話みて、どっかの学者先生の「チャンバラは無かった」の話を思い出した
しかし、あの私学校、やってる事て軍事教練だよな >>459
サンキュー
翔ぶが如くのせいか帽子=村田新八のイメージがあった >>489
西郷にしてみたら、それがのちに大久保の
役に立つと思ったのかも知れないね。
結果は真逆だったけど。 西郷はロシアを警戒してたから私学校の軍事力はそれに備える為だろうよ >>487
うむ
「それも・・・ここだけの話じゃがな!」という突然の絶叫とか
アドリブ込みなんかな、とか思いながら見てた 大野ってアクション俳優なのか?
一瞬、歌舞伎屋かと思った。 これからの日本は富国強兵は西郷・大久保の共通認識だったから、西郷からしたらその中心になる強い兵を育てようって発想かもしれないが
時勢からしたら、火種になるの目に見えてるよな あれだけアクションするなら仮面とマントも欲しかった 例の私学校はどうやって
鶴丸とかラサールとかと
つながってくるのかのう 来週は熊本へ進軍のとこで終わって、次は熊本城田原坂、鹿児島へ撤退
最終回城山か >>486
放浪するだけでは生きていけないから賊になるよね
強盗殺人レイプなど あの殴り込みの場面、無駄に突っ込まずに距離を取って半次郎を小銃で撃ったら半次郎さん即死だけどな
政府軍の薩軍抜刀隊に対する対策がそれだったから
乱戦に巻き込まれない様に狙撃兵を周辺に配置して、抜刀隊が斬り込んで来たら小銃で狙撃して一人ずつ倒していく 西郷も学校つくるなら大久保に一言趣旨を話しとかないといかんよな。
あれで大久保から刺客を送られたら自業自得としか言いようがない。 ラサールはキリスト教徒のおっさんが作ったんで、西郷の私学校とは全く別物だろ。 槍持ち1人には刀持ち3人で互角って言われてるそうな
リーチが違うからね 私学校って、この頃に鹿児島で創立した学校の例えとか総称だと思ってたけど
まさか校名そのままだったとは >>504
確かにね。江戸に暴徒を放ったり、焼き討ちを
模索したり、ドラマ像と矛盾を感じることは多い。
ただ、本来敵だった旧政府軍の末裔がいまも
西郷の肖像を自宅に掲げているのを知って
良い人だったと思っているけど。 実際神風連の乱で斬り込みで敗走熊本占拠されたからな熊本鎮台 >>504
あの私学校創設には大久保も資金出してるんだから創設理由を説明してない筈がないが 歴史史実パートは有ったけ?有った気もするけどアクションに持って行かれた気が
歴史パート何だっけ? >>504
実は私学校設立に大久保も資金出してあげてるの >>513
江藤が佐賀の乱起こして負けて
捕まって斬首晒し首 >>463
他者との連携を取れるタイプかが、鎮圧される側か否かの違いに思える かつて最も過激だった長州の反乱が小ぶりだったのは意外 神風連の乱が無ければ私学校も熊本鎮台を舐める事はなかっただろう 桐野の立ち回りは多分、薩摩軍の「剣」は俺がたたき直すという意思表示
ますます物騒になるわけで、それを笑顔で見る西郷というのもよく分からんな。何がしたいのか
史実でこうだったからこうだ、という補完レスはいらんけど >>513
岩倉が土佐士族に襲われた
大久保が満寿を東京に呼び寄せた
西郷が鹿児島に私学校を開設した
菊次郎が留学から帰ってきた 鹿児島の男性は、あんなアクションできるのか。
隼人と持て囃されて人気が凄いのも納得だわ >>520
近代戦で火力が戦国時代とは桁違いなのに耐えきった熊本城は確かに凄い
他に近代戦の火力に耐えきった城といえば秋田の久保田城位しか無かったなぁ >>517
メインの脱退騒動は明治2年に終えてますし。
(アレは藩政府の対応が最初から最後まで下手過ぎてな……) 私学校作るのはいいとして、そこで軍事教練まで行ったら反乱の種になるに決まってる >>524
耐えたのは掘りと城壁であって天守閣とかはとっくに焼け落ちてたけどね >>526
でも実際はともかく、ドラマのあの体育会系バカ共に、「座学だけやってろ」って言っても絶対納得しそうもないと思う >>526
西郷がちくいち大久保に報告していれば不幸な戦争は
なかった。かも。 江藤も前原も大久保の罠にはまった感もあるなあ
政府が討伐するぞって情報流したり、薩摩からの同盟も申し込みの使者(偽物)を仕立てたり
早期暴発させて各個撃破し最大最強の薩摩と呼応させないようにしたっていう >>528
欧州帰りが中心になってスポーツで発散させるとか・・・w 黒木華、本当に着物に日本髪が似合うね。
北村有起哉の大山何とかって大山巌となんか関係有るの? 西南戦争は1ヶ月半かけて丁寧にやってもらいたかったが流れを見てて夏頃に諦めた
西郷を悲劇の英雄にし伝説の偉人となって現代に至る人気者にした重要なパートなんだが、
しかし今回の大久保の悪逆非道な描き方は何を根拠に創作したのか知らないが小生が最も尊敬する近代の政治家だ 鈴木亮平、イメージは実によく似せているな。
満寿が西郷家に避難してきた時のカットなど、西郷の肖像画を見ているのかと思ったぞ。 佐賀の乱、あっさり終わったなぁ
台湾征討とかのエピソードはやるのかね?? >>527
薩軍の包囲強襲でも城は落ちなかったのは事実だけど
1877年2/19に天守閣と本丸御殿は焼けてるんだよな
政府陸軍の石光真清なんかは多くの熊本人達がそのことに泣いていた手記も遺しているのに
今となっては西郷が「清正公に負けた」と語った、などと流布されているw ダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯強烈薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダゴーン今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害山林焚書死テa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ若竹口爆発害ヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1442312377/ >>480
「時代に取り残された中年たちの反乱」
なんか、「夢に破れた若者たちのやり場のない怒り」みたいなイメージだったのが、いっきに哀愁漂う感じに・・・・ >>540
下級武士に生まれた若者こそ家の身分に縛られられない生き方が出来るというのは
それこそ西郷や大久保というロールモデルがいるからねw
何でも士族でも新政府になっても生き残れたのは2割り程度だってとか聞くけど
「武士の家計簿」の猪山さんはその2割側という なににせよ故郷に帰れないようなことは
するなという教訓だな。ドラマにはないけど
実際は西郷と大久保は亀裂が生じていたのでしょう。 江藤と西郷が会ったのは鰻池だろw
なんで江藤が西郷の家に行ってるんだよwww >>538
そもそも薩軍は熊本城に対しては兵糧攻めの方針だったから、本気で攻城戦もやってないし。 菊次郎は、再来週あたりに右足を切断手術することになるのか >>481
留守政府の政策で財政圧迫して、地租改正や秩禄処分待った無しに
なったわけですが…… >>538
熊本城攻防戦は2月22日開始なので火災はその前だろ、火災原因は未だに不明だっけか
当初は官軍の人員は4000人、薩軍の人員は14000人。薩軍も熊本城陥落派と戦力分散派でグダグダだった
もし城を陥としたところで大勢に影響はないだろ。結局、薩軍は兵糧戦の方針も全うせず
熊本城包囲の兵士を大幅に減らして北上するが、どのみち官軍は続々と援軍を送るので九州内で決着がつくのは明らか >>243
何を作ろうが身分を補償された立場の人間に
創造的な仕事なぞ期待できんよ 「不平士族たちの乱」ってサブタイトルを打ってる割には
不平士族の反乱のトップバッターな佐賀の乱の扱いが小さいな
それよりも大久保家の正妻云々の方の扱いが大きいって
NHKがちゃんと戦闘シーンにも予算を当ててない所以だからだろうな
話の尺の取り方にも影響が出てくるし
いろいろガッカリだったわ >>551
士族の不平不満とそれに伴う士族の戦力が時代遅れになってるというオワコン扱いこそ
佐賀の乱で描かねばならないのに >>551
このドラマは正妻云々ガーとか愛カナガーとか重視なんだからしょうがない
翔ぶが如くではタイトルを「佐賀の乱」として江藤新平をフィーチャーし
大久保の佐賀入り、佐賀城攻防戦、江藤の晒し首までやったのにな
予算は西南戦争のドンパチで多く使われることを願いたい >>552
いっときでも迫田ちゃんを主役にするわけにいきもはんw 西郷の肖像を自宅に掲げているのを知って
良い人だった >>553
マンガチックではあったけど剣の使い手、半次郎がチャンバラを披露するのは悪くないと思った
もっといらんシーン沢山あるわけだし >>559
京都編で剣の使い手という描写がなかったからなあ。
あそこでやっても阿保らしいとしか思わなくね? でもラストの半次郎の殺陣かっけー!大野超絶イケメンじゃんか!で最後かっさらわれたわ。
半次郎のせいで江藤さん不憫と瑛太パパだとほっこりはんなとことか、全部すっ飛んでもうた。 >>560
京都の赤松小三郎斬り、江戸の刺客斬りの一つでもやったほうが良かったかもな
まあ、ガキの頃に西郷に棒きれで襲いかかった描写でもって腕が立つってのはあったからなw >>536
よー分からんが短髪の上に整髪剤で後ろに流してんのか?
バリカンで坊主にしろよ 西田敏行は西郷に似さすために
口の中に綿を詰めて演じたんだっけ 江藤さんを奄美大島などの離島にかくまってやればよかったのに
西郷さんと江戸の町を嬉々として歩く江藤さんがよかったな
江藤さんがいる西郷内閣では一体どんな世の中になっていたのだろう >>565
自己レス
西郷さんと一緒に歩く に訂正
>>561
かっこよかったよね
日本でも三国志を制作できそうと期待してしまううぅ 2018年11月25日00時37分
【台北時事】台湾で24日行われた10件の住民投票(国民投票に相当)のうち、福島など5県産食品の禁輸の賛否を問う住民投票は、賛成票が規定の数を超え、成立した。これにより、輸入再開が2年間禁じられる見通しだ。
台湾の選挙委員会によると、賛成票は午後11時(日本時間25日午前0時)時点で、570万票以上に達した。台湾の法律は、賛成票が反対票を上回り、有権者の4分の1(約494万票)を超えれば成立すると定めている。
台湾当局は東京電力福島第1原発の事故後、福島、茨城、千葉、栃木、群馬の5県で生産された全ての食品の輸入を停止している。日本側は繰り返し輸入再開を台湾側に求めてきたが、住民投票成立により、実現が遠のいた。投票は、最大野党の国民党が推し進めた。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2018112500009&g=pol
アホエベンキ韓唐クソ笑わすな 西郷隆盛は一年じゃ無理だな
私学校の設立には大久保も大きく関わってるのに
なんじゃこの端折り方は 大山さん
・薩摩一の剣豪
・久光の懐刀
・西郷とはいうほど仲は良くない
・鹿児島県県令になっても中央に税金は納めない
・私学校に金を出す
・西郷に密偵を送った中央にぶちギレ
・西南戦争で金を出す
・大久保たち新政府軍の妻女親戚を保護
・西南戦争で負けると全責任を負って斬首
・大久保に「おいと吉之助さあと戦死者以外のを賊軍にしたらおめーの子供時代の恥ずかしい過去をばらすぞウンコ野郎」という手紙を送る 江藤軍って佐賀から陸路で鹿児島目指したの?
福岡、熊本ラインを政府軍に追われながらよく突破できたな >>534
苗字が同じだけで、親族ではないみたい。
詳細はwiki >>573
中岡慎太郎も江藤新平も、いきなり夜中に西郷の自宅知ってるんだ!みたいなw 「”咲”があんなにしたたかだったとは…」
なんて、大谷亮平は思ってたり。 >>569
それに関しては、ほとんどのドラマではやっていない
『翔ぶが如く』でもね 斬首の上、梟首というのは、江戸刑法で明治刑法じゃないからな
しかも明治刑法を作ったのは江藤
この時点で大久保の凄まじい憎悪が分かる
江藤の仕事も人物も全否定したわけだし >>576
4月1日や7月8日に、あんな道草したのが元凶の1つだろうな。
それこそ「つまらーん!つまらん、つまらん」の極みだったし。 >>570
かつて戦国時代を舞台にネタは豊富にあるのに46話で終わったシエなるドラマがあってだな・・・
47話でもバランス良く振り分けられるのならそれに越したことはないけど 篤姫が何度も一緒に逃げてくれいうのも結果的にはくどかったな
地震のときに覚悟決める一回で十分だった >>580
明治3年の終わり作られた「新律綱領」はまだ梟首が残ってたけど、
「改定律例」は無くなってたっけ?
フランスの刑法と従来の量刑をブレンドした刑法ができるのは
江藤の後任の大木以降だったような。
江藤がフランスの刑法を全訳してそのまま適用しようとしてたのは
結局できないままだったかと。 大山さんのお仕事追加
鹿児島県だけ廃刀令も秩禄処分も行わず 番宣から予想はできてたが大久保が普通に嫌われ役で、実際嫌われてたとはいえ哀れだ さすがに視聴者からの不評に耐えきれず、打ち切りか?
大河初wwww なんで、いやなやつ良いやつとか、善と悪とかもそういう色分けになってしまうのかねぇ
考え方の相違があるだけで、善も悪もいいやつも悪いやつもないでしょう、政治に。
飛ぶがごとくなんて、どちらも良い人にみえた おんな子供が書いた脚本だから
いいもの と わるもの しかいない世界。おんな子供 今薩摩に向かっちょいもす!
何か晩飯で美味か店はごわはんか? >>586
おっしゃるとおり新律綱領( 明治3年12月20日布告第944号)の時点では梟首、斬首は廃止されていなかった
江藤死刑時の改定律例(明治6年太政官布告 206号)についても笞(打撃刑)杖(打撃刑)徒(刑場収容)流(配流)
は廃止されたが梟首、斬首は依然として残り、刑罰の遡及適用、類推適用も認められるなど完全なる刑法典とはいえなかった
1879年明治12年太政官布告第1号によって梟首の廃止
1882年1月1日施行の旧刑法によって斬首の廃止という流れだな
問題は江藤が司法判決ではなく政府の干渉により死刑判決が下されたという点か >>596
あの当時、「司法と行政が別」なんて誰も分かってない。大久保ですらw
江藤だけがそれ分かっていた(でも死にたくないという卑怯な動機とみんなに誤解されてた。
武士の癖に、とwww)という悲喜劇www 私学校の生徒の一人が銀縁メガネをかけてるように見えるのですが
見間違いでしょうか?詳しい方、教えてください。 瑛太ってチンピラにしか見えないな タキシード着ても品がない 前任(?)が、鹿賀丈史だからなw かないっこないw >>602
うん。来週、西南戦争でもう終わりっぽ
大失敗w
失敗作wwww >>602
第45回(12/2)「西郷立つ」
第46回(12/9)「西南戦争」
最終回(12/16)「敬天愛人」※60分拡大版
総集編(12/30)13:00〜17:35(ニュース中断あり。詳細不明) 西南戦争のあと、もう1回分、ホームドラマがあるのかwww
誰が見んだよ?w 天を敬い人を愛する、って、これまでの西郷のどこにそんな思想があったのかね
やたらイクサ仕掛けてばかりで、ほっといたら半島ともはじまっていたかも それどころか、中央政府の要人だった自分の弟子を引っこ抜いて鹿児島に呼んで
内乱を起こした首謀者だもんなぁ・・・ >>597
すでに五箇条の御誓文には三権分立が謳われていたのにあらゆる解釈、介入の隙を与えて
運用の意味をなさなかったなw >>549
>結局、薩軍は兵糧戦の方針も全うせず、熊本城包囲の兵士を大幅に減らして北上するが、
?、兵糧攻めにするにしても熊本城に立て籠もる政府軍を孤立させる為に少数の警備兵を残すのは仕方ないと思うが? >>503
歩兵銃持ち出して来た奴が、わざわざ半次郎に向かっていって刀の間合いに飛び込んだのがバカ過ぎる
10mぐらい離れて射撃、又は、物陰から狙撃すれば済む事で、それが本来の使い方だ 近藤勇の梟首は瓦版だったのが江藤になると写真というのも時代の流れだな 桐野利秋と村田新八と川路利良
主要人物でこれまでも何度か出演してるのにいまだに顔をおぼえられない
桐野の場合、思い出そうとすると八重の桜の斎藤一の顔が浮かんでくる え?最終回の「敬天愛人」の回で西郷が戦死するんじゃないの?
その前の回で戦死しちゃうの? >>620
だって、来週(ラスト?)には西南戦争だよ?
あと何やるん???ww
むしろ、西南戦争であと3回もひっぱるってww >>616
次男の牧野伸顕留学から帰ってきた頃かな
親父に負けないぐらい大正〜戦前に影響力持った人だけど >>617
「みんな西郷さんを慕う若手です」って描き方しかされてなかったからね。
村田は下野、川路は残って密偵送る、ってその差は何?って思う。
桐野の人斬りも唐突だし、例えば川路は現実主義だよ〜みたいな性格描写とか入れとけばよかったのに。 >>617
「西南戦争あっさり」が明らかになったし、その中心人物である桐野も
それ相応の軽い役者を持ってきたってことでしょうな
あの桐野で西南戦争を2ヶ月やってもらわなくてもいい そういえば、翔ぶが如く(原作のほう)の出だしは、フランスの列車内で川路が脱糞するシーン
からだったな。司馬遼太郎としてはかなりのビックリものwww >>596
3月14日に佐賀に到着した征討総督の東伏見宮嘉彰親王が
どこまで大久保の影響下なのかの文書が残ってないので
「心象的に黒」以外はなんとも言えません。
征討総督が着任した時点で形の上では親王に全権移譲されてるので。 > こんばんは、鈴木亮平です。
>
> 大河ドラマ『西郷どん』
> 先日26日、全ての撮影を終え無事クランクアップしました!
> しかしながら!
>
> 撮影は終わりましたが、ドラマはこれからがクライマックス。
> 僕も最終回を皆さんにお届けするまでは、気が抜けません。ロスになっている暇もありません。
>
> ここからは、僕も皆さんと同じ場所で「西郷どん」の世界を体験していきたいと思います。
>
> まだまだ年末までよろしくです! >>625
川路が現実主義者ってのは蛤御門の戦いで描写されてた 幕末が長すぎて蛤御門が大昔すぎて視聴者の多くも忘れてる
結局ドラマとしての構成と展開がおかしいから唐突にしか感じられない >>449
信吾が真っ当なこと言ってるのに聖人面で突っぱねてるんだよね
海外を見てないから大久保の言ってることが分からないだろうと言う考えからの進言だろうに >>592
どちらも良い人なんてつまらないよ。面白いシナリオはどちらも悪い人 >>484
桐野ホント下手だよねー
頭悪いのが1人でいきり立ってるようにしか見えず人望も何も感じられん 「翔ぶが如く」では征韓論が反故にされて憤激した桐野が
岩倉に「首を刎ねる」と脅迫したし、同席した江藤は
「天皇は専制君主ではない」と恫喝。
また桐野は征韓論を潰した当事者を大久保本人に問い、
大久保が自分だと答えると、憤激していきなり刀を抜き、
同伴した吉田清成が必死に止めた逸話もある。
そこまでやったら政府に居場所はないだろうと思っていたが、
「西郷どん」での桐野は、西郷に復職してもらう為に職を辞して
後を追ったという話だった。
「翔ぶが如く」の桐野は反政府ゲリラのリーダーみたいな
印象があり、杉本哲太のツッパリ、ヤンキーなキャラと重なって
いたが、「西郷どん」の半次郎はどうもカルトの信者ぽい。
となると西郷は教祖、熊本・・・麻原彰晃とオウム真理教みたいなならないか?
まあ面白ければいいけど。 >>616
自己破産して信用を失っただけです、
西郷と熊吉のような家には住んだみたい。 大久保はマイホームパパだという一面は癒された。スピンオフがあったら大久保の家庭を中心としたストーリー見てみたい 西南の役の薩軍の実質的司令官は半次郎。
その半次郎に唯一反対を唱えることが
出来たのが親友の永山弥一郎。
一方先輩格の新八は半次郎には何も言えずに
ひたすら沈黙を貫いたまま。
新八が半次郎に先輩として一言ガツン言っていれば
西南の役は起きなかったかも知れない。 >>639
そうじゃなくて
西郷の話になんで熊本が出てくるんだよってのw >>625
新八は19世紀の西洋工場労働者の実態も見てきたからだろ
セリフ聞いてなかったの? というか士族ってバカなんだろうか?今更政府倒してどうするの?
武士の時代に戻せとでもいうの?西郷達はそこを説き伏せなければ
いけなかったんじゃないか?大久保は国を強くするために
私学校を許したのかもしれないが無駄に私学校を強くしてしまった
側面があるんじゃないか?幕府というシステムがないのに武士の世に
戻せたとしても働き口なんてないのに。幕府を借りに戻せたとしても
フランスとかイギリスの植民地化にどう対応するの?
そういう”現実”を教えて士族たちに説き伏せることもできないなんて
そりゃ暗殺されまっせ。武力行使ではなく情報戦略にでるべきだった。
西郷なんてこのシステム(新政府)にした張本人を担ぎあげて大将にするとか
間違いなく西郷は状況的に乗り気じゃなかったのがわかる。というかもう
死んでもいいと半分思ってたんだろうなw >>643
お前、ID変えながら長文投下してるだろ >>617
三人とも幕末から出ているけど、ほとんど見せ場がないから存在感が希薄だよね。 >>645
じゃ、ハゲのお前の前のレスまでか。これは失礼 西郷軍の幹部連中が学芸会だったから東映任侠路線で自己変換した
半次郎 渡瀬恒彦
新八 千葉真一
習志野 梅宮辰夫
別府 片桐竜二
大山 佐分利信 >>648
習志野とは・・篠原国幹ということで
間違いないですか? >>643
政府を倒すから武士の時代に戻せということになるの? そもそも政府を倒すつもりかもわからん >>650
目的が散ることなら大迷惑だわ。
どうせ散るならフランスとかイギリスに
向かっていけばいいのに。 >>643
ここでも一読しましょう
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176392836
簡単に言えば、社会構造の変化でそれまで特権的な身分で生活保障を受けていた旧階級の人達の中で
時流に乗れず生活に困窮する者達が集まって自分達の特権回復や救済を政府に要求する為に武装蜂起
に至ったって単純な動機です
現代だって似た事例は沢山ありますよ >>652
士族の目的なんか俺が知るわけないだろう。
バカなのかな君。 廃刀令は大きな理由ではありません
生活費を得る為に刀を売る旧武士などざらにいましたから、それほどプライドあったわけじゃありません。
職が無い、政府の救済も無い、これが彼等の不満の筆頭です、逆に言えば、これが劇的に改善されれば
不平士族の不満は穏便に収まったかもしれません。(まあ、人数的に当時の政府に彼等を救済する財源
など無く、公的支援無しに民間レベルで彼等を受け入れられる雇用があったかと言うとありませんし)
で、その自分達の困窮を分かってくれて救済してくれそうな政府内の要職にある人達が政争に敗れて
一斉に下野してしまった、これで自分達の救済の道を断たれた訳です。
それが大久保達の一派のせいとなれば恨まれますし、彼等を政府中央から引きずり降ろして、自分達が
望む人物に政府内に戻って貰おう、それが不平士族の反乱です。
なにも明治政府をひっくり返して幕末に戻そうなんてバカな考えはしていません、自分達を蔑ろにするグループ
を政府から失脚させて、自分達が望む人物を政府に戻して自分達を救済して貰おう、その為の武力闘争です
古今東西、こんなのはどこでも起きてますし、現代だって非先進国の未成熟な世界では良くある話です どうせ真理子中園犬HKのトリプルタッグによる創作芝居なんだから引き留める大久保卿に「ば〜か!お前となんか組めるか、この包茎短小野郎が」ってアコーディオン弾きながら啖呵きる村田新八を見てみたかった
ついでに残留の意志を表明する川路どんに「お前は大久保のかませ犬か、コラ」と蠍固め >>628
「江藤新平と明治維新」という著書に書いてあることなんだけど
東伏見宮嘉彰親王は大久保が征討総督を差し置いて江藤の死刑執行を決めたことに怒り
死刑が行われたその日に行き先も明らかにせず早津江から船で佐賀を発ったらしいw
でもこの著は「親王が怒ったらしい」と推測的に述べているだけで親王が処刑反対の意思を示すために
このような行動に出た確証は無く当初の親王のスケジュール通りのことだったかもしれない >>633
良いとか悪いとかいうのが、そもそも幼稚
そういう越後屋と紀伊国屋のタヌキじじいのだまし合いみたいのは
安物の捕物帳でやればよい >>490
半次郎はオシャレで有名だったらしいからな。
おおかた洋行帰りの誰かの土産だろう。
本当なら、昨日も私学校の門をくぐった時点で
香水の匂いで正体がバレてるはず。 >>643
やっぱり食いッぱぐれた士族が多かったんじゃね
俺たち薩摩隼人が維新を成功させたのになんで俺等が食いッぱぐれるんだよ という不満かね
飯が食えないほどひもじい事はないからな 百姓一揆も米騒動も食いッぱぐれた者が起こした反乱だしな
※個人の感想です 何だかんだで、後2回か。一年が早いね。
西郷どんが、さりげなく犬飼ってるし。 武士の家計簿
官職にありつけた士族の猪山さん=年収3000万円
官職にありつけなかった士族の猪山さんの親戚=年収300万円以下(100万円の人もいる) 最初の奥さんと、愛かなちゃんはもう、出ないのかな? 大久保は私学校には肩入れしてて
鹿児島での勢力拡大を不安視して
内偵など圧力をかけたのは木戸ら長州閥だろう
大久保憎しに単純化させすぎ 西南戦争はこんなクソドラマ見るより
日テレの田原坂か榎木さんの半次郎でも借りて見たほうがいいぞ 征韓論のについての大久保と西郷の議論や、江藤が佐賀の乱後に西郷を訪ねてくるところとか
わざと「翔ぶがごとく」とは異なる物語にしてないか? >>570
大晦日の紅白の時間を削って
大河ドラマSPやりゃいいのに
視聴率も稼げるだろうに >>670
日テレの田原坂って丹波哲郎の演技が丹波哲郎にしか見えない 結局、こんな話にした方が面白い・・・って視点で作ってしまっているので、史実なんて大筋その通りであれば良し、それよりもドラマとして面白さ追求で良い
そんな感じですね、最近の大河の姿勢は、NHK教育でやる様な歴史解説ドラマを作ってるんじゃない・・・って感じです >>671
翔ぶが如くと似たような感じだったら
翔ぶが如くのほうが作品として上回るから
しかたない 洋行組の描写も入れておけば信吾や川路が何を考えて政府に居残ったのかも
理解できたのかもしれないけど西郷がいない場所の描写は基本すっとばすからな 昨日、佐賀での中園の講演会を聞いた人が内容をツイートしてた
主催者に何か言われたらしくツイートは削除済み
読んで覚えてるのは、江藤についてはもっと書いてたが編集でカットされた
西南戦争には5話かけるつもりだったが、NHK側は1話でいい、話し合いの結果
2話になったと 鹿児島県士族は維新後も旧藩時代の収入以上を保障されているから
戊辰戦争で功績のあった階層は生活に困っていない >>673
丹波哲郎はいつも同じ演技だったし、
制作側もそれを望んで配役してたw この大河は西郷RPGで
登場人物が全員西郷のほうを向いてる記号だ
そのせいで西郷までよく分からない記号となってる印象
周囲の人物達も描かないと何も見えてこない >>677
斉彬編2話、島編2話削って
江藤と西南戦争にまわせたな >>670
田原坂なんか糞ドラマだろう。白虎隊が素晴らしかったから期待して見たらがっかりだったわ 直虎の時のことも考えると大河のラノベスイーツ化は脚本よりもNHK内部の問題のような気もしてくる >>684
女性スタッフは男主人公でも今回みたいに女脚本家使いたいだろうな
でも男主人公は男臭さ出す為に男の脚本家がいいと改めて思った イッテQがなかったけど
そのかわりポツンと一軒家のほうが視聴率があがったみたいだな
ドラマはどうしてもその回だけ見てもよくわからんとこがあるからな >>668
当時の大久保は鹿児島士族と長州藩閥の間で
長州藩閥の手前甘い顔も出来ず
本来の出身母体である薩摩士族からは
反・西郷の士族廃止責任者として蛇蝎の如く嫌われと言う
板挟み状態だったのは聞くな >>687
そうそうバラエティーよく見る人の流入を期待するのは無駄
勝負するなら新大河序盤のみ >>670
日テレの田原坂は城山でのアコーディオン・ミュージカルシーンが要らないw
でも昨日のどんでのアコーディオンを弾いてるシーンを見て、どんでもやりそうな予感が… >>654
それを言ってるw
わからんものを非難してるw >>667
もう出ないだろ
最初の奥さんなんか誰がやってたのか忘れたw >>678
生活に困窮してても不平士族に共鳴しなかったのもいるし、逆に生活に困っていなくても
義のために参加したのもいるしで、それは当たり前の事でしょう
>>689
一度見なくなったらもう見ないでしょうね
ただ今は放映時間帯がずれているBS組もいるし録画視聴も主流ですから、リアルにその時間に
どっちを見たか(見るか)なんてのは、あんまり関係ないと思いますけど >>680
西郷を描くにいい方法の1つは
寧ろ西郷を描かず、周囲の人物を描くやり方だろうね
周囲の人物の中の西郷観をチラチラ見せていけば
その集積が西郷像となるだろう
それはもしかしたら、バラバラになるかもしれないが
それが西郷なのかもしれない
自分が脚本を書くのならそういう形にするが
それをするには周囲の人物を細かく調べなければならない
薩摩の人間だけじゃなく、長州や土佐や会津や幕府の人間までも
その周囲の人物群の縦軸と横軸の知識も必要で
その情報の深堀と精査はとっても根気がいるから
中園ミホさんや林真理子さんでは無理だと思う・・・
西郷という人間を相対した人間の目線で描く西郷は
時には魔王のようであり、時にはお釈迦様であり
その実像は見る人によって違ってくるような
抽象度の高いドラマにしても面白かったかもしれない >>690
田原坂ってみんなで肩組んで大合唱だったな >>692
愛かなは最後に出てきそう
西郷が亡くなったっていう手紙を見るというシーン 今見終えたけど、江藤の最期を新聞にしたか、、、
中々考え抜いた演出で脱帽
飛ぶがと同じにしなかったのはGJ
あと、西郷を際立たせるためとはいえ、大久保をあんな悪人にして
地元民をよけい憤慨させるだけじゃないのか?
子孫もいるのに
麻生さんとかどうすんの >>695
そうそう
村田新八がアコーディオンを弾きながら皆が肩を組んで笑顔でフランス国歌(?)を大合唱w
見ててズコー(AA略 ってなった
どんではやらないで欲しい 最終回はこれまで出演した主な俳優女優さん達をスタジオに招いて談笑会やれば良いよ
謙さんが「こんな小さな字は読めない!」とかやってさ、司会はもちろん家族に乾杯の落語家 鹿児島にある大久保の銅像の台座の文字「大久保利通像」が「大久保利」と「通像」があきらかに曲がっているのだが、みちをはずしているという皮肉と聞いたけど本当なのか? >>694
榎木孝明さんの「半次郎」だと
西郷隆盛はどうしても役者の演技と言うか
そういうもので表現しきれないみたいなニュアンスで
最終的に何処かの社長連れて来て言葉少なに雰囲気九割ぐらいで
自分が見ても成功してたと思う >>697
大久保が政敵弾圧したり非道なやつだったのは記録に残っている。
裁判での名誉回復はほぼ不可能。
井伊や一橋は先祖の名誉回復を求めない。
島津も同様。大久保のくせに生意気w >>694
>>703
難しいだろうね。西郷に限らず昔の人はみんな寡黙
大久保もそうだが、阿吽の呼吸だけで分かりあうというシチュエーションじゃ、ドラマにはならんだろうな >>697
おーい竜馬で
竜馬を際立たせるためとはいえ、山内容堂を悪人にして
子孫からクレームかきたみたいだな >>707
アレは板垣、後藤とみんな悪人だったからな >>688
政府を統括している内務卿の故郷だけが税を納めなかったり、
知事が地元出身者だったりして、中央政府の方針に従わない
なんて状況は他府県に対して示しが付かないからどうにかしろ
と言われるのは仕方ない気もする。
面倒な故郷と面倒なよm…、もとい同僚を持った大久保も気の毒。 士族共はほんと新政府にいらない奴ばっかだな
乱で大方処分されて良かったよ だから不平士族で犬HKを襲撃させれば良かったんだよ そもそも士族は大久保が特権はく奪する前から反大久保だから
西郷も大久保の外交を批判してるしね 大体の士族は、関ヶ原と大坂の陣で身分が決まり
先祖の余禄で生きてきた連中だからな
個人的に有能な士族は、上司、下士、藩を問わず、
明治政府に登用されてる 江戸時代の(家康除く)将軍〜上層武士って馬鹿ばかりだったんじゃないか
言わば有名国公立大学を出て政治家やキャリア官僚になった連中
国の為に何の役にも立たない >>716
だからこそ、井伊直弼が異彩を放った部分がある
「賢侯」と持ち上げられていた水戸斉昭の一派や
開明派の旗本官僚もここを読み誤った部分があるんだけど、
正に彦根井伊家の譜代の中の譜代故の飾り物の大老と侮っていたら
本来当主になる予定の無かった下の下の弟から思いがけず家督を継いだもので
それまでに個人的に文武両道達人級の研鑽を重ねて
幕府最高顧問の溜間でも中央政治に一定の実務能力を積んだ逸材だった
幕末期に活躍した大名は養子やお家騒動を潜り抜けた順当ならざる家督相続をした者が多くて、
加えて、幕府の中でもこの時期には旗本官僚は、
その性質上ノンキャリアから実務能力での奉行職就任が許された
勘定所、目付からの叩き上げが外交面で活躍していた >>692
結局、最初の奥さんが西郷どんの中で一番の美人だったな 幕末編 明治編が短くて 消化不良だわ
小松の出番が少ないのが不満… 西南戦争がなかったら
西郷隆盛 → 55歳くらいで死ぬ
大久保利通 → 初代総理大臣
村田新八 → 第3代総理大臣
桐野利秋 → 陸軍中将
川路利良 → 内務大臣
篠原国幹 → 陸軍大将・陸軍大臣
西郷従道 → 第7代総理大臣 今週木曜の「英雄たちの選択」がよりにもよって西南戦争という
明らかに西郷どん全否定な内容間違いないw
磯田さん如何に西郷どんのスタッフに冷遇された事への恨み抱いてるんだwww 糸嫌いだけど今回は正解だな。結局薩摩に帰った奴はみんな金魚の糞なんだよなw
西郷利用して何かやったれってダメ人間ばっか フィラリアに罹患した桐野があの大立ち回り。
金玉はあっとか? >>722
その点ヒー様は例え自分が隠居しても誰かに政治的に利用される恐れがあったと想定してたと考えると
鳥羽伏見の錦の御旗からの徹底的な臆病者振りは凄いw 「過去の歴史をどんなに深く学んでもそれを正しい行動にしなければ意味が無い」
これは薩摩武士なら必ず学ぶ島津日新公の教えである
さて今宵はここらでよかどかい >>722
ただ、西郷を頼って東京に出た若い連中からすると、西郷が下野して彼に賛同していた薩摩出身の自分達は
政府の中央で身の置き所がなくなった
なんとか中央に戻って欲しいって願いはもっともだと思うけどね >>725
四兄弟大河は難しそうだけど
日新公はいいと思う >>726
そうかなあ。東京で自分の仕事懸命にやりながら、戻る運動すべきでしょ
辞めて帰る意味が分からん。西郷を中央に戻すにも有効な手だとは思わない 明治政府の官僚も薩長を中心にした士族ばかり。
ただ下級士族出身が多く、庶民感覚、平民意識に通じていた
のかもしれない。だが経済的センスは武士の商法レベルで、
近代資本主義の素養はなかった。
この頃日本に資本主義をもたらした渋沢栄一は元々が埼玉の豪農。
江戸に遊学、京都で尊王攘夷の志士となり、挫折して一橋慶喜の幕臣となり
パリ万博に同行、そこで株式会社制度を学んだ。
明治政府で大隈重信に請われて大蔵省に勤務。
結局大隈、大久保と対立して井上とともに政府を去るが、民間で
銀行設立や会社の創業を指導、「日本資本主義の父」と呼ばれる。
民活だけで郵便制度を確立した前島密も元は新潟県上越の豪農出身。
江戸遊学の後、薩摩藩の洋学校の蘭学講師を務め、その後慶喜の
幕臣となる。明治維新で大久保が大坂遷都を決定するも、これに
異を唱えて東京遷都に変更させたことは有名。
西南戦争がフランス革命にならなかった理由は、江戸時代から有能な
平民を養子縁組などして士族に取り込んだ結果、ブルジョワと呼ばれる
中産階級が(市民革命における革命の推進主体)が誕生しなかったことが
あると思われる。
しかし渋沢や前島らをすんなり政府官僚に招聘できたことが明治維新の
成功した側面でもあるし、派閥を嫌い、広く才能を取り入れた一番の功績は
大久保利通にある。
縁の下を支えるような役割で評価されることも少ないが。 >>728
なんか部活のノリなんだよね、ドラマで見る限り
政府に残った連中も、飛び出した連中も、みんな私情で行動してる
「あの先輩は好き、あいつは気に入らない」みたいな
主役の西郷どんや大久保サァはともかく >>728
大久保と岩倉も辞表出したけどどう思う? >>730
大久保が帰国した時、分かれの談判の時がそうだったけど、
特にこのドラマの西郷と大久保の関係は、
少なくとも西郷側から見たら兄弟、兄弟喧嘩で、
西郷と士族との関係もその延長線上にある
厄介な弟共に対して、
社会的にも公正なよき兄貴であろうとするけど兄貴は兄貴
対照的な象徴として大久保と川路の関係が描かれる
元々薩摩の郷中自体にその傾向が強かったみたいだけど、
実際の西郷に対する評価も二才頭以上でも以下でもない
それが、実態としては久光・小松帯刀の下の有能な行動隊長として所謂明治維新までは
他の雄藩みたいな内紛、武力衝突の消耗を極力抑えて
薩摩藩、薩摩武士を大きく温存しての明治維新を成功させたけど、
最終的に近代化に当たっては、勝ち組だからこそ中央とも縁が切れない
地縁的な軍閥化が避けられず最後の障壁になった 結局西郷の生涯は1年かけても全て描くのは無理という事なんだろう。
このスレで挙げられた不満を全部解消しようとすれば3年ぐらいかかるw
本家の翔ぶが〜のように維新後からやるとか、
逆に江戸開城までであとは省略するとか、
西郷慎吾や村田新八など周りの人を主人公にするとか、
それぐらい思い切ったことやらなきゃ、どうやったって消化不良になる。 >>729
西郷は討幕に功労ある者をもっと重用すべきだという考え
ただこれは、徳川家康の天下統一に功労ある者が、幕政を独占して、
薩摩長州を幕政から排除してきた江戸幕府と同じ穴の狢になってしまう
蛮勇演説の樺山資紀がこれに近い
大久保はかつての敵であった旧幕臣であれ徳川譜代家臣であれ、才能あると認める者は重用する考え
ただこれは大久保の眼鏡次第になってしまう
山県有朋もこれに近いが、薩長藩閥政治家や政党政治家のコネで官僚になるのではなく、
帝国大卒の学歴と試験合格で官僚になるように切り替えていった
板垣退助は国民の合意を得る政治があるべき政府だとして、議会政治の設立を主張
ただ一般国民に日本の政治を考えられるほどの知識レベルがあるのかどうかという問題があった
木戸や伊藤もこれに近い 鹿児島県にサッカー専用スタジアム建設は本当に必要なのか?仮に必要だとしてもそのスタジアムを必ずしも鹿児島市内に建てる必要があるのか?
我々鹿児島県民はその問題を深く詮議し正しい結論を導き出さねばならない
どら今宵はここらでよかどかい >>735
鹿児島ユナイテッドFCってJ2昇格したんだよな。代わりに熊本がJ3に降格らしい 先週か先々週に久しぶりに西郷どんをみた人から
西郷と大久保って幼なじみで仲良しじゃなかったっけ?と聞かれたので
色々あって道が違ってきたみたいと答えると
嘘でしょーとびっくりしてた
当時の人も混乱しただろうと思う >>453
今までの大河でもあまり描かれてなかったことだが、あの当時の軍隊はまだ国家の軍隊ではなくて各藩の軍に近かった
御親兵やポリス隊も元々は西郷の私兵みたいな存在で、そこに長州、土佐も加わって軍隊らしくなったからな
西郷の下野に従って、陸軍の多くの人材が帰郷したのは自然の成り行きだよ
ヒトラーなんか独裁者と言われいるが、軍隊は完全に掌握していなかったという
親衛隊はヒトラーの私兵みたいなものだが、ドイツの国防軍は元々あった別個の存在で、常に反目しあっていた
人民解放軍が政府のいうことを聞かないみたいなケースがよくあったが、創成期にはそういうことがよくあるんだろうな
結局のところ、西南戦争で完全に政府所属の近代陸軍が完成したということだろう >>734
西郷は基本人物重視だよ
これはと思った人材は身分、門閥に関わらず広く引き立てた
山岡鉄舟が典型だが、他にも旧幕臣出身者や商家出身者も取り立てたが、ちょっとでも金に汚かったりしたらすぐに見切った >>738
西南戦争直後に出された軍人訓戒、その後の軍人勅諭で、
軍はあくまでも天皇直属の公的な軍であり、特定の政治色がある私兵ではないと強調された 何も知らない人がみたら大久保はとんでもないやつっていう
誤ったレッテル貼りされそうな気がするんだけどどうなんだろう >>739
西郷が見限った人というのは具体的にはどんなのがいたの? 国軍を完全に掌握出来てた為政者なんて探す方が難しいけどね 明治時代には多くの為政者がいたが、
大久保利通が一番権力が集中していたワンマンだと思う
軍も警察も司法も行政も立法も、大久保が仕切っていたと言っていい
大久保死後は文官畑の伊藤・井上と、武官畑の山県・黒田の集団指導体制となるが、
大久保存命中は伊藤も井上も山県も黒田も、大久保に従うのみだった
議会もないので、ほぼ大久保の思うがままに閣議で立法行政を決められる
司法でも佐賀の乱の江藤新平処刑のように、大久保の指示通りに判決が下る
天皇もまだ若く、宮中が独自の政治勢力となって天皇親政を唱えていない >>742
名前は何だったか忘れたけど、東北出身で西郷がいろんな人に有能さを吹聴していたが、リベートを貰ってたのが分かって以降、相手にしなかった >>745
内務卿というのは権限でいえば総理大臣以上だろう。実質、日本の首相だな
伊藤の頃になったら元老の権限が強くなって、良い意味でけん制しあって権力の分散が出来た >>748
異人の夜会に招かれているから、閣議を退出したいと言って西郷に見限られたのだっけ? 最終回、大久保が刺されて、血まみれのカゴシマのハンカチを出すところまではイメージできる。 私に千糸の髪がある
墨よりも黒い
私に一片の心がある
雪よりも白い
髪は断ち切ることができても
心は断ち切れまい
敬天愛人。西郷南州。
残念とは何かと思う。
残念とは念が残ることをいう。
残念無念は、その念すら見あたらないときをいう。
本来の無念は覚悟そのもののことである。
誰からもとくに咎められたことがないからといって、自らに咎めがないとはかぎらない。
誰しも人前では申し上げない咎めとともに生きている。
ぼくには何十もの咎めが跋扈する。
その跋扈と去来は止みそうもない。
さあ、これをいったいどうしたらいいか。
時計の針を戻してその現場に自分を置いてみるのか。
謝るべき相手に低頭してお伺いをたてにいくものか。
自分の内奥の土蔵をひたすら清掃するべきか。しばしば迷ったものだ。
キリスト者の「懴悔」というものが羨ましく感じられ、仏教者の「瞑目」に説得力を感じもした。
しかし、日々の体験はどういうものであれ、たえず激動なのである。
どんなに小さな出来事も激動なのだ。
それらは間髪をいれずに過去をつくっていく。
そのうち、それらの堆積が新たな残念を生んでいく。
さらにそのうち、自身の過剰や衰退がうとましくもなってくる。
これではどうにも落ち着かない。
自分でわざわざ落ち着かない境遇を選んでいるようだ。
過ぐる冬、西郷隆盛の書簡集をちょいちょい読んでいたとき(『西郷南州書簡集』実業之日本社・本書に一部収録)、明治8年4月5日に大山弥介に当てた手紙の、こんな文面に出会った。
明治8年といえば、西郷が下野して鹿児島に私学校をつくり、開墾に熱中していた「退耕」の時期である。
かつての薩摩の盟友だった大久保利通は明治政権の中心の中心にいて、周囲から「西郷の勝手なふるまい」を問題にされ、盟友との対立を深めきっていた。
そんな時期に、西郷の従弟で、のちに陸軍元帥となった大山巌に、西郷は手紙を書いていた。
フランスとプロシャのあいだに緊張が高まり、伝言が一発届いたらすぐお出掛けになられる予定とのこと、さぞお楽しみであろうと存じております。
私も一緒にどうかとのことでございますが、今年は大作にとりかかりましたので、とても逃げ出すわけにはまいりません。
お断り申し上げますので、左様にお含みおき下さい。
いまはまったくの百姓になりきって一心に勉強しております。
はじめのころはずいぶん難渋していましたが、いまでは一日に二畝ぐらいなら鋤を使えるようになりました。
もういまでは、きらずの汁で芋飯を食うのにも馴れましたから、困ることはありません。
人間はどのようにでも落ち着けるものだと思いました。お笑い下さい。
幸便に任せ、用事のみ。頓首。 うーん、と唸った。
そうか、「今年は大作にとりかかりました」と言うのか、「とても逃げ出すわけにはまいりません」と自分に言い聞かせるのか。
いや、それよりなにより、とりわけ「人間はどのようにでも落ち着けるものだと思いました」に、脳天をガツンとやられた。そして「お笑い下さい」なのである。
この文面は、その後もぼくの心のどこかにずっと引っ掛かっている。
この文面が引っ掛かっている釘を、体のどこかでいつもごつんごつんと感じている。
ぼくはいまなお、「人間はどのようにでも落ち着けるものだ」という場面を、自分のなかにまったく作りきれていない。
しかもそのことを、「このようにあらわせば何かの納得になるのかもしれない」という文脈として、これまでちゃんと書いてこなかった。最近になってとくにその残念を感じるのである。
では、「人間はどのようにでも落ち着けるものだ」と思った西郷は、どのように残念を捨てたのか。
それとも残念を使いきったのか。
今夜は、まことに少々ながら西郷隆盛を思いたい。
いつかは西郷その人のことを書かなければと思って、延ばしのばしにしていたのだから、これはいつかはそうしなければならない宿命だ。
断片的にはいろいろ感想を弾(はじ)いてきたけれど、そんなことでは西郷を掴むということはとうてい叶わない。
また、多くの“西郷もの”も読み、名状しがたい感動も受けてきたけれど、それで西郷が見えたというわけにもいかない。
だいたい、西郷隆盛という人物の思索と行動は日本近代の最大の謎であり、それゆえ今日の日本の根本の謎なのである。
それゆえ西郷をめぐる周囲の毀誉褒貶にも甚だしいものがあった。 褒めちぎった者も多かった。
勝海舟(338夜)が「世の中に本当におそろしい人物がいるものだ。
横井小楠と西郷南州だ」と驚嘆し、
中江兆民(405夜)が維新後のていたらくに接して「西郷さえいれば、日本はこんなふうにはならなかったろう」と嘆じ、
新渡戸稲造(605夜)が「日本にリンカーンのような人物はいるのか」と問われて「それが西郷隆盛だ」と答えたという、そういう西郷隆盛像だ。
一方、反対のことを言う連中も少なくなかった。
近代の歴史研究者たちは、たとえば比較的公平な目をもっていただろう井上清ですら、西郷は愛国的民族主義者だが、下級武士たちの士族大衆の代表から離れられずに矛盾に満ちた征韓論に走ったとみなした。
圭室諦成(たまむろたいじょう)や石井孝は、「排他的な郷党意識」と「独善反抗的な政治理念」をもった野心家だとか、「討幕派に利用されただけの古い体質の器量」だとか断じたものだった。
西郷は、民主開明派とも保守反動とも、無私の者とも野心の者とも、そのような揺れのなかにいた人物とも思われてきた。
ようするに、西郷隆盛は誰にとっても掴まえられない人物なのである。
なかで坂本龍馬が、「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く」と評したのが、いかにも龍馬らしく、また西郷らしかった。
また内村鑑三(250夜)が『代表的日本人』の5人の筆頭に西郷をあげ、「日本の維新革命は西郷の革命であった」と言い、そのうえで次のように書いたことも西郷にふさわしい。
「新日本を西郷の日本であるなどと言うつもりはありません。
それは、その事業に携わった大勢の立派な人達をまちがいなく無視することになります。
たしかに西郷の同志には、多くの点で西郷に勝る人物がいました。
経済革命に関していうと、西郷はおそらく無能であったでしょう。
内政については、木戸や大久保のほうが精通しており、革命後の国家の安定をはかる仕事では、三条や岩倉のほうが有能でした。
今日の私どもの新国家は、この人々全員がいなくては実現できなかったでありましょう。
それにもかかわらず、西郷なくしては革命が可能であったかとなると疑問であります。
木戸や三条を欠いたとしても、革命はそれほど上首尾ではないにせよ、たぶん実現をみたでありましょう。」 「しかし必要だったのは、すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、天の全能の法にもとづき運動の方向を定める、西郷隆盛の精神であったのです。」
ところで、こういう西郷についてのぼくの思いの一端を、年の瀬押し詰まる今夜にしたのは、前夜のヘミングウェイの「キリマンジャロの凍豹」との関連がないのかと問われれば、そういうことはいつだってあるでしょう、つまらんことを訊くもんじゃないと答えるしかあるまい。
その、そういうことはいつだってあるでしょうを、西郷はこう詠んでいる。
「狂言妄語 誰か知り得ん。仰いで天に慚(はじ)ず、況んやまた人を」
私も人だからときに狂言も綺語も弄するが、だからといって天にも人にも慚るところはない、という意味だ。
ぼくもいまのところはこの言葉で返したい。なんら慚るものはないというふうに。けれども、ぼくの場合は、それでも心の内なる咎めは残るのだ。西郷はどうだったのだろうか。
今夜とりあげる一冊は奈良本辰也と高野澄が編訳した『西郷隆盛語録』であるが(遺訓・漢詩・書簡の3部に分かれている)、以下にはときどきその引用を入れるものの、とくに本書にこだわらないで、ぼくの感想を進めよう。
おびただしい参考文献については、「附記」にその一部をしるす。海音寺潮五郎の『西郷隆盛』や司馬遼太郎の『翔ぶが如く』といった大作は、今回は振り返らなかった。 西郷は二度、流罪になっている。島流しされている。まず、そのことから話してみたい。
一度目は32歳のときで、安政5年のことだった。奄美大島に流されている。
その直前には自害や心中も図った。自害や心中だなんて、豪胆磊落とみえる西郷にはふさわしくないと思う向きがあるかもしれないが、それこそは人を見る目がないというものだ。西郷にこそ、そういう大胆なフラジリティがあった。
この年の7月、西郷が敬愛しきっていた薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)が急死した。
時代情勢は日本中が風雲急を告げている真っ最中、ハリスが下田に着任し、黒船の対応に全力を傾注した老中阿部正弘はあっけなく39歳で病没、彦根藩の井伊直弼が大老になって、日米修好通商条約を勅許を待たずに強引に締結してしまったばかり。
西郷は斉彬の極秘の使命をもって江戸詰めを命じられた矢先だった。
日本の危機である。主君の斉彬と腹心の部下の西郷は何を相談していたのか。
二人して、朝廷と薩摩藩を組みつなげて幕政改革を一挙になしとげようと計画していたのである。西郷はそのための協力要請を、ひそかに松平慶永(春獄・越前)、山内豊信(容堂・土佐)、伊達宗城(宇和島)らに託すため、密書を携えていた。
ところが、井伊大老の打つ手のほうが早かった。アメリカとの開国にいちゃもんをつける松平慶永・尾張慶勝・水戸(徳川)斉昭をただちに謹慎蟄居させ、斉彬らが次期将軍に画策推挙する一橋慶喜の登城を禁止してしまった。
おまけに天皇を彦根に移し、京都に藩兵を差し向けようとしているらしい。
西郷のほうは、かくなるうえは一刻も早く斉彬の上京出兵を促すしかないと踏み切った。
そこで、その旨を薩摩に戻って報告し、自身は先兵隊の頭目として再び上京して、相国寺を薩摩藩兵の拠点とした。
ところが、その直後のこと、斉彬急死の訃報が届いたのだ。 計画のすべてがおじゃんになった。それだけではない。
師とも親とも敬愛する斉彬の死は、西郷を痛哭断腸に追いこんだ。
呆然として殉死を心にした西郷だったが、朝廷側を仕切っていた近衛忠煕(ただひろ)や近衛家の顧問格の清水寺塔頭住職の月照らに、むしろあなたこそが主君の志を継ぐべきだと何度も諌められ、なんとか殉死は踏みとどまった。
けれども西郷はここで1回、あきらかに“死んだ”のである。
近衛や月照が言うには、斉彬侯が亡くなったいまや、水戸の斉昭の押し込めを解いて江戸城に迎える以外はない(斉昭を第二の斉彬に仕立てる以外はない)。
それには朝廷の御沙汰を仰いで斉昭の幕政復帰を推進するしかないだろう。そう、言うのだ。
たしかにすでに梅田雲浜(うんぴん)、頼(らい)三樹三郎、梁川星巌(やながわせいがん)らの急進的な勤皇派が、秘密裏に動き出していた。
吉田松陰も壮絶なテロ計画を練っていた。西郷も悲嘆をはねのけ、意を決して事態の刷新にとりくもうとするのだけれど、周囲の盛り上がりのほどには心が及ばない。
そこへまたもや井伊大老の電光石火の鉄槌が、あたかも大鉈のように下っていった。
安政の大獄が始まったのだ。
梅田や頼を捕縛した司直の手は執拗で、西郷にも伸びていく。
逆上した西郷は、いっそ彦根に攻めて戦死するかと思うのだが、事態は前後左右が雁字搦めになっていて、なんらの動きもとりにくい。
やむなく平野国臣を伴って、月照とともに身を隠しつつ、ひとまず薩摩に帰ろうとする。男ばかりの逃避行である。
月照を下関の豪商・白石正一郎の屋敷に身をひそめさせ、西郷は一人で薩摩に戻って月照の庇護を申し出た。 しかし薩摩の地は名君斉彬を失って、実権は島津久光の手に移っていた。
久光は悪女の名をほしいままにしたお由良が生んだ子で、そのお由良派が長らく主君の座を虎視眈々と狙っていた人物である(364夜『南国太平記』参照)。
お由良が呪詛調伏をしてまでも斉彬を亡きものにしようとしていたのは有名な話、むろん西郷はそういう久光を心底嫌っていた(海音寺潮五郎は斉彬が久光・お由良に毒殺されたという仮説をたてている)。
一方、久光のほうは、面と向かって先代藩主お気に入りの西郷を排除できないものの、月照などという坊主は関係がない。とうてい薩摩には入れられないとして、西郷に月照の放逐を厳命した。
これで西郷は参ってしまった。
どうにも窮した。
すでに月照は下関から薩摩に向かっている。
こうなれば月照もろとも死ぬしかないと覚悟して、夜陰の錦江湾に数人で舟を出すと、二人は乗合の者が寝静まるのを待って、ひしと抱き合い入水した。
二人の辞世がのこされている。
大君のためには何か惜しからむ
さつまの瀬戸に身は沈むとも(中将坊月照)
ふたつなき道にこの身を捨て小舟
波立たばとて 風吹けばとて
西郷吉之助
運命はいたずらなものだ。
このとき月照は絶命し、西郷は間一髪で船頭らに助けられた。
戻ってみると税所篤、大久保一蔵(利通)らが西郷を助けた。
しかしこのとき、西郷は永遠の「土中の死骨」となったのである。
この言葉は西郷自身のもので、以来、西郷は月照との共死(ともじに)を遂げられなかったことをずっと悔いつづけている。
残念は捨てられなかったのだ。
西郷を語るにあたっては、この「未遂の死」のことを、この咎めのことを、放置してはおけない。 >>758
河上肇の『貧乏物語』に、清水寺にある西郷の詩碑を見るくだりがある(ぼくもしばしば眺めてきた)
月照を思う西郷の悔恨がうたわれている。
河上は「西郷の、詩碑仰がむと今日もまた、五条坂を登り行くなり」と書いて、何度も西郷隆盛の万感を偲ぶためにそこを訪れたと告白した。
相(あい)約して淵に投じて 後先なし
豈に図らんや 波上再生の縁
頭(こうべ)を回(めぐ)らせば 十有余年の夢
空しく幽明を隔てて 墓前に哭(こく)す
こうして、冒頭に書いた西郷の最初の島流しになる。
薩摩藩は、西郷を奄美大島に流したのだ。
幕府の目を憚ったのは言うまでもない。
いや、そういう面子だけで西郷は流された。
どんな事態であれ、面子には弱い西郷である。
奄美大島での流人西郷の日々は、実に3年におよんだ。
そのあいだ、アイカナ(愛加那)という娘を島妻とし、アイカナは菊次郎という男子を身ごもった。
西郷は約800冊の書籍を日がな読破し、島の子には手習いをさせ、ときにサトウキビの年貢未納者の解決に乗り出しもした。
このとき、おそらくは「敬天愛人」の思想が育まれたかと思う。
少年期より朱子の『近思録』や王陽明の『伝習録』を読み耽り(996夜)、「天命」を知識にもっていた西郷であるけれど、主君の急死、二人しての入水、自分だけの助命、
島流しの宿命などを3年にわたって直撃されてみれば、のちの西郷隆盛の大半はここで醸成されたとみなしていいだろう。
が、これらはすべて「咎め」から出所したものだったのだ。
「残念」との闘いだった。
かくて「敬天愛人」とは、裏を返せば「土中の死骨」なのである。
ちなみにこのときの西郷は「菊地源吾」という変名になっている。
幕府を憚り、藩内を憚ったからだった。 西郷の2度目の島流しは、奄美大島よりさらに南の徳之島と沖永良部島である。
今度の天命の事情は、こういうものだ。
西郷が奄美にいたあいだに、安政の大獄がすすみ、西郷が信頼していた梅田、頼、松陰、橋本左内らが処刑された。
とくに左内は西郷が最も信頼していた思想と行動の持ち主で、西郷は城山で死ぬ間際まで左内の書簡を大切にもっていたほどだった。
そういう師や旧友や心友を次々に失うなか、時代の歯車のほうはさらに狂ったように加速した。
まず、井伊直弼が桜田門外に暗殺された。日本の針は大揺れだ。
これで一橋慶喜を担ぎ出す賽の目がまた出てきた。久光はこの機に乗じて、薩摩の権勢を中央に見せたかった。
しかし藩内の意見がいっこうにまとまらない。
そこで、ここはやっぱり西郷の出番だろうという内外の進言で、西郷は文久2年1月に奄美大島から呼び戻された。
呼び戻されたはいいが、西郷は久光の言うことなど聞きたくはない。
大久保がしきりに仲をとりなすのだが、一人勝手に温泉に籠ってしまった
(なぜ西郷がこのとき脱藩しなかったかということは、議論の余地がある問題だが、一言でいえば西郷にとって薩摩は「日本という国」あるいは「日本という方法」そのものだったのだ。西郷は“日本”を脱藩するわけにはいかなかったのだ)。
執拗に西郷は出番を要求される。
藩命であればやむをえないし、薩摩のためには働かなければならない(そういう男だった)。 西郷は、幕府と朝廷の両方に圧力をかけるために久光が大軍を率いて上京するという仕事を、結局は先発隊として引き受けた。
このとき久光は、西郷に下関で準備をして、自分が行くまで待っていろと厳重に命じた。
西郷は村田新八と鹿児島を出た。
下関ではまたもや白石正一郎の屋敷に入った。
ところが久々に天下の街道を動いてみると、事態がただならない雰囲気であることがすぐ見てとれた。
討幕の兵を挙げようとする志士たちが隠密裡に陸続と京都に集まっている。西郷は久光との約束を破って大坂に入り、これらが暴挙とならないための手を打ち始めた。
久光は激怒した。自分の命令に背くとは何事かと怒った。
打ち首にしたいのはやまやまだが、大久保の制止もあって流罪を下した。
こうして西郷は6月に徳之島に送られ、そこで2カ月滞在させられ、さらに南の沖永良部島に流島されたのだ。
36歳のときだ。若い村田新八のほうは鬼界ヶ島に流された。
アイカナが2歳半の菊次郎と生まれたばかりの菊草(女児)を連れてやってきたというものの、絶海の孤島での日々は壮絶である。
わずか2坪の牢格子で囲った部屋だった。台風が直撃もする。
西郷はこの孤島で、久光が奈良原喜八郎らに命じて有馬新七らの過激派を伏見寺田屋に襲わせたことを知った。
また、寺田屋事件に連座した田中河内介が、薩摩に船送りされる途中に親子ともども惨殺されたとも聞いた。 田中河内介はぼくが以前から気になっていた人物で、大納言の中山忠能(ただやす)の家人・田中近江介の養子になって、禁裏の習俗いっさいに通じていた。
幼年時代の明治天皇の養育係にもなっている。
その田中と組んでいたのが、例の清河八郎である(のちに新徴組で近藤勇・土方歳三と対立し、暗殺された)。
田中や清河がこのとき何を企んでいたかというと、久光の上洛にあわせて、第1には江戸の同志が老中安藤信正(井伊大老の後継者)を暗殺し、第2には京都の志士が九条関白を殺し、それを合図に京都所司代を攻撃する。
ついで第3に薩摩と長州の軍勢を結んで、天皇(孝明天皇)の勅使をとって江戸を攻撃しようというのだ(6年後、このシナリオが実行されたわけである)。
けれども、久光が腰抜けで、西郷すら動かせないことが見えてきた。
志士たちはそれぞれ藩邸を抜け出して、事の展開を鳩首謀議するために寺田屋に集まった。
集まった志士40余名のうち、30余名が薩摩藩士。
そこを久光の命をうけた奈良原喜八郎や大山格之助が襲撃した。
薩摩人どうしの切り合いである。
そこには西郷の弟の慎吾も、大山巌も入っていた(奈良原はのちに生麦事件でイギリス人を一刀両断した男でもある)。
西郷は、このような状況につくづく落胆した。
世間も島津久光がいるかぎりは薩摩はあてにならないと噂した。
時代が長州への期待に傾いたのはこのときからである。
それが文久3年8月のクーデターまで続く(長州もここで増長して、幕府の反撃を食らい、薩摩・長州がこうして一敗地にまみれたのちに、高杉の長州、龍馬の土佐、そして薩摩の西郷、幕閣の海舟の最終レースになるわけである)。 32歳と36歳のときの、二度にわたる西郷の島流しにふれた。
なかでも沖永良部島の住まいは座敷牢に近く、どんな矜持も自負も打ち砕くものだったようだ。
西郷もさすがに「衰死」を覚悟したという。しかし覚悟して、なお次のような漢詩を書いていた。
朝(あした)に恩遇を蒙り 夕(ゆうべ)に焚坑せらる
人生の浮沈は 晦明に似たり
たとい光を回(めぐ)らさざるも 葵は日に向かう
若(も)し運を開くなくとも 意は誠を推(お)す
洛陽の知己 みな鬼となり 南島の俘囚 ひとり生を盗む
生死なんぞ疑わん 天の賦与なるを
願わくば魂魄を留めて 皇城を護らん
朝に上からの寵愛があるかとおもえば、夕刻には生き埋めにされる者がいる。
人生は陰陽の明暗が頻繁にいきかう晦明のようなものだ。
しかし葵だって光が射さなくとも花を咲かせることがある。
一刻とて運が悪いとは思うべきじゃない。どういう意志をもつかというだけだ。
都の友人たちはみんな死に、孤島の囚人がこうしておめおめ生きているのだから、私はもはやいつ死んだってかまわないという気分になっている。
それならせめてこの魂魄が日本の皇城を守ることを希いたい。
だいたいそういう意味の漢詩だ。
こういう詩を西郷が綴ったのには、むろん背景も理由もある。
直近の引き金は沖永良部の流人に川口雪蓬という静かな陽明学をよくする者がいて、この人物と西郷が心を通わせた。
雪蓬は、西郷が西南戦争によって非業の死をとげたのちも妻子の世話をした人物である。
いわゆる「西郷墓地」の碑文も刻んだ。
その雪蓬と、西郷は孤島にいて佐藤一斎の『言志四録』などの一字一句を読み致していった。 ふりかえってすでに少年期、西郷は陽明学徒になっていた。
少年吉之助の純乎たる精神を育んだのは、一に方限(ほうぎり)、すなわち「郷中」(ごちゅう)の健児社に入っていたこと、二に福昌寺の無賛のもとに参禅できたこと、三に何人もの陽明学徒に学べたことである。
とくに陽明学は、大久保一蔵の父が陽明学・禅学・山崎闇斎門の儒学を修めてこれらを伝え、有馬一郎が朱子の『近思録』を読み聞かせて教えたうえで、伊藤茂右衛門によって王陽明の『伝習録』を学んだのが大きかった。
伊藤は都城に住む荒川秀山(佐藤一斎の門下)の直弟子だ。
これで「知行合一」(ちこうごういつ)に開眼した西郷は、すぐに大塩平八郎の『洗心洞箚記』を読んで感銘し、つづいて王陽明の先駆をなした陸象山や陳龍川にも埋没していった。
陳龍川の『龍川文集』は奄美大島にも沖永良部島にも、持っていっている。
その後、西郷は佐藤一斎の『言志四録』も読んだ。だから沖永良部で川口雪蓬と一斎を読み解いていったのには、存分な修養背景があったのだ。
ちなみに西郷の有名な「敬天愛人」の四文字は、『書経』のなかの言葉であるけれど、これをしきりに心に謳うようになったのは、ぼくは最初の流刑のときの思索によるものと思っている。
そうであれば、これはまた同時に、陳龍川の「畏天愛民」とも呼応していたのであろうとも思う。
ついでながら、西郷は沖永良部を脱してからはいよいよ幕末維新の悠揚迫らぬ中心人物の一人となるのだが、そういうなかでも陽明学への研鑽を怠らなかった。
たとえぱ京都にいるときは、必ず春日潜庵を訪れた。
村田新八にも潜庵に教えを請うように勧めている。 4:22
このあとの西郷がどのように幕末を王政復古に導いていったのかは、すでによく知られていることだ。
史実的に決定的なのは、慶応1年9月に列侯会議を計画したこと、
慶応2年正月に小松帯刀の別邸で木戸孝允・坂本龍馬と会見して薩長同盟を結んだこと、
慶応3年正月に薩摩・土佐・越前・宇和島の四藩連合を建言したこと、
同じ6月に後藤象二郎・坂本龍馬と薩土盟約を結んだこと、
同12月に王政復古の論告発布に同席したこと、
明治1年3月に高輪薩摩邸で勝海舟と話して江戸城攻撃を中止したことなどだろう。
詳しくいえばもっとさまざまなことが西郷の周囲に渦巻いているけれど、あの大政奉還から戊辰戦争におよんだ激動に、もし西郷がいなかったならば日本がどれほどのことをなしえたかは、わからない。
このことは、内村鑑三が『代表的日本人』に言うとおりだ。が、もうひとつ別の見方がありうることも、重視しておきたい。
史実では、誰が何をなしたかということが大きくも、細かくも語られる。
しかし、「何をしなかったか」ということもれっきとした歴史なのである。
たとえば、幕末のラストパフォーマンスのなかで、西郷は慶応1年3月に水戸天狗党の処分の引き受けをしなかった。
慶応2年9月には大目付に推挙されたのだが、翌月これを返上した。明治1年9月には庄内藩に処分をおこなわないようにした。
こういうことがいくらもあったのだ。西郷の行動や決断には、しばしば唐突でありながら深甚な「負」が動いたのだ。
もっとぼくが感じていることを直截にいえば、西郷はもともと「日本の負」「近代の負」を背負った男だったのである。
このこと、とくに明治政府における大久保利通との対比によくあらわれる。
よくあらわれるどころではない。
大久保と西郷のちがいこそ、最後の最後になって、西郷の何度目かの死をもたらした。 ごく最近、ぼくは『日本という方法』をNHK出版から上梓した。
もとはNHKの人間講座8回分であるが、3割ほど書きたした。
その冒頭に、こういうことを刳り込んで書いておいた。
以前に、ある大学(東大のこと)で日韓関係の話をしたとき、「なぜ西郷隆盛が征韓論を唱えたのかの説明がつかないかぎり、日本の近現代史は何も解けないですよ」と、その場の教授たちに言ったという話だ。
そして、ぼくもまだ征韓論をうまく説明できないでいると白状しておいた。
では、この征韓論をめぐる数行は、『日本という方法』全体のちょっとした暗示になっていて、それについては本の中では何の説明もしなかったのだが、
実は西郷隆盛という生き方あるいは死に方に、「日本という方法」の最も難解で、最もナイーブな精神が体現されているということを言っておきたかったのである。
では、いったい征韓論とは何だったかというに、征韓論という用語そのものがその実態から崩落しているような問題なのである。ぼくなりの見方をかいつまんで書いておきたい。
もともとの征韓論は、強行派の木戸孝允と大村益次郎が言い出していた。
長州出身の二人は吉田松陰の遺志をつぐという気分で、国内の鬱勃としていた空気を国外にディスチャージするものとして、ひどい話だが、朝鮮半島を選んでいた。この段階の征韓論には板垣退助も江藤新平も賛同していた。
なぜこんな議論が噴出したのかといえば、二つの理由がある。
一つには、王政復古とはいえ、日本の各地の政治と経済が早々から腐っていたからだった。
『夜明け前』の青山半蔵の嘆息ではないが、どこにも王政復古の清新な治世などなかったのである。
明治3年7月に、そのことを端的に告発する事件がおきた。
横山正太郎という薩摩藩士(森有礼の兄)が、諌書(かんしょ)を集議院に投じたのち、その正院前で割腹自殺をとげたのだ。 輔相ノ大任ハ侈靡驕奢ニ溺レ、上ハ調停ヲ暗誘シテ下ハ飢餓を察してイナイ。
官吏ハ外ニ虚飾ヲ張ッテ内ニ名利ヲ求メ、万民ハ狐疑ヲ抱イテ方向ヲ見失ッテテイル云々という内容だった。
横山正太郎は西郷が目をかけてきた弟子である。
その弟子が諫死した。
その諫書に外国、たとえば朝鮮が無礼をはたらくといっても、それはわが国に徳政がないからだという批判がひそんでいた。
西郷は心を傷め、明治の日本の行く末を案じた。
このあたりから征韓論をめぐる立場が、微妙に割れていく。
少々、西郷の話から離れるが、実は、当時の日本人の感情を逆撫でする「外国による3つの無礼」があった。
(1)は、いま書いたばかりの朝鮮の無礼である。日本で徳川幕府が倒れ、統治の大権が明治天皇を中心とする政府に移ったので、このことを朝鮮に告知したのだが、朝鮮は国書の文字の使い方などに文句をつけ、これを認めなかった。
当時の朝鮮は鎖国体制にいて、日本の政権交代を認めず、交誼を要請する日本政府の書面も受け付けなかった。
おまけに、その拒否の仕方が無礼きわまりないというものだ。もう少し詳しいことは、このあとに書く。
(2)は台湾問題である。
琉球の船が難破して台湾に辿り着いたとき、その乗組員が殺害された(牡丹社の住民によって54人が殺害されたので牡丹社事件という)。
台湾を領有しているのは清国だから、日本政府は清国に抗議した。清は台湾は「化外の地」だといって交渉に応じない。そこで日本側に征台論と征清論の火種ができた。
もっとも、この征台論にはもうひとつの背景がある。
もともと琉球は薩摩藩の領有地で、かつ独自の王国でもあって、中国には朝貢儀礼を欠かしていない。
明治政府は廃藩置県で琉球を鹿児島の管轄にし、清国との関係を切断して、名実ともに日本の領有を確立しようとしていた。
このとき牡丹社事件がおきたので、これ機会に琉球を日本国と認めさせようともしていたのだった。 (3)は樺太問題で、これも説明すると長くなるのではしょって言うが、もともと樺太は間宮林蔵このかた、日本が苦心に苦心を重ねて経営してきた。
安政年間には越前の大野藩が藩をあげて入植し、文久1年には幕府(正使は竹内保徳)はロシアと交渉して北緯50度をもって折半する案を出した。
ロシアが北緯48度を主張したので、しばらく両国の共有地とすることになった。
しかしロシアがしだいに侵犯をくりかえすので、明治4年から副島種臣がアメリカを仲介させて交渉に入った。
ところが北海道開拓を担当した黒田清隆が建議で「樺太放棄説」を提案し、それをロシアに見透かされて、日本人漁民の操業が妨害されるようになった。
これが長らく尾を引いて、のちの樺太・千島交換問題(アメリカはこれをタイとエビとの交換だと笑った)にまで、さらには今日の北方領土問題まで発展するのである。
こういう「無礼」が、明治初頭の日本を悩ましていたことは事実で、今日の北朝鮮拉致問題や韓国竹島問題や中国海底油田問題に通じるものがある。
とくに朝鮮との関係はしだいに異様なものになりつつあった。
征韓論が広まるのもゆえなきことではあった。
しかしながら、そのころの朝鮮に甚だしい「無礼」があったかどうかといえば、これはきわめて曖昧なのだ。
ぼくは朝鮮側の「無礼」はほとんど外交問題にならないと見ている。 ここで征韓論の矛盾を説明するために、順にこの問題の背景を語っておくことにする。
まず征韓論の「韓」とは正確には李氏朝鮮(李朝)のことで、韓国ではない(のちの日韓併合のときの「韓」は、1897年に国名を変えた大韓帝国のことをさす)。
李氏朝鮮は14世紀以来の文人官僚主義が王をいただく王朝国家だった。
官僚には文官(文班)と武官(武班)がいて、あわせて両班(ヤンパン)というのだが、武官はたいした力がなく、李氏朝鮮王国は極端な文治主義と中央集権制をとっていた。
いいかえれば、朝鮮には日本のような武人が支配する封建制国家の歴史が、ついぞなかったのである。
武士団が成長して領土を拡張して大名領国となるという歴史も、その大名が戦国大名として競いあって天下統一をはかることもなかった。
そのぶん朝鮮史では、「宗族」という単位があって、「血」を紐帯とする小集団による結束でつながっていた(父系血族による)。
それゆえ李氏朝鮮は、しだいに両班の増長と腐敗にまみれていった。
京城大学の四方博によると、1690年代の両班は人口の7・4パーセントだったのが、1858年にはなんと48パーセントにも膨張していた。
人口の半分が官僚だったのだ。こんな国もめずらしい。
これでは支配層間に紛争が絶えない。
国家としても麻痺寸前に陥っていた。
そこへ明治維新がおこる5年前の1863年のこと、25代朝鮮国王の哲宗が後嗣のないままに死亡した。 李朝では後嗣のないときは、王位継承者の指名権は王妃に移る。
大妃(王父の妃)が生存していれば、その大妃に指名権があった。
哲宗には大妃(趙大妃)がいて、趙大妃は興宣君の第2王子の命福を指名した。
これが26代高宗だ。
ただし高宗は11歳だったので、趙大妃が摂政となり、政権の実務は高宗の父の興宣君にゆだねた。
生存する国王の父は「大院君」といった。興宣大院君はそれまで「勢道政治」(王の外戚の権勢をもって政治を支配する)をほしいままにしていた安東金一族を中央から追放して、キリスト教を排撃し、徹底した鎖国攘夷政策をとった。
とくに「洋夷」を撃退したかった。
実際にも1865年にロシア船舶が、翌年にはドイツ船舶が来航して通商を求めたが、いずれも排斥した。
なかでもアメリカのゼネラル・シャーマン号が強引に大同江をさかのぼって平壌に入って通商を求めたときは、硫黄と火薬を積んだ小船をぶつけて炎上させ、乗組員の大半を殺害してしまった。
さらにフランスも7艦の軍艦をもって江華島に上陸して略奪まがいの攻撃をしかけたが、これをも撃退した。
このとき、日本が明治維新を迎えたのだ。
明治元年、対馬藩家老の樋口鉄四郎が釜山に入って、明治新政府の樹立を通告したのも、このときである。
しかし、大院君の政府はその国書にある「皇租、皇上、奉勅」といった言葉が使われていること、旧例と異なる署名・印款が使われていることに故意というほどの疑問を呈し、これをつっぱねた。 李朝からすれば「皇」は中国皇帝のみに、「勅」も中国皇帝の詔勅のことだったのである。
朝鮮王は中国皇帝の臣下ではあっても、明治日本の臣下ではないというのである。
このような朝鮮の反応を「無礼」だけでは片付けられない。
大院君は「衛正斥邪」を掲げて、小「中華主義」の只中にいた。
「正」とは儒教のことを、「邪」はそれ以外の考え方や体制をいう。
だいたいは日本の尊王攘夷に相当するが、朝鮮では中華文明に所属しない社会文化を斥邪したわけだった。
このため朝鮮では日本の天皇をそうとは呼ばず、ずっと「日王」と呼んできた(天皇という呼称を使うようになったのは金大中政権になってからだ)。
そうだとすれば、征韓論とは、本来は朝鮮の小「中華主義」を打開するというものだったはずである。
しかしここで朝鮮半島の事情が大きく変化する。大院君が失脚して閔氏(みんし)の政権が登場した。
1873年、明治6年のことだった
(ついでに言っておくが、列強がこれ以上、朝鮮に開国を求めなかったのは、日本にくらべて朝鮮半島の需要がかなり低く見積もられていたせいだった)。 さて、話を戻して、このような状況を明治政府が裁断するに、当事者中央の事情はまったくお粗末なものだった。
だいたい明治4年7月に、新政府が懸案の廃藩置県を断行してやっと日本のほぼ全土を直接統治にしたまではよかったが、
その4カ月後の11月には、特命全権大使の岩倉具視を筆頭とした総勢50余名の、いわゆる岩倉使節団が、アメリカとヨーロッパに20カ月にわたって出向いてしまっていた。
アメリカでは少弁務使の森有礼が、イギリスでは大弁務使の寺島宗則が待っていた。
名目はあった。
維新政府はその当初から不平等条約を撤廃するという悲願をもっていた。
それはそうなのだが、岩倉使節団の実質的な目的は各条約国に「聘門ノ礼」を修めること、つまり親善訪問をすることにすぎなかった。
悲願の条約改正については、「我国ノ開化未ダ普ネカラズ」なので「漸次ニ政俗ヲ革メ」ようという、まことにお粗末なものだった。
この程度の親善調査に岩倉全権大使のもと、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳(外務)が副使となり、そこに佐々木高行(司法)らがずらりと加わったのだから、これは政府の中身が半分以上棚上げになっていたといっていい。
そこで、留守をあずかる参議の4人が国政と当面のアジア外交・ロシア外交を切り盛りすることになる。
西郷・大隈重信・板垣退助・江藤新平だ。
留守政府とよばれた。
今夜はそのあたりの詳しい活動を省略するが、とくに江藤の果断活躍と西郷の泰然自若がめざましい。 では、肝心の問題だ。
西郷は征韓論をどのように見ていたのか。
従来は、西郷こそ征韓論の積極的な主唱者だという見方がされてきた。
たしかに西郷が征韓論をめぐる独自の見解をもっていなかった、ということはない。
明治5年8月に、板垣退助と語らって西郷腹心の別府晋介・北村長兵衛を朝鮮に派遣し、池上四郎・武市正幹・彭城中平を満州に派遣していた。
これはあきらかに情報活動で、その後に「満州視察復命書」をもたらした。
そこには朝鮮は脆弱な国なので派兵すればすぐに片付くと報告されていた。
もっとも、このような報告を、西郷は鵜呑みにしたのではなかった。
むしろ、かえって慎重になっていた。
明治6年6月12日、征韓論が初めて朝議にのぼった。
外務卿の副島は清国に特派されていたので、外務少輔の上野景範が代わり、閣議には太政大臣の三条実美、参議の西郷、板垣、大隈、大木喬任、後藤象二郎、江藤が参加した。
上野は「このうえは暴戻(ぼうれい)な朝鮮政府に対して、居留民保護のため陸軍を若干、軍艦を幾艘か釜山に派遣して、いつでも援軍が送れるように準備する」という外務省案を提示し、板垣がこれに賛同した。
が、西郷は「いきなり兵隊を送るのは朝鮮官民の疑惑を招く。よろしく責任ある全権大使を送って公理公道をもって説得するのがいい」と反対した。
三条が「全権大使を出すことにして、その大使が兵を率いてはどうか」という折衷案を出した。が、西郷はまたも反対する。
「大使たるものは武装せず、しかも礼装をととのえるべきだ」。
板垣は前言を翻して西郷に同意、後藤・江藤もこれに同調した。
そこへ大隈が、これは国家の重大事であるから岩倉大使の一行が帰るのを待つべきだと発言した、ここで西郷が声を荒げた、「一国の政府が国家の大事を閣議で決定できないなら、正院(内閣にあたる)の門を閉じなさい」。
そして、こう言い放ったのだ。
「この全権大使には、自分を任命してほしい」。 西郷が征韓・侵略・戦役のために大使を申し出たのではないだろうことは、ほぼ明白だ。
しかし、明治6年の日本は、そのようには事態を解釈できなかった。
曲解につぐ曲解が渦巻いた。
40日後、副島が清国から戻って、中国が朝鮮の無礼には責任をとらないし、事態は放任するようだと報告して、日本が朝鮮を攻めても清は干渉しないだろうという結論を得たと言った。
そこへ木戸、大久保が帰ってきた。
西郷はさっそく二人に朝鮮大使の件を持ち出すのだが、二人は決断ができない(海外での条約改正の成果の第一歩も踏み出せなかったことに忸怩していた)。
それでも閣議は西郷の派遣を内定し、三条が天皇にこれを奏上した。天皇は「朝鮮のことは西郷に任せよ」と内旨した。
こうしたところに岩倉や伊藤が帰朝した。
顔が出揃った明治政府は、ここで征韓論(というより西郷を大使として大院君の朝鮮に派遣するかどうか)をめぐって、真っ二つに割れた。
ここからがいわゆる「明治6年の政変」になる。
西郷下野のドラマのスタートだ。終局は明治10年の西南戦争になっていく。
その4年間、そこには実にさまざまな事件とその裏面での暗躍が交錯するのだが、そういう事情をいちいち書くのは、うざったい。
ただ10月14日の決定的な決裂を生んだ閣議だけについてふれておく。
10月14日の正院の閣議は使節団が帰朝して最初の閣議だった。
太政大臣の三条、右大臣の岩倉、参議の西郷・板垣・江藤・大隈・後藤・大木・大久保・副島の、以上10人が出席した。木戸は欠席した。
実は岩倉は、この閣議にあわよくば西郷を外そうと画策して、当日の朝に西郷に急使をたてのだが、西郷がこれを拒否した。
そういう前哨のあと、閣議では岩倉が口火をきって、「樺太におけるロシア人の暴行、台湾における生蕃の凶暴、朝鮮政府の無礼、この3件はいずれも重大だが、とくに樺太が焦眉の急務だ」と言った。
西郷はただちに反駁して、「朝鮮問題は国際上の葛藤で、皇威の隆否、国権の消長にかかわっている」と一蹴した。
大久保が西郷に反論をした。
大久保は朝鮮問題を急げば戦争になりかねないという主旨である。
西郷はその戦争をおこさぬための派遣交渉だという主旨を貫いた。
二人は真っ向から対立したのだが、ここは大久保が西郷の主旨を理解できなかったと見るほうがいい。
通説では、大久保が内治を重視し、西郷が外征を主張したとなっているが、そうではないだろう。 ついで板垣と副島が、大久保に「内治を整えるというが、どのくらいかかるのか」と詰め寄り、
大久保が50日ほどかかると答えると、さらに板垣が「その見込みがつけば大使派遣に賛成か」と尋ねると、
副島が「仮にそれを50日と決めて、その後に大使派遣に同意するとしてはどうか」という中間案を出した。
けれども西郷は譲らなかったのだ。
「すでに延ばせるだけ延ばした。それでは時期を逸するだけではないか」。
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』では、大久保が「拙者どもが不在のあいだは国家の大事は決めてはならんとうことで御座した」と言うと、
西郷が「左様な約束は知り申はん」、大久保が「そりゃいまになっせえ、卑怯じゃごわはんか」と反発し、そこで西郷が「お控えやんせ!」と一喝したとなっている。
閣議は翌日にも開かれたが、西郷は自分の言いたいことは述べたからと出てこなかった。
西郷に代わって主旨を加えたのは板垣と副島であるが、議論は平行線のままになる。
休憩中に三条と岩倉が密談した。その結果、再開後の閣議の冒頭で、三条が「いま大使派遣を否決すれば西郷参議は辞職する。
同君の進退は国家の安危にかかわるから、同君の説を尊重できないか」というふうに持ち出した。
岩倉は黙っていた。
ここでキレたのが大久保だ。
翌日、大久保は辞表を提出、これに続いて木戸・大隈・大木も辞表を出した。 こうして3日目の閣議となって、いよいよすべてを決することになるのだが、今度は岩倉がぬけぬけと欠席をする。
三条は右大臣(岩倉)がいないでは決議ができないと逃げる。そして必ず明日には決議すると約束した。西郷は渋々呑んだ。
このとき西郷は「朝鮮派遣施設決定始末」という自分の見方を綴った文書を用意していた。
そこでこれを清書して、翌日に三条に届けた。三条はそれを岩倉のところに持っていったのだが、そこで岩倉が面妖にも翻った。三条に「私は降りる」と辞意を示したのだ。
昨日の休憩中に密談した内容をくつがえし、三条一人に全責任を押し付けたといっていいだろう。
いっさいを一人で決断せざるをえなくなった三条は、このとき錯乱状態に入ったといわれる。
まだ37歳そこそこだ。
その真相がどうかはわからないが、この事態を察知したのが伊藤博文だった。
三条が理性を失っているという理由で、ここに岩倉を太政大臣代理の職につけ、岩倉の決裁でいっさいを解決してしまおうという画策だった。
天皇が三条の病状を見舞うということにして、そこで天皇が岩倉を太政大臣代理に命じるというシナリオだ。
これがまんまと図に当たった。
岩倉はまるでこれらの展開を読んでいたかのように、すばやく各自との密議を手配して、大久保にもこれを告げた。 西郷は不穏な空気を感じていた。
事態の急転を知った江藤らは憤然としていたが、西郷はもはや日本の命運が怪しくなったことを呑みこみ、「長袖、ついに国家の大事を誤る」と呟くだけだった。
10月23日、西郷は参議、近衛都督、陸軍大将のいずれの職についての辞表を提出する。
板垣・江藤・後藤・副島も連署しようとしたが、西郷がそれでは徒党を組んだようだと言ったので、翌日に別々に辞表を出した。
5人の参議はいずれも下野してしまったのだ。
よく知られた経緯の、いまだ十全には理解されていない部分をあえて書きすぎたかもしれない。
いずれにしても明治6年の政変は、その後の明治国家の命運を分けた。
大久保はこのあと明治国家の政権の中央に坐り、板垣らの4参議は政変の2カ月後に「民撰議員設立建白書」を起草して、自由民権運動を起爆していった。
しかし、西郷は翌11月にはさっさと鹿児島に帰村してしまった。大西郷の決然たる「退耕」である。
「残念」がなかったはずはない。
「千夜千冊」としては、久々に長くなってしまった。
これまでもそうだったが、年末年始、ぼくは何事かをいささか長く書く癖がある。
自分の感情の奥にひそむ何事かを、誰かの著書に託して覗く癖がある。今夜もそうなってきたのだが、ここで西郷隆盛についての感想を終えるのは、まだちょっと早い。
ここからのち、大久保が西郷の鹿児島における「退耕」を不審に思って、ついに西郷を攻める西南戦争に至るという明治国家最大の矛盾の事情を、いまさらあれこれ書きたいのではない。
「人間はどのようにでも落ち着けるものだと思いました。お笑い下さい」と綴った、あの残念を超える胸中と、それにしてはべらぼうな覚悟と愉快をもって鹿児島を西郷王国にしかねなかった計画について、その魂魄の一端にのみふれておきたいのだ。 その前に、一篇の詩を紹介しておきたい。
読めばすべてが伝わるだろうと思う。こういうものだ。
私に千糸の髪がある
墨よりも黒い
私に一片の心がある
雪よりも白い
髪は断ち切ることができても
心は断ち切れまい
かつて、ぼくはこの詩を『新・代表的日本人』というビデオ・シリーズのなかで朗読した。
西郷は明治維新の「負」をいっさい背負ったのですと言って、この詩を読んだのだが、リハーサルもあり、カメラも回り、20人近いスタッフがスタジオを埋めていたにもかかわらず、途中で声が途切れ、涙ぐんでしまった。
さっそくテイク2を申し出たけれど、ディレクターもスタッフも言うことを聞いてくれなかった。
いまでは、この判断をありがたく思っている。その場面を見ると、ああ、これがぼくの西郷論なんだと感じられるからだ。
ぼくの西郷論が「髪は断ち切ることができても、心は断ち切れまい」という一節を読む震える声だけだというのでは、あまりに情けないが、まあ、そういうこともあるものだ。
なんならビデオを入手して、ご覧いただきたい。が、「千夜千冊」のほうはそれではすまない。
もう少し、西郷の「どのようにでも落ち着けるものだと思いました」の内実を、披露しておきたい。 話はかんたんである。
西郷が鹿児島に帰って何をしたかということだ。
西郷が鹿児島でしたことは、次の漢詩にあらわれている。
山叟(さんそう) もとより帝京に滞(とどま)りがたし
絃声 車響 夢魂おどろく
垢塵(こうじん)たえず 衣裳の汚(けが)るるに
村舎 避け来たって 身世軽し
この「身世軽し」と嘯けたのが、鹿児島の西郷なのだ。
しかし、そうなったがゆえに、西郷は何事かの継承と伝達のために、心底、遊べた。
それが「私学校」というものだった。
私学校は、早くも明治7年6月に着手されている。
故山に帰ってまだ半年。
城山のふもとにある旧藩の厩跡を本校とし、やがて城下に12の分校を、郷村に124の分校を作った。
加えてさらに砲隊学校、幼年学校、吉野開墾社などを設けた。
私学校本校の生徒は歩兵出身者たちで、500名ほどになった。
午前に兵学と史学を集中して学び、あとは自由にさせた。
銃隊学校とも呼ばれた。
綱領に「道を同じふし、義あい協(かな)ふを以て、暗に聚合(しゅうごう)せり」、「道義に於ては、一身を顧みず、必ず踏み行ふべき事」、
さらに「王を尊び、民を憐むは学問の本旨、然ればすなわち天理を極め、人民の義務に臨みては、一向に難に当り、一統の儀をあい立つべき事」などとある。
西郷はこういうことを青年に伝唱させたのだ。
不特定多数の青年に対してではない。
西郷の知る特定少数に対してだ。 砲隊学校のほうは私学校の東隣に構えて、砲隊約200名を学ばせた。
この費用は県令(県知事)の大山綱良が薩摩藩時代の余裕金から充当した。
ちなみに最近の日本では岐阜県をはじめ、県庁の「裏金」がいろいろ問題になっていたが、そういうものは貯めたならば、最も高尚なることか、最も厚情なることかに一挙に費うべきなのである。
幼年学校は島津斉彬を祀る照国神社の前につくられ、生徒100名ほどを擁した。
陸軍士官の養成を眼目とした。
これが“賞典学校”ともいわれるのは、西郷、吉井友定、大山綱良、桐野利秋らが戊辰戦争のときの恩賞典禄のすべてを、学校設立のために拠出したからだった。
前身は、西郷が江戸詰めのときに永田町に設立した「集義塾」である。
吉野開墾社は城下の東北の吉野村に設立されたもので、農業学校にあたる。
昼間は耕作に励み、夜は学問に耽った。150人ほどがここに活動した。
草堂の額には陳龍川の一節を西郷が揮毫した。「一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓す」というものだ。
西郷が私学校を広げているとき、明治7年2月に佐賀では江藤新平と島義勇が「佐賀の乱」をおこした。
征韓党と憂国党が合体した挙兵だった。大久保はただちに鎮圧に乗り出し、江藤の首をさらした。
明治9年10月には、熊本の太田黒伴雄らの敬神党が政府の欧化主義に反旗をひるがえして、熊本鎮台・県庁を襲撃し、倒れた。「神風連の乱」である。
これもたった1日で鎮圧された。
その2日後、秋月では宮崎車嗣助・今村百八郎らが征韓派の400人をもって決起したが、福岡鎮台の兵が出動すると、たちまち瓦解した。「秋月の乱」である。
その翌日、長州の前原一誠は大久保の放った密偵に煽られて、殉国軍500名を集めて山口県庁を襲撃しようとした。が、あらかじめ察知されて萩城で一両日を闘って、壊滅した。「萩の乱」となった。
これらの勃然たる反乱は、いずれも表面上は征韓派の決起、あるいは不平分子の逆上、もしくは西郷隆盛との連携協調と見えた。 しかし、西郷はこれらの反乱に一度も加担せず、また私学校の生徒がこれらに呼応することを厳しく戒めていた。
「反乱を焦って困るのは、その土地の良民ばかりだ」というのが、生徒や桐野たちに言った言葉であるが、もっとはっきりいえば、これでは「日本は落ち着かない」からだった。
しかし、世間も周囲も、また政府も、そのようには見なかった、すべては西郷が画策しているか、そうでなくとも次の次には動くだろうと見ていた。
こうして大久保の内偵がついに鹿児島に放たれ、これに激怒した私学校生徒が自主的に立ち上がり、事態は西南戦争という明治最大の「内乱」に向かって驀進してしまったのである。
その話はしないことにする。
いや、次の夜の「千夜千冊」につなげることにする。
第1168夜に何をとりあげるかは歳末の次夜まで待っていただきたい。
まで待っていただきたい。 それでは、しめくくる。
西郷隆盛は日本が「するべきこと」と「してはならないこと」を体現したのであろうと思う。
西郷によって「するべきこと」が進行したこともあった。
また、「してはならないこと」が見えれば、そのつど、その場に仁王立ちをした。あるいはあえて「不在」を突きつけた。
しかし、「そこにはそれはない」ということをどのように伝えるべきかということは、やってみせることよりもずっと難しい。
初期の西郷はそのことに悩んだ。
けれども、自身を「土中の死骨」と喩えたころからは、日本の根底そのものに、その「ない」があることを察知した。
西郷はその「ない」の本来に気がついたのだ。これは「無」や「空」というものとは、ちょっとちがっている。
一言でいえば「面影の本来」をどう告示するかというものだが、それゆえに、そこにあらしめてはならないものだった。
西郷はそれを表現するのは、(漢詩をべつとして)へたくそだった。そのかわり、自身でその「ない」を一身で体現した。
「負」を引き取ったのだ。
キリマンジャロの凍豹ならぬ城山の山水になったのだ。
西郷隆盛は「負の山水」である。
日本という方法のための「負の山水」だった。
そう言ってわからないなら、ぼくが代って声を張り上げたい。
「おはんら、しばらく黙らっしゃい!」。
1167夜『西郷隆盛語録』西郷隆盛|松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1167.html 最新
19.7|まんぷく
16.4|相棒17
14.4|リーガルV
12.4|西郷どん
12.0|下町ロケット2
11.5|科捜研の女18
10.6|今日から俺は!!
*9.8|SUITS/スーツ
*9.0|大恋愛〜僕を忘れる君と
*8.7|ドロ刑-警視庁捜査三課-
*8.6|獣になれない私たち
*8.1|駐在刑事 (wait)
*7.2|僕らは奇跡でできている
*6.4|黄昏流星群
*6.3|中学聖日記
*6.1|不惑のスクラム(終)
*4.7|僕とシッポと神楽坂 (wait)
*4.6|ハラスメントゲーム(wait)
*4.6|あなたには渡さない (wait)
*3.8|昭和元禄落語心中 (wait)
*2.9|ブラックスキャンダル
*2.8|部活、好きじゃなきゃダメですか?
*2.8|結婚相手は抽選で (終)
*2.1|PRINCEOFLEGEND
*2.1|忘却のサチコ (wait)
*1.5|プリティが多すぎる
*1.0|ルームロンダリング
*0.5|文学処女(終) >>684
ホームドラマ化するのは女優の出番を増やしたい制作側の意向だろうからな
あまりに男臭くし過ぎて女優の出番が少しだけでは所属事務所も文句を言ってくるだろうし
ただ、幕末で女優の出番を増やそうとすると家庭内描写しかないからなあ >>733
斉彬編が5月の頭まで続いていたのがアカンかったと思う ところで最近の一蔵どんはどうしちゃったの?
フォースの暗黒面に落ちたの? 明治初期に、日本を如何近代国家に仕立て上げていくかの
具体的なマスタープランを持ってたのが大久保だったって事でしょ
岩倉にはそんな能力なく、ただ権力だけ握っていたかった
木戸は、長州愛が強すぎた
西郷は、人に優し過ぎて非情になれない 今日ラジオを聴いていたら、武田鉄矢さんが
村田新八が大好きだと言っていた。
武田鉄矢さんと言えば坂本龍馬オンリーだと
ばかり思っていたから、他の人も好きだとは
思わなかったな。 >>795
ワイドナショーで精神論全否定の戦史研究科、三浦女史に「村田新八というアコーディオン弾くしゃれた男が西郷決起の報に全てを投げ打ってはせ参じた」と噛み付いてたなw >>795
別府晋介により西郷どんの首がはねらねもしたな >>795
西田の歴史年表あるけど
民放入れたら武田鉄矢も年表出来るからな >>793
嫉妬女子からツンデレ女子にクラスチェンジしました。 武田鉄矢は、福岡出身だから
立花道雪・宗茂・高橋紹運
は、絶対に好きだろうな >>729
渋沢や井上が大蔵省辞めるの明治5年だから、辞職に至る対立相手は
大久保じゃなくて江藤達だよ。
確かに大久保のことを「理財に疎い」と批判してるけど
井上のおかげでそこまで深刻じゃない。 >>792
篤姫の下り丸々カットでも良かったと思う 録画しておいたヒストリア「鳥羽伏見の戦い」を遅ればせながら見たが、
慶喜が大阪城から敵前逃亡したと、慶喜をチキン扱いしていた。
しかし、錦の御旗のことをなにも番組内でふれないので、
かなり慶喜に対して悪意がある印象を受けた。 長州における井上のポジションっていまいち良くわからないよね
大村や広沢、前原がいなくなったら政府に残った長州人では明確に木戸の次くらいの
大物のような印象があったが、このドラマでは伊藤山縣と同列というか山縣より下座に座ってたり
山縣は陸軍卿で井上は浪人という官における序列なのかな >>804
それは短縮版なので時間的にカットしてある
明治維新150年スペシャル 決戦 鳥羽伏見の戦い 日本の未来を決めた7日間
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=msb0727&prgid=56181487 >>795
鉄矢は普通に歴オタからな。縄文時代とかも大好き。時に観念的過ぎるのが司馬オタらしいけどw >>807
そうなのか、そっちも見ないとね
しかし慶喜が引かなければすさまじい内戦になっていたことを考えれば、
ひいた慶喜の功労も評価できるはずなのに、ヒストリアではまったくチキンあつかいだったのが、
フェアじゃない 翔ぶがも幕末からやってただろ
幕末と明治編の2部構成だったが、非常にバランスよく構成されてたし
ドラマとしての見ごたえも十分だった。対してセゴは恐ろしくバランス悪い 維新以降の勝の消えっぷりが凄すぎるだろ
活躍しろよ 翔ぶでは、ひとりひとりが独立したエピで動いていたからね
桐野は、零落した幕臣の娘から兄のかたきと言われて、その娘とのかかわりを深めていく。
その娘も山形の不正事件にかかわったり、のちに西南戦争で死ぬ青年と恋したり。
川路はポリスという仕事するうえで、仲間から嫌われても原理主義者の道をいく。
ほかのこまごました人たちにも固有の人生や日常がかんじられたんだが、こちらは、
西郷がいるシーンの後ろにみんな立っていて、「ぼくはこういう考えです」みたいにセリフしゃべるだけだからねぇ。
ポテンシャルがもうぜんぜんちがうというか 西郷を明治から扱うとなるとただ暗いだけの話になりそうやな
勝はこのあたりで海軍大輔、海軍卿とかで征韓論に否定的だったのでは
でもこのドラマにおける西郷の理解者というポジションでそれを描くのは無理か さっきまで張り付いてた歴史自習ノート書き込みの長文爺さんは昼飯タイムか?
また昼寝が終わったら這い出て来そうな悪寒 >>805
このドラマに上座下座の概念があると思ってか。 >>813
勝は西郷は征韓論者ではないと主張してるけどな >>816
西郷は本当に征韓論者だったのか否か、
征韓論者でないとしたら下野の真の理由は?
という点だけでも、ドラマとして十分おいしいネタだと思うけど
なんでそういうとこをねちっこくやらないんだろうなぁ 西郷どんで唯一好きなのが川路利良。
演じている泉澤祐希くんは朝ドラ『ひよっこ』ではヒロインの幼馴染
である三男を好演していた。
何だかんだ言っても川路がいなければ今の警視庁は存在しない。
私学校にとっては憎らしい相手かも知れないが、日本にとっては必要
不可欠な人材だった。夭折が惜しまれる。 最後らへんの半次郎の大立ち回りはいらんかった
観てて恥ずかしくなる 映画るろうに検診と同じぐらい痛々しい殺陣だったよな
派手なアクション見せてるだけで、歌舞伎や時代劇のイロハがまるでド素人 頼みの綱だった関西が視聴率落ちてるな
オーラスで失敗大河の勲章増えそうな展開かこれ 本当無駄な殺陣だった
エンタメ映画な殺陣だしその間スマホ見てたわ あのアクションで歌舞伎とか時代劇のお決まりは見たくない気もする(笑) あぁいう殺陣をみると
結構余計なことをしてきそうだから
アコーディオンっていうおもしろアイテムをただ弾いておしまいってことはないだろうな 入浴シーンの出っ腹を見て心配になった
いくら役者魂といってもあそこまで太って健康は大丈夫なのか? 魅せる基礎のイロハができてないのに、とってつけたように示現流の
猿叫だけは大声で繰り返すから痛々しさに拍車がかかってる
まともな時代劇を知ってる層ならアチャーて赤面して顔隠したくなるレベル 加山雄三って岩倉具視の子孫だったらしいな
鶴瓶じゃなくて加山に岩倉の役やってもらったらよかったのにな。 >>813
そもそも西郷に明るい話が有るのか?
ドラマでは捏造…創作しているだけで、
華やかさとかとは真逆の人だからなー 近代的な国家の軍の強さとは何かと考えされたんじゃないかな
そこらを桐野とか勘違いしてたと思う
個人の勇や武芸がいくら高くても結局は個のままだった >>835
源頼朝からの長い武士の世だったからな
近代的な国家の軍の強さとは言われてもあの当時の武士はサッパリわからんだろうな >>790
私学校生徒に捕らえ苛酷な拷問を受けた中原尚雄の自白を(西郷に蜂起を決心させる為に)
都合良く私学校生徒が暗殺話にすり替えたと言われているな
(西郷を視察するを刺殺へ、差し違えてでも西郷を止めるつもりを暗殺すると解釈したとも)
>>821
カッコイイと思う以前に見る人が見たら「なんだこいつガキか」だろうね
>>830
1会戦で10万発単位で消費するもんだから、あの程度は大目に見てやって まぁでもイメージだけならセゴの内務狂大久保はよくできてると思う
元々悪者の印象が強いだけに、悪に徹したらバッチリキマってるw
ちんちくりんだしビジュアル的には鹿賀大久保の足元にも及ばんけど >>839
役者としての重厚感と言うか格では全然違うよな
年齢的にはそう離れてないのに(鹿賀は当時で40歳、瑛太は35歳)、ガキっぽい顔立ちの瑛太と鹿賀では
実年齢以上の風格の差を感じる
ただ実物の写真と見比べると瑛太の童顔の方が鹿賀より本人似だったりするが・・・
(実物は目のあたりが案外と山口達也似だったり) 近代の軍の強さが分からないというか、旧士族ってのは日本刀だの精神だの既得権益だの、
武士っていう存在そのものの保全にこだわってるわけだから、矛盾が生じるんだよ
近代軍になるってことは、そこをなくさないとダメなんでw >>842
呑百姓にその特権を奪われるとなると激しい抵抗はするだろうな だから滅びるしかないんだよね。もう時代の流れとしか言いようがない
死ぬべくして死んだと >>838
田原坂で撃ちながら鋳造するはめになるのにMOTTAINAI
「翔ぶが如く」で一番良いと思ったキャストは緒方の従道だ 緒方の演技なかなかうまいのに
そのごあまり売れっ子になってないな 飛ぶの柔道は国生さゆりを娶ってたのが羨ましかったわ
セゴと違って綺麗どころもよかったよな、のりぴーとか国生とか石田えりとか
まぁいとどんやら天璋院はたまに見苦しかったけど 実戦部隊としては、
むしろ徳川家の方が農兵、徴募兵の制度化を進めてたからな
それが大政奉還で行き場失って一部関東・北陸でヒャッハーしたのもいたけど
洋式武装、調練を受けた一塊りの元・徳川陸軍はそこらの藩兵でどうこう出来る規模じゃなかった
長州征討が本格化すると隠居が殺到した旗本八万騎は実戦軍備としては半ば見限られてた
薩摩の場合、維新に至るまで殺し合い過ぎて絶滅危惧化した水戸とか
そうせいの下で右に左に殺し合いながら首の皮一枚で維新を主導で来た長州
上から成敗してコントロールしつつ保守寄りだったから一歩出遅れた土佐と比べると
武士間の上(久光)・中(小松)・下(西郷大久保)が要所で噛み合って
最低限の内紛で家中の武士層をほぼ丸ごと温存したまま維新の中心勢力になったから
武士のまま実戦、戦さに勝ってしまうとどうしても「御恩と奉公」になる。
しかも、それまで家中をまとめていた軟着陸させるための上中下の要が明治初期に欠けてしまった状態で
戦さに勝ち残った「功臣」が丸ごと残ってしまった 岩倉の襲撃シーンも入れて欲しかった
あれじゃ大したことなさそう
鶴瓶なら情けなく見えてもやってくれるでしょ >>841
私学校の面々をとっても翔ぶとは風格が違うと思う
何か軽いんだよな私学校の幹部クラスが
それに幹部以下の役名の無い私学校生徒はただのヤンキーDQN厨房集団か?と
脚本や原作の描き方に役者が影響を受けてるからなのかもしれないが >>811
この頃の勝さんって、活躍できるような立場にいたのかな
慶喜や徳川宗家の人について静岡にいるとかじゃないの >>852
ケガを負って騒いでる岩倉は認知症の爺さんに見えた しかし自分が要職に付けずに西郷頼って鹿児島に戻って来た薩摩の奴等って
天下り先を必死で探してる今の官僚みたいだよな 今も昔も役人はクソだな 鹿児島に帰ってきた連中は、全員兵とか警官とかの国家の公務員だろ
一応、国からの給金が入るから生活できるはずなのに
鹿児島に帰ると、無職でどうやって生活する気だったんだろ?
家族もいるはずだし 実家で農家でも出来たのかな? 明治政府が近代化を急務とした理由は中国にある。
まず1796年から1804年にかけて白蓮教徒の乱が起きた。
これは社会矛盾・官僚の腐敗・地方農民の没落などが進行した
結果、十万人規模の反乱となった。
清朝正規軍八旗・緑営は長い平和により堕落しており、反乱軍に
対しての主戦力とはならず、それに代わったのが郷勇と呼ばれる
義勇兵と団練と呼ばれる自衛武装集団であった。
鎮圧はしたものの政府がこの反乱に費やした巨額の費用は国庫を
空にしてまだ足りず、増税へと繋がり、社会不安を醸成していった。
また満州族の軍隊である八旗が弱体化を露呈し、清朝の威信を失墜させ、
少数派である満州族による多数派の漢民族支配への不安を抱かせた。
この社会不安に付け込んで1840年にアヘン戦争を仕掛けたのがイギリスだった。
敗戦した清国は多額の賠償金を請求され、それは重税となって農民らを苦しめた。
そして1851年、洪秀全を天王としたキリスト教組織、太平天国によって
20万人規模の反乱が起きた。そのさ中イギリス、フランスは完全ないいがかりで
1856年アロー戦争を開始。
英仏が徳川幕府から軍馬を購入するなどあり、清国の状況は日本もある程度把握
していた。また薩摩藩の五代友厚や長州藩の高杉晋作らは清国に赴き、その惨状
を藩主に伝えている。
アロー戦争で北京が陥落すると、南下したロシアが調停に入り、清国は英仏露と
新たな不平等条約を締結することになった。
清国が列強に侵略されたのは、白蓮教徒の乱、太平天国の乱の混乱に付け込まれた
側面が大きい。明治政府は四民平等の元、180万人のいた士族の解体を進めており、
それが不平士族となって大規模な反乱が起こることをひたすら恐れた。
結局西南戦争は士族同士の潰し合いとなったが、翌年には近衛兵が竹橋事件を
起こし、それは515、226事件へとつらなっていく。この士族問題は太平洋戦争まで
引きずったような気がする。 明治政府はなぜ士族を兵隊にしなかったんだろうか
初期士族の兵にして後に民兵に以降していっても良かった
神風連や西南戦争では装備が互角なら士族の兵の方が強かった訳だからな 士族反乱って政略的に政府側が唆したんだろ
体よく鎮圧できるように散発させて各個撃破 >>863
刀から銃への時代、刀こそ至高な旧武士出身者はプライドが高いだけで扱い辛かった 軍師官兵衛、真田丸と期待を裏切られたが
西郷どんは三度目の正直で歴史を無視して主人公が勝利で完結してほしい 大久保は真似てるんだろうかたまに久光みたいなしゃべり方するよな >>863
世襲だと勘違いされても面倒だしね。
馬上資格だの元町人・百姓だのと旧身分秩序を引きずって反目されても困るだろうし。
一度完全にリセットしたかったんだろう。 >>750
俺もそう思ったんだが、東北とは関係ないみたいだし…。 OPクレジットのトメが本作ほど破天荒だったのも初めてなんだけど、
最近の大河あんま注意してみてなかったからオレが知らんだけ?
最初のクールは飛ぶの高橋英樹並に安定感のあるケンさんだったけど、
中盤から誰もいなくなるわw、1回で死ぬ彦根とか、どうでもいい酒飲みとか
しまいには掟破りみたく大久保をトメにもってきてるわ、ハチャメチャすぎだろ >>867
一蔵どんが暗殺されて悲しみに暮れる吉之助が見たいわ >>845
有馬に乗っかって脱藩突出しようとしたときに
大久保に「吉之助さぁの言葉に実の弟が背いて済むことではなかとか」って
ブチギレられてた信吾が
川路に酒を注いでくいやいの最終回
緒形の信吾好きなキャスト >>811
それは明治物のお約束なのか西郷どん、翔ぶが如くでも、明治以降は慶喜、篤姫、勝つはまったくと言っていいほど出てこない
勝は明治以降も、西郷、大久保とかなり深くかかわっているのに >>863
士族も徴兵対象なので政府の兵隊ではあります。
ただ、軍の中の扱いが庶民と同じなだけで。
それが士族は気に入らないわけですが。
>>859
秩禄処分があるまで士族というだけで給金もらえてまして。
政府出仕でそれに+α。 >>831
加山雄三は、「翔ぶが」では斉彬だった
高橋英樹は久光だったが、「篤姫」で斉彬に昇格した
加山雄三が斉彬から岩倉具視になるのは、昇格になるのかな
ツルベがやるよりは、加山の方がよかったけど 乃木「数次に渡り決死隊を突撃させておりますが旅順はまだ落ちません、若者達をたくさん死なせてしまいました、閣下には大変申し訳なく」
東郷「乃木さん!海軍も同じです、御苦労様です本当に御苦労様です」 >>883
勝は田村正和のハイテンションなイメージ
エンケンはそもそもルックス的に本人と大違いだから
あとは五稜郭の津川雅彦の勝
里見浩太朗榎本武揚との平行線が印象的 岩倉が襲撃されて、幕末でも桜田門外とか有ったのに、
大久保移動時の警護が無かったのはなぜだろう?
最も狙われるのは自明なのに。自覚が無かったのか? 薩摩藩て、必要以上に藩士が多いから
家禄って言っても、微々たるものでしょ
中村半次郎なんて、芋盗んでたくらいだし
食うのがやっと、半農半士なのに
東京で贅沢覚えてたら、薩摩に帰っても生活面での不満だらけだっただろうな >>841
声も若々しすぎるし瑛太大久保は良いとこ無しだわ
まあ、脚本キャラ設定が糞だから演技が乗ってないのもよく分かる >>879
鶴瓶が年寄り過ぎって言われてるのにさらにジジイにしてどうするんだよ >>886
王侯貴族とは違う武士のプライドだろうな。死に対しては過剰に執着しないというのは美学のようなものだし
現代の暗殺の価値もないような政治家が、護衛を何人も付けてるのは本当に見苦しい >>893
後に若き日の頭山満が西郷邸を訪ねてきて「西郷先生に会いに来ました」と言うと雪篷が、「西郷はとっくにおらんよ」と返したら「いえ、西郷先生の身体は死んでもその精神は死にません。私は西郷先生の精神に会いに来たのです」というエピソードがある >>889
お前全部妄想だよね
知りたかったらまず調べろよ 私学校って、県費以前に西郷も桐野も大久保も出資してるんだな。
このドラマだと大久保は関り知らなかったみたいになってるけど。 >>889
少なくとも秩禄処分までは賞典禄200石が出ていたらしいから、明治にはそんなに貧乏ではないはず。
封建時代と違って家来も馬も養わなくていいし。 >>839
大久保はだいたいあんな描き方で良いんじゃないか
西郷を根っからの善人として描くのは正しいが、『翔ぶが如く』では大久保までが善人だったからな
征韓論争では江藤たちから西郷を救い出すためという設定だったし、下野した西郷が桐野達から担がれないよう川路に監視するよう命じたのが、ひょんなことから暗殺騒ぎになってしまうという、ボタンの掛け違いからすべて狂ってしまったという展開だった
その辺り今後、どう描かれるかな 新八はよく出るが、なかなか出ないのが松方正義、黒田清隆、五代友厚あたりだな >>897
200石って、それ上級武士だろ
そんな奴、好き好んで付和雷同の仲間に入らないだろ
兵隊や巡査になった連中って、10石も貰ってたら良い方じゃない?
薩摩藩時代でも、役職に付けば多少の実入りもあっただろうけど
無役だと、ほぼ百姓してたんじゃないか?
長州藩藩士も、似たようなもんだろうけど
松陰は、田んぼのあぜ道で学問学んだとか逸話残ってるし 桐野って、金払いはよい方なのか、サラリーを吝く貯めていた方なのか? ウィキってたら
江藤の晒し首の画像見ちゃった。゚(゚´Д`゚)゚。 >>903
それ、明治政府から出てるんだろ
下野しても出るのか?
薩摩に帰ると、半農の下士じゃないの?
薩摩藩で、中村半次郎にそんな碌くれるはずないだろ >>905
もちろん明治政府が出すんだが、家禄みたいなものだから、公職に在ろうがなかろうが出る。
だからこそ財政負担が重くて、秩禄処分で廃止された。
私学校に、その一年分を出資したらしい。 幕末の3大人切りの異名を持つ中村半次郎
実際はともかく、暗殺稼業を生業にしてたとすると
指令は誰から出てたんだろ?
武智は岡田をパシリに使ってたけど >>906
家禄って言うから先祖伝来の扶持と勘違いするんだな
西郷が、旧態依然の武士の恩賞感覚で出したんだろうけど
西郷は薩摩藩主じゃないから、薩摩藩の武士としては出せないよな
西郷自身、明治政府を私物化してたふしが有る
西南戦争なんて、一般庶民から見れば、ただの権力争いなんだろうな
何の大義名分も無い 大河ドラマの西郷の善人・平和キャラだと西南戦争に至った経緯をどうするんだろうな。暴走した桐野たちを見捨てられず殉じたことにするしかないんだろうけど。 あれだけ新政府に対して牙をむいてた海江田が
今まさにって時期におとなしくなってるんだね。 >>910
西郷は善人だろう、イケイケどんどんな所はあるが >>910
そりゃ西郷を描いた作品はすべてそうだよ
『翔ぶが如くも』
ただ今回は桐野や篠原ではなく、もっと下の連中の暴走が引き金になる展開だろうな 西郷は慶喜を含めたら大久保と二人も理解者との袂を分かってる >>915
ということは貴乃花みたいな性格だったのかな 結果オーライで評価されておるけど、倒幕も征韓論争も不平士族の件も
西郷が中心にいて最悪手を打ったとも言えるんだよな 石牟礼道子さんの西南役伝説が庶民から見た西南のえき当時
の現場はどうなのかよく表してる
当時の古老から丹念に証言を集めてる
田んぼに首があって脂ギラギラとか薩軍がススキのように刀挙げて吶喊してきたとか 江藤新八の演技 ”西郷隆盛には失望した” には感動した
紳士然とした参議から 汚れた武士への変貌、同一人物には思えない 西郷は器量があった。
大久保は度量があった。
スマップに例えるとキムタクが西郷。
中居が大久保。異論は認める。 江藤評
渋沢栄一「学問があってよく物を知っていても、礼をわきまえなかったばかりに身を滅ぼした最も著しい例は、佐賀の乱で刑死した江藤新平である」
勝海舟江「江藤新平、あれはおどろいた才物だよ、しかし、ピリピリしておって、じつにあぶないよ」 SMAPはちょっとな
時代遡ると
大久保が 足利直義 実務型、体制構築のビジョンと、明確な公平性あり
西郷が 足利尊氏 カリスマ型 恩賞重視で、誰にでもいい顔
武士の時代なら、西郷が支持を集め勝ってたが
時代は、天皇の元臣民は平等の時代に変化していた 西南の役は所詮内輪もめ。
その時鹿児島にいただけで巻き込まれた
鹿児島士族も相当いたんだろうな。 >>928
太平記の真田広之も煮え切らない雰囲気出してたな
美しい国が作りたいとか言ってたしw
西郷には尊氏における佐々木判官みたいな盟友とか
高師直みたいな執事はいないけど 尊氏自体頼朝家康と比べて政治家としてどこが優れてるかというとつかみどころがないからな >>928
西郷は人の好き嫌いはっきりしてるって散々言ってるだろ 青木崇高の演じるキャラは大河ドラマでは当たり役ばかりだな 国父チャンネルで久光がクレジットがいつも滝の辺りとぼやく所が好きw ここまで大久保を悪役に描くのなら死ぬときも劇的に描いて欲しい
死ぬ瞬間時間が止まって舞台は暗転し今までの登場人物が大久保を問い詰めるような
決して極楽には行けないことを暗示する終わり方で幕にしてほしい 青木崇高さんの島津久光公確かに良い。
島津久光公は頑固で保守的なイメージがあるけど、
実際の久光公は西南の役の後に世帯主や跡継ぎを
失った鹿児島士族の家族たちを陰になり日向になり支援
していたらしい。 >>939
西郷隆盛上げの為に大久保利通が
悪く描かれるのは納得いかない。
もっとも自分が西郷ではなく大久保の方に
共感を感じるから、やっかみなのかも
知れないが・・・。 >>940
肖像画を見ると顔の骨格が似ていると思う 後藤象二郎も龍馬伝のあのキャラで知名度が上がったんで
何か愛され悪役のノウハウがあるのかも知れん 案外久光公は悪役キャラではないかも。
西郷や大久保とは険悪だったかもしれないけど、
他の藩士とは良好だったんじゃないかな。 西郷さんファンは是非ご一読を!
「長州の天皇征伐」 太田龍著 西郷は職場でも家庭でも同じような感じなのに大久保はまるで別人のようだった
家庭は大久保家の方が楽しそうだな
職場の雰囲気は最悪だけど 西南戦争始まった頃はもう木戸は病に臥せってたの?
木戸が生きてたら西郷は死ななかったような
たらればだけど 大久保は大体史実どおり描いているのではないか?
それで印象が悪く映るのならそれはやはり悪いからだろう
実際当時は嫌われていたわけだし
ただし私利私欲のため、私腹を肥やすタイプの悪さではない 金銭には潔白で私財を蓄えることをせず、それどころか必要だが予算のつかなかった公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で埋めていた。
そのために死後の財産が現金140円に対して8,000円もの借金が残り、所有財産も全て抵当に入っていたが、大久保の志を知っていた債権者たちは借財の返済を遺族に求めなかったという。
政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円(平成30年の価値で2億円)を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で遺族を養うことにした。 >>939
薩摩は廃仏棄釈したので
その後は浄土真宗がふえた。
悪人こそ浄土へ行き悟りを開く。
阿弥陀が菩薩だった時からの本願だった。 大久保利通は明治の黎明期には必要な人材だった。
人望は西郷隆盛に及ばなくても大久保を認めていた
人も多い。
故郷の先輩である吉井友実や西郷の実弟の西郷従道、従弟の大山巌が
西郷ではなく大久保を選んでいる。
しかし唯一の例外が村田新八。
彼は大久保に一番政治思想が近いはずなのに、西郷を選んだ。
この理由が解けた時、西郷隆盛の実像が分かるんだろうな。 >>904
>>922
どんなのかって見てみたら、当時は売り物にしてたんだね。今とは感性が違うわ。 今作の新八どんは誰かの台詞の後に腹を壊す馬鹿としか描かれていないので
謎は解けない >>953
欧州の労働者が悲惨な待遇であることから
大久保の政策にのれない。
そう言ってなかった? >>948
明治初年から体調を崩し気味で、洋行から帰国後に馬車の事故で
頭痛と左半身の麻痺に悩まされてる。明治10年の初めには
倒れてることの方が多い。
それでも、鹿児島が不穏な空気と聞いて「西郷に会ってくる」って
言って出掛けようとして、「命が危ないから」と止められてる。
その後、西郷が蜂起したと聞くと征討軍の指揮官を志願して、
「その体調で行くな」とやっぱり止められてる。
伊藤や岩倉達の説得だけだと諦めなかったので、明治天皇が
「木戸は側から離れてはならん」と言って止めた。
洋行後も木戸が元気だったら……、大久保の禿が更に拡大するのは
確実だなw
政策に於いて大久保の足りない視点を補える人だから、協力し合えば
周囲の不平とかももう少し収まってたかもね。 時のフランス公使が本所の近くで猟をしていた時に、誤って畑に出ていた農夫に弾丸が当り、即死した。
直ぐ羅卒が公使とは知らずに屯所に引致したが、取調べ中その公使は逆に引致した無礼を怒り、外務卿を呼べ、
このような公使を引致するような野蛮国には居られぬから帰国すると騒ぎ立てた。この問題について会議が行われたとき、
西郷隆盛がこうなっては仕方が無いから、その引致した羅卒に切腹せしめて謝罪しようといいだすと、江藤司法卿は、
『それはもってのほかである。
羅卒の行為は職務を執行したので、更に落度は無い。いかに謝罪のためとはいえ、罪無き羅卒に死を命ずるは法の表に背く。
これは本官の職掌であるから、万事一任されたい。自ら公使を訪うて談判をいたそう』と引き受け、すぐ横浜に出張して公使に面会し、
『公使と知らずして無礼を働いた羅卒は貴官が気の済むように処分するが、貴官もまた過失殺傷の罪に問うて宜しいか。
それとも互いに譲歩して、我も貴官を法に問わぬ代わりに帰国を思い止らるるか』と義理明白に説いたので、
公使も意を和らげ、却って過失を謝して事は無事に済んだ。 (wikiより抜粋)
この逸話読むと、この大河の瞬間湯沸かし器みたいなバカには見えないけどな、江藤 慶喜公ですらあの体たらくだったのに
この朝ドラ組が江藤なんてモブをカミソリ扱いするわけ無いだろ 薩摩士族(特に郷士ね)も皆が西郷軍にシンパしてた訳ではない進軍ラッパの時は仕方なく従軍したけど政府軍の猛烈な反攻で大勢を鑑み
耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
もって万世に泰平を拓かんと欲っす
ですぐに降伏の意を示した >>946
アマゾンでチェックしたら、「8160円より」って、高っw
でもおすすめの本を教えてくれるのは有り難いです 存在としてはまあラストサムライ的な人なんだが、剣術も出来ない不思議な人w
ちなみに戦国ラストサムライは真田信繁だと思ってる デブの西郷、はげの大久保、どちらも横死しちゃうんだからな。 >>939
やはりどこの時代劇も大久保の死ぬときはリアルにやってないから
ここはリアルにやって伝説を残すべきだな そりゃ内田有紀の様な愛人がいれば
禿げるワイ(現実とドラマが混同してる奴 >>965
「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」
うーん無理! ところで伊藤博文の描かれ方はあれで合ってるの?
今のところ木戸の腰ぎんちゃくの小男にしか見えないのだが あれでいい
木戸に頭が上がらんかったのは本人の弁からして事実 やはりこのドラマも最後は「紀尾井坂の変」で終了するんだろうな?・・・・・ >>971
最後は西田敏行で終了でしょう
そうするために明治編は菊次郎の過去録の語りで始まったんじゃない >>973
OPと締め両方やるのが本妻の役目やろ(´・ω・`) >>939
なんですかその、「真景 累ヶ淵」みたいな恐ろしい最期は >>969
俊輔が人がましく生きれるようになったのって、桂の力が大だからなw
高杉より恩人と言っていい >>965
「獅子の時代」、「翔ぶが如く」でもやってないから・・・ >>944
むしろ珍しいぐらい西郷とは良好だけどね 大久保の暗殺こそ
憎悪に満ちたものなのにもったいない >>969
大河の伊藤はほぼ小物キャラだな
後に大久保にすり寄っていくが >>980
獅子の時代は、大久保が
演説する珍しい演出だった。 伊藤は小物だからこそ
あそこまで生き延びたんだろうな 小物であるべき時期とそうでない時期を弁えていたからこそ
日本国の大宰相になり得たのよ、大隈との駆け引きとかそれだけでドラマ10話分になりえるぞ? 優香のオッパイはいつぞやを境に
萎んでしもうた(´・ω・`) >>991
日本政治史上稀に見る凄まじい政争劇なんだけどな 大河ドラマで伊藤博文か大隈やりゃいいのにな
伊藤博文はまぁ無理だろうが大隈はできるだろ >>991
八重では明治十四年の政変とか不平等条約改正のため
大隈重信を外務大臣に迎える伊藤博文とか
大隈重信襲撃事件とかで結構大隈の出番多かった >>992
たぶん知らない人が多いだろうな
だからこそドラマ化して世に出てほしいな 椅子に座って討論戦わせる政治モノなんて、世界一視聴率取れない
タブー中のタブーだろ、だから明治も西南戦争以降は少ないのに 小倉久寛の伊藤より
今の伊藤のほうがそっくりでいいな ≫∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨.≪
≫ ≪ _,,,―.,,''
≫ 今だ、999ゲットオォォォォォ!!! ≪ ,,'' i
≫ ≪ ,'⌒ヽ /⌒ヽ _.i ヽ、_,,
≫∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧.≪ ヽ, '., ./ ..i _,,,―'''' ヽ、_,,
ヽ ', / ,' '''' _,,,―''' _,,,―
∧ ∧ i .レ ./ __,,,_ _,,,―'.,,''
/ .ヽ / .ヽ ,ノ .i .∠-'''' .ヽ,,'' i
/ `― ‐´ `‐ _,,―'' ノ,,,,--''' i ヽ、_,,
.'´◯ .┌─┐ ◯ ヽ,,,,,―'''' __ノヽ、__,,
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ヽ |――┤ _,,-'' 〃
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