貧困層は明治の近代化でもっと大変になった
これまでは村請制で村単位で納税していたから、
不足分は村の豪農(つまり名主クラス)が一部代納してくれたり
名主が役人に交渉して減税してもらったり
借金で返済に苦しんでも、ご近所の人間関係で多少は目をつむったりしてくれた
村の神社やお寺の仲介機能も大きかった

明治になったら税は個々が納税するし
飢饉が起きようが天災が起きようが、基本的に税は変わらん
借金で返済に苦しめば、裁判所に容赦なく差し押さえられる
寺や神社の仲介機能はあまりない

だから貧困層は出稼ぎとして都市へ進出し、工場労働のブルーカラーになったりした