●史実にもとづく西郷隆盛まとめ

・政府からの給金が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円の超高給公務員。ブタの霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
・千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹
・実際に会った人たちの証言「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
・低姿勢で西郷に協力を要請してきた島津久光を「ジゴロウ(田舎モン)」と罵倒
・自分は政府から年間2億4千万も貰っていながら、井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒
・自分は薩摩人を政府に大量コネ採用させていながら、大隈重信を「俗吏」と罵倒
・大隈重信「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、太政官に出頭してもただ板垣退助と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていった」
・大山巌 「西郷さんは人望を集めようといつも必死でした」
・福沢諭吉「恐ろしいほど教養が無い」
・木戸孝允 「たいがいにせい」
・藩命とはいえ、親友月照を海に突き落として殺害(月照が海に立小便してるところを後ろからタックル)
・子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる。奄美の老人「西郷さんの記念碑が奄美に建てられたときアイカナさんは碑を踏みつけ唾を吐きかけとった」
・江戸の町でレイプ、強盗、放火と卑劣の限りをつくして幕府を挑発。しかも自分では手を下さず雇った浪士にやらす
・西郷自身が江戸総攻撃を主張していながら、計画が頓挫すると西郷が総攻撃を止めさせ江戸百万人を救ったことに、いつのまにかなっていた
・盟友だった大久保利通と袂を分かち鹿児島に帰郷すると、会う人会う人に大久保の悪口を吹聴しまくる
・鹿児島で西郷が外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせていた
・西南戦争では前線で毎日若者が戦死しているさなか自分は後方の安全地帯で趣味のウサギ狩り(西南戦争は自分のせいじゃないアピール)
・軍議の最中に一人だけ専用室で昼寝(西南戦争は自分のせいじゃないアピール)
・「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起したが玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願
・しかも助命の使者を満面の笑みで送り出した
・助命を断られると玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 部下の桐野利秋に見つかり射殺された