比較して思う所を書くと、

徳川慶喜は武家の棟梁としてあり得ない逃げ方をした
武士としては呆れ果てる逃げ方の上で恭順する態度を徹底した事で
「徳川将軍家」として継戦する事の「正統性」の目を完全に否定して
朝廷官軍とそれに逆らう者、を明確に差別化して後者への正統性を与えなかった

松平容保は、家臣の命懸けの働きを否定する事が出来なかった
松平容保が非を認め腹を切った場合、会津松平家としての忠義忠誠を決定的に否定する事になる
終わって見れば所詮は政争、そこに勝ち負けがあるとしても、
武士にとっては人格、尊厳に関わる一線がある
薩長政府が松平容保の首を取る、それを許してしまえばその一線が完全に崩壊する
いわゆる会津藩は形式上は会津松平家家中。その家長、父に当たる松平容保の首を差し出して命永らえた場合、
「忠臣蔵」の価値観で生きている当時の社会では家臣一同社会的に死ぬ

西郷隆盛は、「武士の世」と共に終わった
現代ではネガティブなイメージの徴兵制を、ドラマの西郷どんは皆が武士となり国を守ると誇らしげに語っていた
西南戦争、実の所その足元で起きていた民衆レベルへの残酷な弊害、
そういう残酷さを含めた支配者であり、そして庇護者であった野蛮で温かな「兄貴」としての武士の存在
武士の礼を以て切腹を勧めた山縣有朋に対し、
或いは民を巻き込み、支配しながら民を守って来た「戦さ人」として
最後の武士の戦さを前のめりにやり遂げる事で、
軍事も含めて民が武士と言う「兄貴」から自立する時代を象徴させた