もしそんな電文が実在してたら、薩軍にとっては極めて有力な証拠だから
九州臨時裁判所の取調で存在を主張してないとおかしい
西郷は中原の口供が唯一の挙兵の大義名分なので、口供書を抱えて九州各地を移動してたほど
なのにそんな電文の存在は確認されてないし、裁判でも誰も言及してない

そもそも、川路大警視が与えた訓示を彼らはメモしていて詳しい内容まで再現できている
説得のために諸国の士族の情況までメモさせて送り出したのに、わざわざ指示を送る必要性なんて皆無
戦後になって伝記作るときにもっともらしく「史実」にされた情報