何故ここまでオリンピックを題材にしたいだてんが全国の視聴者から見られないかを考えてみた

まず東京の地図を出して金栗が練習でどこ経由でどこを走ったとかやられても全く東京の地理に明るくない人にはどうでもいいことに感じると思う

落語「芝浜」も東京に住んでないとピンと来ない羽田との距離感など
不特定多数の地方を置き去りにして宮藤官九郎ファミリーや東京都民などの身内だけではしゃいでいるのが見え隠れしてくる

宮藤官九郎は庶民の大河にしたくて志ん生を選んだというが
それが東京のごく一部の狭義的な庶民だから
そこを全面的に押し出されても全国の視聴者から共感は得られないのも当たり前の結果だとも思う

だから余計に宮藤官九郎ファミリーや東京都民のごく内輪だけがはしゃいでいるように地方は敏感に感じ冷ややかに見ている
地方から出てきた金栗を過度に田舎者としてオドオドした人物に演出したのも逆効果でしたね
東京至上主義のような鼻持ちなら無いものを感じた視聴者も多かったんじゃないでしょうか

いまの日本がかかえている「東京オリンピック誘致実現しても活況を呈しているのは東京を中心とした周辺地域だけで、不況に喘ぐ地方との温度差の実在」
オリンピックを題材にしたこのドラマへの温度差が根底に内実しているのでは無いだろうか?