【2022年 大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part2
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2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
【放送予定】
2022年1〜12月
【脚本】
三谷幸喜
【制作統括】
清水拓哉(「真田丸」「いだてん」「腐女子、うっかりゲイに告る。」)
尾崎裕和(「軍師官兵衛」「あさが来た」「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」)
【演出】
吉田照幸(「あまちゃん」「エール」『探偵はBARにいる3』)
【プロデューサー】
大越大士、吉岡和彦、川口俊介 2022年に放送されるNHKの大河ドラマのタイトルが「鎌倉殿の13人」に決定した。演出は三谷幸喜さん。三谷さんが手がける大河ドラマは、2004年の「新選組!」、2016年の「真田丸」に続き3回目となる。1月8日、東京・渋谷の同局で行われた会見で発表された。
会見に出席した三谷さんは、タイトルについて「新しい大河を作りたいと思いまして、こんなタイトルは(いままで)ないだろうという思いで付けました」と説明しつつ、「北条義時が鎌倉幕府を作るまでを描きたいと思います」と意気込みを語った。 NHKは8日、東京・渋谷の同局で会見を行い、2022年に放送される大河ドラマ第61作は、鎌倉幕府の第2代執権、北条義時を主人公とした「鎌倉殿の13人」、脚本はヒットメーカー・三谷幸喜氏(58)、主演は小栗旬(37)に決まったと発表した。
三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3回目の大河脚本。小栗は大河初主演となる。 (スポニチ) 子供の時に草燃える見た
年食ってまた鎌倉初期源氏三代の時代とは
間45年あるからもう生きてる間には鎌倉初期は見れないか
心して見るぞ >>7
義時主役でもし44回だったら話数足らないところだった
50話はいるよあの人生 とにかく北条氏は(もちろん北条義時も)
コンプレックスと恐怖心の塊だということを理解する必要がある
後代では、長州閥と(世界の)共産党が北条氏と非常によく似ている
13世紀に現れた、その先駆性は世界的にも稀有で、恐ろしく早い
長州閥と反日左翼による合作の反皇室プロパガンダ、共産主義者の破綻した陰謀論、
明治天皇替え玉説(笑)や田布施システム(笑)なるものがある
反日左翼は実は「似た者同士」の長州閥が大好き、
長州を過大評価、長州の虚像を広めることで、長州のお手伝いをしている
私は最初、追い込まれている、しょぼい長州閥が
自分たちを大きく見せるために、この手の捏造プロパガンダを流してると思ったら、
どうやら本当にアカが流しているようで、アカのあまりの頭の悪さに大爆笑したものだ
もちろん、長州閥と(既存の組織に寄生して乗っ取りを得意とする)共産党が
地下でしっかりつながっている可能性もあるがね┐(゚〜゚)┌ 【長州閥の実像】
幕末に、尊皇攘夷のカルトテロリスト集団が手の平返しをして、長州征討で滅亡寸前だったところを、
外国の力まで借りて九回裏2アウトから逆転サヨナラホームランを打っただけ。
当時、明治天皇以外にもフツーに男性皇族はいた、江戸幕府はそれ以外に輪王寺宮というカードも持っており、
すり替え()など政治的に自殺行為。 また明治天皇の生母の実家の中山家で
明治天皇の幼少期の養育に関与していたのは、長州ではなく、むしろ薩摩である。
もちろんすり替え()・替え玉()などしたら、薩摩が黙っていない。
マイノリティが一瞬の差し脚、ただのクーデターで権力を手に入れただけだから、
明治維新後も、(薩摩と比較しても)異様に権力に執着して、
山県有朋という足軽未満の中間(ちゅうげん)上がりの小心者が、
ハリネズミのように陸軍や内務省(警察)をピンポイントで抑えにかかった。
このあたりは、ソ連共産党始め世界の共産党の権力奪取パターンと非常によく似ている。
歴史的には、共産党よりも長州閥の方が早く、さらに言えば鎌倉幕府の執権北条氏の二番煎じ、再来とも言える。
北条氏が真っ先に抑えたのも鎌倉幕府の軍事・警察を司る侍所であった。
(長官の別当(執権)だけではなく、初期の頃から次官の所司も
「御内人の嚆矢(こうし)」とされる金窪行親が就任、その後も御内人トップの
内管領が侍所所司を兼ねることが多かった)
薩摩は徳川将軍とも皇室とも縁戚であり、どっしり構えて、そのようなことをする必要はないのである。
それでも長州閥というのはショボくて、戦前も、昭和の段階で、すでに押されまくっていた。
ちなみに長州閥は実に3回も歴史的な国民暴動(※)が発生している嫌われ者の無能集団なのである。
(※)第一次憲政擁護運動(×第3次桂内閣)、米騒動(×寺内内閣)、60年安保(×第2次岸内閣)
ただし、ここでは、嫌われ者の無能集団であることよりも、
長州閥には自分たちが嫌われている自覚(被害妄想)がある、
恐怖心・コンプレックスを理解することの方が重要である。
ちなみに、逆に日本人に暗殺された長州閥の総理というのは1人も居ないのである(お察し)。
(伊藤博文は、朝鮮人の安重根に暗殺された) (>>13の続き)
大正の頃から、すでに薩長史観批判があったのは(内藤湖南など)、
薩長や公家が弱すぎて、佐幕勢力を一掃できなかったから、
華族・士族の支配階層として、そっくりそのまま温存せざるをえなかったからである。
長州閥の田中義一が、張作霖爆殺事件で若い昭和天皇に一喝されて内閣総辞職したのは、
それくらい長州閥の立場が弱いから、皇室に頭が上がらないからである。
(憲法上は、総辞職の必要はまったくなかった)
宮中某重大事件で(薩摩その他に)完敗して、失意のうちに死んだ山県有朋も同じ。
安倍晋三と不仲であることが周知の上皇陛下も、退位問題で安倍を振り回す一方で、
政府主催の明治150年記念式典
(長州閥の歴史的正統性をアピールする、とっても大切な式典)は欠席した。
安倍晋三が即位の礼はじめ皇室関連行事を最大限に利用するのは、
鎌倉幕府の執権が「鎌倉殿の命により」と言う(言わざるを得ない)のと同じであるが、
目的が勤皇ではなく、あくまでも自分の権威付けなので、1年に3回も世界覇権国・宗主国の
トランプ大統領を日本に呼びつけようとしてトランプを激怒させ、
序列13位の末席の女性閣僚を派遣されるような大失態を犯すわけだ。
今上陛下のために、たった1回の来日に絞れば、
トランプを即位の礼に呼ぶことも十分に可能だった。 やる夫が鎌倉幕府を成立させるそうです 第六幕 「次郎実朝」 後篇
(一部抜粋)
吾妻鏡が北条氏の歴史本で、北条氏にとって都合のいい本だと知っているだろう。
それは正しい、ただ……、北条一族の重要人物の中で、
どうも一人、“妙に吾妻鏡が厳しい目を向ける人物”
……そういう人物がいるのをご存知だろうか。
北条義時、である (中略)
このように、義時は何かやるにしろ必ず実朝なり家族なりに諌められている。
はっきり言って書く必要はないのに、だ。
ただ、義時が諌められている事項を抜き出すとあることが分かる。
★★被官にえこ贔屓すること、大御家人に便宜をはかるため道理をねじ曲げること。
権威のために寺社に資材を大量に浪費すること……。★★
それらで義時と共通する存在、それは―
吾妻鏡は義時に、―鎌倉時代末期の北条氏を重ねているんだよ!
義時の状態は、権威も格もない新興氏族が陥りやすい状況であり、
彼自身の意識よりも、そうせざるをえない部分がある。
油断するとこうなる、そう言った見本のような部分があった。
後に陥る状況を、予言のようにはっきりと言う実朝は、義時の状況を見た上で論理的に出した結論なのだろう。
皇室が鬼門、泣き所なのも、北条氏=長州閥に共通している
ここはNHKの真価が問われる
北条義時と(長州閥の)安倍晋三をかぶらせる演出、
なんとなく連想させる演出で現代政治、長州閥を風刺、揶揄することもできれば、
承久の乱で、後鳥羽上皇と現代の上皇陛下をかぶらせて、
北条義時=(長州閥の)安倍晋三の礼賛ドラマにすることもできる
北条義時は描き方次第で、英雄にも、道化(ピエロ)にもなるのだ 北条は正式には北條だってな
子孫を名乗る連中は絶対北条を使わず北條にすると以前言ってた >>18
てことはやはり北条氏=長州閥=共産党礼賛ドラマになるんだろうねw
人間を矮小化する三谷ドラマは、
北条氏のコンプレックスや恐怖心をクローズアップした方が面白くなるのに(´・ω・`)
>>22
後北条氏のことは知りませんけどね(大名として明治維新を迎え華族になってる)、
鎌倉北条氏、得宗の末裔はそもそも横井さんですよ
(北条時行の子孫、尾張藩重臣、通字の「時」も継承) 予習するまでもなくそこそこ知ってるからなあ
「北条義時、誰?って感じですよね」
知ってるわ >>24
【電通】「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ」 はあちゅうが電通の先輩に言われた言葉が物議
http://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1485870325/
池田信夫blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294993.html
> 私がNHKに勤務していたころ教わったのは、
> 「典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え」ということだった
> (politically incorrectだが)。
>
> たぶん民放はもっと低く設定しているだろう。それが市場メカニズムでは正解である。
> 1億人の知的水準の平均値は、当ブログの読者には想像もできないぐらい低いのだ。 以前誰かが北条氏の知名度ランキングだと政子を抑えて圧倒的1位が高倉健
てやっててワラタw 自分も義時は江間の分家だったと思う派でだから頼時は江間なんだろうとか
北条と独立して行動して伊豆に帰らないだの13人の中に入るだの
可能だったんだろうと思うが
ただ微妙なとこもあるんだな
政範が出生遅くて幼いこともあってさ
頼朝上洛に時政同行してないよね?そういう時に
北条家代表として北条小四郎義時になってる風に見えるというか
北条家の連中も周囲も結構曖昧だったんじゃねーかというか 今知った
三谷は年食うほど本人ごと苦手になるんだが三回目が早すぎだろ もう大河を書ける脚本家が少ないんだから仕方ない
あと二度目があるなら福田靖とか大石静、森下佳子か?
田渕の三度目はいらん 森下さんにはもう少し有名な人でやってほしい
直虎はよく頑張ったと思うし 坂元裕二や古沢良太とか野木亜紀子あたりがそろそろやりそう >>27
13人の合議制からして、江間義時のキャリア、肩書きだけ異様だけどな┐(゚〜゚)┌ 本当は12人の合議制だったけど、義時を入れたかったから、
13人にしたとか吾妻鏡のやりそうなこと
なぜなら実際は13人全員で合議したことはなく、
数人で合議して頼家に答申するシステムだったため、
3人組×4=12人の交代制、輪番制なら辻褄も合うから 義時は家子専一で若手代表だからいいのさw
ジジイと公家にやらせても不満高まるだろ
公家には信用置いてないからな武士は 朝ドラですら終盤へたれてえっちらおっちらな脚本家がほとんどだからな
三谷みたいに大河オタならやりたがるだろうけど
最近は視聴率もそれほどよくはないし準備期間いれたら一年以上拘束だろうし
脚本家からしても昔ほどオイシイ仕事ではないだろうな >>37
宝治合戦で一旦没落してるけどな
それがきっかけで安芸郡山に土着する訳だからわからないものだけど
北条氏は短命なのに大江毛利氏は広元・時親・元就と御家一大事の時に長寿の当主が出てくるのは流石としか >>34
合議制になった時点で義時は時政の嫡子ではなかったからだろ
嫡子の政範は幼かったし北条から2人も選ばれるのは不自然
頼朝は大江(政所別当)、三善(問注所別当)、二階堂(政所執事)、梶原(侍所別当)
辺りは行政官の上層部として重用してたけど
政子の親族というだけで北条を特別な地位には付けなかったからな 北条になったり江間になったりしてるのみると
分家したぞ!でも人手不足だからお願いみたいな自転車操業の空気を感じるぞ
基本得宗家って人手不足感
余裕あるの義時息子と時頼息子ぐらいというか
つーか時政が合戦にもでない上洛もしないってなんかあるん?
そんで小四郎ちゃんが忙しいのだ 安達と足立は叔父甥で中原大江も兄弟。北条江間も同時にいてもけっして不自然ではない。 >>42
安達、足立は頼朝挙兵前から仕え頼朝挙兵を支えた宿老だし
中原も大江も幕府機構を整えた実績がある(中原大江が兄弟かは諸説ある)
江間義時だけ選ばれる根拠が薄い 根拠なんてその気になればいくらでもあげられるさ
将軍の叔父で政子が一番信頼してる御家人なら全然不思議じゃない
草燃えるでは政子がねぇあなたも入ってお願い、つってやってた かまくらどの
鎌倉殿と将軍の違いですが、鎌倉殿は御家人と直接的に「私的」な主従関係をもつ主のことで、将軍とは幕府機構を通して「公的」に御家人と主従関係をもつ主のことです。似たようなものですけれども、少し意味合いが異なっています。 前スレで「平清盛」は色々説明不足の大河だったんじゃないかと話題が出たが、個人的には白河院、待賢門院、鳥羽院の話を冒頭に出すなら三者がどういう関係なのかアバンで丁寧に説明する必要があったと思う。
そりゃ為義のセリフでざっと説明はあったけど。
璋子と祇園女御、白河院が養父、養母と養女の関係で、白河院と鳥羽院が祖父と孫の関係だったなんてあの説明でどの程度の人がわかったのか。
13人では、ちゃんと前段階から解説してほしいな。 義時は中年期になるまで、お人好しだが無能のレッテルを張られていたわけだし、案外ピッタリの役者は多いだろう
猫かぶってたんかな >>39
大河の太平記でも出てたよ二階堂道蘊
建武の新政に参加してgdgdな運営にpgrしてお前ら鎌倉幕府滅しといてこれかよw
てなこと言って「黙れ北条の残党!」と掴み合いの大喧嘩してた
後で北条残党と見られて処刑されたって知ったな
ドラマではそんな脇役の運命は描かないから知らなかった
その太平記で正中の変の時、六波羅探題が乗り込んで
鎌倉殿の命により、て言ったんだが気分盛り上がったの覚えてるw
幕府の命だったら雰囲気に欠けたよやっぱ鎌倉殿だよみたいな 大仏殿をなんと読むか
だいぶつでん←普通の人
おさらぎどの←北条オタ >>49
中田敦彦「解説なら負けせろー(バリバリ」
真面目な話番組終わってからの歴史紀行の代わりにそう言う補足あってもええかもね >>51
そのシーン覚えてるよ。
後醍醐の新政権が全くうまくいってないことを象徴したシーンだったね。
話し合いの席を設けた尊氏自身もがっくり…みたいな。 >>48
それは思った
公式サイト内で系図でいろいろ説明あったけど
ああいうのをドラマの中でやらんとね
天皇家、摂関家、源氏平氏で親子兄弟の確執が繋がってて
すごく面白いのにさ
そこんとこ、ジェームス三木は(吉宗や葵で)語り手の説明タイムを作って
ちゃんと整理させてたよな、ああいうのもっとやればいいのに
あと真田丸で使われてた地図、あれも引き続き活用すべき
台詞で説明させるより、図解で見せた方が絶対わかりやすい 平清盛の大コケは、共産党の反日馬鹿左翼が皇室を貶めるために、
自分たちの自己満足のために、「王家」(笑)連呼させたのがすべてだよw
素材を台無しにした自分たちの責任逃れで、
「王家」(笑)以外の理由をあーだこーだとデッチ上げてるだけのこと┐(゚〜゚)┌ >>55
あの信長の野望マップはすごく分かりやすかった
ああいう工夫はほしいよね
言葉で聞いてるだけよりビジュアルと言葉の両方で補完してくれると助かる 反対にあの顔グラで創造やりたかったわ
やろうと思えばやれるんだろうけど >>56
違うわ
面白くなかったのを難しかったことにすり替えようとしてるんだよ
工作員に騙されるやつはアホ >>56
またお前か
王家の呼称で正しい
皇は中国の借り物 >>56
山川の教材でもはるか前からその時代の状況で「王家」と使ってますが 清盛の時にもあったけど義時やその兄弟息子の立場理解してもらうのに
母方の序列の違いは説明必須だと思うがそこまで手がまわるかな 時頼の息子の代と違ってこの時はまだ母親の序列は北条家にないようなもんだと思う
序列じゃなくて後妻が強いんだよね
後妻に押し出される長男ってあるあるで御成敗式目で扱われるぐらい >>64
幼稚なかまってちゃんは話題にしてもらえないと気がすまないらしい 義時は後妻をすごく可愛がるが先妻の息子も同じく可愛がるね
だから先妻の息子たちも官職役職についていく
朝時は一度義絶したから三男の重時が先に出世してくが
義時のこういう姿勢が兄弟間の軋轢をうまずに得宗中心で北条がまとまった
と言えるかも
弟より下の扱いされた名越だけグズグズごねてる 清盛の時、「源氏は天皇の子孫なのに、なんで公家にへいこらしてるの?」
「血筋が全ての世界なんでしょう?」って質問を見た記憶がある
清盛義経頼朝の名前は歴史の授業で習っていても、
いわゆる時代劇よりも古い時代だから、肌感覚みたいな馴染みは薄いのかも
だから本当にわかりやすい解説は必要だと思うんだよねえ ハリネズミのように陸軍や内務省(警察)をピンポイントで抑えにかかった。 江戸時代の市井の話だって、いわゆる娯楽時代劇で描かれてるのは「なんちゃって」なんだし、どの時代だから要るとか
要らないとかじゃなくて、ドラマに溶け込ませられる、というか、物語内で消化してしまえるなら物語内で描けばいいし、
説明セリフと説明シーンだらけになってドラマと進行を邪魔するならアバンを設けたらいいとは思う 早くも
3年後の
2023年の大河が何かに
関心が移ってもうた
個人的には
2021年の青天を衝けと
2022年の鎌倉殿の13人には
あんまり
興味関心が持てんのう
2023年の大河は
ズバリ
満を持して
石田三成主役と予想
戦国物
2017年の戦国大河の直虎から3年後の2020年に
戦国大河の麒麟がくるをやるわけやから、
また2020年から3年後の2023年に戦国大河をやるのは
ちょうどいいと思う
今後
戦国大河は
3年に1回ぐらいのペースになるんかのう 同母兄弟だけど徳川家で忠長ではなく家光を嫡子とはっきり定めたのが
年長優先主流になる流れなのかな
秀忠までは母方の出自とか資質優先だし
発音障害のあった家重もその流れなら弟に家督をとられてたかもしれない >>55
摂関家を単に
「武士を見下す高慢ちきなお公家さん」
信西を
「武士の真価がわかっている進歩的な人」
みたいな単純な描き方もマイナスポイントだったな、個人的には。それぞれの人物の背景もさほど描いてないし。
13人では北条が結局滅ぼすことになる後家人たちをどう描くか、が見所だと思う。
単純に滅ぼされた後家人たちを悪、滅ぼした北条が善みたいな描き方はしないと思うが。
真田丸でも、敵の家康を悪役には書いてないし。 お前ないつまでもこんなところで何言ってんの?
武士の成長を体勢内に適切に位置づけて利用した現実主義者信西が、
高慢チキの復古主義者頼長との対比で見事に描かれた。
清盛平氏の武力を手中にしたことが保元の乱の勝因となったというのに、
信西を武士の真価をわかっていない守旧派の如き物言い。
お前のような頓珍漢が三谷礼賛者となるわけだ。
ただの悪代官止まりで宰相信西とは程遠かった新平家の小沢信西でも礼賛してろ。
>>55
ジェームスのように説明コントや説明ナレではなく、ドラマ中でやったのが清盛。 単純なお前にはコレが単純な信西に見えたということだ↓
阿部サダヲの信西起用は、愚管抄が伝える「算木を動かしながら朗々と〈甲高い声〉で計算する」信西に
着眼したものだ(徹夜で精勤する姿がきちんと描かれた)。
声質に加えて、コミカルからシリアスまで振り幅の大きなキャラであったことも、阿部サダヲに相応しい
(初期のコミカルさを出せることが不可欠)。
落っこちた穴の中から「誰でも良ーい。誰でも良いから助けてくれ」と清盛に呼びかけた信西は、
身分の壁に阻まれて学識を発揮する機会を持てずに自虐気味の通憲から出発した〜コミカル信西。
その後、出家入道になることで活路を開いた信西は、鳥羽近臣として徐々に辣腕を振るい始め、遂に雅仁を
帝位につけることに成功した〜マキャベリスト信西。
そして邪魔となる頼長、崇徳を排除すべく彼らを挑発。遂に勃発した保元の乱を仕切って勝利し、無慈悲な死刑を復活した
〜ダーク信西。
信西はようやく掴んだ権力を、不眠不休の覚悟でひたすら国事に捧げて諸改革を断行した〜国士信西。
しかし、その強引な政治姿勢は保守派貴族の怨みを買い、反信西包囲網の構築を許してしまった(vs信頼&二条親政派)。
最後は、穴の中から清盛その人を求める悲痛な叫びを上げながら(「清盛殿助けてくれ!」cf出会いの穴でのトボけた
「誰でも良ーい」)、この稀代のしかし知られざる宰相信西は呆気なく滅んだ〜シリアス信西。
いずれにせよ、それぞれのキャラ造型をまるで捉えられないお前が、清盛のキャスティングについて
どうのこうの言うのは噴飯もの。ミタニンすげー、パッパすてきーだけやってろ。 ジェームスは合戦ですら説明ナレで突如始まり、ちょこっと見せ場を作って
「かくして敵は引き上げていった」みたいなナレで終了させたりする。
今やってる葵も教科書的説明で進行する間にホームドラマ中心の寸劇を挟むやり方で、
ストーリーがストーリーを生むといったダイナミズムに欠ける。
清盛はそういう手法とは縁遠く、三谷や宮藤もまたジェームスとは対極に位置する脚本家だ。 はい、はい、長文ご苦労さんw
血圧上がりすぎて不整脈にでもなってんじゃないの?w
とりあえず、いくらわめいても、「平清盛」は視聴率で「真田丸」には 惨敗したから。
そちらこそいつまでもこんなところで喚いてないで、その原因でも冷静に分析でもしてたら?
ジェームスみたいに懇切丁寧な解説をやれ、とは言わないが、清盛がドラマの中のセリフだけであの複雑な時代をざっとしか説明しなかったのも、敗因の一つだと思うんだけどね。
あと、個人的には清盛では信西のダークな面が書き足りてないと感じた。
保元の乱後の戦後処理のところとかさ。そりゃ多少ダークには書いてたけど、弟と父二人が乱の首謀者だった摂関家忠通との駆け引きとか、信西の本来の目的は摂関家の力を抑え込むことにもあるんだから、ここをもっとえげつなく描写してほしかった。
あと、そちらが書いてるように信西って権力掌握のために武士の力を利用しただけだよね?
なんか清盛の描き方だと、武士の真の理解者みたいだったよ。
そこら辺ももうちょっとドライに書いてほしかったな。 信西にとっては清盛でさえ手駒の一つに過ぎず、武士はあくまでも朝廷の手足となって働く存在で(信西も下級とはいえ、貴族の出だからそう思っても当たり前だが)それ以上でもそれ以下でもなく…ってところを書いてほしかったところ。
あと、個人的には重盛と後白河の関係ももうちょっと書き込めよ、と思った。
そんなに密接な繋がりもあるように描写されてなかったのに、いきなり重盛の「忠たらんと欲すれば…」のシーンになったから唐突感が凄かった。
父親と院との板挟みになってる苦悩が伝わりづらかったぞ。 義時泰時の高評価はあまり鵜呑みにできない
そもそも吾妻鏡が直系の子孫で嫡流を継いだ時頼の正統性を強調するものだし やったことではなく(情報の質量とも歴代屈指)、例によってあれ足りないこれやれ。
んなレベルで清盛以外の大河に因縁つけてるのかお前?
新平家に義経に草燃えるに花の乱。遥かに情報量が少なくデタラメも多い中世大河のが
やりがいあるだろ。いや、この際真田丸に突っ込んで義時にそなえろよ。
「どのような経緯で真田信繁が日ノ本一の武将になったのか、ありもしない秀吉介護士に
引きずられてさっぱりわかりませんでした。そういうことがないよう三谷さん頼みます」
とか 大河ドラマと言う枠の中でどうしても端折らなきゃ行けない部分あるのはしゃーないでしょ
アスペルガーって奴はどうしても少しでも違うところがあると文句つけたがるみたいだが >>84
アテクシの考える信西が正しいのではないから。
院の近臣として、摂関家追い落としのためにも平氏の軍事力を利用した信西は、
武士を加えた新たな秩序を模索した。平氏の軍事力を不可欠とした一方で、
清盛平氏はまだ朝廷の枢機に加わる実力はない。このウィンウィンの関係(武力と知力のバーター)
が強調された。
「ムサの世」(慈円)を切り開いた清盛が信西にとって単なる手駒のはずがないし、
宋国情報を信西から入手したことが清盛の公益国家構想に影響を与えた可能性も
否定できない点で、ドラマ上、信西は清盛の恩師であった。
なお、後白河ー重盛については清盛スレ参照。 >>80
で、清盛信者で、複雑な頭脳wをお持ちのそちら様は信西のキャラ設定の件ばかり弁護してらところを見ると、摂関家の描写やキャラ付けが薄っぺらかったことは認めてるってことでFA? ちなみに戦国馬鹿や歴女()にとっての大スターである真田幸村の真田丸が
知名度も人気もだいぶ劣る直江兼続(最近は何故か変換できる)の天地人に惨敗だってことは内緒な >>91
うむ。忠実→忠通、頼長→基房、兼実へと変遷していった摂関家の長期的な凋落を、
vs王家、平家との力関係の推移に絡めて追跡した説得力が光った。
これと系譜を異にするが、頼長&信西の悲劇的な関係性についての緻密な描写も凄かった。
(論語ハーモニー〜「調和」=同志的結合→祇園社事件で平氏を体制にどう位置づけるか?で
顕となった「亀裂」→保元の乱では孫子真逆解釈を通じて完全「決裂」→死せる頼長邸で日記を読み
涙して決意を新たにする勝者信西〜「再結合」) 保元の乱直前期の清盛が、日和見的態度で信西に自分を高く売りつけようとした史実はよく知られている。
最大武門平氏の軍事力が戦の帰趨を左右することを、アクターたちは皆知っていたのだ。
単なる信西の手駒にすぎないのならば、清盛がこのような焦らし作戦で状況を左右する余地はない。
それはともかく、この清盛の態度を後白河も信西もちゃんと見抜いており、らしい物言いで清盛を
陣営に率いれた作劇もまた秀逸であった(後白河は「さっさと双六でも振って決めよ」と督促。
信西はニンマリしながら「今、平氏の棟梁として何が大事か、よーく考えてね」とドーカツ)。 >>71
義時と姫の前ってそんなにうまくいってたように見えない
義時は姫の前にラブレター攻撃だって(うっとり)という書き込みをここでも見るが
結局「吾妻鏡」でも姫の前との結婚は頼朝の命令だったとなっている
比企氏の乱の前後に姫の前と離婚していることは周知のとおりだが
別に嫁の実家と戦になっても嫁を離縁する必要はないわけで
(足利尊氏は滅ぼした北条出身の正室を生涯大事にしている)
もともとあまりうまくいってなかったんじゃないか
姫の前は都へ行きさっさと別の公家と再婚している
余談だが「草燃える」では義時最愛は泰時母の茜で姫の前は出てくるが空気
義時は死んだ茜そっくりの側室迎えて姫の前放置だった 義時は姫の前と普通だったんじゃないかい
別によくも悪くもないというか
伊佐氏の側室置いてるから
でも子供は着々もうけててさ
足利は赤橋を討ってないよ
赤橋と戦ったのは新田
赤橋殿が千寿王を逃した言われてて足利も恩義があったんかな 北条に仕えた武士がゴロゴロいた時代に正妻赤橋登子を大事にしないわけがない 赤橋守時の後家に所領与えたりしてるしな尊氏
北条と比企との関係とは全然違う >>99
尊氏は都で北条一門が守る六波羅探題を攻め北条滅亡を決めているよ
最後の執権である北条(赤橋)守時の敵で相違ない
それでも尊氏は長男、次男を寺に入れて
北条(赤橋)守時の妹登子が産んだ三男の義詮を嫡子とした
義時の嫡子はずっと泰時
姫の前が嫁いで朝時が生まれているのに
泰時は頼朝が烏帽子親となって元服し三浦の娘と結婚した
義時は当初より姫の前を優遇していない >>99
義時も大事にはしてたと思うね。
比企の地盤引き継ぐ正当性を有するだけで大したものなんだから。
政略的に重要な嫁だったろうしさ >>102
泰時が分家の江間家を継ぐからと言っても、
朝時が冷遇されてることにはならないでしょ。
朝時は自分こそ本家みたいなもんだと思ってただろうし >>102
でも兄は討ってないし兄嫁は所領安堵されてるよ
なんで比較するのか分からんは
そも赤橋が千寿王逃したなら敵じゃないやろ >>104
朝時が自分が本家なんて思ってたかあやしい
むしろ父が一貫して兄を大事にしてることでコンプレックス抱えてそう
泰時死去の直前に出家したのは兄へ意地を張るのをやめたって感じ 北条と比企の外戚同士の戦いは後の三浦vs安達と同じ
どっちも当主の母親一族が勝ったと言うのでも同じ
つまり頼家の敗因は乳母の娘に手をつけたことw
母親につかずに乳母と嫁につくからあーなった 実朝は母方も乳母も北条なのに北条が彼を消す理由があるのか?ってのが
草燃える原作の北条政子の三浦黒幕説のもとだったな 麒麟に戦隊・ライダー俳優やジャニタレ入れてないのもいい
こういうヤツら入れると作品が安っぽくなるしファンの質が悪い
ほぼ正統派の役者だけでそろえているのがいい >>109
実朝が北条のみならず鎌倉を裏切って政権を朝廷に返すと考えたんじゃない? 三浦義村黒幕説は否定的意見が多いから草燃えるとは同じにならんな 姫の前との仲はおいといて義時は比企から嫁もらっても泰時大事は
変わらんでー比企は口出すなやて態度で示してるよね
頼朝もそれが分かってるからケンカして離婚せんように、て誓約書書かせたんかも
草燃えるでは姫の前が義時の求愛拒んでる理由に
子供がいるからやろ、て比企能員に言わせてた しかし三谷はこの時代に面白いドラマの要素全部詰まってる言って
ゴッドファーザーやマクベス夫人あげてたけど
義時と姫の前はロミオとジュリエットにも見られるし
頼家の嫁姑問題もあるし頼朝マスオさんもあるし
ほんとなんでもあるな 牧の方のことを初めてマクベス夫人と称したのはだれだったっけ?
永井路子ではなかったような気がするが 坪内逍遥が牧の方書いたときにはすでにシェイクスピアだの牧の方だの
いわれてた気がする
誰が言ったかしらないけど…坪内逍遥自身なんかな >>118
前年が駄作だと反動で戦国でなくとも視聴率が上がる
八重の桜がそうだった シェイクスピアが好きな人はこの鎌倉初期源氏三代の時代好きだね
昔、山崎正和の実朝出帆という劇を見たが
山崎はハムレットから着想得て実朝の物語を書いたという話 明治維新と並ぶ日本歴史の変革期の意味が、人間模様のなかでわかるように描けばいい 修羅の都の作者と本郷さんとの対談記事見たが
頼朝死後の続編書いたら大河ドラマにできる言ってて
三谷に先越されちゃったねwー 三谷にお願いしたいのは作品をコメディ色にしないことだ
いだてんの失敗から分かるように 義時主人公だけど、頼朝政子も副主人公並にでてくるよね?
特に政子は承久の乱まで出ずっぱりで、義時の姉だけど作品のヒロインポジ
誰がキャスティングされるんだろう
できれば挙兵前は子役で見たい
無理かな 政子が一年通しての準主役みたいなもんになると思うんだけどな
義時死後もまだ生きてるからやろうと思えば話の語り手にもなれる立場 ここは2年後の大河なのに、1年後の青天を衝けのスレがパート2の139レス
もう追いつこうとしてるじゃないか
青天を衝けはよく知らん主人公だし、主役の俳優もよく知らんし
何書いたらいいか分からんわな >>133
渋沢栄一をよく知らんは不勉強すぎる
むしろ義時より有名なくらい 気になるのは、義経の描き方だな。
「草燃える」リスペクトなら、ああいう戦の才能はあるけどKYで、源氏の血筋を誇るあまり御家人たちに横柄な態度を取って嫌われる義経にするのかな?
それともそれだと、同じになってしまうから、変えてくるか。 >>89
っていうか、ずっと前に読んだきりだけど、清盛のノベル版の信西ってもっとブラックじゃなかった?
あとから読んでドラマでもこうすれば良かったのにな〜と思った。
あと、摂関家の描写も本当はもっとあるはずだったらしいけど、放送するときはガシガシ削ったらしいので、申し訳ないが、摂関家の描写に説得力があるとはとても思えなかったな。
要所要所に面白いところはあったし、久々に通しで全部見た大河だったが、ちょっと残念な大河だった>清盛 北条泰時の方が有名。
日本史教科書に載っているから。 生きてる間によっしー主演の大河ドラマが見られるとは
感涙
義時視点の作品自体がほとんどないから楽しみです 平家が主役の大河なんだから脇はそれほど掘り下げなくてもいい気がする >>137
御成敗式目制定したから?
義時も載ってるんじゃないの?承久の乱の時の執権 このドラマで江間頼時が出てきたら
誰だよお前
てなりそうだなw
北条泰時と違いすぎて >>135
あの義経は永井路子もあるが司馬遼太郎の義経像にも似てる
結構オーソドックスじゃ >>136
非情な死刑を言い渡す信西は十分ブラックであったが、例によって黒化すれば歓喜する連中が望む
単純な造型ではなく、大河清盛は宰相信西が取り組んだ正の業績にも力を入れた。
なお、ノベとの目だった相違はない。
その噂の場面はノベにはない。台本にないものを急遽追加して撮ってしかも本番ではカットとか
ふつうありえない。
仮に本当だとしても、信西ー頼長の関係性全体の中で、若かりし頃の蜜月に尺を取ったら、
清盛大河における比重においても、両者間が辿った調和→亀裂→決裂→再結合の流れからも
バランスを失していた。
祇園社事件をめぐる亀裂からが本番であり、調和は論語ハーモニー1シーンによって単的に表現され、
それで不足はなくそれ以上は過剰である。 >>144
いや、頼長の菖蒲若時代とかカットしてるじゃん。DVDに収録してるからまだいいけど。
あのシーンは忠実の不遇の時代に幼い頼長の成長のみ楽しみにしていた→頼長偏愛の一因になっているって結構重要なシーンじゃないのかい?
あと、忠通と頼長が近衛天皇の元服の儀式の件で揉めたシーンをカットしたって噂は本当?
摂関家の親子、兄弟の仲がなんで次第に険悪になってしまったのか、説得力を出すためにも入れてほしかったんだけど。 >>143
「草燃える」総集編を見た時に、
「全成と保子の結婚式で、こんなことやってないで、早く平家討伐しろ!とわめくシーン」
「清盛がタヒんだ!と鎌倉の面々が喜んでたら、何が嬉しいんだ〜!とわめくシーン」
を見て、こりゃダメだ(ヾノ・∀・`)と思ったw
手塚治虫の「火の鳥」の義経も外道らしいなw
三谷幸喜がどんな義経像にするのか楽しみだな。 草燃えるで義経がなんで源氏の兄弟出なくて小四郎なんか
て義時に軽く嫉妬するシーンあったな
炎たつもそんな感じだった気がするが記憶違いかも
北條大河だと全成も大きく扱われるだろうから楽しみ
今若だもんな全成 草燃えるのトミー義経が川を挟んで十郎と「あ?何だって?」と会話するシーンは今見るとドリフの神様コント
草でもあんな扱いなんだから三谷は完全にコント要員として使用すると見た 炎立つでも義経は性格は悪かった
泰衛は替え玉の首で鎌倉ごまかそうとしてたけど >>138
平清盛では義時はチョイ役だったしね
草燃える以降、久々に義時中心の大河を見れる事に今から楽しみ 真先に鎌倉に駆けつけて北条の婿になった全成も結局あーなった
と思うと他の兄弟も結局どういうルート取ろうと最期は同じだったよね >>151
永井路子の「炎環」に出てくる全成の短編よかったな。
頼家に、頼家の市を願って実朝が将軍になれるように陰謀を企んだだろ!と詰問されて
「そんなこと一ミリも思ってないです〜」
と、とぼけたら、頼家に
「あのねえ、お前のことは昔から見てるんだけど。本性くらい見抜いてるから」
と言われて
「頼朝とか幕府の重鎮だった大人の目ばかり気にしていて、頼家の幼い目には無頓着だった…!」
と後悔したシーンなんて本当秀逸。 >>145
ノベにはないつーのにシツコイんだよ。
頼長偏愛は事実であるとしても、それが何故か、何で清盛大河で頼長青年期にまで
遡って描かなきゃならんのだ?
稀なる才能と摂関家復興にかける頼長に、忠実が肩入れする様は十分描かれたし、
それで十分。
しかし、いつも言ってるが、こんなレベルですべて大河に茶々入れてんの?
そんな態度でドヤされたら、昔は良かったーも三谷も大変なことになる。 人気がなかったからって他スレ荒らしてるのは清盛ヲタ長文だろw >>154
矛盾を指摘したら、逆ギレですかぁ〜(笑)
ここは違うドラマのスレなのに出張ってくる清盛信者(一人だけだと思うけどw)はほんとレベル低いんですねえw
おとなしく巣に帰ればいいのに(笑)
あのね、一つだけ言っておくけど、清盛の失敗のせいで中世、特に源平から鎌倉初期にかけて大河にもう一度取り上げられるか不明だったのに、また大河になったのはお前が嫌いな三谷幸喜のお陰だから。
三谷が真田丸で成功しなかったら、今回の三谷が発案した企画も成立したかどうか。
お前も得意気に中世のことを語ってるから、あの時代が好きなんだろうに、そういう発想が出てこないのが、いかにも惨敗した負け犬大河の信者だよなw 矛盾を指摘したつもりなの?何が矛盾か書いてないんだけどw
これ以上のお笑いは清盛スレでどーぞ。
三谷で鎌倉初期なんて見たくないのはその通り。ウソはつけないので。
ダイナミックに動く精密機械(形容矛盾)のような藤本とは別のところで楽しませて欲しい。 鎌倉オタと源平オタてちょっと違うんだよね
三谷は鎌倉オタだから楽しみだよ 発想?ないね。俺は別に清盛をベスト1と言うつもりはなく、オンリー1と形容してきたし。
こんな作劇手法では、清盛ヲタが望むザ続編ー政子(北条)大河なんてありえないことぐらい
わかってる。一回限りのクオリティ大河それで良い。もう人気者三谷に毎年お願いしたらどう? >>149
第三部は基本的に草燃えるの焼き直しだからな 草燃えるの義経自分は好きだけどな
平家打倒に必死で兄貴大好きでさ
空気読めないとこもかわいいよ
公家の姫たくさんあてがわれて舞い上がってた かつての理想の武者的な義経イメージへの反発で
戦馬鹿的な描き方が流行ったんだろうけど
今は逆にそればっかりだからなあ
京都の治安維持に功績あった政治力を評価する向きもあるし
そんな新しい義経像とか描くなら面白いな
ないだろうが そも義経に政治力求める視聴者いないだろう
そんなのあったら頼朝にやられない 頼朝も結局はあんな始末だし
むしろなぜせっかく一番の味方になり得る兄弟を排除してしまったか 味方と思わなかったからだろ
御家人が弟を担ぐ可能性もあった
頼家がばっさり捨てられて実朝を担いだのみると
頼朝の感覚は正しかったのさ 源家滅亡は実朝が子作りしなかったから
なんで側室おかずに養子に行ったんだろ
病気か? >>87
>やったことではなく(情報の質量とも歴代屈指)、例によってあれ足りないこれやれ。
んなレベルで清盛以外の大河に因縁つけてるのかお前?
確かに清盛の情報の量は多かったよねえ(笑)
海賊王だの、兎丸との因縁だの、義朝との少年漫画みたいな友情だの(笑)
お陰で、中世の朝廷を舞台にするなら不可欠な政治的駆け引きやら、それを取り巻く人々の様々な思惑が描かれないから、 薄っぺらいし、説明不足だっていってるんだけど(笑) 義経は神木君のあて書きキャラでいいよ。
身軽で小柄、兄上大好き、戦バカ。おじさん受けがいい。(秀衡や後白河)
義経はここさえ抑えてればいいし、神木君のキャラ
まんまでいける。 お前さ、ババアさ、そろそろお笑いは清盛スレでやれよ。
相手してやるよ。
ここの住人もすっかり困り顔ではないかw
おやぬみ 平家にとっての海賊討伐の重要性の欠片も理解していない。
あれだけ辛気臭い政治劇&心理劇だったつーのに、そんな中世大河なんぞどこにもないというのに、
このウヨババアは8年間、漫画がー、王家がー、オモチャの宋剣がーと喚き続けているわけだ。
あああ、オメデタイおめでたいw >>87
真田丸以前に戦国時代の大河って散々やったし、おんなじイベントが何度も出てくるから、視聴者もわかるだろうという意味で多少はしょっても構わないと思うんだけど、平清盛の時代ってあんまり舞台にならないから大事なところをはしょれば文句出るのは当たり前では?
あと、人生の大半がぱっとせず、 最後に一花咲かせた幸村と、ほとんど表舞台で活躍してた清盛では創作の余地が入る度合いが違うと思うんだが。
そんなこともわかんなくなるんだね、清盛信者になってあれが最高傑作だとほざくくらいの優れた(笑)知的レベルになると。 >>144
為義を斬るように義朝に督促した時の信西のシーンはノベル版の方が遥かにブラックだった。 頼朝旗揚げ後、従来無視されてた武田一族をどう描写するかな
北条父子が武田に行ってるから出てくるかもしれん
武田が頼朝にどういう感じだったのかがいまいちよくわからん
結局頼朝に殺されたりしてるしさ 今回の義経なんか序盤のチョイ役出し、オーソドックスに可愛そうな武将扱いじゃないのか
主人公からしても梶原景時倒す視聴者からの良い大義名分となるわけだし >>167
義経を排除したせいで頼朝の一族も滅んだ
北条政子の一族が頼朝の血筋を滅ぼしたな >>158
摂関家がらみでカットしたシーンはないとか言ってたじゃん。 それと、ノベルにないからって台本にもそんなシーンなかったっていう根拠は?
あと、先に長文で絡んできたのはそっちだろ。
聞いてもいないのに、清盛のキャラ設定だのだらだら書いてさw
そっちこそ清盛スレに引き込もってな、負け犬のブサヨじじいw >>174
どこに政治劇が、あったんだよw
特に対後白河に関しては政治的な細かい駆け引きとかは省略して双六で誤魔化してただけだろ(笑) 保元の乱へ向けた実に息の長い種まき、直前期の駆け引き。平治の乱への各ブロックのぶつかり合い。
新平家にこれを期待しちゃならんと思いつつ、祇園社事件にしてもこの踏み込みの違いは
何だろうと愕然としてしまう。
しかもそこで終わらず、平治の乱後の地味な歴史過程〜清盛vs後白河が繰り広げた提携と反目の
歴史過程〜を蝶番役滋子に着眼しながら初めてクローズアップした。このパートはまさに辛気臭い
政治劇にして心理劇であった。
そしてバランサー滋子の死が惹起したカタストロフィ、それが鹿ヶ谷事件であった。この大事件が
政治劇としてかくも長大なスパンで描かれることは、残念ながら今後おそらくない。
治承クーデター以降はあたかも「シェークスピア劇場」。
政治劇駆け引きも人々の思惑も何もなかったとする清盛罵倒三谷礼賛のババアたち。
何処ぞの平行世界で遊び呆けるのは勝手ながら、お前らの独善的態度は決して義時大河ためにはならん。
つかお前のような阿呆にはムリ。何度も言わせるな。 >>180
ノベにないのは事実でノベは台本をもとに書かれたと書いてある。
しかし何でココでやってんの?三谷ヨイショのためにもコソコソすんなよウヨ婆。 海賊討伐の重要性を表すのに、なんで、海賊王だの、兎丸との長々とした殺陣シーンなんだよw
あと、宋剱のことなんか一言も言及してませんけどw王家問題にも一言も触れてないのに、人をウヨ呼ばわり…w
あれですか?普段人と関わらない孤独な生活だから、妄想と現実の区別がつかなくなっちゃってるってやつですか?
早く病院に行ったら? バーカ、海賊回は青春活劇パートも兼ねた。ちょうど麒麟初回のように。
信繁君だって野盗とチャンバラやってたではないか。
まるでヤンチャする青春時代は大河にはあってならない、現に清盛の他はないかの様な言い草。
よっぽど貧相な「青春」だったんだなシコメウマズメたちは。。。
平家にとっての海賊討伐の意味が最後にナレ朝によって「多くは検非違使に差し出されることなく、
その知恵と経験が生かされた」と紹介され、その後、オリキャラ兎丸を巧みに動かすことで
この歴史的意味が追求されていったのである。
じゃあ仕方ない。以下コピペ 死ぬまで海賊王がーと喚き続ける阿呆に、100万1回目ぐらいとなるが教えてあげよう。
アレは松ケンのアドリブな。脚本家に対するPの介入(書き直し)でも何でもない。
で、せっかくだからもう一度確認しますね(海賊王でアタシたち「コアな歴史ヲタ、固定大河ファン」は清盛を見放したのだそうだ)。
そもそも、2ちゃんを牛耳る「歴史に詳しいコアなアタシたち」が漫画好きを兼ねるとして、もっとも視聴率を左右するらしい
昔ながらの固定大河ファン、すなわちジジババ様たちは、皆そのワンピースとかいう漫画のこと知っていたのかよ?
知らないとしたら、なぜ大勝利を収め凱旋したガキンチョ清盛が、高揚して発したたった2秒の不規則発言※だけで、
その後も延々と続きシリアスさを増していくだろう作品を見放すのだ?
最後まで青春活劇パートのノリが続くと即断するほど「固定大河ファン」なるものは幼稚なのか?※※
しかも、一斉バッシングを開始した(漫画好きの)「アタシたちコアな歴史クラスター」どもときたら、
「清盛平家にとって海賊家人化がもった歴史的意味※※※」を、オリキャラ兎丸を通じてものの見事に追求していった
ーこの肝心要の点について理解することは、ついぞなかったのである
(海賊たちの多くは検非違使に差し出されることはなく、それぞれがもつ《知恵や能力を生かす道を与えられた》by頼朝ナレ)
※昨日の敵の属性に同化することで、身分を異にする両者は志を共にする生涯の盟友となった(昨日の敵は今日の友)。
※※清盛のが戯言でありしかも松ケンのアドリブであったのに対して、兎丸のやつは基本、脚本家の「お遊び」だ。
本物の海賊が西海に覇を唱える野望を語ること自体は、いたって自然な発言だろう(清盛に語った「体制転換」による価値転倒〜義と賊の逆転
は朧げながら清盛に示唆を与えた可能性がある点で、単なるお遊びとは言い切れない)。
ゆえに、ワンピースとやらを知らない大多数の大河視聴者層にとっては、「ヘン」とも何とも思わなかったシーンに過ぎない。
知っているお前ら漫画脳たちを一瞬ニヤリとさせるためのリップサービスであり、隠し芸であった。
ところが、お前ら漫画脳たちの餌食となり、バッシングネタとして盛大に利用されてしまった。
結果的にみれば、手ぐすね引いて待ち受けていたアホウヨとババアどもを利しただけであり、遊び心とはいえ、挿入しない方が良かった。
こいつらがそんな遊び心を理解するはずがないのだから(少年ジャンプがー)。
※※※委細省略するが、家人となった兎丸は、以降反発・喧嘩しつつも清盛の忠実なパートナーそして従者であり続けた。
常に清盛の意思を体現し行動した兎丸は、不自然に歴史に介入して無双する凡百のオリキャラとは真逆の存在である。
さらに、京の義賊の遺児で孤児という設定を付加することで、オリキャラ退場という難題を極めて自然な形で軽々とクリアしてみせた。
(庶民的正義をブラック企業主清盛にぶつけ両者は決別→同じ不幸な孤児集団であるゲシュタポ禿への無警戒からあっけなく刺殺。
最後は経ヶ島人柱伝説と接合)
なお、父の志は小兎丸に引き継がれ、その小兎丸は無念の還都を余儀なくされた清盛の志をも承継した。
←庶民の子供に深々とお辞儀する最高権力者清盛。身分秩序の外にあったことが、逆に兎丸らとの「水平的関係」を可能とした。
そして、大輪田にとどまり大海へと漕ぎ出す小兎丸によって、かつての同志清盛と兎丸は再結合したのである(最終回)。 オリキャラ一つとっても、昔のはただの恋バナ要員だったり、画面を賑やかにする要員であったり、歴史を改ざんしちゃったり、酷いのがかなりある。
ウザいしかし人情にも厚かった兎丸のように、歴史的背景をもって作られ、歴史上の意味を担ったケースは滅多にない。
歴史上、忠盛平氏による海賊討伐と海賊家人化は、その後の平氏の興隆と清盛生涯の大事業となった日宋貿易にとって重大な意味をもった。
(単なる青春スペクタル回ではない)
彼らが有した海や気候、造操船、海賊勢力地図、港湾インフラ等に関する知識と技術がなければ、瀬戸内海航路の開拓と安全確保、
さらに大輪田泊建設は未完に終わった可能性が高い点で、その貢献度は大きいものがあった。
兎丸は、こうした清盛の交易国家構想を現場で下支えすることで貢献した、元海賊たちの集合体を表象し代表するオリキャラである※
※ただ一人の海賊ではなく匿名の海賊総体が重要な役割を果たしたのだから、歴史的背景をもつオリキャラとしてこれほど相応しい人物も珍しい。
併せて京の下層民(盗賊ー義賊の息子)、非人的要素も巧みに取り入れていた。(当時の京では、孤児や寡婦への転落は
身分的転落をも意味したのだというby考証高橋)
こうした複雑な背景と歴史の重みを担って造型された兎丸を、脚本家はドラマ終盤に至るまで縦横に動かし、意味深長に機能させた※※
※※志を共にする盟友〜タメ口をきく対等性=身分制の飛び地。博多交易の代理人。屈強な用心棒の親分。
博多を都の隣へというアイデアを清盛に示唆した現場感覚に優れた仕事人〜頭に血が上った兎丸の戯言に清盛はピンときた。
(遅い、いつまで待たせるのだ→ふざけんな、だったら博多を近くに持ってこい!→そっかー)
難工事となった泊建設請負人。しかし、人道を顧みないブラック企業主清盛と齟齬をきたし遂に両者は決裂した。
ダークな面を引き受けた時忠との対峙〜時忠のミステリアスな「兎丸、平家にあらずんば人にあらずじゃ」は視聴者の思考を誘った。
(奢れる平家を代表するこの著名エピに再考を迫る画期的なシーン)
同じく孤児であった不幸な禿たちに対する庶民的正義観念と親分的任侠心を体現した同情。外ならぬ彼らによってもたらされた死。
最後は、清盛の合理的人間像を示すエピの一つである経ヶ島人柱拒絶エピと巧みに接合させて、清盛&兎丸の息の長い人間ドラマは幕を閉じた。
以上、史的背景を持ちながらこれほどオリジナリティ溢れる有意なオリキャラを、他で見出すことはまずない。 頼朝急死しない義経離反しない頼家まともに成長な世界線が義時時房泰時か? 比企や平賀大内も生き残るわけだから北条はどこまで存在感出せるか 頼朝政子は子育て間違ったね
北条得宗が有能な後継生み出してったのと比較すると
兄弟仲はバラバラに育ったからハンデあり 宮藤は番組冒頭から「『麒麟がくる』、きました」などと、早速大河に触れた。
宮藤は「頭5分ぐらい欠けた」というが、そこからしっかり視聴。「見たら、出で立ち、画面のフレームの感じ、これが大河とだと。別に俺が間違ってた訳じゃないけど、俺は変えようという意識もなく作っていたが、普通に原っぱの所に長谷川(博己)さん、
明智光秀がいて、喋っているだけのシーンだったが、(大河って)これじゃんと思って、ああそうなんだって思い出した1話でした」と感想を語った。
「話の情報量、話の運び方、画面の成り立ちが『こういうもんだよな、大河って』と久々に思い出した…というのを大河書いた作家がラジオで言うなと」と笑うと「面白かったです」と、嬉しそうに語っていた >>191
河内源氏は身内で潰し合うのが宿命だから >>179
逆に考えるんだ
滅びるのが普通
一門団結した平家も内紛起こした源家も息子の代で滅んだ
100年以上続いた北条が異常
足利が義時泰時父子を手本とすると建武式目に書いたのも当然 北条は権威がないから公正な裁判を行うことで他の御家人たちの支持を得られた 北条の政治を知ってしまって以降は権威だけではだめで
徳治じゃないと持たなくなった
後醍醐がもはや通用しなかったように >>195
それって本当?
全国の守護職を得宗家で独占した北条が公平な裁判したのかね?
時頼の頃までは公平な政治だったのかな 東出・・・鎌倉殿
政子・・・杏
亀の前・・・唐田えりか >>197
高時の代に不公平な裁判をやったから滅びたじゃないか 公平な裁定しようとして証拠固めに時間がかかり貧乏な方が不利だったんだよな >>89
>アテクシの考える信西が正しいのではないから。
惨めな負け犬清盛信者(じじい)さんw
その言葉、そのまんまお返しするわw
「ボクチンの理想と完全に合致した平清盛の信西像は正しい!」
じゃないからw >>201
太平記で西岡徳馬高資の不正ばれて
父親円喜に扇子でシバかれてたな >>154
清盛主人公でも、摂関家と天皇家の内情や動きは重要だし、それなりに描写を増やした方が話に重厚感が出たと思うんだけどねえw
ま、清盛信者さんの複雑な素晴らしい頭脳(笑)だと、あのラノベの脇役みたいなペラペラの摂関家の描写で満足なんでしょうねw
天皇家の描写もいまいちだったよな〜。
叔父子関係と後白河院ばっかり全面に出て他の面子がよくわからなかった。
それと、あれは飽くまでも清盛主役のドラマだから〜と言い訳するんだったら、平家側の描写くらいちゃんとやれよw
なんで、池禅尼が重仁親王の乳母だったことは入れなかったり(保元の乱でどちらに着くのか迷う結構重要な要素)、前にも指摘したけど、重盛と後白河の関係がさほど親密に見えなかったり…。 >>173
な〜にが清盛スレだかw
ブサヨじじいこそが誰にも頼まれてないのに、清盛本スレでもないここに出張ってきて、自ら長々とした清盛のキャラ設定だのストーリー構成だの延々垂れ流したくせにw
そのくせ、なんでそんなに素晴らしい(笑)ドラマなら、あんなに視聴率的に惨敗したのか、そういう分析は全くしないしw現象逃避も大概にしろってw
あ、じじいだから初めの経緯は忘れちゃった?(笑)
>>80と>>81のことだよ?(笑)よ〜く読み返してね( ´,_ゝ`)
自分で付け火しておいて、炎上したら、
「消火器、消火器持ってきて〜!」
ってお笑いなのはお前だっていうの(笑)
ま、複雑な素晴らしい頭脳(笑)をお持ちの惨めな清盛信者様が「お前はミタニンすげ〜、パッパ素敵〜って言ってろ」と宣ったので、こう返しますか。
お前は一生
「俺は海賊王になりゅ〜!なんてしゅごい!清盛の脚本家てんちゃい!」
「朕を射てみりょ〜!なんてしゅてき〜!ボクチン、ウレションしちゃう!」
って言ってろ(笑) >>203
大河では円喜が大物ラスボス風だったが実際は高資が仕切ってて
悪評ふりまいてたらしいな
公平な政治を行った名執権として貞時の名前何度もドラマで出してたが
実際は貞時の頃はどうだったんかね 完全に発狂しまったウヨ婆さん。そろそろ清盛スレに移籍して喚いたらどー? 平安末期の天皇家のややこしい歴史を、ドロドロ愛憎劇に仕立てた大河が
他にあったら教えてくれよー、婆さんw
白河も鳥羽も崇徳もたまこもなりこも、このメクラのウヨ婆さんには見えなかったようだ。。。 >>203
「私利私欲で内管領が務まると思うのか?!この愚か者めが!」とバシバシ高資を叩いていたな。
でも、「円喜、お前が言うか?」って子ども心に思ったな。 しかし、三谷幸喜には感謝しかないな〜。
戦犯清盛wのせいで、もう平安末から鎌倉は舞台になり得ないと思っていたら、割りと早いうちに拝めるんだから。 足利が幕府おくのに鎌倉幕府再興いうのはわかるが
そこで出す名前が頼朝でなくて義時と泰時というのがへーと思った
鎌倉後期には義時泰時時頼の生まれ変わり伝説結構流布してたの
ガチかもしれないね >>197
本所と御家人が争っても御家人の肩を持つというわけでなく
道理に基づいて裁いていったらしいよ
なんで公家や寺社も鎌倉に訴訟持ち込んで泰時が悲鳴あげて
こっちに持ってくるなと言ってるw
うちが扱うの御家人関係だけだからーてさ >>144
よく考えたら、
「描写を増やすと話のバランスが崩れるから〜」
って便利な言葉だよねw
どんな説明不足の駄作大河でもこの一言で弁護できるから(笑) >>173
どこかの誰かさんみたいに、わざわざ反感を持ってるドラマや脚本家の本スレ(注 アンチスレではない)に出張って、自分の手前勝手な主張(注 しかも、スレタイの作品とは直接関係しない事柄)をたらたら書き込みするほど暇じゃないので、お断りしま〜す(笑) 渡辺謙が北条時政、
杏が北条政子が、
1番合うのに…。 >>214
もう一度言っとくが、お前のような清盛罵倒醜女が、ひたすら三谷を礼賛し続けるのは、
三谷義時にとっても逆効果でしかない。 清盛見てないから杏の話されてもさっぱりわからん
岩下志麻か財前直見の話してくれ >>227
財前直見の政子は終盤とことん悪女だった
反対に中井貴一の頼朝は終始煮えきれない感じで
最終回で頼朝が義経を偲んで持仏堂にこもっていたのに政子と時政は高笑いしてたのが
後々を暗示していて面白かった 民放でか大河でか十朱幸代も政子やってた
かわいいタイプの女性でもいいと思う
ただ美人でお願い 頼朝や小栗や時政とのバランスがあるし政子
この辺りは第二次発表でいっせいにくるかな 岩下志麻は最後まで、財前直見は義経が死ぬまで、杏は清盛が死ぬまでだもんね >>232
ごめん京香なら小栗のお母さんになってしまう
政子はお姉さんだからもっと若くないと お母さんでもいいんでない
母親なくした小四郎ちゃんを母親代わりに面倒見てたと思えば違和感ない 頼家も重要キャラだよね
最近やたら吾妻鏡の曲筆で実は暴君じゃない言う人いるけど
義時と同じ比企の婿だった安達に捨てられ
一幡の乳母夫だった仁田に捨てられ
5人組の一人に入ってた小笠原に捨てられてるんだから
なかなかの御仁だと思う 人柄で味方が付くなら畠山があんな殺され方
しないだろ。利害がすべて、勝てる方に乗るだけ
だよ。江戸時代とかのリーマン武士とは
全く別物なんだから。 >>240
頼家は比企嫡流の娘・若狭局を側室にしていた
義時は比企傍流の娘・姫の前を正室にしていた
比企の婿といっても頼家と義時は義兄弟じゃないからな だから普通は鎌倉殿は勝つ側なのにみんなに捨てられてるから
そういう御仁なんだろうってこと
比企も問題あるんかもしれんがあの一族は基本忠実ででも頭使わない家
て感じだから >>240
比企と安達は利害が対立する関係、
安達は北条未満の出自不明の卑しい身分の出だから、
反目に回ってもまったくおかしくないわけだが 頼家は安達景盛の裏切りに激怒して修善寺に流されて以降も
あいつを成敗するって言ってる
比企側と思ってたんだろうね
仁田のこともそう思ったから北条討伐の命令出した訳だし >>61 >>63
> 時代考証を担当した本郷和人は、天皇・上皇らをファミリーとして考える概念が
> 出現していないため当時の言葉では「王家」「天皇家」の用語は使用されていないとし、
本郷がすでにゲロって白旗揚げてるんだよなぁ┐(゚〜゚)┌
日本史学者は、英語も読めない・話せない大学内でも最も遅れた集団だから
だからいまだに化石のような左翼学者が幅を利かせてるのさ >>244
いや安達は比企尼の長女を嫁にしたからずっと頼朝の側にいたんだろ
景盛はその息子
頼家の乳母は景盛母の妹だから反目はしてないのでは >>60
> 面白くなかったのを難しかったことにすり替えようとしてる
それは言えるね
たとえば「炎立つ」1部・2部はマイナーな時代・地域を扱った作品もいいとこだった、
今のような「わかりやすい説明」などロクに付いてなかったが、視聴率はまずまずだった >>247
頼朝ガーとか関係ないんだって
武蔵国で、いつまでも比企や畠山の風下に立っていても安達に伸びしろはない
北条と連立すること、比企や畠山を滅ぼすことで
武蔵を支配できる、安達一族も飛躍できる(実際できた)ということ
霜月騒動はあったけど、結局、幕府滅亡まで
北条も安達との連立を維持し続けた
はっきり言って安達は苗字のなかった虫けらのような一族だから、
いつ滅ぼされてもおかしくなかったのにだ 頼朝云々はあまり関係ないよね
梶原景時の変の発端となった結城朝光の発言からしても
頼朝を尊重する立場からしても、同母弟の実朝を擁していれば
まったく問題ないし、実母の政子のゴーサインも出ていれば躊躇する理由はない だから比企側と頼家は思ってたんだろうねってこと
草燃えるでは景盛が頼家の側近でいびられてるの描いてたな
そんでけなげに使えてるんだが時政追放ではさっさと実朝の手綱ひいてて
とにかくちゃっかりしてる姿にワラタw
景盛は北条の陰に隠れてるがなかなかあくどいからね
三浦もこいつが煽って滅ぼすし > だから比企側と頼家は思ってたんだろうねってこと
それはそうなんでしょうね それが当時の常識なのか、
当時から見ても比企や頼家は甘ちゃんなのかはよくわかりませんけど
和田合戦で土壇場で和田義盛を裏切った三浦義村は当時から非難されていましたが、
宝治合戦で三浦一族の中で唯一北条側に付いた佐原氏は
別にそんなに非難はされてませんからね(佐原氏は三浦嫡流の地位を手に入れた) あれ? やっぱりそんなことないか
安達景盛は頼家政権が始まってまだ間もない時期に
頼家から女絡みで誅殺命令が出ているので(政子が止めた)、
すでに頼家や比企に加勢してくれるとは期待されてなかったはずですよ
早々に「裏切り者」認定を受けていた筈です 佐原は矢部禅尼の息子たちで時頼の縁者で仲良くしてたから
非難はされないんじゃないかな
三浦義村も和田に起請文書いたりしなければまだマシだったかもw >>253
自分もそれと頼家が景盛だけは許せない成敗するて政子に書き送ったことと
合わないなあと思っててさ
中には景盛の裏切りを正当化するためにねじ込んだんじゃという人もいるが
自分はあんまそういう説には乗らないんだよね
ただ大仰には書いたかもしれないが
比企の身内なのは確かだから猫被ってその後も仕えてたんだろうかと 関東御家人たちは頼朝の家(征夷大将軍家)は大事だが頼朝の血統は別にって感じなんだろ 北条と安達は頼朝と共に世に出てきて、頼朝の残した
鎌倉幕府の終焉と共に消えていった、幕府ありきの寄生一族なんだよね。
成り上がりの運命共同体。他の名門武家は幕府関係なく
わらわら繁殖してあちこち名のある戦国武将になってるしな。 >>258
何でタイトルをわざわざ複数スレに書き込んでるの?
それすると何か貰えるわけ? こいつはどこのスレにもいる保守気取りガイジよ。自分の意見が書けないんだからスルーしとけ アスペはスレが下がってるのが気になってしょうがないんだよ
糞盛信者もこれと同じ 頼家に問題があったんじゃなくて必然的な流れだったんじゃね 子供の時草燃える見たよ
でも日本史そんな詳しくない頃だから政子がトップに移動したあと
なんでトメが時政でなくて義時なんだろうと思った記憶あり
途中でその意味がわかった
その義時がとうとうトップクレとはしみじみ
今度は政子がトメ?大物じゃないとダメか…後鳥羽上皇きそうだし で大河見てて思ったけど草燃えるの頃は北条政子って出てたよね
いつからか大河でただ政子とだけ出るようになった
結婚しても北条政子でいいと思うのに >>262
日本の開戦、敗戦を止めるターニングポイントが
腐るほどあったのと同じで、必然ということはないと思う
偶然?も作用してるし(例:北条時政嫡男の政範が突然死)
・頼家が政子にかまわず安達景盛を数していたら?
・頼朝死後に梶原景時が自重していたら?あるいは結城朝光をかまわず数していたら?
・和田義盛が頼家の命令を聞いて、北条時政を数していたら?
・三浦義村が和田義盛を裏切らなかったら?
(・69歳でタヒんだ北条政子の寿命が10年短かったら?)
承久の乱前でもターニングポイントは腐るほどある 結果全てが必然って話じゃなく権力を持たない存在になる流れね
状況によってはお飾りとして一見ちゃんとした二代将軍を全うできてたかもしれない >>257
北条丸(笑)と晩年まで苗字すらない藤九郎(笑)だからね
かつて外戚だった三浦滅亡後、「似た者同士」の北条と安達が近親婚を繰り返し始めた後は、
もう北条も安達も大豪族、名門武家のノウハウを吸収することも諦めてしまったかのようだ
金沢貞顕の叔母が、御内人の五大院氏に嫁いでいたと知ったときは絶句したなぁ
「何やってんだこいつら?」って話よ
もっとも北条氏庶流が下手に大豪族と縁組したら
粛清の口実にされてしまうのかもしれんがね┐(゚〜゚)┌ >>264
そういえばいつからだ?
確か太平記は、尊氏妻の赤橋登子を「登子」とだけ表示してたな。
日本で夫婦同姓にしたのはいつからだ?という話に繋がって考証が難しいからこういう表記なのかな?
特に最近は夫婦別姓の議論が出て来て、夫婦別姓推奨派が
「近代以前の日本は夫婦別姓が当たり前で〜」
って話をするときに、引き合いに出されるからな>北条政子、日野富子 >>268
尊氏の母清子も最初足利清子表記だったのが清子だけに変わったな
クレームが入ったのかな? 戦国時代といえば不思議なのよ
名越の嫡流が今川と縁戚で那古野氏となって残るんだけど
信長の母が那古野氏説あり
秀吉の木下家の主君も那古野氏説があり
なんか天下人つながりで不思議な縁があるという
得宗子孫の横井氏も尾張だしあの地に北条がいっぱいいたのか?
でもこの大河は名古屋で受けなさそうw 関東が舞台だし 足利清子は単純に間違ってるw
源政子とやるようなもん 江戸時代までの女性で、苗字+名前は北条政子と日野富子ぐらいしか
一般的に有名でないな
木下ねね、浅井茶々、織田お市
こんな言い方しないしな >>273
下の名前が○子で、苗字とくっつけて言いやすいからか?
っていうか、今みたいな戸籍もなにもない時代の話を持ち出して、
「昔は夫婦別姓だった!夫婦同姓は日本の伝統でもなんでもない!」
って主張するのもね…。
同姓派が「日本の伝統が〜」って主張の反論なんだろうが…。 北条政子でなくて平政子だよね文書だと
北条政子と呼ぶ慣習がずっとあったが
当時は実家から遺産譲り受けるし実家の娘ってとこが強いんかな
義時死後の家督争いに政子が口出して伊賀の方追い出したの理不尽だと思う
女主人は伊賀の方 >>270
尾張国で確認できる著名御家人の末裔たち
梶原
和田(→佐久間)
北条得宗(→横井)
名越(→今川那古野)
安達
丹羽長秀の家系が児玉党を名乗っているのも、本当なんじゃないかと 清盛役は松山ケンイチでキマリだから。
これだけは動かせないから。 >>278
年が若すぎないか?
確かに松山ケンイチの老いぼれた清盛の演技は凄かったが。
個人的には藤岡弘に三浦義澄の役やってほしいなあ。 清盛と後白河がバックギャモンで遊んでないとヤダヤダヤダヤダヤダーー! >>283
そこは「草燃える」のリメイクでお願いしたいな〜。
ただ、あの話の頼朝死後のドロドロを三谷がちゃんと書けるかどうか…。 >>279
時政は松平健、伊東祐親は滝田栄、安達盛長は火野正平でお願いします 【2000年以降〜】事件やトラブル起こしたタレントの一部
押尾学 ←逮捕
伊藤英明
海老蔵
袴田吉彦
塩谷瞬
赤坂晃 ←逮捕
成宮寛貴 ←逃亡
綾野剛
山下智久 ←送検
水嶋ヒロ
中島裕翔
高畑裕太 ←逮捕
清水良太郎
遠藤要 ←逮捕
細川茂樹
山本裕典
渡辺謙
ファンキー加藤
ガリガリガリクソン
田中聖
橋爪遼 ←逮捕
田中哲司
小出恵介
山口達也
新井浩文 ←逮捕
ピエール瀧 ←逮捕
田口淳之介
原田龍二
宮迫博之他よしもと芸人
AAA浦田直也
河野玄斗
市原隼人(判明している交通事故だけで4回目)
三代目JSB今市隆二
東出昌大 ←new!
高樹沙耶 ←懲役1年執行猶予3年
酒井法子
沢尻エリカ
小向美奈子 ←逮捕(3回)
ベッキー
坂口杏里
唐田えりか ←new! 平安から鎌倉時代にも様々な文化が韓国から伝わったことをちゃんと描くべきだ。 むしろ大陸の影響なしに内からの革命を起こしたことがテーマな訳で >>286
北条時政は息子役の小栗旬に追い出されるダメ親父だから
松平健とか暴れん坊将軍のイメージ強すぎて
どう見てもバカ息子の小栗のほうが追い出されるじゃん ダメ親父じゃないだろ強敵だからこそ義時の決断が光る >>295
後妻にたぶらかされるダメ親父だよ
御家人はみな政子&義時についたし 時政はやや荒っぽいのと味方があんまいない
義時は緻密で味方に守られる 政範が生きてて北条氏を継承してたら、
本人も子孫も公卿を目指した可能性が高いので、
歴史はまったく違ってた可能性が高い。 しかし、今放送中の大河で、三谷が言っていたシェイクスピア劇みたいなシーンが早速出てきたなあ。
謡いながら毒殺…。
三谷も気合い入れてドロドロシーン書かないと、今年の大河に負けちゃうぞ。 北条時宗以来の北条陰謀ルームが見られるのは胸熱
義時時房政子阿波局の強力カルテットはいいとして泰時どうすんだ
あのまっちろちろ人間 北条も女系でいいから公家に種を残しときゃよかったのにな >>301
いや
三谷が気合い入れんでもこの時代はドロドロシーンの連続だからw
むしろ一服の清涼剤シーン作るのに苦労するんじゃないか? 北条時宗もやたら毒殺暗殺シーン入れたがどーも安っぽかった
なんかお手軽に若くして死んだ人をみんな根拠なくそういう扱いにしたからだと思う
源氏三代のドロドロてのはそういうんじゃなくて裏での駆け引きの
熾烈さが面白いんだと思う
そんで三谷に期待するわけだ
ぶっちゃけただの陰謀論には飽き飽き 北条家のお家騒動(娘婿も後継候補)とかいわれてもよくわからん >>306
執権北条氏ってダークヒーロー礼賛みたいな人が研究者にいたからね
奥富なんて高麗出撃計画まで塩田義政が安達泰盛を葬るための陰謀だとか言ってたし
そういうのに影響受けたんじゃないの >>302
泰時は草燃えるでも真面目以外取り柄がない人だったじゃん
しかも母親に似た女にデレデレ鼻毛のばして喜んでる魔法使いだったでしょ
あんな感じになるよ なんか北条以外の人物はまるで何も考えない人形みたいな扱いなんだよな>陰謀論者
三谷は御家人のバトルロワイヤル言ってるからそれぞれの人物の
アクの強さやぶつかり合いをちょっとは描くんじゃないかと >>306
確かに頻繁に毒殺シーンが入っても萎えるな。
昨日の道三のシーンは一応元ネタもあるし、道三がどういう人間なのかを端的に示すいいエピソードにもなってると思うけど。
「草燃える」では毒殺されたとはっきり明言されたのは、三幡姫だけか? 端的に言えば、侍所と政所(の事務官僚)と足利さえ押さえておけば、
あとは(どれだけ大御家人であろうが)雑魚ってことなんよ
(これに初期、時頼期までは三浦が加わるくらい)
そこは長州閥や共産党と同じだと考えればよい
ヨゴレで虫けら出身の安達は、お互いにキ○タマ握り合ってたんだろうね
バラされたらお互いに困るようなことを 草燃えるの永井路子原作って暗殺や密告はよく使うんだが
(全成を売ったのが義時だとか、阿波局が政子を脅す所とか)
「毒殺」はとらないんだよね。
毒殺だと安直すぎて陰謀が描けなくなるからかもしれない 草燃えるは曾我兄弟を岡崎らの陰謀という永井路子説でやってたな
でもあの大河義時が伊東の血筋って一切無視してやってるから
伊東十郎のポジて義時がダブルでやってもおかしくないんだよ
真逆だけに不思議だけど二つの顔を持ってておかしくないというか >>313
毒殺でも真田丸はきりの毒殺がキツかったなぁ…。 毒殺というと
足利直義
足利義満
三好義興
加藤清正
孝明天皇
光緒帝
三好義興以外は政治的影響、
その後の歴史への影響は甚大だったね 北条時宗は時頼を毒殺にして時輔殺せーというの物語の核にして大失敗
花の乱の日野富子を取り替えっこにしたのも大失敗
物語の核や重要人物を妄想でいじっちゃアカンて >>321
入れ替わった森待者殺すって富子に言われて
酒入れ替えられて毒殺される草刈正雄日野勝光の最期はなかなかよかったが 「草燃える」では金窪行親(や安東忠家)は出てこなかったんですか?
この大河ドラマが義時の死去で最終回を迎えるのかどうかわかりませんが、
金窪行親が(摂関家将軍・九条頼経の推挙により?)破格の五位に叙爵されたこと、
晩年?は摂家将軍に伺候するようになっていたこと、
「聖人」北条泰時は、行親の叙爵や行動を許していたこと、
泰時死後に宮騒動で?金窪行親や金窪氏は排斥されたとみられること
などは面白い論点だと思うのですが、やはりそこまで扱ってる余裕はないですかね
義時の手足として汚れ仕事を一手に担う役としては、是非とも登場してもらいたいところです
和田合戦で和田義盛の首実検(史実)とか象徴的なシーンとなるでしょう
梶原景時の死後の嫌われ役、ヒール役は、安達景盛と金窪行親で決まり! 金窪、尾藤、南条あたりは御家人だけど北条被官になるパタン?
義時に仕えることになる経緯はほしいかな
諏訪が仕えることになる話は逸話で出てくるけど 鎌倉はさっぱりわからん。13人って誰なのかすら…
畠山重忠は入ってないのかな? 畠山重忠は政子との仲を疑った頼朝と揉めて頼朝を斬り殺します 政子でなく義時が主役なら泰時以外の子らもしっかり扱って欲しい
草燃えるでは出番なかった泰時と疎遠な朝時や後妻との子で可愛がられた政村は当然でできれば重時も 泰時朝時は草燃えるに登場
重時政村は時宗に登場
一度も姿見せてない実義が果たして姿を見せるか 伊賀騒動をがっつりやるなら政村の重要度は上がるけど、
主役が死んだ後の事だからな。、普通は主役が死んだら
終わりだけど、嫁に毒殺されて終わりは後味悪すぎだから、
政子が伊賀騒動収束させて泰時立てて幕府を盤石にしましたと
数分で片付ける程度なら政村はそれほど重視する必要もないというか。
義時存命中に色々ある息子のがドラマ上は重要だろ。
本役で目立つのは年齢的に親父の補佐する泰時と
タテついて問題起こす朝時、二人の兄の間に入る重時、
までじゃないかなあ。政村実泰は子役時代が長く
本役はモブくらいじゃないかと。 しかし、伊賀の方とその子の実泰、政村の娘とことごとく
伊賀氏系統が精神異常起こしてるんだよね。
ちょっとやばい嫁だったのかもしれん。 泰時が急いで鎌倉に戻るべく京をたったときに
泰時の弟たちは曲者揃いだから泰時は弟に討たれるだろうと
京の公家が噂したぐらいでさ
義時の息子たちがどいつもこいつも曲者揃いなのに不思議に団結するあたり
その気配は出して欲しい気もする
実際あの兄弟がガッチリしてたから北条政権が長持ちしたわけで
朝時生前中は名越も得宗家とやり合わなかった 重時と政村は北条時宗でやったからな
平幹と伊東四朗の大物が演じた 花燃える再放送の実況でちっこい金剛がとことこ歩いてた時は
かわええかわええのオンパレードだった
成長して尾美としのりになった時はどうしてこうなったとちょっと言われた >>337
……………orz
北条時宗の時の陰謀ルームは得宗+重時、政村、実時、安達だったね
太平記の時は陰謀ルーム自体がなかった マッマがバラバラだった義時息子が団結したのはパッパ義時の力だと思うな
で頼朝兄弟がバラバラだったのはパッパ義朝があんな感じで
早くに死んじゃったからじゃない? 三社対等合併だったのにジャスコ乗っ取って
更に全国の中小スーパー、百貨店を乗っ取って
いつのまにかイオンの創業者に成り上がった
岡田家当主フランケンシュタイン
こっち描いた方がずーっと面白い
でも民主党が激怒するが ソ連の手先だった日共でソ連派を粛清して
中國の手先に変えた
不破哲三、(上田兄弟)
東京郊外のポツンと一軒家に
女中運転手付きで君臨するブルジョア >>326
北条義時
北条時政
三浦義澄
八田知家
和田義盛
比企能員
安達盛長
足立遠元
梶原景時
大江広元
三善康信
中原親能
二階堂行政 三浦は、こういうところに顔を出してしまったばっかりに
滅亡する羽目になったともいえるね
比企は将軍外戚なので、入ろうが入るまいが、北条との衝突は必然だったか
こういう生臭い政治ポストに顔を出さなかった
大御家人の足利・千葉・小山とかは戦国時代まで生き延びたわけだから
こういうポストは、頼朝に引き上げられた大御家人の分家・庶流とか、
中小零細弱小の新興・成り上がりとか、公家出身の官僚・法曹とかがやるポストだよ 殺らないと殺られるから。安達や足利みたいに北条の小判鮫でいいなら話は別だが >>347
もっと基本的なところから勉強しようね
足利と安達は全然立場が違う、正反対の立場だから まあ、足利と安達では身分に天地の差があるのは確か
ただ不思議に思うのは、まだ北条が弱小の時代から足利が濃厚な関係築いてたこと
北条が最終勝者になること予測できたんだろうか? >>349
それは簡単でしょ、足利義兼の正室は北条政子の同母妹だから
最初は北条氏云々ではなく、頼朝と相婿になれるという点が重要だったわけだけど
義氏以降は惰性でもあり、処世術でもあり、保険でもあるだろうね
義氏の立場として、幕府で絶大な権勢を誇る伯母さんの政子に逆らう選択肢はないよね
政子が泰時の娘と泰氏の縁談を持ってくれば、迷わずイエスだろうし
足利氏は武蔵国でも畠山の名跡ゲットして、(北条・)安達と友好的だね >>344
義氏くんはこの時まだ子供だよ
義兼パッパが頼朝に疑われてビビったのかとっとと出家して
政子の妹が産んだ義氏に譲ったみたいだけどすごーく小さくて
なんかかわいそう 足利氏は北条氏とベッタリというのはそうかもしれないが、
細かく見れば、政子=泰時派ってことだよね
少なくとも義時との直接の親族関係はない
(義時はタヒぬまで三浦と一蓮托生)
北条義時は(足利氏が利害関係を持つ)武蔵守を務めたことがない
逆に泰時は(三浦の本拠地の)相模守を務めたことがない 義時はタヒぬまで三浦と一蓮托生だったから、
やはり義時のタヒで最終回を迎えると描写が中途半端になってしまうよね 三谷は、義時(親三浦、政村推し)と政子(反三浦(・親足利)、泰時推し)の
立場の違い・不和、義時と泰時の立場の違い、義時晩年の混乱を描けるかな?
ちなみに次期執権が京都に居た、というのも泰時が唯一のケースだからね
(時氏は執権になる前にタヒ去)
義時が自分のタヒを悟って遺言状を残していたら、
政村が次期執権だった可能性は高いです。 足利義兼は母親が熱田の宮司の出なので頼朝とは元々近い血縁で
相婿になることは頼朝の要請だったのではなかろうかと
まぁそのせいで後々頼朝に警戒されたなら気の毒だが >>346
その辺は関東の周辺なんよ
坂東の中心は坂東平氏の地盤で源氏の勢力は周辺
だから御家人サバイバルは武蔵相模の武士がやりあうし主役はそっち
13人の武士の中にいるのもそのメンツ >>356
足利は清和源氏だが、千葉は桓武平氏、小山は藤原秀郷流
比企も藤原秀郷流 今でも東京中心で群馬や栃木ってすげー田舎でしょ
当時もそうよ
千葉は宝治合戦でやられてる 宝治合戦でやられたのは(当時本家を凌ぐ勢いだった)千葉の分家だからねぇ
分家なればこそ評定衆のポストにも飛びついたわけで(危ない、危ない)
その後も、千葉宗家は下総守護を維持してますからね 義時の娘ってみんな公家と婚姻だよね
ドラマ的視点で見ると武家に嫁いだ姉妹の悲運さを見て
自分の娘にはそういう思いさせたくなくて公家に嫁がせたとかありえる
縁組が武力と関係する時代にあの縁組は不思議すぎる あーあとは花押か
北条一族の中で義時だけが孤立しており、
時房も、泰時も、重時も、政村も、時政型の花押を使用している
そして義時に義絶された、時政の名越邸を継承した朝時が
逆に義時型の花押を使用しているのであった(´;ω;`)
義時型が本格的に使用されるようになるのは、
得宗専制が確立した時宗以降なのであった 義時も暗殺説あるけど時宗の脇役陣と違って主人公にそれはやらんかな 遺言(状)を残さずに急死してるから、可能性は決して低くないんだよね>義時暗殺説
同時代の史料にも、そういう風聞が残ってる、後世の史料にもそういう説が載ってるからね 深見三郎という名前は誰が出したのかw
義時は死に方まで楽でどこまで幸運な男だと
なんか義時が伏せって苦しんでるってらしくない
いつも勝利してる印象だから
一月以上も苦しんだ泰時は気の毒
頼朝も死に方としては楽だと思う
清盛は大変そうだ 上皇が死んですぐとかに
「上皇こそ謀反者なのだ」とか言っちゃう大河やれるの? >>366
中世の天皇とか院とかの世間での受け止められ方って面白いよな。
権力が奪われつつあっても、権威はあるのかと思いきや、一度倒幕を企てれば
「帝、ご謀反」とか「上皇ご謀反」とか言われるし。
確か、「帝ご謀反」は「太平記」のサブタイトルで使われてた気がする。 義時は主上御謀反なんて発想すらないよねきっと
でも草燃えるでは凛々しく言ってしまったのは中世の史料のせいw
大河太平記の帝御謀反は別にいいと思う 新書の「承久の乱」に影響うけて実質主役は後鳥羽上皇ってことはないよね
滅ぶ側を明るく楽しく描く三谷だけに 鎌倉の政権は簒奪したものではなく以前の朝廷から授与されたものでありそれを覆そうとするのは院であろうと道理に反するという理屈だな 義時はなんも悪いことしてないのに後鳥羽上皇が一方的に
戦争吹っかけた、てのが武家公家問わずに当時の認識だったと >>372
頼家、実朝、公暁と若い源氏将軍家の子息たちが立て続けに死んだだろ
つうか義時も絡んでたはず >>371
あ〜そういう理屈なのか。
形の上だけでも天皇や院の方が将軍より立場は上じゃないのか、と思っていたから、「ご謀反」ってスゲーなと思ってた。 >>373
ところが当時も南北朝も義時はなんも悪いことしてないのにていう認識だよ
義時自身もそういうノリだったという
源氏の内紛は多くのものが放置だったと思う 最初から皇族将軍にしてたら承久の乱は起きてない
つまり実朝暗殺がなければ承久の乱は起きてない
三浦と一蓮托生の義時が、実朝暗殺とまったくの無関係とは言いがたいね 公暁が実朝の後継になるのは義時が認めない
だから義時が狙われた
義時本人が行列の供奉人から離れるのはこの時より前にもあったから
警戒してたんだろうという説 鎌倉殿って、鎌倉幕府そのものの呼び方でもあったのか
幕府そのものも北条執権も、鎌倉殿と呼ばれたのか
柳営という言葉も使われたのか >>374
太平記では天下の主は北条得宗だから
それに逆らったから御謀反という理屈
北条得宗は朝廷の官位も関係ないし任命されてなるものでもないから
立場下になるわけでもない不思議
権威の源泉は承久の乱の勝利という人もいる 後鳥羽が勝ってたら後醍醐みたいに土地を勝手に取り巻きにばらまいてたろうね
乱以前にも地頭の件で揉めてたし 源仲章は義時の身代りではなく後鳥羽院から派遣された人物だから殺された説があるからな (義時と険悪な)波多野氏が幕府(義時)に実朝の首を引き渡すのを拒否していること
実朝の共犯者の鶴岡八幡宮の供奉僧が赦免されていること
などいつもの鎌倉幕府でよく見られる陰謀パターンですぜ >>387
× 実朝の共犯者の
○ 公暁の共犯者の >>386
本当はどうだったかはともかく、武士の頭領が落馬で死亡はガッカリ感あるよね >>381
そもそも2年後には義時が名指しされて討伐されようとしてる
わざわざ戦するより暗殺することを考える奴がいて不思議じゃない
上総介広常も一条忠頼もいきなり突き殺された >>382
鎌倉殿はあくまでも将軍だ、宮将軍がちゃんといただろ
北条は執権だ、御家人たちのまとめ役。おもに本家は得宗と呼ばれていた
鎌倉殿=北条ではない
武家政権での幕府という言葉は江戸中期頃から使われ始めている
それまで鎌倉幕府は鎌倉殿や鎌倉府、そのまま鎌倉とか関東とも呼ばれていた
もちろん柳営もあったよ 「太平記」は帝ご謀反、帝の挙兵、帝の脱出、帝崩御など、「帝」を多用していた >>396
そういうことじゃなくて清盛の「王家」(笑)じゃなかったってことだよw >>398
事実ではない、隠岐に流されている間に光厳天皇が即位しているから 光厳天皇以降後小松天皇より前の北朝の天皇はカウントされないからしゃーない スレチの話題だな これ以上は「太平記」のスレでやった方がいい 淳仁天皇(淡路廃帝)や仲恭天皇(九条廃帝)は歴代に加えられている二重基準な そうそう、神器は偽物で朕は隠岐に行幸していただけだ、未だ天皇であると宣ってたw この時代は院政だから帝はタイトルには出てこないかな 鎌倉殿が当たれば、足利氏の鎌倉殿主人公で享徳の乱大河とかもできるなw 政子一族が頼朝と頼朝との息子を殺し北条家が乗っ取る話だろ 平家について頼朝のクビ切って終わらせてもよかったが
一族総討ち死覚悟でたってくれた恩義を頼朝は忘れなかったのかな
政子を終生大事にした 邪魔者を暗殺やら謀略やらで粛清しまくった頼朝が怖いなんてないないw 草燃えるは頼朝の粛清を扱わなかったからな
梶原が上総介刺し殺したやつぐらいだろ
佐竹討伐の仕方やら一条忠頼暗殺やら安田謀殺やら秋山光朝の殺害やら全部カット
今回も義時視点だからカットがおおくなるかもな
安田息子の殺し方とか義時と対比させて描いてもいいとは思うが
梶原が嫌われる理由描くのにもいいし 義時は頼朝のやり方側で見てて反面教師にしたかもな
時政は頼朝と同じように力づくで謀殺したが義時はそういうやり方しない
だから義時とその子孫の統治が長続きしたとも見える 頼家や実朝、公暁の謀殺はどうする
比企氏討伐や姫の前との離婚もある
三谷は義時を何も知らない究極のホワイトにはしてこないのでは
制作発表の時にサザエさん一家を例に出して
波平(時政)追い出してタラちゃん(実朝)殺すと説明してたし 得宗の支配が長かったのは徳政(公正な裁判)をやったからだぞ 義時長く権力の座にあって人望に背かない言われてるんだからさ
今でいえばコミュ力が高かったんだよw
武力や家柄なくてもコミュ力と頭脳でのし上がる
現代人向けだね >>419
頼家を殺させたのは時政
実朝暗殺は公暁の単独犯だと思う
公暁は実朝暗殺の犯人として、義時が殺させたと思うが 真田丸は戦国時代だったから視聴率まあまあ良かったけどこの作品は視聴率取れなさそうだな。 >>425のようにネットで叩かれる度合いは新撰組も真田丸も鎌倉殿も同じ。
視聴率的にはかなり低そう。 >>305
同じく陰謀ばっかり(特に後半)だった「毛利元就」は、元就妻を始め女たちのシーンがいい清涼剤になってたんだが、「鎌倉殿の13人」はメインとなる女性たちも陰謀を企ててドロドロしてる人ばかりだから…。 >>427
時宗は陰謀ルームばっかだった
北条陰謀ルームに足利陰謀ルームに女性陣はひたすらうざい
ただ時宗が可哀想なのとハチマロが一服の清涼剤で >>419
白い義時なんてあり得ないw
三谷も酸いも甘いも噛み砕いた男で、彼に翻弄され滅ぼされていく人々を
きちんと描きたい言ってるから裏でいろいろ活躍してくれると期待する
実朝暗殺は関係してないと思うが >>431
> 実朝暗殺は関係してないと思うが
義時と三浦の蜜月関係、タヒぬまで一蓮托生だったのを見れば無関係というのは無理がある 細川重男先生、久しぶりにサイトをのぞいたら近年体調悪いみたいだな。
本郷センセー批判してたし、大河の考証にはならなそうだけど、
著作が重版されて収入増えるといいな。東大でTV出てる教授の
本郷センセーと比べると、非常勤で色々厳しそうだったし。
センセーの本は家にありますわ。小説も書く先生だから、
歴史疎い人も楽しく読めます。 義時は最初は分家の江間義時だったというだけでなく、
実は執権になった後も北条氏の本流じゃないんだ
政子→泰時→時頼→時宗…が北条氏の本流
歴代執権で親三浦って義時1人だけだしな
時宗の代になって、義時型の花押が使われるようになったということは、
時宗から北条氏の歴史すらよく知らない世代になったということ
「承久の乱に勝った得宗の初代だから義時はめちゃんこエライ」くらいの感覚になったんだろうね 政村が執権になったときはすでに三浦宗家滅亡後で、親三浦もなにもないので 私本太平記では高時が太守と呼ばれてるね
執権や得宗ではなく太守という言葉を当時は使ってたのか 実朝渡宋も実朝暗殺義時暗殺未遂も同じ動機じゃね
つまりこの二人がいなければ鎌倉は瓦解するという >>434
清和源氏もそうだけど
当時よりそれより後の方が神格化しちゃうんじゃないの
世代交代を経てレジェンドと化すと言うか >>441
義時は死んですぐレジェンドになってるよ
武内宿禰伝説ができたの早い
日蓮も義時絶賛してるし
治天の君に勝った男だからそうなるわけ 細川は義時のことを何もしない男言うのはアカンよ
マンガじゃあるまいし何もせずにトップになるわけないは
まあ史料がないと何もしないと言うあたりは歴史家の限界かねw >>442
対外的にはそれでいいが、
一族内部の評価、伝承、言い伝えというのはまた別だからな
実際、あの吾妻鏡が北条義時には手厳しいわけで >>443
少なくとも実朝親政説、実朝・義時険悪説(政子と泰時は親実朝)は十分に成り立つよ 源頼朝は、出自不明の伊豆の中小豪族の娘、
政子を絶対に切らなかった、終生重んじたが、
このような夫婦関係は日本史上他に例がないかと思いきや、
オウム真理教の麻原彰晃と松本知子の関係がよく似てるね 出自不明じゃないんだよ
平直方流
それで全部説明がつく
あの面倒臭い坂東武士が大人しく北条に従ってるのも
政子がでかい面してというか北条が一貫して気位高いのも ただし嫡流ではなさそうだよね
それか父が早世したかで貴族からまともな扱い受けてない >>450
公家の日記に北条丸(笑)って書かれてるのにそれはないわw
他の御家人よりもさらに下に見られて人間扱いされてないのに┐(゚〜゚)┌ >>452
公家も一貫して北条は平氏として扱ってるよ 【残念な北条氏】
・家系図もまともに書けない
・“北条丸”
・頼朝生前は無官
逆に上総介広常は、頼朝上洛時に後白河法皇が、
死の頼朝に誅殺の理由を直接尋ねるほど、
慈円が愚管抄に記すほど(介ノ八郎ヒロツネ)、
京で名前が通っていた、一目置かれていた、一応人間扱いされてるw 出自がしっかりしていて、(六位の)衛門府の尉だと、
(北条)平左衛門(尉)(時政)とか書かれるわけよ 時定がそうだね
でも時定は時政に従ってるからやっぱ時政が嫡流なんでは
父親が早世したのかもしれない >>456
原文をすぐに引っ張ってこれないけど、同じ玉葉でも
近い時期に在京した他の御家人は人間扱いされてた筈だよ
播磨・美作・備前・備中・備後5ヶ国の惣追捕使になった
梶原景時とか土肥実平とか そも北条の近くに頼朝流して監視役させたり
池禅尼の姪という牧の方が時政に嫁いでたり
基本北条は平家方、でも平家の家人ではないもちろん源氏の家人でない
というのも直方流だと説明できる 実際に誰が頼朝の監視役をやってたかは不明だったような
あと牧の方が池禅尼の姪かどうかはちょっと怪しい(下級貴族出身なのは確かだが) 平直方流の自称は事実がそうである事よりそれを他の坂東武者が容認してた現実が効いている >>462
関東武者が容認していたと確認できるものは何もないのでは
ただ単に北条が朝廷から官位を貰う際に
直方流の家系図を提出して平姓で受けたというだけ
朝廷から官位を貰う際には源平藤橘のいずれかを名乗るということに
なっていたから 直方の娘婿は源頼義で義家流源氏と北条氏は縁戚となる >>464
後世の北条が頼朝と政子の婚姻をそれになぞらえた可能性がある
そもそも平直方も源頼義も当時は都に住んで藤原摂関家に仕えていた 鎌倉は直方の所領の一つで頼義に譲られた物そんな経緯のある直方流の自称は北条氏にとって自覚的な物 要するに盛方のところでなんかやらかして熱海に謹慎だかなんだかわからんが
それが事態を不明にしてる原因なんでしょ
北条は経済資本はなくても文化資本がある印象だから直方流で京と縁がある
というの別に不思議じゃない
頼朝が政子大事にしてるのもわかるし
国府に近いところで在庁官人してるんだし >>467
北条時政の父親の名がはっきりしないんだよw
その程度の家 >>465
頼朝ものっかってるでしょ
息子の名前が頼家だもんw
関東武士に示すつもりだったんじゃね
頼義と直方娘の婚姻とその息子の義家を連想させてオレんとこが関東の主だぞー
だから側室おいて政子に怒って離別されたら困るわけ
自分としては糟糠の妻を大事にしたというロマンティックな路線でいきたいがw
あの頼朝のことだから政治的な思惑はあったのでは
源氏を必死に粛清してた時期だしねあの人 >>458
時定でなくて時政が嫡流に見えるね
頼朝を婿にするという決断は時政が主だからできたわけで
時定系が嫡流だったら厳しかったんじゃないかな
一族滅亡のリスクおかして挙兵したんだし いやそれ不明ってことやんw
泰時の母ちゃんも「讃岐局」だけど、
「誰それ?」状態で結局不明と同じことなんやで?
もちろん泰時執権時代に外戚は影も形もないしな
政子が泰時を“後継者”として全面バックアップした
大きな理由の一つとみられている >>474
あ、間違えました、ごめんなさいm(_ _)m >>473
実父だの養父だの叔父子だのいろいろあるのだよ
そんであれこれパターンが出てくる
直方流以外の系図があるなら因縁つけるのわかるが
阿波局は書き間違いだとにらんでる >>469
源氏の夫と平氏の妻てちょっとロマンあるよな
尊氏と登子もその組み合わせだ
尊氏も登子を大事にして庶子につれなかった 政子も含めて姉妹たちの夫や甥たちは殺されたり失脚したりしてるな
無傷なのは足利と滋野井くらいか >>477
> 尊氏も登子を大事にして庶子につれなかった
それは当たり前、義詮は最後の執権の甥にあたるので
北条氏一門や御内人の懐柔にはもってこい、
事実、御内人は割れたわけだから
逆に甲斐武田氏は、義信を粛清したから滅亡したとさえ言える 宇都宮も無事では
義時に睨まれて出家したけど
泰時と仲良いんだよな 時宗の時時攻撃
清盛の盛盛攻撃に続いてまたまた時時攻撃だね
でも時政までは上が時で義時から下が時に変わってる >>477
登子に対しては実家滅ぼしたわけだから罪悪感あったのかもなあ
もし登子の家族は尊氏と子供だけなわけだから
自分が守ってやらないと、とか でも尊氏がそんな情で動くような人間かなあと思うとそうでもない気がする
惻隠の情はあるにせよね 尊氏は自分のこの世の幸せは全て弟にあげてくれと
神仏に願うくらいだし情は深い相手に深い時には深いイメージ
後にはその弟も殺したけど 義詮は鎌倉を陥落させたという実績あり
鎌倉滞在期間も長く関東武士のシンボルにもなれる貴重な存在 優しすぎる人な印象だけどな尊氏
イケメンすぎだけど大河の真田広之は似合ってた 庶子を養子にしたのはどっちの意思だったんだろう
尊氏が流石に気にして弟に任せたのか
直義が甥を哀れんで引き取ったのか 欲もないから執着も薄い
一番執着してる対象は後醍醐
そんなイメージ 正室はばかって庶子を寺に入れる頼朝
正室はばかって庶子を養子に出す尊氏
北条女つよい >>484
北条が新田でなくて足利恨んだように
ただ実家滅ぼしたんでなくて裏切り者てとこがあったから
余計に贖罪の意味もあるかもね
北条vs比企との違い 寺のほうはまだ還俗させて戻せる余地もあるような気もする
公暁がそれで跡継ぎ狙いにいったわけだし
保科や松平定信のケースからしても
養子はもう完全にドロップアウトだな 畠山後家と結婚するために新田の妻と子供を義絶した足利義純
北条女つよい >>484
「太平記」で、尊氏母がこっそり直冬を可愛がっていたことを知ってぶちギレた登子が、尊氏と尊氏母の前で、尊氏に実家を滅ぼされて、後ろ楯がなくなった身の上について初めて恨み言を言ってたシーンが印象的。 >>488
太平記でも、なかなか後醍醐に厳しい処罰が下せない尊氏に佐々木道誉が
「あなたの優柔不断がこの乱世を招いてる」
と言われるシーンがあったな。 史実と異なる大河ドラマの演出は演出として、
尊氏の誤りは直冬に足利姓を与えたこと
足利宗家の後継は、北条一門や被官の懐柔、
融和を考えれば、鎌倉幕府最後の
執権の甥である義詮(と基氏)以外にない
同様に赤橋登子が失脚しないのも当たり前
登子と義詮がいなければ、中先代の乱もどうなっていたかわからない
受け入れの窓口、後ろ盾がなければ、北条被官も割れなかっただろうから >>491
政子は小豪族、登子は実家滅亡だから嫁の実家はばかって
とは違うてのがね
武士の評判みたいなのやっぱあるのかな
草燃えるで時政が土肥実平に挙兵について相談にいったときに
ここで佐殿を討ったりしたら笑いものにされて
関東では生きていけない言ってたの印象に残ってる
でも自分は美人で聡明だったから説おしたいw
登子は姫の前の直系だし沢口靖子だしきっと美人だ 逆に言うとみんな平家にひれ伏してた時に頼朝かついで合戦した
というので北条が他の武家から認められてでかい顔してたというのもありそう
総領死んじゃったし
武士は名誉が大事ね そりゃ中国、九州の豪族たちも勘違いしますわ>直冬に足利姓
「将軍は直冬殿がよほどかわいいとみえる」と判断されても仕方ない 直冬は元々東勝寺の喝食にさせられてて
鎌倉幕府が滅んでしばらくしてから実子に恵まれなかった直義の養子になったんだぞ
直義に実子が生まれるまではその後継者として厚く遇されたのは当然だし
その実子が早世した後には直義の子として尊氏と対立したのもごく自然な流れ >>503
それも間違いだよ、実際、基氏も直義の猶子になってるわけだから >>496
そういや尊氏母って足利家の妻母にしては珍しく北条家じゃなくて上杉氏なんだよな >>505
正妻は北条家から貰ってたんだろうけどね 北条氏の生まれの正室腹の足利高義が早死にしていなければ、
元弘の乱もどうなっていたかわからない、承久の乱のように鎮圧されていた可能性すらある >>482
宇都宮は許されてるな
宇都宮泰綱の娘が泰時の孫の4代執権経時の正室に7なってるし 時輔妻がともさかりえの小山氏だったけど
草燃えるでは義時が小山のことをこやまと読んでると話題になった 足利高義の系図は上杉氏の娘を母とするものと金沢貞顕の妹の釈迦堂殿を母とするものの二種類ある
このうち上杉氏の娘を母とするものは南北朝〜室町時代に成立したもの
一方、釈迦堂殿を母とするものは江戸時代に成立したもので、それにしても断定している訳ではない しかし釈迦堂殿が定説で、争いも少ない
上杉経高ってそもそも誰やねんというのもある
続群書類従は喜連川氏に確認することもできただろう
南北朝〜室町期だと足利将軍家(、上杉氏)に対して忖度も働く 泰時が宇都宮と仲良しだから嫡孫の嫁にもってきたんだろう
パパ義時が死んで寂しいよぉて歌を送った相手も宇都宮頼綱だった気が 武田信光とか島津忠久みたいな後の戦国武将や大名家の祖先たちはチョイ役で出てきそう 直のご先祖のことなのかとってもファンキーな政所別当殿のことなのか 毛利って織田家中にもいるし結構多い名字。毛利元就とちゃんといわないと >>520
武田信光って頼朝の武田つぶしのときの懐柔&弾圧作戦のときの懐柔されの筆頭男だよね。梶原失脚のときも状況を利用して兄の有義を追い出すし。
三谷がどこまでふれるか判らんが、素材としては魅力的な気がする。
島津忠久も北条ベったり安達寄りであってもおかしくないはずなのに、比企の乱では比企縁者としてなぜかとばっちり受けてるし。 武田は北条父子が交渉に行ってるしでる可能性あるが
島津は北条と接点ないから出番ないと思う
時宗の時はちらっと出たね そういえば、武田信義が頼朝にかなり抑え込まれた後に時政が駿河守護になったとも言われてるし、
実朝期に遠江守になれたのも、遠江に進出してた安田義定が失脚した空白期に遠江を実質的に押さえこんでいたから
なんて話も聞いたことがある。
結構北条と武田の間に色々あるかも。 そういえば、武田信義が頼朝にかなり抑え込まれた後に時政が駿河守護になったとも言われてるし、
実朝期に遠江守になれたのも、遠江に進出してた安田義定が失脚した空白期に遠江を実質的に押さえこんでいたから 頼朝と独立して挙兵して木曾義仲、武田、頼朝の3つの勢力が
並びたってたとも言われてるね
富士川の合戦も武田がメイン
でも武田が頼朝と敵対せずにその軍門に下る形になるんで
時政は一体どんな交渉したのか興味深い
三谷が描いてくれるんじゃないかと期待 >>528
武田が最終的に頼朝に下ったのは
一族が一枚岩じやないのにつけ込んで頼朝が分断したのも大きい。
実際にはーノ谷の戦いのあと一条忠頼を暗殺したり、甲斐信濃に攻めこんだりと結構エグイことしてる。
富士川の頃は平氏という共通の敵がいたから、同盟しただけだろう。 それと石橋山のあと時政が武田に交渉しに行ったかどうかも疑問視する説もある。
延慶本「平家物語」によると
時政は箱根に逃げ込んだ後、頼朝に一度も会わず
安房にも向かわず、甲斐に亡命したとなっている。
「吾妻鏡」は北条氏が力を持った後に編纂したものだから時政使者は、後世の改竄じやないかとの説あり。
石橋山のあと加藤兄弟など甲斐に亡命した連中もけっこういる。 平家物語w
どっちにしろ甲斐に行ったことは共通してる
そんで頼朝に味方するよう説得したなら同じこと
亡命するほどのつながりあったんかな >>531
石橋山の直後、大庭軍の俣野景久らが甲斐に攻め込もうとして安田義久らに撃退されている。
あと石橋山の頃新田義重が平氏に送った文書に
ョ朝の決起こ共に甲斐国は甲斐源氏の支配下にあるって記されてるから
石橋山のころには反平氏として頼朝と武田安田と一種のネツトワークができていたんじやないかと思われる。
そのネツトワーク作成(山木襲撃前かも)の際のキーマンとしてもしかしたら時政いたかもしれないとも想像できる。 時政って頼朝の頃の立ち位置が今イチ判らん。
亀の前事件のあと吾妻鏡には全然出て来ないし(本格復帰は平氏滅亡後)
勝長寿院供養には不参加
だけど義経都落ちの後、都に交渉に行ったり(北条丸w)
義経の鎌倉入り阻んだりしてて
重要人物なのか軽くみられてたのかよくわからない。 んでもって
義時は、亀の前事件の時は親父と別行動
父親空白期には範頼に従って西国に行ったりしてる。 さすがに頼朝の舅だから他の御家人からは重く見られてたんじゃないの? 時政は縁戚がすごいもん
足利畠山稲毛全成平賀坊門が婿
三浦は泰時の許嫁だし
軽くみたりしないだろ >>537
確かに北条の縁戚すごいんだけど
比企尼ファミリーに比べると2番手ぽいとこありそうな。
長女の娘の夫 範頼
次女の娘の夫 義経
三女の夫 平賀義信(頼朝期門葉筆頭)
平賀以外は近すぎる血筋ゆえに貧乏くじ引いた感あるけど。 北条は公家との縁戚も多いね
義時もそうだし
やっぱもともと京ち関係深いんだろう >>539
となるとやっぱり政の方の出血が気になるな。
池禅尼の姪説はアヤシイとしても
やっぱり都系の人なのかな?
晩年は都で過ごしたみたいだし。 北条はこうだね、というと必死にいやこっちが!
と張り合ってくる他氏ワロスw
意地の張り合いて当時もありそうだなw 麒麟見てたらあの時代も烏帽子直垂なんだな
なんかもえる >>545
信長より年長の戦国大名の肖像画見たらわかるやん >>548
それを言うなら平賀以外は全員貧乏くじでは(平賀もけっこう……) 平安末から鎌倉前期を舞台ってことは元寇の北条時宗はなし? >>549
頼朝は時政の婿には手出ししないんだよね
やっぱ舅殿には遠慮してたのかな
畠山重忠は何度か疑われたけど 元寇は今は昔の常識が結構覆されてるみたいだし、
今の見方でもう一度時宗描いて欲しいんだけどなあ
前のでも結構当時そんなことするか?って疑問な所あったしな >>302
リベラル史観に反するから難しいんじゃね >>302
真っ白白なのに権力者になって
過酷な現実に苦しむってのも見てみたいな
泰時まではやるのかな? >>537
やっぱり当時は娘の多さは政略結婚で縁戚増やせるという武器になるんだなあ
頼朝は娘が政子との間の子しかいない上に嫁ぐ前に早世、
結婚した子孫の娘は竹御所だけだっけ?
そのあたりも弱いね 三谷脚本だから、最低限、面白さは保障付きだろう
後は地元のプッシュ必要 >>555
だから娘を武家に嫁がせない義時が異色に見える
普通に娘婿がいれば武力として頼りになると思うんだが >>555
竹御所鞠子は頼家の娘で29才で将軍頼経と結婚し、仲良かったらしいが、産後の肥立ちが悪くて33才で亡くなってるね
この事により頼朝と政子の子孫は絶えた >>555
頼朝は平治の乱で一族郎党を失ったから
門葉(頼朝が特に認めた源氏一門)
家子(頼朝が選抜した側近)
で補充したとも言われてるね。
娘が少ないだけでなく信用できる男の身内がいないのも困ってたかも。
結局この試みはうまくいかなかったしね。
女の親族の少なさは
同母の坊門姫の娘たちや全成の娘の活用で多少は活かせたかも。 坊門姫の娘
九条良経室
西園寺公経室
後鳥羽天皇乳母保子
他
全成の娘
阿野公佐室 >>559
義時の娘の嫁ぎ先って四代将軍藤原頼経の外祖父西園寺公経に近い人が多いんだよね。
何か政略的意図があったのかも。
それにしても無位無官北条丸が娘や孫を公家と縁組みできるようになるとは
感慨深い。 そもそも粛清が本当に頼朝自身の意思だったのかどうか >>554
泰時の苦悩てあんま権力者ゆえのというより
人の業や欲のぶつかり合いをどう処理するかってとこにある印象
面白い人物だよね
真っ白しろでももし義時ポジに置かれたら義時並みに
謀略駆使するのも厭わない感じがする
義時に似てるよやっぱり
義時も優しい男だし 泰時は先妻離縁したりほとんどの息子娘に先立たれる家庭的にはめっちゃ不幸な人物だからな
それでも今回は草燃えるよりは出番あるだろうけど >>550
義時主役だからやっても御成敗式目あたりまで。ぎり時頼が生まれる頃までじゃね? 比企合戦からずっと父親の側で支えてる感じだな泰時
承久の乱で出陣する時があの父子の永遠の別れだね 重盛に先立たれた清盛はかわいそうだった
息子がずっと側にいた義時はやっぱ幸運 >>560
年の差晩婚だったからなあ
無理して年下の将軍が成人するまで待たずに
若いうちに適当に相手と結婚させておけば助かったかもね
けど頼朝血筋の最後のひとりと結婚できる相手が他にいたかな >>571
元々頼経ありきで新将軍に来てもらう予定じゃなかったからね。 >>563
そこも政子との大きな対立点で、
政子(と泰時)が実朝の皇族将軍案に大賛成だったのに対して、
義時は反対していたとみられるわけよ そして九条と三浦は水面下でガッチリつながってたからね この3人の信仰についても描写してほしいね、特に泰時
結城朝光 → 念仏
北条泰時 → 明恵
北条重時 → 念仏 >>574
公暁唆しての実朝暗殺の黒幕説に三浦あった気がするけど、
その後の九条将軍擁立にそのあたりは関係あるんだろうか >>576
もちろん大アリですよ
『三浦氏は鎌倉殿として迎えられた九条家出身の三寅(頼経)の親衛軍のごとき様相を呈した』
明月記研究 10: 記録と文学 P.124
野口実「承久の乱における三浦義村」(プレビューあり)
https://books.google.co.jp/books?id=zmYGz0Q2j0IC
三浦氏や三浦義村だけでなく、
このスレで話題になっている他の論点も触れられてますしね
今日はちょうど祝日だから、時間があるなら読むといいですよ
・北条氏の嫡流は時定(佐兵衛尉→左衛門尉)、時政は頼朝生前は無官
・泰時を後継者指名したのは政子(義時の意思とは言えない)
など
やはり記者会見の義時ダークヒーローは無理だと思うね
義時の実像は三浦義村と連立して、
侍所にしがみついて、必死に主流派に留まろうとしている「残念な執権殿」だから
三谷の人間を矮小化する描写からすれば、むしろそっちの方が得意だろうし
そもそも義時を主人公にするのに無理がある、北条氏の後の世代との断絶があるから
(※義時は死ぬまで三浦と一蓮托生、親三浦)
主人公は泰時にすべきだった(別の理由で描きづらい)
もっとも野口氏は、政子・義時を一体のものとして考えて、
三浦と協調関係にあったとか、書いちゃったりしてるけどね(;・∀・)
(「政子の後継者」泰時の縁戚関係を見ると、そうとは言えない)
少なくとも、やはり平家物語や吾妻鏡だけでは鎌倉時代を語るのは無理だってことだね
公家系の日記・書物との付き合わせが不可欠 >>563
もともとそういう家だったんでしょう
館の発掘跡も京との交流が多い家だったということだし 吾妻鏡が持ち上げてるのは政子の方だよ
だからまるで尼将軍みたいに幕府を動かしてたて錯覚する人が出てくる
もしそうだったら頼家や実朝があんな末路を辿らないw 尼将軍は事実だろ。幼少三寅が公卿じゃないから政所を開けず、代わりに従二位の政子が政所を開いたんだから それはあんま関係ないんじゃ
頼家や実朝が公卿じゃない時期も政所もどきがあったんなら
三寅時に政所もどきがあっても別に良いというか 関係ないも何も尼将軍の由来がこれだろ公的にも。演説はフィクションだし 自分の思い込みをそのまま史実と誤認してるのが居るな お前の思い込みを述べてみろよ。
批判してマウントとった気分で気持ちよくなってんのか卑怯者。 吾妻鏡の編纂の仕方みても政子を尼将軍扱いするのはわかるよ
でもだからって源氏三代の将軍みたいに御家人動かしてたて連想は違うてこと
政子は実朝や義時通じてじゃないと御家人動かせない
まあドラマにした方がそれは見えやすいかも
草燃えるもそんな感じになったし
女だてらが政治に口挟むもんじゃないって空気があったんかもね 母親の出自がはっきりしてない泰時の後ろ盾としての意味でも政子ageだったのかな 泰時は別にageなくてもいいけど頼家排除の件に政子の正当化がいる
そんで政子を持ち上げてもおかしくない
実際は頼朝嫡男の頼家をポイした御家人が頼朝後家の政子にひれ伏す理由はない >>589
ただね。
頼家追い出すときに
頼朝の「後家」であり
頼家の「親」である政子を担ぎ出す必要はあったでしょ政子を担ぎ出す必要はあったでしょ。
後家や親の権威がまだ高かった時期だからね。
普段は何もしなくてもいざというときの正統性の拠り所としての政子は無視できない。
ただ主体性が政子にあったか他にあったかは議論の余地ありそうだけど。 ちなみに当時の後家は
夫の所領にかなり権限もってたり
遺領の再配分権もってたみたいだから。
権威的には場合によって
政子ゝ頼家
になる。 >>586
平清盛死後の平家政権の拠り所は後家の平時子だったし
安徳天皇の生死与奪権すらこの二位尼が握っていた
政子は戦地を駆け回る軍事的な総大将にならなかったというだけで
御家人たちも政子の意向で動いていたと思うぞ >>586
動いてないと思う
御家人てそんな簡単な連中じゃない
頼朝だって言うこと聞かないからあれこれ気配りして暗殺もして苦労してた
頼家はそれがわからず鎌倉殿だぞーてやって失敗
政子は賢いから頼朝の後家だぞーてやらなかった 梶原景時も頼家の乳人で侍所別当で
でも御家人が総出であいつ気に入らねーとやったら頼家もどうしようもなかった
実朝が合戦抑えようとしても和田合戦は止められなかった
この時代の御家人はかなり我が強くて上の言うこと聞かない
だから三谷が13人に焦点当てて描くのいいと思うし楽しみ 大河版オリエント急行なキャストになるのかな
義時がポワロ >>533
武田(というより安田、一条)が蜂起したのは石橋山開戦とそんなに時期は変わらない。
8/23 石橋山
8/25 波志田山(俣野景久vs安田義定)
ョ朝が箱根山中を逃げまくってる頃、甲斐源氏の面々は大庭軍と戦っている。
しかも8/25の前日(8/24)までに敵陣の弓の弦を切るという用意周到さでね。 >>598
それ言ったら頼朝の蜂起も以仁王残党狩りのとばっちりを怖れてって面もあったわけだが。 以仁王残党狩りっていえば
このスレで時々出てくる足利だけど
頼朝に従った当時は
一族そろって頼政の戦いに加わって、
かなりのダメージを受けていたって話もある。
北条と組んで強大化した後のイメージでは見てはいけないかも。 >>600
それは事実だけど、義兼は(平家寄りの)新田義重の庇護下にあったからな 頼朝の同母弟希義は蜂起したと言うよりまさに以仁王の令旨を受けたとされて討たれている >>567
家庭的に不幸すぎるが政治的にも大飢饉あったり苦労してる感じ >>609
北条一門は義時以外もいるから
頼朝より先に政子が死んでいたら北条が執権になることはなかった >>606
牧の方の肝煎りで輿入れしてきたからね。
後ろ楯の牧の方が失脚すれば、鎌倉では宙ぶらりんな存在になるさ。
子供でもいれば別だったかもしれないけど。 たらればを言ってたら
頼朝があと10年長生きしたら北條が執権になることなかった
義時が20年早く死んでたら北条執権政治はなかった それでも北条が生き残ると思うなあ
。他の御家人しょぼいもん。他の奴らに御成敗式目が制定できる? 御成敗式目自体は合議制の行き着いた先だからそんなに……というか漏れがありすぎて追加条項作りまくりだし まあねえ
他に政治できる御家人いないというのはあるな
和田が執権なんてまっぴらそれなら義時でいい
と草燃えるで三浦義村が言ってたがあるある >>613
義時と政子のパワーバランスの話ね
義時一人だけが鎌倉幕府の要であり義時がいなければ政子は無力だというから
政子が居なければ義時は無力だが
義時いなくても政子は尼将軍になってたでしょって話 後鳥羽時の話だよ
義時いなきゃ政子は無力化だろという
承久記でも義時討たれたら私は山奥に隠居するしかない
て政子言ってたという話が作られてたしそういう世間の認識だろ
政子いなかったらミトラ御簾に座らせて安達が代読したと思うw >>619
承久記の政子大演説の創作では
夫にも息子にも娘にも先立たれた私は弟の義時にまで死なれたら
身内を全員失い一人ぼっちになってしまう
どうかこの可哀相な尼を見捨てないでほしいと
御家人たちに同乗させて振るい立たせる内容で
義時以外の政子の弟妹たち全員いなかったことになってるからw
実際の政子は権力者だから 義時さえいなければ幕府は思い通りになる
それが後鳥羽や三浦胤義の認識だよw
承久記でも同じ論理
政子は北条がいたから力発揮できるだけで北条なかったら
御家人はふーんはいはいて扱いだよ >>621
それは後から振り返ってみれば
義時の子孫が執権として鎌倉幕府を好き勝手した後付けだろ
御家人たちは頼朝の御恩と自分の所領を守るために戦ったのであって
北条義時の命を守るために戦ったのではない 胤義が調子いいこと言ってたら義時の恩を受けたものは万をくだらない
といった御家人が後鳥羽の不興を蒙って退けられたって逸話もあるけどね
義時は頼朝以来の幕府の政治を守ってたから御家人が義時を守ったんだよ
諸国に義時の名で軍勢催促の文を下してみんな動員令に従ってたろ
政子がいなくても論理は同じだよ 武田信光はいつもそういう役回り
後で泰時の沙汰が気に入らなくて反乱起こすという噂も流されて
すいませんでしたって大人しく従ってた
頼朝の粛清に乗じて武田のっとった人物だからそれぐらいしたたかじゃないとw 政子と義時は一体ではない(宮将軍vs摂家将軍、反三浦vs親三浦という根本的な対立がある)
だいたい義時は承久の乱後、3年で急死してしまうのだ(当時から暗殺説があった)
政子と義時の齟齬が表面化する前に義時が死んだといえる
義時ガ昔報行、今一足ラズシテ、下臈ノ報ト生レタリケル
この世に報われる善行が一つ足りなかったために、卑しい身分に生まれたに違いない
承久記では北条は下賎の生まれという自覚があったようだ、
仮に創作だとしても(ないとはおもうが)、作者はそう思っていた、
読者にも自然に読まれると考えていたようである 日本人は漢籍は呆れるくらいよく保存したが、
国史・国書はおせじにも保存したとは言えない
物語や軍記物は残ったがな
わからないことだらけだ
鎌倉時代のことにしても、足利氏が北条氏と親しかった過去を
黒歴史にしなければ、もう少し事情がわかったはずだ
応仁の乱で消えた書物も多かっただろうけど 義時さえ殺せば後は好きにできるってのは永井路子の解釈で
草燃えるもそれでドラマ化されてたが、いや義時撃ち漏らしたからって
掌クルーてのは無理あるだろってのは当時も言われてた気がする
時房も泰時も他の北条氏がいるのに三浦どうすんだって
だから自分は実朝義時の暗殺企んだのは京の人間だと思ったり 実朝暗殺は義時と間違えて貴族殺したとかわけわからんところあるなあ
いくら暗くても火は炊いてただろうし面識あるだろうしそんな間違えるかな 実朝渡宋計画もなんかあやしいよね
実朝を鎌倉から排除しようという動きがあったんじゃ >>631
義時と貴族を間違えたなんてなんでわかるの?
言ってるの慈円だけかな
というので慈円黒幕説も見たよ
武力衝突を回避したくて暗殺計画 >>633
まあ公暁すぐ殺されて詳しい尋問もされてないし
その当たりも殺した動機なんでわかるんだ?ってなるしな 良く知らんけど公暁になんか恨み買ってたの?
長く都にいたんだっけ公暁 本郷氏って鎌倉時代についても結構書いてるけど細微両論あるなあ
どうなんだろ 細微→賛美
>>629
北条氏全部ならともかく義時一人殺してもなあ
後継ぎになる成人男子だって既にいるのに 鎌倉幕府って東西で真逆の評価する感じ
東の学者は幕府賛美するし
西の学者は幕府低評価で京賛美 >>634
公暁は親の仇!つったのを聞いた人が何人もいたって
義時このクソ野郎!とでもわめいた人がいるんかな >>643
九条兼実は源頼朝のお陰で摂関になれたから共闘体制
平家と婚姻関係を結んだ藤原摂関家嫡流の近衛家
木曽義仲と婚姻関係を結んだ松殿家
といった兄たちを頼朝が追っ払ってくれ
弟筋だった九条兼実を摂関の座に付けてくれた恩人
北畠親房は鎌倉幕府を否定はしていないものの
天皇の下に仕える忠臣であるべきであるという主張 否定してないどころか鎌倉幕府がなかったら日本はどうなってたか
て言ってたよ北畠のおっちゃん
戦国時代が早く来たって感じ? >>645
保元・平治の乱を鎮めた頼朝の武力については褒めているが
鎌倉幕府を褒めてはいない
北条義時、泰時については頼朝と違って朝廷に高官を要求してこなかった
ことについて褒めている >>647
ほめてるよ
頼朝や泰時がいなかったら日本はどうなってたか言ってる
つまり鎌倉幕府ってこと 兼実弟の慈円も鎌倉を褒めてるな。鎌倉幕府を認めてないのは後鳥羽と後醍醐のみ。室町幕府の建武式目の最初にも北条義時、泰時親子の施政を手本とする、とある 多分北条の娘を入内させて皇室と姻戚関係になろうともしてないよな
清盛はやったし頼朝もやろうとした 家格的に無理
いや泰時の代でしゃにむに官位求めてたらわからんかったけど 太平記再放送やったー
草燃えるもお願い
以前した録画が不安定で見れないとこも多くなってたんで 平氏てある時期からいなくなったんだよな。臣籍降下は全て源氏になった 北条氏の家格上昇、公卿になるチャンスは3回あった
・北条義時:承久の乱で勝利、乱後、3年で急死しているので長生きしていれば可能性はあった
・北条泰時:承久の乱で勝利、聖人、一番のチャンスだったが肝心の本人にその気が無かった
・北条時宗:元寇撃退の功績、元寇後、3年で急死 位4位にとどまるってのは褒め言葉なんだよ
つまりいくらでも上に行けたけど行かないとこが素晴らしい
なのになんで官位気にするの?
やっぱ関西の人?w 北条氏の官位の低さは滅亡の原因の一つだから、気にするのは当たり前だよ 道理を弁えてのが北條の強さ。関西人には永遠に理解できないところ。 上の流れ見たらわかるけどなんで皇室に血を入れてないか→家格が低いからって流れで、家格が低いことを貶してるわけじゃない ならいいけど
どーも関西人わかってないんじゃないかなーって心配になるわ
そら承久の乱で負けちゃうよね この時代よく分からんので丁寧なアバンで説明が欲しい
昔みたいに視聴意欲そそるやつ入れてくれるかな?
>>664
昔は西が一方的だったが東もやり返してる印象かね
西の人間が東に天皇持ってきたのはデカイよね将門様も成仏されたのでは >>657
やっぱり泰時は抜けてるな
時宗なら確実に狙ったな
もっともあれだけストレスが多かったら絶対長生きできそうもないが 義時は承久に天下を併呑すでいくらでも高位のぞめたけど
そこで官職辞してしまうんだよね
このあたり三谷はどう描いていくか楽しみ
自分はやーっと仕事終わったー遊ぼてノリだと思うw 権力だけでなく権威まで併せ持つと他の御家人の反発は必至だからな そんなもんどうでもいい話だわw > 御家人の反発
鎌倉幕府の滅亡という結果がもう出ている話なので、
基本的には間違いだった、誤りだったというのはもう決まってるわけ むしろ最重要事項だろ。軍事的勝利を重ねつつ政治的なバランス感覚が鋭敏だったから結果はどうあれ天下を掌握し帝まで替えた。 細川重男は北条氏は副将軍として認知されていたので
家格上昇の必要性を感じなかったみたいなこと言ってるが
それにしても上げておいた方がいいよね その後が失敗だったという話なんだが?
お前みたいなことをウジウジ考えているから、公卿にならなかったんだろ?
なれるときになっておかないから滅亡の原因の一つになったんだよ >>674
そう、北条氏は失敗だったという認識はその後の武家政権に共通しており、
足利、織田、豊臣、徳川、長州閥までずっと共通している
例外は三好政権くらいか
ただし長州閥は、皇室との縁組は拒否?されており、
それが傷になっている、家格の低さを世間に晒している
もっといえば、長州閥と毛利公爵家はそもそも良好な関係とは言いがたいのだ
(暗愚な毛利輝元が関が原でやらかして以来、藩士は基本的に藩主を信用していない)
山県有朋も宮中某重大事件で(薩摩その他に)完敗して
失意にうちに死んでいる 家格を上げることが最終的には良かったとしても、短期的に良い結果になるかというと……頼朝や実朝見てると必ずしもそうとは思えないしね
得宗家はその辺のバランス感覚相当優れてると思うよ 頼朝は官位を上げて不都合は何も無かった
実朝は子供がなく、生前から皇族将軍を貰い受ける構想だったので、
(政子がわざわざ上京して、後鳥羽上皇の乳母、藤原兼子と会談を重ねている)
朝廷から見ても官位を上げる必要があったし、
実朝もバーターで官位をおねだりすることができた 公卿になりたーいて最初ミーハーに言ってた時房も
もう言わなくなったから家格とか基本的にどうでもいいのよw
平家見てりゃ関係ないの丸わかり 少弐氏が大内氏にやられたのも、官位の低さがダメ押しになったからね
(大内氏が太宰大弐に任官し、少弐氏を超越した、筑前支配の正統性を崩した) その結果大内は京ばかり見るようになり守護代の離反を招く 大内氏の滅亡の直接のきっかけは、天文11年(1542年)尼子遠征の失敗ですよ
ここから大内義隆が無気力、怠惰になりますからね 義時は承久の乱で没収した3000余箇所の土地も
針が立つほどの土地も取らなかったて言われてて
ぜーんぶ御家人に分配してたしまあそういう人だよ >>674
頭のいい一族だよ
あげない方がいいって考えてたの
下手に官位もらうとその秩序に従わなきゃならない
3位だったら2位に頭下げにゃならんみたいなさ
それで結局清盛みたいに太政大臣になるしかなくなるってわけ
征夷大将軍が都合良いのは令外の官だからって説もあるよね
北条が強いのは京の秩序に従わなくて良かったから
後鳥羽みたいに将軍宣下拒否されて将軍不在にはできても執権には手出しできない
北条が勝手に決めてるからw
執権がいれば武力で上皇の御所を取り囲んで将軍宣下しろーてやらなくてもいい >>685
> 下手に官位もらうとその秩序に従わなきゃならない
> 3位だったら2位に頭下げにゃならんみたいなさ
お前は何を言ってるんだ?w だったら無官でええやんw
> 征夷大将軍が都合良いのは令外の官だからって説もあるよね
お前は何を言っているんだ?w その2
摂政・関白・内覧・内大臣・中納言・参議・蔵人・検非違使・押領使・追捕使
みな令外官やんけwwwwww
頭の悪い一族だよ
あれだけ御家人を粛清しておきながら間の抜けた一族とも言えるし
徳政一本やりのピュア(笑)な一族とも言えるが
・官位を上げられるときに上げておかない
・同族や「似た者同士」の安達と近親婚を繰り返す
・末期は御内人の傀儡に成り下がる つまり家格ガーてのは武家政権が確立した後のマウントとり道具に過ぎず
京都の朝廷とバトってたこの時代にはむしろ意味を持たせない方が良かった
結局北条が築いた朝廷と武家政権の二重構造の枠組みの中に
その後の武士はおさまることに
承久の乱が明治維新と並んで重視される所以 北条氏、鎌倉幕府が滅びた結果が出ている以上、
意味がない、説得力ゼロなんだよなぁ それすら理解できないようだが
ちなみに御内人がまさに無官に限りなく近い存在だからな
(実際は六位の尉には任官しているようだが)
おまけに御家人身分を持つ御内人は、京都大番役も免除されていて、
まさにお前らの言っているような既存秩序から超越した存在だったんだよ
その御内人が専横を振るい出した途端に滅亡しているのだから、
何をか言わんや、お話にもならないんだよwwww 清盛は朝廷の枠の中で政治しようとしたから官位求めたし
天皇の外戚になろうとした
でも新しい枠組みをつくれず時代にそぐわなくて滅亡
頼朝も最初はその気もちょっとあったようだが長い伊豆暮らしで
結局東国政権樹立にいった
義時はその路線だから朝廷の枠組みに乗らず以降も4位止まりにした
それがフィットして国家百年の計ならず650年の計に
ただこの武家政権は実力がないとつとまらないという問題が
得宗の早世が続き御内人の専制が続きその後足利で一時持ち直すが
やがてgdgd戦国時代に >>696
何の反論にもなってないよ
北条氏を無理やりageようとするからそうなる >>678
所謂「位撃ち」を警戒してたのかね。
義経なんかは見事に引っ掛かってしまったが…。 時政=一番ばくち打ち
義時=一番強運 大河主人公
泰時=一番聖人君子
経時=一番影が薄い
時頼=一番頭がいい 大河準主人公
時宗=一番英雄 大河主人公
貞時=一番王様 長生きして後醍醐とのバトルが見たかった
高時=一番バカ扱い転じて今では鶴ちゃん 京官は在京が前提だし朝廷の意向も最大限くむ必要性ができてくるからな。武家間の問題解決を優先できなくなる。 謎はなんで実朝が上洛しなかったか
頼朝は派手派手しく右大将拝賀してたのに
鎌倉みたいな僻地で右大臣とかなんか笑えるというか
実朝と後鳥羽の仲はやはりあまり良くなかった? >>656
と言うか坊主の道を選ぶ奴が増えたのでは? >>703
子のない実朝は後鳥羽上皇の皇子を次期将軍として養子に貰おうとしていたため
実朝の右大臣就任は親王の養父としてふさわしい待遇を得るためという説がある 鎌倉殿の地位を皇族が継ぐにふさわしいものにしたかったから、と言われれば右大臣てのも納得はいく 大陸には行こうとしてたから遠出ができない体質ではないよな 義時は頼朝の事例持ち出したりして急激な昇任に反対してた 頼朝も右兵衛佐から権大納言右大将て急激な上昇じゃないの? 竹御所てほんとに比企の若狭局の娘なん?
でも北条家がバックアップして仲良くしてるよね 義時が執権してる間は無理
父親の頼家を殺したのが北条だから >>704
なんで身体的欠陥がないのであれば実朝の心理に原因がある
一つは兄を押し除けて非業の最後を遂げさせておいて
自分の系統が将軍になるのに罪悪感があった
でも義時は頼家の系統に戻すには断固反対 >>717
木曾義仲の娘が竹御所を産んだとか色々な説があるね 三種の神器なしに即位した天皇の血統を認めるべきかどうか
既に天皇でなくなった治天が産ませた子をどう扱うべきか
難しい問題やね 頼家の息子は皆殺しにするが娘の竹御所は実朝猶子にして
多分鎌倉殿の嫁にする計画
でも自分を親の仇とする娘を立てるって大胆だよね
で竹御所は実際北条家と仲良くしてる
なので竹御所はもしかしたら北条家が預かって養育したのかもと思うことも >>725
頼朝自身も静が産んだ義経の子供が
「女だったら助けるが、男だったら助命しない」
と明言して、その通りにしたからね。
竹御所も女性で敵討ちの可能性はないし、なんとか頼朝の血筋を将軍家に遺したい北条氏の思惑も満たしてくれそうだから手駒として大事に取って置いたかな? 最初は女だから助命して
でも頼朝の直系だから勝手に放置するわけにいかず手許においといたが
実朝に子供ができずそれで竹御所を御台所にすることを思いついた…とか?
公暁に比べて鞠子が実朝猶子になる時期が遅いし
政子も実朝も鞠子が妻になるなら外部から鎌倉殿もってきても納得 いや女だから助命ではないか
息子もみんな助命はしてた比企合戦当時は
一幡だけ殺した >>728
「草燃える」のときの、義時が
「一幡の君をこれへ。そなたたち女どもの命は取らん。さあ、一幡の君をこれへ!」
ってセリフを思い出すな。 >>725
そういえば泰時と時房育てたのは政子って話もどっかで見たような…
そういう説あるのかな
年の離れた弟はともかく、なんで甥まで育てたんだろう
庶子だから父親が結婚すると立場が微妙になったとか? >>728
なんで一幡は殺されてるのに公暁は生かされてんだろう
同じ男子なのに
母親が比企なのが不味かったのかな >>732
公暁も千寿も禅暁も生かされてるよ
一幡だけ殺された
比企との合戦であって別に頼家と合戦したわけじゃないから >>731
その二人の母は政子か政子の母の派閥だったのでは 牧氏を政子の母と呼ぶのは系図上合ってても何か違和感ある >>731
そりゃあ時房が頼家付きだったからでしょう
江戸時代で言えば、ご学友兼小姓、
成人後は将軍側近、重臣としての出世も約束されている立場 頼時→泰時(頼朝の偏諱を捨てるとか歴史の闇もいいとこ)、三浦義村の娘と離縁
時連→時房(三浦義連の偏諱を捨てる、頼家の意向)
やはりこの2人は政子派、反三浦だね この2人が京都に飛ばされた、ただキャリアを積むという意味ではなく、
承久の乱後ずっと、義時急死時にも京都に居たのは、偶然ではない
時房はともかく、次期執権が、就任直前に京都に居たのは、泰時のケースのみ 山本七平が六波羅と鎌倉の間に齟齬がうまれない体制を築いたのは
承久の乱後に義時が西国の意思決定を六波羅経由にしたからだと言ってたな
泰時への義時の並々ならぬ信頼があったのだろうとか (ヾノ・∀・`)ナイナイ
室町幕府も鎌倉府や九州探題、
江戸幕府も京都所司代・西国郡代を置いたからな 鎌倉府が京と揉めたことをみると六波羅が京にいながら
鎌倉と揉めなかったことを重視してた それだと「六波羅と鎌倉の間に齟齬がうまれない体制を築いた」のは、
「義時が西国の意思決定を六波羅経由にしたから」というのは直接関係ないって話じゃん
山本七平がただ泰時をageたいだけだろっていう┐(゚〜゚)┌ 時輔は見事に謀反をして、名越流は最初から危ないと見て
六波羅のポストには付けなかったわけだから、
格下かつ安パイの身内、北条氏庶流に部分委任したってことでしょ >>750
南から北への昇格、連署、執権への就任例もある
大仏宗宣、金沢貞顕は南方経験者 >>748
まあ読めばわかるよ
義時の戦後処理の辣腕ぶりを描いてる中にあったような 名越は鎌倉にいても齟齬きたしてたろw
そうじゃなくて京と鎌倉とそれぞれ離れて治めてたら亀裂が生じることもある
がそーならなかったのは義時が六波羅経由で意思決定を行う体制にしたから
ていうニュアンスだよ いやいやいやw だから何の説明にもなってないよってこと
義時と泰時をageたいのだけはヒシヒシと伝わってくるけどな 父親との政争を経験した義時がそういう体制にしたのは
泰時への信頼があったからってこと
ちなみに山本七平だけでなく泰時上げはほとんどの古今東西日本人がやってるから
気にしなくていいよ 建武式目も義時泰時の代に立ち返るのを理想としてたな >>783
時房についてはスパイ的な役割だったって説なかったっけ 公家政治の理想は延喜天暦
武家政治の理想は貞永貞応
なんで貞永が前に来るのかって以前どっかで話題になってたな >>738
承久の乱のとき三浦義村は後鳥羽上皇方から誘われたが従わず
真っ先に北条義時に知らせて北条に忠義を尽くしている
承久の乱の前に泰時が義村の娘と離縁したのは別の理由だろう
三浦と北条が仲悪かったからなら義村は北条に義を尽くしてる意味がない
義村は承久の乱後の執権北条泰時配下での合議制にも構成員として参加
息子の三浦泰村は北条泰時の娘を娶って幕府内で北条に次ぐ地位となった
三浦が失脚するのは宝治合戦で泰村が討たれた北条時頼のとき >>747
北条時宗は北方のせいでDVD化されないな >>758
スパイというか頼家のそばに保険でいたみたいな
時政と阿波局が実朝側
本来義時も頼家側だよね妻がいるから
時政と義時時房が必ずしも同じでないのは次の畠山合戦で露呈する
Pが決断がテーマで義時がいくつか決断してくと言ってたけど
この時の比企合戦は大きな決断になりそうな >>760
矢部禅尼と泰時は離婚後もうまく行ってた説あるね
経時と時頼が三浦の婆さま大事にしてて経時ははっきり三浦びいき
時頼も矢部禅尼の息子たちと仲良くしててその人らは
宝治合戦で時頼側についた >>760
北条に忠義を尽くすではなく、当時の三浦は北条の同盟者
それに摂家将軍に一番近い立場なので、最初から後鳥羽に付く可能性は低かった
> 三浦と北条が仲悪かったからなら義村は北条に義を尽くしてる意味がない
「北条」で一くくりにするからわからなくなるのであって、
政子と義時では立場が違う、考えが違う、というだけの話なんだよ 泰時は(三浦の本拠地の)相模守を一度もやったことないからね 三浦義村て永井路子のせいで義時のライバル扱いされるけど
ほんと義時に忠義だよね
自分のいとこや弟や養い君は切って捨ててるのに
義時の息子の政村は売らないで守ってる
泰村が時頼との対決を逡巡して意気地なし言われるけど
泰村もずっと北条と仲良くしてたから迷うのなんか分かるな 忠義(笑)ではなく、連立政権、同盟者
子の泰村の代になっても、
時頼が打診した重時の鎌倉帰還を拒否できるほどの発言権 三浦氏のポイント・オブ・ノー・リターンは、宮騒動
あそこで(宝治合戦の安達氏のように)
政村を担いで兵を挙げていたら、成功の可能性は高かった ほんと重時の連署就任認めれば良かったのに
重時がいたら宝治合戦起きなかったかも
泰時死去の時もわざわざ六波羅から帰還して経時の執権就任を
うまくおさめてた
重時は早くから任官して義時から可愛がられてた
政村と違って一門内での重みが違う 宝治合戦で北条と張り合う有力御家人がいなくなった。足利は北条とべったりだし 重時が健在の時は若い時頼も好きな様に得宗専制は行ってないんだよな
舅なのもあるけどやはり一族の重鎮で幕政における実績が非常に大きかったからだろうな 元寇もあるし、すぐに得宗専制になってたんじゃないの >>771
だから分家のうち赤橋家だけは将軍を烏帽子親にして一字もらってた
そういえば貞時と高時の名前ってどっからきたの? ゴミタニのことだから、また糞つまらん滑りコント毎回入れてきて、実在した歴史上の人物コケにして馬鹿にして冒涜するんだろうな、あの不細工ジジイ。 >>777
北条丸の一族は、苗字がなかった安達氏とセットで、コケにして、馬鹿にする、
コンプレックスやルサンチマンを描くには持ってこいの一族なんだけど、
なぜかダークヒーローを描くとかズレたこと言ってるわけよ┐(゚〜゚)┌
たぶん梶原とか和田とかをコケにするんだろうよ 義時は三浦が烏帽子親説が強いね
時房が三浦烏帽子親だから
宗時もそうじゃないかという噂 清盛のおかげで保元平治の乱の違いを学べた俺としては
この大河は楽しみで仕方が無い 清盛はやって欲しい方向性とは違ってたのであんまり楽しめなかった >>764
意味が通じてないな
そもそも政子は三浦を排斥していない
三浦は義時とは同盟者だから三浦は義時には忠義を尽くすが
泰時は政子派だから三浦とは縁を切ったというお前の主張だが
そもそも泰時は三浦に自分の娘を嫁がせ幕府内でも重視している
三浦出身の矢部禅尼を離縁した後も矢部禅尼の子が泰時の嫡男であり廃嫡もしていない
まったく整合性が取れない 清盛はオリジナル部分が微妙だった
清盛が白河法王のご落胤設定になってるのはともかく
それ以外の妊娠中の母親が追われて殺されて、のあたりとか
時宗と言いドラマだしオリジナル部分入れるのは仕方ないがその質はもっと上げてほしい 清盛の創作パートは真田信シエのような創作とは次元が違った
なぜ忠盛が血の繋がらない清盛を引き取って大きく育てたたのか?
初期設定上重要なこの問題に見事な説得力を与えたオリキャラ舞子についても同様
白河のお古を下賜されたではドラマにならない 実在してるがどんな人かわからない泰時母はほぼ創作でやらないといけないからな
政子義時の母についてもどうするんだか まあ白河院ご落胤説あるからそれをドラマが採用してもおかしくないよ
時輔生存説が史料にあるから採用したのも同じ
清盛はあれはあれで作品のトーンができてたからなれると楽しめた
王朝美の世界をうまく描いてたよね
今度は鎌倉武士の若々しいエネルギーを出してくれると良い
謀略で殺し合っても別に悪いことじゃないし楽しく描いてくれw 政子義時の母親出てこないんじゃね
草燃えるもそうだった
政子の結婚あたりから始まるというし ご落胤設定とか生存説とかそれ自体の採用はいいんだけど、
それ以外のそうなった理由付けの所が変だったんだよなあ… 頼朝生存中義時何もしてない言う人いるが行列の位置みても
義時が頼朝の1番の側近で側にいることは間違いない
頼朝が義時を使ってないから何もしてない風に見えるんだと思う
つまりお使いに出したり沙汰させたりさ
でそれは義時が部下というより家族として伊豆で数年暮らしてたから
その名残という気もするんだな
挙兵前に何話使うのか知らんが伊豆の呑気な次男坊時代もちょっと描いてくれ >>793
あの序列ものすごく忖度されてるからあてにならない >>784
同盟者は忠義(笑)を尽くさない、
忠義を尽くすのは主従関係がある場合のみだ
まず日本語から学べ
> そもそも政子は三浦を排斥していない
政子自身の行動や「政子の後継者」泰時の事跡から反三浦だと判断される
・実朝生前から皇族将軍を貰い受けるために老齢なのに、わざわざ上洛している
・一方で、三浦氏は摂家将軍に最も近い御家人である
・政子が泰時を北条氏の後継者指名している(義時の意思とは言えない)
・泰時は三浦義村の娘と離縁している(三浦氏は政村を全面的にバックアップするようになる)
・政子が政村の生母、伊賀の方、伊賀の方の実家の伊賀氏を排斥している
・泰時は生涯一度も(三浦の本拠地の)相模守に任官していない
・次期執権が、就任直前に京都に居たのは、泰時のケースのみ >>793
あれ、後から書き加え説あるんやで?
十三人の合議制含めてな。なぜか義時が入ると奇数になるっていう┐(゚〜゚)┌ >>794
君はマンガ説?
ただの一御家人が何故か頼朝死後メキメキ頭角あらわし
なぜかうるさい御家人連中がそれに大人しく従うとかいう
まあマンガもいいけどねw
現実は甘くない
それまでに築く信用が大事なのさ >>787
見事な説得力…あったかなあ
ドラマとしても無理矢理すぎてそっちの方が気になって全然説得力感じなかったw >>784
そら嫁くらいやるだろ、時政も嫁がせまくったが、娘の嫁ぎ先を容赦なく滅ぼしてきた
(畠山重忠、稲毛重成)
矢部禅尼の子供たちは、時頼が三浦氏の大半を滅ぼし、
矢部禅尼が佐原氏に再嫁した後に生まれた子供たちも
宝治合戦でも北条氏に味方してるわけだから、三浦本家とむしろ敵対してるよね?(笑)
矢部禅尼を大事にする≠三浦氏を大事にする
矢部禅尼を大事にする=三浦氏を滅ぼす
なわけだ >>798
北条全体としては、足利・三浦・安達の三氏を抑えただけだ
この北条合わせた四氏が目ざわりな御家人をあらかた滅ぼし、
宝治合戦で(当初から政子の構想外であった)三浦氏が滅ぼされて
ほぼ幕末まで御家人のメンツは変わらなくなる
霜月騒動でやられた安達氏も、平禅門の乱の後に完全復帰するからな
つまりあれは北条氏から見てもイレギュラーな出来事であったということ
足利・安達が政子に近かった氏族であることは言うまでもない 男社会てのはメンツや序列が大事でさ
若い奴がいきなり飛び越えたりコネで実績ない奴が偉そうにすると
嫉妬して足引っ張ったりする
コイツが上に立つのは仕方ないと思わせるものがないとダメだ
梶原は早速追い出された
義時が上に立って静かになったのは一つは性格が穏やかで敵を作らない
もう一つはそういう実績があった
ということで組織で働くサラリーマンのおっさんたちに楽しんでもらうw
御家人のバトルは白い巨塔みたいだ言ってる人見たな 承久の乱で実質日本の頂点に立った後もさくっと一線引いたからな
泰時を傀儡にしたわけでもない >>787
ま〜た、信者がしゃしゃり出てきたかw
何回巣に帰れと言われれば気がすむんだかw せっかくの鎌倉大河なのに、義時主役だと描く時代は草燃えるとほぼ同じだよね
承久の乱で終わり
それが少し残念
泰時へのリレーとかしないのかな タイトルが鎌倉殿の13人だから、九条頼経か13人全員が死ぬまでやるんじゃないの? 落胤説なんかは全然いいんだけど清盛はどうもパッとしなかったなあ 竹御所が亡くなる所まで描かれるのかな
頼朝の時代から頼朝の血筋が絶える所まで…
頼朝の時代はよく描かれるけどこのあたりってあまり描かれないよね
草燃えるでも承久の乱の後までだったし
そういえば最後で政子が愛する人はみんな死んでしまった…とか泣いてた気がするけど
この時点ではまだ孫が残ってるんだな >>808
まあおたくには真田が向いてるよ↓
・まずもって安徳の障子穴開けは、平氏系新王朝の樹立がなって得意満面の「好々爺」清盛を伝える著名エピに依拠したものだ。
・ところが、清盛のニンマリ面は、乙前が問いかけたラストクエスチョンー「如何でございますか〈そこからの眺め〉は?」
のリフレインによって、物の見事に暗転した〜国の頂点に立ち誰も行く手を遮る者がいなくなった絶景は、漆黒の闇だった・・・
この印象的なシーンは、治承クーデターによって権力奪取したことが、清盛の転落の始まりとなったという、
「喜ばしい」清盛の「悲しい」史実を、暗喩的手法により投影したものである。
しかも、この究極のパラドックスを引き出した乙前の問いは、「白河院の伝言回」で白河が、
「そちはまだ知らぬ、登りきったその果ての景色を」と問いかけた〜挑発しある意味清盛をプッシュした問いを、
乙前が白河に代わって反芻し総括した点で、祇園女御絡みのストーリー展開の終着点でもあった。
この問いを最後に、宿命のライバル清盛vs後白河双方を等しく庇護した祇園女御=乙前はフェードアウトした。
・このように、安徳障子の穴開けエピは、旧体制の矛盾、とりわけ地方(東国)の在地領主層の怨嗟を、
清盛平家が一手に引き受けてしまったことが平家の滅亡を招いたとする歴史解釈を、適当にでっち上げるのではなく、
着実な資料から発想して、奇想天外レベルで応用した天才的な創作であった(彼らの利害を背負ってチャレンジしたのが頼朝)。
これを、「嫉妬指数」を意味したにすぎないミタニンスゲー氏作「嫁の障子の穴開け」と一緒にすることは、頼むから勘弁して欲しい。く 畠山重忠=ミッターマイヤー
梶原景時=ロイエンタール
和田義盛=ビッテンフェルト
大江広元=オーベルシュタイン
北条義時=キルヒアイス
結城朝光=ミュラー
源義経=ヤン・ウェンリー 義経はヤンとブルースアッシュビーとホーランドを足して3で割った感じ >>815
結城朝光は十三人の合議制のメンバーではない >>809
三谷が承久の乱までと言ってるからそこまでだと思う
竹御所が死ぬのは義時が死んだ10年後
義時の子孫は大繁栄していたので
政子と頼朝の最後の女系がどうなったかとかやらんのでは 非常に困ったことだね>承久の乱まで
鎌倉時代の歴史の理解の邪魔にしかならない終わり方だ フルの時宗が簡単に見られるなら多少補完になるけど
誠意のアレ出てるとかで難しいからな 泰時さんが絶望的な現実に苦しみのたうちまわりながらあがく姿が見たいのに 泰時は大河の主人公にだってなれると思うんだけどなあ
メインで見たいよ 20年後ぐらいに可能かも
ただ3分の2がオヤジの人生と重なるからな >>821
ネタがたくさんだから例によって前半筆のままに書いて
最後ナレ処理かもね
草燃えるも承久の乱はナレ処理で松坂慶子が殺されて泰時が駆け寄るとか
そういうシーンが尺取られてた 三谷も前は泰時主演で書きたいと言ってたが後半生が大河ドラマにするには退屈なんだよな 泰時の晩年にやったことは強引に後嵯峨天皇を即位させたことだな
後鳥羽上皇の子孫は仕方ないがせめて承久の乱に積極的だった順徳上皇の子には断固として皇位を継がせなかった >>810
まあ、おじいちゃんったら、すっかり認知症が進んじゃって、自分の居場所もわからないのねw
ここに清盛本スレ貼って置くから、ここで思う存分、ウレションしてね!(^_−)≡★
「清盛ちゅご〜い(ジョボボボ〜)」
ってねw
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1581677081 >>830
独眼竜政宗は大阪夏の陣の後に6話も続いたのだから、やりようはいくらでもあるよ
明恵へのイカれた入れ込み具合を描写するもよし、
御成敗式目の欠陥や実際の裁きを描写するもよし
実際のところ政子の死はかなり区切りがいいんだよ 泰時という人は、「政子の後継者」だけあって、
頼朝期・実朝期との継続性のある人物だから、一応話の区切りは付くんだよね 泰時って義時の息子なのになんで断絶扱いになるんだ? >>830
泰時後半ドラマにしようとしたら経時時頼がメインになるな >>832
ババアだか婆さんだかやるんだったら清盛スレで(大爆 >>803
承久の乱の凄さは圧勝もそうだが戦後日本社会が
静穏に治ったことだよね
あれだけの大戦なのにさ
海道記の記述とか典型的で義時時代が武家政治の理想言われるのなんかわかる そもそも三谷が泰時興味ないだろ。草燃える大好きが
元ネタで、別に鎌倉オタなわけでもないみたいだし。 三谷は北条ファミリーだけでなく御家人が好きなんだよ
王レスや我が家の歴史みるに
13人のドラマになるのわかるし好きぽいから期待する 泰時は子の時氏が早死にして孫の経時を後見していた。入道姿の泰時がバックにいて睨みをきかせてたら他の御家人は何もできないわな 義時は一ノ谷には行ってないが西海遠征に加わってるね
範頼軍のメンツって13人の多くが揃ってる
義時、中原親能、和田、三浦、比企、八田
義経軍には梶原
これは蒲殿活躍しちゃうな 蒲さん、遠征中の御家人たちもなんとか纏めてて決して無能ではないんだろうけど義経とは別ベクトルで政治的にはダメというかうかつというか…… まあ頼朝の言いつけ守って飢えても現地の武士と揉めなかったのはえらい
義仲軍は飢えて京で略奪して評判落としたから 遊女の子なのに義朝正室の由良御前の実家の熱田大宮司が養ってたんだよな三河守 13人メンバーの安達盛長の婿だしね範頼
頼朝と仲良し…のはず 安達さんも足立や比企を通じて武州や豆州に幅広い縁を持ってる人だけど
「安達かあ」ってなるのはわかる 比企尼の系統を弟に嫁がせたという噂
河越も安達も比企尼の娘婿
全成と足利と平賀は時政の婿
比企と北条を信頼してたんだろう頼朝 頼朝は公家じゃないけど、朝廷のように一方に権力が集まらないように北条と比企を争わせるとか?
ないか 長男に梶原と比企で次男に北条
義時と姫の前を結婚させて体制固める
のはずが北条と比企がケンカして頼家あぼん
頼朝が頼家のためにしっかり体制整えなかったせいと思うな
頼家には乳母とは別に大きな家の嫁を取らせてよかったし
梶原と比企で鎌倉御家人統率できると本気で思ってたのかな 頼朝と室町幕府との違いは、
支えてくれる庶流・同族がほとんど居ないってことよね
頼朝は自分でドンドン片っ端から粛清しちゃってるから
義詮も義満も、あっちこっち流浪してたけど、
支えてくれる周囲には恵まれていた 義時も弟一人だけで身内も外戚もほぼいないんだけどな
同格のライバル御家人を潰したのもライバル源氏粛清した頼朝と同じ
でも北条家は長く続く不思議 >>861
義時は姉妹の力だろ
姉の政子はもちろん、妹たちも皆有力御家人に縁づいて北条政権を支えた >>862
縁戚じゃないやん
例えば頼朝が大事にした大内や平賀は頼家の力になったかというと? >>861
義時の息子が多数いた
上の子たちが義時が死ぬ前にある程度の年齢に達してた
てのも大きいかも。 義時の直系子孫は得宗を筆頭に名越、赤橋、塩田、普恩寺、常磐、金沢と有能揃いよな 重時が名越についてたら得宗家もやばかったろなあ
でも重時は同母兄の朝時でなく異母兄の泰時についてる
兄より先に出世したからあそこの同母兄弟もすんなりいかなかった?
だとしたら義時巧みだなw >>867
むしろターニングポイントはそこではなく宮騒動 足利さんの無断出家と新田さんの無断出家
どうして差がついたのか……公務中、御門葉との差 平清盛見直してた
清盛が武士の世を切り開いてそれを受け取り勝ち組となった頼朝
まさかその後源氏があんな運命を辿るとは
ほんと歴史って小説より面白いわ 治承物語を平家物語と言い換えた中世のバカのせいで誤解があるが対立軸は血流の問題ではない 宝治合戦で得宗に対抗できる御家人がいなくなった。あとは身内の北条一門の粛清だけ そんなわけあるか。実質的に御家人のリーダーが全国の地頭を決めるんだぞ。都の関心がないわけがない そりゃそうだろw
自分は院の荘園の地頭やってるのに、
鎌倉殿は摂関家将軍とか、わけがわからないよ┐(゚〜゚)┌ 地頭変えてって幕府にお願いしても理由ない
てすげなく断られる都 頼朝が功績立てたから許しただけでテメエが好き勝手するならこっちにも考えがある
というのが朝廷の主張 北条得宗と御内人、平頼綱でもここまでやらなかったぞ┐(゚〜゚)┌
小田嶋隆氏「最大の罪は国の文化と社会を破壊したこと」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269468
政権の罪は、むしろ、彼らの日常動作の中にある。
たとえば、行政文書を前例通りに記録・保存するという
行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、安倍晋三氏とその追随者たちは、
政権を担当したこの8年の間に完膚なきまでに破壊した。
それだけではない。彼らは、自分たちの政治資金の出納を
まっとうに報告するという、政治家としての最も基本的な義務すら果たしていない。
加えて、安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、
公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、
きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどもの
この日本の社会では、日本語が意味を喪失し、
行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、
血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、
寒々とした前近代がよみがえりつつある。 こっちにも考えがある!
て腕まくりしてコテンパンにやっつけられた都
大人しく幕府と仲良くしとけばよかったのに 1180〜1183の関東は頼朝一派による不法占拠。でも寿永の宣旨で認めちゃったのは朝廷。 >>890
義時狙い撃ちで責めたら義時切られると思っとったんや…… 義時にのせられちゃったのね
義時は挑発の天才だからね 鎌倉は悲観的だったが大江がまだ都に武士が集まってるわけないから先制攻撃だと主張 >>890
三浦が内応をちらつかせて煽ったから、
御家人たちは東国で迎撃するつもりだったのに、
政子に加えて、朝廷のことを知っている大江・三善が即時進撃論を強行に唱えたから 和田義盛は侍所別当だったからずっと狙われてだろうな
本人も隙を見せないように警戒してたみたいだけど狡猾的な義時の挑発はえげつない 摂家将軍もなあ、せめて公卿の源氏将軍なら誤魔化しがきいたかも。源氏の久我氏とかさ 頼朝と政子の息子の頼家と実朝を殺すような連中に、妹の血ガーとか言われましても 本来は皇族将軍を希望したのを朝廷が押し付けたのが摂家将軍 まあ後に親王将軍になるんだが実際採用された人がちょっと残念な人だったというか…… 「朝廷が押し付けた」は無いよ
院政と摂関家は敵対関係、緊張関係だから、
摂関家が鎌倉幕府の武力を手に入れることなんて
院は絶対に望まないから
院が皇子をよこさないことは折り込み済みで、
最初から摂関家から貰うつもりだったんだろうね 後鳥羽の皇子を要求して朝廷から断られたのは史実。それを盛り込み済みで最所から摂家将軍を要求してたと言うのは陰謀史観的妄想。 要求じゃないでしょ
九条と三浦はつながってるわけだから てことは御家人の間では摂家将軍派と親王将軍派に割れてたってこと? 義時は皇族がよかったのよ
でも政子と三浦が三寅でいこう!つってそーなった >>896
和田義盛は侍所別当を梶原に取られて恨んでたから
梶原排斥に一番熱心だったね
大江広元を脅しつけたり
その辺りはこのドラマで楽しめそう >>897
源氏は摂関家の犬でしょもともと
だからボスの摂関家でいいのよ 三寅に源姓名乗らす話もあった。あくまで坊門姫の系統であることが重要。 頼朝が大姫入内しようとしてかなわず
頼朝死後三幡入内させようとしてかなわなかった
竹御所を皇子と娶せて頼朝の願いを叶えたかったのかもね義時政子
政子が先にあきらめたけどw 義時は半年粘ってたわ 鎌倉将軍候補に上がってた後鳥羽の皇子たちは承久の乱で流罪になっちゃった
もし将軍になってたら承久の乱も起きず配流地で暮らすこともなかったでしょうに
才気煥発なお父様もつと子供も大変 >>915
摂家将軍も親王将軍も成人して政治に口出しするようになると
廃されて都へ強制送還だから
配流地へ行かずに済んでも若くして都で隠居生活 今日の歴史鑑定でやるな
太田和彦→酒場放浪記→へやキャン→歴史鑑定→町中華の流れか (´・ω・`) >>911
源義朝は(父の為義や一族と違い)院に接近することで
出世したのだから、それは関係ないね
頼朝も母親の実家が院近臣で、若い頃から上西門院の蔵人だった >>917
そういえば都へ流されるとか変な言われ方されてたっけ
自分なら都に喜んで戻るけどなあ思ったものだわw
頼朝が伊豆に流されて辺鄙な田舎に武士が集まって
館建て始めた頃を思うとしみじみ 鎌倉にいたほうが朝廷より上に立っているという気分なんだろうか? >>917
でも鎌倉幕府の最長将軍は最後の守邦親王なんだよな
それなりに楽しんでたのかも、滅亡後すぐに亡くなられてしまうし(殺されたおそれもなくはないが)
もしくは政情が不安定で代わりを立てるどころではなかったのかも知れないが 九条頼経や宗尊親王は大御所になっても鎌倉に留まろうとしたよね 鎌倉の治天的なポジションになれんかなと模索してたんだろう
失敗したけど >>923
鎌倉幕府もその頃は執権の早世が続いてたし都では後醍醐天皇が暴れてるしで
もう将軍を取り換える力もなかったのでは
守邦親王は33歳まで生きたけど妻も子も一切伝わっていない
力のなくなった鎌倉幕府で不遇をかこっていたのではないか 時宗の時のマロはあれはないだろうおもたな
ドラマ的に面白いからいいけどかりにも親王将軍なのにお気の毒
西園寺実氏はとっくに死んでるのになぜか生きてて
足利と一緒に得宗家倒そうとするとかもう無茶苦茶だった 北条時宗は原作がファンタジー作家でなおかつ女脚本だったからな >>913
とことん皇室と縁がなかったなあ頼朝
そういえば昔、大姫入内させて皇子を鎌倉に迎えるつもりだったんでは
て説もあったな
皇子がいたら実朝の後継将軍もすんなり決まったろうし
ほんと運命だな 頼朝に子が少なかったのが致命的だった
これは政子の、北条の勝利かな 鎌倉に於ける北条の地盤さえ固めてしまえば頼朝一族は用済み 先例があった足利徳川と違って鎌倉幕府は武家政権の手本が貴族化して滅亡した平家しかなかった
逆にいや足利と徳川は北条を手本(反面教師)にして一族で引き継いでいった感はある
もっとも摂家宮家の将軍も頼朝との遠縁でつなぐ意識はあるんだけど 手本が無いからか、歴代執権(得宗)ほとんどが殴り強い実力者なのが面白い
そうでなけりゃどこかで潰されてたんだろうなあ 得宗が殴り倒すばかりで危険な目にあったというのがほとんどないな
足利将軍なんて暗殺されてばっかや
頼家と実朝も殺されたけど
義時はかなり命を狙われた方 >>934
源頼朝、足利尊氏、徳川家康はいずれも一門の女子を天皇に入内させようとしている
頼朝と尊氏は入内予定だった娘が早世して実現せず
徳川家康は生前に孫娘の徳川和子の入内を取り決め死後に実現した
初代将軍は家格引き上げのためにいずれも天皇家との縁組を求めている 女性天皇は次代の天皇が幼少であった場合の中継ぎとしても立つ場合がある
これは院政なんかで天皇が実質皇太子のような存在となり、幼少の即位が当たり前になって姿を消した 秀忠孫娘の即位は明らかに治天、後陽成上皇の秀忠への当てつけ >>910
和田義盛て義時だけでなく大江広元もやっつけようとしてたやん
だから北条憎いだけでなくやっぱ謀反というか体制転覆の考えあったんだろう 頼朝の急死と頼家の若さで御家人の統制がとれなくなってんな 豊臣秀吉は、源頼朝の木像を「天下友達」とポンポン叩いたというが、
死に際も同じ過ちを犯してるよな
秀次事件さえなければ、豊臣氏がああもあっけなく滅ぶこともなかったのだから
(豊臣秀次は、小牧・長久手の合戦以外に特に失点がない、
その唯一の失点を大きくクローズアップするのが徳川史観だとも言える) 【大阪】元国会議員秘書の男、住居侵入と強盗の疑いで「逮捕」 被害者宅は…秘書時代に複数回訪問した家
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1582716055/
やべぇw 鎌倉時代に昼は公家の郎従が、夜は夜盗と化してたのを思い出したw >>932
政子は浮気許せないって暴れたらしいが計画的に頼朝から全てを奪うつもりだったんだな
愛でなくて計画で浮気を潰してたな >>956
旦那との子供を潰して政権奪うのも妻の権限か?
政子は頼朝との間の後継者を幽閉したろ あと最近指摘されてる話。
頼朝が鎌倉殿になった後
無位無官で豪族としての規模も小さい北条を実家とする政子は
頼朝の正室でいつづけるのは厳しいものがあった。
他に女ができてそちらの方が身分が上だったり
頼朝がそっちを引き立てたら
政子は正室あつかいされなくなる可能性もあった
ともいう意見もあるね。 >>960
政子は頼朝から政権を奪うつもりだった
頼朝は義経より政子を倒すべきだった >>954
それ実家じゃなくて亀の前住ませてた家臣の家。
実際には時政怒って帰った後(11/14)
まだ懲りずに亀の前のとこ頼朝通ってて(12/10)
さらに政子がキレて頼朝のラブレター書いた右筆追放して(12/17)いる
その後吾妻鏡の記事は丸々一年欠落して
復活した木曽戦以降の記事にも何も亀の前事件の話出ないから
結局どう落ち着いたか亀の前といつまで続いたかはわかってないのが実情。 >>961
政権奪う意図があったとしても
政子が頼朝の第1の妻で
後継者の母じゃないとできなかったのよ。
その政子の立場をすげ替える権限は頼朝側にあって政子側にはなかった。
頼朝が他の女作って男子産ませて
政子無視したら政子と北条終了だった可能性あり。
政子としては政権云々より自分と子供と実家の立場守りたいというのが精一杯立った可能性もある。 >>963
政子は頼朝との子供を守ってないだろ
実の息子を幽閉して政権奪ってる
だから悪女言われる 長男嫌って次男可愛がる母親なんていくらでもいるよ
ちなみに父親も
だから追いやられる兄カワイソスなんてエピいっぱい >>964
それは頼朝死後の話でしょ。
それに頼家追放した主体は政子だったのか
政子は鎌倉殿追放の名義貸しに使われただけなのか
論議する必要あるでしょ。
頼家が生まれた直後は頼朝後家や鎌倉殿生母の権限が与えられる保証はなかったし
他の女に子がうまれて頼家が庶子になったら
源氏の伝統で頼家が弟に殺される可能性も増えるわけだったしね。 頼家にとって不幸だったのは
実朝という他の御家人たちにとって
スペアとなる弟が生まれちゃったことだよね。
頼家しかいなかったら
その血統守るしかないからね。
それはそれでその子供たちがそれぞれ担がれて内紛する可能性があったけど。 時政帰っちゃった時に義時のご機嫌取ってるあたりで
頼朝の立場わかるよね
当時は離縁なんて珍しくないんだから別に離婚してもよかったのよ
北条が他の源氏と接近するの頼朝嫌だったんじゃない?
北条家の能力は頼朝が良くわかってるでしょう
政子が自分と離縁してほかの源氏と結婚とか頼朝嫉妬しちゃうw >>968
その時点で義時は江間家当主で北条と一線画してる。
家の子筆頭に去られたらちょっと立場ないからね。 >>964
後継の長男と生母が揉めるなんてケースいくらでもあるけど
通常は後継の長男が勝つのよ
政子が目立つのは後継の長男が負けたからってだけの話
なぜ息子が力がなかったかわかるでしょ
20年間流人で何も持ってない父親の後継だから >>970
北条が一族で倒しにきたから後継者の長男が負けた
普通は母親一族で後継者の長男を潰しにくるって稀 >>971
次男の後見に母親の一族つけるからじゃん普通はそんなことしない
それをしたのは頼朝
自分もなんで次男に母親一族つけるんだろと疑問だったよ
でも頼家の弟の乳母を御家人が引き受けたがらないから
そうするしかなかったってことでしょ頼朝も
弟が迫害されて乳母もろとも葬りさられるの御家人は見てきたから
つまり源氏の歴史が悪いのよ >>969
家子ていまいち理解できないけど直属軍作ろうとしたって感じ?
でも武士の家の論理とズレてるから結局定着しなかったみたいな
武士は自分の家を守るのが最優先で鎌倉殿を守るのはその次
家を守るためなら将軍もポイ捨て >>973
義朝の代で没落したせいで頼朝の家臣団って実質頼朝一代で集めたものなのよ(父の代からの人間もいるとはいえこれも一旦去ってる)
御家人たちは頼朝の家人って意識はあっても源氏の家人って意識は無かった。その意識が定着する前に頼朝が死んだ
鎌倉殿を継承したとはいえ頼家はそのあたりの認識が甘かった >>961
義経にしても脅威ではあったものの当人に背くつもりなんか別になかったんだから
どこまで頼朝の意思だったのかどうか >>974
頼朝の家人って意識もあったのかどうか
ただの旗くらいのつもりだったのかも >>972
当時でここまで奥さんの言いなりになってるのは頼朝くらいでは? 頼朝と北条の伊豆時代の関係が今ひとつわからない
政子結婚の経緯見るとすぐ近くにいても疎遠だったんだろうけど
ただ頼朝は義時をすごく可愛がってる
ただ義弟というだけでなく八重姫の甥で死んじゃった千鶴のいとこだから
ていうのドラマでやってもいいと思いますw
でもドラマだと政子と義時を同母にするケース多いから
義時が伊東の血筋という設定は消えるのが通常だよね >>976
義経が生きてれば政子一族の乗っ取りは大変だっただろうな 二心無いと言っときながらきっちり敵対行動してるので信用できるかっつったらできるわけねーなと思う 先に仕掛けたのは頼家だぜ
千幡が大きくなってきてそろそろ元服って時に全成を殺して
阿波局も捕まえようとした
頼家からしたら千幡殺すかバックの北条殺すかしかないところを
なんか源氏の叔父と従兄弟殺して終わるという半端に変なことするから
北条に返り討ちに遭うのも仕方ないよね >>979
それを言いだしたら八重姫は頼朝と別れさせられた後
「江間の小四郎」と再婚させられているわけで
これが北条義時の通称と同じであることから
当時13歳だった義時と再婚した説まである
義時の妻妾に伊東入道女が見当たらないため別人と言われているが
まあ色々解釈はあるよね 義時には長男がいて死んだ逸話まであるよねw
大蛇か何かに襲われたんだっけ?
伊豆時代をどの程度三谷描くかな
やっぱ頼朝と北条の関係理解するにはちょっとはいるよね
ただの外戚!御家人!とは言い切れないものがある >>987
そのあたりを本郷和人や名前忘れたけど女性史研突家の人が考察してる。
政子を側室にして公家や大豪族から正室をもらうこと可能だったのに頼朝はそれをしなかった。
(従二位になった頼朝の正室には政子の出血はつり合わない)
本郷は糠康の妻を大切にするアピールを御家人に示したかっと頼朝が流人時代から支えてくれた政子と北条への恩義を大切にする人物だった
女性史研究者は政子自身の努力と実力で御家人の信頼を得て正室の座を守ったと解釈している。 頼家だってもらってないじゃん
そういう家じゃなかったんだろ 北条は平直方の系譜だから頼朝は自分を頼義、政子を直方娘
あいだにうまれた頼家を八幡太郎義家と見立てて自分の家こそ
関東の主人にふさわしいと御家人に示してるんだよ
ほかの源氏でなくてオレの家こそ正統だってな
政子離縁したら他の源氏と違いなくなるやんw
政権には神話が大事ね
それでも義朝の息子風情がと武田に言われてるが >>989
実朝は貰ってるよ
頼家だっていずれ改めて迎える予定だったかもしれないし。
>>990
頼朝は自身を頼義になぞらえようとしたのは事実だけど
頼義もち出したのも譜代概念植え替える為に利用した部分もあったからね。どこまでそれが当時の御家人に効果もたらしたかは未知数。
まああえていえば頼家を後継者にさせるために直方もち出してなんとかしようとしてたのかもね。
っていうかそれをもち出さないと政子や頼家の立場の正統性を示せなかったとも見れる。 そもそも鎌倉に本拠を構えたのも鶴岡八幡宮をすえたのも
頼義の故事をもちだして説明したろうよ あと
為義も院近臣や五位六位くらいの人の娘を妻にしてるし
義朝も正室は院近臣で四位の熱田大宮司から貰ってる。
無位無官北条丸の娘だと少なくとも都サイドから見たらお話にはならない。
頼朝は祖父や父より出世してるからね。 武田も頼義の子孫だから頼朝のことをフン!と思ってるし
頼朝も目の敵にして甲斐源氏潰してたよね
何人武田を殺したかな頼朝は
時政に交渉に行かせて同盟しといて酷い思ってたw >>993
頼義の故事も大切にしてたけど
頼朝自身がもってた過去官位と都との人脈も御家人統制には有効に生きてたし
それが一番他源氏より優位に出れた要因でもあった。
頼義だけをそんなに評価できんわな。 義朝の居館跡が後の寿福寺につながる小堂が建てられてたため鶴岡八幡宮脇に居を構える 義経に範頼に安田に
源平合戦で功績あげた大将をみんな殺すんだもん頼朝
そら北条に政権移っても仕方ないよねw このスレッドは1000を超えました。
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