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【第四十四回】太平記part.44『下剋上』
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0952日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 10:13:49.39ID:71GV7yRN
>>945
北畠親房の様な強い思想的な背景も無く、新田の様な足利との武門の棟梁争いとも無縁で、北条政権化で悪党をやってた様な現実主義者が、何故一族も含めてその後数十年も忠節を尽くしたか、不思議としか言いようがない。
でも、それが太平記の魅力なんだろう。
0953日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 10:20:54.35ID:iRnqt4zV
節操の無い人間だらけの太平記に楠木正成がいなかったら本当にカオスなだけの話になってしまう
0954日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 10:21:42.89ID:t1icq2py
元は無位無冠の河内のおっさんがあれだけの冠位・名誉を貰ったんだから恩義は感じてたでしょう
0956日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 11:34:34.31ID:iRnqt4zV
新田も大きな恩賞を貰ってしまったから、その後の行動が制限されてしまったな
0957日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 11:57:40.73ID:vtm+LfOI
足利みたいに恩義?なにそれおいしいの
てなったもん勝ちってとこだな
0958日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 12:19:49.89ID:Nzl2nHXC
仮に義貞が次代の覇者となったといたしましょう
次には幕府を開くことを望むに決まっております
武士とはそういうものです
0959日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 12:32:16.96ID:S4MMOyBd
恩義よりも
後醍醐のことをいつまで「美しい」と思えたか?
だろうね
「醜い」と感じても離れるタイミング逃したら離れられない
0961日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 12:44:37.08ID:sE3z2y8V
>>958
朝廷と武家、個人同士では理解し合えたとしても側近や一族取り巻く面々を背負ってでは共存は難しい。利害一致したとしも利用する側される側になる、後醍醐と尊氏のジレンマも同様( ; ; )
0962日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 13:05:38.08ID:iRnqt4zV
尊氏は後醍醐の後ろ盾が無くても戦えるけど義貞はそうじゃない
後醍醐に見捨てられると単なる貧乏御家人になってしまう
しかもなまじ家柄が良いから尊氏の対抗馬を任されて赤松みたいな鞍替えも出来ない
なかなか辛い立場だな
0964日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 13:39:46.28ID:ZNdoogBw
>>929
大事なもののために死するは、負けと申さぬものなり

この場合の「大事なもの」の中には、当然に後醍醐帝が入ります。
尊氏が帝に謀反し、正成を仲間にしようと、二人で密談する回が後にありますが、
武田正成がその時に答えを言ってるからね。
初見の方もいるので、ネタバレは避けときますけど。。。
0966日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 13:48:33.77ID:ZNdoogBw
>>955
出自は駿河(静岡県)説も、この頃は言われ始めてるので、
最近は静岡育ちの正成と卯木、河内に移ってきた後の正季として見てますw
0967日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 15:26:37.17ID:Mp1bx2Hx
後醍醐が天井からぶら下がっている綱を握りしめながら
「絶対、許さない〜!!たかうじ〜」と力んでいるシーンを初めて見た時
出産以外で綱握る天皇…と子供心に焼き付いた思い出
0969須藤凜々花が好き垢版2020/07/23(木) 16:08:24.01ID:pc3Lm/7i
>>968 なに! ミッキー吉野はゴダイゴだって?
0970日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 16:13:26.95ID:iStXgqFr
>>968
怨念の心は犬に食わせてしもうた。
0971須藤凜々花が好き垢版2020/07/23(木) 16:24:33.28ID:pc3Lm/7i
田楽踊りと闘犬がすき というのはそれほど暗愚にも思えない その当時も闘犬愛好家はいっぱいいただろうし
0972日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 16:32:00.13ID:bK50guC/
新選組の近藤、土方、楠正成。
取り立ててもらった恩義に誠で答えた。
0973日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 16:49:35.56ID:ZV0yxK5u
後醍醐天皇が人間的魅力が高い人物だったのが大きいのやろ
建武後に対立した尊氏も後醍醐天皇を最後までリスペクトしてるし、後醍醐天皇も実は尊氏を完全には敵視してなかったという説まである
北畠親房あたりがもっと尊氏に友好的で柔軟性があれば、南北統一は後醍醐存命中に成立して後南朝の悲劇などは起きなかったという話すらある
0974日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 16:55:30.91ID:xTJUoTIw
南北朝動乱を長引かせた張本人は、主義者の北畠親房。
0975日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 17:05:43.01ID:rSK/TRIN
>>966
駿河に伝承等所縁が全く無いだろう
駿河縁故の家臣とかいるのか?
正成死後、駿河に逃げてきた一族はいるのか?

楠木一族多くは、正成死後、三河に逃げてきた
やはり楠木一族は三河所縁の一族と言うしかない


後醍醐天皇の第一回目の蜂起で敗れると、楠木正成は三河に逃げてきた
その場所は三河国加茂郡楠木村
その時に再起する意味で、この楠木を名字にした可能性は高い


http://www.hitozato-kyoboku.com/toyota-wakamiyajinja-kusu.html
0977日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 17:42:05.81ID:h5w8PgfA
霜月騒動の時期に、楠木正成の叔母さんは三河の足助氏(三河国加茂郡高橋新荘下司)に嫁いで、後醍醐天皇軍総大将の足助重範を生んだ
当時の尾張の那古野荘の地頭だった足助氏庶流の嫁は安達氏の娘だった
安達泰盛(三河国渥美郡小松原荘地頭)領だった歓心寺荘は、その縁故で獲得した可能性が高い

そもそも北条の家臣でないとするならば、恩がある北条に反旗を翻した矛盾が解消されるんだよ
0978日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 18:29:08.29ID:0XDCv6Tt
北畠親房の書いた本に
徳川光圀が感化されて江戸幕府的には
危険思想が芽吹くわけだから影響は大きいな色々と
0979日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 18:41:28.31ID:qw9PFEHZ
 
『逆説の日本史7・中世王権編:太平記と南北朝の謎』 (井沢元彦/小学館)

    ――

・・・時代の流れは尊氏に味方した。楠木正成が立派なのは敗戦必死と予測したにもかかわらず、あくまで忠臣としての道を貫き皇恩に応えるために、死を覚悟して出撃したことだ・・・


■ 『太平記』に書かれていた楠木正成のもうひとつの顔


古典太平記は、楠木正成・正季兄弟の最期を次のように描いている。


     ===
・・・正成座上(ざじやう)に居つゝ、舎弟の正季に向(むかつ)て、「抑(そもそも)最期の一念に依(よつ)て、善悪の生(しやう)を引(ひく)といへり。九界(きうかい)の間に何か御辺(ごへん)の願(ねがひ)なる。」と問(とひ)ければ、正季から/\と打笑(うちわらう)て、「七生(しちしやう)まで只同じ人間に生(うま)れて、朝敵(てうてき)を滅(ほろぼ)さばやとこそ存(ぞんじ)候へ。」と申(まうし)ければ、正成よに嬉しげなる気色にて、「罪業(ざいごふ)深き悪念(あくねん)なれ共(ども)我(われ)も加様(かよう)に思ふ也(なり)・・・


  -------------
  (大意)

・・・上座の正成は弟の正季に「人間は最期の一念によって様々な世界へ転生していくといわれる。お前は何処へ行きたいか?」と尋ねたところ、正季はからからと笑って「七回までもこの人間界に生まれ変わり、朝敵を滅ぼしたいと思ふ!」と答えた。

正成もこれを聞いて嬉しそうに「それは罪業深き悪念でもあるが、同感だ。いざ、二人で生まれ変わり我等の望みを遂げようぞ!」と約束を交わし、兄弟刺し違えて自刃した。
   ===


・・・これらのセリフ自体はフィクションであったとしても、正成がこういった思想の体現者であったことは疑う余地がない。正成は逃げようと思えばいつでも逃げられた。また帝の陣営に勝ち目がないことも予見していた。しかしそれでも帝に殉じた。だからこそ「思想の体現者」なのである。

その思想とは言うまでもなく、主君に絶対の忠誠を捧げるという朱子学である。つまり楠木正成という人物は明らかに「朱子学の行者」なのである。

では、その正成が「七度生まれ変わって朝敵を滅ぼしたい。」という正季の言葉に賛成しながら、それを「罪業深き悪念」と指摘したのは何故だろうか?

それは仏教では「悪」となるからである。仏教では特定の事物に執着することを特に「悪」とみなす。・・・しかも仏教では殺生は大罪であるから、まさに「罪業深き悪念」となってしまうのである。それでも正成はこの道を選択した。だから彼は朱子学の行者なのだ。

なお、正成については後に皇国史観が一世を風靡した近代において、『大楠公は「七生報告(七度生まれ変わって国に報ずる。)」と誓った。』と教えられることになるが、厳密はそうではなくあくまで「七生朝敵を滅ぼす。」であり、しかも直接言ったのは弟の正季のほうである。
 
0980『逆説の日本史7』(井沢元彦/小学館)垢版2020/07/23(木) 18:42:59.20ID:qw9PFEHZ
 
・・・さて、仏教的思想でいけば、当然現世に激しい執着を残して死んだ正成は「鬼」になるはずである。実はそうなのだ。『太平記』の「巻十六」で自刃した正成は「巻二十三」で「化物」となって「復活」する。

『太平記』によって正成を空前絶後の忠義の士を評価するならば、同じ書(『太平記』)において正成も帝も(この点については後に詳しく述べる。)「化物」となったということも教えなければ公正とは言えない。

戦前の忠君愛国思想にはまさにこの点が欠けていたのである。

では、そうしたイデオロギーから離れて考察した場合、楠木正成とはどういう人物であったのだろうか?

やはりそれでも、武士として臣下として、第一等の戦略顔を持ち、未来を見通すほどの才を持ちながら、あえて帝への忠義に殉じた高邁な人物であったことを否定するわけにはいかないだろう。

こればかりは朱子学への好き嫌いを超えたものなのだ。

私にしてみても朱子学などトンデモない思想・イデオロギーだと思っているが(なぜそう思うのかについてはおいおい述べていく。)、それでも正成が高潔・英明な武将であったことを認めるのにやぶさかではない。

前節で紹介した『太平記』と反対の立場、つまり大筋では「足利びいき」を貫いていた『梅松論』ですら正成の死は次のように評している。


――

「・・・誠に賢才武略の勇士とはかやうの者をや申べきとて、敵も味方も惜しまぬ人はなかりけり・・・」

――


・・・上記はあえて訳す必要もないだろう。
0981日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 18:44:07.82ID:qvGY/p9u
>>955
パッチギの井筒和幸監督みたいなしゃべり方をしろと?
0982日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 18:46:52.05ID:WmAYqzxs
後醍醐が実権をのぞみさえしなかったら
当然尊氏は成良親王あたりを天皇位につけてたんだろね
そうなりゃ、皇位は代々後醍醐の子孫が継いだかもしれないし、
少なくとも現実で足利将軍が北朝の天皇にとったぞんざいな扱いより
後醍醐の後胤への扱いの方が丁寧になってような気がする。

まぁこの仮定は1行目のところから有りえないんだろうけどねw
0983日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 18:48:09.77ID:h5w8PgfA
楠木正成が逃げてきた楠村は高橋新荘内にあったんだが
本家は大覚寺統、領家は石清水八幡宮

コレに、楠木正成が石清水八幡宮に奉納したクスノキが繋がる
全ては意味があるんだよ


南朝最大の本拠地、三河国高橋荘・高橋新荘の面積は東京23区の約1.6倍の面積は
他に類例がない巨大荘園であった


■三河国高橋荘・高橋新荘

豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した


・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?


・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる
0984日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 19:03:27.65ID:B6UpH4RS
三河屋の文章は一行目で読むの止めるわ、
頼むからコテハンつけてくれよ

なんで信虎スレにいかないんだろ、こいつ
0985日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 19:38:36.91ID:rSK/TRIN
>>983
訂正

高橋新荘内→高橋荘内


クスノキがある若宮八幡宮は、豊田市街地のど真ん中にある
0986日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 20:03:56.32ID:xfNXaquG
未だにオープニングのテーマ曲に慣れない
テンポというかリズムが独特だからかな?
というか、このテーマ曲掴みどころがない感じでイマイチじゃない?

あと、オープニング序盤で出てくる白い眼のカラスみたいな天狗?のお面で笑いそうになってしまう
0988日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 20:09:47.24ID:B6UpH4RS
烏天狗は太平記の代名詞な訳だが
無知よの

三河屋、こやつに説教してやれ
0989日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 20:32:03.57ID:WTJ6lQhD
彼を呼ぶとこのままスレ食い潰すぞ

次スレ立てます
次回から980が立てることでいいかな?
0991日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 20:47:58.56ID:b4GAntkX
…そういやこの頃(91〜92年)だったな、地上波総合で吉右衛門・弁慶の再放送やってたの、

大河作品は翌年以後の再放なんか(当然レンタルVHSも×)やらん放置プレイ時代だったから希少だった。
0994日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 21:37:22.93ID:rSK/TRIN
分かる奴は分かっている
崇徳院が尊氏を操ったんだなと
分かるには崇徳院は三河サイドだったと知ってなきゃあかんが、部外者に無理なんだろう
崇徳院の妾の一人は初代足利氏、足利義兼の従兄弟だった



崇徳院
正室
皇嘉門院(三河国吉良荘本家、兄弟の九条兼実は三河国知行国主)


・兵衛佐局 - 法印信縁女、源行宗養女  ←源頼朝の親戚(吾妻鑑)、三河の藤姓熱田大郡司家出身か?)


・三河権守・源師経女   ←源頼朝、足利義兼の従姉妹


系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→女(崇徳院妾)
0997日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 22:02:06.03ID:d0xMB5i2
>>990
武蔵坊弁慶も三枝さんの曲だよ
0998日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 22:11:08.17ID:ZNdoogBw
>>992
乙は女設けに来んけるや
0999日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 22:22:31.04ID:ZNdoogBw
>>975
正成の父、正遠のwikipedia見た?

>20世紀後半から21世紀現在支持されている学説は、楠木氏が北条得宗家に仕える御内人であったことである。

楠木氏は駿河国入江荘楠木(現在の静岡県静岡市清水区楠)を本貫とし、遅くとも建久元年(1190年)には
源頼朝に奉公し御家人となっていた(『吾妻鏡』建久元年11月7日条)。

その後、弘安8年(1285年)11月17日に霜月騒動で有力御家人安達泰盛が北条氏に滅ぼされると、
安達氏の所領の一つ河内国観心寺(現在の大阪府河内長野市観心寺)も北条得宗家の支配下となった。
そして、得宗から地頭職として観心寺に送り込まれたのが楠木正成の先祖であると言われ、
このときの楠木氏惣領が正成父か正成祖父かは不明だが、いずれにせよ年代的には
正成父はこのとき駿河国から河内国に移ったと考えられる。
1000日曜8時の名無しさん垢版2020/07/23(木) 22:22:57.92ID:ZNdoogBw
あ、呆けけるはw
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