>>229
三成の息子二人は、関ケ原後も生き残っており
長男は戦後仏門に入る事で許され、生年が分からないが死んだのが1686年
100歳前後まで生きたと言われてる
次男は津軽家へ逃れ、名を杉山と代え子孫は家老待遇で優遇された

柿はタンの毒と言い、まだ生きる望みを捨てなかった三成
大河石田三成は、鴨川河川敷で斬られるのが最終回でなく
その後数回を息子二人が、生き残れなかった父の想いを語り
関ケ原で三成は全てを失ったと思ってる人が多いが
日本の官僚政治は三成から始まったと言われるなど
三成の行動や想いは、決して関ケ原で全て消えてしまった訳ではない
これを伝えるドラマであって欲しいと思う