>>176
>疑似紀行文

少なくとも今回始められた小説については、その言葉に尽きると思います。

現代路線でいくならば、せめて主人公が、時にはガセネタを掴まされたり、見込み外れで無駄な調査もしたりするような展開を盛り込んでみるような工夫も必要かと思います。
別に難しいことを考えなくとも、戦国未来氏の「歴史探求記」のノリでもそれなりに楽しめるかもしれません。
歴史ブログの中でも、既に(ある程度)固まった史実を淡々と述べていくものもあれば、そのテーマを取り上げた時点ではブログ主も史実を知らず、試行錯誤を経て何らかの結論に辿り着くというものもあります。
後者の方に徹すればいいのですが、元々のご気性からか、前者の要素が強くて小説の体裁になっていないように感じます。

あと、戦国未来さんは手に入れた史料、確認(思索を経て高度の蓋然性を有すると認められたものも含む)できた史実・思索をほとんど全て書かなければ気がすまない方のように見受けられます。
ブログの場合は、読者もそのつもりで読むので、堅苦しくて面白くなくともお付き合いできるのですが、小説となればそうはいかないでしょう。
例えば登場人物に史実を語らせる形式を中心にすれば、多少の臨場感が出てきて読みやすくなるのでしょうが、台詞で処理すると登場人物に無駄な(=史実と無関係な)ことも語らせねばならず、
全ての史料・史実を語らせようとすると「無駄な台詞」が多くなる、しかし戦国未来氏は全てを語りたい 、結局冗長なものになるか、又は臨場感なく史実の列挙を地の文で延々と解説ということになる。

執筆に際しては、作品中に盛り込む史料・史実の取捨選択が必要だと思います。
なお、司馬遼太郎はかなりの史料・史実に言及していますが、当然読んでいたはずの史料の記載も自分の作品構想に合わなければ遠慮なく切って捨ててるんですよね。