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>そしてここからは、夫婦の閨へと。光秀はこう切り出します。「あの魚、無理をしたな」
>「大切なお客様ですから」「まだ質に入れる物があったか」「なんとかなるものでございます」
>そう語りつつ、服を用意する煕子。ここで光秀が「すまぬ」といい、煕子が「おやめください」と返す。

>理想的な夫婦像ですし、愛があります。
>魚のことを見ていて、気遣える夫。夫の大事なお客様だからと返す煕子。これは個人単位の話ではなく、お
>互いを尊重しあってこその夫婦愛です。

>壁ドンとか、顎クイとか。そういうことじゃないんですね。
>光秀は妻に対し、能のため京都に呼ばれたことを語ります。光秀は戸惑いつつ、自分が呼ばれた理由がわか
>らないと言います。大物ぶらない、いばらない。そう誠意を見せるからこそ、煕子は応じます。

>「それでもお行きになりたいのですね、京へ」
>「うむ。すまないと思うておる。おまえには苦労ばかりかけて」
>「何ですか、さきほどから。すまぬすまぬと水臭い」

>そんな妻に、光秀は語り始めます。
>越前に来てもう八年。しかも、あいもかわらぬこの暮らし向き。子どもたちに読み書きを教えるのはそれはそ
>れで楽しいが、これでよいとは思うておらぬ――。

>確かに、マムシに振り回されていた頃より、ある意味安定感はあるかも。
>でも、それだけでは満足できないのです。

>「もっと何かできることがあるはずだ! その何かを見つけるためにも、京へ行ってみたい。己の力を試して
>みたいのだ」
>「よくわかりました。どうぞいってらっしゃいませ。あとのことは案ずることはありません」
>「すまぬ」「また……ふふふふ」
>木村文乃さんが、すごい。

>ここでわざとらしく、甘えたり、すねたりしない。この美しい夫婦です。閨です。甘ったれたらそれだけで
>話題になる。

>でも、そういうことじゃない!
>どれだけ心が通じていて、煕子は夫の幸せは自分の幸せだと思っているから。こうすっきりと送り出せる。こ
>ういう妻がいる光秀は果報者だのう〜……となりますが。それだけでもない。

>光秀は、貧しい暮らし向きに無頓着ではないけれど。それだけでもありません。自分の可能性を信じて、確か
>めたいという前向きな気持ちがある。そういう伸び代が、いつの何かに挑むところが、煕子にとって魅力的な
>のでしょう。

>左馬助のように、相手を理解できないがゆえの言動が煕子にはありません。違いに理解をしている、そんな関
>係なのでしょう。

続きます