【第四十五回】太平記part.45『政変』
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>>1
乙ではない、乙ではないぞ、乙は全く知らんぞ >>1
動座じゃ
このスレに動座じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ 太平記のオープニング好きだけどなあ
大河なら古いけど花神が一番好きだけど
ライオンの群れの獅子の時代や蒸気機関車の春の波涛のopは今見ると陳腐 大切な物のためにするいくさは
乙とは言わぬものなり
車引き 太平記と信玄のOPが好きだな
どちらも緩急あってこれぞ大河!って気分になる 太平記のOPは緩急ないやろ
わい中では大学テーマ曲No.1やけど 花神のOPテーマは確かに素晴らしい
太平記のOPもドラマチックな展開で大好きだ
終盤に泣きメロが入るのがいかにも三枝成彰っぽい >>7
太守 『新田や足利は戦が好きなのじゃ、、戦ぎらいが戦好きに勝てるわけがない・・・』
『新田や足利は戦が好きなのじゃ、、戦ぎらいが戦好きに勝てるわけがない・・・』
――
【琉球新報】沖縄への基地機能の強化は、戦争などの有事の際、「敵国」から核ミサイルなどの標的にされることを意味する
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1595033284/ 1回ではなく少なくとも2回の投与が必要となる可能性が高いとし、
世界規模で(人口の)70〜80%を網羅する必要があると述べた
://twitter.com/amanomotoyasu/status/1286387078700257280?s=20
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>24
毛利元就、OPテーマ曲は素晴らしかったよね
ただ、元就役の橋之助が残念だった
個人的にはあれから歌舞伎役者のドラマ演技が嫌いになった
型通りで大袈裟な演技しか出来ないんだよね
太平記の片岡仁左衛門は流石だけれど OPだけなら映像込みで「炎立つ」のOPがかなり好き
変わり種では「花の乱」のOPも好き
OPだけならねw >>28
コミカルさ0悪辣な草刈正雄日野勝光は
真田昌幸より個人的には好き OPは政宗が一番ワクワクした
とにもかくにも始まる始まる〜とテレビの前に座ったわw
家族みんなで見た大河だったなぁ 大河OPの最高は風林火山
身体中の血液が沸騰するほど興奮する曲
それに比べたら
花の乱とか、太平記とか、眠たくなるような音楽でしかない 徳川家康だろ
オープニングそのものが「大河ドラマ」 賑やか系は政宗、信玄、太平記ぐらいがちょうどいいわ
あれ以上にうるさくなると少し耳障り そういえばつい最近まで
THE BOOMの島唄が琉球の風の主題歌だと勘違いしてた >>28
「花の乱」のOPはピアノソロ演奏から始まるというのが、大河のOPとして斬新だった。
ただ同様にピアノソロから入る「シエ」はアレだがw >>27
橋之介って『信玄』の時ァ脇扱い(青年家康)といえさほど悪く思えんかったんだがな…
見てなかったが勘九郎も元禄繚乱じゃイマイチ評価だった。
結果として平成以降大河の歌舞伎系は団十郎の義政みたいな冴えない準主役路線がベターだった扱いに オープニングだったら天地人
あれを聞くとティンパニが叩きたくなる
新選組は歌いたくなる
太平記はそれほど印象に残らない感じ 好き嫌いは人それぞれ
他人に強要するのはよくないよ >>42
その後思い付くだけで、勘九郎、辰之助、新之助、亀治郎、愛之助、みんな胡散臭い演技でイライラした
ジャニーズ枠より歌舞伎役者枠の方がいらないと思う >>34
自分も風林火山は好き
サントラも2枚購入したが聴いたのは初めての方ばかりだったな
勘助の語りも後半より前半の方が好きなのでサントラに入れて欲しかった
OPを見たり想像しながら聴くのが最高だったなぁ
でも花の乱も太平記も >>46
途中で送っちゃた
でも花の乱や太平記も大好きだよ
三枝さんの曲は始めは静かで後半が盛り上がるのが良い >>43
天地人はOP曲が荘厳なだけの完全に見かけ倒しなドラマw お〜お〜 やみのかなた〜〜
きけよ〜〜 ほしのあゆみ〜〜 風林火山も独学流政宗もテーマ曲はかっこよかったけど、ドラマ自体はビミョーな出来だったよなあ…
と、ともにここ数年で再放送があったので、放送を見て感じた次第。 世界的巨匠エンニオ・モリコーネにわざわざ依頼したら、
ずっこけた曲が送られてきて扱いに困った「武蔵」とかw 政宗か、人気だったがまぁ時代劇としては評価分かれるかね >>34
これはしたり。花の乱はわからんでもないが、
太平記のOPは傑作やぞ。三枝さんにしては、褒めたりdisったりだがw >>50
歌唱はチンペイさんやったね。
>>51
真剣に間違えた?わざと?
夜中に吹き出したわw >>51
政宗は見続けるのが苦痛なほどつまらなかった
世間では大絶賛されているからどこかで面白くなると信じて最後まで見たが、最後まで退屈
個人的には両方ともOPもイマイチ 政宗は大河が久々に時代劇に戻った第1号だったから、かなり世間的な評価が甘かったと思われる。 個人的に最高傑作は「炎立つ」だな
大河見て泣きそうになったのは初めてだ
源氏が徹底的に蝦夷を挑発して最後は戦いになり渡邊謙が参戦するも滅ぼされる流れは最高
渡邊謙は伊達政宗より藤原恒清の方が好演してたな 炎立つの第一部は暑苦しすぎた。第二部が一番好き。第三部は・・・。 >>58
政宗 大河初主演で気合い入ってた
経清 闘病からの復活後の初大河で気合い入ってた
生死の境を乗り越えた後は気合いの入り方が違う 「炎立つ」は第3部が要らなすぎた。
あれをなくして代わりに次の「花の乱」を普通の一年物としてやるべきだった。 >>59
言うほど暑苦しいかな。
個人的には経清と貞任が抱き合って「身も心もあべとなりもおおおおす」
のシーンくらいしか思い当たらない。
なお、原作にはこのシーンはない。
第3部は放送中に同時並行で原作最終巻が出るはずが、
作者が「やっぱ間に合わない。でも、義経はチンギスハーンにしてね」と言い出して、
現場が「ふざけるな!」になったという逸話があるくらいだし。 さてと、いよいよ鎌倉幕府の最後までカウントダウンが始まったな
今までは戦いをできるだけ避けてきた尊氏がまもなく戦の鬼になる 太平記のオープニング
朝から日が暮れるまで一年中戦っているイメージがよく出ているw 太平記は今回の再放送に際して、画像の修復などはしたのかな?
1991年ってそれほど古い時代という訳ではないよね
民放では101回目のプロポーズとかかな?
天下のNHKの大河ドラマの割に結構画質が良くないなと感じたけれど、現在のデジタルの画質に慣れただけで、こんなものだったのかな?
でも、フィルム時代の映画なんかはもっと前の時代でも綺麗だよね >>45
所作が基本からできてる人は、時代劇には貴重ですがね。 楠木とボクは死にませーん!が何故かリンクしてしまう >>67
同じ年だもんな
ヘアヌードの人達もいるし
ネットあったら凄いことになってそうw 俺は1番好きなopは96年の秀吉だな
黄金の茶室から始まるんだけど、まだ何者でもなく蔑まれてた序盤の秀吉を見てると「この後、ここまで登り詰めるんだなぁ〜」と感慨深い気持ちになってしまう。走って走って天下取って、それが消え去る内容も良い。 29年も前だもんな
自分は仕事が忙しくてテレビなんて見る暇なかった これだけ主義主張がバラバラなんだから、
中世武士をまとめるなんて、どんだけ難しかったことか
北条も後醍醐も尊氏も セルアニメならHDリマスターでそれなりに出来るけど、
太平記は放送用D2の弱点? D2も使えなかったとか
――
D2-VTR(Wikipedia)
D2-VTRとはコンポジットデジタル記録方式を採用したVTRの規格である。主に放送業務関連で用いられる。
■解説
ソニーとアンペックスが1988年に開発したもので、日本民間放送連盟がNTSC素材の交換規格として採用したため素材の受け渡しや放送番組の送出に広く用いられている。
コンポジット映像を編集する映像編集スタジオでもD2編集室を整備するに至り1990年代に普及が進んだ。
しかし輝度信号、同期信号、色信号が合成されたコンポジット記録のためにデジタル放送、DVD-Videoなど元々コンポーネント映像信号を用いる最近のデジタルメディアでD2をマスターに使うとコンポーネント方式に
変換する際にクロスカラーとドット妨害の発生が避けられず画質が劣化する。このためデジタル放送への転換が進むにつれ、送出用としては使用されてない。2016年にサポートが終了するためLTO・XDCAMに変換されている。
■D2 フォーマット概要
NTSC:525/60、2:1インターレース方式の場合
記録方式:ヘリカルスキャン方式記録ヘッド数:4ヘッドドラム径:75mmヘッドドラム回転数:89.82Hz(約5400rpm)カセット
>>73
聞かれてもいない用語説明を自らするのは三河屋みたいやぞ >>64
それ、分かるわー
尊氏がんばれ!お疲れ…といいたくなるw
でも大河のOPっていいよね〜
翔ぶも好きだったなぁ >>71
VHSで録画してても、溜めてしまったりして・・・w 楠が立ち上がった頃から見始めたから
鎌倉の政権の構造がよくわからない
北条は、平氏だと初めて知った >>78
「麒麟がくる」で例えたら(足利例えでややこしいがw)、
北条高時の鶴太郎さんが向井理の足利義輝、フランキーさんの長崎円喜が三好長慶、
(親子と主従は違うが)徳馬さんの長崎高資が鋼太郎さんの松永久秀ってとこか。
あと、児玉さんの金沢貞顕、勝野さんの赤橋守時は、どちらも北条一族。
北条も徳川みたいに改竄して「なんちゃって平氏」ではないかといわれる。
一応、正統源氏の足利・新田・佐々木は、『源平合戦の再来』として、
北条が平氏のほうがモチベーションは上がる。 独眼竜OPは放送当時に仙台青葉城にあるお馴染みの伊達政宗の騎馬銅像がさも動き出したかのように錯覚したのが良かったんだよ 守邦親王とか闘犬のときにちらっと出てきたきりだもんな
高時の無能っぷりと長崎父子の専横っぷりを強調して
後醍醐と御家人たちの倒幕に説得力を持たせるためだろうけど
幕府のシステムをかなり省略単純化して見せてるところはあるね >>80
北条の家来が、長崎家、
北条の縁戚だから執権になり得たのが
赤橋、金沢家
ということですな
高時 『フハハハハハッッッww!!!!! 見よっッww!!!』
一同 『ハハハハハッッッww!!!!!』
証券義貞 『・・・・・』 >>78
お飾りの皇族将軍がいて、権力は北条氏嫡流当主の得宗が持っているが実権は北条氏家臣(御内人)のトップ内管領が握っている
有名な執権は北条氏の分家から出ているが上記理由から権力は殆ど無い
この内管領の専横で得宗は政治を投げ出し執権は操り人形化し御家人達は不満を高めて爆発寸前と言うのがこの太平記での大ざっぱな鎌倉 >>85
なるほど
北条の得宗専制になり、
その得宗もまた実権を家臣筋の長崎たちに奪われた状況ですな 高氏のスパイが書いた手紙に
「〜そうろう」て使ってたけど
鎌倉末期に、そんな言葉を使ってたのかな >>88
平家物語や徒然草にあるからギリセーフかな? 使ってるぞ
金沢貞顕書状
労事無為之間、悦存候、今□
預御札候、恐悦候、
抑軽海事(加賀国)、明暁便宜之間、
?可申遣候、御使事者、守護
一人にては候はしと覚候、国に
合御使をさゝれ候ぬと存候、千
万近日可参申候、恐惶謹言、
(元徳二年)六月七日 崇顕(金沢貞顕)
方丈(釼阿)〈御報〉
https://www.kanazawabunko.pref.kanagawa.jp/bunko/textinfo.do >>86
次の次のサブタイが帝の脱出みたいだからその時じゃないの 北条は平氏だろ
徳川とは時代が違い過ぎ一獅ノするのは無理がある
多分維時から派生してる時の通字 政治というが北条以外にまともに政治できる武士なんて
この頃にはいなかった
だからほとんど政治動かす官僚というのは公家だ
二階堂道蘊も公家
鎌倉倒れたあとまともに政もできんだろと笑われるシーンが出てくるのもそれ 長崎はあくまで得宗の家人筆頭として権力あるんで
長崎自体が得宗を動かす力はない
だから高時がなんだかんだ偉そうにしてる
足利将軍と違って得宗を暗殺しようという動きも出ない
得宗と将軍の関係はこれと違って得宗の権力は将軍と無関係
将軍のクビを自由にすげ替えたりする
まあ帝選ぶ権力もあったりするから将軍ぐらい当然なんだが >>65
フィルムの方が素材の質が良かったり
再撮影したり色補正したりとか
リマスターのやりがいがあるって聞く
ビデオ録りって、年数たつと
ダビングしまくった劣化版?って感じるくらい
ボケた画質に見える時もあるな >>78
将軍…親王を京から招いて就ける。なんだかんだ権力があるので成長すると京に送り返されて幼児が新将軍に擁立される。
執権…将軍を補佐する幕府のナンバー2。北条宗家が独占していたが庶流(分家)も就くようになり実権が無くなっていく。児玉清・勝野洋はここ
連署…ナンバー3。
得宗家…北条氏の宗家。時頼・時宗・貞時の頃に幕府の役職(執権・連署)に縛られない権力を持つようになる。片岡鶴太郎はここ
御家人…将軍に仕える武士。有力御家人は庶流を地頭として領内に配し数百騎からなる武士団を形成する。真田広之・陣内孝則はここ
内管領…御内人の長、得宗家の執事。専横を極めた平頼綱が得宗家に討たれたが、後任の庶流長崎氏が頼綱以上の権力を持ってしまう。フランキー堺・西岡徳馬はここ
御内人…北条得宗家に仕える地頭。元は零落した御家人や御家人の庶流など。 >>80
北条氏は、時政より前の数代の系図に曖昧な点はあるが、当時の東国には坂東平氏系の
有力武家が多数いるなかで、全くの事実無根で、平氏を名乗るのは流石に無理だろう。
あと源氏と一括りにしているが、足利・新田は清和源氏系の河内源氏なのに対して、
佐々木は宇多源氏系の近江源氏だから、同列にはできないよ。
>>87
得宗本人は、自らが権力を持つ意思と能力があれば、政治的影響力を発揮することは
十分に可能な立場ではあるけど、高時の場合はそこが微妙だったというべきかな。 >>88
「〜候」の文体の文書なんて、それこそ平安期から近代まで普通にあると思うけど?
>>95
二階堂道蘊は、鎌倉初期まで遡れば、先祖が公家(というより下級官人)だっただけで、
あの段階での道蘊本人を公家というのは、かなり無理があるぞw 流石の判官も円喜にはたじたじだったな
生涯で政敵に仁木義長や細川清氏や斯波高経とかいたけどやはり円喜に比べれば楽な相手だっただろうな >>94
源頼朝の嫡子で北条時政の外孫に当たる子供に「頼家」と名付けたのは、
源頼義の嫡子で平直方の外孫に当たる子供の名前が「義家」であったのを意識している
という話もあるな。 もともと将軍の補佐役の北条当主が権力あってそれが執権という職を整備していったんだよ
今のように評定の主催者を執権として文書に署名するスタイルにしたのは泰時の代
だから得宗が執権より上になるのは自然というか
得宗は幕府の書類だと御後見と書かれたりしてる古典太平記もそうだな
天下の副将軍と呼ばれたりもした
得宗=執権の時が幕府が強くて蒙古から文がきたらそれまで連署だった
時宗を執権にあげて体制を強化してた
ちなみに将軍3代御後見6代と貞時の時に描かれてて御後見を元久以来
としてるからやはり義時が得宗初代という認識だね >>93
レスサンクス>>46です
これはサントラ2枚目に入っている後半の語りですね
勘助役の内野が半沢直樹の伊佐山に合わせている内に練っとりした言い回しになってしまった方 >>102
頼朝はなにかっつーと頼義の故事持ち出してるからな
後で阿野時元が自分の父は頼朝の弟で母は政子の妹だから
将軍になる資格ある言ってたから頼朝政子の組み合わせが重要だったかも
その阿野氏の子孫が廉子様だ
活躍が楽しみw >>103
一言で言うと、将軍権力に巣食うダニ寄生虫北条
末路は焼身自殺ショーがお似合いだ >>106
藤原家に乗っ取られてるけどな
阿野家と日野家は色々複雑 後醍醐暗殺は後で西園寺公宗がやろうとするが
佐々木道誉より公家のがずっと度胸あるなw
西園寺家は承久の乱の時も度胸満点だった 麒麟が再開するのが8/30で22話から
太平記もその日は22話の鎌倉炎上
どちらも折り返しになるのか 将軍権力には依拠してないのが得宗
御後見も天の下の御後見と太平記に書かれてるように天下の主というレベル
承久の乱での勝利が権力の源泉でだから北条本家の得宗が
官位低くても幕府の役につかなくても力持ったりした
それが家人の長崎に移ってフランキー堺になる
西岡徳馬もだいぶ貫禄出たな
佐々木道誉を問い詰めた高資の言葉はもっともなんだが
なぜか悪役ぽく見えるのが演技のうまさだ >>106
それいうと足利も、頼朝の従兄弟と政子の妹の子孫だから・・・。 >>113
なんだかんだ言ってあちこちに血脈を残している時政 18回
高氏が帰宅すると、守時が訪ねて来ていた。幕府として足利家に出陣を要請することを伝えに来たのだった。
「この守時は行かせとうないのだが…こたびの戦はそれがしには不吉に思える」と言い出した守時は「ゆうべ、
らちもない夢を見ましてな…それがしが足利殿と戦をいたす夢なのじゃ」 と口にする。高氏が笑顔をとりつくろ
いながら、例え夢の中の話であっても守時は味方にしたいものと言うと、守時は答えた。「お気持ちは有り難い。
じゃがこれだけは申しておこう。北条は腐り果てたとは言え、我が一族…それがし、これに弓を引くことはできん。
愚かな守時よ…」と。そして「西国の乱に気が動転した」と言って苦笑するのだった。守時が去った後、高氏は
家臣らに命じる。諸国の足利一門に使者を送り「足利が総力を挙げて戦をいたす。馳せ参じられよ!」と告げよ、
と。そして恐らく千早城攻めに参加している新田義貞のもとに右馬介を遣わすよう手配させる。 千種が「岩松水軍は河内の楠木と・・・」みたいなことを言っていたが、
なんか関わりあったかな? 今日の放送で尊氏と佐々木が酒飲んでたが、皿が複数置いてあって酒の肴というか食事と言っても良い感じだった
何を食べてたんだ?あいつら。 今週は昼ドラみたいな引きで終わったんだがこれ大河ドラマで間違いないよね? 冒頭の三人は政宗における「おつむ足りないせいで周りに迷惑かける三羽がらす」
忠輝、秀次、淀だった >>112
太平記というフィクションを持ち出す時点で馬鹿確定アンド説得力ゼロ 敵とも味方とも分からん判官にペラペラ本心を伝えるのは如何なものか >>127
打ち明けられた判官が「面白い、だが黙って見ておれとは何事か」って返したように記憶してたんだが何か違ったようだ >>129
それは決起してから
道誉の屋敷でのこと
わしも京へ連れていかれよ、わしにも二、三千の兵はある
尊氏の扇子道誉にバシッ
それもよかろう、苦しかるまい >>111
公望公「そんな600年前の先祖のこと言われてもワシ知らんやん・・・」 先代だったか忘れたがの足利当主が
戦前学習院で教師に授業でつるし上げられるわ
生徒にいろいろ嫌がらせされたり苦痛だったらしいな
妹は耐えかねて登校拒否になったとか言ってたし なぜ足利って賊扱いなのか
後醍醐天皇と争ったから?
平家、鎌倉幕府(北条氏)とかは滅んだけど
室町幕府が滅んでも子孫が残っているからか?
江戸幕府の徳川氏、会津松平氏とかは?
今の皇室は北朝系の系譜ならば
(建前は?)北朝擁立の功臣なのでは? >>136
水戸黄門様が
「大日本史」だかで南朝正統、楠木大忠臣なんてもちあげたのが
常識化したってこと? 光圀に南朝正統論を吹き込んだのは朱舜水あたりらしいね。 高師直てずーーっと悪役イメージないか?
歌舞伎とかさ
なんで? 明治国家の正確な建前として14世紀当時は南朝が正統だったが後小松天皇の在位が名実伴った時点からは持明院の正統性も担保されたという立場。
この大正あたりまでの公的史観が巷には十分認知されんまま南朝正閏論だけ誇大化されて皇国史観化した 後醍醐天皇てドラマでは優れた素晴らしい天皇と言われているけど実際そうだったの? >>134
ああ、喜連川さん所の逸話だな。
華族さんですら皇国史観の災難から逃れられなかった悲しいエピソードだ。
でも南朝忠臣の楠、菊池など自称末裔が散々華族指定を申請したけど
結局総スルーで華族制度廃止というウツクシイ流れ。 北朝擁立の功臣て言えるんかねアレ
南朝に売り渡したりしてなかったか >>106
皮肉な事に原田美枝子は北条時政の娘の血統なのよね。 >>135
南北合一後の北朝は南朝から禅譲されたから、
南朝が正統で現行の皇室が北朝の子孫でもセーフという風潮じゃない? >>143
仮にも国営放送で天皇陛下がボコボコにされて敗れる姿を見せないといけないんだから、
立派で素晴らしい人だったかのようにデコレートしないと各方面からクレームつくから 湊川の戦いを取り上げた番組で悪党・楠木散るとか最期の戦いみたいなサブタイにしたら
とある筋から苦情が来たんだっけ? 今日の後醍醐天皇の情事の現場を取り押さえられた風の演技に萌えた >>143
気力と体力が漲って知性もある人間だと思うよ
だけど後鳥羽上皇もだけど、それが良い結果をもたらすとは限らない
意志の強さと行動力は歴代天皇の中でもトップクラスだろう 建武の新政は公家一統とはいわれてるけど、実は武家にもかなり配慮してるんだよな >>143
後醍醐自体は無能ではなかった。
建武新政の諸制度は尊氏が結局採用しているので、建武新政の全てがダメだった訳ではない。
が、理想が平安中期の延喜の治で天皇主導・公家優位の当時としては時勢と乖離していたし
なんといっても我の強さが色々災いした。
大覚寺統で傍系でしかない自分の血統を事実上の皇統の嫡流としようとしたので持明院統はおろかほかの大覚寺統からも公家の多くから離反されたりと我の強さから人心を得られなかった。
それ故同時代人から非難をされた人だったが、何故か同時代人で彼を最もリスペクトしてたのが彼が逆徒呼ばわりし嫌った尊氏だったという皮肉。 赤松円心に与える恩賞を確保出来んかった…
葵の家康はよくあすこまで遣り繰り出来たわw >>153
廉子よりもっと若い相手かと思ったら、結構な歳だった。 >>156
今で言うと先見の明が有って人望がある天皇が政治改革して大日本帝国の仕組みの復活を計るようなもんか 会議室にサッカーボール放り込むJC
そしてボール持って途中退出するトップ >>144
肥後菊池氏の末裔は、普通に華族に列しているよ。
岡田内閣のときに、天皇機関説を執拗に攻撃して、政府に国体明徴声明を出させた
貴族院議員の菊池武夫男爵は有名。
>>155
武家にも配慮というか、後醍醐や廉子にすり寄る奴なら、公家・武家ともに配慮するが、
疎まれていた護良に近い奴には公家・武家ともに冷遇(例、北畠や赤松)というのが、
建武政権の本質。
公家一統というのは、あくまで後醍醐自身が朝廷(公家)のすべてを統べるとい意味で、
朝廷に使える廷臣としての公家階級全般を優遇するという意味ではそもそもないし。 >>128
実は花夜叉は後二条天皇の生母・西華門院の雑仕女で美女として都では有名
千種忠顕の弟からも言い寄られていたが、烏丸家の侍・服部正成と恋に落ちた。
正成は花夜叉と一緒にしてやる条件に、中原章房の暗殺をけしかけられたが、
土壇場で花夜叉と二人で武士を捨てて逃亡した。その道中で花夜叉は子を産むがこれを亡くす悲劇に見舞われた。
私本の花夜叉はそんなで、判官殿はまったくお呼びでない感じ。
楠木正成が花夜叉を絶縁しているのも、西花門院に迷惑をかけたことを気にしているからで。 >>152
それ湊川神社からのクレームじゃなかったっけ?
最近はくまモンを呼んで「味方してくれてありがとう」とやっているから、今なら問題なさそうだけど。
・・・ぐんまちゃんが訪問した時はどうなるか一抹の不安があるが。 >>160
大日本帝国の仕組みって、表向きは広範な天皇大権が憲法に規定されているが、それらは
完全に名目上のもので、天皇は実際の政治権力からは切り離されていたわけだけど・・・。
しかし天皇の名前だけは、ときの為政者に都合の良いように使われ、彼らの失策が原因で
破滅的な敗戦を迎えた瞬間、建前上のトップにいたというだけで、あたかも天皇に
全責任があるかのようにサヨクから執拗に槍玉に挙げられる。
そんな地位に天皇自身が再び戻りたいと思うかね? 後醍醐の聖帝扱いが始まると毎回ドラマ観てる集中力が落ちてく >>164
まず私本太平記では卯木は花夜叉じゃないことを説明しないと 前半きれいな後醍醐天皇だからこそ
北条滅亡聞いて大爆笑からの俗物臭の演出が効く その「美しい国」は幻想だよ
でも夢見てしまう気持ちがわかって苦しい 顕子は前回は着物の上から胸触られたり
今回は尻を触られたりか高時の当てられたり
結構身体張ってたのね 美しいものに焦がれて北条を倒したのはいいが、後醍醐も結局は俗物であり、自らも俗物となって近しい者たちを倒していく羽目になると。
権力の座についた最終回の高氏が疲れ切って全く幸せに見えないよなあ。 >>143
皆が色々書いてるけど
才気ある方ではあった
反幕運動の理由の一つは、自分の系統で皇位を独占すること
朝廷の古式復活ではなく、後醍醐帝の御代を作りたかった
ニラ食ったり、密教に凝って倒幕の祈祷をしたり
ドラマに描かれているより
生臭さを感じさせる方だったみたい 楠木正成は好かれてるけどそれ以外あまり好かれてる人が
この時代にはいないような
直義好きは時々いるか 前スレのスレタイ 43回「下剋上」は片岡孝太郎の義詮初登場回だったが、
前スレでは義詮はほとんど話題にならなかったな (´・ω・`) 単純にスレ番なだけで、44回だけを語る訳ではないからな >>169
>>169
『私本太平記』呼んだのが随分と昔でしてね。あと手元にない。
花夜叉は伊吹の館で登場するが、その後で目立って出番なかったか?
実在の人物で実は・・・・まあ、いいかw
卯木とはまったくの別人で、ドラマはこの2人を合成している。
卯木は後二条天皇の生母・西華門院の雑仕女で美女として都では有名
千種忠顕の弟からも言い寄られていたが、烏丸家の侍・服部元成と恋に落ちた。
元成は卯木と一緒にしてやる条件に、中原章房の暗殺をけしかけられたが、
土壇場で卯木と二人で武士を捨てて逃亡した。その道中で卯木は子を産むがこれを亡くす悲劇に見舞われた。
私本の卯木はそんなで、判官殿はまったくお呼びでない感じ。 あと、樋口さんよりだいぶ若い設定だっけ?
途中で兼好法師に助けられたり、なんだかんだと。
楠木正成が卯木を絶縁しているのも、西花門院に迷惑をかけたことを気にしているからで。
訂正して誤字も直したが、大体こんなんだったろうか? と言うかその時代の天皇・皇族で幕府つまり北条を倒そうと言う天皇・皇族は
後醍醐とその皇子以外居なかったよな?
やはり足利尊氏は北条を倒そうと言う点で
後醍醐を好きになってしまったのかね?
なんで尊氏は後醍醐の事ばかち気にして光厳天皇の事を無視するのかと思ってさ >>173
わざわざそんなところに注目してドラマ見てんの? 「やはりよう似ておりますな。卯木殿と我が殿は。」
「どちらも武門に向かぬお方じゃ。」
「戦嫌いが・・・戦をしておりまする。」
これこれ。大河ドラマとは。 >>177
直義好きは、日本中世史の研究者に多いイメージ。
>>184
当時の朝廷は、まだ承久の乱のトラウマもあるから、幕府とコトを構えようなんていう
発想は、後醍醐とその取り巻き以外からは出てこなかっただろう。
実際、正中の変も元弘の変も公家側から幕府に情報が漏れているし、多くの公家にとって
倒幕なんて朝廷全体を窮地に陥れかねない極めてハイリスクな危険な博打でしかない。 朝廷や公家は別に北条政権で特に困ってなかったろ
二統に分かれて張り合うのには忙しかったが待てば順番来るし
後醍醐は自分が傍系だったから立つ必要が出たけど
足利は純粋に野心だろうし後醍醐とそこが通じる
二人して結果的に護良殺すのももっともだ >>188
先日再放送していたねこねこ日本史の観阿弥世阿弥や尊氏直義が可愛い
尊氏に征夷大将軍の任命をする頭の後に絆創膏を貼っている光明天皇が特に可愛いw やはり当時としては
行動力の有るやり手の天皇だったんだろうな後醍醐天皇
しかも苦労して北条を倒したと思いきや
尊氏が北朝と室町幕府を作ったら
それに対抗して吉野に南朝を作るとは
もはや天皇と言うより武士かよと言うぐらいの行動力だな
当時の天皇でも学問や芸術やってる程度の天皇が多かった中で
ここまで政治や軍事に手を出すとは凄い天皇だ >>190
観応の擾乱回の冒頭で尊氏が征夷大将軍になるまでの経緯を説明するのに
高時と後醍醐天皇と光明天皇を一列に並べて片っ端から引っかいていったのがとても分かりやすかった >>123
得宗が将軍権力には依拠してない理屈は簡単でね
北条は承久の乱で天下をとったがこの時は将軍不在で
軍勢催促に将軍の名使ってないんだよ
だから義時朝臣天下を併呑すと言われて義時とその後継が天下人とみなされたわけ
征夷大将軍は御家人のボスだが天下人ではない
だから護良親王が征夷大将軍になってもほんとに将軍という意味しかなかった >>189
結果的に言えば、鎌倉段階での天皇や公家は、黙っていても地方の荘園・公領から莫大な
収入を得ることが可能だったわけだけど、後醍醐が倒幕なんて余計なことをしたせいで、
長期に及ぶ南北朝の内乱が起こり、荘園・公領に対する天皇や公家の権利は有名無実化。
内乱終息後は、一応は室町幕府のお膳立ての上で、改めて天皇や公家の収入は確保される
ものの、結局南北朝の内乱期にバラ撒かれた戦乱の火種を完全に積んでしまうことが
できなかったことで、戦国に突入してすべてがお仕舞い。
そう考えると、多くの公家にとって後醍醐は、トンデモないことをしてくれた恨んでも
恨みきれない相手だろう。 >>197
京が関東を討とうとしてるので泰時や朝時を大将に軍を派遣する
みんな加わるようにてな内容だったらしい
後鳥羽は義時追討の大将任じてないからそういう文面に 軍事督促状の名目と繋がるかどうかは微妙だが、軍事催促はやはり政子の演説内容やろな
現代語訳
従二位の北条政子は、家人たちを簾の下に招き、安達景盛に示し含めて言うことに、「皆心を一つにしてお聞きなさい。これが私の最後の言葉である。
故右大将軍(源頼朝公)が朝敵(平家)を征伐し、関東(鎌倉幕府)を草創してから、官位といい、俸禄といい、その恩はすでに山よりも高く海よりらも深いのだ。
恩に報いようという志が浅くはありませんか。
しかるに今回、逆臣の讒言によって、道義に反した綸旨(天子の命令)が下された。名を惜しむ者は、早く藤原秀康・三浦胤義(上皇方の首謀者)らを討ち取り、三代将軍の眠る、この鎌倉の地を守りなさい。
ただし院方に参ろうとする者は、ただ今申し出るとよい」
つまり、北条氏に従うというより、御家人たちに頼朝以来の御恩に奉公で幕府に忠義を示せ、でなければ院方へ行けという内容 >>166
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/179/yousi/yo1790305.htm
?
第179回国会 請願の要旨
新件番号 305件名 日本国憲法(占領憲法)に関する請願要旨 (一)日本国憲法であると詐称し続けている占領憲法は、GHQの軍事占領下で我が国の独立が奪われた時期に制定され、独立国の憲法として認めることはできない。
占領憲法第九条第二項後段の交戦権とは、アメリカ合衆国憲法にいう戦争権限と同義であり、宣戦、統帥、停戦、講和という一連の戦争行為を行うことができる権限のことである。
交戦権がないことから戦争状態を終了させる講和行為を行い得ない占領憲法が仮に憲法であれば、我が国はサンフランシスコ講和条約によって戦争状態を終結させ独立することができず、
大日本帝国憲法第十三条の講和大権によって戦争状態を終了させて独立を回復したことになり、大日本帝国憲法は現存している。
(二)つまり、占領憲法は、無効規範の転換理論を定めた大日本帝国憲法第七十六条第一項により、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印からサンフランシスコ講和条約に至るまでの一連の講和条約群の一つとして評価され、大日本帝国憲法の下位規範としては認められる。
(三)昭和四四年八月に岡山県奈義町議会が「大日本帝国憲法復原決議」を可決したように、国家にとって他国による干渉行為がなされたときは、まずは原状回復をすることが国際的にも普遍の条理である。
(四)北朝鮮に拉致された被害者、ソ連(ロシア)に奪われた北方領土、韓国に奪われた竹島について、全て完全な原状回復を実現することが我が国の基本方針とすれば、国法体系についても同様でなければならない。
(五)まして、皇室の家法である明治二二年に制定された正統な皇室典範は大日本帝国憲法などと同列の国家の最高規範であるにもかかわらず、これを廃止させた上、占領憲法下で同じ名称を付けた昭和二二年の法律である皇室典範(占領典範)は、
法令偽装の典型であって、国民主権の占領憲法により、国民を主人とし天皇を家来とする不敬不遜の極みである皇室弾圧法にほかならない。
(六)国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄して、速やかに占領典範と占領憲法の無効確認を行って正統典範と正統憲法の現存確認をして原状回復を成し遂げる必要がある。
これによって、拉致問題、領土問題、教育問題、原発問題などについても原状回復による解決が図られ、祖国の再生が実現し得る。
ついては、次の事項について実現を図られたい。
一、憲法問題、典範問題、拉致問題、領土問題、教育問題、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は、原状回復論でなければならないことを国会議員全員が自覚すること。
二、占領憲法が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存することの国会決議をすること。
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All rights reserved. Copyright(c) , House of Councillors, The National Diet of Japan 片岡鶴太郎(北条)
片岡孝夫(天皇)
片岡孝太郎(足利) 北畠の進撃を食い止めた土岐と九州落ちへの追撃を防いだ赤松の仕事が決定的だったな >>198
承久の乱の際に幕府が出した軍勢催促状って、鎌倉幕府の発給文書の形式としては、
普通によくある「関東下知状」の形式で、そこから何か通常の発給文書とは異なる
雰囲気を感じ取れるかと言われれば、正直それはないように思うのだが・・・? 三寅が鎌倉にいてその後見として従二位の政子が尼将軍となり政務を代行している(実際は義時だが) >>100
二階堂の北九州男さん、先日の時専の「子連れ狼」でも、
「拝一刀など、我々柳生の門人で事足りまする」みたいなこと言ってたなw
スレチでしたm(_ _)m >>103
義時の父、時政が北条一族すべての祖らしいが、
己の権力維持のために実の孫(源実朝)まで殺そうとする外道なので、
義時と政子姉弟から追放。初代にしてもらえないw >>109
Wikipediaによれば、長谷川初範が建武政権転覆の企てが弟の密告で露見。
武田鉄矢と柄本明によって捕えられ、小松方正によって処刑されるのね。
ドラマではそこまでやりませんよ。六波羅陥落時におじけづくところまでw 時政は実朝暗殺前に没した
直接指示したのは頼家の時? 頼家殺害も時政よりも、義時の指示説の方が有力
時政はその後、実朝暗殺計画を立てたが、義時らが反発して御家人たちの支持を失い、出家、伊豆へ追放されてその後は歴史の表舞台に立つことなく亡くなってる
実朝が公暁に殺害された件に時政は関与してない >>210
むずかしい問題だな
北条義時は、もともと源頼朝の妻の北条政子の弟に過ぎなかった
源頼朝も、自分の女房の弟だからと特別に目をかけてやって幹部の一人として重用する
ところが、このコネ採用だと思われていた男が
源頼朝の死後は意外にも豪腕を振るうことになる
「草燃える」では松平健が演じていた
序盤では、岩下志麻の弟という地味でボンクラな存在だったのが
後半ではドンドン存在感を増していく
再来年の大河ドラマ「鎌倉どのの13人」では、ついに主役として扱われることに >>213
そうかな?
奥富敬之先生なんかは、あとあとまで政子と義時の姉弟は、仲がいい
頼家暗殺を義時が指示したとしたら、あれほど姉弟の仲が良かったはずがない、と言ってるけど >>200
大いなる誤爆かとおもた(誤爆みたいなモンやが)w >>214
暴れん坊将軍が始まった翌年に、草燃えるの北条義時か。
吉宗よりも、はるかに天下人ですよw
マツケンさんも、勧善懲悪ヒーローよりも
ブラック義時のほうが面白かったんじゃないか?
俳優は悪役やるほうが楽しいっていうもんね。 頼家自身が母の政子より嫁の実家で乳母でもある比企氏にべったりやったから政子的には頼家よりも実朝のほうが可愛げがあったのかと
頼家が将軍引退後隠棲中に実朝を害そうとしてたら、義時は頼家を暗殺しても道理があう
政子は複雑やろうけどやむなしとは思うかも >>211
西園寺の倒幕失敗→中先代 は無かったっけ? >>218
岩下志麻
長男の郷ひろみは乳母べったりでムキー、次男のウルトラマンタロウのほうが可愛い
長男の伊達政宗は気性が荒くて最上義光とも仲が悪くてムキー、次男の小次郎のほうが可愛い
長男の徳川家光はホモで乳母の春日局にベッタリでムキー、次男の国松のほうが可愛い
つまり、すべて岩下志麻が諸悪の根源 >>220
信長母の土田御前ないのが残念だw
しかし足利さん家は別だが、
南北朝発端の後嵯峨院夫妻からして
どこの家も親が次男贔屓で揉めてるな… 鎌倉幕府のトップ会議で「恩賞であたえる所領がありません」とか言っていたが もう武家政権の限界がこのときにきてたんだなと 解決するのは明治時代までまたなければいけないんだなと >>219
ドラマでは、北条の残党が鎌倉で反乱(=中先代)は触れられてるが、
西園寺公宗は「どこへ逃げれば・・・!」で退場。あまりネタバレしたくないのですが(;^ω^) >>221
その点、足利兄弟の母、清子さんは最期まで「仲良く」でいいお母さん。
同じ格好で「風林火山」では、別人格の寿桂尼。
さすがは、藤村志保さんです d(^_^o) 鎌倉幕府と秀吉が戦ったのは外国だから土地を恩賞に出せない
南北朝時代は国内を二分した戦いだから敵方の土地の手形を恩賞にしてぐずぐず >>222
だから、金八が「長い戦いになるぞ」と言ってた ショパンはちゃんと後醍醐暗殺計画で見せ場を与えられているよ
逮捕シーンはあるけど処刑シーンはない >>210
「草燃える」では実朝を暗殺した公暁を唆したのは乳母夫でもある三浦義澄で本人も直後に殺されてしまう
義澄の暗殺の本命は実朝に随行していた義時だった
実朝の乳母は姉の保子(北条氏の旗頭)なので暗殺を許す筈はないよね
だから三浦義澄も実朝だけてなく義時も暗殺出来たら北条氏にとって変わろうとしたのでは? >>222
荘園と非御家人の分があるから限界はもう少し先かな
もっともこの後室町と戦国で阿鼻叫喚の奪い合いが待ってる訳だが 恩賞であたえる所領がありませんと言っても
守時も言ってた様に北条一族が土地を持ちすぎてたんだろうけどさ
ちなみに室町時代も幕府の幹部である山名氏が
1大名でなんと11カ国も保有してたらしいねw
まさに1大名で足利将軍家を上回ろうと言うぐらいの権勢だ
それに比べて江戸時代は300藩にも分かれて居た
江戸時代の方が平和で公平な時代と言う事が出来るな >>222
その点、織田信長はすごかった
手柄を立てた家臣には茶器を与える
しまいには
領土や城をもらうよりも茶器のほうがよかったと
いう家臣まで現れることに >>231
荘園と非御家人の分って、意味が分からん。
この時代の荘園には、御家人の所領である場合も、非御家人の所領である場合も、
どちらのケースもあり得るんじゃないのか?
あと鎌倉殿と主従関係にはない非御家人の所領に関しては、荘園であれ、公領であれ、
幕府は基本的に手出しできないのでは? 信長の頃の茶器って今で言えばいつでも高額で換金できる高級車や宝石みたいなものやろ
ヤクザが普段はベンツ乗って高級腕時計とか持っててもいざ抗争が起きたらそれを元手に若いものに武器持たせたり、鉄砲玉になった報酬にするために換金したりする
当時の鉄砲の売買は堺が主でその堺では茶器も高価格で売買できたので、鉄砲を含めた武具は当然のことだが、傭兵まで手に入れることができた
土地は堺で売買はできないし、商人たちも戦国期なので維持管理を考えると手は出さない
鎌倉期は貸上という名の金貸しがいて、御家人を含めた土地を担保にした金貸しをして実質領土の売買をしてたから、幕府が徳政令まで出して御家人らを金貸しから本領を守ろらせようとした
だが、その結果御家人らに貸上は金をかさなくなり、余計、貧しくなったという説まである >>235
鎌倉幕府の限界ではなく武家政権の限界の話でしょ
前後の流れで文章読もうよ 鎌倉時代から金貸しや商人が相当力持ってたって事になるのか 千寿王殿、また馬に乗せてやろうぞ
母を頼むぞ
御分別じゃ
うろ覚えだけど、このシーンが好き 千寿王を背中に乗せて自ら馬になったシーンだっけ
いつごろだっけ >>238
土地を分割相続するから細分化
京都警備で上京したりするから金がかかる
元寇に参加した武士は自費で賄ってるから困窮
金貸しに頭を下げる御家人が多かったって聞いたけど 一括相続になったらなったで誰が惣領になるかでさらに揉めるんだよな >>244
昔はコメ農家だって長男がすべて相続
弟は居候みたいなもんで何ももらえない
兄弟で田を分割すると
田分け者(たわけもの)と呼ばれた 室町時代から明銭が大量に流通して
貨幣経済化
貫高制に
豊臣政権から明からの銭の輸入がストップ
銭不足でデフレ
銭本位制から米本位の石高制に移行した 鎌倉時代は天候不順だったが人口は増えたと聞くぞ
武士が力持って鉄を武士が自由にできるようになり開墾も進んだ
武士の土地が細分化していくということは武士の人口が増えたということだ >>240
後に成長した義詮を、直義が「愚か者」呼ばわりもしますがw >>248
幾ら有能だったとしても庶子を後継にはならないでしょうに、自らの母親も北条一門だった事忘れていたのかな? >>237
前後の流れを見ても、「荘園と非御家人の分」というのが唐突すぎるし、一体どういう
ことを言っているのかさっぱり分からないから、聞いているのだけど・・・? >>249
なんか噛み合ってないような
庶子は直冬で千寿王は嫡子だろ?
尊氏母は上杉だし >>236
そもそもの発想として、将軍からの御恩として貰った所領を売買の対象とすること自体が
無礼・不敬であって、本来あってはならないという意識もあるみたいだけどね。
ただその場合、将軍からの新恩ではなく、本領として元々持っていた所領はどうなのか、
という問題はあるが。
>>242
御家人が軍役の奉公をするのは、戦後に恩賞があるのが前提だし、幕府のほうもそういう
了解のもとに彼らを動員している。
ただこの構造は、鎌倉幕府が治承・寿永の乱や承久の乱という大きな戦乱を経験しながら
確立した結果、幕府の成立期には手元に大量の没収地があり、なまじ恩賞を大盤振る舞い
できたことによる部分も大きいからね。 >>249
>自らの母親も北条一門だった事忘れていたのかな?
それは、ドラマには出てこない、尊氏・直義の長兄、高義ですね。
母親は金沢貞顕の妹。ドラマでも初期に触れてるが、高義はいなかった扱い。
高義が生きてたら、北条を攻める可能性は少ない。 >>245
平安時代や江戸時代前半は大開墾時代だったから
新田開発しまくり
石高倍増、人口も倍増だから分家しまくってたわけで
基本的に惣領相続制は低成長期のたまもの
高度経済成長期は分割相続基本 足利氏は大族だから
分割相続しても宗家が没落する事もなく
金銭的な借りもなかった(影響なかった)のかな
新田氏は
鎌倉幕府内で良い目をみてないから
鎌倉末期には借金で破産寸前だったって言う人がいるけど >>250
それはまぁこっちも明治時代までの武家制度の話が突然鎌倉時代限定の話にになってる意味が全く分からないんだけどね
言葉の定義云々じゃなくてあくまでも守時と円喜の言い争いからの流れだぞ? 鎌倉公方ってタワケ?
頼家強制隠居で
実朝と一幡で東西分割してたな それはヒッキーに対する建前で、
後にヒッキー一族と一幡は滅亡させられている。 >>257
そもそも武家政権の制度自体も、中世と近世じゃ全然違うし、それを一緒くたにして
言うのも、違和感はあるのだが。
だからこそ、書いた本人に聞きたいわけで。 >>254
>>255
分割相続による御家人の零細化は、御家人役を負担する層の没落、さらには幕府自体の
弱体化に繋がるから、幕府側としてもだんだん好ましいものではなくなっていく。
江戸時代の百姓の場合も、年貢を負担する層の没落を嫌がる幕府や藩の側の意向で、
田畑永代売買の禁令や分地制限令が17世紀の半ば以降、出されていく。 というか武家政権の限界っていうのが意味不明だな
政権への抵抗勢力との戦争をして勝てば敵方からの没収地が手に入るわけで
それを恩賞として動員した武士たちに配分すればいいだけなんだし
場合によってはこれから叩き潰す敵方の土地を指定して切り取り次第というのもありだし
室町幕府や織田政権なんかはこの手法を結構やっている
逆に江戸時代のように戦争がほとんど起こらない社会になれば恩賞を出す必要もない 草燃えるで治承寿永の乱が終わった時もう手柄立てる機会がないから
寂しいぼやいてたな
土佐房が義経暗殺に立候補して周囲がアイツはろくに手柄なかったから
焦ってるんだ言ったりさ
鎌倉幕府100年の平和の歴史が御家人層を貧困化していくってのは歴史の皮肉だね >>263
おいおい、鎌倉幕府は定期的に大きな内紛を繰り返しているぞw
それに中世は自力救済OKの社会だから、幕府の関与しないところでの地方の小規模戦闘なんかも、無数にあると思うが? >>264
そんな内紛なんかどうでもいいんだよ
武士はしょっちゅうやってて乱とは言えんレベル >>260
話に乗って会話するんじゃなくて自分の中の知識と合って居るかどうかを会話するタイプなのかな?
5chだし自分と合わない会話は無視した方が平和だよ モンゴル人が攻めてきた
つまり元寇
鎌倉武士たちも九州まで駆り出されて
命がけで戦ったのに恩賞なし
要はタダ働き
豊臣秀吉の朝鮮出兵もそうだが
タダ働きさせられた恨みがその後の政権崩壊につながる
後醍醐天皇もその点はアホだった
足利尊氏にそれなりの恩賞を与えれば安泰だったのに
それをケチったばっかりに
タダ働きさせられた足利尊氏が怒ってしまい… >>265
地方の小競り合いで勝って族滅して所領ゲットと大規模合戦で恩賞で貰うのはやっぱり違うってことだよね >>267
播磨の赤松を冷遇したのは悪手だったな
その後に果たした役割を考えたら勿体無いことをしま 族滅なんてそうそうないよ
婚姻やらいろいろ複雑だからね
力づくで土地を奪ったら訴えられるから自分の所領だという証拠を
提出しないといかん そこで鎌倉(頼朝)殿の署名入り偽文書登場ですよ
まぁバレるんだけどねw >>266
相手に話に乗って欲しければ、まず相手に分かるように書くことが鉄則だと思うけど・・・?
無論わざと変なことを書いて注意を引く手法なら話は別だけどさw
というか、お前は「荘園や非御家人の分」ってレスを書いた本人なの?
もしそうじゃないなら、それこそ自分に関係のないレスは無視した方が平和だよ。 >>267
後醍醐天皇は尊氏にそれなりの恩賞は与えているし、赤松円心はともかくとして尊氏の
建武政権離反は、別に恩賞への不満というわけではないでしょう?
>>273
そりゃ頼朝が直接出した所領の宛行状は、余程格式の高い相手の場合を除いて、
ほとんどの場合、基本的に花押のみの袖判下文だからな。
頼朝本人の署名なんてあったら、それこそ偽文書の疑い濃厚だw >>271
大塔宮派の排除という点では短期的には成功している
大塔宮派だった赤松が後々足利と結んで持明院統の擁立に向かうなんて
あの段階では誰にも想像できまいて >>275
同一人物でも時間の経過によって花押の書き癖とかの傾向が微妙に変わってくるから
そこから偽文書を見抜くという手法もあるらしい
尊氏の文書でも日付は建武の頃なのに花押の形が晩年のものということで
偽文書認定されたケースもあるとか
まあ偽文書を作った奴は尊氏の花押の形を一生懸命真似たのだろうけど
時期が合っていなかったという残念なパターンだな というか袖判下文って結構洗練された文書様式のように思えるのだが
室町幕府は何で義満以降この様式をやめちゃったのだろう? >>272
なんか最近、「族滅」って言葉にやたら拘っている奴がいるよな >>278
ところが戦国期になって、大内が家臣への領地宛行にその袖判下文を懐古趣味のように
使い始めるのは、興味深い。 ところで楠木が本当は御家人って説はどのくらい有力なん? まあ日露戦争なんかも一応勝ったことになってるのに、
なんにも得るものがなかったんだから、そりゃあ国民総出で激怒とはなるわな。 >>283
日露戦争で得た一番大きなものは、一等国としてのプライドなんじゃね? >>274
本人だけど、言葉の定義にこだわって話がズレるのに付き合う必要も無いんだよ・・・
どうしても理解できないのが納得行かないそれはあいつが間違ってるから問いただすんだ!というなら好きに書いて、スルーするからさ >>283
満州の利権を得ただろ
それが原因で国を滅ぼすことになるんだけど >>277
話はしょるけど頼朝の書状が有れば裁判に勝てると偽文書作っての訴えが結構あったんだってさ
だから鎌倉時代でも花押やその他の方法で真偽鑑定をしてたんだろうね >>285
別にこちらは、お前を貶しめたり誹謗中傷したりする意図もないんだけどな。
ただ意味のよく分からないレスを見たから、どういうことなのか聞いているだけ。
答えたくなきゃ、それこそ変に話が拗れるような反応をされるよりは、最初から
スルーしてくれたほうが、こちらとしてもいいわけだが。
というか、お前は何で毎回IDがコロコロ変わるの?
荒らし目的で煽っているのかと、一瞬思ったぞw >>288
了解、まぁ諍いは犬に食わせよう
話の流れで細かい言葉の定義は敢えて無視して話すからその時点で最初からスルーしてくれるとこっちも助かるわ
あとWifi圏の出入りとかそもそも時間で自動にIPが変わる通信会社も有るんだよ、普通に話してていきなり別人になってると自分でもビビるぞw >>277
頼朝や尊氏のその手の偽文書は、所領支配の直接的な根拠を求めるためというより、家の
由緒・格式を高める意図で、子孫がやっているケースが多いように思う。
例えば、その所領を得たきっかけが実際は承久の乱の恩賞であることがいろんな史料から
明らかで、所領保持の正統性だけならそれで十分なのに、わざわざ子孫が頼朝による
宛行状を偽造したりみたいな・・・w
まあ所領裁判の際に証拠能力を持たせられるレベルの精巧な偽文書を作れるレベルの
リテラシーは、正直鎌倉段階の武士では厳しいイメージ。 >>289
じゃあまあ、答えたくないレスはスルーすれば良いのもお互い様だし、
他人の書き込みに対して聞き返すレスをする自由があるのもお互い様ってことで、いいな? >>226
> 鎌倉幕府と秀吉が戦ったのは外国だから土地を恩賞に出せない
> 南北朝時代は国内を二分した戦いだから敵方の土地の手形を恩賞にしてぐずぐず
明の介入でムリだったが
太閤は大陸の地を恩賞にするアテだった >>291
もちろん
変なレス付けられたことに言い返すのもお互いの自由だからそれも認めて納得しような けんかすんなよ、ドラマのスレだよw
>>290
>リテラシーは、正直鎌倉段階の武士では厳しいイメージ。
正直って言葉いらないから消しても通じる
リテラシーは、鎌倉段階の武士では厳しいイメージ。
いちいち正直をつけるのはバカのやることだよ(^^♪ そうそう
他人のレスを何でも自分のレス内容を問いただす詰問のように捉えて過剰反応しなければ
何の問題もない
>>294みたいなあからさまな煽り目的のレスは尚更だけどw >>292
確か鎌倉幕府も恩賞地確保のために
元寇後に逆に半島に攻めこむ計画も立てていたような >>255
鎌倉幕府も原野を与えて「好きに開拓していいよ」じゃダメだったのかな >>297
建前だけな
それで少弐は怒り心頭、鎮西探題滅ぼし尊氏に付いたんだろうさ
娘も差し出したが相手が直冬ってのは目がないな >>293
そりゃ無論そうだろ。
意味不明なレスに突っ込みを入れるのも自由。
犯罪予告とかでない限り、相手の言動も縛らないが、自分の言動も縛られないのは、
そもそも5chの鉄則だ。
『逆説の日本史12 近世暁光編』
井沢元彦、 小学館 (2008/6/6)、p10
豊臣秀吉の「唐入(からい)り」は惨憺たる失敗に終わった。その結果、豊臣政権は崩壊への道をたどる。だから「愚挙」だったというのは一面の真理である。
だが、頭からそう決めつけるのも正しいとはいえない。残念ながら、ここでも言わねばならないが、日本の歴史学界は視野が狭いと思う。
近代以前の日本史の中においては、本格的な対外侵略はこの秀吉の例が一つあるきりだ(神功皇后の一件は神話だと既に言った)。したがって、どうしても特殊なケースを考え、それに対応した特殊な分析をしがちになる。
しかし、目を世界に転じれば、対外侵略など珍しいものではない。アレキサンダー、アッチラ、カール、十字軍、チンギスカン、ナポレオン――むしろ侵略したり侵略されたりが当たり前の世界である。
そして、そのことが歴史を動かしてきたことも事実だ。アレキサンダーの遠征はヘレニズムの文化を生み、アッチラの侵攻はゲルマン民族の大移動を促し、カールの征服はヨーロッパ社会の原型をつくった。
「英雄→対外侵略」というのも、明らかに一つの「法則」がある。
既に言ったことだが、大切なことなのでもう一度言おう。決して難しいことではない。
英雄がいる、ということは乱世なのである。平和な国には英雄はいらない。戦乱の世になってこそ人は英雄を求めるし、それに応じて英雄が出現する。これも当たり前の話で、その時々の中で、最も求められている能力を持つ人間が頭角を現わす、ということだからだ。
乱世には多くの英雄が出る。中国の「三国志」時代はその典型だ。しかし、いつまでも群雄割拠では世の中は治まらないので、英雄は「つぶし合い」、最後に最も優秀な、具体的に言えば軍事の天才が勝ち残ることになる。
ところが「つぶし合い」が終わったということは、戦争がすべて終了したということでもある。つまり、統一された国家に、極めて優秀な軍隊と優秀な指揮官が残った、ということだ。
しかし軍隊の主たる仕事は戦争である。通常は国を守ればいいのだから、そんなに人数はいらない。しかし、乱世の収束時には直前まで内乱を戦っていたのだから「定員」以上にふくれ上がっている。
それなのに戦争が終わったということは、もう彼等の仕事はない、ということなのである。
「君たちの仕事は終わった。全員解雇だ」と言えればいい。だが武器を持った兵士にそんなことを言えば反乱が起こる。
実例がある。江戸時代になって、徳川幕府は多くの大名を取りつぶした。「会社」を倒産させ「社員」を失業者にしたのである。だが、巷にあふれた、この「元社員」は武器を持っている。
いずれ江戸時代の編で詳しく触れるが、油井正雪の乱(1951)はこうした背景で起こった。
これ以後、幕府も態度を改め、浪人対策つまり「失業者雇用対策」に努めるようになったが、その問題は実は秀吉の天下統一の時点で既に発生しているのだ。
つまり「唐入り」とは、いや「唐入り」に限らず、多くの英雄たちの対外侵略とは、軍事バブルでふくれ上がった兵士に対する「仕事の創出」つまり雇用対策なのである。国内には敵はいない。すなわち、戦争の種はない。
逆に言えば、国内に敵がいないからこそ、国を留守にできる。だから外に行く――。 >>300
だからそんな5chでお前の意味不明なレスにわざわざ相手してあげただけでも感謝して欲しいんだけどな
それとも自分が納得する解答が欲しいの?5chの鉄則(キリッ)とか言ってるのに一名無しにそれ求めてだだこねるの?
あとレスに自分からレス付けてそれへの反応にキレ続けるってどうなん?
5ch的な反応なら顔赤くしてないで回線切って寝ろ案件だぞ 何か凄くキモい奴がいるな
穏便に話が終息しそうでやれやれと思っていたのに、また突然キレ始めるとか何なんだ?
とりあえずID:z6VbB2gEには、もうこれ以上ID:mXeFd6Tqの相手はしないように願うばかりだ >>303
アフォー、そこは夜討・強盗・謀綸旨だw BS前回クレジット
乞食 平田まり
女で乞食役とか初めてみた
てか、乞食のキャスト名が出るのも最近はないw >>308
その人はどういう役者なの?
キャスト名が出るってことは、単なるエキストラというわけでもないのかな ドラマでもそのうち出てくるが、とりあえずwikiで「二条河原の落書」を見るべし >>310
乞食の子に高氏が恵もうとしたら
それを拒否した母親の役だと思われる >>301
しかし伊沢元彦って何であんなに嫌われるんだろ?
昔はNHKの歴史教養番組とかにも、時々登場していたけど、最近はまず出てこないよな 歴史研究者をことごとく無能扱いして否定するからじゃね?
そのくせ、いろんな人の説のパクリとコピペだけで構成した妄想を垂れ流す点では、
百田某なんかと同レベルだしw >>315
学者は根拠を示して物を言うしかないけど
この人は「小説家として自由な発想」で語るから
素人にはわからないけど
学者筋からは失笑ものだったりするんだろうな ヨタ話レベルのことを「これが歴史の真実!!」みたいに喧伝して
あたかも史実であるかのように書いて売ってるからやろ
ヨタはヨタだと言わないとな 井沢さんはハナシが面白いから それだけで満足ですよ 歴史は熱くかたってくれたものが勝ちですよ この時代にもし選挙があったら 後醍醐天皇と赤橋守時 どちらに投票するか
どう考えても後醍醐の圧勝だよな 現実的な公約しかできない赤橋より 誇大妄想としかいいようのない公約をする後醍醐に票があつまるはず
赤橋「まず治安の回復と疫病にたいする緊急財政支出を・・・」
後醍醐「国民の所得を10倍にします!」 顕子を見ると催眠術にかかったようにアホになるのなんなの >>317
素人目にも荒唐無稽すぎる話ばかりなのは分かるよ shintaku-obachan.cocolog-nifty.com/shintakudaisuki/2006/08/post_3599.html
2006年8月 5日 (土) 井沢元彦さんの「逆説の日本史」〜後醍醐天皇は、なぜ改革に?〜
時代の変わり目には、強烈な個性の人間、たとえば織田信長や豊臣秀吉などが現れ、独占的排他的権力を握って大改革を行っています。
後醍醐天皇も同じようなことをしようとしたのですが、織田信長や豊臣秀吉は、それなりに業績を残し、現代においてもそれなりに評価されています。
彼らと比較して後醍醐天皇はどうでしょうか。なるほど戦前教育の世界では建武の親政は非常に高く評価されたともいますが、現代ではあまり評価されていないような気がします。なぜなのでしょうか。
2.人には実力主義を押し付け、自分は世襲を望んだから?
井沢さんの文章から信託大好きおばちゃんが結論付けたのは、後醍醐天皇は、人には実力主義を押し付け、自分は世襲を望んだからだと思います。
彼は政権を握ると、何事も天皇が最終決定権を持つというように決めました。このように天皇が最終決定権をすべて持つというように決めたのは、きわめて異例です。
たとえば明治から第2次世界大戦までは、天皇が非常に権力を持っているように思われますが、実際は天皇の下の機関がすべて決め、責任をとり、天皇はそれを認証するというシステムだったのです。
いわゆる「よきにはからえ」だったのです。だってそうしないと、何かトラブルがあったときに畏れ多くも天皇が責任をとらないといけなくなるから。
で、この何でもかんでも最終決定天皇システムはすぐに破綻しました。しょーもない揉め事も自分で解決しないといけなくなって大混乱したから、ほーり投げたのでしょう。
なんでもかんでも最終決定権は自分はうまくいかなかったけど、彼は自分が権力を握るためには、自分の意思にそって動く官僚組織が必要だなと思いました。
日本は貴族や武士も世襲で既得権を握っているのが悪い。でも中国では科挙という制度で実力主義で官僚を登用し、世襲させずうまくいっている。だからこのような制度を作ろう。
そうだ試験制度を作ろう。儒教は難しそうだったら和歌でも蹴鞠でもテストすればいいじゃないかと思ったかもしれません。実際に科挙をやったかどうかはわかりませんが、後醍醐天皇は実力主義で官位を与えようとしました。
でもうまくいきませんでした。人間っていうのは既得権益を守るのに必死な生き物です。だからそれを奪おうとする勢力には徹底的に抵抗するわけです。
でも奪うことにより、他の多くの人々の望むような世の中を作り出せるなら支持もあったのですが、新しいグランドデザインが人々の望むようなものではなかったのでしょう。
また後醍醐天皇は人には実力主義を要求しましたが、自分は世襲を望んでいたと思います。中国で科挙制度が認められたのは、皇帝にも実力主義を要求し、だめなら退場となったからです。
そして最後に日本という国は、なんじゃかんじゃいってもいまだに血統主義、世襲を重んじる世界なんです。だから天皇制度も続いているし、いろんな職業だってある程度の権益のあるようなものだったら代々継がせているでしょう。
昨日から伊沢の妄言の長文コピペをしている奴は、何が目的なんだ? 足利惣領家が足利荘に対して持っていたのは、地頭職ではなくて領家職なんですか? 俺は井沢好きだな
間違ってるとかって問題じゃなくて
奴の電波妄想含めて一種の読み物として好きだわ
ただし平安時代まででそれ以降はそんなに好きじゃない ↑
明らかにバカだろ
板違いスレ違い、くそつまらない >>327
本家、領家、地頭
とか何重も階層構造になった中世利権はマジわからん 現代でも土地の権利関係って難しいからね
つい最近も地面師なんて詐欺もあったくらいだし
太閤検地でかなりスッキリさせる以前なんて複雑すぎて大変だったんだろう 現在も土地の境界線ははっきりしてないところ多いってな
災害で全壊して復興する時境界定めるのに大揉めして苦労するとか ただ本家・領家と地頭の権利関係の問題は、境界線がどこかという問題とは違うんじゃね?
鎌倉幕府の所領裁判で下地中分が行われた場合は別だけど 領家・本家への上納分って、基本的には寄進の際の契約によるのでは?
寄進後に新たに在地領主が開墾した新田とかは、そもそも寄進分とは別のような・・・? >>332
だって田舎の農家なんざ境界線が「屋根の雨垂れの筋」なんて訳わからんのがあるからな。
ましてや鎌倉時代ならばちゃんとした所でなけりゃ領地の境界線なんて原野みたいなものだから
そりゃわざとも含め境界犯したから乱妨だの、木を伐られただので評定所に訴訟して下文の発給なんてのがしょっちゅうなのも仕方ねぇんだろなと思う。 土地の境界は新たに買う人と近所の人が指さし確認しながら決める >>320
民主やこないだの山本太郎に入れたタイプだろ
甘い話をする政治家は疑えよ どっちかっていうと後醍醐は改憲!アベノミクス!なタイプでしょ >>341
尊氏はミンスや太郎に騙された愚民だったのか >>336
足利荘が八条院領であることは、少なくとも太平記ヲタなら常識的なことだろ? 木っ端武士に官位を乱発したのも宮方だよね
これは今でいう利権体質 もし鎌倉幕府が後醍醐による倒幕という最大の危機を乗り越えられても、悪党上がりや有力御家人たちが地方の覇権を争う戦国時代のような状態に100年以上早くなっていたのだろうか? 得宗20年限界説
時氏が早世して一代飛んだのが後のしわ寄せに
時氏母は三浦氏つまり三浦の深謀遠慮がじわじわ
時氏て名前からして足利氏が烏帽子親かな 勿論、時氏も含めて短命の得宗が多いのは確かだけど、
時宗がもうすこし長生きしていたら、平禅門さんも無茶できなかったろうし
そうなれば貞時がその反動で専制化して、
北条諸流を闇討ちしようとした末に失敗して無力化することもなかったろう モンゴル人を相手に戦争したら
そら早死にするやろ
貴乃花親方もモンゴル人ともめごと起こして
地位を追われてしまった 領地にはかぎりがあるから 殺し合いをするしかないのかなと >>351
足利氏が烏帽子親だとすると、可能性があるのは義氏だけか?
泰氏だと時氏よりかなり年下になるし。
>>352
時宗だって長生きしていれば史実の貞氏と同レベルに専制化したと思うけどなぁ。
それに得宗専制が強まろうが弱まろうが、霜月騒動の背景となったような路線対立も
鎌倉幕府は抱え続けるだろうから、時宗さえ長生きしていれば丸く収まるというものでも
ないと思うよ。
あと元寇の際の恩賞地確保のためにも、意図的に内紛を起こして、有力者を誰か潰す
必要もありそうw >>348
限界悟った段階て足利を次代の棟梁として征夷大将軍に推戴すりゃ得宗の権力はともかく鎌倉幕府自体は永続したろうが
家康の開幕時みたいに上手く改修もってかんとすぐ不安定化するわな >>356
武家を将軍に擁立した場合、傀儡化はできないだろうし、摂家将軍や宮将軍のように
定期的に追放して首をすげ替えるわけにもいかないから、尊氏と直義の二頭政治のような
状況になって、かえって大きな戦乱の火種になりそうな気がする。 なぜ足利を征夷大将軍にすると長続きするんだ?
むしろ討伐してその土地を恩賞にばらまいた方が良いだろ ちなみに江戸幕府だと大名に幕府に反乱を起こす力を持たせないよう必死だったけどね
江戸時代だと300藩にも分かれ1大名の領地が室町時代に比べて明らかに狭かった
つまり反乱を起こそうにも資金も兵も少なかった
しかもそれに加えて遠い江戸への参勤交代で大金を使わせ
大名の妻子を江戸住まわせ人質にした
江戸幕府の方が上手い事 大名の反乱を抑制していたな 江戸幕府も朝廷が薩長についたらあっという間に終わったな
あの時代に後醍醐がいたら大変だったなw 豊臣秀吉の朝鮮出兵だが
まだ戦したい戦国大名に土地を与える為と言う説が昔は有力だったけど
最近は当時世界で植民地を広げていたスペイン・ポルトガルに対抗する為と言う説が出て来てるよ
いずれスペイン・ポルトガルが日本を侵略しに来るかも知れない
その前に朝鮮・明を日本領にし日本を大国にし
スペイン・ポルトガルに対抗しようと
豊臣秀吉が考えたと言う説が出て来てるよ >>359
江戸期の外様大藩(20藩前後)は、一国レベルかそれ以上の地域を一円支配しており、
一円支配とは程遠い状況であった室町期の守護大名なんかより、経済力、動員可能兵力、
現地での支配力のすべてにおいて、強大な力を持っていると思うけど・・・?
戦乱の多い中世とほとんどない近世の違いは、そんなことより社会構造の根本的な違いに
起因する部分が大きいよ。 鎌倉幕府も改革しようとしたんだよ、元寇の後に、安達泰盛って人が。
けど得宗御内人の平禅門って人に殺されちゃったのよ。 室町幕府だと山名氏が最大で11カ国を保有するなど
有力大名の連合政権と聞いてさ
江戸幕府でも大大名が居たんだな 室町期の大名は領地は多くても一円支配が出来ていないから
江戸期の大名の権力とはまた違う 中世荘園が基本構造の鎌倉室町時代の単なる警察組織+αの守護と
領国統治の全権限を持った江戸時代の大名とは違うわな 守護は本来的には各国における将軍の代理人(幕府権力の代理執行機関)のようなもの
守護職=一国の領主権と安易に考えるのは根本的に間違いだな 一円支配が完成された時代なら北畠顕家の奥州からの爆進のような事は無理だったろう ご新規さんに優しく教えるのは構わないが、
そっからスレチ脱線していくのいい加減にしない? >>360
杉の巨木の根元に玉座が据えられた夢を見て高杉晋作を召し出すとかw >>117
守時って最後まで損な役回りをさせられたな
北条一族には執権に祭り上げられたが、実権はなく足利へのパシリでしかなく
足利には妹を嫁にやって跡継ぎもできてるから、謀反の兆しがあっても滅ぼすまでの覚悟もできない
かといって北条一門として足利の離反についていくこともできない
守時にズルさがあれば、北条一門から離反して生き残るすべはあったかもな 赤橋の御曹司なのにか
幕府を支えてきたという誇りが赤橋家にはある
生き残ることには価値を置かないし足利に味方するほどの大義や意義も
見なかったんだろう
ほんとに新しい国づくりの魅力があるなら別だがそうじゃないからな >>365
>>367
そもそも守護としての分国は、一国まるごとその大名の領地というわけではないのだけどなぁ その幕府と北条一門が腐りきってることも自分にはもうついていく気力がないことも守時はぼやいていたからな
だからこそ、足利の謀反の兆しがあっても止めようとしなかったのやろな
トウコあたりから色々情報は仕入れてる野郎し >>372
杉の巨木の根元とかいうと、ネズミが二本の杉をかじり倒して虎になったという
北条早雲の夢の逸話(後北条氏の虎の印判状の由来とされる話)を思い出す。 守時って古典太平記だと最後も割とあっさり出陣してあっさり自害するけど
吉川英治の肉付けのおかげでこのドラマでもすごくいい役回りになってて
人気な人物になってるのはちょっと得してると思う 建武の新政の期間が短かったから、守時が足利に味方していれば、大塔宮の暴走もなく、公家と武家のバランスのとれた時代になったのかもな
足利と北条の連合軍とか、いくら後醍醐天皇が南朝とかつくっても短い期間の抵抗で終わりそう 守時は長崎親子には媚びないけど、有力な北条一門として得宗家には忠実であるという
雰囲気かな?
その点、貞顕は霜月騒動で父親が流罪にされたりしているのに、長崎にすり寄って執権に
なろうとしたわけで、節操ないなw 反得宗で足利と婚姻結んできた名越ですら幕府を裏切らないのに
執権が裏切るはずないw 守時は甥の千寿王が逃げるのに目を瞑ったことで足利へ気遣いをしたのかもね ドラマでも描かれてたけど貞顕本当に10日で執権辞めてて笑える >>342>>343
明治維新政府は一応「建武新政の中興」が建前だったことを忘れるなよ。 赤橋が裏切り者の汚名に耐えられるかな?
御内人を除くだけでよかったんだよ と言うか鎌倉幕府ってえらい短期間で滅びたよな
新田軍が物凄い大軍になったので北条の誰もが防げなくなるとはorz
本来なら鎌倉を守らなきゃいけない北条以外の御家人がこぞって裏切った
それだけ世間の人は北条に恨みを持ってたのかね?
ちなみに尊氏でさえも足利軍だけでは北条を倒すのに兵力が足らないので
一旦京の六波羅探題を倒して後醍醐軍と合流してから
鎌倉へ攻めの登ろうと言う感じだったのにな
尊氏も後醍醐もえらい短期間で鎌倉幕府が滅びたので驚いたぐらいだった思うのだがな 鎌倉幕府が滅んだのは時代の要請でしょう
どんなシステムも長く続けば制度疲労を起こすのが常
時代に合わせて変わっていくことができなくなった者から消えていくのだ
北条を恨んでいた連中も居ただろうが
武士ってのは勝てそうな方へ付くのが習性だからね
千早城がなかなか落ちず、後醍醐が隠岐から戻ってきた辺りで潮目が変わってたんだろう ドラマでは六波羅陥落の報が入って一気に流れが変わった
という描写だったな
尊氏もあとは新田殿だ、とか言っててさ 新田軍が鎌倉へ進軍する途中で起こった分倍河原の戦いは、六波羅陥落の情報が伝わった
ことが直線的な原因で、形成が逆転したといわれるからな。 鎌倉末期って
北条がライバル潰してきたから北条一強
反面、社会の矛盾とか悪政の原因にもされてるような
小さな武士団は生き残りに必死だから
六波羅がおちたから
時勢の変化を過敏に察して後醍醐方につく
足利が決起しても
六波羅が陥落しなかったら鎌倉幕府は潰れなかったのかな まあ潰れていいんじゃね
だから高時も子供は逃して自刃したんだろ
沖合に船があったから逃げようと思えば逃げられる >>396
六波羅が陥落しなかったら鎌倉幕府は潰れず
赤橋が長崎を追放して新生鎌倉幕府を開いてそこから200年安泰だっただろう 別に悪政の原因にはされてないんじゃね北条
だから150年後にまた関東は北条の支配下におさまる
中身伊勢氏だけどw 北条の最大の失政は身内の一門の知行地や領国を増やしすぎて、国衙領や荘園領主や地方豪族や他の御家人とのいざこざや問題が増えすぎたことやろな
法制や制度は有能だったので後世にも評価されて使われているということやろ >>373
守時の中身が導誉ならさっさと北条裏切るんだろうな 室町幕府は逆を行ってほぼほぼ調停機関になってしまうけどな
改革失敗したから叩かれるが義教だって
そこから脱却しようとしたんだろうけど >>400
室町幕府だって、結局全国の大半の国の守護を足利一門にしているし、その国の現地に
守護に適任な有力御家人がいない場合、一門を守護にしたほうが丸く収まるんだよ。
あと公家や寺社の荘園・公領の領主は、ぶっちゃけ年貢さえきちんと納入してくれれば
誰が現地を治める在地領主かなんてことに、そこまで拘らないと思うけどな。 >>396
鎌倉幕府の滅亡は、それまで水面下で蓄積していた社会の矛盾や不満を一挙に噴出させた
という点では、ある意味パンドラの箱を開けたような面があるな。 足利義教は関東管領の意見をいれて、そこそこの所で丸く収めておくべきだったな
鎌倉公方は疎ましくはあるけど、軽く扱うと自己否定にも繋がりかねない難しい存在だ >>407
鎌倉時代から室町時代にかけ
貨幣経済の発達も大きいやろ
平安時代から鎌倉時代は関東の原野の新規開墾進展によって、関東の経済力が巨大化
で関東に新たな権力ができる
室町時代は商品流通、貨幣経済発達で西日本の経済規模が大きく東を凌駕してきたから
中心が京都になるのは必然 鎌倉幕府の草創期でも、経済的にはどう考えても、西日本>東日本だと思うよ。
かといって407もどうかと思うけどw 守時は泰家が暴れてアタックチャンス失敗したツケを払わされたり本当に苦労人だよな
もし叶うならあの世で尊氏と守時が苦労話しながら笑って酒を酌み交わしてて欲しいと思う そういえば楠木が挙兵した河内の守護って、赤橋流だよな?
楠木の手下が襲撃していた河内の守護所にいたのも、赤橋の家来なんだろうな 鎌倉攻めは小田急江ノ島線とJR横須賀線に乗ってきた主力と京急本線に乗ってきた関東御家人と争ってる間に江ノ電に乗ってきた奴らが海岸線突破したイメージで合ってる? >>413
横須賀あたりは近代まで陸の孤島やぞ
六浦あたりは鎌倉の外港として発展
そもそも江戸はまだ沼地や原野ばっかり 関東は結局北条のもんだよ
足利のもんではない
北条のもんというより坂東平氏のもんというか >>415
鎌倉期なら坂東8ヵ国に陸奥・出羽・甲斐・信濃・伊豆・駿河・遠江が一般的な東国の範囲
承久の乱のときの軍勢催促の範囲もこれ >>417
横須賀線の北鎌倉と逗子で下車すれば丁度挟めるかなとw
地図を比較してみて電車の駅が有るところは昔から要所になってるんだなと思った 三浦安達を滅ぼしてーと連呼してたけど
高時の母も妻も安達な件 >>418
ただ北条氏が坂東平氏の主流であったかと言われれば、百歩譲ってもそれはないからなぁ。 >>420
横須賀線がトンネル作るまで横浜と山で隔離された土地よ >>416
関東で乱が起こる度に今川が主将になって平定してるから、やっぱりその辺が境目なんだな 関東の意味合いも時代によって変わってくるからね
最初はそれこそヨーロッパにおけるアジアみたいに、あっちの方くらいのもんだったんだろうし >>422
主流ではないがボスポジというか
源氏だとよそ者臭が出る >>424
それは今川氏の守護分国である駿河が、鎌倉府管轄エリアに接する最前線だからでしょ。
鎌倉府の管轄エリア
南北朝期:関八州と伊豆・甲斐・信濃
室町中期:関八州と伊豆・甲斐・陸奥・出羽
永享の乱以後:関八州と伊豆 >>425
少なくとも北陸を「東国」とは、常識的に言わない。
「東国」の範囲は最大限拡大しても、東海道と東山道のエリアまで。
北陸道は東国ではなく「北国」だな。 東国は鎌倉殿の全権委任地域
ざっくり東海あたりで区切っていいよ
北陸も東国に加えていい 北陸は江戸が名実ともに日本の中心都市になった元禄以降はダダ下がりで東北レベルの扱いになってしまったな
んで東北出身の政治家が多かったせいもあって新幹線すら後回し >>418
確認しておくが、後北条氏は平氏じゃないぞ
元々は三河にいた藤原さん
天照大神のお告げで、姓を平に変えたとカミングアウト済だ
どういった経緯か不明だが、三河に所領も持っていた
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏・伊勢俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・滝山寺僧
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・滝山寺僧
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 >>431
ちゃんと吾妻鑑を読んでいるか
トモちんが無断任官した奴等を罵倒した記録が残っているが、墨俣川から東に来たらヌッ殺すとトモちんが言っている
墨俣川とは現在の長良川だが、トモちん生存時は墨俣川(長良川)から東が東国が正しい
だが、注意点がある
東国は墨俣川(長良川)から東だが、尾張パゴヤは東国には含まれないらしい >>416
偏差値50の答えだな
偏差値80の答えはこうだ
弥生文化が矢作川を超えるのに、何世紀も掛かった
東国とは三河国の矢作川左岸から東である
これなら、なるほどになる そしてトモちんの死後は、東国の一番西の国が三河、そして西国の一番東の国も三河であり、2つの楕円が三河で交わっていた
盛長死後、三河守護が不明なのは、やはり不設置だったとみる
当時、三河国の最高権力者は鎌倉将軍家と七条院(源実朝の正室の叔母)であり、現地で支配していたのは鎌倉将軍家も血を引く三河の藤姓熱田大宮司
承久の乱で京方についた三河の藤姓熱田大宮司家が処罰されると、同じく血を引く足利氏が三河守護になった(なれた)わけだな
三河国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、藤原顕季の息、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1200年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息 京方の窓口たる関東申次を調べると、三河国知行国主とセットであったのが分かる
そしてその下司は幕府御家人の足利氏
京方、幕府方もトモちんとはトモちんの母方たる三河の藤姓熱田大宮司家の縁故者
2つの楕円は承久の乱後も続き、その円の中に入る事が出来なかったのが北条氏の限界だったんだわな
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) 鎌倉炎上とか見ると鎌倉の方が宮方より美しいんだよね
その辺りが皮肉なとこだな 長崎円喜の死に様は見事すぎたな
一気に北条の人たちが居なくなって次週から新展開なのに寂しかった 視聴率も後半は落ちたな
ただ湊川だけは高かった
顕家散るもまあまあ
南朝に献身的な人が好まれたということか >>431
鎌倉時代の一般的な東国の範囲は、東海道・東山道の遠江・信濃以東の15ヵ国。
東国15ヵ国という言葉もある。
北陸を東国に含める発想はない。
あと遥か時代が下って江戸時代の認識でも、北陸へ向かう街道は北国街道。
北陸は東国ではなく北国だよ。 松本清張のゼロの焦点だったか
北国の海、てな言い方するから東北思い浮かべたら能登の方というんで
ずっこけたことがある 今日は旧暦では、直義のクソ真面目エピソードで有名な八朔やね
コロナのせいでなんだか今年は特にカレンダーの消費が速すぎる気がするわ 大河当時は足利学校が賑わい
今は原寸大の道玄坂スクランブル交差点セットがある足利市
https://ashikaga-scramble.com >>431
というか寿永二年十月宣旨で後白河が頼朝の支配権を認めた範囲も東海道と東山道であり
最初から北陸道は入ってない >>445
というか前近代の日本人の一般的な方角認識はこんな感じだな。
東国=東海道&東山道
北国=北陸道
中国=山陰道&山陽道
南国=南海道
西国=西海道 承久の乱の時も北陸道は宮方という認識だったもんな
そんで北陸道の大将に先を急がないで宮方勢力を山狩りしてでも逃すな
潰しながら行けと義時が指令出した
結局京の合戦には間に合わなかった
北陸道は雪降るから北国というイメージあってもおかしくないね 鎌倉や江戸は東夷征伐のための遠征軍の駐屯地になるのか
室町幕府は駐屯地ではないよね 薩?山体制マニアとしては晩年の鎌倉滞在時の尊氏が好き >>451
一般的にエミシ征伐のための将軍号は「征夷大将軍」だが
古代だと越後北部や出羽のエミシを征伐する場合は「征狄大将軍」と言って区別している
これは東夷ではなく北狄を征伐する将軍号の意味だね
ちなみに出羽の日本海沿岸地域は古くは越後国所属だった 北陸は石高兵数でかいけど、畿内の脅威にならない印象がある
湖北の峠がきついんかな >>438-439
「フォッハッハッハッハッハww
フォッハッハッハッハッハwww」 >>400
つうか今どき国衙領なんて言い方しないだろw >>456
北陸の石高が大きく伸びるのは江戸時代だよ
太閤検地段階だと北陸諸国の石高は越前以外はさほど突出して多いとは言えない
むしろ中世段階だと木曽三川の下流域にあたる尾張・美濃・伊勢の3ヵ国や
経済的な先進地域である近江の石高が異様に大きい
そうすると室町幕府が最初に半済令を出したのが近江・美濃・尾張であることも理にかなう >>459
たしかに、近江は先進地域だから太平記の頃のインパクトは巨大やね
佐々木(六角も京極も)よく没収されなかったなと思ってる
実際六波羅探題は近江が北条領なら生き残ったかもしれないし
尊氏も義詮も近江がキーになってる
北陸は名越某が中先代のときに10万騎(太平記調べ)で決起して
現地の土民だか土豪だかにあっさり壊滅くらって、北陸しょぼwと思ったのと
新田が北陸で大勢力築きそうなのに執事全然動かなくて、最後は
小競り合いで義貞戦死
反乱起こすとすぐに執事が大軍団連れてくる摂河泉とはえらい違いやなあと 北陸は直に京にいけない
以前は琵琶湖の東を通るしかなかったから近江経由
近江抑えときゃいいんじゃね
今でも琵琶湖の西通る湖西線は全線高架で風が強いとすぐ止まって苦労するけど >>460
京都の近くだし近江にも北条一族の領地は多少はあるんじゃないか?
ただ源義朝の姉妹の血を引き評定衆も複数輩出している佐々木一族の勢力を近江から締め出すのは
それこそ宝治合戦or霜月騒動レベルの騒乱でも起こさない限り無理じゃないか・・・?
あと近江は比叡山を始めとする寺社勢力も強い地域だから
下手に触るとかえって痛い目に合う可能性が高いよ 六波羅もだが九州も大豪族野放し
少弐、大友、菊地、阿曾、島津
博多近くの糸田は北条残党が反乱続けたが、
北条が独占しすぎって話を疑うわ >>457
この笑いは、六波羅が落ちてさあこれから鎌倉を攻略しようって時に鎌倉陥落の報が伝わったんだよな
鎌倉攻めるとなってたら承久の乱の逆パターン進軍だったかな 尊氏は自分が政治に関与するようになって、腐りきってると思ってた鎌倉幕府も
公平であるように勤めてたのだと気付いたのかな まあ鎌倉幕府も平家倒した後は内紛したからな
ただ内紛過程で政治思想を変革していって
日本の政治体制も変えてしまったというんで業績が評価されてるが >>463
守護職でいえば、頼朝時代には北条氏が守護の国は伊豆・駿河の2ヶ国だけだったが、
鎌倉末期には北条一門で30ヶ国以上を独占している。
所領(地頭職)の数については分からない面もあるが、守護職がこれだけ増えている
ことからすれば、地頭職もかなりに増えているだろうということは言える。
実際、宝治合戦の際の三浦氏とその与党、霜月騒動の際の安達氏とその与党などから
没収した所領は、守護職と同様に大半が北条一門のものになった可能性は高い。 >>460
名越の北陸での勢力基盤は、鎌倉初期の比企の地盤を受け継いでいる雰囲気が強いな。
そして鎌倉滅亡後は、斯波が受け継いでいる。
ただ警戒されたせいか義満のときに、守護職は北陸では越前だけにされてしまうが、
守護職を失った後も、斯波の所領自体は越中とかにもあった模様。
新たに越中守護となった畠山と、越中の所領の件で斯波が揉めている事例とかもあるし。 >>461
京都⇔北陸なら裏道として朽木を通る若狭街道ルートというのもあるにはあるよ >>468
意味不明
越中が畠山の領国になったんなら越中は畠山のものだし斯波が出てくる余地なんてないんじゃね?
何で斯波と揉めるんだ? 京は北の山があるんで北の守りは鉄壁だな
南はゆるゆるガバガバで防衛できた試しがないな この時期までは守護職と領域支配は別個の概念だったはず
長い期間守護を続けると諏訪みたいに支配領域になる
佐々木京極は出雲の守護だけど、領域を山名に侵食されて
仲が悪かったとか、九州は御三家各一カ国と北条六カ国状態だったけど
いざ戦争になったら勝負にならないとか
三河みたいに守護=領域支配みたいなところもあったようだけど 守護には国内の徴税権があるけど
実際は有力国衆は独自に納税して守護を領内に入れないことを幕府に認めさせてる
だから守護なんていっても権力が及ぶのは自領の数郡だったりする >>472
室町の三河なんて守護権力の弱い国の典型例じゃないか?
というか、もともと守護不入権を持つ奉公衆の所領だらけで、守護の支配が浸透し得ない
ような場所だし、戦国期になると守護も守護代もすぐに消えるし。
>>473
一国平均役の徴収権とかならそうだけど、それだって室町になって獲得した権限。
鎌倉段階の守護は、それこそ平時の治安維持と戦時の軍事指揮権くらいしか権限ない。
あと一つの郡のなかだって、守護不入権を持つ所領が結構混在していることは多いから、
郡レベルの一円支配だって、多くの守護は
覚束ないよ。 冒頭で貞氏が庇った連中を小山が捕縛に来て
下野の守護は確かに小山だが渡す必要なし!とか足利家人がほえてたしな >>463
鎌倉初期の九州は少弐・大友・島津の3氏で守護を独占していた
少弐・・・三前二島守護(筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬)
大友・・・三後守護(筑後・豊後・肥後)
島津・・・三奥守護(日向・大隅・薩摩)
これが鎌倉幕府の滅亡段階ではこう変わる
少弐・・・筑前
大友・・・豊後
島津・・・薩摩
宇都宮・・・筑後
北条一族・・・その他すべて >>476
それでも菊地を返り討ちにしたあと他の三氏からフルボッコ、瞬く間に全滅
残党も各個撃破というのはどうしたことか
尊氏は義弟の鎮西探題赤橋英時の葬儀やったんだっけ
これが尊氏の九州反撃原動力となったのは吉川英治説 >>477
当時の戦いは、ときの勢いによって大方決してしまうから、鎮西探題の滅亡は仕方ないよ。
鎮西探題の場合は、義貞の挙兵と違って、明らかに六波羅陥落の情報が伝わってから
具体的な動きが始まっている。
行き残るために必死の外様御家人が一斉に寝返れば、さすがに無理だよ。
>>478
それは第20回「足利決起」だから、このペースで行くと8月16日の放送だろう。 >>475
そういえば鎌倉時代の下野守護はずっと小山なんだよね
鎌倉時代を通して北条以外の御家人が一つの家で守護を独占したのは下野(小山)と下総(千葉)だけ
平安以来の関東の二大有力氏族である秀郷流藤原氏と坂東平氏のそれぞれ惣領家だな 16日か楽しみだ
あれ見てからしばらくの間何か思い切ったことする時になむはちまんだいぼさーつ!と口ずさむ癖がついた思い出 まぁ日本史板じゃないからググる必要がある歴史用語とか使うのは空気嫁って話だね
ドラマで配役に興味持つ層にも分かるように会話しようぜ
知識誇るなら日本史板へ行こう おまんら!太平記で思い出したぞ、この太平記ドラマの生みの親は吉川英治さんだろう?
吉川先生は青梅で空襲疎開されていた際、
墜落したB29搭乗員の遺体を手厚く葬ることを主張し、結果として今も米兵のお墓は大事に地元の皆様に守られているんだよ
吉川先生は娘さんを空襲で亡くされているにも関わらずだよ
おれはこの話を最近しって感動したよ
まさに北条時宗が円覚寺を後醍醐天皇が宝戒寺を建てて敵を弔ったのと同じ
武士道の素晴らしさだね〜〜 鎌倉の軍勢の話を宮方がする時足利以外だと必ず小山、宇都宮
て名前言ってるのがなんかおかしかった
草燃えるの時にはこやまて読んでておやまじゃねーの
と思ってたらこの太平記でおやまになってておおっ
と思ったな当時 時宗のは敵味方問わずだから戦没者慰労だろうが
後醍醐のは単純に怨霊の祟りを恐れて祀った気がするぞw 戦国時代みたいに特権勢力を排除もしくは屈服させないと真の国主とはいえないんだな 高時個人の墓は無いし東勝寺の遺体を集めて弔ったらしいけどどんな扱いだったかは想像できるな ふ〜〜ん、それはひどいな
それと比べると北条時宗公と吉川英治先生の偉大さがわかるね
さすが片や贈従一位、かたや従三位
従四位の相模守とは違うね >>480
先週高氏が広げた謎の巻き物(御家人交名)にも千葉介の名が 私本太平記の廉子はやすこだった
登子もとうしが正しいらしいけどなんでドラマで変えなかったんだろ >>486
後醍醐院証真常 考妣二親成正覚
元弘以後戦亡魂 一切怨親悉超度
四生六道尽沽恩 天下泰平民楽業
尊氏晩年の写経の自署部分だけど
元弘以来のすべての戦死者の極楽往生と天下泰平を祈っている
尊氏本人は怨霊というより倫理的な人だったようにみえる 公家の高ピーマインドは建武以降存分に見られるので楽しみw
今は持明院派にちょこっと現れてる
しかし日本の歴史で公家てなんか良く描かれないよね >>491
武士は時子徳子政子みたいにこと読んだ方が見てる人に伝わりやすい
尊氏の母もこよびだ >>493
藤木孝の坊門清忠楽しみだわ
そろそろだっけ >>492
この太平記の最終回の尊氏像に合ってるな
子供の頃、山の祠のご本尊を暴いて、それが汚い木切れだったのでガッカリした話。近頃思うに、小さな醜い木切れでも、あれは、美しくもないけど神だったかもしれない、と >>491
とうしが正しいっていうか、正しい読み方が史料等で伝わってないので
そういう場合は音読みにしておくのが慣習ってだけ
歴史上の人物で漢字で書かれた名前の読み方がわからないケースはたくさんある 北条政子の場合、読み方は
まさこ
なので、登子も
とうこ
と読みそうやけどな
一族の女の鏡みたいな人と同じ子をつけててわざわざ
し
と読ませるかなあと思う 19回
高氏が妻子連れで出陣するという話は長崎円喜・高資父子の耳にも入った。「さて奇怪な話よのう…
物見遊山ではあるまいし」と鯉にエサをやりながら円喜はつぶやき「高資、念には念を入れたが良かろ
うぞ」と言う。ただちに高氏は北条高時の呼び出しを受けた。高時と長崎父子らが厳しい顔で待ち受け
ていた。高時は妻子を連れていくとは甘いぞ、と高氏をからかい、そして「他にも子があろう」と高氏に
詰め寄る。高氏が「ござりませぬ」と答えると、その場にいる一同がクスクスと笑う。
「犬猫ではあるまいに産ませた子を忘れるやつがあるか」と高時。佐々木道誉からの情報で、伊賀に
高氏の隠し子がいることをその場の全員が知っていたのだ。やむなく認める高氏。高時は「その子が
可愛いか?」と高氏に聞き、「可愛い者は他人には触れさせたくないものじゃ…いつも自分のそばに
置いておきたがる」と言って、自分の母がいつまでも自分の面倒を見たがるとボヤく。「さほどに大事
にされては息が詰まる…子も妻もみなそうじゃ。いくら可愛いとて戦に連れていくのはいかがであろうの」
と高時は言い、鎌倉の妻子と伊賀の子も含めて「大事なものはみなこの鎌倉に預かろう」と言い渡す。
食い下がろうとする高氏を、長崎父子が「異存あるまいのう」と突き放した。 廉子が小宰相を海に突き落とした時のギバちゃんの「ファーーー」って表情にワロタ なんで簾子さんと小宰相と石しか小船に乗っていないんだろう・・・ >>495
ほんの一言しゃべるだけで公家の価値観を表現してて、すげーよな >>501
危ない、逆らったら俺もヤられる、って焦りがの しかし高氏が裏切ったときの急所を佐々木道誉に任せるとか
フランキーは甘く見すぎだろw
高時の方が有能やな >>503
北条の残党ばらは足利と戦わせた後新田や楠木に討たせればよい
数多の武家はそのために飼うてある
クズの極致w なんで北条会議室にどーよが呼び出されていたのよw
しかもエンキがいいタイミングで声かけて部屋に入れて
高時「判官おったのか」
どーよ「太守にはご機嫌麗しく」
という流れがコントのようだったw
ところで高時はなぜ関西的なイントネーションでしゃべるんだろう?
「いくさはかなわん」
の「か」にアクセントを置いたり >>505
エンキは人質を取って脅しておけば言うこと聞くと思っているんだよな
高時はそんな簡単な話じゃないのわかってそう 外様の足利や、佐々木たちの家族を人質にとったりはしなかったんだな
戦国の頃と違って 承久の時には半数出して半数は残すようにしてたと思うんだ
なんで全部出したんか分からんは 建武以降は登場人物がなんか欲得づくの無能になるんで見るの辛いんだが
坊門様と廉子様目当てに見るw
あの超公家ぶりが楽しい >>508
てか公家は皆んなそう思うもの
武家は番犬 >>513
古典太平記の方だと北条得宗、赤橋、金沢、大仏で24万はまだ残っていた。
外様は新田に寝返ったけど。 >>517
ギバちゃん本人がこんなカッコ悪い役いつまでもやりたくない、早く殺してくれって言っていたし >>515
本来そうだしな。猿の惑星の猿の如し。
もともと猿は人間に使役されていたのに肉体能力に加えて
知能も発達して力関係が逆転した。 >>520
敬ってたお貴族様という御神体が実は木の板だったと気が付いちゃったんだろうな 鶴ちゃんフランキー西岡徳馬勝野洋児玉清ともそろそろお別れか >>521
孫悟空の子孫じゃない?
ギバちゃんはっちゃけない堺正章っぽいし 坊門さんは今、大覚寺統につくか持明院統につくか天秤にかけてるところです ??「殺したー!殺してしもうたーっ!小宰相を、お上の子どもを!」 >>491
>>499
この時代の女性の諱は「漢字1文字(訓読み)+子(こ)」が基本だよ。
というか男性の諱もそうだけど、諱は基本的に訓読みだ。
ただ諱の正確な読み方って、分からないケースも多い。
特に女性の諱の場合は、使われる場面が少なく史料的に分からないことが多いから、
慣習的に音読みされることがある。
阿野廉子は、父親が公廉(きんかど)、兄が実廉(さねかど)であることからして、
実際の訓読みは、「かどこ」だろう。
登子は不明だが、「なりこ」または「たかこ」といった訓読みが本当はあったはず。
なお登子(とうこ)・徳子(とくこ)みたいな重箱読みも、後世の人が勝手にいうだけで
当時そう読まれたわけではないよ。 歴史蘊蓄は分かったけどドラマではどうすれば良いのさ? オンデマで見てたら新田義貞がショーケンじゃなくなってたんだが
なんで降板したの? >>530
ドラマはドラマでいいんじゃないか?
そしてこのドラマの時代背景とかについての歴史談義は中世史の範囲内であればOKというのがこのスレの了解事項 今日の収穫は海に子宰相を突き落とした原田美枝子がとっても美人だったということで >>531
真珠性中耳炎に罹ってそれで降板したのよ
それで代役が根津さんに >>510
長崎円喜もフランキー堺の貫禄で切れ者風に演出されてるが
得宗の頭の良さと比べたら凡人だもんな
だから歴代得宗の中でバカ扱いの高時でもあの中にいると
あれ?こいつ結構鋭くね?
という風に見えて来るw
金沢貞顕も結構鋭く見える >>533
「早く殺して下さいって言ってるんですよ」と当時の柳葉が雑誌のインタでしゃべっていた・・・
という話を今でもネット上で見ることがある。
記事みてないので本当か分からんが、追加収録を断っているのは間違いないだろう。
直冬周辺に登場するのは、具足師柳斎でなくて石でないとおかしい。 >>528
よく考えるとここで簾子は後醍醐の子を殺した
その報いとして3人の子の内のふたりを失うのか・・・ >>522
日野俊基が建武の新政まで存命だったらどうなったかなぁ
藤房のように出奔したか、護良のように罪に陥れられたか。
尊氏に「日野殿に叩きのめされた長崎殿の家来も、美しくはなかったがあれも神やも知れぬ」と思われたか。 フランキー堺が風邪引いて鼻をかむだけであれだけの貫禄出せたのは流石だと思った
>>532
ちょっと上みたいに蘊蓄合戦で突っ走られると困るから程度によるかな >>520
いや実際この時点でも武家はバカだよ
新田がそういう風に描かれるが足利も賢くはない
公家が武士を見下すのも分かる
今後そういう武士のバカぶりと公家のプライドぶりが見られるな >>534
確かに
下向きで後ろ見たお顔がとても美しかった
>>534
子宰相の女優さん
毛利元就の時、大内義隆(風間トオル)の正室役
個人的には剣客商売(藤田まこと版)で四谷の弥七の奥さん役のひと >>542
ちょっと神経質すぎないか?
多くの場合、太平記ヲタ=中世史ヲタなのは自明のことだし全然ウェルカムなんだが
興味ない話はスルーすればいいだけ
>>544
×子宰相
○小宰相 >>347
関東に行くと、日本人はそうなっちゃうのか。
なら、京都へ首都をお返し遊ばせたいね。
東京首都は、碌なことが無い >>543
公家が中央の官僚、武家はイケイケの軍人って認識で間違ってない? >>543
尊氏だって史実ではほとんど漢字がまともに書けないような人物だからな
母方が公家につながる尊氏でもこの程度だから一般の武士なんか酷いもんだろ >>547
この時代の公家は官僚というより学者タイプが多いイメージ
いろいろ勉強してモノをたくさん知ってるから無学は武士が野蛮なバカに見える そういう意味では都に幕府を置いて武士が教養を得るというのは必要な過程だったのかもしれないね >>547
軍人はバカじゃないだろ
なんつーか思考するのを拒否するヤンキーというか武士って
オレはわからん!命令してくれれば暴れてやるぜ!みたいなさ 阿野廉子と言えば
大塔宮護良親王が後醍醐に反乱を起こそうと兵を集めていると
後醍醐に言い逮捕さしてたけどな
実際には足利を討つ為に兵を集めていたので有り
こりゃまずいと思った足利が阿野廉子に密告したらしいのだが
その後護良親王は北条時行と結び付く事を恐れた
直義によって暗殺されてしまった
阿野廉子は自分の子じゃなきゃ平気で殺すような事をするんだな 阿野廉子と言えば
大塔宮護良親王が後醍醐に反乱を起こそうと兵を集めていると
後醍醐に言い逮捕さしてたけどな
実際には足利を討つ為に兵を集めていたので有り
こりゃまずいと思った足利が阿野廉子に密告したらしいのだが
その後護良親王は北条時行と結び付く事を恐れた
直義によって暗殺されてしまった
阿野廉子は後醍醐の子でも自分の子じゃなきゃ平気で殺すような事をするんだな >>511
足利の家族は人質だったけど
赤橋が見逃した(疑惑の)登子さんだけでなくて
処刑された庶子とかいるらしい
新田は、妻の実家(姑?)が鎌倉方だったとらしいけど
(うろ覚えだが)はしゃいでた奥さんの実家かな
佐々木は、よく分からないけど >>538
長崎は
鎌倉幕府内で権力を握ったので
宮廷政治には長けてそうだけど
鎌倉幕府の威光が通じなくなったら打つ手がなさそう 負担は大きいけど大番役で京へ行って政治と文化に触れるのも地方御家人には良い事だったのかもね
>>545
物には限度がって話さ
流石に想像を絡めた自説を滔々と語り出すのは三河屋が増えるようなもんだし勘弁w >>552
>>553
当時の政権内では二つの対立が同時並行で存在していた
・皇位継承をめぐる廉子派(隠岐配流同行組)VS護良派(畿内残留ゲリラ組)の対立
・武家の掌握をめぐる尊氏派(鎌倉御家人)VS護良派(畿内新興武士)の対立
護良の失脚は尊氏派と廉子派の呉越同舟のもとでの合作
後醍醐本人は長らく同じ釜の飯を食った廉子派のほうに近いし
護良を持て余していたところに護良の物騒な動きが起こったから尊氏派と廉子派の合作に乗った いっても現在の行政の部分を担ってたのは鎌倉武士でしょ >>556
スルーできずに一々噛みつくメンタリティーこそ三河屋と同じだよ
三河屋とか以外はみんなドラマをきっかけに太平記談義や中世史談義がしたくてこのスレに来てる
というか単にスレの盛り上がりに水を差したいだけなのかな? >>554
鎌倉脱出に失敗して殺された尊氏の庶子は竹若だね
>>558
まあそうだけど鎌倉幕府で行政の実務を担当した武士の多くは
鎌倉初期に頼朝が京都からスカウトした下級官人とその子孫
大江広元・三善康信・二階堂行政とかね >>543
新田は単に武骨な東国武士でいろんな思惑がうごめく政権中枢での駆け引きなんかは苦手というだけでは? >>554
ドラマでは新田の妻は御内人の安藤氏(津軽安藤氏とも縁戚)と序盤で説明されてたな 北条の被官には安藤姓多そうだな
「京都攻略」の回で尊氏に斬りかかった武者も「北条仲時の旗本安藤某」って名乗っていた ところで>>546は誤爆?
それともレス番号が違ってるの? >>507
>>509
道誉はもともと高時の小姓だし
それに佐々木氏は全般的に足利よりも幕府政治に深くはいりこんでいた印象ある >>525
坊門登場は鎌倉炎症の次の凱旋だからそんなに先ではない 廉子が殺したというか後醍醐が殺したよな護良
遠い東国にやるってさ
しかも敵対してた足利に売り渡す >>567
京都に置いておくと担ぎ出す奴がいる
かといって護良を預かるなんて面倒なことは誰もやりたがらない
結局対立の当事者であった足利しかなかったのでは?
ドラマでも護良を捕らえた名和がいつまでも預かるのを嫌がっているという話が出てきた 新田に預けりゃいい
邪魔だから見殺しにしたんだよ後醍醐は >>538
得宗も執権も前執権も有能なのに意志が弱いから
押しの強い長崎親子にここぞというときに負けちゃうんだよなー 新田はもともと護良派に近かったわけだし新田に渡すのはマズいよ
それに後醍醐にとって護良の身の安全なんてそこまで重要じゃなったってことだろう
後に新田に預けた尊良・恒良を見殺しにする件もあるし 意志の強い弱いも能力の有無の判断材料やからな
地頭良くても実行力なければ、世捨て人か遊び人になる 護良逮捕のとき尊氏と廉子派を結びつけたのは両方に顔が利く道誉なのかな? 淀川長治
「序盤の阿野廉子、まあ怖い。女の怖さ遺憾無く発揮しています。」 まぁでも皇位継承者から外して比叡山に入れておいたはずの親王が
還俗して再出家も拒否して軍事力を擁したまま天皇の意向に反発している状況って
後醍醐にとっても新政権にとっても非常に危険な事態ではあっただろう
功績に報いてやりたくてもなかなかどうしようもないというか
護良はここでいったん我慢しておけば後々宗良みたいな活躍も有り得たが
それはこの後の歴史を知っていて初めてわかることだから 高時の子供の時行は後に新田義貞と共闘するんだよな
これと尊氏が南朝に降伏する場面は超展開すぎてついていけない >>572
それいうと公家の大半は世捨て人か遊び人じゃん >>576
征夷大将軍就任を要求した時点でアウトだっただろうね
鎌倉後半期の征夷大将軍は基本的に親王だったわけで
これじゃ護良は畿内周辺の悪党を率いて新幕府でも開くつもりかと警戒されても仕方ない
後醍醐が護良を切るのは時間の問題だったというべき 北条が新田でなくて足利を敵とするのは当然
新田には別に恩を施してないから恨みはないが足利が大きくなったのは
北条のおかげだから裏切り者になる
でもこの作品は北条がずっと足利をいじめてた風に描かれてるから
六波羅攻撃のあたりでいきなり裏切り者ワードとか出てきてもついていけないw むしろ、新田の方が田畠売り払ってビンボー御家人化したのは北条一門のせいと義貞が子供時代から徹底された評価だと思うけどな
足利は北条にいじめられたというより、外戚で幕府内の実力者やったのに尊氏がはねっかえりで修学旅行で美しいもの見てきちゃったからな >>580
幼少期に「足利は北条と同じ汁を吸っている犬」と新田に言われてたよ >>540
いいじゃないの。残った一人が後村上帝だし。
ていうか、小宰相は実在したのですか?生死どころか、
Wikipediaでもないけど(石や右馬助同様、架空人物なのかな)? そう
だから護良殺したのは後醍醐だよ
廉子は何かにつけて悪女扱いされるけどさ 後醍醐は子ども多すぎてたから、整理整頓が必要だったのかもな なのに最愛の中宮には皇子がいない
後醍醐は強運なようで不運だよな >>546
天皇皇后両陛下を京都御所にお引越し奉るのですか?
たぶん、宮内庁は京都御所の狭さを問題視するだろうね。
首都高だって、「東都高速」にしないといけないし。。。
日本の首都が一番人口が多い都市でなくてもいいとは思うけど、
アメリカだって、ニューヨークじゃなくてワシントンDCで、
オーストラリアだって、シドニーじゃなくて、キャンベラ。 >>586
後醍醐の中宮って持明院派の西園寺から押し付けられたんじゃ? >>588
恋愛結婚のラブラブだよ
駆け落ちみたいに結婚したんじゃなかったか
太平記が廉子を悪役にしてお話し創った
だから次にこの時代やるときは太平記でない原作使うといい 阿野廉子の中の人は、リアル旦那の不倫発覚で
インタビュー受けた時の表情も、かなりヤバかった。
石橋さんもARB時代は尖がってたが、妻のあの表情を見て、
震え上がったに相違ないw >>587
天皇がいる場所が首都じゃなきゃいけない道理もない
17〜18世紀のフランスでは国王はヴェルサイユにいたが都はパリだ >>592
リアル旦那って武田信玄のときの大根信長か? >>547
軍人は勝算のない戦は嫌がる
湊川出陣前の楠木みたいに >>573
下手というか大塔宮の軍事的な支持基盤は悪党系の武士なのに
一方で北畠のような露骨に無学な武士を見下すタイプの公家も大塔宮派にいる
たぶん大塔宮の取り巻きにいた武士って鎌倉御家人系の武士よりも教養レベルは低いし
ある意味大塔宮派自体がハミ出し者の寄せ集めで一体感なんてなかっただろう >>543
> いや実際この時点でも武家はバカだよ
> 新田がそういう風に描かれるが足利も賢くはない
> 公家が武士を見下すのも分かる
> 今後そういう武士のバカぶりと公家のプライドぶりが見られるな
直義がいちおうの教養あったんでね?
坊門とか北畠にはともかく持明院の公家皇族には気に入られたから狼藉や荘園強奪の件で波沙羅大名や師直と衝突した。 直義は発給文書の花押が年を追うごとに巨大化していくんだよな
政治に自信を深めていくかのように >>600
明治天皇は東京に移った後も京都の保全を命じている そういえば尊氏と直義の二頭政治って今はどう捉えるのが一般的なん?
今でも主従制的支配権と統治権的支配権の分離と見る感じ?
それとも鎌倉幕府の将軍&執権体制の模倣と見るほうが主流? 考えてみれば兄弟で鎌倉将軍&執権体制は再現出来ないよな
将軍が存在自体が有り難がられる貴種で、かつ何時でもすげ替え可能だからこその体制なわけだから 韓流ドラマや大映テレビ室のドラマだったら小宰相は絶対助かっていたと思うw れんしは足利とズブズブで小宰相は北条とズブズブか後醍醐天皇も気を休める暇がないな 鎌倉方式だと将軍は君臨すれども統治せずだな
統治に色気見せるとハイさよなら minotaro.blogspot.com/2011/10/7.html?m=1
逆説の日本史〈7〉中世王権編―太平記と南北朝の謎 井沢 元彦
■第三章 尊氏対直義編
兄尊氏は軍事の才、弟直義は政治の才があった、足利尊氏と弟の足利直義はニコイチのセット。
幕府を開いたのは頼朝、尊氏、家康と三人いる。
この三人を比較して、尊氏はいい人過ぎたので室町幕府というのは混乱続きだった。
必要であれば「弟義経を殺したり」「形式では主従の関係にあった豊臣家を滅ぼしたり」という残虐とも取られる冷徹さも必要だと筆者は分析。
尊氏は何の欲もなく、 この世の栄華は夢のようなものです。
この尊氏に仏道への志を与え、来世をうまく過ごせるようにして下さい。 出家したいと思います。
この世の栄華に代えて来世の幸福を頂きたい。 この世の栄華は弟の直義に譲ります。 直義をお守り下さい。
と公言していたほど。ただこの無欲が混乱を招く。直義は秩序のあった時代(北条泰時/貞永式目)に戻したい、という政治を行った。
それは他の武家がだまっていない。
古代から中世にかけての日本史は
荘園領主と武士の土地争い
と要約できるほど。
せっかく後醍醐をだまらせたのに以前に戻るとは何事だ、この傀儡が、となる。
とくに高師直をはじめとする高一族は過激で天皇や朝廷がなぜ必要なのか、どうしても必要なら木彫りの像でも置いておけと、進んで王朝の土地を奪っていく。
>>590
その古典太平記にすら中宮とのエピソードが載ってるらしいし
有力貴族や内親王の后に皇子が生まれなかったのが運のつき
一説には皇子いたら多分あそこまで倒幕に燃えなかったって言われてるな >>173
よくよく考えたら当時小田茜12歳なんだな みんな美しさに目を奪われて言わないけど科捜研も結構大根よ 当時の小田茜って自分の役がどういう役かどこまで分かってやってたんだろ? 守時兄は北条は我が一族で弓はひけぬ言ってるけど
千寿王逃したから執権なのに鎌倉外で死ぬのかわいそす
でも首を敵に取らせないように家人が頑張って首を隠したんだっけ
よくやった いや隠したからどこに眠ってるのか分からなくてお墓ないんだっけ守時
むむどっちがいいんだろう >>560
>鎌倉初期に頼朝が京都からスカウトした下級官人とその子孫
何回言ったらわかんねん、二階堂は違うだろ
恐らく三河で生まれて、祖父が管理する美濃の所領でプータローしていた
母親は、三河在国の藤原季兼(三河四郎大夫)の娘だからな
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→女→二階堂行政
ほんと適当な事ばかり言ってんな >>600
>>587
別に首都高でも首都大でも、暫くはそのままで構わんが、関西首都が落ち着くわ。
関東はやはり野蛮。土地が日本人をそうさせる。 三善康信は叔母さんが頼朝の乳母だった関係らしいが、仮にその乳母が義朝乳母(摩々局)の娘のだったとすると
こうなる
三河国在国の首藤資道の息子の嫁が摩々局であり、その娘が摩々尼、つまり鎌田政清の姉妹ということになる
■源為義乳母父:首藤資道
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))
■源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟)
結局は三河なんだわな 摩々尼は摩々局の娘、もしくは摩々局と同一人物説があるので、断定はせん >>613
顔芸の暑苦しさは
直義
石
判官
かな 隠岐脱出の影であんな薄暗い暗殺があったとは、見るのは3回目だがまったく忘れていた 顕子が出ると高時がアホになるのは 今でいうとフワちゃんがしゃべるとみんながなぜかアホになるのと同じかなと ウジウジ尊氏回の少し中だるみ回からの政変に至るドラマチックな流れ
緩急があっていいね
でもウジウジ回は少したるい >>629
ドラマ的にはあれを見て高氏が最後の決断をしたようにも見える
小田茜の役は案外重要だった このドラマは、やはり両片岡だと思ったよ。
後醍醐帝と北条高時は、もはやこの2人しか考えられないはまり役。
あと、フランキーの長崎。
尊氏や義貞など、誰でも良かった。 >>624
首都大はすでに都立大に戻っているよ
>>632
片岡孝太郎は無視なのか・・・ 小田茜が喋った時
クララ が喋った!
と思ったのはオレだけではあるまい 悩める嫡男。でも、外に出れば、頭領の役割をこなせる人。
真田さんは、主役の役割を十分果たしているよ。
おかあさんー高氏、守時ー高氏 いい場面になってる。
直義「兄上!」
高氏「…… 師直 三河の吉良殿に早打ちで使者を送れ。戦じゃと。」
師直「はっ」
直義「兄上…」
高氏「諸国の足利一族に使者を走らせよ。」
高氏「足利が総力を挙げて戦をいたす。はせ参じられよと。」
キリッとしていて、いい感じだ。 鎌倉から三河までを我らの檻と言うのはなかなか無理がある気がするな
しかも最重要な役割を判官殿に任せないといけないのも苦しい
やはりアタックチャンスが言うように何があっても足利を外に出してはいけなかったんだな >>638
ほんそれ。足利謀反の報に接したときは
それみたことか!ってなるもんね。
長崎親子はこの件でもって断罪されても致し方ない。 >>525 夜は麒麟も再開するしワクワクな月末日曜日 こりゃ貝じゃ!貝殻じゃ!ハッハッハッハ!
のシーンいいな
帝も人間の臭いどころか俗物の香りがしてきた マスコミ)によって引き起こされる偽パンデミック
コロナ感染で死んだとされる少年。過去に2度も別の死亡記事が…
://twitter.com/nusubito_hana/status/1288090876841926656?s=20
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>638
当時鎌倉から京都までの道のりのなかで、外様が守護の国は足利の三河と佐々木の近江だけ
しかし尾張守護の名越も遠江守護の大仏も出払っているからなぁ
道誉しかいなかったのだろう おれも来世は時房流の嫡男に生まれ変わって種馬の如くセックスしまくって優秀な遺伝子を残しまくるど! >>648
あ、確かに!ありがとうNHK
今回ブルーレイで完全版作ってるからマジ嬉しい >>605
でも直義って自ら執権として振る舞おうとしたことは事実なんでしょ? >>635
NHKつながりで、のっぽさんが喋った時の感覚 廉子の中の人は、脱いだら凄い系の人だから、後醍醐天皇が廉子側にハマったのは良く分かる気がする
特に後醍醐天皇がオッパイ星人だったらなおさらだろう
(史実ではどうだったかなんて知らんわい) >>647
関西首都は、ええ政治が期待できますわw
関東東京は、もう正直うんざりやで
腐りきってるのは、太平記にも被るやろw しかし道誉もいつでもどこでも出てくる便利キャラだなw 北条氏が羨ましい
20歳までには結婚ハメハメして子作り三昧 側室も東国のお姫様やら公家の令嬢とかだろ
ドクンドクンと伊豆の土豪の下賤な血を名家の姫様美女に流し込む(姫の前とかな)
40になる頃には孫もおったんやで
おれは仕事もないぞ 金もない童貞やぞ
辛いがな https://mobile.twitter.com/tekina_osamu/status/1282224520690954244
適菜収(新刊『国賊論』。メルマガもよろしく) @tekina_osamu
維新の会の「大阪都構想」詐欺パネルについて、スレッドにまとめておきました。
twitter.com/tekina_osamu/s…
1:05 AM - 12 Jul 2020
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>613
筒井道隆って凄いよな
どんなにキャリア積んでもずっと棒だからな 筒井は高嶋政伸が相手であろうが香川照之が相手だろうが
陣内相手だろうが内野相手だろうが全て棒読みってのがすごいんだよ
内野いわく相手の演技のペースを狂わすらしいw 知人と会話していて、BSプレニアムが出てきたから、「太平記」の話をした
誰が出ているのと聞かれたから、真田広之、沢口靖子、柄本明と答えた
もう一人挙げるとしたら誰かな 大地康雄?陣内孝則? >>664
棒読みの職人さんですよ
鶴太郎は私生活は痛い大人の職人だわ 真田広之主演・池端俊策脚本の『僕が彼女に、借金をした理由』の筒井康隆の役は
直(なお)くん 本当だよく間違えるんだ
康隆はガラスの仮面に速水真澄の養父役で出てたけどすごい棒だったぞ >>647
割れんぞ、むしろ今の状態が歪
日本の中心は関東、関西ではない、三河が中心
ヤジロベーの軸が三河であり、東国と西国がユラユラしつつも、軸の三河がしっかりしているから、日本の安泰が保たれてきた
それは今も昔も変わらない >>427
それだと西国の勝ちになるんだが、いいのか?
関東土着は被支配層なんだが、勘違いするなよ
日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山手線内、江戸城中の人
■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) 孤軍奮闘、東京一極集中断固阻止
現代社会においても、三河の頼もしさは異常
関西の田舎者の口だけは、昔から変わらんな
関東〜関西間の日本地図
年収1000万円以上世帯が8%を超える地域(「世帯の年収マップ」より)
https://news.careerconnection.jp/wp-content/uploads/2015/12/1202_nenshu.jpg 筒井道隆は良い棒
下手な演技をしてるんじゃなく自然体の棒なんで
いつまでも需要はある そろばん侍にも出てたからなぁ
池端繋がりで麒麟にも出るのだろうか 筒井といえば「王様のレストラン」の無能オーナー
「総理と呼ばないで」の素人官房長官かな。三谷作品。
先代松本幸四郎や田村正和相手に棒。 王様のレストランの坊っちゃん感はハマり役だったなあ 全然関係ないかもだけど、或る時期まで女院って身分を知らなかった
源平の時代劇で建礼門院とか美福門院とか出てきても、仏教の院号を生前から名乗ってるって思ってた >>680
そう
内野が筒井が独特な間で返してくるので
こちらの演技のプランが狂うとか言っていた
僕が彼女に借金をした理由でも真田が筒井の演技を必死にフォローしていたわ
真田と筒井ってJACつながりで私生活でも仲良かったらしい >>683
一応、コストカットして
皿洗いの首切らずに済んだけどなw
感情激しい直冬より
ああいうタイプの方が合ってるとは思う 真田と筒井は顔に意地悪なところがないというか
どんな悪役やっても表情にひょっこり素がでていていい人に見えてしまう
陣内や柳葉と対局 >>688
陰陽師の真田すごい悪役だけど
主役の野村萬斎の方が悪そうでかわいそうになってくる >>689
前妻と泥沼離婚するまではいい人にしか見えなかったのに…… >>685
西華門院に雑仕女として仕えていた卯木がいろいろ大変なことに >>691
いや太平記のドラマでも高嶋弟は結構悪役顔だと思うよ
大塔宮の側近の僧侶を処刑する場面なんか目付きとか怖いくらい物凄い悪人面だったし >>684
組!のかたぼりさま()も合ってた
真っ直ぐで正義感あって嘘がつけない育ちの良い坊々感がこれでもかと溢れてて 筒井の棒オブ棒もどうかなと思うけど日本のドラマの感情過多なのもどうかと思うな
時代劇なら様式美みたいな部分もあるけど現代劇で会社や病院で喚き散らしてるのは疲れる、 太平記スレで棒と言えば赤井さんがキングだろうw
ひのもといちの棒だよ 赤井は武田鉄矢とペアだから思慮深い兄と単純バカな弟でキャラが分かりやすかった
もし兄鶴太郎、弟陣内の楠木兄弟で正々堂々など犬に食わせてしまったわ
これはしたり兄上は流石ですな(パチリ)
とかやってる兄弟なら胡散臭すぎて後醍醐も信用しないだろw まあでも赤井英和の正季はそんなに長台詞とかある訳じゃないからな
でも直冬は尊氏最後にして最大の敵である息子役だから演技力をそこそこ求められる 児玉清て大河に何本も出てて別に派手な役をやるわけでもないのに
不思議な存在感ある そういえば90年代前半からの赤井英和ブームは何だったんだろうな…
96年の秀吉にも出ていたから一過性ではなかったんだろうが、あの棒でよく需要があったよなあ 赤橋登子ちゃんも花夜叉も得宗家の側室愛人もすごく美人でうらやましいと思ったけど、
鎌倉時代のトイレ事情を知って彼女たちも和式ボットン便所で尻拭き棒を使い、
かつ生理用具もブラもパンツもない不潔な時代だったことを知るとチンポも萎えたよ 時々あるアバンの砂が舞い上がって太平記という文字が出てくるのが好き
あのメロディーも雅な感じでいいんだよね
OPは重たく始まって勇ましく終わるから、ちょっと疲れるw >>710
あれ毎回あると良いんだけどな
わかりにくい時代背景の補足
自分には廃れた中世の政治や戦乱に明け暮れて疲弊した感じのメロディーに聞こえる このドラマみると 後醍醐天皇だけがすごいパワフルで 時代を動かしたひとなんだなと納得する 後醍醐は北条高時以下の暗君で混乱の時代に転落する。 延喜・天暦の治を目指したけど先例を無視した革新的なこともやったから
武士だけでなく保守的な公家からもそっぽをむかれてしまった
本来はあっという間に消えゆくものを無駄に延命させた足利家の内紛は罪深い 北条が真面目にやってたら後醍醐が台頭することもなかったよ 執権赤橋守時と一緒に足利が
長崎討伐してたら
鎌倉時代は続いたんやないの 執権赤橋のままなら、足利に相当な恩賞を渡さないと
執権足利なら、赤橋はそのまま消えていきそう
で執権の執事と執権の実弟が対立して >>714
後醍醐帝は単に天皇親政ということで延喜・天暦を持ち出しただけで、延喜・天暦の頃の
政治体制を模倣する気なんて、最初からないからなぁ。
結果的には公家にとっても武家にとってもノーサンキューな政治だったのは間違いない。 BSプレミアムがBS1と統合されるそうだ
大河の先行版と再放送大河はなくなるかも 片岡仁左衛門演じた素晴らしい後醍醐が、歴史上の後醍醐にどんだけ肉薄したかと問われれば、
ちょっと聖帝方向へ美化しすぎたと言わざるをえない。 長崎高佑が
「足利殿には思うところが有るのであえて出す」とか言ってたけど
これどういう事?
裏切るか試すと言う事? ちなみに足利尊氏
幕府に反乱起こす事決めても
何故か鎌倉では無く京の六波羅探題を攻めたな
やはり足利の兵力だけでは鎌倉の幕府を倒せない
後醍醐勢など味方を大量に集めてから鎌倉に攻めのぼる計画だったのかね?
実際には新田軍が意外と大軍になったので意外と短期間で滅びたけどね
もしも新田軍の反乱が失敗だったら鎌倉幕府が存続し
京都に後醍醐政権樹立 持明院の天皇が鎌倉幕府に亡命
南北朝時代ならぬ東西朝時代になっていたかもね >>720
どうして帝がこんなに美男なの?
最初から史実通りにすると右側の人が怒るからだよ
楠木正成がどうしてこんななの?
あんまり美化すると左側の人が怒るからお人柄の人にしたんだよ
という会話を毎回家族としていた気がする まぁでも武田は西田には遠く及ばないにしてもいい役者だったよ
最近の勘違い、とち狂い振りにはウンザリだが >>710
砂が舞い上がって文字が出るって以前にも何処かでみた様な?と思ったら1982.9〜1984.3にやっていた人形劇三国志だったw 六波羅探題ってどれくらいの規模なのかドラマだとよくわからん
京都に何万人も常駐してたわけじゃないよね >>722
鎌倉側に怪しまれずに反転して鎌倉に向かうのはまず不可能
しかし京都へ向かうなら怪しまれずに至近距離まで近づける
ならば大番役の御家人まで戦に動員されて手薄な京都をまず攻めようということでしょ?
そして同時に尊氏は北条からの離反を呼び掛ける書状を全国の武士にバラ撒いている
手際よく六波羅探題を落とせばその情報の伝播だけで形成を逆転できるのも折り込み済み
あと光厳帝らは仲時など六波羅残党に擁されている限り無事鎌倉まで行くことは無理
どう考えても史実のように近江辺りで残党狩りの道誉の軍勢に確保されるだろう >>728
ラグビー代表みたいな鍛え上げた精鋭500人だよ 裏切り者てガチに何度も裏切るて足利見てると思うな
北条裏切り後醍醐裏切り北朝裏切り兄弟で内紛する
新田や楠木とは違う (うろ覚えだが)足利の出兵で
北条が源氏の旗を授けたり、重鎮が見送ったりしてるが
北条が掌握している御家人層は疲弊して使えない
最近怪しい動きをしている足利を出したくはない
出したくはないが動員数が足りない
「いいか、お前ら、信じてるぞ、裏切るなよ・・・」
って事かな? 足利に源氏伝統の白旗を授けて全国の源氏系の諸将を集めさせて楠木正成や大塔宮らを征伐させて、源氏系の軍事力も弱体化させたかったのやろ
北条系の諸将は笠置山の乱以降、消耗戦の連続で質実ともに疲弊したから、足利を含めた源氏系の軍事力が脅威になってたこともある
結果的に反北条の旗となり、足利の元に源氏系だけでなく多くの武将が集まって六波羅を落としたから、関東にそのことが伝わると同時期に旗揚げした新田とのちの義詮ら足利一族軍の蜂起に多数の坂東武者が反北条で決起したのやろな
足利が今日を含む西日本を制圧して、大軍を鎌倉に進撃したら、そら源氏系が勝つわと多くの坂東武者が思い込んでもおかしくはない
北条系の主力は河内大和方面でその大半が足利につくか、敗退してるのやから >>731
作中にもこの先出てくるが
尊氏が一門や盟友たちから離反を迫られた
――
北条時行(Wikipedia)
建武政権期、北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合して中先代の乱を引き起こし、鎌倉を奪還するが、わずか20日で尊氏に逐われた。南北朝の内乱では、後醍醐天皇から朝敵を赦免されて南朝方の武将として戦い、
北畠顕家と共に青野原の戦いや石津の戦いで活躍。
…時行が鎌倉を占領していたのはわずか20日ほどであるが、先代(北条氏)と後代(足利氏)の間に位置し、武家の府である鎌倉の一時的とはいえ支配者となったことから、この時行らの軍事行動は「中先代の乱」と呼ばれる。
また、この合戦は尊氏と後醍醐天皇の間に大きな禍根を残した。尊氏は鎌倉攻めで功績のあった武将に勝手に褒美を与えるなどしたため、後醍醐天皇の勘気を被った。
両者の亀裂は次第に深みを増してゆき、ついに尊氏は天皇に対して反旗を翻すこととなり、(延元の乱)、南北朝時代の幕開けとなった。
■南朝への帰参
延元2年(1337年)、時行は後醍醐天皇方の南朝に帰参し、勅免の綸旨を得ることに成功した[5]。足利尊氏にとって、時行の挙兵は帝の疑心を招き、新田義貞や弟・直義との関係を悪化させるなどしたが、
勝長寿院で自害したと思われていた時行が実は今だ生きており、しかも後醍醐天皇に拝謁して朝敵を赦免され、南朝と結託したことは、さらに尊氏を驚かせた。
時行が朝廷の許しを得るための交渉過程は詳しく判明していないが、後醍醐天皇より南朝への帰属を容認された上、父高時に対する朝敵恩赦の綸旨も受けている。
時行が鎌倉に攻め入って幕府を直接滅ぼした新田義貞らが属する南朝、いわば仇敵と手を組んだ理由は、当時の趨勢が南朝に有利だったからという打算的判断によるものだといわれるが、
育ての親である諏訪頼重の仇を討ちたいという強い意志が何よりの動機であったとする説もある。
これに対して家永遵嗣は、元々時行は持明院統(北朝)の光厳上皇と結んで活動してきたが、
中先代の乱後に上皇が足利尊氏と結んで持明院統を復活させる方針に転換し、尊氏と戦ってきた時行はこれを上皇の裏切り・切り捨てと解して、南朝と結んで尊氏と戦う道を選んだと解している[8]。
■復活と転戦、鎌倉再奪還
南朝への帰参を果たした時行は、今度は南朝方の武将として各地で転戦した。時行の復活劇は世間をも仰天させ、人々は時行を称揚した(『梅松論』)。
南朝へ帰順した時行は東国へ向かい[5]、北畠顕家の征西遠征軍に加わり、美濃青野原の戦いなどで足利軍と闘う。
…時行は再び雲隠れし、今度は義貞の息子新田義興の軍勢に加わるなど、足利方に執拗に挑み続けた。
正平7年/文和元年(1352年)、南朝方の北畠親房は北朝方の不和をつき、東西で呼応して京都と鎌倉の同時奪還を企てる。
閏2月15日に時行は新田義興・新田義宗、脇屋義治らとともに、上野国で挙兵した。また、同時に征夷大将軍に任じられた宗良親王も信濃国で諏訪直頼らと挙兵した。
閏2月18日、時行や新田義興・脇屋義治らは三浦氏の支援を受けて、足利基氏の軍を破って鎌倉に入り占拠した(武蔵野合戦)[5]。
だが、別に戦っていた新田義宗が敗れて旗色が悪くなると、3月2日に鎌倉を脱出し、再び姿を晦ました。水面下でなおも尊氏をつけ狙う時行の執拗さに、尊氏は辟易を通り越して恐怖すら感じていたとも伝わっている。
■評価 孝行息子
時行が南朝に降り、父である高時の朝敵撤回を願って許されたことに関し、後世に時行の子孫を自称した幕末の儒学者横井小楠は「この上ない親孝行である」と礼賛した[要出典]。
ネットの感想では片岡鶴太郎の高時は知恵遅れの狂気の人て聞いてたんだけど
(顕子スイッチが入らなければ)今のところこのドラマで一番政治センスある人だと思う 高時は
子供向け学習漫画なんかではバカ殿に描かれているけど
地頭は良いけど病弱で体力がない
専横を極める家来を抑える、排除する胆力がない
どうせ俺は飾り物
同じ滅びるならば、せいぜい華麗に滅びるが良いのだ
なんて(私本太平記版では)思っているっぽい 吉川英治先生の作品を読むと戦前から毀誉褒貶のある人物の造形が面白いんだ。
平清盛とか、藤原頼長、源義仲、平時忠それに足利尊氏、北条高時、高師直とか。
でも、ずっと英雄視されてた人の造形がつまらない。源義経、楠正成。
義経なんか兄にどんなに邪険にされても、慕おうとするカマトトちゃんだし、正成は悪党のかけらもない教養人にしか見えない。 国民的時代小説家ですから、当時の国民感情に迎合した各種設定になってしまいます。私本太平記の正成がその典型。 吉川英治がやりたかったのは、戦前戦中の皇国史観によって
大英雄、大逆賊のように人物像を歪められた正成や尊氏その他の人物たちを
「ただの一人の人間」として描き出すことでしょう
吉川自身も戦中に国民を煽ることに加担した罪滅ぼしの意味合いもあったのだろうし >>744
吉川英治は天皇、皇族に対して一貫して尊敬語を用いている
尊氏の敵となった後醍醐天皇に対しても一貫している
天皇や皇族は生まれながらにして崇高な人たちだという姿勢は変わらなかったし
太平記は大河化するときに戦後生まれの制作陣が
だいぶん天皇や皇族を一般人化したなあという感じ ウィキペディアとか井沢の妄想とかをそのまま長文で貼り付ける人は何なの? >>743
太平記と北方三国志を繋ぐ北方太平記の存在を感じる >>706
赤井はボクサー時代、浪速のロッキーとしてかなり人気あったからね
ボクサー引退してもしばらくは人気あったけど言動がお馬鹿っぽいから段々人気落ちた記憶 赤井英和と真田広之のドラマあったよな?
こないだからもやもやしてた
高校教師だ
赤井は人間失格で主演してたからそっちとごっちゃになってたわ モスクワ五輪ボイコットでアマ世界最高のリングに立てんかった >>720
孝夫をキャスティングした時点で方向性が決まったな 源平物でよく出てくる後白河とかは伝統芸能の役者がやるイメージあまりない このドラマしか実例がない後醍醐天皇は別にすると毎回決まって伝統芸能の役者というのは幕末大河における孝明天皇くらいでは?
こちらは現在の皇室のほんの数世代前の先祖だから演出に粗相がないようにする必要があるのは分かる
>>760
以前大麻所持で捕まった人でしょ? 終戦のエンペラーでやってたね
野村萬斎もテレビドラマで昭和天皇をやってたけど義詮の方がハマってた気がする >>756
雅楽師の東儀秀樹は孝明天皇や一条天皇役をやってたな。
普通の役者がやればなんとも思わんのだが、家柄が家柄だけに
よくもまあ地下の楽家出身が天皇役を引き受けたなあと思った。
僭上だろうと。 >>736
決してバカではない
強いていえば篤姫で堺雅人の演じた家定に近いキャラ なんかバカ殿なのに皆から大事にされてるとこがよいよ高時
長崎父子も利用してやれとかバカで都合が良いという発想も態度もしてないし
顕子とマリしてるのを見てるなんとも言えない顔が良かった
特に高資
自害するとき円喜は絶対あの世の貞時にお詫びしてたよねあれ >>764
八百屋の子孫・在日コリアンがやるよりは 録画を見終わったがどんどん面白くなってきてる
最近の大河の方が薄っぺらく感じてしまう
なにか折り重ねた重厚さがある >>758
草燃えるで二代目尾上松緑がやったくらいかな? 大河で登場回数が多い天皇は後白河と安コ、そして孝明かな 鎌倉幕府て腐敗やらなんやらのネタてあんまないな
平家だとかむろだの馬がどーのだの奢り昂りがネタになるし
建武の新政はコノゴロ都にハヤルモノーだし
高時が同情されるのはそういうのもあるだろう >>772
津軽安藤氏のお家騒動で高資が双方から賄賂を取って問題を悪化させた件とかドラマで出てきただろ? 円喜が高資にえらい取り乱しながら怒っていたな
高資をしばきながら
「双方から賄賂など貰いおって
私利私欲で内管領が務まるか
北条は今傾いておるのじゃ 北条が潰れれば幕府も潰れる
そうならぬように血を流してきたというのに、このうつけ者が」
ある意味で爆笑レベルの父と息子の乱闘シーン 有力な得宗被官て義時の時に家人化してる
長崎とか諏訪とか
2年後の鎌倉殿の時には義時背後の家人を見てしまいそうだw >>735
楠木正成「♪はじまり〜ましたね〜
あんたの〜話〜♪」w 専制諸公を掣肘させるため孺子の軍権を拡張した。
ゴ朝は粛々と解体されていった >>774
今川は鎌倉公方に対する抑えの役割があるから
守護も在京しなくてよかったはず >>774
今川、土岐は侍所所司に任じられてるから六職と数える説もあるぞ
国持衆と相伴衆の間には溝がある >>737 >>779
確かにその台詞は、銀河英雄伝説でも、よいでわないか皇帝が言ってたな >>774
幕府の役職は本来家来筋の家が就任すべきものだから >>786
それはちょっと違うのでは?
今川、吉良はむしろ格下の家格
今川については
>>781が正しい >>784
それで邦時と時行は逃がしてるから情にも厚いしね
後は子供達のこと考えると泰家にトドメ刺しておけば最高だったw 後醍醐の切なるご催促に、楠木正成は重い腰をもち上げた。水分(みくまり)の館(たち)から一族500人の運命を賭けて――。すでに主上は笠置落ちの御身であった。また正成も、2万の大軍が取り囲む赤坂城に孤立し、早くも前途は多難。一方、正成とはおよそ対照的なばさら大名・佐々木道誉は幽閉の後醍醐に近づき、美姫といばらの鞭で帝の御心を自由に操縦しようとする。かかる魔像こそ、本書の象徴といえよう。 ファーーーーー帝脱出回録画されてないし!!
どーゆーことディーガ!何も設定いじってないのに予約から外れてるし!
ショック…もう泣きたい… >>787
鎌倉期の足利一門のなかで別格的に家格が高いのが斯波と吉良であることは太平記ヲタなら常識じゃないか?
どちらも母方が得宗家である異母弟に宗家の跡取りを譲った庶兄が先祖
この斯波・吉良両家と他家の名跡を継いだ形になっている畠山は宗家とは別に鎌倉幕府から御家人として掌握されていた
そして斯波の分家扱いの渋川・石橋や吉良の分家扱いの今川も家格は比較的高い
一方で細川や仁木なんかは一族といっても実際は高や上杉と同様の被官人扱い 純然たる家人だった高階はともかく、上杉は藤原氏、将軍家の直臣。おまけに尊氏、直義の生母の実家の割に扱いが低いのな。領国少ないし。 上杉が勧修寺の出だとか宗尊の東下に随行したとかは家伝であって同時代の裏付けないし >>792
上杉が宗尊親王に随行して関東に下向したという話は信憑性という点では疑問視されている
ただ室町の上杉は関東管領の地位と一族で関東周辺に多数の守護としての分国を持つ
細川と同様、被官同然の身分からの大出世と言えるんじゃないかな? 後鳥羽上皇派の一族から始まって鎌倉時代であそこまで行ければ十分とも言えるのでは?とも思う >>791
斯波は知ってたけど、吉良もそうなんやね 斯波は阿野廉子こと原田美枝子が
ワラワの子家氏はーと連呼してたからな 斯波は庶兄といっても初代家氏が元々北条朝時の娘が母で元嫡男だったし吉良とは少し違うと思う
武衛家は室町初期を通して一門でも別格 泰氏が適齢期の頃に合う泰時の娘がいなかったから次に家格の高い朝時の娘を正室にしたのだろう
その時はまだ後の名越みたいに完全な反主流ではなかったし 原田美枝子は名越の娘で無念の死を遂げ廉子に転生し得宗を滅ぼすとはなw 生まれ変わって曽孫・玄孫をいびり倒して耳孫に討たれる西岡徳馬 正直に白状いたせ
その方たちの中に
「太平記の沢口靖子かわいいな。若い頃の沢口もっと見たい」
とばかりに調子に乗ってNHKにリクエストいたした者、多数おるであろう
一人二人程度のリクエストでは今このタイミングで朝ドラ再放送枠に澪つくしが来る道理はないのだ 麒麟が来るまでお待ちくださいの秀吉特集を見てリクエストした人もいるだろう >>787
吉良は洛中だけでなく関東でも御一家待遇だが
吉良氏が斯波氏より格下とかアホか
吉良氏は上座で将軍家の隣に座る家格 >>807
本来は斯波家の方がはるかに上やろ
途中で没落したけど もし家時が早世すれば惣領代行の家氏が足利を継いでたろうしな >>808
一時的に将軍代行を務めた事もある吉良が、何で斯波の下なんだよ
吉良は斯波より一代古い連枝で、初代の母親は公家(家女房)の可能性が高い
>>810
足利家氏は母親が名越北条氏で嫡男だったのが
幕府北条氏内の政変で廃嫡
足利別家になって斯波氏になったわけで
吉良氏の祖の吉良長氏は
母親が名もない側室
家格的には比べようがない 高卒か?
家女房は、理由があって隠す時に使われる
隠す理由は、嫁の実家の家格が高い場合が多い
公家と北条と比べて、どちらが家格が高いんだ? 鎌倉時代は北条家との縁が全て
足利宗家も北条家との縁で嫡男が決まった
斯波氏の最盛期は室町幕府前期の斯波義将
従三位だから圧倒的
吉良でそこまで高位になったものはいない 家時が早世する前に家氏が力尽きたからw
それでももし貞氏が産まれて無ければ母が得宗の姪な足利宗家が足利宗家(ややこしいw)を継いでた可能性も有ったと思う
この時点では吉良の出番は無いでしょ 足利もなんだかんだ、得宗直系の姫を正室にしたことはないんだな
北条時政は得宗じゃないからな >>790
録画失敗したのならDVD買えよ
紀行は入ってないけど 義氏も義時の娘はもらえなかったな
一代飛ばして自分とあんま歳が違わない泰時の娘を妻にした
泰時が嫡子とはまだ決まってなかったが 年齢が合わないといけないし、時宗以降は娘も少ないから、なかなか難しいのかな。 10代半ばの将軍と20代半ばの正室で孕ますというオネショタの薄い本が書けそうな組み合わせも有ったけど例外だろうしな >>807
斯波は鎌倉殿(鎌倉公方・古河公方・堀越公方)と同じ左兵衛督
礼法で名字(斯波殿)で呼んではならない(武衛殿・玉堂) 斯波は義詮の執事?断って管領職になる名族だよね
プロの素人の俺でも知ってる まあ別に北条から嫁をもらわんとアカンという決まりはないからな
ただ義氏の場合は庶兄が北条娘を嫁にして畠山継いでるし
意地でも北条から嫁迎えたかったかもしれんw 斯波は義将以後も義淳が魔将軍義教に何度もしつこくも管領に就任するよう要請されている
この頃までは幕府内で将軍家も軽視できないほどの存在だったみたいだな >>825
管領は家来がやる事だから、高経は嫌がったんだが
吉良氏と違い、家人としての扱いを受けた 吉良氏の仕事は、清和源氏嫡流の仕事(大内守護)である皇居の警備をやりつつ、足利将軍が座る上座の隣やや前に座り、ふんぞり返っていた
斯波は下座でその2家と対面する家格
幕府役職、守護職で格上格下を言う奴は、やたら石高に拘る間抜けセンゴク(笑)と似ているな 血筋や序列はどうあれ、没落していって見向きもされなくなったのはお察しくださいだけどな 大名としてまともに生き残ったのが細川くらい…
それも嫡流ではないしな >>805
何を言う
俺は川野太郎とさんまが見たいとリクエストしただけだ 足利一族って26家あるとかないとか聞くけど
有名なのは
細川、畠山、斯波、今川くらいか
歴史好きだと吉良とかも入るかな
桃井とか石塔(だっけ?)とか上げるのは通かな >>805
澪つくし放送来たーw
自分はジェームズ三木て大河ドラマの脚本家のイメージをずっと持っていたが葵徳川三代の翌年の
「お登勢」(ヒロインは沢口)が脚本、役者全て良くて三木のイメージが変わったのだが、澪をつくしのヒットがあればこそだった
しかし何度リクエストしても「お登勢」は放送してくれない、、、
舞台化や映画化(これはクソだった)もされたが
マイナーな題材なのは100%認める 義詮夫婦てどっちも父親足利一門母親北条一門だな
嫁選びに登子の意向も働いたか >>799
たぶん仁木・細川と同様で家来同然なんじゃないか?
仁木・細川の祖である矢田義清は足利宗家とは無関係に木曽義仲に属して別行動を取った
同じような感じで足利宗家が頼朝に従った後も平家方として別行動を取ったのが新田だし
>>802
しかし泰氏と頼氏(最終的な嫡子、母方は得宗家)の年齢差って24なんだよな
泰氏は名越の娘(斯波家氏・渋川義顕の母)と何歳で結婚して何歳で離婚したんだ?
後に正室に迎える得宗家の娘は泰氏の初婚のときには全く婚姻候補にならなかったのか?
いろいろ不思議だ >>835
のちに会議で桃井と石塔を尊氏が罵倒するシーンが2度あったはず
師直兄弟を失って将軍が着座するまでの雰囲気から後の庭でのマキ割りまでかっこいいわ 北条時氏は早世して幼い子供たちは安達家で育った説もある
泰時が長生きしたから孫が得宗を継いだが
途中で泰時が大病を患って死にかけたこともあるように
もし孫が成長する前に泰時が死んだら名越が得宗になっただろう
だから泰時もある程度孫への継承の目処がついてから
足利と孫娘の婚姻を考えたんじゃね >>830
それは執事
だから管領という名称に変わった
吉良オタクは
官位という絶対的評価は無視するのな
斯波義将の方が吉良より圧倒的に官位が高かったのに
吉良の方が家格が高かったなんか
子どもだまし 御一家の制は
足利一門内で圧倒的に勢力があって足利将軍家に取って代わる恐れのある
鎌倉公方家と斯波家を抑えるために
弱小二流足利庶家の吉良、渋川、石橋の与えた政治的なもの
渋川、石橋なんか斯波家の分家であることから内実はお察し 幕府の実質No.2に庶子で13才の義将を出してる時点で足利高経から見た管領がどういう物だったかが分かる 足利にとっての斯波家は
北条にとっての名越家と同じか
室町初期でなかったら(室町初期だから?)
結構宗家に反抗的な話をきくけど
「俺は足利だ!」って宗家を倒して
足利に復姓まではしないのかな >>841
物を知らない田舎者だな
吉良は無位無官で昇殿を許されていた実績があるんだが >>844
ずっと足利氏で室町も武衛家呼びされてたよ
当主が続いて早世して没落するまでは各地の公方と同じ位の誇りを持ってたはず もうすぐ鶴太郎とフランキー堺が見られなくなるのは悲しい 既に大勢力だった足利に北条を滅ぼした後にどれだけ恩賞を与えるのかは悩ましいところだね >>606
あれだけ雪が積もる時期の海に落とされたら、
溺死の前に心臓麻痺起こしそう(;^ω^) 確か足利は武蔵国など関東の国を与えられたはず
それに比べて楠木正成は面積は狭いものの京のすぐ近くの
河内和泉を与えられた
一説には後醍後は楠木は信用なるが
足利はいずれ反乱起こすかもしれないと思い
京の遠くの領地にしたとか言われてるな 鶴太郎は軍師官兵衛でセルフパロディみたいな役をやってたのが残念だったな
高時は英明では無いけど決して馬鹿ではないという絶妙なバランスのキャラクターだっ >>648
649みたいな人がいっぱいいて、
「邪魔なので、消して」と意見したのだろう。
自分もその一人で助かってます d(^_^o) マツケンも北条義時が最高であとはなと思ったが
鶴太郎も北条高時が最高であとは、と思ったな
得宗演じると印象が良くなる説w >>857
マツケンは同意w
中学生の時、草燃える見てマツケンいいなと思ったが他は、、、全く見ていない
鶴太郎は代表作の刑事物は良いんじゃない? >>854
国を与えるって・・・?
領地って別に国単位で与えられるものじゃないんだけどな 得宗は歴史人物として深いから普通にやると深みのあるキャラになる
三谷も義時は酸いも甘いもかみわけた人物言ってるから少し期待
井上由美子みたいに史料無視してアタクシの妄想でやるとアカン >>855
あのキャラは悪くなかったが高時と比べるとかなり無能っぽかった
あと何故鼻の頭が赤いのか 三谷は詰まらないギャグ入れて義時や政子を貶めるだろう。等身大のキャラクターを描きたかったとか言い訳するだろうが、まともに歴史と向き合えない自分自身を誤魔化す詭弁に過ぎない。 大河だと時氏〜時頼(長時)辺りの作品がまだ無いのかな? ギャグ入れたってキャラ貶めることにはならんだろw
草燃えるはギャグ満載だった
ついでに昼メロ全開でさすが中島御大 >>864
「とかなんとか言っちゃってえ」の草燃えるを上回る抱腹絶倒の北条ファミリーコントが一年間繰り広げられるのか
草燃えるはシリアスのスパイスとしてのコントだけど三谷はコントしかやらないだろうな >>868
昼メロ要素は中島オリジナルではなく永井先生へのリスペクト 姉上男に飢えてるんですか?
と義時が政子に言ってたが@草燃える
さすがに三谷もそこまで突き抜けられないと思う 草燃えるもこの太平記もそうだけど主要メンバーの性格設定が基本的に原作から先ほど逸脱してないからいいんだよ
草の頼朝の泣き真似上手とか、太平記の正成が温厚な人柄とか 高時は幕府滅亡に追いやったバカだが
一門離反者も出ず大勢が高時に殉じて死ぬから
あーゆー描き方になることが多い気がする
ただのバカのためにあんなに死なんだろうていう 赤橋との別れ
太守は逃げぬ、と仰せなのじゃ
あたりからの流れは本当に美しい >>875
滅亡が急過ぎて脱落する暇もなかった
平家のように都落ちから滅亡まで1年半くらいあれば一門であってもそれなりの脱落者は出たんじゃないかな? 平家は敵が武士だが今回は敵は武家政権を否定する勢力だからな
北条が裏切り出ないのはそれもあるだろう >>878
外様がことごとく寝返る中、北条一族はスゴイね。
ちょっとネタバレになるけど、鎌倉以外の場所で
どうやって北条が立つ瀬があるのか?と円喜さんも言ってます。
アタックチャンスは生きていてこそ花は咲くと切り返すが、
「では、勝手にお逃げなされ」と言われたら、それもできなかった。 このドラマの金沢の描き方はなかなか面白いと思う
赤橋は寝返り者なんじゃ疑惑かけられてるのに鎌倉の外に兵ひきいて
出陣してるてのなんかすごいしそれをドラマでうまく表現してた 昔、そこそこ規模の会社の凋落から解散まで付き合ったことがあるが、鎌倉滅亡時のそれぞれのキャラの振る舞いが、当時の同僚や上司に被って感慨深い。
人間、落ち目になったときに本性が現れるもんだなあ、と。日頃温厚で理性的だった人が恥も外聞もなく保身に走るかと思えば、組織の癌だと思われてた人が案外その組織を守るために奔走したり。 >>878
もしかしたら北条は後醍醐の化けの皮の下を見抜いていたのかな? 後の中先代の乱を鑑みれば、
アタックチャンス殿の進言を聞き入れて、信濃にでも逃げ込んでおけば
高時もなんとかなったんじゃないのか
実際息子は逃げることが出来たんだから 20回
足利軍が近江・不破の関にさしかかると、関は佐々木道誉の兵達によって閉ざされており、近づくと
矢を射てくると物見が報告してくる。さて は妨害する気か、と見た直義と師直は陣を敷いて軍議を行
おうと進言するが、高氏は「兵を一里ほど下げよ」と命じ、「判官殿に挨拶に行ってくる」と師直とわず
かの兵だけを連れて関所へと向かう。高氏が館の中を探し回ると、派手な鎧を身にまとった道誉が
待っていた。「鎌倉殿の命でな、足利殿に備えていた」と言う道誉。身内だけでは乱を鎮められず外
様の足利を使うとは北条もぶざま、と道誉が言うと、「その北条にまだ未練を持っている御辺もなか
なかのぶざまじゃ」と高氏がからかう。「そのぶざまな田舎大名に助けを借りねば鎌倉を攻められぬ
源氏の大将もおるでな!」とやり返す道誉。しかし高氏は「鎌倉を攻めるつもりはない」と答え、地
図が書かれた屏風を取り外す。するとその陰には刺客が隠れていた。すわ気づかれた、と他の場所
からも刺客が飛び出す。しかし高氏は気にもせず、屏風を倒して道誉に戦略を説明し始める。
高氏の戦略とは、鎌倉ではなく、京の六波羅探題を攻め落とすことだった。北条は手も足も畿内に
送り込んでしまった。六波羅を落とせば、鎌倉は頭だけで死んだも同然であると高氏は説く。「兵を
貸せとは言わん。ただ黙ってここを通してくれればよい」と高氏は道誉に頼む。「これからのまつりご
とは、京で行わねばならぬ。朝廷もある、商人もいる、楠木殿のような武士もいる。それゆえ、まず京
を攻める」と高氏は将来の構想までも道誉に明かす。聞いた道誉は「面白い!」と叫んで刺客達を
下がらせる。「兵が足りぬだの鎌倉は攻めにくいだの言うようなら首を刎ねて献上してやろうと思って
いたが…面白いのう」と本気で感心している道誉。「ただ一つだけ気に入らん。このわしにただ見て
おれというのが気に入らん。一緒に連れて行け」と道誉が言うと、高氏は気取った風に「それもよか
ろう。苦しかるまい」と扇子を道誉に突きつける。顔を見合わせて大笑いする道誉と高氏。こうして
高氏は不破の関を突破した。 >>719
TOKYOMXのように常時マルチに
101に移るだけ
夕方朝ドラがそうだけど総合でやれば休止の酷さ
大昔の半沢だな 鎌倉の複雑な人間模様は、BGMを「半沢直樹」にしても「パリは燃えているか」にしても違う意味で似合うな。 20回は名シーンが多くて困るw
もう一遍だけ載せる
鎌倉の赤橋守時邸。深夜、寝所の登子にささやく声がする。忍び姿の右馬介だった。「お迎えに参りま
した」と言う右馬介に戸惑う登子。高氏 が反旗を翻したと告げられ、登子は「兄を見捨てては行けませぬ」
と千寿王だけを連れて行くように言う。右馬介はひとまず部下に千寿王を連れて行かせ、登子 の説得を
続ける。怪しい物音に、守時も気づいていた。守時は家臣たちに「騒ぐな」と告げ、寝間着のまま登子の
部屋に現れる。「兄上…登子は何一つ…兄上のために何一つ…」と泣く登子に、守時は言う。
「よい…こは世の流れぞ…もはや北条の命運は尽きておる。そなたは足利殿と共に生きよ。生きて足利殿
と、わしのできなんだ見事な武士の世を作ってくれい…足利殿に出来ねば千寿王殿にやらせてくれ、それが
登子の役目ぞ」今生の別れを惜しんで兄に泣きつく登子。「ここに残って、この兄と死んでも、わしは良い妹
とは思わん、早う行け」と守時は登子を右馬介たちに引き渡す。去っていく妹をじっと立ったまま見送る守時の
周りに、庭の桜が舞い散っていた。 平塚の場面は子供のころに見て両雄がすごく格好よく思えた
あの格好良さは根津さんにしか出ない
さっき見たらその前の場面は、岩松がいるのに義貞が後醍醐脱島を知らないっぽいとか、
ちょっと地味におかしな点もあるけど >>883
人間性や内面の問題じゃなくて権力闘争だからな
後醍醐が聖人君子だったとしても、あのやり方は北条は絶対に潰さざるを得ない 今日の柳斎と伊佐哉丸のシーンは最終回知ってる者には切なかったな 鉄砲がない時代の戦闘シーンはいいな
ちょっとほのぼの >>893
長崎高資のバリケードに新田軍が捨て身の突撃まであと数話・・・ 思ったのだが藤夜叉の「三河国、足利、一色・・・」の言い方が意味深に聞こえたのだが、
もしかしてここで石の親の仇の問題が、解決される予定だったんだろうか。 悪党って現代の意味じゃないんだけどな
悪左府、悪源太あたりを調べたらいい 妻子連れて出陣します、なんて無理あるだろ
お前ら北条倒す気でいるのに我らを信用しない!つって怒るのおかしいやろ
昔も今もどーも気になる脚本のあら 寄手塚のエピソードは素晴らしいな
やはり楠木正成は最も尊敬する人物に値する ワイの尊敬する人物
1空海
2楠木正成
3立花宗茂 今、噂の東京マガジンで、洲崎の戦いの場所に鎌倉市庁舎移転計画で市民大反対!、
なんて話やってんな。 もし鎌倉幕府がそのまま続いてたら新田義貞もずっと生きてたろうし
楠木もそうだろうな
良い道と思って選択したところが滅亡の道だった
この辺りが歴史の面白さでいいね
楠木は後世にまで名を残したから結果的に良かったかな >>904
それ、突然「新田義貞と北条守時」とか言い出したのでびっくりしたわ >>899
妻子連れ上洛は古典太平記が元ネタだし。
足利が妻子(側室、長男含む)まで同道して上洛すると噂が流れたので、
円喜が高時に、木曽義高の例を出して鎌倉に留めた。起請文も書かせた。
高氏は怒ったが、古典では知性派の直義が、
「千寿丸はいざとなったら誰か抱いて逃げられる。御台所はまさか守時が殺しはしない」
と兄を説得して、高氏も渋々承知した。 ドラマの直義だと脳筋だからこうはいかない。
どうしてあんな猪武者キャラにされたのか不思議。楠木兄弟に合わせたのかね? 正成も良いこと言ってる風で
実は精神論ばかり
あれでよく人が付いていったもんだ >>905
正成は河内の大豪族としての生涯だろうけど、新田は田畑切り売りする位まで貧乏していたし、
新田も「天下を掌握せんと願う」という新田義重の願文もあるから、決起して悔いはないんじゃないか?
嫡男の義顕の母親が御内人安藤氏だとすれば、その代で立て直せた可能性もないではないが。 建武の新政の前後で
直義と師直のキャラが突然交代する >>910
そう
だから本人は良かれと思ってたったがそれが滅亡の道だったという皮肉
あるあるだね 今のところほぼ台詞も無いモブキャラなのに二階堂道蘊の存在感は凄過ぎ 一人だけハゲ頭だからなw
二階堂は藤原氏で元をたどれば京の公家なんだから北条の残党扱いされるいわれはないんだけどな >>908
不思議だよなあ
ドラマでは師直との今後の対立の伏線として利用された感もあるが 尊氏と幕府幹部との会話で
千寿王以外に隠し子である直冬がおろう
と言う会話が有ったけど
庶子の竹若丸は無視ですか?
尊氏の兄である高義も無視されてるし これ足利 犬猫ではあるまいに、おのれが生ませた子を忘れるヤツがあるか
ワロタw OPや劇伴が三枝だから武田楠木のなぜわからんがガンダムっぽく聞こえてしまう。
確か湊川回で足利の偽装にあっさり釣られて軍勢を移動させる新田に憤慨してなぜわからんと言ってたな。 「鎌倉炎上」の前の回で、
足利や新田はいくさが好きなのじゃ いくさ嫌いがいくさ好きに勝てるはずがない
ごもっとも 幹部会議に呼び出されて隠し子のこと言われる
ちょっと高氏に同情したw
そういえばなんで隠してるんだっけ 足利の子と知られなければ静かに暮らしていけるとか言ってなかったっけ 登子のため、ひいては北条のために庶子にすらしていないのだから、あの言われようはないよな。 >>914
二階堂が京の公家なら他の御家人も全部公家 でも道誉、観応の擾乱の時も、他の武将がすぐ裏切るのに、一貫して尊氏派だった
道誉、いいヤツだな 足利の場合直接鎌倉を攻めずに六波羅探題を攻めて
新田に鎌倉攻撃させたね
もしかして尊氏は足利軍の手で足利と仲良かった
赤橋守時や金沢を殺したくなかったのかもね
尊氏なんか北条を裏切って反乱起こすかマジで迷ってた状態だもんな
と言うかもしも足利が鎌倉攻撃してたら
赤橋守時や金沢を救いたいと一時休戦し
その間に赤橋や金沢だけでなく
高時や長崎も逃亡し
信濃など北条勢が多い国で北条政権が存続と言う可能性有ったかもな
尊氏の優柔不断の性格じゃあ充分有り得る話だよな >>930
いいヤツとかでは無く、
ああ見えて理想が尊氏に一番近いから、
付いていくしかないのよ
大河ドラマの太平記は理想を追う人々の話だと個人的には思ってる
尊氏にとって、北条高時は理想を捨ててしまってるから、
長崎円喜は理想を見ず現実だけ追うから醜いわけ
後醍醐帝と決別するシーンがあるけど
あの時、帝が頑として理想を曲げなかったからこそ
生涯敬愛する存在であり続けるんだよね
直義も同じ 出展は漢書だから出てもおかしくはないが
太平記には使われてるが吾妻鏡にはざっと見た限りなさそうだぞ
考証が使わせるかね
本郷なんとかという人は「柳営の初出は江戸時代」とか書いて叩かれてたが >>910
すまん、新田義重の願文ははじめて聞いた。
もう少し詳しく。 >>930
尊氏死んでから
いろいろ奔走する道誉も面白い >>932
鎌倉攻めの総大将は千寿王だけどwww
甥が叔父にトドメを刺してますよwww このタイミングで登子にも祠の木切れの話をしてたんだな
すっかり忘れてた
しかし鶴太郎と真田の顔が横に並ぶと遠近感がおかしくなるな 「千寿王殿、父はすぐに帰る 母上を頼むぞ」
千寿王が北条の血を引いてるから、尊氏も敬意を払ってるのか >>940
千寿王が鎌倉攻めの総大将として担ぎ上げられたシーンのナレーションないしは
その回のアバンかなにかで当時は幼子には神が宿っていると信じられていたとか言われてなかったっけ? 顕子が出なかった・・・
隠し子談義のところで犬か猫を追いかけて来て評定に乱入!
高時 「犬(猫)は可愛いのぅw 裏切らんからのぅ( ・`д・´) 」
とか、やれば良かったのに >>474
具体例を上げよ
一覧を眺める事で、頭にインプットされる
室町幕府と江戸幕府は同じなんだなと
三河に拠点を置き続け、自ら関西関東に出向いて武家政権を置く
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
伊勢、饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 スティーブンキングのミストみたいな展開
主人公が正しいと思って戦ってでも大切な人はみんな死んで
そうじゃない人は助かったという >>888
足利家時の御置文は、やらんのですか?ネタバレにも程があるかw
故有らばこそ 此処に書き置くなれ
死するにあたり 我より後の子に託す
我に代わって天下を取り 遠祖の委託を成し遂げよ
我 世運を思うや多年 然れども 我に徳無く 夢虚しく破れ
僅かに家名を守らんが為 一命を擲(なげう)つのみ
我より後の子に託す 我が意を告げをかし
我に代わりて 天下を取れ >>944
楠木正成「♪始まり〜ましたね〜あんたの〜はなし〜」 >>916
葵徳川三代では、鬼島津の島津義弘に確変しますw
これがカッコイイ!亜相殿〜の生臭坊主が、
関ケ原では「島津の退き口」で、西郷・大久保らのヒーローに。 >>936
建久八年(一一九七)、領内の八幡宮(後に遷座して現在は太田の大光院内にある)に弓矢八幡像を寄進した。
その願文に、
「我、清和源氏の正統なり。故に自らまさに志さんとすることありといえども、時運いまだ到らず、遺恨千番なり。
伝え聞く、八幡大菩薩は本地阿弥彌陀佛なり。よりて彌陀の本願を頼み、八幡の神力を仰ぎ、子孫開運、宝前に祈りて、子孫丹心をもって逆徒を平治し、
終に天下を掌握せんことを願う」 >>938
鎌倉攻めの総大将は義貞で問題ないだろう。
応永三十三年(1426)の岩松満長申状に義貞と岩松経家を「両大将」と書いている。
千寿王だったら千寿王と書くだろう。
>>940
出征する父親が息子を一人前扱いして「母さんを頼むぞ」と同じ感覚じゃないかな。 >>947
無論
「故あらばこそ、ここに書き置くなれ…死するに当たり我より後の子に託す。
我に代わって天下を取 り、遠祖の遺沢を成し遂げよ。我、盛運を思うや多年、
しかれども我徳なく夢むなしく破れ、わづかに家名を守らんがため、一命を
なげうつのみ。我より後の子 に託す、我が意を継げよかし。我に代わりて、天下をとれ!」 尊氏に「妻子を預かる」と言い放った後の
”今日の傀儡のお仕事終わった”感を出す高時。 >>837 その頃はまだ直義との関係維持を模索してたからじゃない?
義詮の正室渋川幸子は直義夫人の姪だし
幸子は中々しっかり者で、3代義満は側室腹だけど嫡母として養育して、義満は生母より重んじていたとか 鶴太郎の高時って公家より公家っぽいねw
護良親王とか千種とか顕家とか武闘派公家は高時より武家っぽい。 北条の宗家だから、実務は内管領が差配する。
お飾りのお坊ちゃん。 尊氏は娘は可愛がってたらしいと言われるが
義詮は4歳から鎌倉へ置きっぱなしだし基氏も10歳で鎌倉へ派遣したりと
息子には厳しいイメージだな
まぁ武家の息子なんてそんなもんだろうけど >>959
その通りで戦う公家って公家では無くてもはや武士だからね
尊氏じゃなくて護良を征夷大将軍にしたところで結局は後醍醐の思うような政治は出来ない 鶴太郎が子供かわいがるシーンの記憶がないが
高時は子供いないのか? >>885・888
嵐が吹かねば、太陽が輝かぬとするなら、大地を走る無謀な風となろう。
戦いの果てにしか安らぎは来ないものなら、己の血の滾りに身を任せよう。
それぞれの運命を担い男達が昂然と顔を上げる。
次回、「足利決起」
放たれた矢は、北条を射るか、地に落ちるか 高時の子供はそれだけでドラマになる
鎌倉炎上の光景、時行の鎌倉脱出、邦時の悲劇を描いて最後は諏訪のシーンで〆る
>>966
むせた 時行は平穏に暮らすことも可能だったろうがあれは
父親の敵をうつためという息子の義務でずっと戦ったんだろうな
孝行息子言われるのわかる
だから自分の子供達にはさせなかった この太平記には出てこない北条泰家が焚きつけなければ諏訪大社の巫女さんハーレムのまま平穏に暮らして戦国時代の信州諏訪の勢力図が変わったかもしれない 千早城、太平記紀行に出てたのを見ると、ドラマのような火山灰地じゃない。
ドリフターズのコントみたいな、岩といい、バブル期の制作なんだから、もう少し頑張ってほしかったところ。 名越も弟の方は今川に保護されて奉公衆になったが
嫡男の方は中先代で戦う方を選んで討死したな >>970
ドリフターズであの世界に召喚された太平記の登場人物(バンデッツのキャラに変換)を想像して吹いたw >>953
残念。武家の大方が鎌倉を落としたのは千寿王と見ている。
建武の新政でもその分の恩賞もらってるからね >>929
子づくり現場が、我が屋敷じゃからのうw >>919
スルーですね。竹若は逃亡に失敗して殺されるそうですが、
正室の子、千寿王が生きていればドラマは続けられるし、
高義が若死にしなければ、北条への謀反の可能性は薄い。 竹若丸の母親は足利頼氏の孫なんだな。
仮に生きていれば義詮との間で嫡男争いになったのだろうか? >>977
ドラマの都合上省略される親族っているよね
真田丸も昌幸は4人息子いたけど側室出生の三男四男はスルー
葵徳川三代みたく一族のお世継ぎ闘争も主題の一つで家康の子供全員(物語開始前になくなった信康はセリフで言及)するのは稀 >>974
岩松満長申状はどう解釈するんだ?
岩松氏が将軍家に嘘を言っていることになるぞ。 この大河の高時だったら息子たちに
得宗家の呪縛から逃れられるんだからのんびり生きろ
て言いそう
ずっと疲れてたよね高時 足利引両三代みたいなドラマがあったらよかったんだな
そしたら南北朝統一できるし そりゃあ高時の子は好むと好まざるとに関わらず御輿にされるよ >>971
北条泰家は一瞬だけ登場してた気がするけど
作劇の都合上省略されてなかったら
高時に決断迫ったり、足利へ睨みをきかせたり
長崎親子と反目したり
アタックチャンスを脅迫したり
してたんだろうなあ
ドラマの展開から言うと省略するしかないか あれだけ、円喜に恫喝されてた判官殿の家族は、
鎌倉からの逃亡に成功したのだろうか?
やはり、葵徳川三代の家康みたいに、時には
「妻や子も捨てねばならぬ」のだろうか? やい!
犬猫ではあるまいにスレ立て乙を忘れるやつがあるか! 妻子を捨てるなんて南北朝では数多の例があるからな
だからこそ北条時行なんて落ち延びる所々で子種落としただけであとはスルーして戦いの日々
いわゆる嫡子系以外の子は母方やその支援者の保護の元で育てられるから、庶子扱いとなり、後継にならないのやろ
まあ、嫡子系が絶えたり、騒動が起きれば、神輿になるのだが 千早城などの場合、城を築く時は周りの木々は全て切り倒して城の建物や柵、塀に使い、守りやすく実質禿山にしてた可能性はある 道誉の血統はその後の尼子につながるからな
やはり、乱世に覇砂羅の血は燃え上がるものらしい 録画したの順番に見てるけど鶴太郎と小田茜のシーン、ガキの頃本放送でも見てたけどやっぱり嫌悪感がやばくて凄い
こりゃ滅ぼされるわと素直に思える 鶴太郎と茜の絡みを令和の世に見ると、ロリコンマザコン得宗家のボンボンがで終わりだけど、リアルでやってた頃は、もう、長崎親子の傀儡になるしか鶴太郎の生きていく術は無くなって現実逃避してガキンチョと遊んでるしかないんやろなあと思って見てた
平安時代なんて10代どころか、10歳未満同士の婚儀とか、中宮入りなんて当たり前の時代やからな いまも昔もガキと遊んでる見てたらツイで側室言われてて
側室だったんか!と素直に驚いた自分はバカだとおもた 50まで生きたら長生きの時代なので、男女関係も早熟してたのやろ
まりつきや鬼ごっこしたあと夜は営んだりしてたのやろな このスレッドは1000を超えました。
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