【第四十八回】太平記part.48『果てしなき戦い』
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前スレ996
政治の天才だと
家康とか大久保利通とかかな
世界史だとビスマルク、ド・ゴール、チトー >>1乙
すまん、前スレ980だけど気が付かなかったわ 足利高氏の心はすでに決している。彼は、名優さながら、なに食わぬ態(てい)で六波羅軍と合した。いつ、最も効果的に叛旗をひるがえすか? 高氏の打ちあげた烽火(のろし)は、まさに万雷の轟きとなった。石垣の崩れる如く、鎌倉幕府は150年の幕を閉じた。――さて建武の新政。台風一過と思ったのは、ひと握りの公卿たちで、迷走台風は再び引返して荒れ模様、武士たちの不平不満は尽きない。 このスレは>>1が立てた太平記ファンの都、>>1が築いた分身ぞ
それを使わずして何処にか我らのレスする処やあらん! 勝利の後のほのぼの感は「来んけるや」と高氏・正成のサシの語り合いだけだった
あとはほとんど全部今後の波乱の火種だった それでこの高時は執権となり、くたくたになり、生涯名執権とうたわれた父上に頭が上がらず、母上に頭が上がらず…はてさて>>1乙とは疲れるものよのう…! >>6
鎮守府将軍は令外の宣旨職だから官位相当は決まってないから左兵衛督との優劣は特にない
両者の兼職も可能 朝廷の官職が有名無実ながらも存続したのって、純粋に名乗ってかっこよかったというのもあったんじゃないかな
足利治部大輔尊氏という名乗りを聞いてそんなふうに思った 武家には受領名が大流行するし、百姓でさえ衛門府と兵衛府のお役人だらけになるからなw
無冠だと新田小太郎殿で官位有ると新田左衛門佐殿
どっちが良いかなんて一目瞭然 >>13
みんな、治部大夫とか左衛門佐とか
勝手に名乗っちゃえばいいのにな 新スレを死守つかまつり、>>1どの積年のご恩に報いる! 過去スレで何度も話題になってる23話の後醍醐の高笑いだが
前回の北条一族の壮絶な最期を見ているだけに
視聴者には後醍醐に対する違和感と言うか、何か違うんじゃないか
みたいに思わせる意味の演出でもあったのかと思う。 この前鎌倉散策して鎌倉宮に行って初めて創建縁起を見たけれど、明治天皇が大塔宮を祀って建てたんだね
何かシンパシーを感じたんだろうか はて、この席にわしの許さぬ者が来ておる わしの命に背き、高師直を殺すよう
そなたにけしかけた者がおる かかる者の同席は許さぬ 頼房 追って沙汰を致すまで下がれ
そも直義は、こたびのいくさで誰と戦こうたのじゃ?誰と戦うた
最後に、ここには来ておらぬが、高師直を切った、上杉能憲は断じて許せぬ 能憲は、
死罪に処すべしと存ずる 直義、そなたの意見も聞こう 本来わしの命に背き、師直と
勝手にいくさを始めた咎人なれど、わしの弟なれば、是非もない 申すがよい >>21
明治帝ってお調子ものなイケイケな人でさ
日清戦争も開戦前はびびりまくってとにかく止めてたらしいけど
勝ってるって話を聞いた途端に大はしゃぎで
前線の軍人を称える歌とか読みまくり
西郷を気に入ってたとかって話も
いくさ話を聞いて大興奮とかだと思うよ
大塔宮も、皇族で前線で戦いまくりとか他にあまり例がないからねえ >>20
そうだな
高時(+覚海尼)、長崎親子がドラマの悪役だったと言っていいが
足利・新田決起から潔かったり人間味が強調されたり、悲劇の主人公みたいになっていった
その後の回で後醍醐の高笑いだから、「悪役交代」の感じがある >>23
確かに笑
自分の代に二度も外国と戦争して勝っちゃったらそりゃあイケイケにもなるね笑 長崎親子は足利危うしのやりとりが良かったねえ
親父は当然だけど息子もいい
バシバシ殴られた後に、自分を恥じる高資が良いんだわ 覚海尼が貞時時代が〜ってよく言ってたけど貞時って得宗専制強化しようとして失敗して酒浸りで政務放り出して早死にしたところとか高時はよく見習ってたと思うんだが >>28
鎌倉幕府衰退の最大要因は御家人の困窮だけど
それは御成敗式目6条の不備(年貢三年の猶予)と、
貞時が出した徳政令が直接原因だと思う >>12
鎮守府将軍って鎌倉期段階でも全然常設じゃないし
最終的にも建武政権期を最後に完全消滅するイメージだが
平安期だと確かに常設に近い時期もあるが基本的には陸奥守が兼ねる感じだし
他の官職との兼帯が可能なのは鎮守府将軍自体は官位相当の対象外だからだよ >>21
鎌倉宮は南朝の皇族や忠臣を祭るために明治期に各地に創建された
いわゆ「建武中興十五社」の一つだよ
>>23
西郷隆盛はそれこそ足利尊氏などと同じタイプで人を惹き付ける不思議な魅力があるから
身近に接した人はかなりの確率でその心酔してしまう
性格的には相容れなそうな山県有朋なんかも実際は結構西郷を慕っていたらしいしね
唯一大隈重信だけは西郷と終始折り合いが悪かったらしいが
>>26
日露開戦前後の時期はかなり憔悴していたという話だけどね >>22
かっこいいよな、勝者と敗者の講和会議が逆転するんだもんな
だいぶ先の話だけど、また書き込んでくれ >>32
日露戦争って桁違いの死者が出てるから
すぐ後に世界大戦があったから忘れられがちだけど
日本の歴史的には未曾有の大被害
そりゃ、天皇やってれば憔悴もするわ
みんな天皇陛下万歳叫んで死んでいくんだから >>33
ありがとう
あのシーンの一連が好きすぎて、DVD何回も見てセリフ覚えてしまったw
あの回では、ラストの桃井襲撃に失敗した義詮と尊氏の会話も好き >>34
糖尿病の症状がはっきりしてきたころでもないかな? >>30 でも潔く散ったのは醜き片岡
美しき片岡はしぶとくしぶとく生きる >>22
そのあと、桃井の大激怒シーンがまたいいんだよな >>22
真田広之が演じるから痛快な場面だけど文章だけ読むとイカれたサイコ野郎だなw
このドラマは主演の魅力で引っ張ってるけど尊氏の行動だけ追うとやっぱりクズだよね 大隈重信は金に汚かったから金に適当な西郷とは合わんやろな。 上杉能憲って高氏虐殺して尊氏には死ぬまで憎まれたけど
義詮基氏には許されて関東管領までになってるよな >>41
山縣も井上馨も
金に汚いからw
大久保ぐらいじゃないか金がらみで私欲ないの 桃井とか突然出てきて偉そうなことばっか言いやがって
お前北条時代何してたんだよと突っ込みたくなる >>43
山縣って、秀吉並みの一大出世を遂げたが、人気はないよね。 >>37
>>40
第3の片岡は、父や叔父に愚か者呼ばわりされる2代将軍
千寿王時代は可愛かったのにw >>18
戦国時代だと
勝手に何とかの守を名乗ったって書いてる本あったけど
そこまで勝手にはしてないのかな
身分の低い下級武士同士だと
普段は「おい太郎」「なんだ次郎?」
みたいな感じなのかな?
それだと箔をつけるために官位をありがたがるかな >>44
聞いた話だと、桃井って
足利内の序列で、かなり下のほうだったような
直義系統が続けば
細川みたいに名家桃井氏とかに出世したのかな >>47
あの人、子供の頃に真田太平記に出ていたね
太平記と真田太平記に出てるのはこの人と榎木さんだけなのかな? >>45
金に汚いイメージと陸軍を長州閥の縁故人事で固めて権力を維持し続けたイメージが原因
>>48
官途名を勝手に名乗るケースは南北朝くらいからチラホラ出始めると思う
最初は例えば父親が駿河守であった奴が「駿河太郎」みたいに名乗っていたのが
やがて自分自身は任官していないのにそのまま「駿河守」を名乗るようになり
正式に任官したかどうかに関わらず代々その官途名を名乗るみたいな感じで広がっていく
まあさらに時代が下って近世になれば正式な任官は将軍の直臣である大名・旗本だけで
他は大藩の家老クラスの上級武士でも官途名は基本すべて自称になるが
忠臣蔵でいえば浅野内匠頭は正式任官だが大石内蔵助は単なる自称 >>49
一応桃井氏は奉公衆としては室町後半期でも存在しているけどな >>5
ここがいやならどこぞのスレにでもお逃げ遊ばせ 頼朝もちょっとだけ右兵衛権佐だっただけでも流罪先で関東武士からは佐殿と呼ばれるんだよね
1度任官されたら辞めても先○○みたいに権威が残るのが面白い >>54
2ヶ月しか総理やってない羽田孜も死ぬまで
総理総理言われたそうだ
中曽根小泉クラスなら分かるが
2ヶ月で総理呼ばわりは本人も嫌だったろうに
と思ったがそうでもねえのかな >>58
まあそれをいうなら中世の頃の太政大臣みたいな官職なんて
人生の集大成として官歴の最後に箔を付けるだけのポストで短期間での辞任が前提の名誉職 >>54
頼朝は上洛して後白河と対面した際に任官した右近衛大将だってごく短期間で辞めているが
後々まで「右大将」が頼朝の代名詞 >>43
西郷隆盛と一番仲が悪かったのは
山県有朋だよ
西南戦争でボロ負けが確定した西郷隆盛が
「降伏するから生命だけは助けて」と命乞いの書状を送ってきたが
「武士なら潔く死ねや」と、これを拒絶した 山県は山城屋事件の際に西郷に庇ってもらったこともあって西郷には恩義を感じていたはず
西南戦争での西郷の命乞いは西郷の預かり知らないところで部下が勝手にやっただけだし
西郷の自決が最善と山県が考えていたのは西郷の名誉を守るためという意味合いが強い
江藤新平のように生け捕りにされて裁判の場に引き出されるようなことは耐え難いと >>23
お相撲取るのが大好きだった明治天皇の話はほのぼのする >>23
途端に大はしゃぎであの高笑いシーン思い浮かべたw 明治天皇に相撲を教えたのは西郷の腰巾着だった村田新八だな >>54
高時の相模入道とか八幡太郎の様に官位じゃない呼ばれ方する人も居るから何か基準が有ったんだろうか?
ドラマの太平記は呼び方が諱と字と官職でバラバラだから統一感無いよね なぜ桃井刑部を襲うた 動くなと申したはずじゃ なにゆえに軽はずみなことをするか
桃井一人を闇討ちにしてどうなる そのような姑息なやり方で、天下が治められると思うか
(義詮 桃井は許せませぬ 刑部はこの義詮をあなどり、父上を亡き者にせんと図っておりまする 刑部さえ討てば)
黙れ そなたは、桃井の挑発にウカウカと乗ったのじゃ 桃井は館に戻り兵を集めておる
この都を、いくさに巻きこむつもりか 愚か者めが! なぜ父の言うことが聞けぬのじゃ
そなたが失脚すれば、足利家は後の支えを失う わしが倒れても、そなたが倒れてはならんのじゃ
いくさをやるならわしがやる 刑部を討つならわしが討つ それがなぜ分からん
このシーンの義詮が良かったなあ 前半の敵役がフランキーさん
中盤の敵役が高橋さん
名優を配したから締まりますね 昔見た時直義派の桃井の悦史と細川顕氏のセブンが目立っていい味出してた覚えがある >>64
西郷さんは助かりたくて1人逃げようとしたところを
見苦しいと別府に切られたのが最期というのが鹿児島での定説なんだよなあ。 あと、山縣さんが西郷の名誉を守るためとか考えてたとはとても思えないしなあ。
天皇お気に入りの西郷さんに乱後も生き残られたら何かと揉め事の原因になって迷惑とは考えていたかもしれんが。 桃井直常は直義が死に、尊氏が死に義詮が死んでも
何故あそこ迄反将軍家だったのか >>68
「相模入道」なら常識的に「もともと相模守であった人物で出家している」という意味
というか「官途名+入道」は基本的にそういう意味
「八幡太郎」は官途名とは関係ない通称
尊氏の「又太郎」や義貞の「小太郎」と同じ類いのもの >>55 苗字で掃部さんとかじっさいにいるからね ながいこと「この家のひとはどうして玄関に『掃除』という表札をだしているのだろう」と思っていた うちの近所の刑部さんを思い出した。
銭形みたいな怖いおっさんが出てくるかと冷や冷やした。 「井伊掃部頭」と英語圏の外国人が言うとどうなるだろう。
「イイ、come on ノカミ」 うちの近所の『伯耆』さんの表札をみて 伯爵なんだと勘違いしていた スレ違いだけど
珍しい名字ってあるよなあ
「え?、今なんて言ったの?」「ああ、漢字で書くとこうか」
なんて
何とかの荘を開墾したから
「何とか荘を開墾した太郎さん」→「何とか太郎」が
可愛く思える 足利義満が僧形になったときは
ご機嫌とりで僧になる者が続出、皆さん袈裟着て出仕したとかきくけど
判官殿は、史実は何時から僧形なんだろ
髪をそった後は、最終回の直義みたいな感じだったのかな 鎌倉幕府では執権北条高時に御相供衆として仕え、高時が出家した際には共に出家して導誉と号した。
高時に倣っての出家だからかなり若い時 どーよの僧形は政宗の秀次失脚の回で見た
「碁盤の目はこのままにいたせ!」 近藤正臣良いよね
この頃が、真面目な所と嫌味な所のバランスが取れてて一番良かった
もうちょっと歳を取ると嫌味の方がキツくなって嫌いになるんだけど >>80
官途名が苗字化した例なら九州の少弐氏が有名だな
あとは室町幕府奉公衆の治部氏とか
>>84
実際「伯耆」は室町・戦国期には名和氏のもう一つの苗字のように使われるよな
国名がそのまま苗字として使われる例なら室町幕府奉公衆の伊勢氏や摂津氏も有名
いずれも「伊勢守」「摂津守」の官途名を代々名乗っているし
しかもこれは自称ではなく正式に任官しているはず 見れてなかった3週分を一気に見たけど北条あっさり滅んだな
北条が雑魚にしか見えなかった
もっと上手いこと描いて欲しかったなあ ちなみに山県有朋
命の恩人だった西郷隆盛を殺さなきゃいけない
のは複雑な心境で有ったとか
以前本で読んだ事が有る >>74
一応言っておくと西郷の最期を極力名誉あるものにすることは
山県だけでなく当時の明治政府全体にとっても極めて重要なことだぞ
当時の西郷は全国の不平士族たちの象徴的な存在であり
政府が西郷を意図的に辱しめたと受け取られかねないことをすれば
さらなる士族反乱など事態の悪化を招きかねないわけで >>81 今ふときづいたんだけど 銭形さんは『警部』か ぼーっとしてたわ 何の疑問もなく銭形刑部だと思っていた そもそも官途名に由来する「刑部」なら読みは「ぎょうぶ」だよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています