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ドラマで描写されなかったけれども、存命中の執権や執権経験者までもが
最前線で鎌倉を死守しようとしていた

巨福呂坂に向かった赤橋守時は離反を疑われて抗議するように自刃したのは5月18日
普恩寺基時は金沢貞顕と化粧坂を守っていたけれども新田軍が他ルートから鎌倉入りし
5月22日基時はその場で自刃、貞明は東勝寺に向かい同日自刃

長崎円喜でさえ、子や孫を最前線に向かわせるほどの逼迫ぶりだった
それだけ北条から離反した武士が多かったとも言える