>>151
征夷大将軍は坂上田村麻呂やらの頃は帝の忠実な家臣だったし護良親王に幕府を開く意図はない
征夷大将軍を望む足利尊氏に対抗するために武家のトップは親王でなければならないとして
後醍醐天皇もこれを了承し護良親王を征夷大将軍とした

古典「太平記」によれば護良親王は後醍醐天皇に尊氏討つべしと奏上するも後醍醐は難色を示すため
護良親王自ら武力で足利尊氏を排除するべく兵を集める令旨を出した
この令旨が阿野廉子の手に渡り廉子は尊氏を呼んで共謀
護良親王は後醍醐天皇を殺して自分が天皇になろうとして兵を集めていると
廉子が後醍醐天皇に奏上した
そのため後醍醐天皇の命令で護良親王は追放、足利直義に預けられた
足利に預けた時点で実質、護良親王を見殺しにしたも同然