【第四十八回】太平記part.48『果てしなき戦い』
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古いタイプの武士の新田を狂わせた朝廷は伏魔殿
北条氏ですら朝廷とのパイプを大江広元をはじめ西園寺家などに委ねた部分があったというのに
交渉術すら持たない新田を転がすのは後醍醐でなくても朝飯前なのでしょう しかし新田の分家の山名のそのまたド分家の山名時ひろの家系が四職だぞ
新田なんか普通の政治力があれば
後の三管領家か上杉のポジションにはいられたはずやで 再放送の劇中で現時点で護良のとりまきっぽい赤松も四職だからね 新田でも万民恐怖に気に入られて日の目を浴びたのもいたでしょ 家臣は神器を取り戻して後南朝に大打撃を与えたからセーフ 日曜日
朝に室町幕府の誕生を見て
夜に室町幕府の滅亡を見る
大河ドラマっていいね ドラマには出できてないけど、後醍醐は中宮の西園寺姫とは仲睦まじかったらしい。権門西園寺姫との間に皇子が生まれていれば、歴史は変わったいたかもしれないな 録画を見終わった。本の数回前に打倒北条したばかりとは思えん不穏さだ。
思うに大塔宮周囲に集まった奴ら、北条を倒すってより本気で天下を獲りにきてたから
高氏の登場に腹が立つわけだな。
打倒北条が目的だったらむしろ高氏の決起には感謝しかないはず 赤松が尊氏のことを「最古の寝返り者」(字幕)と言っていたが、多分、「最後」の変換間違い。 赤松とか4ヶ月以上も激戦を続けてたからな
1週間前に寝返って3日ほど戦っただけの尊氏が功績第一とか納得いかんやろ
しかも戦ってすらいない関東まで手に入れるとかやばいわ >>465
そもそも中宮との馴れ初めが実家にいたのを盗み出した駆け落ち結婚だし
ちなみに後醍醐と中宮の間には皇女がいて光厳に嫁いだけど
ここも皇子生まれなかったんだよな >>465
西園寺家は持明院統の天皇の後宮にも抜かり無く娘を送り込んでいるので
後醍醐天皇と西園寺家の姫との間にもしも男子がいたとしても
プラスαがないと皇位継承が後醍醐天皇の子孫限定にさせるのは相当厳しい
ただ幕府を滅亡させなくても大覚寺統の正統くらいなら十分なれたと思う
後醍醐天皇が幕府滅亡の報を受けた時の高笑いは
愛妻の実家の権勢を根刮ぎ削いだことも含められていると思うと更に恐い >>454
自分に指図できるのは帝だけっていうアレね >>468
でも赤松は「足利の軍勢の強きは確か」とも言っていて尊氏を認めていないわけでもない
後に尊氏派に鞍替えする伏線かな? やっぱ新田の鎌倉攻めみたいに勝ち馬にワラワラ乗ってくる奴がいると勢い止められないな。
自民党・菅大勝利。 >>470
そう、邦良流に対抗できる
西園寺も立太子を後援してくれるよ
建武の新政では速攻排除された西園寺w 正直楠正成は評価されすぎだと思うの。まあ、日本人好みなんだろうが。
籠城戦で時間稼ぎは才能あったが、大局的な戦での指揮は微妙な感じ。 新田さんは無位無官の貧乏御家人だったから、古風な武士というよりは
政局での駆け引きを知らなかったというか、経験値が0だったんだろうな。 しかし西園寺といい細川といい、数百年後に末裔が日本の首相になるというのがすごいな 新田義貞にもっと野心があれば「おれがここで鎌倉殿になっちゃおうかな・・・」という考えもできたはず >>477
あの野蛮な円心の末裔(有馬流赤松氏)が有馬記念に名を残す伯爵家になったのが一番すごい 楠木って戦国時代まで庶流が生き残ってたんだけど秀吉が断絶したんだよね >>476
ゼロもあるし帝につかえることこそ誉れみたいな考え方してそうだったよねドラマだと 武家ってのは長年貧乏で無位無冠でも野生動物のように出世欲は無くならないものか
新田、ブーたれなくても足利の下で重職やってりゃいいじゃねーのと思うわ
ドラマを見る限り当主はそういう感じだが >>457
承久以降は北条が上に立ってたから別に大した交渉術はいらない
関白でも北条に睨まれたら引き摺り下ろされた
ただ北条は官職を求めなかったんで平家みたいな反感かわずに
公家たちは存分に自分らで除目争いやってたわけだ
やはり武士は力が基本
新田は兵力が弱いんだから朝廷で立ち回れなくて当然だよ
頼朝みたいに自分についてきた武士を配下に組み込んでいかないと >>143
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→女→足利義兼(初代源姓足利氏)→女(源実朝室)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→野田清季(熱田大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→娘(順徳天皇妾)→岩倉宮忠成王
こうなる可能性があったんだな
岩倉宮忠成王は天皇になる寸前まで行っていた奴
仮に天皇になっていれば、足利義氏は姉妹が鎌倉将軍の正室で、自身は天皇とハトコ関係になる
何が言いたいかつーと、疎遠だった三河の御家人(足利)と北関東の御家人(新田)を、いちいち絡ませるな 大仏開眼どうだった?大化の改新と比べて
面白いなら録画みようかなと >>456
八幡大菩薩は武運の神なので、ほとんどの侍が信仰の対象じゃないかな。
「葵徳川三代」でも、江が家光を産んだ時、秀忠も「南無八幡大菩薩!」と
絶叫してましたよ、確か。 >>484
ショーケン義貞のままだったら、実は野心家だったって人物像になったかな。
根津義貞だと、周囲に利用される朴訥な武士像にはまるが。
この時代をテーマにしたドラマがもっと制作されていれば
色んな義貞が見られたんだろうな。 >>489
八幡神(菩薩というのは神仏習合の結果)は確かに軍神だけど
同時に特に河内源氏の氏神でもあるな >>484
お前を大将にしてやるから尊氏を討てと命じられて断れるかな
もし勝てば一発逆転で武家の棟梁だからね
恩義を感じで断れないのもあるけど、この誘惑は大きいと思うよ >>493
ショーケンだったらての超わかる
>>495
それも、対立機運が高まったからという面もあるのでは 自分と動かない、手を汚さない、働きたくないでおじゃるの怠け者なんだよな >>495
そこで後醍醐を裏切って足利方へ付いて京を制圧した後に恩賞ガッポリに出来るような政治力無いもんな そもそも義貞に大した政治力がないから後醍醐にいいように使われたわけで・・・w 都の人間はみな
馬之助が助けた女のように
煮ても焼いても食えない連中だからけだから
素直な坂東武者が良いようにされるのは
仕方がない しかし坂東者じゃない楠木も政治力はアレだからな
湊川出陣の直前だって事前に何の根回しもせずに帝の御前であんなド正論をぶちまければ
後醍醐や周囲の公家たちがああいう反応になるのはある意味予測できることだし >>498
自前の軍事力が無いから他にやりようがない
北畠みたいに武装して自前の軍団を持ったら公家じゃなくてもはや武士 >>485
人事ではなく、初期は主に皇室領相続の件での交渉で
かつて大荘園である八条院領が順徳天皇(と後鳥羽上皇)の手に渡り
まもなく承久の乱が起きたので、それに懲りた幕府は皇室領相続に関して
口を挟むようになった
その後に両統迭立の件でも幕府は干渉(穏便に交代で登極をと)するようになった
西園寺家は関東申次の世襲化に成功したために幕府と共倒れになった >>485
鎌倉・室町・江戸の3つの幕府っていずれも前政権が朝廷の官位体系を滅茶苦茶にした後
それを元の秩序に戻す形で成立しているんだよな
鎌倉幕府・・・平氏政権が一門を高位高官に付けて滅茶苦茶にした官位体系を元に戻した
室町幕府・・・建武政権が先例・慣習を無視して滅茶苦茶にした官位体系を元に戻した
江戸幕府・・・豊臣政権が大大名を高位高官に付けて滅茶苦茶にした官位体系を元に戻した >>505
両統の祖である後深草と亀山はいずれも西園寺実氏の外孫だから
鎌倉幕府のもとで両統迭立が続く限り西園寺家の立場ば磐石だったのにね
ちなみに西園寺実氏は頼朝の同母妹坊門姫の孫にも当たるし まあ、新田さんはあの状況だと足利につきますよとは簡単に言えない立場やからなあ。
自分の意志に反して血筋だけで対抗馬に祭り上げられてしまった部分がある。
ただ、楠さんは赤松さんのようにいつでも旗印を変えられたのに、
そして新田さんのように重宝されるわけでもなくついていったんだよなあ。
確かにあんま政治力はなさそうやね。 西園寺家は室町になると先祖伝来の北山山荘も義満に取り上げられるからなぁ >>509
そこが楠木正成の人気の所以なんだろうね
特にメリットがあるわけでも無いのに苦しい時から終始一貫して後醍醐を支え続けたわけだし
意見を言って聞き入れられなくても受け入れて死地に赴くのも日本人の琴線に触れるんだろう
ただやっぱり正成には都を放棄してゲリラ戦をやらせてあげたかったな 主人公のくせにずーっと何もしなくて2話くらい仕事したかと思ったらまた何もしなくなった高氏 正平の一統で広義門院(西園寺寧子)が脚光を浴びても実家の浮揚には繋がらなかった? 父と同じく南朝に忠誠を尽くして散った正行、ついにブチ切れてやってやんねーわと北朝に寝返った弟の正儀 >>511
中国の岳飛もそんな感じじゃないかな
尽忠報国の入れ墨 もしテストで「鎌倉幕府の滅んだ理由は?」という問題がでたら 「後醍醐天皇の息子を後継ぎに幕府がしなかったから」となるんだろうな >>507
両統迭立は幕府にとっては朝廷の勢力を分裂させる良策だけど
波に乗れた西園寺家もまた全盛期だと思う
>>513
西園寺公宗の死後、北朝側の幼い嫡男(と生母)と公宗の異母弟(南朝側)が
家督争いをしていて、一方広義門院は治天の君(前代未聞の珍事)と祭り上げられて
戦乱が続く中、政務を優先したという感じ 岩松も新田の子孫として華族になれたとしても一番下っ端の男爵がやっとだからなあ・・・
これだけで後世の評価がわかるという話。 >>472
そりゃ東国の鎌倉武士中心だからねえ
西国の武士は新興だから、逆にいうと盗賊崩れみたいな感じなわけで >>523
いや、つえーのは三河武士だけど
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>507
三河国知行国主であったも大事だ
三河国分国主、持明院統
三河国知行国主 西園寺
三河国守護 足利
全部、源頼朝の母方、三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) 新田はあれだけど、
ドラマでは新田の副将的に扱われてた
岩松はあっさり尊氏側についてますがw >>506
鎌倉時代には左衛門尉や八省丞がやっとだった御家人が
南北朝時代には受領や八省大輔になれてしまう
ありがたいものです こっからしばらくは本放送時、パッションの過剰演技でキツかったなぁ
過剰演技に慣れた今の若い人なら耐えられかも知れんけど >>524
>>525
楠木正成「♪はじまり〜ましたね〜あんたの〜はなし〜」w
「はぁ〜、あんたが大将〜♪」ww >>529
大映ドラマを見ていた世代なら耐えられる。 >>488
大化の改新は話にならなかった。
大仏開眼は結構おもしろい。 >>515
結城は当人が死ぬと残された一族は早々に北朝に鞍替えしたけどな >>519
そういうのはいろいろな要素が絡み合っているから
入試のように答えを一つに限定しなければならないテストの問題としては馴染まない
無論大学の期末試験みたいな「○○について自由に論じなさい」的な問題ならアリだけど >>526
本当のところは千寿王が鎌倉攻めの総大将なんだけどな
そして新田義貞と岩松経家はほとんど同格でともに幼少の千寿王の陣代(副将) >>527
公卿レベルの高官に食い込んでこなければ下っ端の官職に公家は興味ないだろう >>535
むしろノリと勢いって答えに○付ける先生は鎌倉時代に詳しそうw 日本国民は鎌倉攻めの大将は新田義貞で合意してるよ
千寿王?誰それwだよ
ただの御家人のガキじゃん 要するに「大・足利」が組してるということの証明だからな
千寿王なしでは他の武将が集まらず、鎌倉攻めに失敗した可能性は高いんじゃないか 足利と北条の合の子サラブレッドだからネームバリューはピカイチやね 教科書でもなんでも新田義貞が鎌倉を攻撃したて書いてある
千寿王攻撃したなんて書かないよw 「錦の御旗」って言葉を知らないで大河なんて見るなよ
千寿王は鎌倉攻めに武士団を糾合する為の「「錦の御旗」の役割だよ >>539
新田?あの貧乏御家人の新田が?
精々集められて千か二千であろう(正解は150) >>544
もしかして「大仏を造ったのは聖武天皇じゃなくて大工さんだ!」とか言って譲らない人かな? >>548
もしかして「詭弁」って言葉を知らない人なのかな?
違った、「恥」と言う言葉を知らない人だった やっぱり北条方がいないと華が無くなるね
義貞正室のような連中が沢山居たからなあ やっぱり北条方がいないと華が無くなるね
義貞正室のような連中が沢山居たからなあ 鎌倉炎上で一度に大量のレギュラーが退場。
過去の大河でも真ん中辺でレギュラーがごそっと退場
っていうのはあったかな。 >>555
そういえば不毛の人も居ないはずの鎌倉での軍議から出てこなくて寂しい
もうしばらくの我慢我慢 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています