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NHKが取り上げないと思われる渋沢の逸話の一例↓

>『好色家艶事典』(祖田浩一編 東京堂出版)によれば、渋沢栄一は花柳界では5本の指に入る遊び人だったという。また妾も抱えた。明治6年3月に撮られた写真には、妻と妾が一緒に映っている。当時の栄一は妻妾同居生活を送っていた。

>栄一は日記に妾のことを「一友人」と記している。フランスに遊学経験がある栄一は、フランス語の「アミ」に友人と愛人の両方の意味があることを知っていたからだろう。栄一には20人の子がいたとされるが、一説には50人だという話もあり、多くは妾の子ということになる。

>栄一は68歳のときにも妾との間に子を成した。そのときは「いや、お恥ずかしい。若気の至りで……」と言ったという。あちらのほうも68才でまだまだ現役だったのだから、仕事も生涯現役だったのは当然だろう。渋沢は酒もたばこも飲まず、食事は根菜類が好みだった。実に質素な暮らしだったが、唯一の道楽が女だったらしい。

>渋沢栄一夫人(後妻の兼子)が晩年よくこんな言葉を言っていたという。

>「大人(たいじん 栄一のこと)も『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」

>キリスト教は姦淫を禁じているが、論語には性に関する戒めはほとんど書かれていないからだ。

>前掲書によれば、栄一のある会社の専務をつとめる植村澄三郎がどうしても火急の用があって、日本橋浜町の、栄一の「一友人」宅へ出向いた。無論、愛人宅である。そして取り次ぎの女中に「急用があるので社長に会いたい」と面会を求めたところ、家の奥の部屋から栄一が女中に大きな声で言った。

>「こんな所に渋沢がいるはずはありません。もし御用がおありなら、明朝自宅の方をお訪ねください。そう申し上げなさい」これは、植村に「公私の区別をわきまえよ」と諭すためだったという。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66091?page=4

江守爺が喜びそうな逸話w