>>212 より続き

・司馬遼太郎のエッセイをみていて、ピンと来ました。
 →あのーこういう場合、どのエッセイなのか出典をはっきり書くべきでは?

・織田信長像にせよ、司馬遼太郎は、日本人でありながら西洋の思想を持つ人間が好きです。土方が優れている理由とし
 て、幕末の日本にありながら、西洋の軍隊における副官のような役割を果たしているところが素晴らしいという趣旨の
 ことが書いてあります。
 →司馬遼太郎は「西洋思想を持つから織田信長が好きです」とかはっきり言ってます? >>180 からの引用だが、

>前述の通り、日本の一般的な信長像は、どこか変だ……西洋甲冑にワイン、人種差別をしない。
>そこには“脱亜入欧”の影だって感じる。信長が火器導入なり、キリシタンの布教なり、認めたことは事実です。けれど
>も、だからといって漢籍由来の教養を持っていなかったとも言いきれない。岐阜の地名由来だって、中国の故事由来な
>のです。当時の知識は、どうしたって明を経由する。漢籍を否定してどうするのかというところです。秀吉ならば、ま
>だしもわからなくもありませんが。

これを見ると、信長って別に西洋思想があった訳ではなく、「単純にいいものはいい」とか「新しいものが好き」と思っ
ているようにしか見えないんだけど。そして何でこれが「脱亜入欧」の影になるのか?全然分からない。しかも土方の場
合も「西洋の軍隊における副官のような役割を果たしているところが素晴らしい」というだけなら「西洋の思想がある」
とは言えないと思うが。

・それこそジョミニくらいのきらめく才能は欲しいところ。土方はそうだったのかどうか? 土方に全てを委ねなければ
 ならないほど、近藤は無能だったのか? もしかして、順番が逆なのではないだろうか?
 →全て「?」ばかりで、確定しているものってないと思うが、ここ「小檜山氏の想像だけ」ですよね。

続きます