小檜山「この歴史漫画が熱い!」シリーズの「『鬼滅の刃』禰豆子が漫画史に残る特別なヒロインの理由〜さらば、妹萌え」(2020/10/06)の魚拓を採りました(半角スペースの処理はいつもどおりでお願いします)。
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私は『鬼滅の刃』を読んでないので分からないのですが(そもそも最近の漫画で読んでいるのは『風雲児たち』と『不思議の国のバード』だけ)、小檜山氏が1ページ目で下記のように述べているのですが、この作品からこんな発想が浮かぶものなんでしょうか?

【以下引用】
 2001年の『シスター・プリンセス』が契機となった作品と言えます。現代においてはタブーとなった、妹への萌えを刺激する、画期的な作品とされております。それから十年以上経過し、妹に萌えることは一ジャンルとして定着した感がありました。
 ただし、2020年代に近づくにつれ、逆風が強まっていることも認識せねばなりません。「#Metoo運動」は、多くの人々の意識を変えました。そういうものだと受け流されてきた性暴力を認識する女性も現れてきたのです。
 SNSでハッシュタグ投稿をすることのない女性が、苦しげに新聞の悩み相談に投稿してくることもあります。兄の性的な接触を、強引に受けていた。我慢しなさい、黙りなさいと言われて耐えていたけれど、あれは暴力だったのではないか――。
 「妹萌え〜」どころじゃない、えげつない現実を、そうやってごまかしているのではないか?そんなトラウマを引き起こすトリガーとして認識されたら?もう「萌え〜」でごまかせる話ではなくなります。いや、むしろそうやってお茶を濁してどうするのか。
 禰豆子の生きた時代背景を考えると、生々しくおそろしい史実にもつきあたります。
都市部に密集する人口。拡大する貧富の格差。ストレスの溜まる生活。家屋は狭苦しく、個室もなければ、鍵もかけられない。
 そういう劣悪な環境に直面していた大正時代を生きた人々。逃げ場所のない家庭内で、ねっとりとした目線を兄から向けられたら……妹にとってはおぞましい恐怖でしかないでしょう。
 そこをふまえますと、禰豆子は極めて慎重に描かねばなりません。炭治郎が少しでも「きれいになったな……げへへ」という目線を向ければ、かつてないほど厳しい何かが発生しかねません。炭治郎は、あくまで家長、長男として妹を守る―くどいほどにそう言います。