「麒麟がくる」28回 3ページ目

>本国寺では、負傷者が運ばれて治療を受けています。これも本作らしさだ。
>戦国時代を舞台にしたフィクションはある。けれども、負傷者なり死体はすぐさま消えてゆきます。
>それを本作では映す。

それは東庵や駒がいるためだろう。必要があるから描いているのである(「おんな城主直虎」も結構描いていたと思う)。

ここのシーンの難を言うと、光秀と駒の挨拶が長すぎである。ここは負傷者の治療が先なのだから、光秀との挨拶は簡単に済
ませるべきなのに、光秀の後ろ姿まで見送るというのは仕事熱心な女医に見えない。後もう一つ、東庵は駒に「お湯をもっ
と」と言っているが駒ってそういう役割なのか?お湯って下働きの人間がする様な事だと思うが。駒も東庵のところで長いの
だからここは治療をすべきで、お湯は別な人間を連れて行ってやらせるとかの方がいいと思う(「徳川慶喜」だと側近が忙し
くなったら、新たな人間を入れていたが、駒だって薬のせいで忙しいのだから、東庵は別な人間を雇うべきだろう。東庵、駒
関連は、時間を割いている割には描写が雑だと思う)。