下記は、Wikipediaの【ローマ人の物語】の項における塩野七生『ローマ人の物語』への批判です。
私はローマ史について『も』知識が薄弱(石川勝二氏も坂口明氏も知らず、本村凌二氏はさすがに知っていたものの読んだ著作は『競馬の世界史』のみ(爆笑))なもので、批判内容の正否につき論評できる力はありません。
しかし、小檜山氏の司馬批判が塩野批判と通底すると思うのは、下記のような点です。
なお小檜山氏の主張にも関わらず、司馬作品を「歴史書」と思う人は少数派と思うのですが、この点では『ローマ人の物語』の方が罪が重いのかもしれません。

【以下引用】
作者の塩野自身は本作品について「いろいろと調べた結果の歴史事実を」書いたものだと主張している[9]。『ローマ人の物語』は、書店や図書館などでは小説ではなく歴史書として配置され、また学生や市民講座の受講者のあいだでも歴史書として受容されている[4]。
2011年に人事院が作成した「若手行政官への推薦図書」においては、「歴史・伝記」に属するものとして本作が推薦された[10]。
一方で、『ローマ人の物語』が歴史小説ではなく歴史書として読まれる傾向があることに、複数の歴史学者が懸念を示している。
古代ローマ史研究者の石川勝二は、『ローマ人の物語』の第1巻が刊行された当初に、同書を俎上に上げてその内容を詳細に検討している[3]。石川は、ローマ全史を一人で叙述しようという試みを「壮大」なものであるとして評価しつつ、ローマ成功の原因を探ろうとする塩野の姿勢に共感を示す。そして、塩野のそれまでの著作と比べ、『ローマ人の物語』は「歴史書の性格をもっていることは明らか」と述べている。
その上で、『ローマ人の物語』には事実関係の記述などに多くの誤りが見られる上、史料とはかけ離れた叙述も存在することを批判する。そして、全体としては従来のローマ史の解釈・叙述と異なる点がなく、斬新さにも欠けると主張している[3]。
石川は、具体的に固有名詞の表記の誤りや、ごく単純な事実の錯誤を数多く指摘しているが、さらに例えば次のような点が問題であるという。まず、塩野はリキニウス法を平民に対して官職への道を開き、貴族と平民間の融和を実現したものとして高く評価している。
しかし、実際にはそれ以前から執政官に就任した平民は存在していたし、一方でリキニウス法以後も貴族と平民身分の対立は続いたと考えられ、リキニウス法の意義は限定的なものであると考えられる。また、官職のquaestorには「財務官」という定訳があるにもかかわらず、塩野は「会計検査官」という訳語を当てているが、実際にはこの役職に会計検査の役割はなかった。
塩野はローマにおける「政界への登竜門」としてquaestorを重要な官職として位置付けている。しかし、この職からまったく昇進をしなかった人物も数多く、この塩野の主張には何ら史料的な根拠がない。
また、叙述に考古学的成果が用いられていない点も石川は問題視している。その他、ローマが市民権を他の国民にも付与することに寛大であったとし、塩野はこのことを高く評価しているが、これは従来のローマ史の解釈と異なるところがなく、実際には他の解釈も可能なのにもかかわらず、独自性に欠けた叙述だとも言う。そして、「通説を後生大事に守るような態度は願い下げ」であると批判する[3]。
こうしたことに加えて、全く史料に存在しない、完全な誤謬ないし創作と考えられる記述が『ローマ人の物語』にはあると石川は述べる。塩野の叙述によれば、紀元前297年のファビウスの執政官選出の際に、ヴォルムニウスという人物が選出された後、ファビウスの要望で別の人物(デキウス)が選出されたとする。
しかし、現存している唯一の史料であるリウィウスの記述には、ヴォルムニウスという人物は存在しない。同様に塩野によれば、カウディウムの戦いの指揮官を執政官の「センティムウス」なる人物であるとし、その人物が紀元前297年のゲリラ戦の指揮にも当たっていたという。しかし、センティムウスという人物は実在しないと考えられる[3]。

〔続きます〕