【1991年 大河ドラマ】太平記part.53
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流石>>1はただ者ではござらぬわ
はっはははははははは ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう 尊氏はまだ将軍に任命にされてないのに建武式目を定めて幕府を開いたんだな。せめて右大将くらいにはなればよかったのに。征夷大将軍は後付けか 源頼朝も鎌倉幕府話を征夷大将軍に任命される前に既に開府してるからな
先人の例があるから特に違和感もないやろな >>13 そうだよな なんか最近の授業では鎌倉幕府の成立は1192イイクニ ではなく1185イイハコ と覚えるらしい 幕府と将軍の任命は関係ないんだな
でも俺はイイクニつくろう鎌倉幕府でおしとおすつもり 天皇が鎌倉幕府を認めるというのは凄いことだと思うのね 後醍醐も親王を将軍にして尊氏に関東を任せても良かったんじゃないかな
後の室町幕府ですら鎌倉府を置く形での間接的な統治しか不可能だったわけだし 松村
「高師直が室町幕府の箕部幹事長になっていたという。」 >>14
頼朝が後白河法王からもらった
右近衛大将は征夷大将軍より格が上 前スレ>>989
父上様、お帰りなさいませ
他にも、イヤじゃイヤじゃ 結構喋ってる ゴクミが下命してたムネタダって誰?
結城にはそういう名前はいないっぽいが。 ここ数回の放送で左中将のが坊門清忠の声で再生されるようになったw >>12
そもそも「幕府を開いた」の定義があいまい
征夷大将軍になる前から
実質的に国のトップと自称してるとか
足利尊氏だったら
後醍醐天皇に三種の神器を返納させて
光明天皇をたてた時点で「鎌倉殿」と呼ばれていたらしい
京都にいても「鎌倉殿」が武家の棟梁
室町幕府と呼ぶのは後になってから 鎌倉殿って再来年の大河だな
北朝が鎌倉殿と呼んでたということ?
南朝はどうだったんだろ?認めてないけど鎌倉殿と呼んでたのかな あれ?ここなの?前スレが重複していたはずだけど、あっちは使わないの? 親房「まてぃ!和泉のどこじゃあ!」
太平記のふるさと 阿倍野神社 IPPANグランプリ予選のお題
【あっこれ死んだな! 何が起こった?】
第38回 顕家散る
第39回 義貞の最期 なんで認知しないの?
自分の子か疑ってたならわかるけど
この展開で認めないのは不自然じゃねーの 筒井、棒のイメージで見たら、感情表現が意外と上手で、好演だった
ゴクミ最期の回にりえの忘れ形見をフィーチャーするとか
ドラマの位置づけはりえ>ゴクミだったな そういえば3、4年くらい前に松本清張賞の最終選考あたりに、
『顕家の旗』ってあったの見たので、出版されないかなとちょっと思った。 あれだけ息子がフラグ立てまくってるのに止めなかった父
ゴクミはビジュアルは良いけど本当に棒だな
宮沢りえはセリフに抑揚があっても棒気味
筒井道隆は声が籠ってるのと華のなさが言われてたが
デビュー当時から演技は評価され月9主役に推されてた今見ても若手陣の評価同じだな
>>31
その近藤正臣の名演が光る回だったね あれだけ豪華だった登場人物もだいぶ減ってきたな
すでに中盤クレジットが足利家臣ばかりになってる
そろそろ高橋悦史の桃井が出てくるころだな
おしんの義兄弟共演あるか? 大河で足利義満をやってくれたら判官殿をはじめまだ同じ人がやれそうなんだがな
ある意味では尊氏以上に難しいか 尊氏「母上の藤夜叉殿は都で有名な舞の名手であった」
不知哉「いえ、母からは『ちっ、どうにでもなれ』とおしっこ漏らすまで殴られ、蹴られした話しか聞いておりません」 顕家は企画で「神々しい美少年」でゴクミの起用になったんだろうし、大河本では本人も希望したらしい。
だが、ちょうど一番オンナオンナしていた時期だったので、どうみても親房と父娘にしか見えなかった
体型も完全に女だったので後半の出番はごまかすために、ほとんど鎧だったのだろう。
「お姫様役」の方を選んでいれば、誰だったのか気になるが。 >>31
闇落ちしてJOKERになり東国で躍動するんだな
尼さんがえろかったわー >>36
対面のシーンでの感情の振れ幅は見事だったな
今後は常に怒ってるシーンばっかりの印象だからそこでの感情表現が単調なのかも >>33
仮面ライダーブラックの「激闘!ダロムの死」を思い出す 藤夜叉、正成、顕家、来週の義貞、最終回の尊氏とタイトルにひねりがないよな。 何か薄〜い回だったな。
珍しくゴダイゴでなかった? >>8
洞院実世って南朝方のなかでもかなり強硬な主戦派なわけだし
足利との和睦に反対だから新田に伝えて逆上した新田に阻止させようって腹にも思えた >>14
頼朝は寿永二年十月宣旨(1183)の段階で後白河に東国の支配権を認められているし
守護・地頭設置を認める勅許(1185)の段階でその朝廷公認の支配権は全国に拡大している
征夷大将軍への就任が幕府(新政権)樹立の条件ではそもそもないし
研究者レベルでは遥か昔の明治期から
・鎌倉幕府成立=文治元年(1185)
・室町幕府成立=建武3年(1336)
というのは常識
征夷大将軍就任=幕府成立とするイメージが強くなったのは後の江戸幕府の成立経緯
(こちらは征夷大将軍に就任しない限り家康はただの豊臣政権の大老から脱却できない)
に引きずられていることと
教科書的にこちらのほうがわかりやすかったからだろうね ・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう >>53
尊氏が正式に大将軍になるのは義貞が死んだ後なんだよな
その辺りの政治的意義も気になる 義貞の死で畿内周辺の主だった武家勢力が駆逐されたからというのもあるからやろ 筒井道隆って、この当時、今で言えば岡田健史くらいの絶賛売り出し若手だったかな。
毎年、若手売り出し枠の出演があるのも、大河の伝統。 後醍醐という人間にそんな価値ないっていう認識だから
宮方や尊氏みていて悲愴感や滑稽味を感じてしまう 素朴な疑問なのだが、代々の鎌倉公方ってどうして京にいる将軍と仲が悪かったの?
両方とも同じ足利本家の直系だからライバル意識が強かったのか、
あるいは東国の反幕府勢力に(機内では後南朝がそうであったように)神輿としてかつがれることが多かったのか。 >>61
後醍醐が遠隔地である奥州や九州に皇子・腹心を派遣して自らの地盤にしようとしたのは
南朝の延命という点では正しい戦略
>>62
室町幕府は諸事情により京都を拠点にしたけど東国武士の間では
「東国こそが武家政権の本来あるべき場所」というような意識が根強くあって
そうした人々に担がれていることが鎌倉府(関東府)が反幕府的になる最大の要因だろう 将軍と鎌倉公方の諍いの最大の理由は将軍継嗣問題やろ
なまじっか将軍と鎌倉公方の血統が近すぎるのがあるから、何か将軍家に事があれば鎌倉公方が代わりに将軍継承ができる立場になる
初代公方の基氏と将軍義詮の頃はガチの兄弟で御母堂の繋がりもあるから争い事は殆どなかったが、2代目以降から将軍家に何かと反目や諍いが起きて4代目持氏でいったん断絶までに至る 源氏は身内で争うのがガチ
六波羅探題は幕府とケンカなんかしない >>63
延命には役立ったがあくまで延命どまり
反攻とまではいかなかった 筒井道隆は出てきた頃、筒井康隆の息子だとよく勘違いされてた。
まあ康隆も役者として実績ある人だけど。 >>68
康隆はガラスの仮面では恐ろしく棒だったが… 将軍と鎌倉公方は本人同士というより、有力武家同士の権力闘争に
御輿として担がれてしまう面があったのでね… 調べてみたら、筒井康隆も大河「時宗」に無学祖元役で出てたわ 六波羅探題はその後に執権、連署になる可能性もあるから性質が違う。
赤マフラーの時は騒動になってるし。 頼朝と同じ武衛殿を世襲して鎌倉将軍と同じ鎌倉殿と敬称される
関東に引きこもってると勘違いしちゃう
京将軍は大納言・右大将・室町殿のレベチなのに 室町幕府も仕事が多くてたいへんそうですね 「こんなことになるのだったらもっと南朝の条件をのんでおくのだった」と尊氏は後悔しているであろう >>65
将軍家の血統が絶える気配が全くないなかで関東公方の出る幕なんてまずないのに
周りにおだてられて勝手に色気を見せているだけみたいなもの
康暦の政変や応永の乱のときは言うに及ばず義教の将軍家相続のときだって
義持に存命の弟が何人もいるのに自分に可能性があると思うほうがアレだろ >>70
あれは向こうの文献では「日本国王良懐」じゃなかった?
>>76
尊氏段階で南朝の条件を呑むというのは幕府を自ら否定することと同義
受け入れるのは無理 この時代はまだ東北の奥地にわけわかんない連中が残ってたはずだから、
「征夷大将軍」の「征夷」ってのは一応実質的な意味が伴ってたんだよね? 家康が将軍家、尾張家、紀伊家を鼎立させて水戸家を予備に据えたのは室町殿と鎌倉殿の争いからの反省点だったんだろうな 鎌倉って攻める方が必ず勝つのな
なんでそんな所に幕府を置いたんだ? 攻める奴らが元々鎌倉に住んだ経験が有って弱点を熟知してたとかじゃないか? 親房が言うように青野ケ原で勝った勢いで入京できたかね
青野ケ原自体が勝ったというよりも土岐の奮戦で転進を余儀なくされた感じなのに >>80 いや どうやら坂上田村麻呂の時代にフロンティアはすでに消滅していたらしい 最後の抵抗者アテルイを降伏させたあと和人を移住させて岩手県以北を日本化させた 親房の公の立場と私情で揺れ動く演技が素晴らしかった
筒井道隆の追及に目を潤ませてわかりやすく動揺する尊氏も良かったw >>82
@源氏ゆかりの土地
A三方が高い丘になっていて守りやすい地形
B京の影響を受けにくい離れた東国 >>35
藤夜叉の遺志を尊重して、不知哉丸を武士にしたくなかったのでは? >>86
今の中国政府のチベット政策みたいなことをやったのかね? たった2年間で何度も焼ける寺に不知哉丸を預けた右馬助のミス
そういえば最近見かけない 東北から京(畿内)は遠いでしょ
着いた時点で疲れて多少休んでも
まともに戦えなかった北畠軍 奥州は頼朝の奥州征伐で関東の御家人の代官が移り住んで蝦夷は北海道に追いやられたでしょ >>68
おじいさま、またお金が増えてしまいました! >>93
でも霊山城で佐竹に攻め立てられるより、略奪しながら気ままに西上したほうが荒くれ者たちには楽しかったのでは? >>92
不知哉丸は寺に預けられたのに
食事作法は知らない、髪は長い
おかしくない? >>93
顕家が最近は弓を一割外すとかってのも
精神的、肉体的に疲労がピークアウトしてたんだろうね
顕家の最期は男装の麗人丸出しだった
実は本当に女だった説とかもあるな >>93
このドラマ見てたら行ったり来たりするのが簡単に思えてくるんだよなw ゴクミ回、時専の再放送以来観たけどめちゃくちゃいい芝居してるじゃん
(もちろん子供にしては、と言うのはあるけど)
今のその辺に値する女優は広瀬すずだと思うんだが、
彼女もすごく芝居は上手いけどゴクミは肩を並べると思った >>81
あと室町幕府は、大名に力を蓄積させたという反省から神君は武家諸法度で、
危険分子は片っ端から改易、取り潰しを断行した 奥州の北畠顕家が連戦連勝で京まで攻め上ってくる というエピソードはハンニバルかモンゴル帝国の襲来でしか聞かないパターンだなと思った
きっと各個撃破や退却戦にすぐれていたのに違いない ラストはゴクミが地毛だからな。アップにすると女にしか見えない。
公家はいいシャンプーがつかえたんだろうなとか思ってしまったw >>92
右馬助さんのミス集
・初上洛で尊氏を見失い、これがそもそもいろんな意味で最大のミス…
・花夜叉一座に身分を見抜かれしかも捕まる
・鎌倉攻め後に自暴自棄出奔。新田との連絡役を放棄したために義貞上洛をまねく
・助けた女が美人局
・隠居を願い出たが機嫌の悪い尊氏に八つ当たりされる
・この間、三河一色村の藤夜叉母子と見失う
・石に美濃の土地を世話して藤夜叉の死の原因をつくる
・護良親王暗殺を防げず
・不知哉丸を何度も焼かれるような寺に預けて2年間放置する←new! 消しちゃえばいいのにな。
まぁ無理か。
これはでも庶子を拒否した登子も悪いな。 >>104
想像のルールを確定させたのが大きい
鎌倉末期から応仁の乱まで揉め事の原因のほとんどが家督相続関係 敗戦報告しに行ったら『勝敗は兵家の常。おまいは細川の逸材頼りしてるって』
言われ太刀貰えたら そりゃ頑張るわ。
史実は分からんけど尊氏めっちゃ器デカい。 >>111
あれは「勝つまでもう帰ってくるなよ」ってこと
つまり「次も負けなら戦場で死ね」と
尊氏は爽やかだったけどw >>98
元服前の稚児として寺にいたのだろうから髪は別にあれでよいのでは? >>98
食事作法を知らないのは頗るおかしいけど、長髪は沙弥戒を授かり沙弥・渇食になるまで剃髪しないから別におかしくない。渇食で剃髪しない場合もある。
いわゆる稚児扱いだったって事。 不知哉丸の食事中にごはんつぶ付いてるよって教えてくれてた尼さんが
若くてなんかドキドキした 公に認知しなかったのは登子を気遣っての事、赤橋家を護れなかった負い目に加えて千寿王の行く末を不安に思わせない為だったのでは?または足利一党の中で反尊氏派が担ぐ御輿になりうる可能性も懸念したのでは。結果後々真っ二つになりましたが(T . T) 神君「人の上に立つ者は心に一匹の鬼を飼わねばならぬ。成り行きによっては妻や子も捨てねばならぬ」 >>118
そういう性格だから人が付いてきて天下を取れたっていうのもあるけどね 尊氏の置かれた状況では強権的な粛清は無理だっただろう
家康は信長、秀吉の段階を踏んだ上だったから可能だった面もある
頼朝の様に身内の粛清をやり過ぎて断絶してたんじゃしょうがないし 登子「千寿王がかわいそう」
尊氏「ハアハア」
基氏「おまたせ」 毎回おもしろいし見所多いわァ・・・いざや丸の早口とか
最後に見たのが15年前でかなり忘れてるが、「顕家は……疲れましてございます」
は大きく印象に残ってる
しかし基本的にナレ死で知られる池端脚本、顕家にはよほど思い入れがあったのだろうか 曹操も横山三国志で誰だかが兵たくさん失った時もよいよい勝つも負けるも平家の常って言ってたな >>116
あれはエロかったね。
昔のにっかつロマンポルノっぽかった。 あんなんほんとに少年だったとしても敵に生け捕りにされたら犯されるだろ 親房の言ってた「そなたの弓には神仏が宿ると信じられている」という話は重要だったんだろうな
島原の乱で天草四郎が砲弾の破片で怪我をしたら求心力が一気に落ちたという話もある
南北朝のような中世ならなおのことだろう >>130
本人もそれが分かってるから負傷してから人のいないところに逃げたのかなと思った 顕家も成長とともに子どもに宿る神仏性が薄れていったのだろう 本放送の時はガキだったから何とも思わなかったが
今見ると沢口靖子は絶世の美女だな
あんな美人女優今いないよな 直冬が僧侶は嫌で武士になりたいって言ってんだからならしときゃいいだろ
むげに仏門に居続けろの一点ばりで関係悪化させる意味がどこにあるんだよ
うまく丸め込めば観応の擾乱もすぐ沈静化できたかもしれんのに
当時はこういう展開が好まれたんだろうけどこの場面みててイライラするわ
史実では絶対ないな >>138
いやいや・・・武士になってたらそれこそ同じ展開だろうに >>138
えーとつまりあれですか、
「尊氏に落ち度はなかったが仕方なくなりゆきで直冬と対立した」
という展開にした方がよかったという意味か?
「観応の擾乱もすぐ沈静化」という、無い歴史に向かっても仕方ないもんな >>138
ドラマ上は藤夜叉の思いを尊重してるのだから、しょうがないのでは。
史実だと尊氏があんなに直冬を冷遇していたのは、やはり実の子であることを疑っていたからなのかな? 生き別れの息子が成長したら
俺僧侶になるたくないから親父の会社で働かせてくれよって
コネ入社お願いするダメ息子に見える。 楠党の最期より顕家の最期の方が演出よかった
ところで自害の作法は習うものなの?戦陣で敵兵の遺体をみて知るのかな 幕末の会津藩では学校で竹光使って切腹の練習を毎日やってたんだよね
この時代はどうなんだろう? >>138
嫡男を遠方の地に赴かせて死にそうな思いをさせている
自分の子供に生まれたばかりに哀れなことだ
白拍子に生ませた子供は認知しなければそんな思いはさせずにすむ
ということだろ しかし珍しく良純がいい芝居している回なのに後半の北畠親子に全て持っていかれていたな >>82
ホントかどうかは不明だけど
源頼朝時代の有力家臣の勢力範囲に近いから
も理由の1つってきいたな >>146
最初の頃は義助の方が過激な鉄砲玉みたいだったのに、終盤では冷静で現実的になってるんだよね
あれだけわかりやくす後醍醐から切り捨てられたら普通はそうなってしまうよね 建武の新政で立場と戦力もあるときは義助のように当然イケイケでいいはずなのに義貞は自重気味だった
その後南朝となり勢力が衰えてから義貞は戦って挽回しようとするが、義助は戦力を保持する側になった
アクセルとブレーキが機能してるようで実は結果としてマイナスになってるんだよなあ >>138
史実のもう一人の側室の子は鎌倉攻めの時に見殺しだけどな まず直冬を直義の養子にするところからダメだよな。後の火種になることは明白なのに 霊山城のシーンで顕家に名を呼ばれたのに、字幕で出してもらえなかった伊達行宗。
哀れ。 そののち、独眼竜の父ちゃんの輝宗までは、将軍から偏諱をもらうことになるけれど、
当時は南朝側だったんだな 大膳大夫政宗のほうはこちらに少し関係あるな。伊達行宗は祖父で母ちゃんは結城宗広の娘という。歴史の重みを感じるね >>102
師直て軍師なのか家宰なのか政治家なのかよく分からん
どういう立場の人なんだろ 元旦、BSPで、大仏開眼、前編、後編がまた、再放送されます。
池端俊作作品です。
君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず
ドラマで、この言葉が使われています。
今年、9月に再放送されましたが、まだ、見ていない方におすすめです。 >>147
鎌倉は頼信が平忠常の乱の際に坂東を平定したときの本拠地ってのもあるね 河内源氏は平直方の血が入ってから身内で殺し合うようになったのです 2ヶ月分の録画いま見てる
顕家「父上危のうございます」
親房「この親房に敵の矢など当たらぬ!うっ」
顕家「父上!」
親房「目にゴミが入った」
笑うわこんなんw >>82
東国に「都」を置ける所が当時はほかになかったんだろうな
地形を見ても他に候補は小田原くらいしか思い浮かばない
しかし致命的なのは川がない
そりゃ経済バブルから置いていかれるわと 都は逃げ道もたくさん有るけど鎌倉はそうじゃないからな 小田原といえば難攻不落の小田原城(9qの総構)・かまぼこ・小田原用水(日本最古) >>170
江戸は家康が入るまでは川で溢れていたからな
利根川東遷と荒川西遷のお陰で今の東京がある 棒中の棒(それも個性)と思っていた筒井道隆、若い頃はこんな演技出来たのかと驚いた
陣内判官のニヤリは三遊亭好楽のニヤリと双璧だな >>37
風林火山かな?
顕家の小説ってないから読みたいが。 正成が内裏で義貞をディスり出す
顕家が義貞との合流を拒否
それにも関わらず義貞は顕家卿は来ると信じて疑わない
この辺り、宮方視点からの京都防衛〜湊川の描写が欲しい
今からでもスピンオフで作成してくれないかな。役者が揃うかという問題点があるが。 「帝に召された顕家が 見事神仏に召されたということか・・・」 ここで顕家の死を受け入れた と思わせといて「まて!」
どこまでも自分に厳しかった親房が壊れていくいく名シーン うまいなぁ俳優さんは 高家って、代々足利執事の家系なのに何故師直は欲に塗れ果ては身の破滅になる道へ走ったのかな? 最終回の3人の花見シーンだけリメイク見たい
リアルに30年経った3人の回想で往時の貞氏や若い頃の尊氏・道誉が出てくるの >>148
でも起つときは慎重だったから、過度になるタイプかな
いやあの時は主戦派の岩松がいたから
あくまで義貞への対比としての描きか >>105
あれどうせ京への通りすがりだから相手も放置してそう
わしだったらまともに戦わないわ 正臣さんが壊れた結果、タヌキやカッパの着ぐるみでキンチョウリキッドのCMに… >>189
そりゃあ、あんなにキリッとした目でたくましかった子供が、おちょぼ口の木偶の坊みたいになって現れたら誰だか分からんよね >>183
名越が足利の執事?と読んだ俺は鎌倉時代で時が止まっているようだ・・・ >>192
風林火山の寅王丸もひどかったな
美少年だったのに成人したらブサイクな柄本 >>184
古典太平記では師直が首実験している。
尊氏は討ち取った武士ふたりに特別に褒美も出している。
しかし、よく考えてみると義貞、正成と違って「北畠顕家の首塚」ってないかな? >>192
しかもたった2年しか経っていないという事実!
ただ、後の展開から婆様はそっちの孫が可愛かったらしく・・・ 太平記は新年3日も放送あるんだな 麒麟がくるは休止みたいだけど 子どもの成長も千差万別だからね。
子どもの時の顔そっくりそのまま大人になる子もいれば子どもの時の面影がないまったくの別人みたいになる子もいるし。 家康の風間がコロナに罹って、主役の長谷川の収録は終わったけど、全体の収録が終わる目処が付かないみたいだな麒麟は
今年の大河はホントに厄年だったな 公家さんなのに武力高いって喧嘩強いオカマみたいだな >>206
伏字なんぞではケモノの臭いは隠せませぬぞ このドラマでいまのとこ鎌倉が4回陥落し 京都が3回奪い取られた そろそろ大陸の都市のように城壁をつくらないと 小田原城は先進的な城だったんだなと改めて 南北朝時代の日本の土木技術や石材の生産能力を考慮すると京一帯を城壁で囲うのは至難なこと
しかもそれだけの工事を賄うだけの労働力と財力の確保が困難
数百年後の安土桃山や江戸期の城郭ですらあの規模が限界でしかも大阪城や江戸城なんかは全国の大名に使役をさせて作ってる 中国みたいに易姓革命だーって言って皇帝をぶっ殺しに来るような勢力がいなかったから都市造りの思想が違ったし、全国の荘園公領からの貢納物が全て都に集められる中世の経済構造の下では閉鎖都市っていうのはまああり得なかった >>206
「花の乱」の日野左府(草刈さん)も相当強かった。毒盛られてふらふらなのに
幕府の将軍側近たちをなで斬り。武家の棟梁の将軍は側近に守られて
逃げ出す始末。 室町時代の関東は一足先に戦国時代になってたから要塞として城をつくってた
どこも土塁や堀が巧妙な城になってる
小田原征伐の時も総構の中に勝った豊臣軍でも入れてないんだよな コンスタンティノープル攻囲戦とかみたら
そりゃ火力重視になるなって思うけど
艦隊ごと山越えって力技で落とすのがすごいけどメフメト2世w いつの時代だったか、わすれたが、京都を土塁で囲ったことはあった。
土塁と城壁は違うけれど。
本格的な城壁をつくるだけの財力があれば
軍隊を強化する方が効率はよいだろう。 大陸の場合の戦争は、民族と民族の戦いだから
敗北は民族滅亡だから、コストなんていっていられない。 >>216
漢民族同士が内輪で派手に殴り合ってる時代も割りとありますがな そこら中が山だらけなんだから城壁作るよりも山を削って山城を作る方が効率的 金ヶ崎城は後詰め無しで籠もると悲惨だけど守りは堅いな 今年は基本的に何も良い事がなかったが、このドラマの再放送は
数少ないそれだった >>215
それは豊臣秀吉
JR京都駅は、その南のはしっこに作られた これやってたころって真田広之も
紅白審査員やったの? >>227
ぐぐってみた。放送年の前に出場している
第41回(1990)
山本陽子、中村鴈治郎、諏訪内晶子、野田秀樹、コシノジュンコ、渡辺久信、森口祐子、松岡修造、沢口靖子、真田広之
第42回(1991)
増井光子、山崎豊子、秋山幸二、芦原すなお、荻野アンナ、若花田勝、貴花田光司、緒形直人、鷲尾いさ子、田中好子 >>229
真田広之沢口靖子よりも松岡修造沢口靖子の方が話題だったのかな >>158
尊氏の執事
>>159
>>160
幕府の政務に関与しないのに管領はない >>167
小田原は関八州全体の主となるには端に寄りすぎている
>>170
江戸は平地の真ん中で人工的に防御施設を構築しないと武家の都にはできない
中世前期(院政期〜鎌倉期)には現実的に無理だろう
>>226
当時の意識では七条より南は洛中扱いされてないからな >>225
自分もそうだったな
滅入るような話題の多かった一年だったけれど、太平記に救われた
そしてその幸せがまだ少しばかり続く
皆さん来年は良い一年を >>185
ところが老けたのは陣内くらいなんだよな
真田も靖子も全然老けないんで >>229
大河からは夫婦で出演してた頃だな
沢口は秀吉の時も出たよね
「ねねさん」て言われて「おねです」って言って
いた気がする >>231
師直って引付方や恩賞方の頭人やってるし、ガッツリ幕政に参画してるような >>235
真田もだいぶ老けただろ、CM見るかぎり
葉月の乱があって、かなり老け込んだ印象 >>234
そうだけど
これからの太平記は滅入るような展開ばっかだよな >>241
そういう問題じゃない。
いっときでもコロナ禍を忘れて楽しめるもんがあったということですよ
さすがにドラマ内容が伝染病だったりすりゃ、そうはいかないだろうが 歴史を振り返ると伝染病は怖いらしいね 原爆やホロコーストよりも大量に人を殺す 地球を侵略しにきた宇宙人も全滅させられてしまったくらいだから
太平記の時代も大陸ではパンデミックだったが日本は島国だったから大陸から隔離されてて助かったんだよな もしこの頃の日本にペストが持ち込まれたら 人口の密集している京都は滅び 北畠顕家は福島あたりに万里の長城を築いて奥州王朝をたちあげたであろう 天平の天然痘大流行で政権4トップが崩れたぐらいだからな
日本の3割が死亡したんだっけ さらっと疫病が都で流行ったってのがどういう事か実体験したのが去年だったな
そりゃ大仏様作って縋りたくなるわな >>240
そりゃ還暦ですから、老けもしますゃ。でもまだまだ動ける(^^) >>245
ジャックリーの乱とかワットタイラーの乱で
封建領主が揺らいでいくきっかけだっけ 三国志やら、ローマ帝国、銀英伝やガンダムに例えたがる人多いね。よほど厨二病をくすぐるのかなw 当時の宮沢りえは綺麗だったなあ
貴花田と結婚する前か後か知らないけど
離婚によるストレスで激やせして元禄繚乱の時はガッリガリだった記憶がある 若い人と話していると、貴花田と宮崎りえが婚約していたことを知る人も少なくて、時の流れを感じる 感じるねえ
いまの若者からすれば宮沢りえは大物女優という認識しかないだろ
あと余談だが再来年の大河に出演するらしい 今、JCOMで映画「のほうの城」をやってるが、後北条家の臣下の成田氏って足利氏と同じ家紋「二つ引き両」を使ってるな >>257
ああ、あのガクトにさんざん打擲された成田氏。 あれで謙信から離反したんだけれど
その後にまた上杉側になったりもしてるんだよな
まぁ北関東の国衆はみんな似たような動向してたけれど >>259
その時に麒麟のさき様(近衛前久)も参陣していたんだよね >>254
このドラマが終わったあと
宮沢りえのサンタフェ、モックンのヌードが >>255
りえと大地康雄見ると
ぼくらの七日間戦争思い出すおっさん >>261
時期ははっきり覚えてないけどモッくんのヌードあったな・・ >>242
そういえば「大仏開眼」は伝染病の話がガッツリ出てくるな >>252
しかし>>250はそのいずれでもないね >>245
あれはあれで不思議だけどな
普通は侵略される側が疫病で大変な目にあうのに
どうして火星人だけは侵略する側が全滅しちゃったのか ちなみに日本で最後の天然痘患者はオセロの中島知子(ワクチン接種を受けた親族から感染) 定期的にヌード写真集の話題が出るが、
やっぱ18歳未満の頃から脱ぎまくってきた阿野廉子様が最強だろう。 >>274
神にすがりたい気持ち、分からぬでも無い… >>197
尊氏の「瓜はめば・・・」を聞いていたのに師直も容赦ない >>267 日本軍がニューギニアに侵攻してマラリアにかかるイメージで 須藤凜々花は2018年婚姻届けを出しゴールイン。2019年芸能界引退 水戸光圀って神戸なんか行ったことないのに、どうやってあの正成の顕彰碑建てたんだよ >>279
黄門さまの命で湊川に行った助さんのモデルの人が、黄門さまの筆による墓碑を建てた。 >>262
大地康雄と真田広之で病院へ行こうを思い出し
柳葉敏郎と陣内孝則で愛し合ってるかいを思い出す
アラフィフ >>284
人生100年時代なんだからアラフィフで爺さん婆さんはキツい(アラカン手前w) いよいよ師直が完全にダークサイドに落ちてきた
人妻を舐めるようにガン見した様子がエグすぎる
さすが名優柄本明ではある 新田の最期がまんが日本史みたいだったな。
もうちょっと引っ張るのかと思ってた。 ダイジェスト感が強くなってきたな
麒麟ほどではないがこちらもペース配分に疑問符がつく まだ観応の擾乱まで14年あって、
・北畠親房の常陸行き
・懐良の九州行き
・四條畷の戦い
・吉野陥落と後村上の賀名生行き
・直冬の中国探題就任と九州入り
・直義の失脚と南朝帰順
・正平一統と破綻
・天下三分の争乱開始
あたりの見所が残ってるけどどうするんだろうな
池端作品は後半駆け足になるのが恒例なの? 登子が、あーやこーと口出ししてきて(将軍正室の威厳発揮)、だんだん岩下志麻ばりに怖くなってきた >>287
目付き一つで今後の展開がわかると言うw
毎回のように退場者が出る中、足利周りでの内紛ネタを仕込んでていい流れ >>284
直冬の子役が今40歳位だよね
見てる人がアラフィフでも仕方ないよ 後醍醐天皇の前では義貞と呼び捨てだったのに、
今日は新田殿に戻っていた尊氏 >>284
別にいいだろw
若者が太平記好きでギバちゃんや陣内に興味もってる方が不思議w 吉野の帝のおわすところはあくまでも「行宮」なんだね 御所じゃない いつかは都にもどるつもりなんだね >>271
あの乳は最凶だからな、オッパイ聖人な帝が墜ちるわけだ 正成が死んだ時は酒盛りなんてしなかったのに、義貞は笑み浮かべて酒盛りじゃ!と、両者への思い入れの違いが顕著だな 根津さん、仰向けに背中から泥田に倒れて逝ったけど、
黄金の日々での釜茹でシーンと同じw 意識したのかな? >>299 正成が死んだときはまだまだ倒さなきゃいけない敵がいっぱいいたから 野球の試合でいうとまだ一回ウラくらい まだ祝杯ムードではない
義貞が死んだのは野球でいうとマジックが点灯したのと同じくらいの意味があったとおもう 北朝が勝って優勝してもいいし 南朝が自滅してもいいし 尊氏は君側の奸である義貞を討つという建前で戦争をやってたからね 義貞の墓のある称念寺は麒麟がくるの紀行でも紹介されてたな。
同じ年に異なる大河で2回も紹介されるのは珍しい。延暦寺も
そうだけど。 正茂や顕家と違い、あっさり退場した義貞。もう少し戦う描写や心情か描かれるかと思ったのに残念。共に打倒北条で立ち上がったのにね(T . T) 実際に北陸を拠点にこれからどうするのかという時にあっけなく死んでしまったからね
正成、顕家、正行のような大きな戦での劇的な最期じゃないし
古典太平記でも義貞の最期については割と辛辣だったはず おまえらが言うから原田美枝子さんのヌード検索したら緒形拳さんと絡んでるの見つけたじゃねーか 十二単の下にあの豊満な肉体が隠されているかと思うと、廉子殿が登場する度にドキドキもんですわい >>309
樋口可南子も
フランキー堺に北斎漫画で乳首吸われたり
2大濡れ場女優だからな >>299
正成は尊氏が個人的に思い入れがあっても所詮は部隊長クラスだし
義貞は武家の統領を争う相手で、何より南朝の武力統括者だから。戦死を聞けば大将として喜ばねばならない。 ただ、尊氏の征夷大将軍就任は義貞の戦死後で、
新田氏の菩提寺の長楽寺に、義貞の供養料として地頭職を寄進している。
その元号が改元後なのに何故か「建武」を使用
尊氏の義貞への複雑な心中が垣間見える 登子がいくら探しても、尊氏と似てる箇所は何一つ無いな… なぜか足利尊氏・義詮は後醍醐・楠・新田などに憎悪はないんだよな
倒幕時は味方だったからかもしれないが
義貞が戦死した時に斯波高経が新田家に伝わる宝刀で尊氏ともめたのは史実なんかな?
当時は足利高経と呼ばれていたらしいが >>306
そんな貴方に 樋口可南子 原田美枝子 藤真利子と◯◯する新田殿 もどり川 >>317
ご舎弟どの、でも判官殿も青ざめるくらいに寝返りw 南朝に対する勝利が確定してきて全体の緊張感が緩み始めてる雰囲気が良く出てたね 尊氏ってまだ将軍になってなかったんだな
幕府ができてすぐ就任したかと思ってた この辺から原作のほうがもっとダイジェストだからな
むしろドラマのほうが描写頑張ってる 湊川の戦い、義貞の死
南北朝に興味無いとこのあと南北朝合一まで時代が飛ぶからこんなものかと いざや丸は直冬にしてから分家を興させれば良かったのに。 直冬の分家を作ったら斯波が1つ増えるだけだろw
斯波の処遇は足利宗家の頭痛の種だろうな 石ももう少し長生きしてたら取り立ててもらえたかもしれないのにな。 >>326
実際、鎌倉公方家が色々面倒な存在になったしなあ 存在を認められない庶長子の直冬
子供のいない弟の直義
誰にとっても一番安全で幸せな方法が養子にすることだった
尊氏と直義が戦うなど誰も予想していなかった 実子の直冬が後に最大の敵になるとのナレーションがあると同じ回で、
新田殿は自らの敵を自分で作ってしまったとの会話が入る
多分脚本家が意識して対照させてるんだろうな
でも「ぶにん」を「ほにん」読みさせてのはいただけない(´・ω・`) >>332
前回の尊氏、直冬親子と親房、顕家親子の対比もそうだね >>309
何より紀信激写のボディがすごすぎ
今じゃ絶対ありえない年齢・・・(ゴホゴホ) 今日出演した相川恵里もアイドルだったけど
早い時期に脱いでるな
ハタチくらいで >>331
余りに身近に居れば周囲が義詮と直冬を比較するのは明らかだし、内部対立する種になるのは予期されたのに。ところで右馬助は何処へ鎌倉? 直冬は足利一門のどこかに養子に入れるのが政治的配慮ってもんだろ
それがわからないアホ氏w もう少し後の世ならば、仏門にいれるパターンなんだろうけどね
でも仮に直冬が仏門に入っても、結局は反逆の神輿に担がれて
義嗣か義昭(ぎしょう)みたいなパターンで殺されてそう(´・ω・`) 棒を直義の養子にしたら
棒の出自を疑うひと多数で
尊氏の庶子だとバレちゃうじゃん >>339
とっくにバレていたけど
尊氏が登子に遠慮して認めなかったんだろう
兄が死んだために嫡子になった非北条腹の高氏は
赤橋には気を使っていたと思う 行政は直義、それ以外は尊氏が担うってのが初期幕府だろう
後でやっぱこれじゃダメだって気付くんだけどw 軍事政権である以上、政治と軍事を分担するのは難しいだろうね 相川恵里はセミヌードとまりやね
背中と尻、スケスケワンピでとどまってる
濡れ場とかフルヌードに躊躇してる間に完全に消えた元アイドル系女優という感じやね
なんか目線がエロくて素敵なんやけど
ちなみに当時19歳 >>314
鬼切に関しては結局引き渡さず、斯波家から最上家へと渡った。
明治維新後に最上家に不幸があったので北野天満宮へ預け、現在も北野にある。 そういえば、尊氏の口から久しぶりに赤橋守時の名前を聞いたな。
金沢貞顕の名前はさっぱりまったく出ないままだけど。 44回「下克上」でも、
守時殿も、楠木殿も、新田殿も、みなわしのこの手にかけた
と言ってたなあ 尊氏 >>344
当時のアイドルは
売れないとバンバン脱がされてたからな
写真集やらVシネマやら
その中で人気絶頂だった宮沢りえが写真集で脱いで
多少流れが変わった >>343
実際には直義が全権委任されていたらしいが 金沢貞顕は繋がり的には叔父だからな。しかも血は繋がってないというね 鎌倉末期は執権はおろか得宗まで内管領に実権を奪われてたんだよな 高師直兄弟は長崎内管領の専横と滅亡を知っているだろうはずなのに
野心剥き出しにするほど観応の擾乱が近づいて感じがしてゾクゾクする
判官殿は尊氏殿最優先なのはブレないw 外の敵がいなくなったら次は内輪で争うのは人間のSAGA。鎌倉幕府の初期は来年の大河ドラマで見れる 師直よりも先に立花を教える名目で登子に取り入っている判官殿の仕事の早さよ
ただ登子にも義詮のために判官殿や師直を利用してやろうという迫力があるのが良い >>356
後藤久美子散る
根津甚八の最後
後醍醐天皇崩御
死ぬのばっかり
ことあと、師直も死ぬわけですが
最後には弟まで 新田を北陸に行かせたのがよくわからん
関東に派遣すればよかったんじゃないの地元だし >>362
人はみな死にますよ。
メメント・モリ。 足利尊氏の一生
父親の時代から北条にイジメられる
楠木、新田と仲良くなる
美しい後醍醐天皇に一目惚れ
陣内孝則に紹介された宮沢りえと一夜を共にしてうっかり子供をつくってしまう
がんばって北条、フランキー堺に見事にリベンジ
後醍醐天皇にほめられるけど恩賞は薄く
鎌倉に北条の残党が攻めてきたので勝手に向かって勝手に恩賞
後醍醐天皇、激おこ
不本意ながら京に攻め上るもボロ負けして九州まで落ち延びる
そこから再起して再び京へ進軍
楠木正成、新田を破り、後醍醐天皇を京から追放
ケンカした弟が後醍醐天皇側に寝返ってしまう
師直にも離反されてしまうがこれを成敗
息子の千寿王はあまり役立たず
宮沢りえに産ませてしまった子供が筒井道隆になって敵対するがこれはなんとか撃退
何をとち狂ったか、自分も弟を追って南朝側に降伏
南朝とまたケンカ別れ
弟とは和解したと思いきや、過去のことを根にもって毒を飲んで死ねと強要
最後はなぜか陣内孝則がそばにいる
どんな人生なんだよ >>350
直義が政務を取り仕切っていた初期の室町幕府でも、軍功を挙げた武士への恩賞の給付とか、全国の守護の任命とかは、尊氏が行ってたらしい 登子も義詮や基氏を守るのに必死だったんだよ
後ろ盾の北条が健在なら直冬なんか抹殺されてるよ 沢口靖子が大河でダークな役を演じたのは太平記だけだよな。 仮に義貞があそこで戦死しなければ、足羽七城は一月以内にすべて落ちた。高経は戦死か逃亡
そうなるとちょうど刈り入れ後にもあるので八月か九月に上洛軍を興す。
足利方は高兄弟あたりを派遣するだろうが、意外と?義貞との戦績が悪いのでこれを突破、
九月末には琵琶湖の北側に到達。山門の協力も得られるので都を攻める。
この時点で男山はもう堕ちているが、新田徳寿丸(義興)は健在なので、
残兵率いて南北から都を挟撃出来る。
義貞にしても今度は後醍醐も公家もいないので、好きに軍勢が動かせるので往年の強さがある。
足利軍の主力を率いた直義は惨敗。尊氏は戦意喪失して、光厳、光明を放置して都から逃亡。
南朝軍もこれを追い切れず。
義貞入京。北畠親房がしれっとやってきて、三種の神器を回収&北朝上皇と天皇を拉致
義貞は右大将兼大納言へ昇進
後醍醐は大喜びで都に戻ろうとするが、男山まできたところで尊氏が再起して篠村へ・・・
あとは分からんな。 登子っておとなしいお姫様キャラだと思ってた
バチバチに庶子潰しに行くんだな 後醍醐って脱出する時、女装したりイカまみれになったり、バイタリティハンパないね。天皇をイカの中に隠して運んだ漁師の気持ちって、どんなもんだったんだろう。 足利尊氏て正直興味なかったけどこの作品のおかげで興味持ったわ
戦国時代の武将以上に波瀾万丈の生涯なのね
大河ではけっこう駆け足気味に話が進んでるのにそれでも収まりきらない出来事多数あるし 登子か黒くなってくのが新鮮でゾクゾクする
最近の大河にありがちな周囲の人間がみな聖人みたいな感じになっていないのがいいわ
俗物感があった方がリアリティーある だからこそ、尊氏が美しい物に憧れるんだよなあ
実はもっとも美しかったのは自分自身やったというオチなのだが 師直なんて長崎化しちゃってるもんな
自分で気付かないけど この時点で基氏は生まれていないんだっけ?
基氏がいれば義詮に万が一のことがあっても直冬が惣領家を継ぐなんてことは無いんだろうけど 生まれていても、幼すぎると次期将軍には?つくからなあ
やはり、元服後出ないと次期将軍候補にはなりえない
となると、義詮がいない場合は直冬になる 登子はもし義詮に事あれば高義の正室と嫡子、尊氏の庶長子への自分達がしてきた扱いを今度はされる側になるから必死なんだよ >>385
次の天下人に北条の血を残さないといけないので
個人の思惑を超えている
持統天皇に立場が近い天智が北条、天武が足利、登子が持統 >>386
持統は天武の血であって皇室じゃないからこの場合北条の血筋って誰のこと?
北条の血なら時子の時点で入ってるしさ 登子は実家も一族も消滅してしまって、生き残り(時行)は南朝に下ってしまっており、
後ろ盾が尊氏しかいない状態なので必死。私本では守時に何があっても生きる覚悟を伝えていたが、
このドラマではそこまでの覚悟ではなかった。
しかし、この時期の沢口さんの嫌な女はまったく似合っていない。今ならいけるだろうけどw
>>382
1340年生まれ(後醍醐天皇崩御の翌年)
ただし、義詮への愛が片より過ぎて折り合いが悪くなり、それが義詮と基氏の不仲へとつながる >>295
尊氏が「新田殿」ではなくて「義貞」と呼び捨てているシーンは、
ショーケン降板前に撮ったのを使っているんじゃないか?と勝手に思っている。 まあこのドラマの主要キャストの中でいちばんみっともない死に方するのは師直だけどな >>357
このドラマでは兄 学会では兄、弟両説がある 登子全然黒くないよ
放送当時物足りなく思ったの覚えてる
でもまあお姫様だからあの程度で精一杯か
しかし実家が潰れてさらに足利憎しで残党がバトルしてるのに
よく無事に生き残れたな 登子役を沢口靖子がやっててしかもグイグイ行くタイプだからちょっと黒くても印象が変わる
これを元々悪女系の女優さんだったら「もっとやれよ!」っとなったかもしれない ついにあと10回を切ったか・・・
キリンが終わるのはまったく寂しくないが、太平記が終わりに近づくのは寂しい >>394
ちょっとwせめてオノマチにしてw
太平記の後だから花の乱が見たかった いままでは登子はイザヤ丸が行方不明だったから安心していたが これからは直冬としてちょくちょく顔をあわせると思うと気が気ではないだろう >>1
大河ドラマじゃ神護寺肖像画で有名な足利直義は妻が病弱で子供いないことになってて
イザヤマル養子に迎えてるけど、実際には実子如意丸がいて5歳で死んでるんだよな
大河が作られたころ知られてなかったのか?? 正月に撮りためたのをまとめ見した
楠正成の子どもとの別れのシーンは泣けた 高氏も貞氏の長男ではなく次男のはずなのに、子供のころから跡継ぎの嫡男設定やからなあ
ドラマ的にややこしい史実はスルーしてるだけやろな 今さらだけど砂の中からタイトル現れるオープニングを見ると人形劇三國志を思い出しすなあ >>398
如意丸は原作にも出てくるぞ
ドラマ中ではまだ生まれてないだけ 直義は基氏を養子に貰えばよかったのにな
中央は尊氏・義詮父子や師直に任せて鎌倉公方基氏の養父として関東を治めればよかった 当時の尊氏はガチで直義に政務を任せて、自分は南北朝を終わらすためにいくさに集中したかったんやろうけど、直義があまりにも調停や有力な足利一門と好を持ちすぎて、高一族や佐々木京極、赤松などの新興勢力を押さえ込もうとしたからなあ
直義の治世って建武の新政のリメイク版に近かったのかもしれないな
勝ったものへの恩賞より幕府や北朝とのパワーバランスで恩賞を決めてた感がある
そうなると新興勢力の中には北朝から南朝に鞍替えしたものも結構いてそれが、南北朝を終わらせようとした尊氏なとっても問題になったのかもしれない
直義に治世を任せるのは南朝を尊氏がもっと弱体化させてからにしないといけなかったのやろうなあ 実子かどうかって、今ほどには重要ではないから
あれは明治以降に相続関連の法律ができてから大きくなった概念 ただよしは実務に徹すりゃいいものを、下手に権勢欲も自己顕示欲もあるからダメ 一番まずかったのは摂津打出浜で珍しく勝ったのに戦果を拡大するどころか墓穴を掘るような沙汰ばかり行ったこと
戦も下手だったが勝った後の行動はもっと下手だった 姉さん、事件です。
兄の庶子を養子にとってしまったんです。 >>413
だから、その辺も武家っぽくないのよ
あの人は
直冬もさ、実子かどうか尊氏が怪しんでたから説とかあるけど
それも明治以降の考え方よね
冷静に見れば直義に子がなく養子に出されて
直義の派閥に属しちゃったからああなったとする方がストレートな解釈だと思う
似たようなケース沢山あるでしょ
結城秀康とか
実子云々より「家」に属してるかどうかが重要 基氏が直義の養子だった説もある
その場合、直義が失脚して義詮と基氏が交代するタイミングで養子解消されたことになるのだろう いざやまる、元服式のときなんか不満そうな
顔してたな。しばきたい。 義詮は直義を異様に毛嫌いしてたらしいけれど、
基氏の方は尊氏より直義の方にシンパシーを持っていたなんて話もあるね。
じっさい、尊氏が死んだあとの基氏率いる鎌倉府は、上杉をはじめとした元直義派が
復権して主導権を握ることになるしね >>417
不貞腐れた男を演じさせたら天下一品だと思う
昔、本宮ひろしが江川卓の漫画を書いたときに
「こういう泣き怒りした表情の男は絶対に好かれない」
なんて酷い事を堂々と書いてたけど
同じ系譜の表情 むかし、判官役の陣内孝則と沢口靖子が「新婚物語」という連ドラで若夫婦だった。
お似合いだったなあ、、、
ドラマ内では夫婦役だからキスもあった。
初々しかったわ。
このまえ太平記で登子のセリフで、判官殿にお花を習っていたくだりがあったときは、
二人のシーン見たいなと思った。
新婚物語は、You Tubeで見れます! >>421
それで思い出した
花を教わっている時に判官が登子に言った話
「ダメな花でも他の花の間で生きることがある」
話の流れからすると、直冬が直義の養子になることで丸く収まるという意味にとれるが
後に師直との話でも分かるように判官は反直義・直冬
矛盾してるというか、なんのためのセリフか分からなくなった >>409 なんとなくわかるわ 上杉謙信とかそうだよね 管領上杉氏の養子になって その子供も養子で 上杉氏は血縁とは関係なく上杉家を幕末まで守り続けている 戦死につき新田義貞の戦績
〇 吉野攻撃(護良親王 ※幕府軍の一員として参戦)
○ 上野国府の戦い(長崎孫四郎左衛門)
○ 小手指原の戦い(桜田貞国)
○ 久米川の戦い(桜田貞国)
● 分倍河原の戦い(北条泰家)
○ 分倍河原の戦い(北条泰家)
○ 関戸の戦い(安保道堪)
○ 鎌倉攻撃・化粧坂の戦い(金沢貞将)
○ 極楽寺・稲村ケ崎の戦い(大仏貞直)
○ 矢矧の戦い(足利直義)
○ 鷺坂の戦い(足利直義)
○ 手越河原の戦い(足利直義)
● 箱根竹之下の戦い(足利直義 ※脇屋義助が尊氏に敗北して撤退)
△ 大渡の戦い(足利尊氏 ※脇屋義助が山崎で敗れ撤退)
○ 三井寺の戦い(細川定禅)
○ 東山の戦い(足利尊氏)
● 北白川の戦い(細川定禅)
○ 二条河原の戦い(一月二七日)(足利尊氏)
○ 二条河原の戦い(一月二八日)(足利尊氏)
○ 打出の戦い(足利直義) △ 白旗城攻撃(赤松円心)
○ 西宮の戦い(細川顕氏)
● 湊川(生田の森)の合戦(足利尊氏)
○ 四明岳の合戦(高豊前守)
● 京都攻撃(足利尊氏)
△ 京都攻撃(足利尊氏)
○ 京都攻撃(6月30日 高師直)
○ 京都攻撃(6月30日 仁木 細川 土岐)
△ 東寺攻撃(足利尊氏)
○ 金ヶ崎城攻防戦(高師泰 斯波高経)
● 金ヶ崎城攻防戦(高師泰 斯波高経 塩谷高貞)※義貞は不在か、脱出か
○ 越前国府の戦い(斯波高経)
△ 足羽七城の戦い(斯波高経)
● 燈明寺畷の戦い(細川出羽守)戦死
34戦22勝7敗5分 勝率 .647 >>422
判官殿は純粋に立花の哲学を語っていたが、それを受けとる登子は気に入らない花=直冬を思い浮かべて
それでも役に立ったり状況を良くする事があると自分に言い聞かせてるのかと 以上、義貞の生涯戦績
実は尊氏とは義貞の3勝2敗3分で1勝だけ勝ち越しているのだが、
勝負所で落としているのが敗着か >>392
大河では、自分の子でさえ手駒にした強かな三位殿が悪女枠だろうから
登子は政治的な駆け引きが不得意なお嬢様だけど我が子のために必死です感が
沢口靖子に合っていると個人的に思う
武家において、正妻の子>側室の子というランク付けは鎌倉時代には既にあったから
直冬が直義の養子になることは疑問に思わないけれども、本家を支える分家になれず
尊氏との間で深まる確執はどうにもならなかっただろうなとも思う 直義がすぐるちゃんにしか見えないんだけど、すぐるちゃんの後にこのドラマ? >>414
養子を迎えた後に実子が生まれて一騒動って、生粋の武家でも割りとあることじゃね?
応仁の乱とか 養子といっても直冬の場合は尊氏の実子やど自他共に認められてるからな
養子も出自によって周りの信頼度が違ってくるわ >>424
勝率だけなら武家の統領にふさわしい
問題は勝負所の弱さだが、義貞の責任外の敗戦もかなりある
それでも鎌倉攻めで歴史に名を刻んだというべきだろう 鎌倉・南北朝期の相論に後家の所生が嫡子を差し置いて相続人に指名されるの割とあるでしょ >>433
悪役イメージなんてまったくない時代
HOTELの赤川一平やってた頃の直義 塩谷判官の奥方を凝視する師直、下衆さなら
長崎親子をに超えましたな。 >>444
顔が勃起したチンコのようだった
柄本さんのものすごい演技だ 冷静クレバーな切れ者執事だったはずの師直が
どうしてこうなった >>447
長崎円喜は高時を保護者の如く支えていた側面が多少見られたけれども
師直は尊氏の優柔不断さに乗じて野心を隠さなくなった辺りから俗物臭が酷くなった 話は面白くなるものの、これから先の展開に女の人はついて行けたのだろうか。
@話が一層入り組んてる。
A不憫な女の人しかいない。
Bイケメン率が激減。
弟の顔芸とか執事のエロ加減とか、女の人から見て楽しくもなんともないからねえ。
先帝と執事、やってることたいして変わらんけどね。 >>449
リアタイで毛利元就を完走出来たから今回も完走予定
佐々木判官殿がまさかの癒やし枠になりそうで悪寒がするけど
観応の擾乱は利害関係が入り組んでいるけど根底は権力欲だしと思うと
夢窓疎石に傾倒する尊氏が哀れに思う >>448
長崎円喜は貞時、船田昌義は朝氏からの執事で子供の面倒を見てる感じがするよね
足利も師重が執事続けてたら同じ様に動いたんじゃないかな >>450
理想・理念は時に否定されることがあるけど、権力欲オンリーよりは、まだ統制が取れていたということかな。
後醍醐に見いだされ、高時・尊氏・直義に帰依された夢窓疎石の存在は、何か暗示的だ。 新田義貞と木曽義仲は最期が似てるな
落ちぶれて泥田で討ち死に >>424
箱根で負けたのがすべてか
しかし、さいとうたかおの漫画「太平記」の脇屋義助のセリフで、
「北条を蹴散らし、次なる敵足利尊氏、直義と五分に戦ったあのころ」というのがあったが、満更盛った発言でもない >>447
花夜叉一座をキャスティングして喜んだり、似合わない黄色い直垂にはしゃいだりした面もあったし >>447
幾ら武功上げても執事の立場を弁えていれば暗黒面に落ちずに済んだのに。 まだ、師直があそこまで手当たり次第のすけべジジイになるとは流石の婆娑羅道誉も想定の範囲外やろ
ハニトラで自分の手元に引き留めるつもりが
、手当たり次第に食い放題で自分の身内の嫁の風呂まで… 権力を握ると人間は変わりますというのが吉川英治原作の根本
討幕後の後醍醐や調子に乗っている師直は下品だよな 直義が政務を仕切ってるのだから執事から執権としての機能は副将軍に取られてんだな 師直にとって執事として務める相手は将軍の尊氏であって直義ではないという考えやろ
そして直義もそんな師直を重用する気もない
そらぶつかるわなあ 俺は師直と直義の対立だけで言えば常に師直びいき
直義が秀でてるマツリゴトってのはただの官僚的行政であってもっとその上の政治、
皆をまとめるということではむしろ邪魔な存在
師直は足利家参謀としても軍人としても有能であることを示し続けてる 直義の治世能力って乱世ではなく、平和な時こそ効果的やったんやろうなあと思う
残念ながら南北朝の動乱は継続中やったからなあ あれだけ戦で結果を出しても良い思いをするのは有力一門かよという気持ちは分からなくもない
それくらい師直は戦で結果を出してる
直義を追い落とした時に息の根を止められなかったのがね 鎌倉幕府末期の得宗が居て内管領と執権の仲違いと同じ状況になってるのは皮肉だよな 美しいものを追い求めた尊氏が唾棄した鎌倉の政治が
盛大なブーメランとして自身に跳ね返ってくる擾乱編をお楽しみください 美しいものといいつつあっち裏切りこっち裏切り最後は身内争いで
弟殺す醜い人物が尊氏という
美しいのは楠木正成や北畠顕家だったというオチ
室町時代が大河から避けられる一因か 師直には輝かしい武勲が数多くあるからね。なんで執事ってだけで足利一門の風下に立たなければならないんだって思うよ。
やはり尊氏が直義と師直をしっかり統制しときゃ問題はなかった。
頼朝と家康ならry 尊氏 全体のバランスを考えて功績あった者にはほうびを与えたい
直義 足利一門の身内だけで住職とか守護とかを固めるのは当然だ
師直 戦で手柄をたてたのに恩賞が少ない、たいして働いてない奴が守護になるなんて納得いかない
このあと、足利幕府に不満のある者は、とりあえず南朝に走ってしまえばOK!という流れが出来てしまいます
自民党や社民党に不満のある議員が、とりあえず新進党に行っちゃおうか、というノリで
これで足利尊氏は離反者続出で悩むことになります
弟の直義と、養子にした直冬も敵にまわってしまいます 夢窓疎石のスポンサーという形で尊氏は後世に美しいものを残せたと私は思う
過去に否定したものがそのまま未来の自分を照らすブーメランになるとは
皮肉だけれども、自分の人生を賭しての因果応報劇は人智を超えた
壮麗なるもの一つなのかもしれないとも思う やる気を出せば何でも出来るのに、本当の土壇場までやる気出ないのが尊氏だし >>469
御舎弟殿は肝心の戦は黒星が多くて勝敗で語られるとHPと面子が大幅に削られるという 今回の尊氏の師直に対する失言は流石に酷いよな
観ていて思わず自分もアチャーって顔になった >>473
黒星が多く……
御舎弟殿の戦績
● 女影原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 小手指原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 武蔵府中の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 井出の沢の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 鶴見の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 手越河原の戦い(名越式部大輔)
● 矢矧の戦い(新田義貞)
● 鷺坂の戦い(新田義貞)
● 手越河原の戦い(新田義貞)
△ 箱根竹之下の戦い(新田義貞 ※直義敗北寸前も尊氏勝利で回避)
△ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
△ 豊島河原の戦い(脇屋義助)
● 豊島河原の戦い(楠木正成 ※正成は別動隊)
● 打出の戦い(新田義貞)
◯ 多々良浜の戦い(菊池武敏)←初勝利!
◯ 福山城の戦い(大井田氏経)←初連勝!
● 湊川の戦い(楠木正季)
△ 湊川(生田の森)の戦い(脇屋義助) 池端氏は尊氏を「英雄というより小さな正義感を頼りに迷いながら生きた人物」として描いたらしい。
後醍醐は中先代の乱鎮圧に尊氏が勝手に向かった時も「この題材を素に和歌を作って送って」とか依頼してた。本気で裏切られるとは思っていなかったのかもしれない。尊氏が叛いた後も周りが高氏と呼ぶようになったのに尊氏と呼び続けたり、結構甘々な性格をしている。
和歌でも何かあると結構弱音を吐いていたりと、剛毅なイメージあるけど意外に打たれ弱い部分もある。肩凝りな帝という表現もあながち間違いではないんだろうなと思う。。 結局は武士が子分を助けに行かないという事の意味を理解出来なかったんだろう
助けを求められてるのに何もしない親分に従う奴なんていない
新田が自分が同じ立場なら同じことをすると言っていたのも当然 >>475
どんなセリフだっけ?DVD持ってるけど覚えてない 師直は室町時代末期〜戦国時代に生まれてれば活躍してたな。 >>480
すみません、ちゃんと覚えていないけど
「お前は戦だけやって、あとは言うこと聞いていればいい」
みたいな言葉だった >>483
多々良は以外は直義の方が大軍勢
特に矢矧、豊島河原、打出、それからドラマでは勝ったことにしてもらった湊川は圧倒的大差 >>484
師直「では我らは戦の時だけ働かされ、政には一族や古い家柄の方がおつきになる。斯様なことになりますか」
尊氏「そうは言うておらぬ」
師直「そのように聞こえまする。現に幕府の評定方には御舎弟殿のご意向でそのような方ばかりが登用されておりまする。
新しい幕府の中枢を古い顔ぶれが多い尽くしておりまする」
尊氏「直義には直義の考えがあろう。ともあれ政はあれに委ねたのじゃ。儂は将軍として武士を束ね、戦を致すだけ
そなたは黙って儂に従ごうておればよい」
師直「そのように仰せられまするな」 結局、三管領は一門で四職は外様メインに落ち着くんだよね
師直が上手く立ち回って生き延びたら得宗家の内管領的な立場になっていったのかな 管領はそもそも足利家家宰てある執事の後継職として誕生してるので執事の師直が管領になれた可能性はあるから、高家も入れて四管領四職になったかもしれないな 執権という役職名が足利にとってはトラウマ的なものやから使われることはないやろな >>342
直義の権限(統治権的支配権)は行政に限定されるものではなく立法・司法を含む政務全般を含むものだよ
特に直義が評定を主催して式目の追加法制定や所務裁判の権限を握っていることが重要だろう >>368
直義が所領問題に関してできるのは裁判権やそれに伴う安堵まで
新規の所領(地頭職)の宛行や守護職の任命は尊氏(主従制的支配権)じゃないとできない 実際、斯波高経は就任を渋ってたとか。
それで管領に名前を変えたのかな?と思ったり。 >>371
「秀吉」のおねも終盤で少しブラック化していたような
あと「独眼竜政宗」のイロハ姫は少し違うが新興宗教にのめり込んで
母親役の桜田淳子に必死に止められている描写がある >>357
>>391
とりあえず師直=嫡子、師泰=庶子ということは確か
その上で
「本当は兄である庶子が弟扱いされること」はあっても
「本当は兄である嫡子が弟扱いされること」はまずあり得ない
そう考えれば兄説・弟説両方ある場合「庶子のほうが本当は兄」である可能性が極めて濃厚なので
師泰を兄としたこのドラマの筋書きは理にかなっている >>407
直義の政治は先例・慣習無視の建武政権とは似ても似つかぬものだと思うよ
あと恩賞の決定権は軍事指揮権と不可分だから基本的には尊氏・師直側が握っているはず だが、ドラマ的には直義は守護の任命はいくさの功績だけでは決められないと言い切ってるので、守護職を恩賞としては扱わないということやろ 高師直は執事施行状を発給したのが革新的らしい
これで初めて
幕府の土地給付に武力を伴う強制執行力付加された
だから絶大な支持を得られたらしい >>487
四職も半分は足利一門だが
>>490
足利宗家の家宰の立場と幕府の政務責任者としての執権を合わせたものが管領
但しあくまで将軍が親裁権を持つなかでの補佐としての地位でもある
よって単純に執権と同列には語れない
>>491
トラウマとは? >>500
守護職はそれこそ現地における将軍の代理人だからな
幕府の命令を現地の武士たちに伝達したり戦時には現地の武士たちを指揮したりする
だから単純な恩賞としては与えられないのはその通りだが
一方でそれなりの実力を持ち現地の武士たちに支持される存在じゃないと
守護としての役割はまともに果たせない
そして将軍の代理人である以上は将軍の承認なく評定方で決められるものでもない 師直、師泰兄弟は今際の際まで仲良しだったなあ。両者とも随分嫌な感じに描かれてたけど、最期はキレイな退場だった。 尊氏が師直に、
そちは代々足利宗家に仕える、高家の頭領ぞ
と言っていたが、弟なのに頭領?と疑問だった >>497
嫡庶の別が説明されてないから、見ている方は分かりにくいよね。 師直と師泰も時代の覇者ともなれば喧嘩するよ
厳密には二人を担いでいる子分たちの利害が衝突すれば、好むと好まざるとに関わらずに戦わざるを得なくなる 執事施行状は建武政権の事例をもとにしてる。
師直は建武政権時代に恩賞方にいたので、その経験を活かして方策をカスタマイズした。
建武政権は全てを1から作り直そうとしたから潰れたけど、部分的にみれば革新的・有効的なものもあったということ。南朝の公家衆はどちらかというと後醍醐の政治に批判的だったわけで、こういう政策も後醍醐と極一部の公家だけで考えてたのかもしれない。
ドラマじゃ帝も虚仮にしてたけど、有用とあらば実用化するところが師直らしい。 >>501
というか鎌倉時代にはいちいち両使遵行でやっていた新恩給与の際の下地の沙汰付を
単に面倒くさいから執事施行状で守護に指令する形に変えただけでは? だいたい師直と直義が殺された日って同じ日なんだろ。
尊氏も師直派の武家から厳しく突き上げられて苦渋の選択の上の行動だったんだろうな。 >直義が殺された
この「太平記」では尊氏による毒殺だけど、自然死説を取ってる学者もいる
峰岸純夫、亀田俊和なんかがそう >>497
確かって、チミは何処の部外者だよ
高氏の累代の根本所領は、高氏の祖たる高階惟長所縁の三川乃国菅生郷なんだが
その所領は、師重→師泰→師世(師泰の息)→師秀(師泰養子)→明阿(師泰の娘)と相伝された
何で師泰が庶子なのか、説明してくれるか?
高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師世(幕府執事)→いち(三川乃国総持寺住持)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師秀
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→明阿(高師冬妻、三川乃国総持寺開基)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師夏
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師詮
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師永(秋里師永)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→貞円(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三川乃国額田郡比志賀郷)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→師兼(初代三河守護、師直猶子) >>509
>>501
というか執事施行状って文書形式という点では鎌倉時代の関東御教書や六波羅御教書と基本的に同じわけだけど
そんなふうに師直だから発案できた画期的なものなのかね? 尊氏に有能なブレーンがいればなあ
頼朝における大江広元や三善康信、家康における本多正信や天海僧正みたいな
妙吉ぐらいしかいないんだもんw 有能なブレーンに丸投げした結果、
そいつらが片っ端から揉めて戦争がおさまらなかったんだけどね 有能なブレーンはいるが問題はトップが
頼朝や家康みたいな能力がなかった >>521
んな事はないよ
自分でやってる時はぐちゃぐちゃな状況を見事に立て直してるよ
それも何度も
でもあの人はちょっと落ち着いたらすぐに放り投げるんだよ
それができなくなった晩年を除いて それ以前の武家政権のモデルケースが鎌倉幕府しかないのだから仕方ない よく需要に応じてとはいえ、鎌倉幕府みたいな全く前例に無い組織を創造できたなぁと思う。 >>525
北条義時、泰時って怪物中の怪物が二代続いた奇跡
御成敗式目なんか700年は使ってるんだよ
明治の初めまでだから 北条は国香流が落ちぶれた家だから文化資本は持ってるし苦労もしてた
義時以降は頼朝の仕込みも入ったから源平ハイブリッドで怪物の出来上がり
頼朝も流人となって身一つで落ちぶれた苦労人だし >>526
日本の仕組みを部外者だな
コレの何処が、革命的創造だよ
明治維新とは、江戸の三河武士から、長州の三河武士へのタダの国譲り
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)
国司氏は長州藩の幹部だったが、実は長州藩は三川乃国縁故者が多い
山口県の萩は三川乃国の萩に由来する
三川乃国の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三川乃国の萩を忘れない為に萩と名づけた
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三川乃国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
事実上、徳川幕府は崩壊していなく、現在も続いているんだよ
三川乃国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(参川四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三川乃国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三川乃国宝飯郡萩、萩大宮司)) 革命を起こしておいて、未だに三川乃国が君臨している事を不思議に思わんのかな
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三川乃国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三川乃国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三川乃国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三川乃国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>524
従うべきものが強欲過ぎただけ、北条の失政を見ていたのに同じ事の繰り返し。 >>527
民法の土地を20年占拠したら自分の物になるとかで一部はまだ生き残ってるしな >>516
>>516
文書形式で同じでも鎌倉時代は弱小勢力は実効支配出来ない可能性があった。それを武力による強制力をつけることで所領を安堵したらしい。
これは建武政権が考案したんだが、天皇の綸旨を元にした複雑な手続きが必要で、実効性が充分じゃなかった(官僚主義的な一面が見える)。
これを簡略化して上手く取り入れたのが師直。建武政権下では楠木正成とも一緒に働いていたらしく、ともに反乱鎮圧の計画を練っていたらしい。公家も武家も一緒に働いていたので、やはり後醍醐は官僚主義国家を考えていたのかも。そこが明治政府と少し繋がるかもしれない。 >>536
鎌倉時代の両使遵行だって幕府の決定に従わない者への武力行使は普通にあり得るし
逆に与えられた当人に力がなければ所領の永続的な維持が困難なのは室町時代も同じ
それに管領施行状→守護による使節遵行という形が一般的になる室町時代でも
このやり方で上手くいかないときには鎌倉時代と同様の両使遵行にする例がそれなりにある
鎌倉時代的な両使遵行だと在地への実効性が乏しくて
室町幕府の管領施行状だと逆に在地への実効性が絶大という理屈は成り立たないと思うけど 北国の雪やべーな。新田はこんなところを行軍してたのか 根津さんお疲れ様でした。
放送当時(小学生だったけど)のことを思い出すと、
義貞戦死放送と同時に新田館で最後のロケが行われ、門のセットで炎上シーンが撮影された(どこで使われたのか知らないが)
そして1週間後に根津さんが太田、新田を訪問して大歓迎を受けた。当時の市長から、
「最終回まで出演して欲しかったです」と懇願されて、けっこう困っていたw
今から思えば肋骨折れていたんだが。
炎上シーンに使わなかったセットは保存を検討するという話だったが、現存していないので取り壊したんだろう。
足利のオープンセットも保存予定だったのに、結局なくなっている。
残っているのは足利の大河ドラマ館の真田尊氏の鎧と、新田荘博物館の根津義貞の鎧だけだ。 >>497
独眼竜政宗でも
側室のねこが産んだ秀宗が兄だが
正室の愛姫が産んだ忠宗が嫡子
名前は豊臣秀吉、徳川秀忠から1文字ずつもらっている
沢口靖子のいろは姫は真田広之と一緒にキリシタンになった
細川ガラシャと同じ
母親の桜田淳子が、そんなあやしげな宗教にハマってしまうなんて!と叱っていた
もっともその後、桜田淳子自身がもっとあやしげな宗教にハマってしまって
ワイドショーを騒がせるネタになってしまうんだけど >>541
独眼竜の桜田淳子のその描写はその後の彼女を考えると皮肉としか言いようがない 新田はあっけなかった。もっと見せ場作ってやればいいのに。根津甚八は渋かっこよかったけど。
いよいよタカオ退場、タカタロ登場か。 >>543
実際も新田の最期は無様で呆気ないから仕方ない 根津甚八だと無様で呆気ないのが可哀想に感じる。ショーケンだったら無様が似合いそう。
タカオ、キンパチ、ショーケンのトライアングルだったら南朝のインパクト強烈過ぎ。
更に坊門、親房、廉子、名和、護良と続けば、当時のモックンじゃ太刀打ちできん。ゴクミに至っては・・・。でもちょっと見たかった。 大河あるあるだけれど、戦死のシーンってセット撮影ばかりで、ロケって殆どないよね
セット撮影だとショボさが気になって、せっかくの最期のシーンに入り込めないんだよなあ
どうでもいい合戦こそセットで済まして、主要人物の戦死シーンはロケ撮影で見てみたいものだ 太平記の門が燃えるシーンは葵徳川三代の関ヶ原の次くらいに使い回されてると思う しかし凄い豪華キャストだったよな〜。
ちょい役でトヨエツや大杉漣だもの。 >>545
顕家は討ち取られたのになぜか自害(尊氏への報告は討ち取ったことになってたけど)
この脚本家は根津さんがつくったであろう、所謂武骨で愚直な鎌倉武士の義貞に愛着がないらしい
自分がつくったのはショーケンのキャラだからだろうかね >>554
実際の義貞も田舎武士が鎌倉攻めのヒーローとして突然中央に引っ張り出されるものの
有象無象のなかでの政治的な駆け引きとかに振り回されて右往左往しているだけ
パッとしない人物をその通り描いただけで愛着がどうこうとかいう話ではないと思うが >>557
いや、ショーケンの義貞出たときに地元大ブーイングで
根津さんに交替し、キャラも変更になったら逆に大喝采になった
戦死後に根津さんがイベントにきたら「短い時間で私なりに役をつくりあげて」「最初の撮影が太田のセットで地元で手に入れた郷土史家の本を参考に」
と言っていたので、あれは根津さんのキャラづくりなんだろう。古典の太平記に寄せたということなんだろうけど。
ロケ地である地元の声もあったのかも知れないが。
私本の義貞だとキザな美男で、道誉さえも出し抜いて宮方に通じていたり、
上洛早々に千種はじめ都の有力者に、財宝ばらまいたりしているのでドラマとけっこう違う。 >>278
でも須藤某ってコテハンは絶対その須藤が強姦されろとか思ってるよね >>548
後ろがスクリーンに光を当てた感じで、すぐ分かるな
屋内のセット用の「空」だと >>548
風林火山の菅原文太は確かロケで死んでたな
いくらやられても中々死ななくてゾンビみたいな死にっぷりだったがw 武田信玄だな菅原文太が信方演じてたのは
風林火山は千葉真一 >>562
武田信玄でしょ
甘利の西方浄土で待つ
板垣さらばじゃ後から参る
カッコいい別れ 武田氏は二度も大河になってるのか
上杉もなってるし北条が気の毒になるなw >>567
どこがじゃ。
今1分で思い出すだけでも北条時宗と、草もゆるがあるぞ 得宗は有能な人材が多かったけれど、
小田原の方の北条氏も有能な家督が続いたな 真田丸で御舎弟殿が小田原城包囲されて段々顔色悪くなって行ったのは覚えてる >>571
北条氏は頼朝の嫁の実家でしかないし伊勢氏は完全な余所者
どちらも良い統治をする以外に正統性が薄い 鎌倉の北条氏は、形式上は歴代将軍の下にいたけれども
平安時代に天皇を頂点とする実質藤原氏の支配という枠組みを
武家流に整えたという見方も出来るかと
鎌倉幕府の初期に大江広元の影響力があったことも見逃せない 鎌倉北条氏は善政の代名詞だし関東で北条名乗って三つ鱗使う以上
伊勢氏も意識したんでないかな
ただ北条名乗る前の早雲も有能だった 北条氏の正統性は承久の乱の勝利だな
帝に勝ったんだからさ
これに勝つにはやはり帝しかいない
後醍醐が立たなかったら鎌倉幕府は続いたよ多分 太守!後世の評価では犬を1000匹飼ったのは間違いでは無いそうですぞ 後北条は終わり方がカッコ悪いし大河にしにくいんじゃないの。信玄と謙信のついでに出せるし >>574
暴風雨でもないのに画面が乱れるかと思ったら、それか
>>581
早雲で終わりゃいい
実は存命時に北条と名乗ってないとか、何かややこしい事もあるらしいが
話がおもしろけりゃどうでもいいんだがな >>579
確かにしつこいね
北条に正統性がないと言われると噛みつかずには居られないのだろうけど このスレだと高時メインで時行はナレで貞時は母御前のオマケだから正当性もへったくれもないしな 正統性がないというのが無理なんだよ
後醍醐がいなきゃ倒幕出来なかった言われたのが癇に障ったのかなw 強いからとか勝ったからだけでは駄目なんだよ
その理屈だと自分より強い相手には支配権を渡さなければならないんだから 何言ってるかよくわからん
実際得宗家が100年以上支配したのは承久の乱の勝利だろ
ほかに理由ないだろ 北条義時は恐いもの知らず
足利尊氏みたいに「天皇を相手に戦するのはおそれ多い」とビビりながら
生きているほうが共感できる 義時も承久の乱の際、カミナリ落ちてきたとき、罰があたるんじゃないかとビビりまくってたんやで(´・ω・`) >>560
見やすいようにの配慮だと思うけど、季節関係なくソフトな光で、明るさが不自然なんだよね
色々研究しているんだとは思うけど、もっと強い光で陰影のハッキリした画作りしてもいいのにね >>589
善政を行い続けた事と御家人を統制するバランス感覚だろう
それが崩れた時は北条氏自体に権威が無いから呆気なかった
源氏の棟梁であり征夷大将軍である足利氏のしぶとさとは対照的 だから後醍醐がいなきゃ倒幕はなかったって
まさか御家人たちが独力で北条倒したと思ってるん?
帝の力あってのことだよ
足利も独力で後醍醐に勝てないから北朝担いだんだろ
気分の問題ではあるがw 帝を倒して得た支配権だからこれに対抗できるのは
帝しかいなかったんだよそれだけの話
権威はもちろんあったろ
ほっといても鎌倉にみんな訴訟持ってきたんだからさ
こっちくるな京でやれ言ってるのに この馬鹿丸出しの池沼は定期的に湧くな
三河屋みたいな有名人か? 北条氏の大きな内紛って時宗ときの二月騒動ぐらいで
それに比べて源氏は近親間の争い多すぎ。仲悪いね。 >>603
その頃って、まだ北条氏は存在してなくね? >>599
どう考えても極端なトンデモ説を強硬かつ執拗に主張してくる点は三河屋と同じだな
まあレス内容がアレ過ぎるから一目瞭然で分かってスルーしやすいのも同様かw さて、正成、顕家、義貞ときて今日は治天の君の最期か >>558
ショーケンの義貞は策士っぽかったからな
新田義貞というとやっぱり「無骨で愚直な鎌倉武士」なんだろう。
このドラマでも野心めいたものは一切みせなかったが、尊氏や顕家にはなぜか、
「義貞も幕府を興して武家の統領を狙っている」と決めつけられていた。
本人は皇家の直属が心地良いで満足していて、武士とはそうあるべきと思っていたが、
それを知っていたのは、岩松経家だけで早々に死んでしまった。
まあ、後醍醐に信用されていたのがせめてもの救いかな。 筒井が下手すぎて泣ける
セリフの言い方が武士じゃなくて現代劇だね
大地康雄が色々個人的に指導してたらしいけどさすがにヤバいと思ったんだろうね
他キャストに比べて背が高すぎるのも難だな 1991年に放送されましたのテロップ早くなかった
あれ紀行で出すもんでしょ >>609
東寺に出かけて、えっ?てなるのを避けたかったんだろが、再放送と知らずに見てるやついるんだろか
本放送には被せてほしくなかったな >>608
筒井って棒だろ。今で言う東出みたいなもんだw
棒=自然体みたいな意味不明演技。
そうえいば東出も大河出てたな。
ああゆう棒も需要あるんだろな。 >>610
レイプシーンがあるから昔の作品ですとテロップ出したのかと思ってしまいました 登子と清子の穏やかな火花会話は、なかなかの緊張感があった
先帝の死への対応は、WW2で米ルーズベルトが死去した時の日本とドイツの対応を思い起こされる
ドイツのヒトラー
「運命は歴史上最大の戦争犯罪人ルーズベルトをこの地上より遠ざけた」
と、ラジオ放送で罵詈雑言を全世界へ放送
日本の鈴木貫太郎内閣は同じくラジオで以下を発信
====
「米国側が今日、優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力によるものである。
であるから私は、大統領の死が米国民にとって非常な損失であることが理解出来る。
ここに私は深い哀悼の意を米国民に表明する次第である。しかし、氏の逝去によって、 貴国の日本に
対する戦争継続の努力が変わるとは考えていない。
我々も、米英のパワーポリティックスと世界支配に反対する全ての国家の共存共栄のため、 戦争を
続行する決意をゆるめることは決してないであろう。」
戦争相手国の元首の死に弔意を表わすという、欧米では考えられないこの行為に対し、
15日のニューヨーク・タイムズは「JAPANESE PREMIER VOICES "SYMPATHY" (日本の首相、「弔意」を表す)」
という見出しで、驚きを持って報道しています。
====
前者が直義と同じ短絡的思考、後者が尊氏の見識の違い 田口トモロウ、前年の翔ぶが如くに続いてモブ出演だな
目だった役ではあるが、塩見三省も基本ピンクレじゃない扱い >>614
これから最終回まで
ウルトラセブンとおしんの仁が目立つ
柄本、塩見兄弟は・・・ >>606
そのうち顕家以外は
序盤で死んでしまい、その後違う話がメインになっていく
正成死亡→名和最期、謎の一騎打ち
義貞死亡→師直のドンチャン騒ぎ
後醍醐死亡→道誉の狼藉、師直の略奪 足利党の旧臣達の長崎化が待った無しな感
あの描かれ方だと弟がまともで、師直達が北条の轍を進んでいる様にしか見えんが
まあ、頭領の尊氏がまともなのが、高時との違いか。
縁側で尊氏の後ろで「ご案じなされますな」って時の登子も実は黒化しちゃってるのが怖いな >>619
尊氏「昔、赤橋殿の館で古今六帖の話をする初々しい姫を見た。あの時は美しゅうと思うた…」 >>619
そのへんがこのドラマの面白いところ
終盤の内紛編はみな悪者ばっかになる >>619
「皆、殿について参りまする、ご案じなさいますな」って時の登子ちゃんの顔が真っ暗で目だけ光っているのが怖い
あれで彼女の内面を現している感じ。
今の登子ちゃんは義詮の事しか考えてないからね、もし義詮廃して直義の養子にした直冬を後継になんてなったら
夫の尊氏すら斬るだろうw、尊氏さんも四面楚歌やね。
しかし、今の大河だったら、あんなシーンでも顔に明るくライト当ててしまうんだろうな、現代と比べると演出力の違いを感じる。 >>623
ましらの石も藤夜叉も花夜叉一座も楠木家の侍女もそれはそれで必要だったということだろう ブラックな沢口靖子(登子)、初めて見たかもw
お姑さんへの嫌味、低い声で凄みがあったわ。
いまは科捜研の女でも小吉の女房でも、再放送で毎日やってる澪つくしでも
性格の良い役ばかりだから、今後はこういうブラックな靖子を見てみたい >>626
前に松本清張の「疑惑」ってドラマで、昔桃井かおりがやってた悪女役をやってて思いっきりハズしてたよ。 >>626
根っからの悪女じゃないし、どちらかでは聖女なんだけど、義詮の為に必死感があるんだよね、今の登子ちゃんは
それが直冬の登場で加速して、自分で自分を嫌な方向へ追い込んでる感がある
靖子さんの雰囲気はそこにはまっていて演技も上手いと思うよ 後醍醐天皇のそばに座っていた皇子の髪型がかわいかった 前半フランキー堺の名前があると嬉しかった
さらに鶴太郎の名前があると嬉しさ倍増。見る前からワクワクしたものだ
唐突だが、裏切り者よと罵られていた赤橋守時が北条に戻ってきた時に高時が「守時は永遠の別れを告げに参ったのじゃ」の台詞は泣けたなあ 前回はトメに続くクレジットが、藤村志保→原田美枝子→片岡孝夫の順(だったと思う…)で、藤村志保が原田美枝子より前?とビックリしたけれど、今回は順番が入れ替わっていた
何かの手違いだったのかな? 個人的には、これまでの回で今回が一番濃厚で面白かった
こういったドロドロの人間ドラマって最近の大河だとなかなか描けないよね
正成、顕家、義貞、帝と、いずれもその回の序盤で最期のシーンが来て、普通だったら尺の配分が勿体ないところだけど、太平記の場合は他に描かないといけない要素が多いから、全くそう思わないから凄いよ >>627
あれは桃井かおりがはまり過ぎw
強烈なだけでなくリアリティがある >>630
自分もフランキーの名前があるとwktkしたし期待を裏切らない
今回面白かった みんなで一致団結して悪者を倒そうぜ!
↓
よっしゃーっ、倒したぞ!…あれ?今まで仲間だと思っていたやつらと話が合わなくなってきた…
↓
どうして俺の考えがわかってくれないんだーっ!もう仲間じゃねえ。お前らも倒してやる!
↓
チキショー、どいつもこいつも話が合わねえ。みんなまとめて粛清だー!
↓
うっ、あんなに大好きだった仲間たちを…俺って最低…
草燃える? 登子には滅ぼされた北条一族の悲壮感を出すような脚本にして欲しかったな >>632
鶴太郎に限らずさ、半沢直樹的な演技が流行しとるのよね
麒麟で言えば、堺正章なんかもそう
他のドラマでもじわじわきてる
しかもある程度キャリアがある役者に多い印象
若い(と言っても50歳未満)やつはあんまりそういうのに流されてない >>639
若い役者に今年の鶴太郎みたいな芝居は出来ないだろ
鶴太郎は軍師官兵衛の頃からああいう芝居してたな
スレチすまん >>638
あのシーン、登子から尊氏への恨み言なんだよね
北条は滅ぼされて今も朝敵なのに
自分の感情優先で先帝の供養なんかやるの?って
それから直義とのシーンで
これは個人的な話ではなく戦乱を大きくしないため
って尊氏の大局を見た話があって
最後の天下全体を見た尊氏の心情を登子が気遣うシーンで締めと
話が上手く繋がってるんだよなあ
このドラマで天下国家全体を考えてる人間は
今回の時点で尊氏と後醍醐帝の2人しかいなかった
そのたった1人の朋友を失い、たった1人頂に立つ孤独の話
序盤で長崎円喜が同じ孤独を抱えてるって話があって対になってる >>639-640
舞台や韓流見慣れた中高年女性の視聴者が多いから自然な会話ではなく大仰にするようになった >>639
演出が悪いよ。直義も最近は顔芸が酷い。登子は逆に棒が酷くなってるw
真田広之がいくら上手くても、 途中で送ってしまった。
真田広之がいくら上手くてもまだ若いので、敵の親玉としてフランキー堺や片岡孝夫に終盤まで引っ張ってもらう必要はあっただろうと言おうとしたw
高時や道誉はキャラハマりが凄かったけど、元々演じ分けるタイプではないと思う。 高嶋政伸なんかいまだに顔芸だけじゃん
まともな役を演じたことがあるのか? >>646
都会の森は好きだったけど
まあ顔芸なんだけどw 内侍役の宮崎ますみと
これから出てくる義詮役の片岡孝太郎は
堀越高校のクラスメートなんだな >>631
太平記はその回の重要性でクレジットが変わる
藤夜叉最期の回は宮沢りえがトメG入り
上位の順はあまり変動なかったけど
真田→沢口→根津→陣内→柳葉→高嶋→本木(良純)→宮沢 >>649
そうだったんだ、ありがとう!
藤村志保さんはの出番が多くて嬉しかったなあ
沢口靖子とのやりとりは緊張感があってハラハラした >>641
確か後醍醐と新田義貞は怨霊の間接描写はあるが、直接描写はないんじゃなかったかな
楠木正成なんてあんなに格好よく退場したのに、四国の名もなき武士のところで怨霊になり、
挙句に負けて逃げるしで・・・・ >>642
そういえばそうなんだよな、天下国家という視点だと、
円喜 北条得宗家の安泰が幕府の安泰という視点
正成 基本的に家族と河内の民のことだけ
義貞 前半は源氏として平家(北条)を倒す。後半は後醍醐に忠義を尽くすのが正義
顕家 後醍醐のためにすべてを捧げろと親房に育てられた保守系青年公卿
直義 ぅ兄上ぇと叫ぶ戦下手。「武家政権」の本質を理解できず
師直 前半は足利家第一の田舎執事。終盤で尊氏に成り代わる野心を抱くが
原作だと意外に高塒が、
「戦火をみたくないために朝敵には可能な限り譲ってきた。万民にも仲良く暮らせと祈ってきた
この高塒の願いは儂の人生を、万民と面白おかしく暮らすことにあった」と、曲りなりにも大局的な視点があったけど。 >>654
気の毒な事に、尊氏のそんな気持ちを誰も理解できない
上皇のところに、わかりやすく噛み砕いて説明したつもりが
トンチンカンな返しにあって、こりゃ先帝に遠く及ばんわと
その場に居合せた弟すらも「兄上の気持ちはわかりますが」と言いつつ、
ぜんぜんわかってないと言うw
後に、あれだけできる男と描かれてる
高師直が唯一理解しかけた所で、即死んでしまうのも酷い 尊氏が足利一門を統制できてないから師直が強気になり、執事がデカい顔するなら名門の俺たちがになり、血統がいいだけでデカい面しやがってと下っ端は下剋上を狙う
その中で勝ち残ったのが細川と上杉
まあ何が言いたいのかというと、尊氏は無能ってことよw 高師直兄弟は塩見三省と柄本が嵌りまくったなあ
当時の柄本明はああいう狂気じみた役が民放ドラマでも多かった 尊氏は天下を取るつもりはなかったからな
唯一後醍醐には野望があるけど狂気すぎた 聖人君子に見えた後醍醐の高笑いが未だに忘れられないわ
北条滅亡の報を受けたとき >>611
ふたりが棒なのは認めるけど、東出は声が苦手
鼻に掛かった甘ったるい声で、あの声が嫌で
「ごちそうさん」も見なくなってしまった
イケズな姉さんも(キムラ緑子)退場したしw
それに比べれば筒井はマシ >>656
ただの無能じゃない
戦争の才能があり人望があるから事態は複雑
しかも追い込まれると後醍醐以上のバイタリティと決断力を発揮する
特に晩年の活躍ぶりは普通じゃない
ギリギリまで追い込まれないと何もしないのは足利義政も同じだな 光厳上皇って南朝にも足利にも散々な目に合わされてるな。ただ、武家社会になってからの朝廷の力はこっちがデフォな気もするが。結局後醍醐以降、これを覆せた天皇って存在しなさそうだし。 天皇号の復活を認めさせた光格天皇あたりまでいかないといけないかね 足利党は何かが狂い始めておる!
お前の責任だろうが。何を他人事みたいに言ってんだこのアホ氏は。 義詮は父系に足利、母系に北条の超良血で直冬とは雲泥の差
なのに悪役桃井が直義、直冬につくとかイライラさせるホームドラマですよね 北条政権下では円喜らの横暴で鎌倉が乱れ
後醍醐政権下では公家たちの横暴で都が乱れ
足利政権では高師直兄弟や桃井らの横暴で世が乱れ最終的には弟を殺すに至った
完結 という実によく出来たドラマ 師直がこのまえ視姦してた人妻と今回誘拐してきた二条の君は別人なんだね 西台役は相川恵里 「さすらい刑事旅情編」で三浦洋一の妹役だった >>662
筒井も声籠ってるんだけど
東出のような胡散臭い感じがないから割りと好かれるのかなとは思う 東出は不倫騒動で嫌われたから筒井の方がましになっているに違いない
演技力なら筒井はかなり棒w 下品な人は嫌われるし上品な人は許されるというだけでしょ
演技は下手でどうしようもないのは同じ 葵での津川家康が「天下人たるもの心に一匹の鬼を持たねばならぬ」みたいな事を言っていたが、尊氏は(少なくともこのドラマでは)やはり人が善過ぎた 森口瑤子さん、50代半ばになってもまったく容姿衰えてないよな。
あの人がヌードになってないのは惜しい。 こんな状態で立ち上がった政権がボロボロになりながらも200年以上存続したのが奇跡的 この大河の尊氏はナイーブすぎて見ててイライラする
直義の方に共感してしまう >>642
でも北条に復権されたら義詮の立場が危うくなるから
それは登子としてもノーサンキューのはず
室町幕府が鎌倉で死んだ北条一族の法要を欠かさずやってさえいれば
この件で登子はそれ以上の恨み言は言わないだろう
>>649
確か終盤に陣内トメが2回ほどあったな
>>654
直義は「武家政権」を理解していないわけではないしドラマもそんな描き方はしていないよ 筒井が色々言われてるけど、あれは性格俳優なんだよ
演技が上手いと逆に当て嵌めにくいような役をやる人
松田優作とかも上手いって勘違いされてるけど、あれも性格俳優、ド下手
(性格俳優だけど演技が上手いなんて人は日本では少数派、緒形拳とか勝新太郎とかだな、流石にハリウッドではゴロゴロいる)
演技がワンパターンなんて入れる人にそう言う俳優が多い
だから筒井に演技がヘタだからどうって言ってる人は
その程度の判別もつかない、ろくに映画もドラマも演劇も見てない人ってだけの話
王様のレストランの筒井とかもう最高よ、 >>665
江戸の後半期になると世間的に尊王思想がかなり浸透しているし
江戸幕府自身も幕藩体制がだんだん動揺し始めてくると
朝廷権威によって自らの正統性を確保しようという姿勢が露骨になるからな >>679
やはりトップが貴種であることは大きいな
幕府の実質的なトップであるにもかかわらず血筋の正統性がない北条は
いったん崩れ始めると呆気なかったと まぁ確かに、現体制に対抗しようとする側も、
上方にせよ関東にせよ、担ぐ神輿は足利になるからね 北条はもう朝敵じゃないだろ
後醍醐と仲直りしてさw
そういえば後鳥羽も殴られて朝敵取り消してたな 高時を殺した義貞の息子と高時の息子がチーム組むとか、もうなんかねw だから朝敵は足利になって戦前に至るまでイジメの対象になったのだよ
でもこの大河で主役やって名誉回復でよかったな ドラマ見て興味持ち足利幕府の事を少し調べたら、あまりの一族同士の凄い争いに唖然としたわ。
尊氏と直義の争いがその後の全てを表しているのか。義詮の子孫と基氏の子孫の争い、基氏の子孫が別れての血みどろの争い…
足利時代って、義満の時代が少し落ち着いているだけで、絶えず争いしているね。そして応仁の乱から戦国時代か。 >>682
まあ筒井は嵌るときはすげー嵌るな
王様のレストランの筒井はまさに筒井にしか出来ない役
しかし下手という定義に当てはまるのは確かだけどね
こういう役しか出来ない役者の典型というか… >>690
おそらく一番安定していたのは義持の時代じゃないかな 「わしの堂上総合病院じゃ。誰がなんと言おうと手放さん!」に見えて仕方ない >>681
確か数話後に尊氏から「武家が従わぬ幕府は幕府にあらず。そのことがそなたには分かっておらぬ」
という話があったはず。 清子ママも実の息子同士だから気にかかるわな
生きてる時に兄が弟殺す展開にならずによかったよ 子孫たちは、京では主に兄が弟を粛清し
関東では主に息子が父親を追い落とす展開になるのよね(´・ω・`) あんな風に派手に滅んだ北条が200年もたたないうちに
また関東の支配者に復活してるのも奇跡だよな >>698
後北条は伊勢家
鎌倉とは無関係
花の乱に伊勢の宗家でてくるけど 伊勢を鎌倉北条氏は別物でしょ
関東を支配と言っても完全に支配できたことは一度も無いし 氏綱の嫁が北条相模守女と記されてるがとっくに滅んでるのに
やっぱ相模守呼ばれるんかとw あの地を支配するのに都合いい 有力な子孫がいなくて文句を付けられる可能性も低いからだろ
秀吉の仕置が厳しかったのも伊勢氏が余所者だった事もある 尊氏のまわり、ならず者ばかりやんw
放火魔に拉致強姦に来週はあおり運転か。
まあこのならず者たち、実際はたいした当代一流の文化人でも
あるのだが。 足利尊氏の戦績
− 久我畷の戦い(千種忠顕 赤松円心 ※足利軍傍観)
〇 六波羅探題攻撃(北条仲時)
〇 佐夜の中山の戦い(名越式部大輔)
〇 江尻(北条時行軍)
〇 高橋(北条時行軍)
〇 箱根(北条時行軍)
〇 相模川(北条時行軍)
〇 片瀬(北条時行軍)
〇 腰越(北条時行軍)
〇 十間坂(北条時行軍)
〇 箱根竹之下の戦い(新田義貞 脇屋義助)
△ 大渡の戦い(新田義貞)
〇 山崎の戦い(脇屋義助 文観)
● 三井寺合戦(北畠顕家 新田義貞)
● 東山合戦(新田義貞)
△ 四条河原の戦い(北畠顕家)
● 二条河原の戦い(一月二七日)(新田義貞 楠木正成)
● 二条河原の戦い(一月二八日)(新田義貞 北畠顕家 楠木正成)
● 西宮の戦い(新田義貞) >>682
半沢で筒井が悪役で出て来て瞬間で話題になってたけど
演技の上手い下手以外の何かわからない雰囲気で話題になる人なのかなとは思う
下手くそなんだけど ○多々良浜の戦い(菊池武敏)※古典の陣頭指揮は直義だが尊氏が戦ってないとも…
○多々良浜の戦い 追撃戦(菊池武敏)
○湊川の合戦(楠木正成)
○湊川(生田の森)の合戦(新田義貞)
○京都防衛(新田義貞)
△東寺の戦い(6月30日 新田義貞) >>664
武家政権に対する反抗的態度という点では、江戸時代初期の後水尾天皇もなかなかのもの。
幕府の朝廷に対する数々の高圧的な態度に堪忍袋の緒が切れて、幕府に相談することなく、
独断で幼い皇女(徳川秀忠の娘で正室である和子との間にできた子)への譲位を強行。
859年ぶりに女性天皇(明正天皇)を出現させることで、徳川の血を皇統に残そうした将軍秀忠の野望を打ち砕いた
(女性天皇は即位後に結婚できないので、徳川の血が入った天皇は明正天皇限りになることが確定)。 義貞戦死、先帝崩御で尊氏の戦績を追加しました。
実は勝率で義貞を下回っている(義貞.647 尊氏.640)とか、
直接対決では負け越しているなどあるが、勝負所を落としていないのがさすがというべきか。
ここから当面の陣頭指揮はないはず。 「皆変わってしまった」と嘆く尊氏を慰めて励ます登子もまた変わってしまっているという
ホラーな展開が中々良かった >>707
徳川幕府が倒れたずっと後になって、九条家経由で徳川の血を引く昭和天皇が即位したってのも皮肉やね 登子のキャラ変とともに着物の色調も変わってきているのも面白いね >>669
直江兼続の実父である樋口惣右衛門の役な。
あれは良い役だった。 登子も兄が命かけて助けてくれたことを背負ってるから
どんだけブラック化しようが直冬認めないてなるだろな 登子は清子にああいう態度をとることで直義と尊氏を切り離そうとしてるんだな
母上がそれとなく直義の考えを尊氏に伝えることでバランスを保っていた部分もあったんだろう ラスト登子の目を光らせるライティングが秀逸だったな
征夷大将軍になっても判官殿に御辺呼びされる尊氏にその後の室町将軍の立場が集約されてるような気がした >>707
シエ事件と書くと別の大河が出てきそうw >>713
いやあれはおかしな役だったぞ
小一郎は良かった >>718
同意
秀長は良かったけど主人公の父親役はまだ早いわ 尊氏はアタマはさげてはいるが 上皇は尊氏に逆らえないんだよな かつぐ神輿はいつでも変えることができる >>698
今川義元のお婆ちゃんに請われてお家騒動に介入したのが始まり そういや森山卓医師登場は今晩やったね
DVD録画してるから明日みる! >>702
上杉氏から見たら後北条氏(伊勢氏)は余所者だし鎌倉殿の御家人の子孫から見たら上杉氏も余所者だよね 嫁姑のバチバチ、師直のネチネチ、道誉のゲラゲラ
見どころは結構ありました
あれ?帝崩御が主題だっけ?w >>711
>>九条家経由で徳川の血を引く昭和天皇
詳しく >>724
当時の鎌倉殿は鎌倉公方だから上杉は余所者では無いな
伊勢氏とは次元が違う >>724
何処が?
また物を知らない部外者か?
上椙三郎入道は、1310年に三川乃国在国が確認出来る
恐らく足利尊氏直義は、足利氏の大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三川乃国の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれたであろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三川乃国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 なんだ三河屋と同一人物なのか?
>>725
レプリカントのように光る登子の目 >>707
葵でやっていたね
皇子が誕生したけど早くに亡くなってしまった時
男子の赤子は女子より死亡率が高いけど
もしかしたら〜〜?と想像してしまった
女性天皇に譲位した後は和子以外の女性と子作り三昧で可哀想だった >>692
義持→父から溺愛されていた弟・義嗣を暗殺 義持の跡を継いだ弟・義教→やはり弟の義昭を殺害 >>724
一方の伊勢氏と足利氏と付き合いは、平安末期、源義兼(足利義兼)と藤原俊経まで遡れる
源義兼(足利義兼)の母方の菩提寺である三川乃国滝山寺を通じて知り合ったわけだな
伊勢氏と上杉氏は共に三川乃国縁故者であり、足利氏と付き合いは伊勢氏の方が古い
当事者は常に正しいレスをするよな
後北条氏の先祖、伊勢俊継
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三川乃国滝山寺僧侶
・三川乃国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三川乃国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三川乃国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三川乃国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏・伊勢俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・三川乃国滝山寺僧
・相模法橋
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・三川乃国滝山寺僧
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 >>707
武家にとっての理想は
自分の娘を天皇に嫁がせること
男子が生まれて天皇になれば、天皇のおじいちゃんになる
平清盛もそれで権力を握った >>695
そこは尊氏が言う「武家」と直義が念頭に置いている「武家」の中身が微妙に違うということだろう
これについては他のところを見てもかなりハッキリしている
そもそも直義が武家政権の何たるかを根本的に分かっていないのなら
尊氏も直義を執権相当の政務責任者なんかに最初からしないよ >>707
しかしそれ以前に東福門院和子の所生の皇子がまともに育たなかったのだから
幕府も最終的にそれを容認することを折り込み済みの上での譲位だよ
もし和子所生の皇子が健在の状態で女帝即位を強硬したなら相当な大問題だけどさ >>736
権力を握る手段として天皇の外戚になるというのは武家特有というわけでもないだろう
清盛の外戚政策は明らかに平安中期における摂関家の模倣だし
その後も鎌倉期の西園寺とかも天皇の外戚として頭角を現すわけで 師直に襲われた二条の君が、逃げながら自分で衣脱いでて笑ろうた
あんた、やる気満々やないかと まあでも初期の江戸幕府の朝廷への態度が強圧的だったことは事実だね
その後綱吉期くらいになると朝幕が大きく変わるけどさ
しかし江戸幕府が自らの支配秩序維持のために朱子学的な大義名分を持ち出したことが朝廷の尊重という政策の転換に向かい
やがて尊王論を盛り上げて倒幕に繋がっていくというのもある意味皮肉だが >>741
だってあれってこのドラマ的には南朝のスパイだし・・・ 高BROTHERS
師直の方が弟なのに、なぜ執事をパパから受け継いだのかな?
師泰はバカだったのかな?
調べたら、師泰は弟だった説もあるみたいだけど。 公家は外戚にならないと権力持てなかったが
武家は別に外戚にならんでも権力持てる 二条の君が森口瑤子とは気づかんかった
相棒ではすっかりおばさんになってしまったけど
この頃は色気のあるいい女だったんだな。
それを考えると、沢口靖子って、いつまでも老けないよね。 嫡男かどうかってのがものすごく大きい
足利家が散々揉めたのも
尊氏が庶子だからって説があるくらい >>747
正室って、最初の頃に出てたキッチンドランカー的な児玉清の娘だよね?
緒形拳との間には子がいたのかな? 庶子てのはあるだろうね
一門への抑えがきかないというか >>748
子もいて元服もしていたが死んだ
尊氏の最初の庶子もそうだけど複雑すぎるから色々と端折らざるを得ない 高義が生きてたら、尊氏は京で藤夜叉と幸せに暮らせたかもね >>748
アタックチャンスから見たら妹じゃないかな
金沢貞顕と足利貞氏は義兄弟 尊氏が庶子のままだと高義の配下の武将か上杉繋がりで三河あたりに分家でも興してるか程度になるかも
どちらにしてもカリスマ性は発揮できないし、中途半端に発揮したら、直冬バージョンになってたかもな >>643
韓流あまり観たことないけど
そこまで大袈裟でもないような
ドラマによく出ているパクソジュンなんかは日本人的な抑えた演技だし
半沢でかぶく役者が受けたからじゃないの? >>741
上着の裾掴まれてるから逃げようとした脱ぐしかない 後醍醐天皇について
自分とは似ても似つかない
天皇だけど武闘派じゃん
かなり昔の人だし結構好き勝手に演じてる
初共演の人が多くて楽しみ
by 片岡孝夫
お疲れ様でした。 >>748
足利高義で貞氏のあとに家督もついでいる。ドラマでは又太郎が義貞に追っかけ回されていたあたり。
ただ、幕府成立後に尊氏がしれっと存在を無視したので、一時期は実在そのものが疑問視されていた。
>>712
もう30過ぎだしピンク女子はやめたのかもしれんw
でも、この後で娘がひとり生まれるんだよな。 >>752
黄金の日々だと秀吉&家康か。
アタックチャンスと霊感ヤマカン第六感が共演してたりすごいキャストだワイ >>747
そこはドラマで触れて欲しかった感じはするな。
尊氏が次男であることは人格形成の意味でも、北条氏への決起という意味でも重要だったと思うけどな。 最近、俺の神経を逆撫でするレスをするやつが増えて困っている
誰の書き込みかはIPを検出して既に確認済。
いい加減この神聖なスレ荒らしするような真似はやめて欲しい 高義を知りたいのはここのマニアくらいだから省いてOK。あと師直師泰のどっちが兄か弟かもどうでもいい。高家の惣領は師直なんだから兄だろうが弟だろうが師直から師泰に命令がいくだけ ここに警告する!
最近、俺に対して誹謗中傷する声が多く上がっている。須藤凛々花の芸能界引退ネタを面白がる程度ならまだ我慢もしよう。
しかし本当は須藤凛々花を強姦したかったんだろ?という様な卑猥なレスが幾つも付けられ、疲労困憊している
これ以上侮辱するような書き込みをする人間がいたら、訴訟も辞さない覚悟でいる
俺は須藤凛々花に純粋に惚れた、惚れ込んだ。結婚して芸能界を引退した時は男泣きしたものだ。
こんな純粋なラブロマンスを踏みにじらないで欲しい 直義が目指す幕府って、建武の公家連中と変わらず同じ間違い犯す事になるのに何故気付かない? >>762
高氏の累代の根本所領は、高氏の祖たる高階惟長所縁の三川乃国菅生郷
その所領は、師重→師泰→師世(師泰の息)→師秀(師泰養子)→明阿(師泰の娘)と相伝された
何で師泰が庶子なのか、説明してくれるか?
高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師世(幕府執事)→いち(三川乃国総持寺住持)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師秀
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→明阿(高師冬妻、三川乃国総持寺開基)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師夏
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師詮
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師永(秋里師永)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三川乃国額田郡菅生郷)→貞円(三川乃国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三川乃国額田郡比志賀郷)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三川乃国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→師兼(初代三河守護、師直猶子) 足利一門の人間関係など、当事者たる三河人しか分からんのに、部外者が何で想像で語るかな
分からん事があれば、当事者たる三河人に聞け
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>744
尊氏が直冬ではなく義詮を後継者にしたのと理由は同じだろ
嫡庶の決定には出生順よりも生母の身分のほうが重要性が高い >>766
おいおい直義が目指しているのは得宗専制化する前のありし日の鎌倉幕府だろ
先例・慣習の徹底無視で世の中を滅茶苦茶にして公家からも武家からも見捨てられた建武政権とは全然違うしw 録画を見終わった。
道誉にもああいう狼藉のエピソードがあるのか・・・・残念だな。
らしくない。ああいうことをやるにしても計算尽くでやるイメージ。
鎌倉で円喜に頭を下げたのは、内心舌を出してるような感じだったが
今回の命乞いはひたすらカッコわりいだけだし あと黒登子ええわー。
尼と対立するとこ、ドラマとはいえあの場にいたら冷や汗でずぶ濡れになりそうな
緊張感があった でももうあんま対立しないよね
そら姑に対して実家のない嫁では対抗できないもんな >>774
当然じゃないよ。日本史やれば出てくる有名なエピソード。恥ずかしいよ。 猿を引連れて宴会をやりながら流罪になっていったのは有名な逸話
あとは斯波にあてつけて宴会ひらいたのと楠木正儀との逸話が有名かな 有名かどうかは知らんが「頼む」のところは本放送当時、
見ていた家族と爆笑したのを覚えている。 >>779
フジの社長もああやって頼まれて陣内の息子コネ入社させてたら面白い で、番組最後に触れた「幕府を揺るがす大事件」て、何ですのん? >>783
尊氏のかあちゃん死去
というのは置いといて、仮名手本忠臣蔵を読もう >>785
羨ましいよ。歴史の知識が無いと新鮮な気持ちで大河ドラマも見れるしね。
麒麟がくるも、最後どうなるか知らないんだろ? >>785
やめとけやめとけ
こういう奴の方が多数
放映直後のレスを見ても7-8割が「持論」ぽい
俺らは放映の時だけレスにいるが、こいつらは何年もいるんだから
奴らの方が主だ 道誉のエピソードを知ってたとて何の社会貢献にもならないなw >>787
ドラマをドラマとして楽しむこともできない哀れ者
歴史小説にもいちいち目くじら立ててそうな感じだな
佐々木がそれほど重要か 全てを知っているような完璧な人間が存在しないのもこのドラマの良いところ
誰もが経験した事が無い動乱の時代を迷ったり裏切ったりしながら懸命に生きてる
判官殿も人並みに動揺したり間違えたりするのが良い 佐々木道誉と織田信長の知名度を同列にしてるのワラタw >>795
俺は大河板の良心だからな
けど、もうゴダゴダするなら勝手にしろよカス共が! で、道誉の逸話でコロナウィルスが死滅するのかい?何か社会に貢献してるのかい?地球を救えるのかい?どうなんだい博識君? 佐々木道誉の逸話はコロナ対策に役立つってんだよ
んなことも分かんねーのかよテメーは
大坂にも緊急事態宣言の要請が出たけどどーなんだよこの先
佐々木道誉の逸話で吹き飛ばすしかねーだろーがカスが! フィギュアの坂本花織が成人式に湊川神社(摂社楠本神社)に参拝していた
楠木の郎党の子孫とかだろうか? 末尾紀行の東寺境内で修学旅行か何かのJK2人が軽やかに歩いてるの見て自分も同じ世代なんで切なくなってきた...
もうあのころには戻れないんだよなー
時の流れは残酷だわ 自分は普通に日本史を(学校で)学んだけれど、佐々木道誉なんてサの字も知らなかったぞ
それが世間一般の感覚
何も問題なし ちなみに太平記の登場人物で名前を知っていたのは、尊氏、正成、義貞、後醍醐天皇
北条氏も義時とか時宗は聞いたことあったが、執権が何代続いたかも知らず、得宗家なんて言葉も知らなかった
時代背景もぼんやりとしか知らなかったから、今回の再放送は新鮮に楽しんでいる バサラ大名佐々木判官を知らねーでこの大河見たのかよww 佐々木道誉がメインで出てくるドラマなのに、佐々木道誉の逸話を知らないとかあり得ねーし
あと逸話に詳しい識者を博識ではなく薄博と馬鹿にするのもあり得ねーし
クソすぎてお話になんねーなカス共が、
佐々木道誉の逸話がコロナ対策になるって書いてんだろうがカス集団! いくら知識が豊富でも、披露して周りが盛り上がるどころかドン引きしてたら世話ないな。
うちの日本史の先生がやたら逸話に詳しかったけど「これはシナプスの無駄遣い」って自虐で言ってた。 道誉のドキュン行動を意外に思った人がいるってのは
それまでの描き方に無理があったということになる リアルタイムのときは佐々木導誉のことは知らずに見始めてたわ
当時はネットもほとんどなく、わざわざ歴史本なんかで佐々木導誉を調べようとも思わなかったからな
まあ、四職である京極家のことは近江をメインにした守護大名くらいの認識やった >>792
このドラマにおいてなら重要なメインキャラだろう
無論、ドラマを楽しむのに史実の道誉の逸話を知っている必要は全くない >>809
子供の頃に読んだマンガ日本の歴史だと佐々木判官の出番って1コマだけだったし、名前も知らずにこのドラマを見る人がいても不思議じゃないと思う ここで訊くことじゃないかもですが、太平記の後のアンコール枠はなにか知ってる方いますか?
いたら教えてください 判官と言えば義経、歌舞伎と言えば仮名手本忠臣蔵、
仁左衛門(孝夫)と言えば大星由良之助、早野勘平、寺岡平右衛門(異論は認める)
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
大 序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
同 松の間刃傷の場
高師直、塩冶判官、足利直義、顔世御前、桃井若狭之助
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
同 表門城明渡しの場
塩冶判官、石堂右馬之丞、顔世御前、大星力弥、赤垣源蔵、富森助右衛門、佐藤与茂七、矢間重太郎、斧九太夫、木村岡右衛門、大鷲文吾、原郷右衛門、薬師寺次郎左衛門、大星由良之助
浄瑠璃 道行旅路の花聟
早野勘平、鷺坂伴内、腰元お軽
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
早野勘平、女房お軽、母おかや、千崎弥五郎、不破数右衛門、判人源六、斧定九郎、一文字屋お才
七段目 祇園一力茶屋の場
大星由良之助、遊女お軽、赤垣源蔵、富森助右衛門、矢間重太郎、中居おつる、斧九太夫、大星力弥、寺岡平右衛門
十一段目 高家表門討入りの場
同 奥庭泉水の場
同 炭部屋本懐の場
両国橋引揚の場
大星由良之助、小林平八郎、竹森喜多八、赤垣源蔵、佐藤与茂七、矢間重太郎、富森助右衛門、大星力弥、原郷右衛門、服部逸郎 >>804
中学?
高校の日本史では触れるんじゃないかな?
マンガ日本の歴史みたいなのには載ってた気がする。 片岡孝夫の後醍醐天皇は流石だったけれど、歌舞伎役者のドラマ演技は基本的に好きではないな
歌舞伎役者って基本型通りで大袈裟な演技しか出来ないから、予想を上回る好演ってないよね
それに何故歌舞伎だけヨイショするのか
狂言役者だって時代劇で演じてもいいじゃないかと思う 登子と清子の対立によって上杉一族が直義側になるということかな
その辺りを考えての事ならよくでrきたドラマだな >>821
歌舞伎役者は女性問題以外の不祥事は起こさなさそうだから使いやすいのかと思ってた。
風林火山の信玄はひどかったな。麒麟のミカドも。 天皇は伝統芸能枠のイメージだな
他に所作がちゃんと出来る人が少ないのもあるだろうけど >>783
土岐頼遠の件?
>>820
高校レベルでも佐々木道誉は正直スルーされてしまうことが多いと思う あの一連のエピソード、土岐頼遠は突っ走ったけど道誉は一線を越えない政治感覚が有ったって比喩で使われるよね
土下座して助命を頼むのは予想外だったがw >>804
世界史取ってたから
フランス革命のタレーラン的な人って印象 判官殿が尼子経久の先祖とはね。
6年後に陶晴賢役で登場。
「経久?84だぞ、何ができる」と一蹴した。 >>783
観応の擾乱のことじゃない?
直義派と師直派で分裂したし。 俺の偽物がこのスレで暴れてる 自己顕示欲のつよいレスはニセモノだから気を付けてね >>829
そういや佐々木判官殿の墓がある寺の最寄は尼子駅ですわ >>828
判官殿は何だかんだ言って尊氏一筋だし、タレーラン的な無節操さは感じないかなあ? >>833
建武政権の頃だと
新興武士派の護良vs守旧派の尊氏
という形だったのが皮肉だな 執事職を解任された師直は、師泰とともに挙兵して京都の直義邸を襲撃する。
さらに直義が逃げ込んだ尊氏邸をも包囲し、尊氏に対して直義らの身柄引き渡しを要求する抗争に発展した。
尊氏の周旋によって和議を結んだものの、直義を出家させて引退へと追い込み、
幕府内における直義ら対立勢力を一掃した。
一説にこの騒動は、直義(およびその養子直冬)よりも息子義詮に政権を引き継がせたい尊氏と
師直の示し合わせによるものともいわれる
全ての黒幕は登子 高師夏
母は関白・二条兼基の娘で、これは師直が二条家から盗み出して
師夏を産ませたものと伝わっている
師夏は容貌が美しく、心も善良で温厚だったため、尊氏の寵愛を受けた(ウホッ) >>783
土岐頼遠が上皇に弓を射たとか言う事件と思われ
佐々木道誉の放火と言い
酔っ払いが起こした様な事件が続くんだよな >>820
僕の家にある小学館の漫画日本の歴史には
佐々木道誉は一コマ程度しか登場してないけどな
それで小学館の漫画日本の歴史には
佐々木道誉が足利尊氏と仲が良かった様な描写はまるで見当たらないんだがな
佐々木道誉が足利尊氏て本当に仲良かったのかね誰か教えておくれ >>708
ちなみに戦国最強と昔から評判の武田信玄と上杉謙信だけど
実際に戦の勝率は8割か9割ぐらいだったらしい
織田信長を完全に上回っている
それなのに何故天下を取れなかったかと言うと
本拠地が京都から遠かったのと
自分が天下人になろうと言うわけではなく
室町幕府の幹部か有力大名で良いと言う気持ちがあったと思われ
実際に上杉謙信など関東管領で満足してた様子だし
関東管領の仕事が有るのか
京都方面へ攻め込まず関東へばかり遠征してたな
天下人になる気なら京都方面へ侵攻しなきゃおかしいぜ
上杉謙信は自分が天下人になる気はなかったんだろうな 道誉の御先祖筋にあたる佐々木氏は源為義、義朝、頼朝に勝ってる時も負けてる時も伊豆に幽閉されても挙兵前後もずーの配下として使えている
尊氏と道誉が公私共に仲が良かったあかどうかはわからんが、家風的に佐々木氏は源氏の頭領には付き従うようになってる
子孫もなんだかんだで足利将軍家に最後の義昭が没するまで使えてるし、大名から華族としてして生き残る血統もあり、北海道を開拓して京極町という地名まで残している >>838
それでナレーションでわざわざ土岐頼遠の名前が出てきたのか。 >>831
これ何ですか?
801須藤凜々花が好き2021/01/11(月) 18:00:51.48
佐々木道誉の逸話はコロナ対策に役立つってんだよ
んなことも分かんねーのかよテメーは
大坂にも緊急事態宣言の要請が出たけどどーなんだよこの先
佐々木道誉の逸話で吹き飛ばすしかねーだろーがカスが!
まあさておき、私は佐々木道誉を学生時代に習ったことがないので知りません
少なくとも小中の教科書には載ってなかったですね
高校時代は一年が世界史、二年三年地理を選択したので高校の教科書に載っている内容か
よく分かりませんが未知識で見たほうが案外楽しめるようにも思えますね 上皇を侮辱した土岐頼遠は死罪なんだよな
政権の正当性を考えると政治的にやむを得ない判断かね
ギリギリのところで転落しない判官殿のバランス感覚はさすが
土岐も青野ケ原で顕家を転進させた大功労者なのに馬鹿なことをやったもんだ さすがに今までの武士は上皇や天皇にここまではやらなかっただろう
世の中に1つだけの物が2つあれば価値が下がるの仕方ない
しかも1つは自分達が作ったならなおのこと
天皇の権威が最も低下した時代かもしれないな 光厳は歴代屈指の苦労人である。しかも大半が後醍醐原因ももらい事故だ。
北条に強引に即位させられ、六波羅探題壊滅の目の前で見せられ、後醍醐に即位をなかったものとされ、
今度は足利に担がれ、でも尊氏は後醍醐の虜のままで、帰り道に散々にディスられて、
今後も犬と言われて矢を射かけられ、親房に拉致られ、神器を取り上げられ、諸国巡礼に出たら武士に川に落とされ・・・
明治になったら歴代天皇位からも外され、現在は代数に数えてもらえず・・・ >>848
だから晩年は俗世間の虚しさ、人生のはかなさを悟って、世俗を断ち禅宗に深く帰依していた もともとこういうもんだからさ武士は
京の人間にはわからなくても
承久の時に後鳥羽が乗ってる籠の御簾をぞんざいに開けたとかいうのも
そらそういうもんだろ罪人だからとしか
ありがたがるのは知識階級だよ 今は秋篠宮のせいで皇室の権威は地に落ちてるがなw
簡単に落ちるレベル 天皇は本来はあんまり表立っちゃいけないんだよ
御簾の奥で威厳を保ってなきゃ
じゃないと、何だ普通の人と同じじゃんってバレて舐められることになる >>840
織田信長だって最初から自らが天下人になる意志を明確に持っていたわけじゃない
彼が明確に自らの天下を意識するようになるのは実際には長篠の戦いの後くらいから それこそ後世のイメージ付けじゃん
藤原氏の専横の中で
穢れという理由付けで桓武天皇が東征事業を完了したら
軍権を放棄してしまったし軍権持ってたら
それをもって藤原氏を排斥する天皇も出てくるからね
孝謙天皇とか誹謗されてるけどやろうとしたことは藤原排斥
天皇親政だろうし >>853
奈良時代頃までは天皇が政治でも戦でも陣頭に立ってたよ
飛鳥時代の斉明天皇なんて女帝であるにもかかわらず
67歳という当時としては高齢の身で軍を率いて筑紫まで出陣した >>841
物を知らない部外者か?
足利氏にとって、祖神は源為朝
親戚とみられていた
源義家→為義→為朝→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏(三河守護)→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏
源義家→為義→女(佐々木秀義の正室)→定綱→信綱→京極氏信(初代京極氏)→満信→宗氏→高氏(道誉)→高秀(三川乃国額田郡下和田郷領主)→高詮(三川乃国額田郡下和田郷領主、三川乃国渥美郡領主) そこまで遡って親戚扱いするかと言う部外者もいるだろうが
源頼朝は源義家の嫁に繋がる日野親光を親戚と呼んだ 土岐もどうせなら光厳上皇ではなく後醍醐にやって欲しかった。
ただ、あとで尊氏に庇われることもなく、即刻処刑になりそうだが。 さすがに現役の天皇に危害を加えると祟られるからやらないよ
院や親王ならOKという風潮(護良)
光厳院もフリーな立場だから夜に少ない共で外出できる
しかし光厳院は治天の君で北朝の親分だったのが拙かった まだ道誉エピソードの薀蓄合戦やってんのか?
しょうもなw >>855
奈良〜平安初期頃の段階で藤原氏の専横はないだろ
太政官の公卿も非藤原氏のほうが圧倒的に多い状況なのに >>862
とりあえず誰かが「結局佐々木道誉ってどうよ?」と言えば終わるのでは? >>823
尊氏と登子の出逢うきっかけ作ったのは清子なのに皮肉なもの。 清子は足利と北条が仲良くして欲しい思ってたのに戦になるし
尊氏と直義に仲良くしてほしい思ってるのに戦になるし
見事な逆神 佐々木判官からみれば上皇なんてゆるキャラみたいなもんだろ ふなっしー扱い
「いつでもくまモンに乗り替わってもやってもいいんだぞ」 >>836
うわぁ、ドロドロだな・・(|||´Д`)
佐々木判官の言う通り、弟に政を丸投げしたのは大失敗だったね。
そのせいで、直義も師直も死んでしまった。 足利尊氏、佐々木道誉
2人とも本名は「源高氏」
お互い源高氏ですなあ、はっはっは
みたいな会話があったかも 光厳上皇を大河の主役に据えた場合
後醍醐:中尾彬
尊氏:伊武雅刀
義詮:木下ほうか
土岐頼遠:竹内力
これで良かろう。 >>871
私本だと、
「高氏違いじゃ高氏ちがいじゃ。あははははは」
と馬で駆けていく土岐頼兼にくっついて伊吹の館にいき、
「みどもが佐々木佐渡ノ判官高氏におざる」
「足利又太郎高氏におざりまする」
「高氏と高氏。これがまことの名乗り合い」
「(いや、似ても似つかない赤の他人だろう)」
というよく分からん出会い方をしている、
で、藤夜叉を差し出されて・・・・ >>873
>>871
ドラマの道誉初登場シーンでは「近江の佐々木高氏」と名乗っているな >>852
秋篠宮家のせいでは無く、借金踏み倒したいじめっ子のせい。 >>882
秋篠宮さんの若い頃のご乱行を知らないからそんなことが言える
まあマスコミとかは報じないからね >>883
そのご乱行とやらもマスゴミ様の創作物だから
平成のはじめは皇后叩き、そのあとは東宮妃叩き
簡単に信じる人がいると作文かいている方は楽しいだろうな >>886
ガイドブックでは、内侍は義貞の死後にじっくり描かれるみたいですね
(宮崎萬純・談)とあるが、実際は義貞の死後は出番はなかったな >>871
明治新政府も建武新政の中興という建前があったので、
西郷隆盛も正式には「源」姓を勝手(?)に名乗って政府に出仕してた。 当時の武士は下っ端でも建前上は源平藤橘の何れかを名乗っていた
大村益次郎も武士になった段階で適当に決めたはず >>887
大河本の時点だと相手がショーケンの予定だったろうからw
根津さんはあんまり勾当内侍とのロマンスに乗り気な感じもしなかったし、
内侍も「10年間、帝に見向きもされなく適齢期も過ぎ、簾子先輩が新田を紹介」みたいになってたし。
義貞も義貞で、叡山撤退後の再会も「忘れてた、いたな」みたいなリアクションだったし。 >>889 そういえば徳川家も家康の代になって突然「藤原氏の末裔」であることがわかったらしいね >>892
いや征夷大将軍になるために無理矢理
新田義貞の子孫と言うことに家系図を偽造… >>871
戦国大名の尼子氏って佐々木道誉の子孫だったんだな
自分山陰出身なのに今まで全然知らんかったわ NHKアーカイブスより抜粋
主役の敵側になる後醍醐天皇役は本当に嫌でお断りしていました。しかし「嫌だ、嫌だ」と言っていたら、大河ドラマのディレクターが僕のいる京都まで通ってきたんです。しかも高級なウイスキーを持って(笑)。何度も来られたのでついに口説き落されてしまいました(笑)。撮影が進むと、本番に入るまでの段取りがあまりにも悪く「役者の気持ちがわかっていない」と怒ったこともあります。役者は気持ちを持って本番に臨むので、段取りが悪いとストレスが溜まるものです。当時まだ若かった主演の真田(広之)さんを始め、ほかの共演者の皆さんが我慢していらした。皆さんから「よく言ってくれました」と感謝されました。 >>876
翌年の「信長」では序盤で主人公に打たれる守護代さまだっけか? >>888
薩摩西郷氏は肥後菊池氏庶流の肥前西郷氏の流れと称しているはずだから
西郷隆盛が本姓として名乗ったのは源氏じゃなくて藤原氏じゃないかな?
>>893
徳川氏(松平氏)の主張する家系は新田義貞ではなく新田庶流の世良田氏(得川氏)だな
ただこれは家康が初めて称したのではなく祖父清康の頃からの自称というのが正確 正成、義貞、後醍醐が亡くなり、我が世の春を謳うかと思われた尊氏が次には兄弟息子と殺し合うことになるとは
なんという阿修羅道か…
覚一法師も黒白問答で問いたくもなるわな 藤夜叉と石がいなくなって、一気に話が引き締まった面がある
1部はだらだらしすぎ >>893
自民の片山さつきが義貞の子孫を自称しているのよりはマシでしょうね 23年度にBS1とBSPが統合とのこと
大河再放送や新日本紀行はどうなるんだろう
新日本紀行はともかく、大河再放送は4Kに移行なんてないだろうし
地上波でやってくれないかな
色々言われているNHKだけれど、自分は受信料払ってでも観たい番組があるから(ただ、高い)、何とか良い番組は残して欲しい 昔の大河や朝ドラが見られなくのならスクランブル化とやらは反対だな 道誉って本当は「導誉」らしいが「道誉」と書かれても本人も気にしなかったらしいね 公家の日記に「入道々誉」との記述があり、そこから「道誉」が出てきたらしいね
本当は「導誉」が正しいらしいが >>903
正確に言うと
BSプレミアム(旧BSハイビジョン)が
BS 4Kと統合なのでは >>902
織田信成って
本当に織田信長の子孫なのかね? >>901
駒と堺正章と岡村隆史も
いないほうがいいと言うんですか? 前半がトロトロで中盤から駆け足
プロデューサーはペース配分間違ってねーか? >>914
石の部分で話を進めたらちょうど良い配分だったかも
藤夜叉は母親だからある程度は仕方ないかも >>889
それは花神の総集編でありますね
桂からようやくお雇いから正規武士になれたましたら、あとは係りの役人と…言いにくそうに。
係りの役人「家系図?そんなもん適当で良いですよ。作ってくれる人がいますから」
大村「他の人は嘘でも300年経ってますからいまさらできません!」
ということ家系図はなしで藤原ですね >>892
それはこの前のNHKの番組で、今川義元の後に三河守になろうとしたけど家柄がナントカで却下されたんで、近衛さんに頼んで藤原にしてもらったとかやってた >>910
熱意と情熱と金があれば誰の子孫にでもなれるものなのだよ 新田の子孫として男爵になった岩松もよく冷静に考えるとあやしいけどな NHKは受信料の余剰金があるらしいな
俺は払ってないからどうでもいいけどw >>910
大元の織田家側からは否定されているし
母親も色々と知識を間違えていて
家系詐称なのはスケートファンの間では知られている >>907
幕府からの当人宛ての発給文書の宛名とかでも「道誉」表記と「導誉」表記が混在している
まあ当人の署名は基本的に「導誉」なのでこちらが正しいのだろうけど >>920
実際の岩松氏は男系では新田ではなく足利の庶流で間違いないだろう
岩松満純が実は新田義貞の孫(義宗の子)というのはどう考えても胡散臭い 平安時代に「導」の簡略文字として「道」ができたからな
どちらでも正しい 日本て姓と名字とあるからな
家は血筋と別で誰がついでもいいんだから別に誰がなってもいいと思うよw 昔の人間って名前や苗字の読みが合ってれば漢字の間違いにはルーズだったらしいな 陣内トメは45回「政変」、48回「果てしなき戦い」の2回か 江戸時代になると
系図(家系)の売買とか公然の秘密になって
家系図作成士みたいな職も生まれた
みたいな事をきくけど
太平記の時代だと
まだ家柄より実力の時代かな >>932
「王家」と「皇家」とかもそうだな
どちらの表記も当時は気にせず使われる
神経質に気にするのは現代のネトウヨだけ >>933
あの御所巻の時の判官殿は最高に格好良かった
それこそ判官殿のくせに生意気なくらいに >>935
そもそも昔は大王(おおきみ)だった訳だしねw いまだにNHKの受信料も払えない貧乏人がこのスレにいるとは笑止な 太平記て名前が凄いわ。どこが太平なんだ、戦と殺し合いばかりの時代で。
諸説あるが、太平を願って描いたからが一番しっくりくるな。 軍記物ならそこは異論ないだろうな
ここまで長編の軍記物は他になかなかないし >>937
さらにいえば例えば「尊王攘夷」とか「王政復古」とか
天皇の意味で「王」の字を用いている事例は近世・近代でも普通にあるよな かみ、すけ、じょう、さかんの漢字のバリエーションの多さは嫌になる
もともとが日本語に借りてきた漢字を当てはめてるんだからやむ無しだけど >>939
後醍醐の最後の台詞から取ったという説が有力 N「幕府を揺るがす大事件が待っていた」
土岐頼遠の事件のことだな 誰だよ清子の死だなんて言ってたのは >>948
俺だけど、ちゃんとネタってわかるように書いてただろw >>948
尊氏が上皇を軽んじたのも一因な気がする >>946
只生々世々の妄念となるべきは朝敵を悉く亡ぼして四海を泰平ならしめんと思うばかりなり。
だっけ?
太平記そのものが後醍醐の鎮魂のためという説もあるしね。当時の人からすると天皇が二人いるという異常事態に加え戦乱が終わらない様相に、後醍醐の怨霊を恐れたとしても不思議じゃない。 妙法院の焼き討ちならまだしも
治天の君でもある上皇に弓矢を向けるのは
如何なる理由があったもしてもダメだろう 上皇と直義は個人的にも仲が良かったらしいんだよな
これが後の正平の一統での北朝外しの一因にもなったか 後醍醐は簾子については何も疑いは持たず最期まで信頼しきったままだったな
ドラマ的には新政崩壊の半分くらいは、簾子の責任に見える。
>>954
近衛経忠
ただし、北朝で関白だったが南朝に出奔して左大臣になる。近年だと北畠親房をやっかみ、
常陸経営を邪魔したとも言われている。 光厳天皇は六波羅陥落の際も野武士に襲われて流れ矢を受けたって記述があったな 室町の武士なんてほぼ人間のクズしかいなかったからな 今と意味は違うけど、人物日本の歴史の「悪党の時代」で扱ってた頃か。 >>908
4Kとか大して普及してないのに、そんなことしたら大クレームが来るだろう 法治国家の鎌倉幕府から2人のカリスマが統治する人治の南北朝時代になれば、そら治安も悪くなるし、身分に応じた節度や礼儀なども崩壊する
力こそ正義という下剋上的な雰囲気が強まる
天皇相手に戦をする足利、しかも兄弟や親子で覇権を相争う状態で節度をも守れと言っても説得力はない >>960
地上波はともかく、BSは自分の意思で契約して受信料払っているんだから余計なことしないで欲しいよね(それでも高いけれど)
あとはラジオの編成も変更とか言っていた
そういえば上のほうに受信料を払っていないと言っていた人が居たけれど、BSの再放送は見ていないでスレに書き込んでいるのかな >>960
地上波はともかく、BSは自分の意思で契約して受信料払っているんだから余計なことしないで欲しいよね(それでも高いけれど)
あとはラジオの編成も変更とか言っていた
そういえば上のほうに受信料を払っていないと言っていた人が居たけれど、BSの再放送は見ていないでスレに書き込んでいるのかな 法治国家だった鎌倉幕府も得宗と内管領の人治主義になっていってたけどね
大きな問題を素早く解決しようとすると、そうならざるを得ない部分はあるけど >>955
人間的にはそういう全面的に信用出来る人間がどうしても必要という面があるんだろうな
最後のやり取りにもあるが彼女を選んだ一番の理由はやはり隠岐まで付いて来てくれた事なんだろうし >>964
やはり元寇の影響が大きかった事かな
周期的に将軍を交代させねばならない鎌倉幕府の構造自体に根本的な問題があったとも言えるが 蓮子は私的な政治への関与や私腹を肥やしたりもしたが、後醍醐天皇に対する態度と忠誠は隠岐配流でも南朝でも変わらなかったからな
後醍醐とその様子はわかってるから信頼した
裏切りの繰り返しの南北朝時代だからこそ蓮子という存在は貴重だっのやろ 今見ると赤井や筒井は下手だけど一生懸命さが出て好感がもてる
石の柳葉は役柄に不満なのかどうも役を本気で演じてない感じがイライラさせられた
素の魅力をあまり感じないからかもしれないけど 簾子は二人の息子を失いながらようやく三人目を即位させられたんだよな
都でなく吉野の山奥でだが
後醍醐もまた自分の子孫に皇位を伝えたいという願望はあったが特定の誰でなければならないというのはなかった
だから状況に応じて後継候補を次々にすげ替えてるし この中世の話をするのに法治国家なんて芳ばしい用語を使うなよ
院政期から戦国期まで「自力救済」こそが中世社会の本質ということは一貫している >>968
柳葉は当時の記事で「早く殺してくれって言ってるんですけどね」というのがあったというし。
直冬成人後の追加収録を断ったという話もあった。結果として「仏門か」で出番が終わり、
「富永保の武士」の問題も未解決に終わった。
顔と名前が売れればいいという時期なんだろうけど、あんまり役者として好ましい姿勢ではない。
お陰で隠居する予定の右馬介が出続け、最後は斬られるし・・・・ この時代てあんま見てて楽しくはないよな
ただ争って裏切って野蛮なだけでは
もちっと売りにするもんないかな でも終始反乱軍に担がれっぱなしの直冬に市井代表の石の声が届いたとも思えないしな
逐電した後に手助けしてたと思えばいいのでは >>972
太平記の時代はヒーロー不在の暗黒時代とか言っちゃう人ですか?w >>971
柳葉は十年後の時宗では安達泰盛を全うしてたな ギバちゃんは太平記の時のほうが魅力あったな
あの大河の安達泰盛はキャラ設定が何だかおかしかった… 北村一輝平頼綱が強すぎたしな
牧瀬里穂に平手打ち食らいまくってたり 北村一輝をあの大河で初めて知ったよ
Vシネの人だったみたいね >>977
得宗家の御内人が次第に強くなり長崎氏にもつながる重要なターニングポイントだからな
まさか長時暗殺までやっていたとは驚きだったが >>976
安達泰盛って、この太平記の最初の場面で殺された人? >>980
そうそう
あと本当に大河好きな人は「北条時宗」→「太平記」見れば面白いかも
北条の執権政治確率で将軍が傀儡に扱われた時宗みたあとに、
太平記を見るとなかなか面白い 執権政治から更に得宗専制そして御内人政治に向かう展開でもあるんだよな
これで今度の大河で幼くとも重時と政村が出れば草燃えるから一応繋がる形になるが 草燃えると鎌倉殿はほぼ同じ時代で重なるんじゃないか? そもそもギバが安達泰盛てめっちゃイメージ合わないって最初結構叩かれた
でもファンタジー大河なんでもうどうでもいいですとなった >>985
草燃えるでは重時や政村や伊賀氏が出ていないから >>988
最後にやられる役だから脇の甘さを感じさせるという意味では正解なのでは 草燃えるは総集編見たが、面白かった。太平記と同じで最後は内ゲバ的だが、全編見てみたい。
静御前がエッて感じなのと頼朝の娘が逝っちゃってる感じで、女性キャラが強烈だった。まあそもそも岩下志麻が主役だしね。
岩下志麻と石坂浩二がw主演で、石坂浩二亡き後は松平健だもの。太平記もそうだが、キャストが豪華でオールスター的なのも大河の見所。最近の大河はそこが物足りなく感じる。 大河ドラマだと時氏、経時と貞時が中心の時代がスポッと抜けるけどドラマ作れるほどの大事件無いしなあ 太平記は真田広之と沢口靖子だから負けてないと思うけどね
それにしても今の俳優って老け役出来ないのかなやたら嫌うんだね
大河なのに若い時だけでしょみたいなレスついててそれで大河やりたがるってエー?って感じ
死ぬ直前までやるもんだろ >>993
平禅門の乱、嘉元の乱、円喜登場とか色々有るけど大河ドラマは無理だから6話で時宗から太平記1話前半までを繋ぐドラマで作って欲しいと思う
今は時宗最終回ラストの平禅門の乱ダイジェストと太平記1話の霜月騒動でさらっと触れてるだけだしね >>995
やはり貞時主役の感じになるかな
もちろん徳政令にも触れなければならないだろうが >>972
尊氏とその子孫に終生忠誠を尽くしたのが道誉なんだよなあ
弟も子どもも主だった家臣らも裏切り敵対するのだが、道誉はいつも尊氏と共にいた >>997
その理由は好きだからというのが面白い
時には思い切り甘えて見せるし 観応の擾乱だけでドラマ一本作ってほしいな
守護大名達の勢力拡大とか詳しく知りたいし このスレッドは1000を超えました。
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